逃げるなサイレンススズカ   作:帝都造営

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天皇賞秋

 

 

 

 サイレンススズカ、天皇賞を回避――――

 

 

 

 

 その噂が広まる前に、奴は姿を消していた。

 

「先輩、すみませーん!」

「ん。お前は……」

 

 トレーニング前のストレッチをしている時、ブンブンと手を振りながら走ってきたのは黒鹿毛のウマ娘。

 ウザ絡みしてくる妙な後輩たちとも違う彼女は確か、その年のダービーウマ娘だったか。

 

「あーと、悪い。名前はなんだったっけな」

「スペシャルウィークです!」

 

 その名前には聞き覚えがあった。

 走ることにしか興味のない同期、サイレンススズカがよく口にする同室の後輩。

 

「あの! スズカさんを見ませんでしたか?」.

「……なんで俺にそんなこと聞くんだよ」

「フク先輩が『コースで練習している黒鹿毛のウマ娘に会うと吉です!』って」

「たらい回しじゃねぇかッ!」

 

 あとついでに、フクキタルの方がサイレンススズカと仲がいいはずである。

 ……いや、違うか。フクキタルは朝練をしない。単純な情報量の問題として、こちらの方が知っている可能性が高いと判断したのことだろう。

 

「今日は見てねぇな。大方どっかを走ってるんじゃねぇの」

 

 確かにサイレンススズカとは堤防の走り込みやらで顔を合わせることはある。

 

 しかしそれだけ、そもそも自主トレ中の相手に話しかけるのは互いにとって迷惑な話だろう。生徒会のエアグルーヴなどは彼女を止める立場にあるから追いかけもするだろうが、いち学生に過ぎない俺にそんなことをする理由はなかった。

 

「そうですか……」

「別にいつものことだろ。相変わらず携帯持ってねぇのか、アイツ」

 

 もっとも、携帯を持っていたところで着信には応じないだろうが。

 

「いえ、その。実は荷物は持っていったみたいなんです」

 

 そうしてスペシャルウィークはポケットから何かを取り出す。

 それは小さな装飾具。具体的には、ウマ娘用の耳飾り。

 

「朝起きたら、これと手紙が置いてあって……」

「なんて書いてあってんだ?」

「『ありがとう』って。それだけでした」

「…………なんか感謝されるようなことでもしたのか?」

 

 問えば分からないと答えるスペシャルウィーク。正直、あのサイレンススズカが他人に感謝すること自体が妙な話だ。明日は槍でも降るんじゃないだろうか。

 

「と、とにかく! スズカさんを探さないとなんです!」

「探すったって。どこをだよ」

「どこでもです! このままじゃ私、不安でご飯も三杯しか喉を通りません~!」

「つまり普通に食ったんだな? ホントに心配してんのかお前」

「いつもは十杯はいけます!」

「知らねえよ! つか聞いてねぇ!」

 

 こいつ大丈夫なのか? 別の不安が鎌首をもたげたところで、背後から靴音。

 学園指定のローファーが、コンクリートを打つ音が聞こえてくる。

 

「その件については、私から説明させてもらおうか」

「えっ……! シンボリルドルフ会長?」

 

 仰天したスペシャルウィーク。振り返れば、そこには学生服を着込んだ声の主。

 

「サイレンススズカのことを、君たちには早めに説明しておこうと思ってね」

「あー……邪魔そうだから、俺は外すぞ」

 

 会長が出てくる。それは、この件が生徒会案件になっていることを意味する。

 

 

 ――――アイツ、今度は何をやらかしたんだ。

 

 

「私は『君たち』と言ったはずだ。君にも無関係な話ではないと思うが」

「面倒ごとは勘弁。それに同じ天皇賞の出走ウマ娘としてフェアでありたいんでね」

 

 今週開催される天皇賞・秋。逃げウマ娘としては絶好の枠番である1枠1番を引いたサイレンススズカは、既に勝つことが確実視されているウマ娘である。

 そんな彼女に「何か」があって。それを出走メンバーの1人だけが事前に知っている――――どう考えてもフェアではない。

 

 そう考えて、その場を去ろうとしたのが。

 

「いや。聞いてくれ。君もサイレンススズカとは仲がいいのだろう?」

「……なんでそうなる」

 

 

 同じレースは、走った。

 

 アイツは走るのが好きだから。

 こっちは、まあ、奨学金の返済とか。いろいろ事情があるから走っている。

 だがそれは、それだけの関係。

 

 

「サイレンススズカは――――本日、退学届を提出。学園はこれを受理した」

「は?」

 

 それなのに。アイツは紙ぺら一枚で、俺たちのレースを滅茶苦茶にしやがった。

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 日本中央ウマ娘競走会、通称URAは労働省の外郭団体である。

 

 ウマ娘の健全な育成と社会福祉の増進……掲げたお題目は結構。

 しかしその内実は「社会福祉の増進にもお金がいるんだよね」と国庫納入金の積み上げ……要は金儲けに勤しむ興業団体。今日みたいなグランプリ・レースは文字通りのかき入れ時だ。

 

『さあ、今年もやって参りました。宝塚記念、春のトィンクル・シリーズ総決算! ファン投票に背中を押され、12名の優駿が集いました』

『フルゲート出走とはなりませんでしたが。多くの実力派ウマ娘が揃いましたね』

『そうですね。ダービーウマ娘スペシャルウィーク、有馬記念を制したグラスワンダーに注目です。それでは、いよいよパドックアピールです』

「それじゃ、楽しんできてね」

「うるせえ。俺はいつも通りやるだけだ」

 

 ラジオの電源を切り、横に控えるトレーナーに放る。パドックへと脚を進める。

 

『1枠1番――――ステイゴールド、7番人気です』

 

 着慣れてしまった勝負服。見慣れてしまった満場のパドック。

 聞き慣れてしまった、諦観の混じる視線と冷めた熱気。

 

「シニア2年目かぁ。パッとしないんだよなぁ」

 

 知っている。

 

「なに言ってんだ、直近5走で4回3着! 今回もセンターポジは堅いぞ」

 

 興味もない。

 

「同期のメジロブライトは晩成だったけど、彼女はどうかな」

 

 関係ない奴の話をするな。

 

『ちょっと厳しいメンバーですが、好走に期待したいですね』

『少し入れ込んでいるようです。レースまでに落ち着きを取り戻せればよいですが』

 

 幻聴の解説が聞こえる。勝手な評価で勝手に心を乱される自分に余計に腹が立つ。

 

「あらあらぁ。ステイゴールド様、もう少し落ち着きになってくださいまし?」

「……チッ、ブライトか」

 

 浮力を得た綿菓子のような声が耳にかかる。視線の先には、日傘を畳んだウマ娘。

 

「ええ~。わたくし、今日は応援に来ましたのよ」

「そうかよ、悪かったな」

 

 こんな詰まらないレース見せて――――なんて、思っても口には出さない。

 宝塚記念はURAにとって大切な興業。国際レーティングも悪くはない。

 だから公の場でバカには出来ない。そのくらいの分別はつけている。

 

「いいえ。今日は大切なレースになりますから」

「は? なにいってんだ?」

 

 相変わらずワケの分からないことをいう同期。メジロブライト。

 俺と同じシニア2年目のウマ娘で、天皇賞・春を()()()()メジロの後継者。

 

「すでに、()()()は始まっております。今日は、それを。確かめに参りましたの」

 

 わたくしのためにも、と。ハッキリ言い切るブライト。

 とろりと垂れた目尻と対照的に、澄んだ眼の奥は引き締まっている。

 

『6枠7番、マチカネフクキタル。8番人気です』

「ステゴさぁん! 聞いてくださいッ!!」

 

 面倒なのが来た。

 

「ななな、なんと――――ッ! 今日の私は6枠7番8人気ッ! 678ですッ! このストレートな感じに運命を感じませんかッ?」

「知るか。あとポーカーの役(ストレート)だとしたら、あと2つ数字がいるだろ」

「ハイ! 5ー4ー3ー2と通過して1着でストレートフラッシュですネッ!」

「なんだそのセオリーガン無視の通過順位は」

 

 序盤から先行集団に位置取りし、そこから順位を繰り上げれば超ロングスパートである。ブライトじゃあるまいし、こいつの持ち味は俺より鋭い差し脚のはず。

 

「……本気で序盤から仕掛ける気か?」

「おおっと、それはステゴさん相手でも言えませんね! まあレースは常に運です! なるようになりますとも!」

 

 こんな滅茶苦茶いってるクセに、コイツも立派なG1菊花賞ウマ娘。

 

『ステゴさんは7番人気、ラッキーセブンですね!』と言わない程度には、常識を弁えた同期でもある。

 

 ……。自分のウマ番が7だから言わないだけかもしれないが。

 

 

 それにしても、だ。

 

 最悪だ。気分が悪くなる――――1枠1番なんて。

 抽選次第でいくらでも当たる数字に苛ついている自分が本当に気持ち悪い。

 

「そういえば」

 

 フクキタルが思い出したように言う。

 

「スズカさんに会われたと聞きました」

「……誰から聞いた」

「それはもちろん! スズカさんからです!」

「あのやろ、口軽すぎだろ」

 

 別に、黙っていてくれなんて頼んでないから文句のつけようもないが。

 

「あらぁ。サイレンススズカ様にお会いになられたのですか?」

 

 そして当然のように会話に割り込んでくるブライト。

 

「……別に、お前らだって会ってるんだろ」

「LANEで日々の運勢をお伝えしています!」

「わたくしは、時々顔を出すくらいですわぁ」

 

 律儀な奴らだ。もうトレセン学園生ですらないサイレンススズカに、こうして気を遣ってやっている。

 そしてニコニコしながらこちらを見てくる2人を見るに、多分俺も、コイツらの同類なのだろう。

 

「お話は、できましたか?」

「別に。2人で焼き肉屋いって、少し走って別れた」

「あっ! スズカさんオススメのお店ですね! 私はあそこのソフトクリームがお気に入りです!」

「……それはもう焼き肉関係ないだろ」

 

 サイレンススズカ。

 去年の天皇賞・秋を()()()()そのままトレセン学園から去ったG1ウマ娘。

 

「やっぱ話にならねぇよ。あいつは、いつも走ることばっか考えてやがるから」

 

 そして今日の宝塚記念は、彼女が去年制したレースでもある。そして1枠1番とはそのサイレンススズカが出走しなかった天皇賞・秋で彼女に割り振られていた枠番。

 

 1枠1番1人気。出走すれば、絶好の枠番、全観客の夢を乗せて走っただろうに。

 

 

『さぁ、いよいよ一番人気の登場です』

 

 

 空気が変わる。労働省の外郭団体とはいえURAはトィンクル・シリーズという国民的エンタテイメント産業を司る興業団体。

 パドックタイムをどう盛り上げるか、そういうノウハウは身についている。

 

 

『昨年のダービーウマ娘。クラシック路線で好走した彼女が、()()()の沈黙を破りターフへと帰って参りました! 7枠9番――――スペシャルウィーク!』

 

 

 それにしても、アイツが一番人気とは妙な話である。

 年末のグランプリ覇者であるグラスワンダーすらも抑えての一番人気。去年のジャパンカップ以来出走を控えていた――――あの「沈黙騒動」の中心人物の一人だからこその一番人気。

 

「……人気者は大変だな」

「人気。そうでは、ありませんわ」

 

 漏らした言葉に、はっきりと否定の意を届けるブライト。剣呑さを隠さない彼女の語気に思わず視線を戻せば、彼女は妙な静まり方をしたパドックを見渡していた。

 

「皆様、ある意味では心待ちにし。そしてある場所では大変不安なのです」

「不安? なにがだよ」

「夢を託す価値が。スペシャルウィーク様に、そのお覚悟がおありになるのか」

 

 胸に手を置き、アピールスポットの先にある何処かを眺めるブライト。

 コツ、コツ、と。板張りのアピールスポットを蹄鉄が鳴らす。

 現地で千、放送で万――――報道写真で百万に膨れ上がるであろう視線たちは拍手も忘れ、アピールスポットに現れる彼女の姿を待ちわびる。

 

 しかし彼女の姿は見えない。パドックに彼女が現れない。

 沈黙はやがて焦燥に変わり、緊張へと変貌していく。

 

 

『――――――宝塚記念は、夢が走るグランプリレースです』

 

 

 放送が聞こえた。

 緊張すらも凍りつかせる、温かい声。

 

『あなたは、誰に夢を託しますか?』

 

 その声に、報道映像で見たような大興奮のダービーウマ娘の面影はない。

 

『グラスワンダーでしょうか。それとも、スペシャルウィークでしょうか』

 

 二番人気、一番人気の名前を挙げる声。

 まるで自分事ではないかのように、己の名前(スペシヤルウィーク)を読み上げてみせる彼女。

 

 

『私の夢は――――――――』

 

 

 そして、そのウマ娘はスポットライトの前に現れる。

 

 沈黙を破って……()()沈黙を、甦らせるために。

 歩み出る蹄鉄。いつも通りの勝負服。報道写真やポスターでも散々視線に晒された藤色のラインが走る勝負服――――故に、異質さが際立つ。

 

 

 彼女が載せた『夢』だけが。

 

 耳飾りに添えられた、大地(みどり)太陽(きいろ)だけが。

 

 

「私の夢は、サイレンススズカです」

 

 

 もはや拍手すらも起こらない。

 あらゆる関係者と部外者が理解してしまった。

 なぜ彼女が沈黙を保っていたのか。

 練習をすべて非公開にし、どうして宝塚記念を最初のレースに選んだのか。

 

 調整が間に合わなかったから?

 ファンの期待に応えたいから?

 

 

 違う。

 

 

 ――――宝塚記念は、サイレンススズカ唯一のG1勝ち鞍だから。

 

 

「今日は、その夢の続きを。お見せします」

 

 

 サイレンススズカ。

 

 

 最速の機能美と呼ばれた彼女がトゥインクル・シリーズから消えて、もう半年。

 俺たちは、いまだ沈黙を保つ彼女から卒業できずにいる。

 

 

 

 

 

 

 

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