或る潜入捜査官の手記~LostTechnology組織アルカトラズ編より   作:アツ氏

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1.十六番街の理髪師

 ……もう半年だ。春も、夏も、秋も、ありゃしねえ。毎日、誰かがどこかで血を流すが、已むことなく降り続く雪が、すぐにその赤を真っ白に覆っちまう。だが、その上で起きた犯罪が消えるわけじゃない。分厚く降り積もった雪の下に、どれだけの死体が埋まっていることか。皮肉を込めて『骨の上に建てられた街』と呼ぶ奴もいるが、ここで暮らす連中がそもそも、死人のようなもんだ。奴らは爪弾きにされたものたち、人間らしく生きることを許されなかったものたちの末裔だ。ここには罪を犯した者だけが集う。極寒の地、エレクトリス。しかし、そもそも俺が何をしたというのか。

 あのいけすかねえニヤケ面の若造に呼び出されたのが、全ての始まりだ。奴は確かに権力の頂点にあったが、親の七光りに過ぎないと思っている連中も大勢いた。俺もその一人だった。戦争をしたがるのはかまわない。俺たちは兵士だから、戦うことが仕事だから、その本分を果たす。しかし、きれいごとを並べ立てるのは反吐が出る。人間が皆平等だと? 冗談じゃない。じゃあ、なぜ俺はここにいるんだ。奴は、執務室に入った俺を一目見るなりこう言った。

「なかなか凄みのある目つきだな。うん、人の一人や二人は、殺してそうだ」

 馬鹿を言え。俺は皮肉たっぷりに答えた。

「我々はそれが仕事であります」

 兵士がやることなど、他に何があるというのか。そこに正義はない。どんな高邁な思想があろうと、人殺しは、人殺しだ。それがわかっていないから、下士官どもからボウヤ呼ばわりされるのさ。『親父譲りの白髪の坊ちゃん』ってな……。

「君の名は」

「ハインリヒ・バルビールであります」

「立派な名前だ。ディルクから推薦があってね。君にひとつ仕事をしてもらいたいんだ」

 実際に言葉を交わすのは初めてだったが、やはり、俺はこの優男が気に食わなかった。だが、ディルクの旦那の名前を出されたとあっては、少しは真面目に話を聞かないわけにもいかない。クーニッツ騎士団の軍事総司令官にして、最強の騎士、ディルク。ボウヤが趣味丸出しの金髪女を囲ったせいで序列は下がったが、彼は変わらず憧れの的だった。諜報活動や、暗殺など、俺たち汚れ役の特殊部隊員の仕事を、自ら率先してやるからだ。もちろん腕もいい。ディルクの旦那の手にかかって、生き延びた奴の話は聞いたことがない。どんな相手でも素早く襲い掛かり、抵抗する間も与えず、一撃で息の根を止めてしまう。まあ、たいていの場合は、旦那が手を下すまでもなく、隊員の誰かがその役を引き受けるわけだが、今回は俺にお鉢が回ってきたというわけだ。

「暗殺ですか」

 俺が訊くと、ジギスヴァルトはニヤケ面のまま首を振った。

「内偵だ」

 俺は内心落胆した。殺しが好きなわけじゃない。密偵は地味な割りにストレスがかかる仕事だ。暗殺は一瞬で仕事が終わるが、諜報活動は身分を偽って、長期にわたって敵地に潜入しなければならないから、気が休まらない。おまけに、どじを踏んで正体がばれれば、助けを呼ぶ間もなく捕まって拷問を受けるか、さもなくば消されてしまう。最低限、身を守るために戦うことはできるが、不用意に傷つけたり、殺したりすれば、そこから足がつくので、基本は逃げることしかできない。相手がどんな雑魚であろうとも、だ。

 以前、ライナルト帝国の中枢に潜入した若い隊員が、数年の任務を終えて帰ってきたときには、すっかり惨めな顔つきになっていた。疑心暗鬼に疲れた目、後退した生え際、やつれた頬。まるで二十年も老け込んできたようだった。時間の流れの違う国に迷い込む木こりの話があったが……あれは逆のパターンだったかな。まあそんなことはどうでもいい。奴さん、行く前はなかなか爽やかないい男だったんだが、それが見る影もなくなってしまって、健気に帰りを待っていた女とも、程なくして別れてしまったらしい。まあ、生きて帰ってこれただけ、ましというものだ。俺がそんなことを思い出したのを見透かしたように、ジギスヴァルトが言った。

「細君はいないと聞いてるが、付き合ってる女性でもいるのかね」

 てめえは身近に女を囲ってるくせに何を聞きやがる。俺は、答える必要はないという風に、黙っていた。どっちにしろ、任務には行かなければならない。こんなボウヤに女性関係まで心配される謂れはなかった。ジギスヴァルトは続けて訊く。

「家族は?」

「ケクロピアに、妹が一人います。両親はおりません」

「妹さんは、何をしているのかな」

「学生です」

「女学校かね」

「いや、大学です」

「それなら、手当さえ出せば、君が面倒を見なくても、生活できるね」

「私の身に何が起こっても困らぬよう、幼少のころから、身の回りのことは全て自分でやるようしつけてあります」

「大変結構。ディルクから聞いたとおりだ」

 つまり、すでに俺の情報は行き渡っていて、全て形だけの質問だったというわけだ。最終確認のようなものだろう。あとは、質問に忠実に答えるかどうかのテスト。俺は最初の質問を黙殺したわけだが、それはお咎め無しだった。まったく興味本位のくだらない内容だった。ところで、俺は自分がどこに潜り込まなければならないか、そろそろ気になり始めていた。帝国か、砂漠か、それとも……。

「バルビール君。君にはエレクトリスに行ってもらおうと思っている」

 最悪だ。年中雪が降り続く、犯罪者の国。なんとなく、そんな予感はしていた。

 認めるわけじゃないが、ボウヤが政治の実権を握ってから、クーニッツ騎士団領の治安が、この上なく改善されたのは確かだ。ジギスヴァルトの団長就任直後に実施された治安維持対策によって、先代のルードルフが団長だった十年前と比べて犯罪は激減し、ケクロピアは大陸一平和な街と言われるまでになった。しかし、どんなことにおいても、絶対ということはありえない。

 先日、ケクロピアではある事件が起こった。麻薬中毒に陥った青年が、想いを寄せる女子大生の住む家を拳銃でもって襲撃し、一名の死者と、二名の重傷者が出たというものだ。負傷者はどちらも騎士団の関係者で、一人は士官候補生、一人は歩兵隊長だったという体たらくだが、死者というのは他ならぬ犯人自身で、先の二人を負傷させたあと、なんと最後に自らの拳銃で自殺してしまった。実に猟奇的な事件だが、その後行なわれた捜査では、麻薬も拳銃も、エレクトリスから流れてきたらしい、ということだけしか分からなかった。エレクトリスの犯罪組織に関わる何者かが、その青年にブツを提供したのは間違いないが、事件を起こした当人が死んでしまったせいで、証言が取れず、パイプ役を突き止めることもできなかったのだ。それなら、国内での捜査と同時進行で、こちらも先方に出向いて、調べを進めようって話になったわけだ。

 俺が選ばれた理由はすぐに分かった。ジギスヴァルトが一目見て言ったとおり、俺は悪党面なのだ。

 人間を顔で判断する、奴の独断人事は騎士団の中でも悪名高かった。副官はさっき少し言及したように金髪美人だし、最近就任した水軍司令官は、クーニッツの領海チュレニーを荒らしまわる海賊だったにもかかわらず、女でしかも美しいからという理由で引き抜かせたらしい。アルレットとかいう名前のその女司令官を、俺はケクロピアの港で一度だけ見たことがある。納得だ。あれは敵でも引き抜きたくなるようないい女だ。文句なしの美形のうえ、強気そうな目と口元が、かなりいかしていた。だからといって、ボウヤの人事そのものに納得するわけじゃないが、奴が都合よく言い換えると、これは適材適所ということになるらしい。外見の優れた者を重用するのは、騎士団が市民からの支持を得やすくするためだと。まったく万民平等が聞いて呆れる。そんな詭弁を並べ立てて、思うが侭にハーレムを作れるなら、俺も一度団長になってみたいもんだ。

 自画自賛するわけじゃないが、俺だって決して不細工ではない。目も、鼻も、口も、耳も、あるべき場所に正しく収まっている。ただ、そのつくりが問題だ。張り出した額、落ち窪んだ三白眼、分厚い唇、そして眉間に深く刻まれたしわ。街で煙草をふかして粋がっている若造など、ひとにらみすれば震え上がる。だが、鼻の形だけは誰にも負けない自信があった。横から見ると綺麗な直角三角形をしていて、古代遺跡に刻まれたレリーフのような趣がある。鼻の形が整ってるのは、いい男の条件だ。女は男の鼻を見て、その男が良い種の持ち主かどうか、本能的に判断すると、どこかで聞いたことがある。

 特殊部隊は汚い仕事を請け負うだけあって、クーニッツ騎士団の中でも筋金入りのごろつきの集まりだ。少なくとも、言いがかりをつけてきた奴を見逃すような真似はしない。そうして殴り合いのけんかをするときだって、俺は鼻だけは殴らせたことがない。殴られる前に、確実に倒してしまうことにしている。何しろ鼻は俺の最大のチャームポイントなんだ。もしこれを潰すような奴がいたら、俺は最大の敬意を表しつつ、そいつの顔面を二倍、いや三倍の大きさに腫れ上がらすだろう。……つまり、性格的にも、俺はエレクトリスの密偵に適任というわけだった。

 ちなみに兄の欲目を差し引いても、妹は美人だ。俺は無骨な炭鉱夫だった父親似、妹は可愛らしいお針子だった母親似だ。どっちも死んでるから証明しようがないが、嘘じゃない。

 話がずいぶん脱線したが、要するに俺は厄介な任務を請け負うことになった。エレクトリスで足がつかないように諜報活動を行なうのは、至難の業だ。なぜって、奴らには法がない。一般市民を守る法律がないのだ。警察のような、治安維持組織もない。あるのは、ファミリーと呼ばれるいくつかの犯罪組織が、それぞれ重んじている掟だけだ。エレクトリスの住民は、必ずいずれかの組織の庇護を受けねばならず、それを怠った者は消されても文句は言えない。組織の紹介なくしては住む場所も、仕事も得ることはできないし、許可を取らずに商売しようものなら、真っ先に袋叩きにされたうえ、鼻や耳をそぎ落とされ、雪狼のうろつく雪原のど真ん中に置き去りにされる。それならまだいい方で、たいていの場合は、暴行を受けている間に死亡してしまう。だから、街に長期潜伏するには旅行者や一般市民を装うような生ぬるい真似はできず、必ずファミリーの懐に飛び込まなくてはならない。どの組織を選ぶかも重要だ。抗争が起きて、所属するファミリーが潰されれば、そのあおりで殺されてしまうことがあるからだ。

 多くが、これまでに騎士団が送り込んだ数多くの人間の死の上に得られた情報だ。どこかでどじを踏むのか、かぎつけられるのか、ほとんどの捜査官が一年としないうちに消息を絶ってしまう。エレクトリス行きになった奴の報告が何ヶ月目で途絶えるか、そんな不謹慎な賭けをする奴までいる。

 ジギスヴァルトによれば、全組織の統合をめぐってエレクトリス全域で抗争が激化しており、何十とあったファミリーは、残すところ三つにまで絞られていた。武器及び宝石商で主な収益をあげるドワーフ中心のアルド・プロッティ会、血の掟を重んじ、それに連なる人間族のみで構成されたバスティアニーニ一家、そして多種族を纏めるドン・コルラードを首領とした組織アルカトラズ。どれもごめんこうむりたいが、どうせ潜入するなら、最も生き残る可能性が高い組織にしてほしかった。

 不幸中の幸いか、ジギスヴァルトが俺に潜入を命じたのは、組織アルカトラズだった。多種族混交のため構成員が多く、戦力にも幅があるため、奴らは組織統合の抗争を勝ち抜く最有力候補と目されていた。

 問題はどんな形で潜入するかだ。俺は通常の騎士とは異なる戦闘訓練を受け、隠密行動に最も有効な格闘術や、武器の扱いに長けてはいたが、戦闘員として組織に所属するのは言語道断だ。戦闘員の役割は敵の組織の構成員、ないし幹部の殺害だが、首尾よくその任務を遂行しても証拠隠滅のため消される可能性が高い。殺し屋として売り込むのもだめだ。もしモグリだと分かったら、殺しの市場を荒らす不届者として、ギルドから差し向けられた本物の殺し屋の手にかかることになる。そもそも、潜入捜査官が商売で殺しを請け負うのは御法度だ。本国の土を踏ませてもらえなくなる。では売人としてはどうか。これは地道に成果をあげなければならないため、中枢にたどり着くまでに時間がかかりすぎる。末端の売人は、あがりを納めさえすれば後は見向きもされないため、組織の動向に関わるような有力な情報を得にくい。これにはジギスヴァルトも頭を悩ませているようだった。効率を重視する奴の性格なら、同じような失敗を繰り返すこと自体が屈辱だろう。理由はどうあれ、真剣に考えてくれるほうが、俺としても助かる。

 するとジギスヴァルトは、何かひらめいたように、俺に言った。

「君、名前はなんていったっけ」

 わかっているくせに何度言わせるつもりなのか。

「ハインリヒ・バルビールであります」

「そうだ。バルビール君。君は床屋になりたまえ」

「はあ?」

「名だたる組織アルカトラズのドン・コルラードといえど、髪は伸びるし、ひげも伸びる。散髪中に、世間話のひとつやふたつ、するかもしれない。屋敷に呼ばれさえすれば、手がかりを得るのは簡単だ。いいアイディアだと思うんだが」

 俺もなかなか悪くない考えだと思った。いろいろと詭弁を弄するだけあって、この若造、頭の回転はいいようだ。だが、ひとつ問題がある。

「私は床屋の経験はありません」

「勉強したまえ」

 その一言で片付けられ、俺はエレクトリスへ経つその日まで、床屋としての修行を、寝る間も惜しんですることになった。とはいっても、商売道具ははさみとかみそり、どちらも刃物だ。ひげを当たるときはどの角度が一番いいか、どう加減してはさみを使えば見栄えがよくなるか、そんなものは全てナイフ術の応用のようなものだ。俺が一流の床屋になるまでには、一週間とかからなかった。

 出発前日にジギスヴァルトはまたしても俺を執務室に呼び出した。そこにはどういうわけか、団長の情婦フィリーネと、ディルクの旦那、つまりクーニッツ騎士団のトップからナンバー3までが一堂に会していた。そして部屋の中央には理容椅子。何の冗談かと思ったが、ジギスヴァルトは、俺の姿を見るなり、ディルクの旦那にこう言った。

「ディルク、せっかくだから彼に散髪してもらってはどうだろう。ちゃんとエレクトリスで床屋としてやっていけるかどうか、最終確認だ」

 つくづく人を食った野郎だが、さすがはディルクの旦那、表情ひとつ動かさずにこう言った。

「ジギスヴァルト、あなたこそ、もう少し髪を短くするべきでは。あなたの髪型は武人の私からすれば、うっとうしくてかないません」

「私も同意見です」

 金髪女が軽口に乗っかった。団長の言いなりになっているだけの売女かと思っていたが、言うことは言うらしい。ジギスヴァルトは苦笑いして言った。

「二人とも手厳しいな。しかし、ディルク。軍務が忙しいからといって、身だしなみをおろそかにするのは感心しない。その無精ひげはなんだ。それでは総司令官として、配下に示しがつかんぞ」

「私が忙しくしているのは、ジギスヴァルト、日々あなたが無理難題ばかり押し付けるからです」

「だからこうして床屋を呼んだんじゃないか。遠慮なくひげをあたってもらいたまえ。さっぱりすれば、きっと女にもてるぞ」

「そのような暇がないのは、先ほどに申し上げたとおりです」

「ディルク、お前はいつからそんな堅物になった」

 いつまでこの茶番に付き合えばいいのか、とうんざりしていると、それまで黙っていた金髪女が毅然とした調子で言った。

「業務が滞っておりますので、私はこれで失礼します」

 どうやらたまたまこの場に居合わせただけらしかった。女がきびすを返すと、長い金髪が優雅に揺れて、ほんのりと石鹸のいい香りが漂ってきた。なるほど、悪くない。ボウヤはこのすれっからしと日々お楽しみというわけか。まったくいいご身分だ。フィリーネは、そのまま形のいいケツをつんけんと振りながら、執務室から出て行った。

 俺もよっぽど退散したかったが、結局はディルクの旦那が折れて、その髪とひげを整えることになった。まあ、床屋としての最初の客が、軍事総司令官ってのは、いい記念になる。俺は丹精込めて、ディルクの旦那の髪を、軍人らしく短く切りそろえ、そのひげを青みが残らないほどに綺麗に剃って差し上げた。鏡で出来上がりを見せると、ディルクの旦那は満足したように、

「ほう」

 と声を上げた。俺は、初めてのお使いを上手くやりおおせたガキみたいに嬉しかった。日ごろから憧れていた男の身だしなみを整えられるなんて、光栄なことだ。ジギスヴァルトも、俺の仕事ぶりに満足したらしく、鷹揚に頷いていた。

「ところで、バルビール君」

 ジギスヴァルトが俺に呼びかける。君付けはやめろ。ホモじゃあるまいし。

「は」

 俺は腹の中にあるものを押し殺して返事をする。

「エレクトリスで暮らす時には、名前を変えたほうがいい。ハインリヒ・バルビールでは、クーニッツ騎士団領、ないしライナルト帝国の人名を髣髴とさせる。響きを変えてヘンリー・バーバー、親しくなった者にはハンクと名乗りたまえ。実に床屋らしい名前だ」

 そういういわけで、俺はエレクトリスでは今日まで、ハンクと呼ばれている。

 俺はエレクトリスに着いてまず、あらかじめ調べのついていた『ラ・フィンタ』というアルカトラズ系列の酒場へと向かった。入る店を間違えて、別のファミリーの名前なんか出したら、その時点で半殺しにあってしまう。ちゃんと手順があるのだ。正午ちょうどに入ると、十三席あるカウンターの右から四番目が必ず空いている。(正午までのあいだに知らずに座っている者がいると、これも半殺しにあう)ファミリーの庇護を受けたい者は、その席に座り、机を二回ノックしてバーテンダーを呼び、メニューにはない『贖いの血』という名のぶどう酒をオーダーする。グラスではなく、コップで出されたそれを三分の一だけ飲んで待っていると、スーツを着た構成員が現れて合図をするので、あとをついていく。奥にはカポ・レジームと呼ばれる幹部が待っているので『ドン・コルラードに連なる者に、心からの挨拶を』と言って、帽子を脱いでひざまずく。これでファミリーの庇護を受けたいという意思を伝えることができる。実に回りくどいが、ひとつでもしくじると二度とファミリーに入れてもらえなくなる。そして、そのうわさは一瞬で他の組織系列の店にも伝わり、そいつは行く場所をなくす。エレクトリスは、備えもなく外にいれば必ず凍死する極寒の地だ。行き場所をなくすということは、即ち死を意味するのだった。

 どこから来て、どんな仕事をしたいか、誰からの紹介か、などの質問を受けるので、俺は騎士団からあらかじめ言いつけられていた通りに答えた。クーニッツ領に出向している組織の幹部の名前を使うのだが、本人は騎士団が身の安全を保障した上で、すでにジギスヴァルトに買収されている(こいつは、例の猟奇事件については無関係を主張していて、事件時には監視下にあったためその言は信用されていた)。

 ドン・コルラード御用達の理容師はすでにいるが、少しでも顔を切ったり、髪型を整えそこなったりすれば、すぐに消されるので、代えはいくらいても困らない、と幹部は言った。それはチャンスが巡って来易いと同時に、命がけの仕事になることを示唆しているのだが、しくじらなければ良いだけの話だ。あとは声がかかるまで、せいぜい評判をあげておけ、とのお達しで、俺はエレクトリスの十六番街に部屋を与えられ、そこから出張して仕事をすることになった。

 それから、今日で半年になる。現ドン・コルラード御用達の床屋はなかなかしぶといらしく、まだ消されてはいないようだった。俺はといえば、十六番街にすむあらゆる男たちのひげを剃り、髪を切り、肩を揉みほぐし、すっかり腕利きの床屋としての評判を勝ち取っていた。捜査官としては、足しげく街に繰り出して犯罪組織関連の情報を集められるだけ集め、仕事中には努めて人当たりよく世間話をしてエレクトリスに流れている耳よりなうわさなどをさりげなく聞き出し、それらをまとめて本国に報告すればよかった。最近になって、男だけでなく、娼婦どもの髪結いや、産毛剃りにも手を広げた。より多くの情報を得るために始めたことだが、日々、色っぽい女どものうなじに剃刀をあてながら、俺はエレクトリスでの暮らしに楽しみを見出だすようになってすらいた。認めるわけじゃないが、結果的にジギスヴァルトのボウヤの人選は、適材適所となったわけだった。まさしく、狼と付き合うものは吠えることを覚える、ってやつだ。もっとも、下手に目立って消されるのはごめんだから、俺は吠えたりはしないが。

 

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