逃げるなサイレンススズカ   作:帝都造営

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あの景色

 

 有マ記念。

 

 秋期G1シリーズの最終幕、年末の総決算。

 ファン投票で選ばれたウマ娘だけが集うグランプリレースは、枠番抽選も公開で行われる。

 

「やあやあ黄金さん。京都大賞典以来だね!」

「ステイゴールドな」

「そうだったね! ステイゴールドさん。黄金の旅路とは、なんて麗しい名前だろうか。もっとも、テイエムオペラオー。ボクの名前の麗しさには及ばないがね!」

「うっせ、余計なお世話だ」

 

 これに付き合っていては疲れてしまう。アドマイヤベガが受け流すのも納得だ。

 

「(それにしても……)」

 

 今日の抽選イベントは勝負服着用。

 貴族の戦装束を意識したのであろう覇王の佇まいは立派なものだが、その威光は服よりむしろその下に潜む肉体が生み出したモノ。

 心身ともに充実――――彼女の今を表す言葉は、それで十分。

 

「しかし残念だった。菊の舞台でも観衆にボクの美しさを広めようと思っていたのだけれど……しかし、うむ。ファンは分かっていてくれたようだね! このテイエムオペラオーこそがトゥインクルシリーズの中心であると!」

「お前そんなに最上位って訳でもないだろ」

「なにっ! そうなのかい?」

「……見てないのかよ」

 

 グランプリ投票はだいたいそんなものである。

 トゥインクル・シリーズはドラマで成り立っている。長い間活躍し続けたウマ娘は、それだけ多くのドラマを生み出す。観客はドラマに酔いしれ、そうして夢中になっていく。

 人気はクラシック期より、シニア期のウマ娘に集中しやすい。

 

 もっとも、今回ばかりは例外だろう。

 

『それではさっそく、出走ウマ娘の皆さんからコメントを頂きましょう。スペシャルウィークさん、ファン投票人気第一位! おめでとうございます!』

 

 インタビュアーの質問を受けスペシャルウィークが淡々と話し始める。淡々と。

 

「ありがとうございます。嬉しいです」

『グランプリ三連覇を狙うグラスワンダーさんを抑えての一位となりましたね!』

「そうですね。宝塚記念では負けてしまいましたが、今回は負けません」

 

 その言葉に、会場の空気がピタリと止まる。にこやかに笑みを崩さないスペシャルウィーク、笑顔を貼り付けたグラスワンダー……そして。

 

『そして、今回の有マ記念は黄金世代そろい踏みとなりましたね! 欧州遠征から舞い戻ったエルコンドルパサーさん、シニア期から頭角を現した最終兵器ツルマルツヨシさん。クラシックからのライバル、セイウンスカイさんにキングヘイローさん!』

「はい。ですがやることは変わらないと思っています」

 

 夢の続きを、その結末を。皆さんに、私はお見せします。

 宝塚記念の時と同じ。洗練された脚本の台詞。自分を徹底的に殺すスペシャルウィークもそうだが、その意図に迷うことなく乗っかるインタビュアーも大概だ。

 

『そうですね。()()()()大逃げに、沢山の人が夢を見ています。楽しみですね!』

 

 URAは興業団体。メディアは焼き網、俺たちは肉。

 大飯喰らいの観客のために、永遠にドラマを生産し続ける機械。

 食べ放題よりタチの悪い、制限時間なしの焼き肉だ。

 

『では続いて、エルコンドルパサーさん。ヨーロッパ遠征、お疲れ様でした。有マ記念には電撃参戦でしたが、どのような心持ちだったのでしょうか?』

「どのような? そんなの、聞くまでもないんじゃないデスカー?」

 

 ニヤリと笑って、エルコンドルパサーがマイクを奪う。

 バッと一跳び、壇上に鷹が踊り舞う。

 

「ワタシは今日、その夢を終わらせにきたのデース!」

 

 走ったのは、どよめき。いや、焦り。当たり前だろう、エルコンドルパサーの眼に溢れてるのは、もはや表現しようのない――――怒り。

 

「スペちゃん! 私はガッカリデース。流星のようなアナタの差し脚と勝負したかったのに、今回も逃げ宣言デスカー?」

 

 ただそれも、まだ辛うじて制御されている。

 URAの不文律から、脚本から辛うじて外れない程度のプロレス。覆面レスラー風の勝負服を着こなすだけはある。

 それでも、会場の空気は十分に凍ってしまった。インタビュアーは返却されたマイクで次へ次へと演目を進めていくが、凍った空気が解ける気配はない。

 

「ふむ。どうやらこの世界はまだ闇に覆われているようだね。しかし賢人はこう言った、夜明け前が最も暗いと――――ならばボクはこう言おう、この闇は、世紀末覇王伝説の序曲なのだと!」

「はぁ……オペラオー。もう中継も始まってるんだから少し黙りなさい」

 

 横から割って入ったのはアドマイヤベガである。

 

「お前、もう大丈夫なのか」

「ご心配どうも」

「菊花賞、残念だったな」

「……いいえ、そうでもないわ」

 

 言葉の通りなら、彼女はきっと大丈夫なのだろう。それが少し羨ましい。

 

「ふふん。そうだろう。羨ましいだろうともステイゴールドさん! ボクは世紀末覇王。そしてボクらの世代は覇王軍団!」

「そうですね! みせてあげましょう、私たちの力を!」

 

 そして応じるのは今期クラシック世代三強のひとり、ナリタトップロード。今年の菊花賞ウマ娘であり、おそらく世代の中では一番に勝利を期待されているウマ娘。

 クラシックを走った同期は殆ど消えてしまった。漂う空気はともかく揃った黄金世代、覇王世代のなんと幸福なことか。こちらの同期は皐月賞も、ダービーも……。

 

「あの~、ステゴさん。もしかして私のこと、お忘れになっておられます?」

「ん……? フクか。なんて格好してるんだお前」

「ヒドい扱いッ! こんなにハッピーアイテムで埋め尽くしているのにッ?」

 

 ハッ、もしや今日の星座占いにご不満でもッ! そういや朝になんか言ってきた気もするマチカネフクキタルが妙な叫び声をあげる。

 どうやら今回の有マ記念にむけて、勝負服を新調してきたらしい。にゃーさんなる招き猫を背負っていた前の勝負服も大概だったが、今回のもなかなか意味が分からない。なんか紙袋持ってるし。

 

「ステイゴールドさまぁ~、私も。ここにいますよぉ」

「ブライトか……」

 

 毎度離してくれない同期コンビ。もはや安心感すら……いや、逆か。

 すると、こいつらも俺と同じ気持ちなのかもしれない。俺たちは残された側だ。

 

「なあ。お前ら」

「ステイゴールドさま」

 

 そっとブライトが指を口元に立てる。口にしては面白くないとばかりに。

 

「わたくしたち、考えていることはきっと同じですわよ」

「……そうだな」

「ええっ? お二方どういうことですかッ! マッタクワケワカラヌなのですが!」

「お前はそれでいいよ、フク」

 

 どうせここに来ている時点で、コイツもゴールを見ているのだろうから。

 俺たちはカメ。既にゴールしたウサギと違い、ノコノコここまで来てしまった。

 

『それでは、いよいよ枠番抽選に……』

「その抽選、少し待っては貰えないだろうか?」

 

 次の瞬間、会場の一角が騒然となる。ガタンと大きな音を立て扉が開かれた。

 その姿は伝説。深緑の勝負服に並ぶのは制覇した数々のG1。凍り付きそうな会場を溶かす……溶かすどころか燃やしかねない、劇薬。

 

「えっ、シンボリルドルフ会長……!」

 

 真っ先に声をあげたのはツルマルツヨシ。うわぁと喜色満面な彼女と対照的に、会場の過半は困惑顔――――こういう時に見るべきはURAの職員だ。どこか満足げな彼らの顔を見れば分かる。

 仕込んでやがったな、コイツら。

 

「時機到来とはまさにこのこと。現役を退かずに今日まで活動してきた甲斐があったというものだよ……危うく除外されるところだったけれどね」

 

 記者陣が海のように割れる。学園生徒会長、シンボリルドルフがこちらに迫る。

 

「驚いたな、現役を退いたも同然の会長に投票し続けるファンがいるとは」

「ファンとは、夢とは、そういうものなのだよ。キミもいつか分かるさ」

「……G1を勝ったこともないウマ娘相手によく言うよ、本当に。冷やかしって訳じゃねえんだろ?」

「当然。前線を退いたウマ娘が勝つべき時は今と、そう私が判断したのだから」

 

 そう、どいつもコイツも傲慢だ。

 ここにいる殆どがG1ウマ娘、栄冠を、たったひとつの頂点を獲ったウマ娘ばかり。故に許される。誰にも文句は言わせない。

 

 そしてスペシャルウィークもまた、誰にも文句を言わせず夢を完成させようとしている。天皇賞秋で垣間見えたまっすぐな大地と太陽を、完成させようとしている。

 

「アンタは止めに来たのか?」

「まさか。止めるはずがない。彼女は皆の求めた『夢』そのものになりつつある……であるからこそ、観てみたいじゃないか。その夢がどこに行きつくのか」

 

 お前もか、お前もなのかシンボリルドルフ。

 

「私は示したい。夢とは再び描いても良いと。何度描いても描き足りないと」

「何が言いてえのかは分からないが、面倒そうなことを考えているのは分かった」

「……本当に不思議だ。君の世代は本当に強いんだな」

 

 なに言ってんだコイツ。

 

「君ほどのウマ娘がG1を勝てない。それでも未だに、君からは揺るぎない闘志を感じる……私の時にも、君のようなウマ娘がいてくれたなら」

「居ただろうよ」

 

 そしてそれを皇帝シンボリルドルフは踏み潰した。以上それだけである。

 

「そうだと、喜ばしいのだがね」

 

 話はこれで終いだと言わんばかりにインタビュアーへと脚を向ける七冠バは傲慢そのもの。そしてこれこそ、G1ウマ娘が備えているべき素養。

 アレが、あれらが、俺の前に立ちはだかることになる障壁。

 

「やってやろうじゃねえか」

 

 俺は、俺のゴールのために。

 有マ記念が、始まる。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 ファンファーレが鳴る。特別なファンファーレが。

 返しウマで準備運動を終え、ゲート前で精神集中を整えた13名のウマ娘がゆっくりとゲートに収まっていく。

 会話はない。が、誰もがスペシャルウィークに意識を向けている。一番人気なのだから、当然と言えば当然だが……。

 

『ゲートインが始まっています。ナリタトップロード、続いてスペシャルウィーク』

 

 有マ記念は祭りではなかったのか。抽選会の時と同じ、凍り付いた空気。寒気にも負けない熱が身体から立ち上るが、このゲートを溶かすことは叶わない。

 係員が無言で誘導。一歩一歩、歩幅を確認して鉄格子の中へと収まれば、ほどなく隣にも気配が収まる。狭苦しいゲートに押し込められた気配たちが解放の時を待つ。

 

 引き潮のように静まる歓声。モーターに通電する音――――いま。

 

『スタートしました』

 

 芝が、中山が、2500が。俺たちを出迎える。早くも爆発する歓声。

 

『出遅れはありません。スペシャルウィーク前に出る、先頭です。続いてセイウンスカイ、早くも1バ身ほど開いて内ナリタトップロード外エルコンドルパサー。テイエムオペラオー追走。その後ろにステイゴールド』

 

 進路が塞がれていく。中山2500はスタート直後に第3コーナーが控えている。外枠の不利を回避しようとする動きが、早くも複雑なコース取りを迫ってくる。

 スペシャルウィークは当然先頭、天皇賞では控えたセイウンスカイが早くも先頭争いを仕掛けている。その後ろのエルコンドルパサーたちが王道の先行。

 逃げウマが競り合えばレースはハイペースになる。

 まして相手は夢の後継者スペシャルウィークと策士セイウンスカイ。先行集団は流石に逃げには付き合わないかと思われた……が。

 

『最初のコーナー、逃げが引き離すか。いやエルコンドルパサー離れない』

 

 どうやらエルコンドルパサー、宣言通り本気でスペシャルウィークを競り潰しにいく腹積もりらしい――――それはセイウンスカイとも競り合う茨の道だ。

 

「アイツらは無視した方がよさそうだな」

 

 既に破滅逃げのペース。脚を残すためにも、ここは控えて、中団でひっそりと。

 

「あら。それで間に合うのですか? ステゴ先輩?」

 

 刺すような空気。

 

「お前……っ」

『2番人気グラスワンダーはここにいます。ステイゴールドをぴったりマーク』

 

 グラスワンダーだけが静止画に変わる。脚の降ろし方から地面のえぐり方まで、その全てにあわせるかのような動き。

 徹底マーク。ミキサーにかけられたお好み焼きの具みたいに位置が入り乱れる中団で、グラスワンダーの位置だけが変わらない。

 

「はっ、俺をマークするなんて。どうかしてるんじゃねぇのか?」

「いえ。あなたは、誰よりも見えているはずです」

 

 なにが――――とは、もはや言うまい。

 

「どうだかな。挟まれて動けないだけかもしれねぇぜ?」

 

 中団は完全な混戦状態。エルコンドルパサーが大逃げ2人を追って進出した結果、相対的にテイエムオペラオーとナリタトップロードが後退。逆に大逃げ2人の突出に焦ったのだろう。後方集団は遅れて加速をかけ始めている。

 結果として逃げ・先行・差し・追込という伝統的な4集団は、いまや大逃げに先行、そして残りと言った具合に潰れつつある。

 

 そして俺は、潰れた中団のど真ん中に封じ込められた格好――――客観的に見れば、明らかに身動きが取れなくなっているだけ。

 

「答えは、すぐに分かりますよ。先輩」

『不気味だ、不気味だぞグラスワンダー。先頭集団は最初のホームストレッチへ』

 

 コーナーが終わる。すぐに坂が待ち構えている。中山レース場名物の急勾配。しかしG1クラスが勢揃いする有マ記念で、まさか脱落者が出るはずもない。

 

 速度も落とさず、先頭を平然と走るスペシャルウィーク。観衆はもはや驚かない。

 行け、頑張れ、彼女を応援する声だけが届く。

 まるでスペシャルウィークが、夢そのものであるかのように。

 

 

 ――――――誰でもよかったのよ。夢を見れるなら、誰でも。

 

 

 もしも、アイツの言葉が真実なのだとしたら。

 スペシャルウィークの走りは、もはや借り物でも、紛い物でもない。

 

「(クソ、余計なことを考えるな。今はただ、ただ。この坂を乗り越えて……)」

 

 坂を登る。ゴール板が脇を通り過ぎる。あと一周、およそ1700メートル。

 

『先頭スペシャルウィークのまま、1コーナーへ。セイウンスカイ変わらず……』

 

 脚と共に頭を回す。突破口は最後まで現れないだろう。最終直線から並んでよーいドン。ハイペースな展開にありがちなお約束。

 こういう場合、逃げ先行集団が垂れてきて4コーナーで団子になるのがお約束だが……セイウンスカイは長距離を得意とするステイヤー。スペシャルウィークはともかく、彼女が垂れることはないだろう。

 

 となれば、やはり早仕掛けを行うしかないか。

 向こう正面は逸りすぎとしても、それなりに早く仕掛けることが求められる。

 

『……の後ろにステイゴールド、横目にグラスワンダー。外にシンボリルドルフ内はツルマルツヨシ、1バ身離れてマチカネフクキタル、メジロブライト……』

 

 コーナーを回りながら後続を見る。最初に仕掛けるのは誰だ? 最有力長距離走者(ステイヤー)のメジロブライトか。フクの奴は直線勝負だろうが、先頭との距離は大丈夫か?

 

 ついつい同期に視線が向いてしまうが、それもひとつの指標にはなる。ブライトが仕掛けたタイミングは俺にとって早すぎて、フクキタルが仕掛ける頃には手遅れ。

 そして困ったことに、彼女らが最適なタイミングを看破しているとは限らない。

 

 結局は己の身体を把握しているかどうか。ロングスパートのスタミナか、直線勝負のパワーか。幸いどちらの選択肢もまだ己の手の中にある。

 なにせ破滅的なペースにも関わらず、脚は鈍る気配が――――……ん?

 

 違和感の正体は考えるまでもない。

 鈍る気配がない? このハイペースで。

 

「(やられた)」

 

 ハイペースというが、まさかターフの上に時計を持ち込めるわけがない。全ては経験則、大抵のウマ娘が頼りにするのは――――逃げウマ娘の背中。

 

『序盤とは打って変わってスローペースか? 1000メートルタイムは……』

 

 誰だ、誰が何処で仕込んだ、なんて。理由を探すまでもないではないか。

 

 スペシャルウィークに最初に仕掛けたのは誰だ。

 ずっと彼女と競り合っていたのは誰だ。

 2コーナーを睨む。そこに差し掛かった芦毛のウマ娘と、眼がバチリと合う。

 

「……おっと、もう気付いちゃいます? 流石ですねぇ先輩」

 

 疲れとは、疲労とは生物としての危険信号。だから誰しも疲れ()()敏感になる。ゆえにその逆、()()()()()()状況までは、気が回らない。

 

 中山レース場は幻惑逃げの環境としては最高だ。四大レース場の中では最小のコーナー半径に急勾配の上り坂、短い直線。ペースが変わるのは当然のことであり、ウマ娘は無意識に基準を求めてしまう――――逃げウマ娘という、基準を。

 

「さぁて、もうみんな十分息を入れた(やすんだ)よね?」

 

 基準は、このレースに逃げウマは1人しかいなかったのだ。大逃げスペシャルウィークは「逃げ()差す」のが限界で、基準となる逃げウマの存在は欠かせなくて。

 

「逃げウマは、2人もいらないんだよ」

 

 騙したのだ、彼女は。スペシャルウィークすらも。

 

『2コーナー回ってスペシャルウィーク変わらず先頭、4バ身後ろセイウンスカイ』

 

 4バ身離れている。のではない。4バ身しか離れていないのだ。坂かコーナーかはしらない、だが何処かで確実に、大幅に減速した箇所があったはずなのに。

 

「本物の逃げウマが誰なのか、わからせてあげるよ」

 

 セイウンスカイ――――レース場を支配した逃げウマ娘が、動く。

 

「さぁスペちゃん、踊ろうか!」

 

 ターフが舗装されていく。柔らかい土を踏みしめるくぐもった音ではない。合板の床、蹄鉄の一挙一足を聞き逃さない鋭く硬質なダンスフロア。

 

『セイウンスカイ仕掛けた。早くもスペシャルウィークに襲いかかる!』

 

 盤面が大きく動いていく。いや正確には、ここまで裏で進めてきた盤面をセイウンスカイがいきなりオープンにした。これは不味い。

 逃げウマの勝利条件は差しと追込のウマ娘に脚を使わせないこと。スローペースに持ち込み最後の最後までにらみ合いが続いたなら、逃げて笑うのは逃げウマだけ。

 ……少々賭けだが、やるしかないか。

 

「おい、帝国歌劇王」

「それはもしかしてボクのことを言っているのかい?」

 

 同じくコーナーで周囲の状況把握をしていたテイエムオペラオーの注意を引く。無視される可能性も十分にあったが、向こうはあっさりと応じてくれた。

 

「なかなかやるじゃねぇか。この()()()()()で息を切らさないなんてな」

「フッ――――それはそうとも、なにせボクは世紀末覇王!」

「だが今日は世紀末じゃねえんだよ」

 

 そう、今はまだ。彼女には経験が足りない。

 クラシックからの有マ記念挑戦は、常に経験値の差に晒される……まぁ、俺をマークしているウマ娘はそのクラシックで有マを勝っている訳だから、一概にこうとはいえないが。

 

「ここは有馬記念だ。そしてお前の相手は京都大賞典で勝ったツルマルツヨシ、そしてグランプリ連覇を狙うグラスワンダー」

「ご自分のことを棚にあげるなんて……謙遜も過ぎればなんとやら、ですよ?」

「口を挟むとはずいぶん()()()()()()()だなぁ? グラスワンダー」

 

 グラスワンダーの援護射撃。向こうもマーク相手に沈まれちゃ困るということだろうが……まあいい、3コーナーまでは一蓮托生だ。

 

「なにっ……? グラスワンダーさんも余裕があるのかい? ……ではこれは、ボクの成長が凄まじすぎてテイエムオペラオーをも超えてしまったということではない……ということかッ?」

 

 何を言っているのかは分からないが。ともかく、これで気付いたことだろう。

 

「こうしてはいられない……ッ! いくよっ、トップロードさん!」

「ええっ? オペラオーちゃんっ?」

『テイエムオペラオー進出、アウトコースにナリタトップロード』

『前半のスローペースからの巻き返しを図ろうということでしょう、先頭からシンガリまでおよそ15バ身。縦長の展開となりつつあります』

 

 これで前が空いた。当然こっちも進出。

 団子状になった中団がほどけて、先行と差し追込に分離していく。

 

「お見事です、先輩」

「褒められた気がしねぇな」

「ちゃーんと、褒めておりますよ? 先輩をマークして正解でした♪」

 

 顔を見る余裕はないが、きっとニコニコ笑顔なのだろう。とんでもねぇ化け物め。

 

「とはいえ、まだ最悪の線が消えただけだぞ」

 

 前半の1000メートルはもはや覆せない。スローペースにまんまと乗せられ、これでセイウンスカイの相手はたった1人になった。

 

『向こう正面、セイウンスカイがもう一度仕掛ける。まだスペシャルウィーク先頭、しかし並ぶか。まだ並ばない! 逃げウマ同士の一騎打ち!』

 

 コーナーが終わる。こちらも向こう正面へと入る、先頭は激闘、3番手を守るエルコンドルパサーは現時点で唯一先頭を差せる位置。それ以降は届かない。

 

 誰もが思うはずだ。この展開はマズいと。やはり早仕掛けしかないと。

 だがいつだ? どこで仕掛けるのが最適だ? 4コーナーからでは間に合わない。向こう正面は早すぎる。3コーナーでは外を回る不利が許容できない。

 残り1200メートル、つまり既に1300メートル走っているのである。今からスプリンターになってぶっ壊れるまで走れと?

 

 ……ぶっ壊れるまで走るだけの価値が、このトゥインクル・シリーズにあるのか?

 

「(クソ、無駄なこと考えんな。勝ちを探らねぇ訳にはいかねえんだ!)」

 

 URAは興業団体だ。ゆえに彼らは勝てないウマ娘より、勝とうとしないウマ娘を排斥する。

 競走規定にも意図的に手を抜いた場合の処分項目が存在する。

 トゥインクル・シリーズとは、レースとは。そういうものなのだ。

 

 ルールがあって、スタートがあって、だからこそゴールがある。

 

 

 ――――――私は、走るのが好きなの。

 

 

 アイツの言葉が響く。縛られるのがイヤだから逃げたのかよ、そんなつまらねぇ理由で逃げたのかよ。お前は。

 

『だがスペシャルウィークだ、スペシャルウィーク譲らない、先頭を譲らないッ!』

 

 じゃあそのつまらねぇ理由(レース)に縛られ続ける俺たちは、なんなんだよ。

 

「……――――はッ! みえました! みえましたよぉシラオキ様ぁッ!」

 

 鋭く素っ頓狂な叫び声が耳を突く。

 

『マチカネフクキタル仕掛けたッ、マチカネフクキタル、向こう正面で前に出る!』

「はぁぁぁぁあぁぁぁああああ――――――ッ!」

 

 ぐんと伸びる。はやくも脚を使わんとばかりの加速が襲う。徐々にペースを取り戻しつつあった差し追込集団をフクキタルがごぼう抜き。

 

「そこ、なのですね」

 

 間髪入れずに応じたのはメジロブライト、さっとバ群を抜ける。

 

「お前ら無茶だ! 早すぎる!」

「それはシラオキ様が決めることですっ! ワタシの知ったことではありません!」

「わたくし、のんびり屋さんですので~」

 

 勢いよくフクキタル、ブライトはあくまでロングスパート。

 しかしこれで、盤面はついに地盤崩壊を起こす。

 

「早すぎる……でもっ、もう仕掛けなきゃってことよね……!」

 

 まず最初にアドマイヤベガが釣られた。追込位置につけていた彼女からでは遙か遠くの逃げと動き出したフク、ブライトしか見えていない。

 

「来たねッ! 我が麗しのライバルっ!」

「アヤベさん……勝負です! なんかいだって、勝負ですッ!」

 

 動き始める覇王軍団。雪崩を打って差し追込集団が崩れ始める。

 

「ふふ、ふふふ……本当に羨ましいとは思わないか?」

 

 そしてこの状況で笑うのが、皇帝の皇帝たる所以ということか。流石に応じる余裕がないので無視するが……というか、なんで同意を求めてくるんだよ。

 

「私も、同期たちと友誼を結べたら良かったのだがな」

「会長には、わたしがいるよ……ッ!」

 

 飛び出してくる声。周囲を走る気配が増す。誰だ? ツルマルツヨシか。

 

「分かっているとも。立派な後輩に恵まれて私は幸せ者だ。しかしね」

 

 それでも、君たちを得がたいモノだと思ってしまうのだよ。そんなことを言う皇帝、思った通りと言うべきか、コイツやっぱり面倒くさいこと考えてやがったな。

 

「時に、ステイゴールド。君は〈領域〉というものを知っているかな」

 

 おい、雑談してる場合じゃないんだぞ。どんだけ余裕なんだコイツは。

 

「ウマ娘は走るために生まれてきた。その走りは、多くの想いを受け継ぎ、周りへと伝播させていった。君はもしかすると、背負う気がないというのかもしれないが」

 

 なんだかムカつく言い回しである。別に俺だって、1人で走っているつもりなど毛頭ない。現に今、俺と他に12人で走っているではないか、有マ記念を。

 

「想いは目に見えないモノだ。しかし想いは、確かに私たちの脚を支えてくれている――――それが臨界点に達したとき、我々は限界を超える」

 

 それを〈領域〉と呼ぶのだと皇帝は言う。世界が揺らぐ音がする。

 

「3人だ」

 

 それは彼女に土をつけたウマ娘たち。皇帝の語らずにはいられない三度の敗北。

 

「勝者とは常に孤独だ。だからこそ願うよ、この世代の激突が……時代にひとつの、風穴をあけることを。さて――――それでは、始めようか」

 

 晴天の霹靂。中山レース場が真っ二つに割れる感覚。

 かつて世代を蹂躙し尽くした雷鳴が、目の前に落ちる。

 

『シンボリルドルフ進出、全体のペースが速い、向こう正面が終わる前に大きく動いた。先頭スペシャルウィークは3コーナーへ』

「くっ、まだまだぁ!」

 

 叫んだのはツルマルツヨシだった。雷が焼き尽くしたターフの上を、あろうことか皇帝に追いすがる。

 向こう見ずな追従ではない。焼き尽くされた道にこそ、障害のない道にこそ活路があると知っての即応。

 

 脚が早まる。焦りではない。いい加減、進出しなければならない時が来ている。

 

『先頭スペシャルウィーク、並んでセイウンスカイ。後ろにエルコンドルパサー』

「スズカさん……ッ! いきますよぉッ!」

 

 スペシャルウィークが、叫ぶ。先頭の彼女が星になる、降る流星、目指す一等星。

 

「やっぱり()()()? スペちゃん」

 

 横に並んだ芦毛の逃げウマが、笑う。何かの策がハマったかのように。

 

「すごいよ。すごいよね、あなたは差しウマなのにさ。誰かを追い抜かなきゃいけないのにさ……存在しない誰か(サイレンススズカ)を追い抜いて加速するなんて、ホントヒドい話だよ」

 

 3コーナーがまもなく終わる。

 

「だから、私も同じ土俵に立ってあげる」

 

 セイウンスカイの視界から黒鹿毛が()()()。完璧なレース配分、崩壊しつつある差し追込、最終コーナー、脚を残した先頭、()()()

 

 レースは旅のようなもの。セイウンスカイの旅は漂流のような航海。

 凪いだ海で寝そべる彼女は、しかし常に釣り上げるべき大物の存在を知っている。中山レース場のある船橋の街も、かつては海の底――――沈む沈む、彼女の術中にターフが沈む。

 

「させまセンヨっ! セイちゃんッ!」

 

 だがコンドルは飛ぶ。大地が海に沈もうと、世界に羽ばたいた荒鷲を止める術などない。おぉうやりますねぇエルちゃんと、芦毛は口角を釣り上げた。

 

 そして生まれるのは、破滅的な。いや、破滅済みのハイペース。

 

 早すぎる。ただでさえ早まっていたスピードがさらに加速する。これでは差し位置にまで順位を押し上げるどころではない――――なれば。早仕掛けが功を奏す。

 

「ぬぉおお、まだですッ!」

 

 フクキタルが走る。エルコンドルパサーに追随し、ルドルフの猛攻を凌ぐ。

 

「くっ、なんて。なんて速いんだッ! このボクよりも速いなんて!」

 

 しかし過半のウマ娘には速すぎるペースだ。先行集団は挽き潰され、ずるずると引き下ろされていく。

 

「はっ……!」

 

 深く息を吸う気配が聞こえた。もうここまで来ていたか。

 それはもう一つの流星。去った紫の流星に取って変わらんとする、碧色の流れ星。

 

『アドマイヤベガ先頭を狙うぞ。ステイゴールド、グラスワンダーまだ動かない!』

 

 焦ることはない。むしろここが仕掛け時。

 破滅したハイペースは前半のスローを完全に帳消しにしてみせたことだろう。もはや前方の有利はない。脚など何処にも、残ってはいない。

 一歩踏み込む。脚を身体ごと、芝に沈み込ませる。七万メートル積み重ねたレース勘、4年間費やして作り上げた身体が知っている。ここから飛べば――――届く!

 

『グラスワンダーついに仕掛けたッ! いや全く同時にステイゴールドも外に飛び出す! グラスワンダーまだマークか? それとも動いたのかッ!』

 

 流石はグランプリウマ娘と言うべきか、グラスワンダーのマークは完璧。こちらの狙いも十全に把握しているのだろう。

 アドマイヤベガは3コーナー前から外回りで突破を仕掛けている。彼女は既に脚を使い切っているはずだから、これ以上の不利は取れず確実に内に寄せてくる。

 言わば賭けだ。中山の最終コーナーに鋭く切り込み、内が空くほんの一瞬を狙う。

 今にも垂れてきそうなオペラオーたちの後ろに、敢えて陣取る。

 

「見かけによらずのギャンブラーじゃねぇか、すげえよお前」

「褒められてる気がしないわ……!」

 

 だが面白いではないか。意図しない仕掛けどころ、圧倒的な経験値と走力の差。それでも諦めることなく、最後まで勝ちを探る。ならば敬意を払って利用してやる。

 

「ステイゴールド、さらに外に持ち出す。内からグラスワンダー。先頭は未だにスペシャルウィーク、4コーナーを抜けるッ!」

 

 最終コーナー、この場にいる全員に限界が迫っている。大半のウマ娘がカードを切った、手札を隠している奴も使いどころを潰された。差し追込の執念の追随が、縦長の13人を団子に丸める。最終直線まで、あと少し。

 

 レースの伝統、一線に並んでよーいドンまで、あと少し。

 

「くぅう……っ!」

 

 しかし現実は非情である。視界に映る新緑の勝負服。最初に崩れたのは――――

 

「足りませんか、スピードが。どうしても足りませんか、速さが……!」

 

 

 ――――メジロブライト。その背中が迫る。想定外の背中だった。アドマイヤベガに内を事実上譲ったのは、先行の覇王軍団が垂れると踏んだから。

 いや、違う。ブライトは垂れてなどいないのだ。とっくに彼女は最高速度で走っているはずで、彼女のスタミナなら最後まで走り抜けられるはずなのだ。

 

 足りないのはスピード。メジロの追い求める強さとは異なる、速さ。

 

「ですが、全てはメジロの歴史のため……この刹那(とき)のため!」

 

 ――――ライアンお姉様、お力をお借りします。メジロブライトが脈動する。

 速度がなければパワーがあると言わんばかりに、芝を蹴りつけて跳ぶ。

 重戦車の如き怒濤の跳躍で、先頭へ迫る――――――そして。それが()()になる。

 

「負けないッ! 私()スズカさんを(まけられない)――――!」

 

 黒鹿毛が染まる。大地からの太陽で、宇宙から生えるターフで。

 コース整備で刈り揃えられたお行儀よい芝生ではない。

 ありふれた、忘れ去られた原野が広がっていく。

 

「――――――――――――――先頭の景色(サイレンススズカ)はッ!」

 

「させない!」「させないデース!」

 

 原野に躍り込む鷹と筏。原野を塗り替える荒野と海原。

 しかし夢は止まらない。止まるわけがない、止まれるはずがない。

 

「まだだッ、まだ終わらないよ……! ボクは!」

「私たちはッ!」

「…………」

 

 王冠が、頂点が、一番星が。三者三様の栄光が手を伸ばす。

 

「約束を守ると貴女は言わなかった、だからもう一度(こんどこそ)、私を叩きつけます!」

 

 グランプリの覇者が。

 

「素晴らしい! だが終わらんッ、シンボリルドルフ(このわたし)こそが最強のウマ娘(サイレンススズカ)だッ!」

「なら私が、会長を超えるんだぁッ!」

 

 皇帝が、その継承者が――――その全てが。

 

 

 幻想の景色(サイレンススズカ)に、飲み込まれていく。

 

 

 おい、スズカ。これがお前の望んだ景色なのかよ。

 原野が、何者をも寄せ付けず飲み込む原野が見える。

 それは生命を育む最初の試練。自由な風、背の低い草は草食動物に走れと囁く。

 それは魂をかたどる雄大な山々。見えざる手で人々を招き、裾野へと走らせる。

 そしてそれは――――太陽。イカロスの翼をもいだ、暴力のような夢そのもの。

 

「なぁ、これが、お前の景色なのかよ。お前はターフの上で、なにを見たんだ」

 

 言葉は常に自然のあとについて回る。まだ見ぬ景色は言葉にならない。できない。

 

「だとしたら、なんでお前はここにいないんだよ」

 

 レースは、トレセン学園は、俺たちの過ごした3年間は。

 お前にとっては全部窮屈で、無駄なものだったのかよ。

 存在しない景色は答えない。だがそれでも、ああクソ。答えが欲しくなる。

 俺もとっとと、ゴールに飛び込んでしまいたくなる。

 

 

 

「おばかッ!」

 

 

 

 声が聞こえた。後ろから――――……後ろから?

 

『内からキングヘイローッ!』

 

 その存在を疑った。目をこする余裕がないから脳味噌を洗った。

 いつ居た。どこから来た。いやそもそも、彼女は最初から何処に居た?

 

『最後方からキングヘイロー、ここで最内枠をぶち抜いたぞッッッ!』

「貴女たち、さっきから聞いていればスズカ先輩のことばかり!」

 

 叫ぶ。クラシック好走止まり。G1勝ちは未だなし。そんなキングヘイローが。

 

「スペシャルウィークさん! 私は、キングはずっと見ていたわよ! あなたの走りを、あなたの夢を…………なのに貴女はどうして! スズカ先輩に拘るのッ?」

 

 そりゃ、そうだろう。アイツは夢になってしまったのだ。

 未完成の夢に。それ故に誰も消すことの叶わない「夢」に。

 

「そんなの一流じゃない、自分を棄てて得られるモノなんて存在しないっ!」

 

 だからこのキングが、本当の一流を見せてあげるわ! 冠を持たぬ王者の一喝。芝は揺れなかっただろうが――――それでも。

 

「クソ、後輩に叱られるなんてな。それも、G1も獲ってねぇヤツに」

 

 

 ――――ずっと、見ていた。

 

 

 そうだよな。俺たちはずっと見ていた。サイレンススズカは強い。

 だがサイレンススズカは、決して最強のウマ娘ではない。

 クラシックを見ろ、ジュニアを見ろ。俺の言えた事じゃないが、ヒドイ走りだったんじゃないのか。狭くて窮屈な、アイツの嫌いなレースだったんだろ?

 それで、逃げて追いつかれなくて、いくつかのレースを勝って。それだけで。

 

 

 アイツは、「夢」(ドラマ)になっちまった。

 

 

「ふざけんなよ」

 

 そうだ。俺はずっとキレてるんだよ。

 勝手に逃げ出したヤツに、それを物語(ドラマ)に仕立てたヤツに。

 

「ふざけんな」

 

 

 ――――そんなチャチな物語に翻弄される、俺たちに。

 

 

「ふざけんなッ!」

 

 

 じゃあどうすればいい。俺はどうすればいい。

 このレース場で、トゥインクル・シリーズという箱庭の中で。

 

 

「否定してやろうか」

 

 

 アイツの走りを、あいつが作った夢を。

 

 

「なあ、お前を否定してやればいいのかよ。俺は」

 

 

 お前がもし中山(ここ)にいたのなら、差し切ってやるだけでよかったのに。

 

 

「競ってくれよ、走ってくれよ――――――レースから、逃げるなぁッ!」

 

 

 目の前の景色が目に付く。眩しすぎる、脚色された風景画(ドラマ)

 引き千切ってやる。咬み砕いて、飲み下して、お前の幻想(ゆめ)を、過去にしてやる!

 

 

 

邪魔だ(にげるな)ッ――――サイレンススズカぁ(スペシャルウィークッ)!」

 

 大地に噛みつく。草原を引き裂く。山々を殴り飛ばす。太陽を撃ち落とす。

 

「なにが夢だ! なにが最強だッ! お前は、お前は宝塚獲っただけじゃねえか!」

 

 夢が崩れ落ちていく。海は割れ、空は落ち、雲がかき消える。

 

 

 そして後には、なにも残らない。

 夢など最初から、存在していなかったのだから。

 

 

「はぁ、はぁ――――……」

 

 

 そして現実だけが残される。ここは中山レース場、最終直線。

 G1競走有マ記念。ゴールまでの距離、あと200。目の前には背中が沢山。

 

 

「くっそ、これだけかよ」

 

 バ群が揺れる。視界がにじむ。脚は景色を壊すのに使っちまった。

 俺は結局、ここまでのウマ娘だったってこと。

 

 主な勝ち鞍・阿寒湖特別――――それが、俺の実力の限界点。

 

 坂を見上げる。中山の急坂。

 たかだか一〇〇秒も前に通ったばかりの直線。

 

 それがこんなにも高く見える。まるで崖のようではないか。

 

「ああ、やっちまったな……らしくもねぇ」

 

 ぶっ壊れる寸前だ。生物として必要なリミッターも外してしまった気がする。こんなこと、レースでは絶対にしてやるかと決めていたのに。

 

 ああ、そうだよ。それだけ許せなかったんだよ、俺は。

 サイレンススズカの幻影を。

 

 

 

「これで終いだ。じゃあな、サイレンススズカ」

 

 

 

 ぶっ倒れる前に、最後。スタンドを見てやる。

 アイツの幻をぶち壊された聴衆がどんな間抜け面をしてやるか見てやろうとして――――気付いた。

 

 歓声がない、静まりかえっている訳でもない。困惑と混乱のさざめきが重なり合って、無秩序なうねりが生まれている。

 理由はターフの上にあった。思えば破滅的を超えた破滅したハイペースだった。誰もがサイレンススズカに己を、最強を、最速を託していた。

 

「はは、バ鹿らしい。俺たちこんなになるまで、走ってやがったのかよ」

 

 夢を追いすぎたのだ。

 夢と走りすぎたのだ。

 夢に賭けすぎたのだ。

 

 バ群は()()()()()。てっきり身体がダメになって揺れているかのように見えていたのかと思っていたが、違ったのだ。

 

『な、なんということでしょう……落バ、落バ発生です。最終直線にて、先頭集団が雪崩を打つように落バしてしまいました!』

 

 夢を喰ったからだろうか。全てを破壊した後には何も残らない。

 ここには、誰も残ってはいない。

 

「…………ま、俺も。そのバ鹿のひとりだったってことだが」

 

 いよいよ限界、ぐらりと視界がブレる。膝が笑い、胴体が重力に惹かれ――――

 

「そうは、させませんわ」

 

 ぐっと身が持ち上がる。誰だよ、俺はもう疲れたんだ。

 

「私たちまでいなくなってしまったら、誰が種を蒔くというのでしょう」

「……ブライト、か」

 

 前を見据えるメジロブライトの姿があった。肩を貸されているのだと気付く。

 

「はいっ、マチカネフクキタルもいます……よっ!」

 

 反対側も持ち上がる。赤いんだか青いんだか分からないフクキタルの顔。こっちに手を貸す余裕なんてないだろうに。彼女のわざわざ肩を貸して、支えてくれている。

 無論、レース中には御法度の行為だ。

 

「いいのかよ、お前ら。接触は決裁委員に止められるぞ」

「ステゴさんは真面目ですねぇ、こんな時まで」

 

 なんだと。お前らが適当なだけだろ。しかし掲示板に「審議」の文字は点らない。

 

『審議は出ておりません! 明らかに接触しておりますが……』

『なにを言ってるんですか。あれは両脇から小突いているんです。密集した展開なら小突く程度はあること。つまりレースの範疇、審議するほどのモノでもありません』

『な、なるほど……? まあ落バした訳でもないですから、競走続行ですかね!』

「ほら、問題なんてなかったでしょう?」

 

 ブライトが笑う気配。バ鹿らしくて、ため息なのか分からない息が漏れる。

 そもそも、こんな調子で本当にゴールまでいけるのかよ。走るような気力も体力もここには残っていない。にも関わらず、俺たちに影を見せてくれる奴はいない。

 だが、サイレンススズカに囚われていなかったヤツならば――――……。

 

「おい、お前はまだ走れるだろ。キングヘイロー」

 

 首を向ける。そこには頭を垂れず、最後まで幻影(ゆめ)に惑わされなかったウマ娘の姿。

 

「ふんっ、こんなヒドいレースで勝ったら。むしろキングの名が廃るわ」

「とんだ暴君だ、俺にこんなクソみてえな冠を授けようってか」

 

 お節介な同期2人が考えていることは分かる。別室で待機する決裁委員が何を考えているかも分かる。URAは興業団体だ。夢が終わったら、次の夢を求める。

 

「ええ、そうよ――――託してあげる。誇りなさいな、ステイゴールドさん」

「……そうかよ。なら、先に行くぞ」

 

 これ以上の言葉は無意味だろう。無冠の王様に送られて、俺は坂道を登る。

 長い、長い坂。ゴールが見えない坂。中山の直線は急勾配、ゴール板はその途中。

 坂を昇りきる前にゴールが来る。レース中に坂が終わることは、ない。

 

「終わっちまうな」

「いいえ、ここから始まるのですわ」

 

 

 そこには、一輪の花があった。ターフの真ん中に。

 

 

 一輪が二輪になる。みっつ、よっつ。数え切れないほど花が増えていく。

 

「種は、冬を乗り越えなければならないのです。厳しく険しい、冬を」

 

 ブライトの声なのは分かる。中山の直線、最後の坂も見える。

 

「さぁ、咲き誇るのは。いま!」

 

 全てを破壊し尽くした焦土に、芽吹きの春が訪れる。蹄鉄が引き金になって、踏まれて鍛え抜かれた種たちが一斉に芽吹く。虹色に、坂が染め上げられていく。

 

「ここは、わたくしだけの場所ではありません。わたしたちの」

 

 残された私たちの贈る、未来への祝福ですわ。

 不思議な感覚だ。見えないはずの世界が開けていく。まるで重力の向きが変わったみたいに、身体が前へと吸い寄せられていく。

 

「さあ、参りましょう。ステイゴールドさま。マチカネフクキタルさま」

「うぉおおお!? なんですかこの道は! なんだかスゴくハッピーですね!」

 

 一足早い満開の祝福が、中山レース場を埋め尽くしていく。一歩一歩、長い長い坂を登る。ありもしない栄光を追って、あるかもしれない夢に手を伸ばす。

 満場の声が届く。罵声だったら良かったのに、どうしてか連中は俺たちのことを応援したいらしい。

 

 こんな最悪なレースを目の前で見せたんだぞ、文句のひとつくらい言ってくれよ。

 

「みなさま、愛さずにはいられないのです」

「…………そうかよ。レースはやっぱ魔境だな」

 

 どうかしてるよと、そんなボヤキも虚空へ消えていく。

 

『まもなく入線です。史上最長となるドリームレースが、終わりを迎えます』

 

 実況の声がどこからか響く。そうか、もう終わっちまうのか。

 

 見えない奴らの姿が浮かぶ。シニア2年目、同期の数はめっきり減った。

 何人も勝ちを拾えなかった。己に価値を見いだせなかった。そうして誰も居なくなったターフの上を、カメは今でも、のろのろ走っている。

 ああ、でも。でもよ。楽しんできてねって、言われちまったらよ。

 

「楽しいんだよ。レースってのは」

 

 坂を登る。踏みしめるように、嘆くように。

 誰もが望んだ、誰もが打ちひしがれた、そんな中山の直線が終わってしまう。

 

「…………なぁ、お前ら。このまま、ずっと直線が続けばって。そう思わねぇか」

「おぉ~、いいですねぇそれ!」

「ふふ……そうですわねぇ~、ですが今は。前に進みませんと」

「ああ、そうだな。分かってるよ」

 

 

 一歩踏み出す。もう一歩。あと少し。

 

 

 

 先頭の景色を、みるために。

 

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