いつものように登校のために玄関の扉を開けた瞬間、分かりやすい違和感が視界に入った。朝の住宅街に似つかわしくない一台の黒塗りの高級車が家の前に停まっている
僕が歩き出すと同時に、後部座席のドアが静かに開いた
中から降りてきたのは、五十代ほどの品のある女性だった。降りてきた女性の眼差しはまっすぐに僕を捉えている。僕はその顔に見覚えがあった
「──初めまして、花月雫くん」
「ヒーロー公安委員会の会長、ですよね?」
女性は微笑を浮かべて頷いた。ヒーロービルボードチャートJPの授賞式で、貴賓席の最前列に座るその姿を何度もテレビで見た記憶がある
「少し同行してもらえますか?学校にはこちらから連絡を入れてありますので、心配いりません」
「.....先に用件を伺うことはできますか?」
優しい声色、丁寧な口調。だがその実、これはお願いではなく半強制的な命令に他ならない。何か目をつけられるようなことをしただろうか
配信の内容くらいしか心当たりがないけど、わざわざその程度のことでヒーロー公安委員会の会長が尋ねてくるはずもない
「ここでは話せません。ですが、警戒しなくてもいいですよ、あなたに不利益がある話じゃありませんから」
「分かりました、従います」
そう答えるしかなかった。相手はヒーロー社会の頂点の一角。僕のような一学生に拒否権なんてものは存在しないに等しい
彼女はわずかに満足げに頷くと、車の方へと身を翻した。ドアを開け、僕に乗るよう促す
警戒するなとは無茶なことを言う。不自然にならないように、何気なくスマホを取りだしてから適当に数分操作し、最後に動画の録画ボタンを押してからポケットにしまった
礼儀を知らないと言われるかもしれないけど、こんな異常事態をすんなりと受け入れることなんて出来ない。自衛のためにも何かあった際の証拠は撮っておかないと
そのまま車はヒーロー公安委員会のビルまで向かった
僕が通されたのはヒーロー公安委員会会長室。車を運転していた男性に加え、2人のボディガードらしき人が会長のすぐ側に控えている
「僕みたいな一学生を学校を休ませてまでこんなところに連れてきて、何が目的でしょうか」
「──あなたのその個性は多くの人の役に立ち、大勢の人間を救うことができる素晴らしいものです。花月雫くん、私たちヒーロー公安委員会所属のヒーローになりませんか?」
まったく想像していなかった話をもちかけられている。卒業後のスカウトの話?だとしたら、わざわざこんな面倒なことをしなくてもいいはず。いや、ヒーロー公安委員会に所属しているヒーローは公表されない。今回のも情報が漏れることを嫌っての行動と捉えればおかしな事でもないのか?
「光栄なお話ではありますが、まだ進路をどうするかは決めきれていないのでお断りします」
ヒーローとして自由に活動したいのであれば、ヒーロー公安委員会に所属したところでさしたるメリットがない。むしろ、動きを制限されそうでデメリットの面を大きく感じる
会長は静かに椅子の肘掛けを指で叩く。何か見透かされているような嫌な圧を感じる
「あなたの憧れのヒーロー──レディ・ナガンも公安委員会のヒーローに所属していたと聞いても断りますか?」
「レディ・ナガンがヒーロー公安委員会のヒーローだったんですか?」
思わず問い返していた。あり得ない話ではない。レディ・ナガンは名門校出身ではなかったにも関わらず、学生時代から数々の事件を解決していた。彼女のような優秀な人材がヒーロー公安委員会の目に留まったとしてもおかしくはない
「少しだけお時間をいただいてもよろしいですか?」
「えぇ、数分考える時間を差し上げましょう」
──今の会長の言葉をそのまま受け取れば、レディ・ナガンはヒーロー公安委員会としてヒーロー活動を行っていたことになる。そのレディ・ナガンが今はタルタロスに収監されている。それは何故か
ナガンがヒーローを殺し、タルタロスに収監された事件。当時の記事にはどれも不自然な点が多かった。報道各社の内容がまるでコピーのように一致しており、『敵退治中に味方のヒーローを誤射した』という一文はどの社も共通していた
同じ言い回しで詳細は伏せられ、被害者の名前すら出ていなかった。普通なら各社でニュアンスが異なるはずだ。それが全て同一──まるで、上から情報統制がかけられたように
レディ・ナガンが公安ヒーローだった。この一言で、僕の中に散らばっていた違和感のピースが音を立てて組み合わさっていく
思考の途中で、ぞくりと背筋が冷えた。レディ・ナガンは内部情報を知りすぎた。それを漏らさないために──世間にとって不要なヒーローを殺すよう命じられ従った。そしてヒーロー公安委員会は、それを理由にタルタロスへと収監した
全てはレディ・ナガンという優秀なヒーローを飼い殺しにし、都合よく扱うため。もしそれが真実だとしたら──あまりに醜い
もちろん、これは僕の憶測にすぎない。けれど、これまで集めた断片的な情報と、今日この場で新たに得た公安ヒーローという要素を重ね合わせると──他のどんな説よりも、これが一番筋が通っていた
もし当たっているなら、これは国家規模の隠蔽だ。口にした瞬間、僕も消されるかもしれない。それでも、知りたかった。真実を確かめたい
彼女がヒーロー殺しの汚名を背負った理由が、彼女の意思なのか、それとも命令なのか
もし僕の憶測が当たっているのなら──僕はレディ・ナガンを救うための大義名分を得られる。デモでも、声明でも、何でもやってみせる
鼓動が速くなる。息が少し荒くなるのが自分でもわかった。それでも僕は、表情を崩さないよう努めながら、会長の目を真っ直ぐに見据えた
「──レディ・ナガンは、口封じのために収監されたんですか?」
その瞬間、室内の温度が一気に下がった気がした。2人のボディガードがわずかに体勢を変え、会長の前に一歩出る。会長の表情が、一瞬で氷のように冷えた
けれど次の瞬間には、何事もなかったかのように微笑を浮かべ、僕をまっすぐ見つめ返していた
──確信した。僕の憶測は、当たっている
「教えてください。レディ・ナガンはなぜヒーローを殺したんですか。それは彼女の意思だったんですか? それとも、あなたたちの命令だったんですか?」
会長は沈黙を貫く。僕はそれでも視線を逸らさなかった。たとえこのまま拘束されても構わない。ここで怯んで黙るなら、最初からヒーローになんてなれない
「──どうせ、僕を逃がすつもりなんてないんですよね。だったら教えてくださいよ。冥土の土産にしますから」
室内に緊張が満ちる。数十秒の沈黙。時計の針の音すら響かない
やがて扉が開き、追加のボディガードが数人、無言で入ってきた。
完璧な配置で逃げ道を塞ぎ、僕を包囲するように
会長はようやく唇を開いた
「──ええ。あれは、当時の公安委員長が下した判断です」
その声は、感情の欠片もなかった。まるで、それが当然の決定であったかのように
「私はよく、あなたの配信を拝見していますよ。鋭い考えを持っているものだと関心もしています」
「それはありがとうございます。こんな状況でなければ、もう少し喜べたんですけどね」
「『オールマイトが敵になったら』『ヒーロー犯罪者がいない事の違和感』『誰しも敵になりうる可能性がある』など面白いことを言っていますよね」
どれもこれも炎上とプチ炎上した話ばかりだ。他の人と少し考えがズレているのは理解している。でもそれでも、僕は自分の考えが主張がおかしなものだとは思わない
「誰しもが敵になる可能性がある。それが例えオールマイトだとしても。おかしな話だと思いますか?」
会長は小さく首を振る
「オールマイトという存在を別にすれば、一般人でもヒーローでも、そうした可能性がゼロだとは言えません」
「では、『ヒーロー犯罪者が存在しない』という現状はどう説明しますか?これは普通じゃない。世界を見れば明らかです。横領も詐欺も、他国なら必ず起きている。なのに、ヒーローによるそれらの報告が一度もないなんて、あり得ない話です」
これは本当にありえない話だと思っている。人には誰しも欲望があり、全員が曲綺麗な心を持っているわけではない
「──今の社会は、ヒーローに対する絶対的な信頼を元に成り立っています。ヒーローへの信頼を崩す必要はありません」
「ハッ、つまり犯罪を犯しているヒーローも存在しているってことですよね。そして、そのヒーローを秘密裏に始末することで信頼を維持すると。そんなことをして作り上げた偽りの信頼に、一体なんの価値があるんですか」
「ヒーローが自己利益のために裏社会と繋がっていたり、職権乱用を行っていることを報道してメリットがありますか?これは、社会の秩序を維持するために仕方ないことです」
「メリットデメリットの話ではなく、信頼の話です。もしこの話が第三者の手によって漏れてしまえば──一般人との関係修復は不可能。ヒーローへの疑心しか残りません」
「そうならないように、我々がいます」
「夢物語の理想ではなく、現実を見せるべきです。その上でヒーローとして信頼関係を築くこと。それが、僕たちヒーローのあるべき姿じゃないですか。僕はまだ学生ですけど」
「──その思考、思想が問題だったんですよ。あなたは雄英体育祭で影響力をつけすぎてしまった。認知度があがりすぎてしまった。あなたのその考えは──今の社会秩序を崩しかねない」
「腐った秩序なら壊せばいい。正しい秩序を皆で作り上げていけばいいだけですよ。残念ですが、腐った土に美しい花は咲きませんよ」
言い切ると、会長の顔が僅かに硬くなる。互いの言葉が部屋の静けさを切り裂くようにぶつかり合った
「──話はここまでです。録画しているのは分かっていますよ。携帯を出しなさい」
会長の声が氷のように冷たく響いた。
「その後で、あなたには教育を受けてもらいます」
瞬間、空気が変わった。ボディガードたちが一斉に動く。制服の擦れる音、床を踏む重い足音、すべてが一拍遅れて鼓膜に届く
僕の個性【静止】は、視界内でしか効果を発揮できない。だから、多方向から攻められた時点で圧倒的に不利だ
僕に取れる選択肢は1つ──正面戦闘を避けてこの場からの脱出。あーあ、やっぱり脱出するとしたらあそこしかないか
正面から飛びかかってくる三人を、瞬時に静止する。だが、背後から強烈な衝撃を受け、身体が前へと吹き飛ばされた。肺の空気が抜け、視界が一瞬白く弾ける
同時に、視界外に出た三人の静止が解けた
「──これでいい」
外の景色がよく見える。分厚いガラスの向こうには、青空と高層ビル群が広がっている。僕は迷うことなく──体当たりでそのガラスを砕き、宙へと身を投げ出した。先程までいた室内から声が聞こえてくるが、すぐに遠くなった
地面が近づいたタイミングで、自分自身に静止をかけるんだ。思った以上に怖い。速い。命がかかっていると思うと恐怖もある
『静止』
瞬間、世界が止まった。風も、音も、重力さえも凍りつく。僕の身体は、地上数メートルの宙に浮かんだまま静止している
──上手くいった。でも、これで終わりじゃない。僕はこの事実を世間に発信しないといけない、レディ・ナガンを釈放するために。ヒーローと世間が、正しい信頼関係を築くために
ポケットから携帯を取り出し、焦りで震える指先で画面を開く。通信がつながるまでの数秒が永遠のように思える
「──ごめん。せっかく更生したのに、僕は今は君たちしか頼れる人間がいない」
頼む、電話に出てくれ。動画データは既に送り終わっている。あとは君に頼むことさえ出来れば──頼む
prrrrrrrrピッ
『電話をしてくるなんて珍しいじゃ』
『「ありがとう、ジェントル!そして突拍子もないお願いだけど、今僕が送った動画──日本中に流してほしい!』
『ん、うむ。ラブラバに頼めばそれは可能ではあるが...あ、動画が来ている』
『ゆっくり話す暇がないなら必要なことだけ話す。その動画はヒーロー公安委員会の会長がヒーロー犯罪を隠蔽していたのとを自白している内容だ。テレビ局にもっていって流してもらえる内容じゃないし、僕の配信で流したところでBANされる』
通話の向こうでの短い沈黙。そして、低く押し殺した声が返ってくる
『──今倍速で確認した。この後の事は考えているのかね?』
『考えてない。なるようになるさ──でも、これを流せば君たちも何かしらの罪に問われるかもしれない。だけど、お願いだ。この世界を正しいものにするために──協力してほしい』
返事が返ってくるまでの数秒が、やけに長かった。今の彼は立派な企業の代表だ。本来なら、こんな危険な頼みをするべきじゃない。
それでも、今頼れるのは彼しかいなかった
『理解した。そんなに必死に言わなくてもいい。君の頼みなら断る理由がない──私が君の恩に報いる番だ』
「ありがとう、ジェントル。もしこの件で君が追われる立場になったら、僕も必ず君についていく」
『ハハッ、それは心強い。ではその時は──ラブラバと3人で、世界に誇れる動画を配信しよう。以前の私のような迷惑系じゃない、ちゃんと人の心を動かす動画を』
通信が切れた
次の瞬間、背後から怒号と足音が響く。ビルの入口から公安の人間たちが雪崩のように飛び出してきた
視線を上げる。街のあちこちにある巨大スクリーンが、一斉に映像を切り替えた
ああ、もう遅い。僕を捕まえたところで、もう止まらない
「──改革の時だ」
見上げているミルコ
ひゃっほーい