You are our Hero!! 作:直樹
ダンデが負けた。
それは世界にとっても、私にとってもあまりに大きな衝撃だった。
私には夢らしい夢なんてなかった。なんとなく生きて成長して働いて、結婚するかは分からないけど色々あって最期を迎える。何だかんだ良かったなと思える人生を過ごすのだとそんな風に考えていた。大人からすれば随分とつまらない上に、人生経験も大してない癖に達観した気でいる生意気な子どもに見えていただろう。
月並みな言葉だけど人生は何が起こるか分からない。文字通り、あの試合は私の人生を変えてしまったのだ。
全世界のトレーナーが参加資格を持つ世界最大級のポケモンバトルの大会、ポケモンワールドチャンピオンシップス——通称PWCSの決勝戦は家のテレビで中継を見ていた。幼馴染のホップは兄であるダンデの応援のために当然シュートスタジアムに行っていた。決勝の相手も確かに実力者だが、やはり最強は兄だと信じて出かけていった。
お母さんも私と一緒に見てはいたけど、今日は私の兄が旅から帰ってくる予定だったから夕飯作りに張り切っていた。私はテレビの前で座り込んで膝を抱え、ただぼんやりと「どうせ常勝無敗のチャンピオンが勝つんだろう」とオチが見え切っているベタな物語を読む感覚で画面を見つめていた。
幼馴染のお兄さんが勝つこと自体は嬉しかった。でもダンデという人は信じられないくらいポケモンバトルが強い。ホップには申し訳なかったが、ダンデが必ず勝つという展開にはすっかり飽きていたのだ。他地方のチャンピオンであろうと、相手によっては一体もポケモンを倒されぬままに完勝してしまう人だ。神が決して人の下にはならぬように、ダンデは誰にも負けないと運命で定められていると言われても納得しそうになる。
しかしダンデは神などではない。彼もまた一人の人間でしかない。
前半は一進一退のように見えたが圧倒的にダンデさんに余裕があった。交代を上手く使い、目の前のバトル一つ一つよりも全体の流れを見て戦術を構築していた。相手は一体ずつ確実に倒すことを重視しているように見えたし、ダンデさんのエースバーンが持つ特性のリベロにも翻弄されていた。ちょっとでもダンデさんが強く出れば、ぎりぎりで拮抗している戦況は一気に崩れ落ちてしまいそうだった。
ただ試合が後半に移るにつれ、"もしかしたら"が起こるかもしれないと期待を始める私がいた。一体、また一体ずつ両者のポケモンが地に伏していく。テレビから聞こえる実況も歓声もその度にボルテージが上がっていく。私も世界も、物凄いことが起きる予感を感じていた。
途中でスタジアムにムゲンダイナが現れた時は単純に焦った。あのポケモンは少し前にガラルで事件を起こしたばかりで記憶にも新しい。また前のような騒動が起きるのではないかと反射的に構えたが、幸いそれは杞憂に終わった。
そしてリザードンとピカチュウだけが残った本当に最後のバトル。キョダイマックスしても勝負が決さないことに最早私は苛立ちすら覚えていた。
——どうしてこんなに心臓に悪い状況を続けるんだ、早く、早く決着をつけてほしい。私の心臓が破裂してしまう前に、早く!
考えれば笑える話だ。あんなにダンデさんが勝つことに対して飽きを感じていたのに、このドキドキする時間を私は待ち望んでいたはずなのに。気づけば立ち上がり、両の拳を強く握りしめて画面に噛り付いていた。
激しい肉弾戦の後、相手のピカチュウが倒れた。
終わったと力が抜ける感覚と同時に「ああ、やっぱりか」と落胆もした。どんなに追い詰められても、やはり最後に勝つのは無敗のダンデなのだ。"もしかしたら"を期待した自分が馬鹿らしくなった。
審判がピカチュウの様子を窺い、決着のコールを叫ぼうとした瞬間——。
"かみなり"も"ボルテッカー"でさえも生ぬるい、天を引き裂かんばかりの電撃の柱がフィールドにそびえ立った。
きっとこの瞬間、私はあの電撃に打ちぬかれたのだろう。
ピカチュウが再び立ち上がった。もう一度リザードンとぶつかりあう。
結果は——。
「戦いたい」
ついに決着がつき、歴史が塗り替えられたと声を荒げる実況やスタジアムの大歓声がテレビから聞こえてくる。呆然と画面を見る私の口から漏れ出た言葉は、数刻前の自分からすれば想像だにしないものだった。
ダンデさんに勝ったトレーナー、新たに世界チャンピオンとなった人、ピカチュウという世間の常識からしたらあり得ないとまで思えるポケモンで頂点を取った男の子。私は今、どうしようもなく彼とポケモンバトルがしたい。自分のポケモンすらいないのに、トレーナーですらないのに、自分の立場と理想はあまりにも矛盾しているのに、心臓を突き上げる衝動が私を内側から殴り続けている。
「ただいま~」
久しぶりの少しおっとりした兄の声が玄関を開ける音と共に聞こえてくる。
「マサル、おかえりなさい! 荷物置いて一休みしたら先にお風呂入っておいで。ユウリ、マサル帰ってきたよ」
お母さんが私を呼ぶ声でようやくそちらへと体を向ける。衝動は未だに暴れ続けているがなんとか「おかえり」の一言は絞り出せた。
兄はちらりとテレビの画面を確認して話しかけてくる。
「あ、PWCS見てたんだ。僕も歩きながらラジオで聞いてたよ。すごいよね、あのダンデさんに勝つ人が出るなんて」
「そうよねえ。お母さんもびっくりしちゃった、ダンデくん本当に強いからまだまだ負けないと思ってたのに。あ、洗濯物だけ先に出してくれる?」
少し前までは双子の兄が帰ってきて交わされるこのやり取りにひどい劣等感のようなものを抱いていた。マサルは"自分の作ったガラルカレーを世界に広める"夢を持ってポケモンと共に旅に出た。
双子なのにどうしてこうも違うのか。私は未だにぼやぼやして何も考えずにスクールに通って生きているのに、マサルは夢を見つけそれに向かって歩んでいく。旅立ちの見送りで見た兄の背中はあまりに眩しかった。私には無い光を抱え溢れさせて歩む姿を見ていると、日陰にいる自分が惨めで仕方なかった。
お母さんはユウリはユウリ、マサルはマサルと常々言ってくれた。双子だろうと決して私たちを比較することはなかった。二人ともそれぞれの道で心身共に健康でいてくれればそれだけで幸せなんだよと、温かい愛情と言葉を向けてくれていた。だからこの劣等感のような感情は、本当に私だけが勝手に感じていただけだ。優しいお母さんに申し訳ないからあまりそんな感情を、少なくとも分かりやすい形で表に出さないように努めていたつもりだ。
しかし今は劣等感などどこへやら。暴発寸前の衝動が私を体の内から殴り続けている。その衝動はとうとう私の体ごと動かし始めた。会話する二人の
「おかあ、さん」
「うん? なあに?」
穏やかな表情の母ときょとんとした兄の視線を受けて一瞬だけ緊張するが、そんなもので今の衝動を抑え付けられる訳もなかった。
「私、旅に出たい。ポケモンと一緒に、バトルで強くなりたいの!」
二人が固まる。当然だ。今まで夢も特にない私が急にこんなことを言い出したのだから。
一瞬驚きで固まっていたが、すぐに穏やかな笑みを再び浮かべてお母さんが改めて私の方へ向き直る。
「旅に出たい、バトルで強くなりたいって思った理由教えてくれる? きっときっかけがあると思うの。大丈夫、お母さんもマサルも笑ったりしない。ユウリの素直な気持ち、教えて?」
「そうだね、知りたい。いいじゃん、恥ずかしがらなくていいよ。僕も応援したい。そもそも僕の夢も雑に言えば自分の作ったご飯をみんなに食べてほしい! だからね」
少し照れながらも、マサルもそう問いかけてくる。
一息置き、きゅっと拳を握りしめる。
「戦いたいの。ダンデさんに勝った、あの選手と。"サトシ"と!」
理由なんて私にもわからない。本当にその感情だけで今の私はいっぱいだった。
「……うん、分かった。じゃあもう一つだけ聞かせて。ユウリにとって、ポケモンはなに?」
直感的に理解した。ポケモンと関わる人間になろうとする娘に対して、送り出す親の責任を取ろうとしているのだ。
私もスクールの授業で聞いたことがある。トレーナーとして旅立つが、ポケモンのことをまるで道具のように扱う人間もいると。それは単純に悪の組織と呼ばれる奴らだけではない。私たちのような一般の人間の中にも、悲しいが一定数いる。
露骨な暴力や罵倒に限らず様々な事例はあるが、基本的にそのどれもがポケモンもひとつの"生き物"であること、"命"を持つ存在であることを忘れた時に起こる。
「戦いたいっていうのは私の夢だけど、それは私の勝手だから。もし私がゲットした子にバトルが嫌いな子がいれば絶対に無理強いさせない。もちろん逃がしたりもしない。私と出会って、私にゲットを許してくれたポケモンたちはきっと家族だから。お母さんとマサルと同じ家族。喧嘩しちゃうこともきっとあるけど、でも……それでも家族だから。仲間よりももっと強い関係になりたいから」
さすがの私もポケモンと共に旅に出ることを今まで全く考えてこなかった訳ではない。何度か考えてはいた。しかもとてもありがたいことに、スクールでも家でもポケモンに対してどう接すべきかと考えさせてくれる人は身近にいた。ただ私の考えを言うタイミングがなかったのと、恥ずかしさがあって口に出したことはなかった。自分でも驚くくらいすんなりと答えが言えたのは、きっとそういう人たちのおかげだ。それが正しいのか間違っているのかは分からないから、ちょっとドキドキするけど。
でも私の答えは大きく間違っていなかったようで、お母さんはいつもの温かく穏やかな声色のまま返してくれた。
「なら大丈夫。それを忘れなければユウリは道を間違えたりしない。きっと立派なトレーナーになれるよ」
母は私の両肩に優しく手を置きそう頷いた。とても嬉しそうに笑う母を見ていると何故だか涙が零れてくる。
理由はなんにも分からなかった。夢が出来て、旅に出ると宣言しただけなのにこんなにも心がぐしゃぐしゃだ。
「もう、お母さんまで泣いちゃうじゃない。じゃあ今日はマサルの帰宅とユウリの夢が出来たお祝いパーティーね」
子どもを平等に愛してそれでいて双子だからと一緒くたにしない母の愛は、まだ人生の経験値が僅かしか入っていない私でも理解できる。親に馬鹿にされたりせずに真っ直ぐに私の想いを肯定されて応援される事がこんなに嬉しくてとっても幸せなんだって言葉には出来ないけれど、溢れ出る涙が代弁してくれている。だって、お母さんも笑ってくれているから。
私、お母さんの子で本当に良かった。
***
あれから数日。私が急に言い出したにもかかわらず、お母さんは一緒に用意を急いで進めてくれた。旅の服もリュックも、長く使えるようにとおしゃれながらも丈夫な物を買ってくれた。
マサルはすぐにまた出発すると思っていたが、一ヶ月くらい家にいて今後の計画諸々を練るらしい。その間にホップを通じて、ダンデさんから私の初めてのポケモンをもらう段取りまで進めてくれた。それと同時にダンデさんがガラルリーグへの推薦状の用意もしてくれるそうだ。私の夢は確かにサトシというトレーナーと戦うことだが、まずはトレーナーとして経験を積むべく地元のジムチャレンジに挑んではどうかとマサルが提案してくれた。新米とPWCSチャンピオンではいろいろと無理があるので、私も喜んでそれを受け入れた。
そうして約一週間が経過し、とうとう私は旅に出る。
久々に会ったダンデさんは見慣れたチャンピオンの姿ではなかった。大人な雰囲気の赤いスーツを着ていて、聞けば今までとは違う方面でも活動するらしい。PWCSにおけるチャンピオンではなくなったが、彼は未だにガラルにおけるチャンピオンである事に変わりはない。つまり私がジムチャレンジに挑む以上、彼は必ず最後に巨大な壁となって立ちはだかる。あの恐るべき強さを持つこの人に挑み、勝つ。
でもそれは私の夢のゴールではない。通過点だ。
最初のポケモンを決めて1ばんどうろの入り口に立つ。
見送りに来てくれたマサル、ホップ、ダンデさん、そしてお母さん。ありがとう、そして——。
「いってきます!」
夢と冒険とポケットモンスターの世界へ、いざ!
***
「ゲットできないよー!」
——1ばんどうろの草むらにて。
私は早くも困難にぶちあたっていた。野生のポケモンがゲットできないのだ。
私と一緒に来てくれたメッソンは全く悪くない。むしろ私がはりきりすぎて野生のポケモンを弱らせるどころか倒してしまう指示を出しているのが原因だ。弱らせるだけと自分に何度言い聞かせてもいざバトルに入るとつい力んで倒したり、逆に慎重になりすぎて逃がしてしまう。
しゃがみこんで情けなくべそをかく。私を励まそうとしてくれるメッソンもやはり泣いていて、ポケモンとトレーナーふたりして情けなく泣いている。メッソンの涙には強烈な催涙成分が含まれているからメッソンが泣く限り私の涙も止まらない。
私が泣く、つられてメッソンが泣く、メッソンの涙で私ももっと泣く。涙の無限ループの完成である。
どうしたものか。いや私がもっと冷静になればいいんだけど。
「ねえ君、大丈夫?」
上から少し高めの少年の声が降ってくる。具合が悪いのかと勘違いされたのかもしれない。立ち上がり、気休め程度に涙を拭いて声のした方を見る。
「あ、大丈夫です。ちょっとトレーナーになったばっかりでゲットがうまく、いか、な、くて……」
そこにいたのは私よりも背が低く、赤い帽子をかぶった少年だった。左肩にはピカチュウ。
「よかったらオレたちも手伝うよ! 初めてのゲットって大変だからな~。な、ピカチュウ」
「ピカ!」
——え、あ、君、あれ、なん、なんで、あれ。
「あ、自己紹介まだだった。オレ、マサラタウンの……」
「わ、私!!」
相手の自己紹介をぶったぎってはいけないとか、まずは自分も名乗れとか対人におけるあらゆる基本が全部どこかにいってしまった。
「いつか必ずあなたに勝ちます!!」
これはユウリという少女がガラルチャンピオンとなり、サトシと彼のポケモンたちに挑むまでの私とポケモンたちの物語のほんの序章。