「今日からここがお前の家だ。防音はある程度しっかりしてるが、あんまり騒ぎ過ぎるなよ」
職員寮の前。相澤はポケットから鍵を取り出し、無造作に花月へ差し出す。手渡された銀色の鍵を、花月はしばらく無言で見つめていた
「本当にいいんですか?僕なんかが職員寮に暮らして」
職員寮はその名の通り、雄英の教職員が暮らす場所である。生徒がそこに住むなど、本来であればあり得ない話だ。だが、彼の事情は特例だった
「例外だ。お前の知名度と、敵から狙われる可能性を考えればおかしな話じゃない。現にお前が家に籠っているのを狙いすましたかのように敵が接触してきた」
あの日の夜、敵連合の黒霧が花月の部屋に現れたことはメディアには伏せられている。しかし、花月は正直にすべてを報告していた。警察にも、教師にも
「安全確保のためでもあり、俺たちが監視できるという意味でも合理的だ。お互いにとって都合がいい」
「そういうのって、本人には言わない方がいいんじゃないですか?」
「言った方が余計なことをしないだろ。隠しても仕方ない」
相澤の物言いはぶっきらぼうだが、妙な安心感があった。彼の言葉には裏がない。本当のことを切り取らず、歪曲せずにきちんと伝える──花月はそういう大人の接し方が嫌いではなかった。
「確かに合理的ですね。ちなみに、僕の隣の部屋ってどなたですか?」
少し気が緩んだ花月が、興味本位で尋ねる
「右隣は俺で、左隣はナガンさん。上の階にプレゼント・マイクだ。あとは根津校長、セメントス、13号、リカバリーガールも住んでる。他の連中は自宅から通ってるな」
「──引越し挨拶とか必要ですよね?ちょっと銀座行ってきます」
「待て、行くな」
「うぐっ...!」
咄嗟に背を向けて駆け出そうとした花月の腕を、相澤がガシッと掴んだ
「教師と生徒なんだから、んなものいらん。渡されたとして、ナガンさんも困るだろ」
「いや、でも僕、夜中に結構配信することあるんで迷惑かけると思いますし、事前にちょっとした物を贈って置いた方がいいかなと」
「大丈夫だ。マイクの騒音もある程度抑えられる防音材が使われているから安心しろ」
最もらしい理由を後付けしたが、ナガンに贈り物をしたいという気持ちがありありと出てしまっている。相澤はそれを見透かし、ため息をはいた
「あ、それならせめて、引っ越し蕎麦くらいならどうですか?僕の引っ越し祝いに皆さんで」
相澤は一拍置いてから、軽くため息を吐いた
「自分から引越し祝いを提案する厚かましさに脱帽したよ。ブラドはどんな教育をしてんだか」
「え、でも、祝い事はみんなで──っと、すいません。少し勘違いしてました」
花月家では、祝い事は家族3人で祝っていた。その時の名残り、祝い事をみんなで祝うという習慣を当たり前のものとして認識していたためでた言葉である
一瞬曇った花月の表情を見て、相澤はほんのわずかに視線を逸らし、低く呟いた
「──近頃のガキは隠し事ばかり上手くなりやがる。蕎麦はあるのか?」
「え、あ、はい」
「それならいい。鍋もあるなら持って来い。17時半に上のマイクの部屋に来い。寮にいる連中には俺から声をかけておく」
「ありがとうございます」
「ああ、ちゃんと来いよ」
安心したように口角が少し上がって笑っている花月を見て、相澤は軽く手を挙げ、背を向けて歩き出す
この日行われた引越し蕎麦会は、お酒を持ち込み酔っ払った13号とプレゼント・マイクが相澤にだる絡みを続けたことでお開きになった
解散して部屋に戻ろうとしている花月をナガンが引き止めた
「この後、少しいいか?」
わざわざ職員寮から人気のないグラウンドに場所を移した理由が分からず、花月は首を傾げながらも、黙ってナガンの後に続いた
彼女はグラウンドの中央付近で、ぴたりと足を止めた。月明かりの空の下、ひんやりとした空気が二人を包む。
「──お前の両親を守れなくて悪かった」
その言葉はあまりに突然で、花月は一瞬、呼吸を忘れた。だが、数秒の沈黙の後、彼は穏やかな口調で答えた
「レディ・ナガンが謝ることじゃないですよ。僕が弱かったから両親を守れなかった。それだけです」
その声には嘘がなかった。責任逃れも、他人への非難もない。ただ、己の未熟さを正面から受け止めた上での言葉だった
彼は理解している。自身の存在が敵を招いたのだと。行動一つが家族を危険に晒したのだと。そしてその痛みから逃げることなく向き合った
「だが、私はお前に──いや、なんでもない。思い出させて悪かった」
言いかけて言葉を飲み込んだナガン。続くはずだったのはきっと『恩がある』か『借りがある』だったであろう
事実として、ナガンは救われた。タルタロスの闇に葬られるはずだった彼女の未来を、たった一人の高校生──花月雫が変えた
本来なら届くはずのない言葉を、彼は世界に響かせた。あのとき花月が立ち上がらなければ、ナガンは今も檻の中だったろう
だからこそナガンは守りたかった。ただ、彼のために自分のすべてを使いたかった。悲しい思いをさせたくなかった
ナガンは花月を近くで守るために雄英の教師としての誘いを受けたのだから
「僕の行動が原因で起きた事件です。僕が未熟だった、考え足らずだった、力が足りなかった。レディ・ナガンが気に病むことじゃないですよ。本当に」
言葉には重さがあった。それでもしっかりとした声で、花月は前を向いたまま言った
「そうか、そこまで言ってくれるならもう何も言わない。だが、困り事とか相談事があれば絶対に言えよ。私でも、他の誰かでもいい。一人で抱え込むなよ」
ナガンは肩の力を抜き、少しだけ視線を空に投げた
「そうします。そうしないと、レディ・ナガンに気を遣わせることになりそうですから。それは心苦しい」
言いながら、花月は少しだけ茶化すように笑ってみせた。その表情に、ナガンは思わずぼそりと呟く
「将来背中から刺されそうだな」
「なんでですか!?」
いきなりの物騒な発言に、花月が思わず大きな声を上げた。ナガンは肩を揺らして、今度はわずかに笑みを浮かべる
「そう思ったからだよ。ばーか」
「その背中から刺すの、レディ・ナガンだったってオチはやめてくださいよ?」
「ばっ、お前、教師になんてこと言ってんだ」
珍しく取り乱したナガンと、キョトンとした表情でクエスチョンマークを浮かべる花月。込められた言葉の意味に気がついて花月が気まずげに視線を逸らした
その光景は、確かに穏やかな夜の中にあった
冷たい空気の中、星明かりが二人の姿を照らしている
学校終わりの放課後、拳藤と取蔭との3人でのカラオケ。全員1度帰宅してから駅前のカラオケ店前に集合することになっていた。最初に到着した花月は2人を大人しく店舗の前で待っている
しばらくすると、背後から軽やかな声が届いた
「ごめん、待たせた?」
花月が振り返ると、そこに立っていたのは拳藤一佳だった。今日は淡いブルーのワンピースを身にまとい、普段の快活な印象とはうってかわり、清楚で柔らかい印象を周りに与えている
「今来たとこだよ。取蔭もまだ来てないから大丈夫」
そう答えた花月の言葉に、拳藤はふっと息をついた
「あ、そうなんだ。なら良かった」
会話しながらも、内心で花月は妙な緊張感を覚えていた。制服姿で会うのと、私服姿で会うのとでは、どうしてこうも印象が違うのだろうか
彼は頭の中で言葉を選びながらも、やはり何か言うべきだと判断し、意を決して口を開いた
「良く似合ってるよ。拳藤は私服までセンスがいいんだね」
拳藤は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐににこっと笑顔を返した
「本当に?花月がそう言ってくれるなら、自信持てるよ。ありがとう!花月も落ち着いた服装が似合ってるね!」
彼女の笑顔には、どこか嬉しさを隠しきれない様子があった。その感情を出しすぎないよう隠しながらも、会話を続ける
「そうかな。無難なのを選んだだけだけど、ありがとう」
軽く笑い合うふたり。心地よい空気の中、軽やかな足音とともにもう1人の人物が姿を現した
「2人とも来るの早くない?待たせてごめんね」
取蔭切奈。ショートパンツに蝶柄のTシャツを前で結び、軽やかに歩いてくる姿はどこかモデルのような雰囲気さえあった
「....ギャルだ」
「それ褒めてる?」
思わず口からもれた言葉に取蔭はジトッとした視線を花月に向けた
「ああ、うん。あんまり僕の周りにはいないタイプのファッションだったから。ファッション上級者って感じがして圧倒されたよ。すごく似合ってる」
やや焦りながらも誠意をこめた花月のフォローに、取蔭はからかうように口元を緩めた
「そっか、花月はこういうのが好みなんだね」
「それとこれとではまた話が違う気がするけど、そういうことにしておいてもいいよ」
花月が苦笑混じりに返すと、取蔭は軽く肩をすくめて笑った。ふたりのやり取りを見ていた拳藤は、どこか落ち着かないように視線を彷徨わせたが、それをすぐに笑みに変えた
「じゃ、そろそろ行こっか。予約時間になるし」
3人は揃ってカラオケ店の中へと入り、受付を済ませて指定された部屋へと向かった。室内はほどよい広さで、3人がのびのびと過ごすにはちょうどいいサイズだった
「順番どうする?最初に歌いたい人いる?」
「あ、じゃあ歌うよ」
拳藤が控えめに主張した
「どうぞどうぞ。あんまりハードル上げないでよ?」
取蔭が茶化すように言うと、拳藤は笑みを浮かべた
「取蔭の後に歌う方がハードル上がるでしょ」
そう言って選曲を終えた拳藤がマイクを取る。流れ始めたのは、どこか切なくも前向きなバラード曲。普段の元気な印象からは想像しづらい選曲だったが、彼女の素直な歌声は部屋の空気を静かに満たしていく
歌い終えた拳藤が息を整えながらソファに戻ると、花月が軽く拍手を送った。
「すごく良かった。歌、上手いんだね」
「えっ、ほんと?よかったぁ、変じゃなかった?」
「全然。むしろすごく真っ直ぐで、聴き入っちゃったよ」
花月に笑いながら言葉を返されて、拳藤はふいに視線をそらしながら照れ笑いを浮かべた
「そこまで褒められると、ちょっと照れるな」
その隣で取蔭がにやにやと笑いながら、曲を入れた
「じゃ、次は私ね。テンポ上げていくよ~!」
彼女が選んだのはポップでテンションの高い曲。画面が切り替わると同時に、取蔭はマイクを握りしめ、身体を軽く揺らしながらリズムに乗る
「2人とも少しレベルが高すぎるんじゃないかな」
小声で花月が呟くも、その声が届くことなく取蔭の歌は続く
楽しげに歌いきった取蔭が深く息を吐きながら笑い、花月にマイクを差し出す
「さーて、次は花月の出番だね」
「待ってました~!」
拳藤もそれに乗っかるように声をあげる。花月は苦笑しながらマイクを受け取り、画面をじっと見つめた
「こんなことなら1番最初に歌っておくんだった。まあでも、僕も負けないように頑張ろうかな」
花月が選んだのは落ち着いた雰囲気のあるミディアム曲。歌声は驚くほど澄んでいて、言葉のひとつひとつに感情が乗せられている
歌い終えると、ふたりから自然と拍手が起きた
「やるじゃん、花月」
「うん、本当。聴き入っちゃったよ!」
「いや、さすがにそれは褒めすぎだよ。でも、ありがとう」
彼は少し照れたように笑いながらも、どこか嬉しそうだった。こうして三人は順番に歌いながら、少しずつ笑い声と距離が近づいていった
飲み物を頼んで喉を潤しながら、好きなアーティストの話をし、選曲に悩みながらも相手の好みに合わせようとする気遣いがにじむ
時折、選曲ミスで予想外に高い音域が出てきて3人で笑い合ったり、デュエット曲を即席で一緒に歌ってみたりと、時間が経つのも忘れるほどだった
やがて、タイマーが残り5分を告げる
「そろそろお開きかぁ」
「時間経つの早かったねー」
取蔭がぐーっと伸びをしながら笑い、拳藤もそれに合わせて立ち上がる
店の外に出ると、空はすっかりと暗くなっていた。カラオケ店から離れると少しだけ静かになり、3人の足音だけが響く
「また、こういうのしたいね」
拳藤がぽつりと呟いた
「今度はご飯とかどう?」
取蔭が拳藤の言葉を拾い提案する
「いいんじゃない。まあ、その前に職場体験を頑張らないといけないけど」
そんな他愛ない会話をしながら、3人はそれぞれの帰路についた
久々の配信にしては緊張していない
むしろ、少しだけ懐かしい気分だった
『暇人の皆さん、お久しぶりです。Mr.サイレントです』
カカオ豆《久しぶり!!》
静止かけて《復活きたーー!》
アンチする《無理しないでって言ったのにw》
もよよ《復活おめでとう!》
『...ご心配をおかけしてすみませんでした。ちょっとだけ、いろいろと整理する時間が必要だったので』
ざわついていたチャットが一瞬、落ち着いたがすぐに倍以上にチャットが流れ始めた。久しぶりの配信だからかチャットが多い
『でも、もう大丈夫です。ちゃんと前を向けています。なので、今日からまた、配信もやっていこうと思います』
一拍間を置いて、準備していた画像を表示する
画面に映ったのは、ラビットヒーロー・ミルコ。筋肉質な腕、凛々しい眼差し、跳ね上がる銀白の髪、うさ耳
『──さて、今日はこの方について話していこうと思います。ラビットヒーロー、ミルコさん』
コメント欄が一気に加速する
下僕《うさぎ!》
だろぉ《でた!ワイルド枠!》
うさ耳好き《姐さんだ!》
ミルコラブ《俺の推し!》
賛同者《俺も》
『人気ですね、やっぱり』
僕がこの話題を選んだのは、復帰にふさわしいヒーローを語りたかったから
『ミルコさんって、圧倒的に前に出るヒーローですよね。攻撃的で、豪快で、派手で、そして目立つ。それってただ強いだけじゃ成り立たないと思うんですよ』
少しだけ間を取る
「自分が一番危険なところで、誰よりもリスクを取って戦闘を行う。恐れることなくそれを行える強靭なメンタル、それがラビットヒーロー、ミルコの魅力ですよね。ヒーローなら大半がそうではありますけど、ミルコさんは思い切りが別格ですね」
チャットが止まらない
ROM専《それな》
俺最強《でもかっこいいんだよなー》
わからない《わかる》
命大切《命知らずの象徴》
『けど、それだけじゃない。あの人が最前線にいる理由って、きっと別にもあると思うんですよ』
これは僕の想像、ミルコの敵退治の動画を見て見て感じたこと
『前に出れば後ろにいるみんなを守れる。自分がやられなきゃ、後ろの味方もやられない──そんな考えが、あの背中から伝わってくるというか』
画面のミルコの姿は、敵に囲まれても一歩も退かず、にやりと笑っている。好戦的な笑みを浮かべ、1歩も引かない
『それに、常に命懸けで戦っているような気迫が僕は好きです。少なくとも、現場のヒーローも彼女がいたら心強いでしょうね』
少しだけ間を取って、次のテーマに切り替える
『そういえば僕、ミルコさんの戦闘スタイル...少しだけ意識して動きを取り入れてた時期もあったんですよ』
神隠し《え!?》
ジブリ好き《うさぎスタイル!?》
とっとろ《ジャンプ力とか?》
『全体的な動き方ですね。素手で戦う肉弾戦のヒーローって意外と少ないので、参考になる動画を探してて、それで行き着いたのがミルコさんでした』
『僕の静止とどう組み合わせられるかとか、勉強しながら何度も真似してみたんですけど──』
われは神なり《なるほど》
オタクでふ《オタクすぎて笑う》
聞かせてくん《そういう話もっとして》
『まあ、結果は全然できませんでしたけど。どうしてあんな動き方ができるんですかね。結構頑張ったですけど、無理でした』
──話している間、ふと肩の力が抜けていくのを感じた。配信をしていると何も考えなくてもいいから落ち着く。思ったことをそのまま喋れるのは楽だ
『あ、そうだ。これは完全に願望なんですけど』
『もし機会があるなら、ミルコさんと戦ってみたいです。彼女の戦い方を独学で学ぶのは無理でしたけど、身体に叩き込んでもらえれば吸収できる気がするんですよ』
チャットが一瞬で凍りついたように止まり──そして爆発する
感嘆符マニア《!?》
殿様《無理無理w》
『いや、でも見たい』
三途の川《やっば、向こう見ずすぎる》
レモン《正気か?》
推し方中毒《死んじゃうよ》
『あれくらい強いヒーロー相手に、僕がどれだけ通用するのか知ってみたいんです。まあ、これは現実味のない妄想ですけどね』
このときの自分の顔は、きっと子供みたいに笑っていたと思う。普段なら言わなかった。久しぶりの配信で、少し調子に乗っているのかもしれない。流石に思ったことを話しすぎたかな。これ以上僕が余計なことを言う前に、配信を終わろう
ミルコ《職場体験選ばなかったくせに、言うことは調子がいいな》
『.....本物?』
職場体験のスカウトは一般には公表されない。そのためスカウトを知っているのは教師と生徒自身になる。僕はクラスメイトくらいにしか言ってないし、それ以外の人に伝わることはないはず
ミルコ《SNSでこの配信のこと呟いたから、確認したら本物だってわかるだろ?》
本当だ。ミルコのアカウントで呟かれてる。ミルコはこの配信サイトのアカウント持ってないから、正直本物の証明をしてくれたのは助かる
『わざわざありがとうございます。職場体験は他に行きたいところがあったので、すいません。ですが、ミルコさんが相手をしてくれるなら──職場体験じゃなくても幾らでも時間を作りますよ』
ミルコ《言ったな?私もお前に興味がある。二言は無いな?》
『もちろんです。DMで日程だけすり合わせしていただければ、喜んでお付き合いします。むしろ、僕の方からお願いします』
コメント欄が大荒れだ。盛り上がり方が尋常じゃない。でも、ミルコさんからはそれ以上返信は来なかった。たぶん、配信を閉じたのだろう
『それでは皆さん、またいつかお会いしましょう』
こうして僕も、今日の配信を終えた
ナガン
拳藤
取蔭