或る潜入捜査官の手記~LostTechnology組織アルカトラズ編より   作:アツ氏

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4.オクタゴン

 イラーリオの金払いは非常に良かった。

 今回の仕事の報酬は、エレクトリスに潜伏してから床屋として稼いできた金の、ざっと三か月分に相当した。まったく、ファミリーから見捨てられて、雪をしのぐ屋根もなく、道端で凍え死んでいくやつらもいるというのに。金はあるところにあるということだ。俺はそれを受け取らずに、アルカトラズ側のノミ屋に全部突っ込んでくれ、と言った。もちろん、アーツに賭けると言い添えて。するとイラーリオは目を丸くして言った。

「どういう風の吹き回しだ。お前は、女も買わない、賭け事もしない、相当なカタブツだと、カヴァティーナのババアに聞いていたがな」

 床屋の仕事の受付は、一階の貸衣装屋で承っていた。カヴァティーナの顔を借りて客を斡旋してもらう代わりに、あがりの二割を納める取り決めになっていたのである。それとは別に家賃を払っており、これも一割ぐらいは持っていかれる。もちろん組織にも、相当な額を納めなくてはいけないというのを承知した上で、決められたルールだった。がめついババアだ。その上、口が軽いときたもんだ。俺は内心げんなりしながら、イラーリオに返事をした。

「単なる気まぐれですよ」

 その言葉に嘘はない。そもそも潜入捜査官として、騎士団から毎月経費と給料を受け取っていたから、どんなに稼げなくても生活には困らないのだ(正体がばれぬよう、金の使い方には気をつけなければならないが)。儲けるつもりなど毛頭なかった。だが、俺の何気ないこの言動は、イラーリオの興味を引いたらしい。

 エレクトリスの下っ端の売人どもは、その日その日を生き抜く金をかき集めるのに躍起になっていて、賭け事のやり方も実にけち臭いのである。酒場の隅っこで細々とカードゲームに興じ、ちょっと勝って酒の一杯分でも浮けば、大喜びする。そういう奴は、いつまで経っても、状況を変えることが出来ない。卑屈さが身に染みついてしまって、何かでかいことをやらかそうという発想が無いのである。

 そうした惨めな連中と接するように、俺のことを扱っていたイラーリオの態度が、急に親しげになるのがわかった。報酬を全額ノミ屋に突っ込むことによって、俺は組織アルカトラズの上客に早変わりしたというわけだった。イラーリオは方頬をゆがめて言った。

「それなら、試合は見るだろ。いい席を用意してやる。気まぐれだろうとなんだろうと、思い切りのいい奴は大好きだぜ」

 そうして、後ろについてくるよう、俺に合図をした。

 アレーナの試合場は土を盛った八角形の小高い台の上に設けられ、周囲には金網が張り巡らされていた。地面にクッションはなく、頭から投げ落とされれば、おそらく重傷を免れないだろう。

「オクタゴンといってな、古代人たちは、この八角形の金網の中でルール無用の殴り合いをしたって言い伝えがある」

 試合場を眺める俺に、イラーリオがそう説明した。俺はそのサイドにある、特等席に案内された。本来なら、相当額の上納金を納めている幹部しか座ることのできない席だが、アルカトラズで拳闘の一切を取り仕切っているイラーリオの一存で、好きな人間を座らせることができた。俺以外には、ぺトラほどではないが、イラーリオのお気に入りらしい見目麗しい高級娼婦が数人と、でかい図体で、いかにも野蛮そうな面構えをした、ひげもじゃの男が座っていた。

 ひげもじゃの男は、俺の姿を見るなり、不機嫌そうに言った。

「なんでえ、てめえは。見たこともねえ面だな。ここは幹部席だぞ。てめえのようなサンピンは、安酒かっくらって、隅の方で歌でも歌ってろ」

 するとイラーリオが、凍りつくような薄笑いを浮かべながら、威圧感たっぷりの低い声で、言った。

「オルヴァー。てめえこそ、ろくにあがりを納めてねえくせして、でかい口を叩くんじゃねえ。こいつは俺の大事な客だ。クーニッツにシノギ邪魔されて干上がってるてめえより、ずっと金持ちだぜ」

 オルヴァーと呼ばれた男は、鼻で笑って言い返した。

「客だあ? どこの馬の骨かわからんやつを、幹部席に入れるほど、てめえが甘ちゃんだとは知らなかったぜ。時期ボス候補が聞いてあきれらあ」

「俺の勝手だよ。今すぐてめえを叩き出すことだってできるんだぜ」

 イラーリオがそう言うや否や、オルヴァーの顔にはナイフの切っ先が突きつけられていた。いつの間に抜いたのか、ほとんどその瞬間を見ることができなかった。どうやら、この男がアルカトラズでも指折りの戦士だというのは本当のようだ。オルヴァーはオルヴァーで、眉ひとつ動かさずイラーリオを見返しているが、真っ向からやりあうほどの気持ちは無いらしく、何も言わずに舌打ちして、そっぽを向いた。

 俺はイラーリオに勧められて、試合場に一番近い席に座った。ここからなら、ファイターの一挙手一投足まで、見逃すことは無いだろう。ちょっとした呟きだって聞き取れるかもしれない。イラーリオの言葉通り、試合を見るには迫力満点の席だ。ただ、 時によっては少々気が散るだろうが。背後から女の荒い息遣いや、あえぎ声が聞こえてくる。イラーリオが娼婦たちをとっかえひっかえしながら、いちゃついているようだった。自分でスカウトしてきたファイターの試合を、真面目に見る気が無いのだろうか。連れのいないオルヴァーは、ただ不機嫌そうにそれを横目で見ているだけだった。

 オクタゴン上では、すでに二人のファイターが金網際に立ち、待機していた。アーツは控え室で着ていたぼろぼろの服をどこかで脱ぎ捨てたのか、上半身裸になっていた。しなやかなばねのような筋肉が、奴の呼吸に合わせて隆起している。アルカトラズのセコンドがしきりに何かアドバイスをしているようだが、余裕の表情で聞き流している。そのうちアーツは、オクタゴンサイドに座っている俺の姿に気付き、にんまり笑って拳を突き出した。

 反対側にいるのは、ずんぐりとして、岩のような肉体をした、いかつい男だった。体つきと、豊かなひげから察するにおそらくドワーフだが、その割には背が高く、人間族としても大柄といわれる俺と同じぐらいはありそうだった。突然変異なのか、ドワーフの強靭な筋肉を持ちながら、リーチもあるというのは、かなり厄介な相手のように思われた。ちなみに、ドワーフのファイターは、ひげを剃ることを義務付けられていない。ドワーフのひげは古くより種族の誇りであり、一人前の男を象徴するものだ。エレクトリスでは種族間の摩擦を少なくするため、そうした各種族のアイデンティティーに敬意を払い、可能な限り重んじるよう、コミッションで定められている。あくまで上層部の取り決めであって、必ずしも末端の構成員までもが、それを遵守しているとは言い難いが。

 試合開始を待ちわびる観客から野次が飛ぶ。アレーナはむせ返るような熱気に包まれていた。やがてオクタゴンの中央に前歯の無い貧相な男が現れた。選手の紹介をするらしい。まずは、ドワーフからだ。男の甲高い声が、アレーナに響き渡る。

「アルド・プロッティ会より、現チャンピオンの登場。彼こそドワーフ族最大の男にして、エレクトリス最強の男。立ちふさがる者は、岩の如き拳で粉々に打ち砕く。鋼鉄の肉体に、野獣の知性を持つ、殺人キメラにして、誇り高きプロッティの嫡子。ベルトルド・プロッティ!」

 呼び出しを受けて、両手を突き上げ、咆哮するベルトルド。イラーリオに聞くところによれば、奴はプロッティ会の大親分、アルドの息子で、三人兄弟の末っ子だ。『抜け目ないベルトルド』という皮肉なふたつ名を持っており、抗争では必ず先陣を切るつわものだった。とてつもない怪力の持ち主で、片手で人間の頭蓋骨を握りつぶすらしい。長男のバルバロは武器商、次男のバロルドは宝石商をそれぞれ統括しているが、ベルトルドは兄弟のうちで最も頭が悪く、大親分のアルドから組織の商取引に関わることを禁じられていた。その代わり非凡な体格と腕力に恵まれていたので、こうして拳闘のチャンピオンとして君臨することで、プロッティ会の収益に貢献しているのだった。

 俺はアーツの様子をうかがった。相変わらず不敵な笑みを浮かべているが、その目はベルトルドの肉体や動作をじっくり見据え、力量を測っているようだった。前歯の無い男が、続けてアーツの紹介を始める。

「組織アルカトラズより、挑戦者の登場。古の武術の使い手にして、流浪の拳士。世界を旅して手にかけた魔物は数知れず。そのひざはジャイアントの脛を砕き、ひじはスノーマンの頭蓋骨を貫く。険しき氷火山も恐れをなす、彼こそロストテクノロジーの申し子、アーツ!」

 アーツもまた一歩前に進み出て、軽く腕を振り回したが、知名度のない新参者のファイターだけに、観客のブーイングを浴びるだけだった。オッズも露骨だった。八対一でベルトルド優勢。このアレーナで長年試合を見てきた玄人も、同じ意見だろう。だが、俺は必ず勝つと言ったアーツの言葉に賭けていた。短い時間ではあったが、実際に接触することで、奴が本物の馬鹿であり、同時に本物のつわものだと判断したのだ。背後では、オルヴァーとイラーリオが軽口を叩き合っている。

「あんなひょろっちいガキがベルトルドに勝てるわけねえだろう。目利きのイラーリオさんも、今回は血迷ったらしいな」

「あいつの戦いぶりを見ていないから、てめえのような馬鹿にはわからねえんだよ。見てろよ、度肝を抜かれるぜ」

 オルヴァーの嘲笑をいなすイラーリオの口調は、余裕そのものだった。

 ゴングが鳴った。金網の中で、二人のファイターが構えをとる。

 ベルトルドは背中を丸め、両拳を顔面の前で固めた典型的な拳闘スタイル。対するアーツは半身を切り、両腕をだらりと下げ、体全体を脱力させながら、その場でステップを踏む奇妙なスタイル。両者、構えを取ったまま円を描きつつ、じりじりと間合いを計る。

「では、ウォーミングアップといきますか」

 そうつぶやくと同時に、アーツが地面を蹴った。目にも留まらぬ速さでベルトルドの眼前にステップインする。チャンピオンの反応も悪くない。アーツの動きに合わせ、顔面めがけて素早いジャブを放つ。しかし、すでにその場から相手の姿は消えていた。アーツはジャブを避けてベルトルドの体の左側に回りこんでいた。

「いくぜ!」

 その左足から、相手の腹部に向かって中段の回し蹴りが放たれる。蹴り足がまだ地面につききらぬうちに、今度は右足のとび蹴りがベルトルドの頭部を襲う。そのままアーツの体は空中で回転し、最後に左足のかかとが後頭部を蹴った。計三発の蹴りが、全段命中。まばたきをすれば見逃すような一瞬の動きで、ベルトルドには防ぐ暇も無かった。普通なら確実に脳震盪を起こすだろう。アーツの並みはずれたテクニックに、観客席がどよめく。

 しかし、相手は流石にドワーフ最大の男、ベルトルドだった。鍛え抜かれた丸太のような首の筋肉が、アーツの蹴りの衝撃を吸収してしまっていた。涼しい顔をしながら、もっとやってみろとでもいうように、指を立てて挑発する。

「さすがにタフだな……。じゃあ、これならどうだ!」

 またしてもアーツが地面を蹴る。そしてベルトルドのジャブを避けて下方向に屈み、今度は真上に飛んだ。アーツは高速の前転宙返りをすると共に、ベルトルドの頭頂部に右のかかとを叩き落した。岩をハンマーで叩くような、鈍い音が試合場に響く。人間の身体能力でなしえる技とは到底思えなかった。しかし、ベルトルドの打たれ強さもまた人間離れしていた。頭に落とされたかかとをものともせず、それを左手で掴むと、力一杯地面にたたきつけたのだ。無残な光景に、娼婦たちが小さく悲鳴を上げる。地面に激突したアーツの体はボールのように跳ね返り、金網の際まで吹き飛ばされた。その途中で両手をつき、身軽に後転して立ちあがるアーツ。受身は取っているようだが、固い地面の衝撃は、完全に逃がしきれるものではない。口元の笑みは崩れていないが、ダメージはゼロではないだろう。

 眼帯をしたセコンドが、アーツに向かってだみ声で叫んでいる。

「ぴょんぴょん跳ねてんじゃねえ! てめえはバッタか! 拳を使え! 拳を!」

「うるせーな! ウォーミングアップだって言っただろ!」

 言い返しながらアーツが再び構えを取る。今度はステップを踏まず、べったりと地面に足をつけ、左手を前に突き出す。両掌は開かれ、その延長線上にベルトルドの姿を見据えながら、ゆっくりと呼吸している。これもまた、見たことも無い奇妙な構えだ。

「こっからが本番だ。かかってきな」

 アーツがそう言い放つと、それを受けてベルトルドが正面から突進をかける。でかいくせにかなり素早い。フェイントなどのひねりは無いが、並みのファイターを捉えるなら、充分な動きだった。

 対するアーツは突進を避けようともせず、静かに構えを取ったままその場につっ立っている。ばかな。ダメージは確かにあるだろうが、動けないほどではないはずだ。ベルトルドはジャブを軽く振ったあと、渾身の右ストレートを繰り出した。遊びではなく、決めにきていた。誰もがその岩のような拳が、アーツの顔面に突き刺さると思っていた。

 次の瞬間、ベルトルドの巨体は、宙を舞っていた。前のめりになってきれいに回転し、奴は背中から激しく地面にたたきつけられる。咳き込むベルトルドを見下ろしながら、アーツはまだ先の静かな構えを取り続けている。いったい、その場にいた誰が、何が起こったかを理解しえただろうか。アーツは拳も出さず、蹴りも出さなかった。ただ立っていただけなのに、なぜかベルトルドの体が宙を舞った。これがロストテクノロジーに伝わる武術の力なのだろうか。アーツはこちらを見て、俺の耳に届くだけの声を張って言った。

「床屋の兄ちゃん。これが気の流れを読むってことだ。よく見てな」

 立ち上がったベルトルドが、怒りの形相を浮かべ、再びアーツに立ち向かっていった。素早いが、今度は慎重にフェイントをかけつつ、ボディーを攻める。頭が悪いといわれているが、けんかの仕方は思いの外クレバーだ。ただ、アーツはいかなるフェイントにも反応せず、好きなようにボディーを打たせていた。それは異常な光景だった。決して巨漢とはいえないアーツの体が、ベルトルドのパンチを受けてもびくともしないのだ。涼しげな顔をしているアーツに対し、ベルトルドの表情に焦りが浮かび始める。奴はボディーを攻めるのをやめ、顔面にフックを放った。

「それを待ってたぜ!」

 構えを取るアーツの軸足が地面を這うように動き、その腕が顔面を襲うフックを絡め取った。そしてそのまま背後を取り、ひじの関節を決め、ベルトルドをうつぶせに押し倒したのだった。流れるような、鮮やかな関節技だった。決してベルトルドの動きに逆らわず、その進行方向に力を逃しながら、有利なポジションに入る。これが気の流れを読むということならば、俺にもわかる。ただし、重いボディーブローの連発をことも無げに耐えていたのは、理解不能だが。

 押さえ込んでいるアーツが大した力を込めてもいないのに、ベルトルドは立ち上がることができず、子供のようにじたばたしている。明らかに試合はアーツの優勢に傾いていた。しかし、ここはエレクトリスの闘技場だ。明確に相手をノックダウンしないことには、勝ちとは認められない。アーツもそれを理解しているのだろう。やがて腕を放し、ベルトルドから距離をとった。

「さあ、仕上げといこうか」

 不敵に微笑むアーツ。そして、新たな構え。足を地面にべったりとつけているのは変わらないが、今度は両拳を握って突き出しながら半身を切り、体勢を低く取っていた。ゆっくりと呼吸をするアーツの肌が徐々に赤らみ、蒸気をまとう。まるで、アーツの立っている空間に、アレーナ中の熱気が収束していくかのようだ。

 ベルトルドは、自分の理解を超えた技で戦うアーツに対して、怯えはじめていた。しかし、チャンピオンとしての意地がある。奴は恐れを振り払うかのように拳で自らの胸を打ち、雄たけびを上げた。びりびりと、観客席まで振動が伝わってくる。頭に血が上り、顔面が真っ赤に染まった。今度、奴の手がアーツを捉えれば、確実にその体をずたずたに引き裂くだろう。ベルトルドもまた、地面に片手をつき、体勢を低くして飛び掛る構えを見せた。そして狙いを定めたあと、猛然とした勢いで、地面を蹴った。もはや拳闘ではない。野獣が本能に任せて獲物に襲いかかる動きだった。その両手が、アーツの体の寸前まで伸びた。

 どしん、という地響き。同時にベルトルドの動きが止まった。その体はくの字に曲がり、小刻みに震えている。体勢を低くして放ったアーツの肘打ちが、ベルトルドのみぞおちに、剣のように突き刺さっていた。カウンターで入ったがゆえに、非常に強烈な打撃だったが、それだけでは終わらなかった。次の瞬間、アーツの右足が高く跳ね上がり、前かがみになったベルトルドのあごを鋭く撃つ。試合開始時に受けた飛び蹴りにはびくともしなかった巨体がのけぞり、ふわりと浮き上がる。そしてさらに追い討ちをかけるように、左足が入れ替わって跳ね上がり、またしてもベルトルドの顎を捉えた。思わず見惚れるような素晴らしい二段蹴りだった。骨の砕ける鈍い音が聞こえ、ベルトルドの巨体はそのまま後方に飛び、土煙を上げて仰向けに倒れた。奴は口から泡を吹き、二度と起き上がることは無かった。

 しばし流れる沈黙。これは観客が状況を理解するまでにかかった時間だ。金網の中には二人の男。戦いの果てに倒れた者は敗者であり、立っている者が勝者である。アーツは構えを解き、地面に横たわるベルトルドを見下ろしていた。王のごとく、傲然たるまなざしで、不敵な笑みを浮かべたまま。もはや勝者は誰の目にも明らかだった。アーツが右拳を天に突き上げると、それを合図に怒涛のごとく歓声がわきおこった。イラーリオは高笑いを上げ、オルヴァーは呆けたように口をあけていた。度肝を抜かれると言ったイラーリオの予言は当たったらしい。それは俺にも言えることだ。アーツの言葉を信じてはいたが、奴の戦いぶりは予想を遥かに超えていた。アーツがこちらを向いて得意げに親指を立てる。その表情には、いまだ余裕が溢れていた。

「おかしいやろ! こんなん、いかさまや!」

 突然、プロッティ側の幹部席から声が上がった。ベルトルドとよく似た顔つきで、標準的な体格をしたドワーフの男が、椅子から立ち上がってわめいていた。

「ベルトルドは、プロッティ最強の男や。それがこんな、なよなよした人間のガキに負けるわけあらへん。お前、魔法つこうたやろ。魔法は拳闘では御法度や!」

 その言葉を受けて、アーツが困ったようにイラーリオのほうを見る。方頬をゆがめたイラーリオが立ち上がり、ドワーフに向かって声を張った。

「これはこれは、バルバロの若旦那ともあろうものが、俺が選んだファイターにいちゃもんをつけようってのか? この男は誰が見ても、自分の体ひとつで勝った。おまえんとこのポンコツは、無様に突っ込んで、カウンターを食らって無様に自滅したのさ。そうだろう」

 イラーリオの問いかけに即座に応じる者はなかった。それは誰もがアーツの勝利をにわかに信じがたいのと、エレクトリスの二大ファミリーの要人が口論を交わしているところに、下手にちゃちゃを入れてとばっちりを受けるのを恐れているからだった。アレーナは俄然水を打ったように静まり返り、緊張に包まれた。バルバロが弟同様に顔を赤くして、つばを飛ばした。

「弟のことポンコツいうたか、われ! プロッティの血を引くもんに、侮辱は許されへんで!」

「ああ~? 何度でも言ってやるよ。てめえんとこの弟は、役立たずのポンコツだ。さっさと担いで、親父んところに連れ帰りな。そんなに大事ならキンタマとって、オカマにしちまえ。でかくてかわいい妹ができるぜ」

 そう言いながらイラーリオは金網の入り口をくぐってオクタゴンに上がり、倒れているベルトルドの顔面を蹴飛ばした。それを見てバルバロはますます顔を紅潮させ、奴自身も試合場に上がってきた。今にも殴りかからんばかりの勢いで、イラーリオに詰め寄る。

「お前の言葉は、ドワーフの男達全員を敵に回すことになるで。撤回せえ。今ならまだ大目に見たる。撤回せなんだら、どうなるかわかっとるやろうな」

 イラーリオが馬鹿にしたように耳をほじりながら言う。

「どうなるっていうんだ? 先に言いがかりをつけてきたのはそっちだろうが。そんなことも忘れちまうとは、いよいよ一家そろってポンコツだな。てめえのような奴の言い分は認められねえ。うちのファイターの勝ちはうごかねえんだよ」

「ポンコツいうな、いうてんねん!」

 バルバロは拳を振り上げ、イラーリオに襲い掛かった。しかしイラーリオを軽く首をひねっただけでその攻撃をかわし、代わりに足を引っ掛けた。バルバロはつまづいて、無様に地面にうつぶせになる。そしてすぐさま手をつき、振り返ってイラーリオをにらみつけた。そんな奴の姿を、鋭い刃のような眼差しで見下ろすイラーリオ。そして言う。

「幹部の俺に手を出したな。これはアルカトラズに対する挑戦と受け取るぞ。つぶされても文句は言えないと思え」

 バルバロはむきになって叫んだ。

「望むところや! こうなったら抗争や! わしらがお前ら全員つぶしたる! 覚悟せえ!」

 イラーリオはあくまで感情をあらわにせず、不気味なまでの低い声でそれに答えた。オクタゴン上で二人の幹部がそれぞれ醸し出す温度は天と地ほどの差があったが、威圧感は冷静なイラーリオのほうがより勝っていた。

「その言葉、覚えた。親父のところへ持ち帰って、ようく伝えておく。追って沙汰をよこすから、首を洗って待っていろ」

「ドン・コルラードがなんや。これを機に、わしらがエレクトリスの支配者になったるわ」

 そのまま、二人はにらみ合った。手持ち無沙汰になっていたアーツは、くるりときびすを返して、

「じゃ、俺は用事を思い出したんで、これで」

 と言い、跳躍して金網を軽々と越え、オクタゴンから飛び降りた。何人かの構成員がそれを阻止しようと飛び掛ったが、アーツが少し身をひねるだけで、難なくいなされてしまった。が、離れた場所で別の構成員が拳銃を持ち出したことに、俺は気がついた。ケクロピアでおきた猟奇事件の際に押収されたものと同じタイプのものだ。アーツといえど、不意打ちで銃弾を受ければ重傷を負うだろう。俺は銃を構えている男の背後に音を立てずに忍び寄り、剃刀を持ち出して素早くその腕の腱を切り裂いた。男はたまらず呻いて腕を下ろし、その反動で引き金を引いたが、銃弾は空しく地面に撃ち出されただけだった。銃声を聞いてアーツがこちらを振り向く。目が合った。アーツは敬礼をするように額に手を当て、にんまりと歯をむき出した。俺は軽く頷いて、それに応じた。そうして一瞬だけ意思を通わせたあと、アーツは一目散にアレーナの出口めがけて駆け出していった。試合での動きは相当なものだったが、逃げ足もまた異常に速かった。戦いの直後であったので、極寒のエレクトリスに上半身裸のまま飛び出したわけだが、あいつなら凍え死ぬことはないだろうという気がした。

「兄貴! あのやろう、逃げますぜ!」

「ほっとけ。抗争になりゃファイターなんて関係ねえよ」

 焦って声を荒げる下っ端の構成員を、イラーリオは静かに諭して地面につばを吐いた。

 こうして、期せずして組織アルカトラズと、アルド・プロッティ会との抗争の火蓋は切って落とされたのだった。俺は余計な揉め事に巻き込まれないよう、影のように身を隠してアレーナを離れた。もちろん途中でノミ屋に寄って、アーツに賭けた分の配当金を回収するのは忘れなかった。

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