昨日の夕方、ブラド先生からメッセージが届いていた
『明日は、いつもより早く登校してほしい』
特に呼び出しを受けるような何かをやらかした覚えはない。強いて言えば、職場体験の提出がまだだったくらいだ
とはいえ、それも既に決めてある。最終的に選んだのは──ワイルドワイルドプッシーキャッツ。あとはそれを先生に報告するだけの状態だ
そもそも、提出がまだなのは僕だけじゃない。それなのに僕ひとりだけ呼び出されるのは、少し腑に落ちない
となれば、別件の用事があると考える方が自然か
職員室のドアの前で一呼吸置いて、コンコンコンと3回ノックする
「おう、来てくれたか。朝早くから悪いな」
まだ時間が早いため、出勤している先生方も少ない。教師の少ない職員室はどこか物珍しさを感じる
「いえ、どの道今日は希望職場体験先を提出しようと思ってたので大丈夫です」
「決めたのか、どこにしたんだ?」
「ワイルドワイルドプッシーキャッツです」
ブラド先生が、少しだけ意外そうな表情を浮かべる。まあ、僕も13号先生からの助言がなかったら、たぶん別のヒーローを選んでいただろう
「そうか。正直意外ではあるが、ベテランヒーローから学べることは大いにあるだろう。一応期限はまだあるから、心変わりしたら言ってくれ」
話が一区切りついたところで、僕から本題に切り込む
「それで──今日、僕が呼び出された理由はなんですか?」
すると、ブラド先生はわかりやすいほどニヤニヤし始めた。何かいいことでもあったんだろうか。ここまでわかりやすく笑われると、逆に少しだけ身構えてしまう
「応接室に行けば俺が呼び出した理由がわかる。SHRまでには戻ってくるんだ」
「わかりました」
正直、さっぱりわからない。でも、少なくとも悪い話ではなさそうだ。言われた通りに応接室へ向かうとしよう
応接室に入った瞬間、花月はピタリと足を止めた。ドアを閉めるのも忘れて、目の前の光景を凝視する。ソファに座っていた彼女はそれに気づくと指先でそっとドアを指し、続けて向かいの席を示した
「よう、初めまして。ヒーロー公安委員会をぶっ壊した、怖いもの知らずな後輩」
少し皮肉げに彼女が口角を少しあげるのを見て、花月は未だ固まっていた。目の前に広がる光景が嘘ではないかと、夢ではないかと疑うように自身の頬をつねっている
「.......レディ・ナガン?」
「正確には久しぶりになるのか?」
自然に花月の瞳からは涙が流れ始めていた。それが、タルタロスに収監されていて会える可能性が無いに等しい憧れに会えたからなのか。それとも、幼き日の自身を覚えていたからなのかは花月自身もわからない
ナガンは少しだけ動揺していた。人気ヒーローだったとはいえ、会っただけで泣かれたのは初めてだ。花月は泣き顔を見せまいとソファから立ち、彼女に背を向ける
やがて数分が経ち少しだけ落ち着いたのか、再び席に戻った花月は、まっすぐに彼女を見て言った
「雄英高校1年B組、花月雫です。お会いできて光栄です、レディ・ナガン」
「あの時のガキが、こんなに立派になるなんてな」
ナガンからすれば、思ったことをそのまま呟いただけのこと。だが、花月からすればその言葉は特別なものでしかない
「.........泣かせに来てるんですか?」
「勝手に泣いてるのを私のせいにするなよ。意外だな、Mr.サイレントがこんなに涙もろいなんて。配信では、あまり泣くことはないって言っていたのに」
「僕の配信を見たんですか.......?」
顔から火がでる程赤くなる花月。それを見てナガンはニヤリと笑う
「ああ、見た。お前すごい有名人なんだな。動画サイトで『Mr.サイレント』って打っただけで予測検索候補に『Mナガン』『リューキュウ』『ヒーロー公安』『炎上』とか、サジェストが色々表示された」
数十分とも思える長い数秒の沈黙を花月は生み出し、覚悟を決めた顔つきでナガンに言葉を返した
「悪いですか?僕は自分が思ったことを発信するためにSNSをやっていますし、それが色々な人に見てもらえるならこれ程本望なことはありませんよ。そもそも、配信で話していて恥ずかしい内容なんてひとつもありません。確かに僕は、レディ・ナガンの魅力と、如何に素晴らしいヒーローであるかは語りました。ええ、語りましたとも。幼い頃からあなたのファンですから、結果的に他のヒーローよりも熱が入って話していたことも認めます。ダメですか?いけませんか?好きなヒーローを好きだと言ったらダメなんですか?タルタロスに入ったヒーローに憧れたらダメですか?ダメですよね、知ってます。ですが、ダメだと言われても思い焦がれるから憧れなんです。好きなヒーローが、憧れのヒーローがタルタロスに入ったくらいで僕の気持ちは変わりません。批判を受けようが怒られようが炎上しようが!僕は自分の気持ちに嘘はつきません!」
ここまで一息に言葉を紡ぎ、少し呼吸をしたのちに再度口を開いた。誰がどう見ても冷静ではない。だからこそ、冷静な時の本人なら言わないことを口走ってしまう
「そもそも、僕の配信見てくれたんですよね。どうでしたか、僕の気持ちはあなたの胸に届いてますか!?」
長い沈黙。冷静になった花月が自分の発言を恥じて、質問を取り消そうとした瞬間にナガンが手でそれを制した。そこから10分に渡る長い沈黙である
「──タルタロスに入ったヒーローのファンを続けて、SNSで発信し続けるなんてバカなガキはお前くらいだ。届いたよ、お前ほど私のことを想ってくれたファンはいないな」
頬をかきながら、少しだけ視線を逸らして言い切ったその横顔は、どこまでも美しかった
「ありがとう、ございます」
「礼を言うのは私の方だ。お前のおかげで、私はタルタロスから釈放されたんだ。ありがとう、花月雫」
「──レディ・ナガン、ヒーローは続けるんですか?」
「どっかの誰かが勝手に知名度を上げてくれたからな。辞めたところで、目立って仕方ないだろ」
そう言ってナガンは肩をすくめた。ナガンの回答は、花月にとっては最高の返答だった
「これからも、ヒーロー活動応援してま」
「それと、今日から雄英高校1年B組の副担任」
「....え?」
「担当科目はヒーロー倫理学だ」
花月はレディ・ナガンが授業を受け持つことを知り、その日1日はこの上なく上機嫌だった
家に帰るまでは
「......は?これ、なんですか」
自宅に近づいた瞬間、胸がひやりと冷えた。黄色い立入禁止テープ、巡回する警察官、慌ただしく動く鑑識。まるで、何か事件でも起きたかのように
「花月雫くん、だね。落ち着いて聞いて欲しい」
1人の警察官が花月へと話しかける。表情は気の毒そうな、哀れみが滲み出ていた
「はい、そうですけど。何かうちであったんですか?」
「──君の両親は殺された」
花月はその言葉を聞いて脳内で理解するまで数十秒の時間を要した。言葉の意味を正しく理解した彼の顔からは色が失われていき、それでも小さな声で警察官に問いかけた
「誰が殺したんですか。なんで殺されたんですか。犯人は捕まってるんですか。両親に会わせて下さい」
声は驚くほど落ち着いていた。本人ですら違和感を覚えるほどに
花月の両親は善良で、人のためになることが好きな人たちだった。誰かに恨まれるような生き方をしていない。だから理解できない。理解が追いつかない。花月には理解できない
其の疑問点とは別に、両親に会いたい。殺されたなんていう現実を受け入れたくない気持ちが、両親の死体を見に行きたいという思いに繋がった
「犯人は捕まっており、犯行理由についても述べている。だが、それはもう少し──もう少し落ち着いてから話そう。君の両親の死体は....見ない方がいい」
警察官の配慮、すぐに話そうとしない態度に、思わず花月は胸ぐらまで腕を伸ばしかけたが、理性がその行動を寸前で止めた
「後で両親に会いに行きます。犯人について、今すぐ話してください。僕には知る権利があるはずです」
警察官は尚も伝えることを拒んだが、花月に根負けしようやくその重たい口を開いた
「犯人は『黒富金(くろとみ きん)』」
その名前に花月は一切の聞き覚えがなかった
「職業ヒーロー、犯行理由は──『事務所が公安委員会に摘発され職場を失ったため、その一因となった君を殺すこと』」
「........は?」
感情的になっているが、それを理解し努めて冷静さを保っている花月には分かってしまう。自分の行動が、両親を巻き込んだと。自分がとこした行動のしわ寄せが、この結果なのだと
警察官がその後も話を続けるが、花月の耳には入っていない。右から左へと抜けていく
花月は警察官の制止を無視し、霊安室へ向かった。そこにあったのは、両親かも分からぬほど無惨な死体だった
肌は剥がされており、本当に人間だったのかも怪しいくらいに損傷している死体。それでも、自分の両親であると花月は本能で感じていた
けれど──花月は涙を流さなかった
泣けなかったのではない。泣くという行動に、心が追いつかなかった
ただ、そこにある突拍子もない現実を理解することだけに、全力を使っていた。それでも尚、脳が理解を拒んでいる
花月の指先が震えた。喉がきゅっと締まった
息が苦しい。でも涙は出ない
心が、まだ追い付いていないから。頭が理解を拒んでいるから
「........ごめん、なさい」
1日目
何もできなかった。ホテルの白い天井を眺めるだけで、一日が終わった
食欲も、眠気も、感情もなかった。ただ、呼吸をしているだけだった
2日目
起き上がる気力がなかった。ホテルの部屋は静かで、外はやけに明るかった。眩しい太陽が鬱陶しくて、カーテンを閉めた
閉めても、何も変わらなかった
3日目
自宅に戻った。立入禁止のテープは外されていたけれど、家は家じゃなかった。玄関の前でマスコミに囲まれ、何も感じなかった。
疲れた
4日目
親戚が家族葬をしてくれた。花と線香の匂いが苦しかった。ここにもマスコミは来た
僕の声が出たかどうか、自分でも覚えていない
5日目
インターホンが一日中鳴っていた。両親がいない家は広すぎた
ようやく、自分が1人だという実感がきた。涙が止まらなかった。クラスメイト達からメッセージが届いていた。返事ができなかった
ごめんなさい
6日目
久しぶりに固形物を食べた。ご飯を噛んだだけで、喉の奥が熱くなった。ニュースで僕の家が映っていた。インターホンは鳴り続けていた
音が壁に反響して、頭が痛かった。頭がおかしくなりそうだ
7日目
来週は職場体験だ。そろそろ学校に行かなきゃいけない
わかっているのに、身体が動かなかった
家のドアに手を伸ばしたけれど、開けられなかった
外の世界に出るのが、怖かった
教師ナガン
誰が来るかな。誰が来るかな。AFOかな。クラスメイトかなかな。先生かなかなかな。
マッチポンプは洗脳の基本らしい。