ビルから逃げ出した花月が、ヒーロー公安委員会会長のボディーガードと警備員を相手に逃げ切れるはずもなかった。わずか十分足らずで、彼は地面に伏していた
「包囲された状況から五人も戦闘不能にしたのは見事だが──俺たちも仕事だ。悪く思うな、少年」
「個性を使えない子ども相手に....容赦ないです、ね」
一般人が個性を使えるのは、監督者の下か、自宅や私有地、あるいは緊急性が認められる時のみ。先ほどの飛び降りは生命の危機であったため問題ないだろうが、その後の戦闘で個性を使用するのは明確な法律違反
ヒーロー免許を持たない学生の個性使用は、法的に許容されない
「ああ、そうだな。俺もそう思う」
花月を拘束する警備員が、苦笑を浮かべながら同意を返したその瞬間──
──カシャッ
乾いたシャッター音が、全員の耳を打つ。警備員も、ボディーガードも、花月も、そして遅れて現れた会長までもが、一斉に音の方を向いた
そこには、スマホを構える群衆の波があった。通行人、野次馬、報道関係者──数え切れないほどの人々が、公安ビル前に集まっていた
「これ....テレビで流れてた内容、マジだったのか?」
「動画も撮っとけ!」
「ヒーロー公安委員会が、今までヒーロー犯罪を隠してたって本当かよ!」
会長の目が細くなる
だが、怯むことはなかった。むしろ、堂々と前へ出て声を張り上げる
「──そのような事実はありません。全ては、この花月雫という少年が企てた陰謀です!」
その声は街に響き渡り、群衆のざわめきを一瞬で呑み込む。会長の演説は、もはや政治家のそれに近かった
「彼は犯罪者レディ・ナガンに心酔しており、タルタロスから彼女を釈放させるためにこの騒動を起こしたのです!」
花月雫がレディ・ナガンを尊敬しているのは周知の事実。会長はそれを利用した
彼を『正義のヒーロー』から『狂信的な危険思想の持ち主』へと、巧みに塗り替えていく
花月が反論しようと声を上げかけるが、すぐさま口を封じられる
「我々は彼の異常な思想を察知し、対話のために呼び出しました。あえて彼の望む偽りの話をして、落ち着かせようとしたのです──全ては未来ある優秀な彼の更生を願ってのことでした」
そして、会長の表情が一変する
「ですが!その気持ちは、こうして裏切られたのです!」
圧倒的な声量、有無を言わせない雰囲気。群衆が息を呑み、静まり返る。彼女の言葉には力があった
「我々ヒーロー公安委員会は、花月雫を国家を混乱させた凶悪敵と認定し、タルタロスに収監します!」
会長の狙いは明確だった。自分たちを完全に糾弾させるのではなく、賛否を作り出すこと。花月を信じる意見と、ヒーロー公安委員会を信じる意見に勢力をわけること。意見を二分することさえできれば、最後に残るのは体制側の正義だ
そのために──雫を悪として断じた
「花月雫を連行しなさい。協力者も全員調査し、厳正な処罰を」
警備員たちが動き、雫の身体を起こす。抵抗は虚しく、彼は地面に引きずられた
だがその時──
「──待って!違う!Mr.サイレントは敵なんかじゃない!」
群衆の中から声が上がった。その人物は、スマホを掲げ、震える声で叫ぶ
「ニュースで流れてる!どの局もヒーロー犯罪を報じ始めた!Mr.サイレントが、本当のことを言ってたんだ!」
会長の顔がわずかに引きつる。各テレビ局の映像が、街中のモニターに映し出されている
そこには、花月が送った動画ではなく、ヒーロー犯罪の数々が実名付きで報じられ始めていた
横領。暴行。職権乱用
映し出された数々のヒーローたちの顔に、群衆が一斉に息を呑む
「嘘だろ、あのヒーローまで....」
「会長の話、ウソじゃねぇか!」
「ヒーロー犯罪を隠蔽するな!」
群衆の怒りは一気に爆発した。車の進行方向を塞ぎ、公安の車両を取り囲む。野次馬たちが口々に怒号をあげ、スマホを突きつける
会長は深くため息をつくと、わずかに微笑んだ。そして、車の中で拘束された花月を見つめる
「──花月雫。あなたの話は理想論に過ぎません。ですが、あなたは日本に──世界に一石を投じてしまった。言葉には責任が伴うもの。未来ある若者が重圧に潰れぬことを祈ります」
そのまま静かに指示を出す
「記者を集めなさい。緊急会見を開きます。花月雫は雄英高校へ。あそこなら、記者が入り込むこともできません」
ボディーガードが車の進路を確保し、花月を乗せた公安の車は怒号の中を、逃げるようにビル街の奥へと消えていった
閑話①
静かな校長室に、湯気の立つお茶の香りが満ちていた。根津校長とオールマイトは向かい合って座り、ニュース番組の速報を無言で見つめている
『ヒーロー公安委員会会長、辞任を表明』
『複数のヒーローによる犯罪行為が次々と判明』
『ヒーロー公安委員会会長として、最後の責任を果たすと宣言』
画面のテロップが切り替わるたびに、急激に世界が変化しているように見る者に感じさせる
「──彼女は本気だね」
根津校長が湯呑を静かに置く
「自身の辞任と引き換えに、隠蔽されてきたヒーローたちを全て表に出すつもりだ。まるで、膿を一気に吐き出すようにね」
オールマイトは黙って頷き、深く息を吐いた。画面の中では、会長が記者会見で頭を下げている。だが、ネガティブな印象は感じず、堂々と質疑応答に応じていた
「根津校長...私が驚いているのは、これほど多くのヒーローが市民を欺き、犯罪に手を染めていたという事実です」
オールマイト声は怒りによってわずかに震えていた
根津は小さく首を傾げ、淡々と答える
「人間だからね。ヒーローになったことで特別な存在だと錯覚した。人を見下すようになり、力に酔い、お金や名誉に手を伸ばした──そういう者たちも、残念ながらいるんだよ」
冷静な言葉に対し、オールマイトの拳が小さく震える
「ヒーローが人々を騙し、自己の利益を追求するなど、あってはならないことです」
「まったくその通りだ」
根津は優しく微笑んだ
「でも、驚くほど腐敗が進んでいた。だからこそ──今はチャンスでもある」
「チャンス、ですか?」
「ああ、そうとも」
根津の瞳がわずかに光る。
「公安委員会会長は、ヒーロー社会を崩壊させないため、維持するために、腐ったミカンを見逃さず世間に公表した。一時的にヒーローへの不信感は生まれはするだろうけど、致命的なものではない」
オールマイトは神妙な顔つきで頷く
「改革のための──その引き金を引いたのは、皮肉にもヒーロー志望の一人の学生だ。そして、それに呼応すべくヒーロー公安委員会の会長が辞任を表明。少なくとも、ヒーローへの信頼が完全に失われることはない」
オールマイトは黙り込んだまま、画面に映るニュースを見つめる。そこに流れるのは、花月雫の名と、彼の映像の一部だった
「花月少年は、この事態を狙って引き起こしたのでしょうか」
根津が目を細め、ゆっくりと首を横に振った
「それは分からない。でも、僕の憶測にはなるけど、計画的に起こしたものではないと思う」
根津は言葉を続ける
「彼が間違った道に進まないよう、我々教師も一段と気合いをいれないとね。もし彼が敵になるようなことがあれば、その時こそ──市民からの信頼は完全に失われると思った方がいい」
静寂の中、時計の針が規則正しく音を刻む
学校についたら、すぐに職員室へと連れていかれた。何故ああいった状況になったのか事細かく聞かれた。あのような事態になった経緯と、行動した理由なども含め正直に話した
ひとつだけ心配だったことがある。動画を流してくれたジェントルとラブラバ、彼らが罪に問われないかということだ。結果は『厳重注意のみ』。刑罰の対象にはならないと聞いた瞬間、胸の奥で張りつめていた糸が、ようやく緩んだ
ありがとう、ジェントル。ありがとう、ラブラバ。君たちがいなければ、僕の声は世間に届かなかった
教室へ戻ろうとした時、職員室にいた先生方から応接室で校長先生を待つように言われた
応接室のテレビには、ちょうどヒーロー公安委員会会長の記者会見が流れていた。その姿は、やはり堂々としていた
『──私は本日をもって、ヒーロー公安委員会会長を辞任いたします』
決められたことを読んでいるかのように淡々とした口調だったが、言葉の一つ一つに重みがあった。偽りの理由で僕をタルタロスにいれようとしたり、彼女は反感を買いすぎた。辞任する事に驚きはない。潔いとは思うけど
『市民を欺き、犯罪行為を行っていた複数のヒーローにつきましては、本日より免許を剥奪し、厳正な法の下に処分を行います』
会場がざわついた。そして僕は思わず呟いていた
「...どうして、そこまでの覚悟がありながら、今まで見て見ぬふりをしていたんですか」
きっと保身ではない。現状を維持してきたのは、秩序を守るための選択だったのかもしれない。ヒーロー社会という巨大な塔を壊してしまえば、人々の信頼そのものが瓦解する
彼女はそれを恐れていた。だから──ヒーローの犯罪は隠蔽して裏で排除してきた
彼女には力も地位もあった。やろうと思えば、今日のような行動は何年も前に取れたはずだ。だがそれをあえて今までしなかった理由は、理由がなかったからだろう。大規模な改革には大義名分が必要になる。それが今まではなかった、そう考えれば動けなかったのも理解できなくはない
そして、会見の終盤。その言葉が流れた瞬間、僕の胸が大きく脈打った
『──また、レディ・ナガンにつきましては、近日中に釈放されるよう手続きをとらせていただきます』
息が止まる。信じられなかった。夢のような報せに、体の芯が熱くなっていくのを感じる
レディ・ナガンが、自由になる
僕がヒーローを志したのも、どんなに折れそうな時も前を向けたのも、彼女がいたからだ。彼女があの日あの時、僕に希望をくれたから僕はヒーローを目指すことができた。あの日かけてくれた言葉は、僕の一生の宝物だ
「......レディ・ナガン」
涙が込み上げそうになった
釈放された後、彼女は再びヒーローとして歩み出すのだろうか。
それとも、戦いのない静かな生活を選ぶのだろうか。
彼女が幸せに生きていけるなら、どちらでもいい。でも、それでも僕は、わがままを言うなら──もう一度、ヒーローとしての背中を見たい
そんな想いに浸っていると、ドアが開き、根津校長が入ってきた
記者からの質問はノーコメントを貫くよう指示され、しばらくは配信活動も控えるように言われた
その後は、今回の件とは全く関係のない校長の長い雑談が続いた。結局、応接室を出られたのは昼休みのチャイムが鳴ってからだった
朝から校長室と応接室で話をすることになって、心も体もぐったりだ。緊張と疲労で胃が空っぽになっているのを、ようやく自覚した
頭の中では、食べたいものの候補が次々と浮かんでくる。カツ丼とかいいなぁ。いや、やっぱり牛煮込みうどんとか頼んでみようかな
いやでも、こういう時こそおにぎりも捨てがたい
列から少し離れた場所で、静かに1人考え込む
僕が何を注文するか悩んでいると、肩を軽くトントンと叩かれた。驚いて振り返ると、そこには見慣れた顔が立っていた。小大唯だ
声をかけるより早く、彼女は勢いよく抱きついてきた。温かい感触と共に、思考が一瞬止まる
「えっ、ちょ、な、なんで──」
え、なんで?流石に何も言わずにいきなり抱きしめられるのは恥ずかしいんだけど
「.....バカ」
いきなり抱きしめられた上にバカ呼ばわり。本当に理由がわからない。でも、罵倒にしては弱々しかった
「いきなりバカだなんて、酷」
「花月!!」
また言葉が遮られた。次の瞬間、物間と心操が走ってきて、勢いよく声を上げる
「お前無事だったのか!!?」
「あ、いや、その...とりあえず落ち着こ」
「落ち着けるかっての!お前、タルタロスに送られるかもしれなかったんだぞ!?」
「いや、でも、結果的にはこうやって」
「花月いたっ!ブラド先生が『多分食堂にいる』って言ってたから、探したんだよ!本当に良かったぁ!」
「思ったより元気そうじゃん、顔色も悪くないし」
拳藤と取蔭だ。二人とも息を弾ませながら駆け寄ってくる
「僕の話を途中で遮るの流行ってるの?」
苦笑しながらぼやくと、周囲の空気が和らいだ。コアラの如く抱きついていた小大もようやく抱きしめるのをやめ、照れ隠しのように髪をいじっている
君より僕の方が絶対に恥ずかしいんだけど?
「もう、怖すぎるって。昼休みにスマホ見たら花月をタルタロスに送るって動画が流れてきたから」
動画が拡散されてるんだ。確かに、逆の立場なら僕も心配してる。拳藤と言ってることもわかる
「それを見て心配してたらヒーロー公安委員会会長が辞任するニュースも流れてきたし、私たちの情緒がジェットコースター並に揺れたよ」
確かに。取蔭の言うことも最もだ
「.....お前が無事だったなら、それでいい」
心操が小声で呟き、その言葉に全員が頷いた。やめてよ、なんか恥ずかしい
一瞬会話が途切れる。次いで、拳藤がパンと手を叩いた
「とりあえず、みんなでお昼ご飯食べよっか!」
結局僕はおにぎり定食と──お祝いのケーキを頼んだ。ちなみに、食事中に小大と目が合うことはなかった。なんで、やった側がやられた側より照れてるんだろうか。当たり屋すぎない?
閑話②
「──何の用だ。人の牢屋の前で馬鹿みたいに集まりやがって」
低く投げるような声。髪をかき上げながら、レディ・ナガンは鉄格子越しに睨みつけた
タルタロスに収監されてから、もう何度この鈍い足音を聞いたか。けれど、今日は明らかに違う
廊下に並んだ看守の数が多すぎる。普段なら二人で十分なはずなのに、今は五人以上。無駄に整列して、まるで儀式でも始めるかのようだ
「この私を見世物にでもする気か?」
「黙って見ていろ」
先頭に立つ看守長が短くそう言うと、部下が鍵を差し込み、扉が軋んだ音を立てて開いた
「──部屋に運び込め」
「はいっ!」
「は?」
ナガンが眉をひそめる。数人の看守が、まるでホテルのルームサービスみたいに柔らかそうな布団と小さなテーブル、そして木製の椅子を運び込んできた
鉄とコンクリートしか存在しないこの空間に、場違いなほどの温かみを帯びた家具が並ぶ
「....おい、冗談は顔だけにしろよ。囚人の部屋に何を運んでやがる」
看守たちは一言も答えず、黙々と作業を続ける。五分もしないうちに、配置を終えると再び扉が閉じられ、ガチャリという金属音が響いた
「短い期間かもしれないが、今日から布団の使用と、食事の際にテーブルを使うことを許可する」
「...はぁ?」
ナガンは目を細め、ゆっくりと椅子を指で弾いた
「いきなりどういう風の吹き回しだ?」
「今はまだ罪人の身。故に外には出せんが──この程度の配慮なら問題ないだろう」
「話が見えねぇな」
「分からなくていい。数日以内に、何が起きたのか否が応でも分かるだろう」
看守の男が短く答え、視線を彼女に向けた
「チッ、そうかよ」
会話はそれで終わった。足音が遠ざかり、再び重い静寂が牢屋を満たす
ナガンは壁にもたれ、腕を組んだ。
「本当になんなんだ」
彼女の声には、皮肉よりも戸惑いが混じっていた。タルタロスに来て以来、こんな待遇を受けたことなど一度もない
布団だの椅子だの──何のつもりだ
鉄格子の隙間から、遠くに見える監視カメラを見つめながら、ナガンは目を細める
その時、扉の向こうから再び声がかかった。看守長が戻ってきたのだ
「──それと、今日の食事のリクエストはあるか」
「.....は?」
ナガンは苦笑した。聞き間違いだと疑った
「お前ら、本当にいきなりどうした。頭でも沸いたのか。
それとも私を毒殺しようって魂胆か?」
「毒殺などするか。ただの配慮だ」
「配慮?」
看守の声はいつになく硬かった。何かを押し殺すような、妙な緊張が滲んでいる
「外の情報を教えることはできない。だが、この程度の配慮は問題ないと判断した」
ナガンの眉がさらに寄る。まったくもって状況を把握できていない
「──まさか、誰かが上層部に口利きでもしたのか?」
返答はない。扉の向こうで、足音だけが響き、遠ざかっていく
残されたのは、柔らかい布団と、木の香りがわずかに漂うテーブル。異様な静けさが、かえって胸をざわつかせた
ナガンはしばらく無言のまま、その場に立ち尽くした。そして小さく息を吐き、その後少し大きく声を出した
「ケーキでも持ってきたら、配慮とやらを信じてやるよ」
上層部が今更自身を必要にするとは思わないとナガンは結論を出した。今はこの、よく分からぬ厚遇を甘んじて受けると決めた
「いいんですか、看守長。2日後に釈放することが決まっているとはいえ、こんなことをして」
「いいわけないだろ。月末の監査でバレるだろうから、俺は減給確定だ」
「うへぇ、ならなんでやったんですか」
「──ファンだったんだ、レディ・ナガンの。減給じゃなくて仮に看守長から降格させられても後悔はない。好きなヒーローの門出を祝えるんだからな」
獄中ナガン
小大
B組の情緒ジェットコースター