逃げるなサイレンススズカ   作:帝都造営

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夏の帳に

 

「ステゴさーん! 占いをご所望ですか!?」

「間に合ってるんで結構」

「お願いしますぅ! 今日は人助けが吉と出ているんです、つまり、人助けをしなければ――――」

 

 天 罰 が ッ !

 

「人助けだと思って!」

「一行で矛盾すること言うんじゃねぇよ」

「ハンニャカホンニャカァ、水晶よ~、未来を占いたまえ~」

「いや聞けよ」

「……ハッ! 出ました!」

「よかったな。それじゃ」

「まってくださぁいッ!」

 

 立ち去ろうとした瞬間、占い狂のフクキタルに腕を掴まれる。

 あまりにも勢いよく掴んだものだから、彼女が大切にしている水晶がポーンと飛んだ。

 

「のぅぬぁぅああああっっっっっっ――――!」

 

 叫んだところで物理法則は変わらない。

 水晶は放物線を描いて墜落……するかと思われたが、寸での所でナイスキャッチ。

 

「はわわぁ、危なかったですぅ……」

「おぉ~! 流石はドトウさん! 後で割箸が綺麗に割れるお守りをあげますね!」

「は、はぃい……人助けが出来て、わたし嬉しいです……!」

 

 おどおどとした様子で頬をかくのはメイショウドトウ。

 2期後輩となるクラシック期のウマ娘である。今年のクラシックは皐月賞をテイエムオペラオー、ダービーをアドマイヤベガが制したことで大混戦の様相を呈していた。

 

 ……いや、どうでもいいか。今のうちに逃げよう。

 

「お待ちくださいッ! せめて結果だけでも聞いていってくださいよぉ!」

「チッ、聞くだけだぞ」

「ハイッ! ステゴさんの運命は、大逃げ爆逃げ破滅逃げです!」

「はははは破滅ぅぅぅ~? 救いはないのですかぁ~!」

「ありません!! 逃げから逃げることは出来ないので、いだぁだあああッ?」

 

 なんかムカついたので手刀を叩き込んでおく。

 砂浜に沈んだフクキタルを無視して、波打ち際へ……そう、今日から毎年恒例の夏合宿が始まるのだ。

 年1000回を超えるレースを開催するURAはメリハリを重視する。宝塚記念で春のG1シーズンは終わり、秋シーズンが始まるまでは小休憩。そうして競走ウマ娘にとっては地獄の強化期間が始まる。実力を底上げするのには絶好の機会。

 

 「夏のあがりウマ」という言葉が示す通り、夏で頭角を現したウマ娘が秋のG1菊花賞や秋華賞に殴り込みをかけるのはよくある話。そして、それがURAの描く王道サクセスストーリーでもある。観衆が望むドラマチックな物語というわけだ。

 あのメイショウドトウも、きっとそのドラマに乗っかっていくのだろう。

 

「つまんねぇな」

 

 敷かれたレールに乗っただけの出走ローテ、テンプレート通りのドラマ、定石(セオリー)通りのレース展開に隠し味の最終直線。レース興業はこれだけで成立する。

 

 そしてURAはそれを良しとした。

 

 まさか学生の自主性を尊重するとでも?

 宝塚記念で身勝手な幻想を生み出しておきながら?

 

 もしくは自主性は尊重するが、宝塚記念のように脚本修正はさせてもらうってか。

 レースを勝手な物語で塗り固めて、さも美しいドラマのように見せる。それがどれほど彼女たちを踏みにじる行為なのか、分からないとでもいうのか。

 

 ……分かってやってるから、タチが悪い。

 

「あらぁ~、ちょうど良いところに~」

 

 ささくれ立った神経を撫でる声。視線を向ければ、日傘をさしたブライトの姿。

 

「ステイゴールドさま。少しだけ、お手を貸して頂けませんか?」

 

 

 

 熱い砂浜の上に断熱性の高くて軽量なパレットを敷き、その上にかけたシートが風で飛ばないようにクーラーボックスなどの荷物を重しにする。

 そして巨大なパラソルをいくつか開けば、簡易的な拠点の出来上がりである。

 

「……ったく。なにかと思えば本当に手が借りたかったのかよ」

「たすかりました~。私一人では、日が暮れてしまいそうでしたので」

 

 そう言いながら、早速シートの上に置かれた持ち運び椅子に座るブライト。彼女の仕事が早く終わったのは結構だが、こっちは働き損という気しかしない。

 

「というか、トレーナーにやらせりゃいいだろ。こんなこと」

「トレーナー様には、トレーナー様のやるべきことがありますわ」

 

 ブライトが視線を注ぐ先には、砂浜を駆けていく後輩たちの姿。それを眺めながらバインダーに何かを書き留めるのが、彼女のトレーナーだろうか。

 

「……俺たちにだって、やることはあるだろ」

「あら~。今日の私は休養日ですのよ。最初から急いでいては、疲れてしまいます」

 

 すっと空いた椅子を指し示すブライト。さぁこちらに、と言わんばかりの表情。

 

「ま、ただ働きは性に合わねぇからな」

 

 ブライトは、名家メジロの令嬢である。それ相応の礼を期待しても良いだろう。

 

「もちろんですわ。ステイゴールドさまに感謝を」

「ほんとだよ。9割方俺がやったんだからな」

 

 どっかと座った俺に、ブライトはそっと冷えたジュース缶を手渡してくる。アイスもありますわよとクーラーボックスを見せるので、遠慮なく貰う。

 

「さぁ。それでは、かんぱぁ~い」

「乾杯……俺をこき使うにしてはずいぶんと安い報酬だなおい」

「おかわりも、お好きなだけ。どうぞ~」

 

 夏真っ盛りの砂浜、ビーチパラソル、ウマ娘用に開けられた椅子の隙間から尻尾を垂らして氷菓子とジュースをかじって飲みほす。まるで遊びに来たみたいだ。

 

「ステイゴールドさま。焦っては、いけませんわ」

「勝手に心を読むな」

「心は読んでいません。顔に、そう書いてありましたわ」

「……そうかよ」

 

 そう返すのが精一杯だった。もしもブライト以外に言われていたらキレたであろう発言も、コイツが言うと毒気が抜かれていて困る。

 そして毒気が抜かれた真実ほど、今の俺に刺さるモノはなかった。

 

「なんで俺にかまう」

「あら。なんのことでしょうか」

「とぼけるな。フクといい露骨すぎるんだよ、お前らは」

 

 気を遣われている――――その事実が、腹立たしい。

 

「お前はいいよな」

 

 メジロブライトは、ノンビリおっとりな令嬢ではない。

 みるみる溶けていくアイスを眺める彼女はG1ウマ娘で、天皇賞を制覇するというメジロ家の重責を果たした「メジロを継ぐ者」で……これからも、さぞかし満ち足りた人生を送るのだろう。

 

「ステイゴールドさまは、どうされますの?」

「どうって?」

「レースを引退した後、の話ですわ」

 

 また、随分と突拍子もないことを。

 

「知らん。どうせ地元に帰って、つまらない仕事をするんだろうよ……ま、少なくともレースには関わりたくねぇな」

 

 あんな偽物の物語(ドラマ)を作るのに付き合わされるのはごめんだ。

 そもそもアスリートでアイドルという競走ウマ娘のあり方が気に食わない。文字通り踊らされている気がして嫌気がさす。

 今は学生だからレースにライブと文句を言われない程度にこなすことで見逃して貰っているが、大人になればそんな自由は利かなくなる。

 

「お前こそ引退したらどうすんだ……って、メジロ家を継ぐんだったな」

「そうですわね……確かに、私は『メジロを継ぐ者』だと、皆様おっしゃいますわ」

「そうかよ。よかったな」

「えぇ、わたくしも喜んでおりますの……メジロを、私の大好きな家を守る。最後のチャンスですから」

 

 波の音が大きくなる。指1つ動けないほどの沈黙がそれをもたらしたと気付くには、アイスが汗を掻く程度の時間が必要だった。

 

「今のレースは、とにかくスピードが求められています。高速化を続けるレースは、私たちから長距離という居場所を奪っていきました」

 

 ご存じでしょうか。以前は秋の天皇賞も芝3200だったのですよと彼女は言う。

 

「幸い、先般の天皇賞はお相手がセイウンスカイさまでした。伝統的な長距離レース、メジロ家の考える『強いウマ娘』を求める戦いとなれば、わたくしは負けるわけにはゆきません」

「……同じ天皇賞を走った俺は眼中にもないって訳か。笑えるな」

 

 天皇賞春での成績は4着。G1の掲示板に入れた訳だから十分と言えるし、G1ウマ娘に混じってこの成績ならこんなモノだと割り切ってはいる。

 

 だが自分が納得していても、他の奴にそれを言われるのは不愉快なものだ。

 

「そうですわね。私としたことが、少し()()()()してしまったようですわ……スペシャルウィークさまに対する感情が、抑えられませんの」

 

 はっとしてブライトを見る。海の向こうへと顔を向けたメジロブライトの横顔には、感情と呼ぶべきモノは乗っていない。こちらを見てすらいない。

 

 ――――そう、ブライトは俺のことを競走相手と見ていない。

 

 同期の友人としてはともかく、競走者としてはこちらを歯牙にもかけていない。G1を獲るウマ娘は、どこかしら傲慢で、図太くて……周囲に文句を言われないだけの素質を持っている。

 

「ご無礼をお詫びしますわ、ステイゴールドさま」

「別にいい、今更だろ」

 

 慣れた。慣れさせられた。強引で自分勝手。フクキタルといい、ブライトといい。

 

「スペシャルウィークさまは、天皇賞を回避しました」

「……別にいいじゃねぇか。それでお前は天皇賞2連覇だ」

 

 かの「名優」メジロマックイーンに「刺客」ライスシャワー以来の2連覇。

 これに加えて前人未踏の3連覇挑戦権すらブライトは持っている。メジロを守りたいというなら、絶好の機会ではないか。

 しかし彼女は、僅かに目を伏せ断言する。

 

「強敵の出ない天皇賞に、いかなる価値がありましょうか」

「勝ちは勝ちだろ」

「いいえ。勝ちに価値はないのですよ」

 

 それから彼女は、すっと息を吐いた。

 

「こんな話をご存じでしょうか」

 

 あるとき、ウサギさんとカメさんがレースをすることになったのです。

 

「『ウサギとカメ』かよ。知ってるに決まってるだろ」

 

 ウサギとカメ、競走するには比べものにならない足の速さの両者――――ところが序盤にカメを引き離して満足したウサギは途中で休んでしまい……休まなかったカメはいつしかウサギを追い抜いてゴールする。

 

「ウサギはカメを見ていたが、カメはゴールを見ていた……だから最後にはカメが勝つ。寓話(ぐうわ)のお約束、教訓ってやつだろ?」

 

 努力を怠らねば最後には報われる、とでも言いたいのだろう。

 そうして努力を続けて、何百人ものトレセン生が一勝も出来ずに学園を去っていく。

 その現実を無視して、努力したカメは讃えられる。のんびり屋で大器晩成したブライトは、ゴールにたどり着いたカメなのだろう。

 

「ですが私は不思議に思いました。どうしてウサギは、走ったのでしょうか」

「カメと勝負したかったんだろ」

「勝つと分かっているのに、ですか?」

 

 ウサギとカメは走り方からして違う。ヒトがウマに勝てるわけがないのと同じ。

 それでもウサギは勝負を挑んだ。それに理由を探すなら――――。

 

「……それだけ、勝ちが欲しかったんじゃないのか」

 

 勝てるレースを探して必死になる奴はいくらでもいる。

 それこそ距離を変えレース場を変え、芝にダート、果ては障害と舞台を変え。それでも勝てない奴がいる。

 

「誰かと走りたかった。では、ダメなのでしょうか」

「ウサギが? なんでカメ相手に」

「カメしかお相手がいなかったのではありませんか?」

「ぼっちかよ。かわいそうな奴だな」

 

 そして情けない。

 仲間のウサギを探しにいくこともせず、カメ相手に蹂躙劇を繰り広げようとしたことが。

 

「ですがそれならば、ウサギが喜んだのは当然ですわ」

 

 なにせウサギの目的は、レースそのもの。だったのですから。

 

「なんでそうなる」

「だって、レースを走ったウサギはよろこんだのでしょう? なら、ウサギはその段階で目的を果たしていたのです。だから、ウサギはそれ以上は走ろうとしなかった」

 

 その結果としてカメに先着(ゴール)を許しても、ウサギは何も思いはしないのです。

 

「それはおかしいだろ。ウサギは最後に悔しがったはずだ」

「そうしないと、お話として成り立ちませんもの」

「最初から教訓ありきってワケか」

 

 つまりは物語(ドラマ)だと。努力が大切だと説くための「寓話」(フィクシヨン)だとブライトは言い切る。

 

「わたくしたちは、私たちに見えるモノでしか物事を判断することが出来ませんの」

 

 じゃあ、それなら。あのターフビジョンは肯定されてしまうのか。

 

「……怒っているのでしょう。ステイゴールドさまは」

「怒ってねぇ。URAは興業団体だ。あそこで物語を提供するのが、連中の仕事だ」

 

 トィンクル・シリーズは、夢を見るために存在する。

 それは焼き肉に似ている。一度炙られたら二度と元には戻らない若駒。お腹に収まりきらないほどの暴力的でギトギトした脂の塊。

 

 牛飲バ食のごとく、ヒトは夢、物語を無限に求める。

 

「それなら、ウサギとカメのゴールが違うことも。理解なさっているはずです」

 

 ブライトの理論は、屁理屈にしか聞こえない。

 屁理屈の向こうにある結論が見えて、俺はそれを否定するために口を開いた。

 

「だが俺たちはウサギでもカメでもねぇ。レースにはゴールがあって、そこに最初に着いた奴が勝者だ」

 

 そういうルールで、トゥインクル・シリーズは開催される。

 コース2周と決められていたら、ゴール板の前を2回目に通過した奴が勝ち。1回目に通過した奴に価値はない。

 

「ですがステイゴールドさまは、そうは考えていらっしゃらないのでは?」

 

 じっ、と。穏やかな目線がこちらを捉えて離さない。

 

「そう考えてないからどうした。ルールを決めるのはURAだろ。俺はレースに出続けたいんだ。そうすりゃ出走手当が貰えるし、適当な順位に収まれば賞金が貰える」

 

 だから、俺たちはルールを守ってレースをする。賞金という評価軸があるから全力で走る。罰則というペナルティがあるからフェアプレーで走ろうとする。

 

「ええ、そうです。それでいいのです」

「……ま、トレーナーや記者連中には聞かせられないがな」

 

 この考え方はきっと、彼らの描きたい物語とは噛み合わせが悪い。

 金のために、だなんて。それは彼らの仕事を汚す言葉だ。

 

「それでも、いいではありませんか。みなさんそれぞれのゴールがあるのですから」

 

 メジロ家のために走ると言い切るブライトがそう言う。確かに、一族だとか名誉だとか、そういうもののために、俺は真剣になれないだろう。

 

「大切なのは、己のゴールを見失わないことですわ」

 

 ブライトの瞳が、こちらを見据える。

 

 

「ウサギはきっと、もうゴールにたどり着いていたのです」

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 夏合宿。濃密なトレーニングと、普段とはひと味もふた味も違うリフレッシュが出来る特別な期間。とはいえ遊びに来たわけではないのだから、いつも以上にハードなトレーニングを重ねる必要がある。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 軽く流すように国道を走る。舗装路向けのシューズカバーが衝撃を吸収し、軽く踏み出すだけで身体を前に送ってくれる。

 

 砂浜で行われるトレーニングは灼熱地獄だ。

 汗も乾くような熱気、踏み込んでも前に進ませてくれない柔らかな地面。トレーニングには適しているのかもしれないが、風を切るような快感はない。

 

 その点、日も沈み涼しい夜は最高だった。

 学園周辺とは比べものにならない満点の星空に照らされるのはがら空きの国道。うるさい蝉も夜は静か。風を切って駆けていく。肌を撫でる風が心地よくて、勝手に尻尾が持ち上がる。

 

「矛盾してるよな、俺も」

 

 賞金のためにレースをやっていると言いながら、走ることはチャッカリ楽しんでいる。着順をひとつでも上げたいのなら、もっと真剣になるべきだというのに。

 脚を緩める。風はぬるいそれに替わり、蝉の合唱がひときわ大きくなっていく。

 

「……ウサギはゴールしていた、か」

 

 合宿の最初に聞かされたブライトの言葉には、結局今でも納得できていない。彼女の言い分は分かる。レースで勝つことだけが全てではない。その通り。

 しかしトレセン学園の生徒に対して、その言葉は劇薬だ。

 

「違うだろ。レースに出たなら、勝つべきだ」

 

 勝者はひとりだけ。一着でなければ二着も()()も等しく敗者。それがレース。

 ゴールがひとつでないと言い張るのは、敗者の負け惜しみ。

 

 そう、俺はブライトのことが羨ましい。アイツは既にG1を勝っている。

 ブライトだけではない、フクキタルだって……サイレンススズカすらも。

 

 アイツらは自分勝手に自分のゴールを置く。勝手にレースをして、勝手に勝ってしまう。聞こえすらしない敗者のうめきを無視するように、勝ってしまう。

 

「ならせめて、ブライトみたいに説明しろよ。俺らにも分かるように」

 

 それとも、奴らには俺たちのことが見えないのだろうか。見えないのだろう、前を見ず、地面を見ながら走る奴がどこにいるというのか。

 

「ん? なんだあれ……」

 

 そんな時、ふと視界に入るのは見慣れない光。案内板を見る限りは展望台らしいそこに、なぜか本格的なキャンプテントが設営されている。

 

 

 

「なにやってんだ、お前」

 

 足をむけてみれば、そこには携帯ガスコンロに鍋をかけるウマ娘の姿があった。

 しかもトレセン学園のジャージを着ているので、トレセン生なのは間違いない。

 

「……ここ、キャンプ禁止ではないわよ」

「いや、んなことは聞いてねぇ」

 

 そこら辺を気にするのは社会に生きるウマ娘としては正解なのかもしれないが、そんな話はしていない。

 

「トレセン生がなんでキャンプしてんだよ。まさか宿とってない訳じゃないだろ?」

 

 専属トレーナーと契約していれば合宿所が提供されるし、チーム所属なら宿の確保はチームトレーナーの義務である。夏合宿で身体を壊してはシャレにならないので、そこら辺は丁寧にケアされているはずなのだが。

 

「許可は、とってあるわ。今日は……星が、近い日だから」

 

 どうやら彼女はロマンチストらしい。お玉を取り出し、彼女は慣れた手つきで鍋の中のポタージュを3つのコップに注ぐ。

 

「どうぞ……夜は冷えるから」

「お、おう…………んじゃ、ありがたく。アドマイヤベガ」

 

 その言葉を聞いた彼女は、めんどくさそうに顔をしかめた。なんでだよ。

 

「知ってるのね、私のこと」

「そりゃ、今年のダービーウマ娘を知らない奴はモグリだろ」

 

 尤も、一昨年(おととし)のダービーやその前となると分からないが。

 貰ったポタージュに口をつける。ていねいに煮込んだことが分かる、優しい味。

 

「もういいでしょ。私は今夜はずっとここにいるから」

 

 要するに帰れと。ポタージュとは対照的な対応。

 

「お前はなんで走るんだ」

 

 だから俺は聞いてみたくなった。この質問を、ダービーウマ娘に。

 

「別に、どうでもいいでしょ。あなたには」

「そうだな。だがダービーウマ娘に聞きたいんだよ」

 

 去年のダービーウマ娘(スペシヤルウィーク)は宝塚記念でおかしくなってしまった。一昨年のダービーウマ娘は周囲を見返して、勢いそのままにターフを去った。

 ダービーは世代の頂点を決めるレースだ。その頂点を獲って、想いがまだ変質していないであろう彼女にこそ、聞いてみたかった。

 

「お前はなんで、勝とうと思ったんだ」

 

 今年のダービーのことは知っている。あの競り合い、命を削るような戦い。なぜ勝てたのかと聞かれれば、誰もが想いの強さを理由に挙げるのではないだろうか。

 ――――ダービーに、あの場所にいたら。どんな走りをしただろうか。俺は。

 

「勝たなきゃいけないからよ」

 

 義務感。そんな言葉すら相応しくない、何か。

 

「どんなことをしても勝つ、って顔だな」

「当たり前でしょ。私の勝利は、私だけのものではないのだから」

「そうかよ」

 

 誰かのために走れる。それがどれほど希有なことか。

 

「俺には分からねぇな。俺は俺のためにしか走れない」

 

 ウマ娘は走るために生まれてきた。けれども走る理由は違う。

 

 ブライトは愛するメジロのために、フクキタルは信じるシラオキ様(?)のために、そしてアイツは……サイレンススズカは、ただ自分のペースで走るため。

 

「ウサギはゴールしていた、か」

「なんの話よ」

「いや、こっちの話」

 

 それでも。目指す場所はいつもひとつ、ゴールだけだった。

 これはブレてはいけない、絶対的な指標でなければならない。

 

 それとも、レースから逃げることに「価値」を見出す奴もいるのだろうか。

 

「次は菊花賞か」

「そのまえに、京都新聞杯を挟むけれど」

「そうか」

 

 まあ頑張れよと、コップと踵を返そうとしたところで。違和感。

 

「……お前、どっか痛めてんのか?」

 

 直感、というほどではなかった。ただそれは、()()を切望したばかりに身体と魂を悪魔に売り渡した同期たちに似ていた。

 

「なんの話よ」

 

 鋭くなる視線――――ああ、クソ。これはビンゴだ。

 

「その様子だとトレーナーにも話してなさそうだな」

「勝手なこと言わないで。私はなんともないわ」

 

 そう言ってぶっ壊れた奴が何人もいる。

 次のレースは穴場だから、来年度の学費が危ういから、大切なヒトに勝利を捧げる――――そんなバ鹿らしい理由で不調を押してレースに出走する奴らがいる。

 

 もうシニアも2年目だ。同期の数はずいぶんと減った。

 

「いいから見せろ」

「触らないでッ!」

 

 つまり不調は触られると分かる場所――――脚、ウマ娘の命。

 しかも夏合宿でトレーニングが出来ているのなら、今はまだ大丈夫なだけで、放置が悪化に直結するタイプの異常……で、それが分かった所でどうするというのだ。

 

「……異常はないの。それは本当、病院にも診て貰ってる」

「俺は医者じゃねぇ。そんなことは知らん」

「異常がなければ出走するべきでしょ。次の菊花賞は、私が勝たないといけないの……私はまだ、あの子に勝利をあげられてないから」

 

 なにも出来やしない。学生に学生を止める権利などありはしない。トレーナーですら止められない。ウマ娘が本気になれば、契約解除して別のトレーナーから名義を借りて出走すればいい。G1ウマ娘には、それが許されるだけの才能がある。

 だが、それでどれだけの人間が振り回されるか、どいつもこいつも理解してない。

 

「皐月賞はフロックだった」

「は?」

 

 アドマイヤベガの顔が変わる。当然だ。俺はいま、三強の一角であるテイエムオペラオーのことを「マグレ勝ち(フロツク)」呼ばわりした……と、コイツは思うのだろう。

 

「勝手なこと言わないで、彼女は」

「今年の話じゃねぇ。一昨年の話だ。たいして人気もねぇ逃げウマが勝った。みんなビックリした。メディアも追いかけてなくて悔しかったんだろうな。これは偶然の産物、本命は予定通りダービーで勝つ。そんな論調がどこからか始まって、広がった」

 

 どいつもコイツもダービーに拘る。どこかの留学生は、優勝レイはいらない、記録もいらない、誰も邪魔しない。だからダービーを走らせてくれと言った。そんな呪いのような魅力を持つダービーの前では、同格のはずの皐月賞すら霞んでしまう。

 

「バカな話だよな。レースに絶対はないとかいいながら、皐月賞は偶然だとよ。それが皐月賞を勝った奴をどれだけコケにしているのか気付かねえ」

 

 もしくは、気付いていて見ないフリをする。

 どうせ皐月賞は勝ったんだからいいだろと。

 ちょっとした有名税みたいなもんだろと。

 

「で、アイツはキレた。当たり前だよな、俺でもキレたかもしんねぇ……だからアイツはダービーを獲った」

 

 文字通り、全てを犠牲にして。

 

「……アイツ、なんて叫んでたのかな」

 

 ざまあみろ、だとしたら。アイツのゴールを誰かが変えちまったってことになる。

 そこでぶっ壊れてもゴールにたどり着いたと、満足して学園を去ったことになる。

 

「だが、そんなゴール。俺は認めねぇ」

 

 だから絶対に壊れてやるもんかと誓った。本格化が終わるまで走って走って走りまくって、生き残ってやると決めた。シルバー・ブロンズコレクター? いいじゃねぇかよ、賞金はそこらのG1ウマ娘よりも多いぜ?

 

「知らないわよ、あなたの話なんて」

「だろうな。俺の物語はつまらねぇ……で、お前のレースは面白いのかよ」

「面白い?」

 

 眉をひそめるアドマイヤベガ。

 

「私は、楽しむために走ってる訳じゃないわ」

 

 そうだろうとも。楽しいから走る奴なんて一握りもいない。ハイペースでキロ単位の距離を走るのだ。息は苦しいし、脚もすぐに重くなる。

 

「私は勝つために走っているの……あなたには分からないでしょうね」

 

 分からないとも。俺なら脚をぶっ壊しても勝とうなんて考えないから。

 そして、だからこそ俺はG1を勝てないのだろう。そういう理性の()()が外れていなければ、最終直線で勝利をもぎ取ることはできないのだろう。

 それでも。ひとつ分かることはある。

 

「けど、面白かったぞ。今年のダービーは」

「……そう」

 

 意地と意地の、命のぶつかり合い。URAが脚本を描かなくても生まれる熱気。

 やはりレースは、焼き肉に似ている。もう食べられないと思っても、本当に苦しくなるまで求めてしまう。そういう魔力が、レースにはある。

 

「お前だって、楽しかったんじゃないのかよ」

「あなたの言ってることが分からないわね」

 

 そうだろう。これは言って分かることじゃない。

 

 

「お前も4年走れば分かる。それじゃあな、スープごちそうさん」

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 そして夏合宿が終わり、秋シーズンの前哨戦が始まる。

 

「スペシャルウィークさま~。おまちしておりましたわぁ~」

 

 メジロブライトがパドックで睨むのは、黒鹿毛のウマ娘。耳飾りは紫のリボン。

 

「は、はい……よろしくお願いします……!」

 

 先輩相手で緊張しているのだろう。ハキハキと返すスペシャルウィークはいつも通りに見えるが、やはり覇気が感じられない。

 やっぱりダメか。宝塚の時点からそうだったが、完全に自分を見失っている。

 

 問題はブライトの方だ。スペシャルウィークに剣呑な視線を注ぐ彼女は、今にも腕を絡めて「酷い有様ですわぁ」とでも言いたげ。もっとも外野からは、何も考えていないようにしか見えないのだろうが。

 

「アイツ、相当怒ってるな……」

 

 こういうときは、君子危うきに近寄らずである。

 

「ハーッ! ハッハッハッ!」

 

 しかし覇王はやってくる。その名をテイエムオペラオー。

 

「君がステイゴールドさんだね! 我が麗しの騎士(ライバル)、アヤベさんを手に掛けたッ!」

「なんだお前」

「だがボクは怒らないよ! 怒ったウマ娘はかき乱された泉と同じ、泥だらけで見苦しく、純真さ、美しさの欠片もない……そう、このボクと真逆の存在なのだから!」

「ひとつ訂正させろ、俺はなにもしてねぇ」

「であるからこそ今日! このテイエムオペラオーは君と、そして全ての前世代に宣戦布告をしようではないか! いまこそ世紀末覇王の伝説が始まるのだとッ!」

「コイツ……もしかして話を聞かないタイプか?」

「見ているかいアヤベさんッ! キミの仇はこのボクが討ち取ってあげよう!」

 

 話を聞かない奴がパドック観覧エリアの一角に視線を注ぐ。

 そこにはもちろんアドマイヤベガの姿。なんだなんだと周囲の視線が集まる。

 

「……おい、コイツをなんとかしてくれ」

「知らないわよ。私だって、迷惑しているの」

「なにを言うアヤベさん! 君はもうオペラオー軍団の騎士ではないか! 騎士を守るのは覇王のつとめなのさ!」

「はわわぁ~、さすがですぅオペラオーさぁん~!」

 

 アドマイヤベガの隣でメイショウドトウが感激している。その横にはフクキタル。

 

「なんだかよく分かりませんが、ステゴさんッお覚悟……ッ! まあ倒すのは私ではなく皆さんですが。あ! ブライトさんも頑張ってくださいねぇ~~~!」

「フク、お前だけは覚えとけよマジで」

 

 

「しかしこうは思わないかな。ステイゴールドさん」

 

 刹那、空気が変わる。先ほどまでのおちゃらけた雰囲気はどこへやら、テイエムオペラオーが真剣な眼差しを注いでくる。

 

「今のトゥインクル・シリーズはまさに嵐、風が吹き荒れ、雨粒に瞼を開くことも叶わない――――ボクたちは見るべきモノを見失いつつあると!」

 

 チラリと一瞬、彼女はメジロブライトとスペシャルウィークに目をやる。言及こそしないが……というやつだろうか。

 

「例えは分からんが、言いたいことは分かる」

「そうとも。そしてボクは思ったのさ……世界は大きな損失を払っていると!」

「急にスケールがデカくなったな」

「当然さ! なにせ世界は、このテイエムオペラオー。世紀末覇王たるボクの輝きを目にしなければならないのだからね!」

 

 なに言ってんだコイツ。

 しかし今に始まったことではないのだろう。みればアドマイヤベガなど、頭を抑えて今にも倒れそうではないか。

 

「まあ、そうか。頑張れ」

「なんと! ボクを応援してくれるなんて嬉しいよ、ステイゴールドさん。もしよければ我が覇王軍団に加わらないか? キミには運命を感じる!」

「そうかよ。断る」

「なんと?」

 

 そんなに驚くようなことか? しかし覇王はめげない、しょげない。

 

「ならば仕方あるまい……やはりボクは、君たちに宣戦布告をしようではないか!」

 

 バッ、と。マントを拡げるように腕を開くテイエムオペラオー。もっとも今日のレースはG2京都大賞典、体操着ではなんとも締まりが悪いが……流石は皐月賞ウマ娘。豪奢なマントを幻視してしまうだけの貫禄が、そこにはあった。

 

「ここに闘争の始まりを宣言しよう、我が覇王世代と黄金世代! どちらが本当に最強の世代なのかをかけてッ! さぁステイゴールドさんっ、いざ尋常に勝負!」

「まて。言っとくが、俺は黄金世代じゃねぇぞ」

「なにッ! そうなのかいステイ()()()()さん!」

「お前さては俺のこと何にも知らねぇな?」

「知っているとも! キミはウマ娘! そしてレースを走ろうとしている!」

「最低限のことしか分かってねぇじゃねえかッ!」

 

 なんなんだコイツは。アドマイヤベガに視線を送る。

 

「……安心して、いつものことだから……」

「なんだ、その……大変だな、お前も」

 

 

 正直に言うと、この日の俺は少し安心していた。

 

 スペシャルウィークはもう()()()()()をつけていなかったし、アドマイヤベガからも破滅に向かうような()()は感じられなくなっている。

 テイエムオペラオーに目をつけられたのは理解不能だが、G1ウマ娘連中の間で勝手に自己完結しているのならそれでもいいと思う。

 

 そして、そのせいもあって。俺は失念していた。

 

 ウサギとカメの話。あの教訓は、こう語っている。

 

 

 ――――ウサギはカメを見ていたが、カメはゴールをみていた。

 

 

 

『……勝ったのはツルマルツヨシィッ! 遅れてきた秘密兵器、ここで炸裂っ!』

「ああっ! 負けても美しいボクッ! しかし次はこうはいかないよ! 覚悟しておきたまえツルマルツヨシさん! はーっはっはっはっは!」

「マジでなんなんだコイツ……」

 人生には目標がいくらでもあるが、レースの目標はひとつだけ。

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

「あれ……わたし、」

 

 

 

 

どうやって走ってたんだっけ

 

 

 

 

 

カメの見据えるゴールがどこかは、

最後まで誰にも分からないことを。

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