【夜の王】〜いつか必ず背中を刺される男の軌跡〜 作:カラカラ
────もう限界だ。
机に突っ伏しながら考えるのは、ここ最近の実働ばかり。
最近は本当に忙しい。もう本当に忙しい。こうして落ち着いてイスに座れる事自体がいつ振りかも分からないぐらいに忙しい。
元々荒くれ者の多いゲヘナだからしょうがないけど、最近は本当に度が過ぎている。
違法の武器も爆増してるし、それに伴って犯罪率も爆増中。回せる人員は限られ、執務作業もあるから全員が全員出動出来ないし………正直言って人が足りない。それこそ猫の手も借りたいぐらいに。
「委員長!次は商店街付近で温泉開発部が!」
「急報です!美食研究会がまたしても爆破しました!」
「ヒナ委員長!万魔殿から送られてきた無駄に多い書類の処理は如何いたしますか!」
「…………分かった。今行く」
………だ、大丈夫。いつも通りすぐ終わらせればいいだけ。大丈夫、大丈夫よ。
何でこうも立て続けに……それもよりによって今日頻発するの……
今日は……今日だけは絶対ダメなのに。絶対残業なしじゃないといけないのに。
何故なら今日は、待ちに待ったホストの日なのだから。
「ヨル……お願い、力を貸して」
誰にもバレないように、そっと待ち受け画面にしている彼とのツーショットを見る。
これまで頑張ってこれたのも、今日頑張れるのも、全て彼がいてくれたから。そして、今日はそんな彼との逢瀬が控えているのだ。
だから、だから────
「私の生きがいを取らないで」
ごめんなさい、温泉開発部、そして美食研究会のみんな。今日は手加減できそうにないわ。
後日、某温泉大好き部長は『あの日のヒナは鬼そのものだった』と泣きながら語っていたという。
─
───
─────
ベストは尽くした。これ以上ない程に的確に騒動や問題を鎮圧出来た自信があるし、いつも万魔殿からなあなあに押し付けられてきた書類も、断固拒否の姿勢で押し返してきた。
そう、ベストは尽くした。尽くしたの。
でも─────
『お世話になっております。【クラブ・ムーン】のヨルです』
「あっ……ヨ、ヨル?わ、私──ヒナなんだけど……」
『おろ?ヒナちゃん?どうしたの?』
通信機器から彼の優しさが詰め込まれた声が清涼剤のように脳内に入り込んでくる。
いつもなら最も幸せな瞬間のひとつである筈なのに、今はむしろその逆。ただただ悲しみと虚無感が襲ってきて、彼の声を聞くだけで泣きそうになってしまう。
「その……今日の予約の事なんだけど……」
私は潔くキャンセルの連絡を入れた。
今日は本当に忙しくて、予約の時間までに終わりそうもない事も、全部伝えて。
『……そっか。今日はヒナちゃんと会える事を楽しみにしていたけど……お仕事なら仕方ないね』
彼の儚げな声が胸を締め付ける。それでも、私に許されている行為は込み上げてくる嗚咽を必死に飲み込む事だけだった。
あぁ、涙声が混じってしまう前に電話を切ってしまった方が得策かもしれない。彼には心配を掛けさせたくないし、何よりこれ以上声を聞いていると仕事も何もかも放り出して向かってしまいそうだから。
「うん、ごめん……」
『いやいや、ヒナちゃんが悪いわけじゃないんだから。それより、今度また来てくれるってなったら、とっておきのサービスをするから楽しみにしてて!』
「………ありがとう」
ヨルは最後に『お仕事頑張ってね!』という声援を残して、プツリと通話は切れた。
…………もう机に突っ伏す事しか出来ない。
「───えぐ、っ……う゛ぅ……!………あいたい、あ゛いたいよっ、ヨル……ッ!!」
堰き止めていた涙が溢れ出るように、濁流となって両眼から流れ落ちる。
……辛い。ただただ、辛い。
今日のために頑張ってきたのに、ヨルと会えるから頑張ってこれたのに、その結果がこれ。こんなのってないよ……あんまりだわ……
「……………仕事、しなきゃ」
ある程度涙を流し終えれば、自分でも驚くほどに冷静になっていた。
だけど、これは何もスッキリしただとか、心の鬱憤が晴れただとかそんな事は一切ない。
ありとあらゆる感情を洗い流し終えて、私の心の裡に残ったものは────虚無感と諦めだけなのだから。
☆★
結局、業務が終了したのは深夜帯だった。
今日は珍しく日は跨いでいないけれど、それが何だというのか。どのみち何をしたって約束の時間には間に合う事は出来なかったという事を再確認するだけで、良いことなんかこれっぽっちもない。
もうどうでもいい。どうでもいいの……
「───あれ、何でここに……」
フラフラと無意識に歩いていたら、気づけば【クラブ・ムーン】の前にいた。もうとっくに営業時間は過ぎている筈なのに、今もブラックマーケットを照らす照明がギラギラと輝いている。
もしかしてアフター*1にでも行ってるのかしら。
彼はほぼ毎日欠かさずアフターをしてくれる。『これはほんのちょっとした感謝の気持ち』とは言っているけれど、一人ひとりに合ったアフターをするなんて幾ら神経があっても足りないとすら感じてしまう。
それほどまでに神経を擦り減らすようなサービスを、彼は嫌な顔を一切せず、むしろ喜んで付き添ってくれた。
それが今日たまたま私じゃない女の子が、より多く一緒にいられる権利を得ただけの事。ホストに通っていればよくある、ありふれた話だ。
「………………本当なら、今頃私が……」
そんな負け惜しみにも似た言葉を残し、クラブから背を背けて────
「まだ
その声を聞き、脳が理解する前に、ほぼ反射条件で振り返る。
そこには───
「だから、もしまだ魔法が解けていないと思うのなら、どうか僕の城へ立ち寄って行きせんか?」
───私の王子様が微笑みと共に出迎えてくれた。
☆★
「飲み物はいつものやつでいい?」
「え、えぇ……」
そう言って飲み物を取りに厨房の奥へと消えていくヨルの後ろ姿を見送りながら、私はいつもとは違うホストクラブを見渡した。
───静か。あまりに静かだった。
ホストクラブにおいて静かな瞬間などまずあり得ない。誰かしら話しているし、時折歌を歌ったりして、常に夜の一瞬に賑わいの色を添えるのがホストクラブという場所なのだから。
だから、こんなにも寂幕が降り満ちたホストクラブを見るのは初めてで、いつもとは違った雰囲気に気圧される。
「はい、コーヒー」
「あっ、うん。ありがとう……」
いつも頼んでいる彼特製のコーヒーを受け取り、ヨルはそのまま静かに私の隣に腰掛けた。
コーヒー独特の香ばしいナッツの香りと、隣から漂う甘くていい香りが鼻腔を擽る。
「さっきからキョロキョロ見渡してどしたの?何か気になる物でもあった?」
「そうじゃなくて……此処にもこんなに静かな瞬間があるんだって驚いちゃって」
「あぁ、そういう事ね。もう他の従業員の皆も上がってるし、此処には僕とヒナちゃん以外いないから余計に静かに感じるかもね」
私とヨルだけ………どうしよう、ニヤニヤが止まらない。
「そういえば、どうしてお店にいたの?てっきりアフターに行ってるのかと思ってたわ」
コーヒーの味を堪能して、ようやく落ち着きを取り戻してから、彼に気になっていた事を聞いてみることにした。
「アフター?なんで?」
「だっていつも欠かさずやっているから……」
「……うん、そうだね。姫たちのご要望には出来る限り全て応えてあげたいし」
彼は余程の無茶振りでない限り、私たちのお願いを全部聞いてくれる。唯一禁止にしているのは接吻とか………まぁ、そういった関係を持つ事ぐらいだろうか。
「でも、今日は用事があるからアフターはしないよって断っておいたんだ」
「え」
その言葉に血の気が引く。
彼がこれまで継続してきたアフターのサービスを中止にするまでに大事な用事がある中、こうして私の接待をしてくれているという事実に気づいてしまったから。
「ご、ごめんなさいっ。私ったら、そんな大事な用事があるとも知らずにお邪魔しちゃって……」
「ふふっ、何言ってるのさ。今まさに、その大事な用事の最中だっていうのに」
「え?」
「僕は君を待ってたんだよ、
どういう意味かと問い糺すために顔を向ければ────彼の細くてしなやかな指が私の頬を撫でた。
優しく、されど決して抗えない魔力を帯びた手つき。その暖かな手のひらに添われた頬は、まるでボンドに塗り固められたように固定され、彼の整い過ぎた顔から視線を逸らす事が出来ない。
「必死に隠していたみたいだけどバレバレ。電話で聞いたヒナの声………すごく泣きそうな声だった」
「ッ」
「だから、もし僕のところに来てくれるのなら、少しでも労ってあげられたらって思って……」
心に空いた穴が少しずつ埋まっていく。
誰かとの時間よりも、私との時間を優先してくれた。
来るかも分からない人間のために、こうして一人で残って待ち続けてくれた。
私の事をずっと気にかけてくれていた。
……その気持ちが、その想いがただただ嬉しくて。
「ほら、おいで?」
「い、いえッ、流石にそれは……」
「今は誰にも見られてないよ。それに僕も何も見ないし、聞かない事にするからさ」
『さぁ』と快く腕を広げ、笑顔を見せてくれる。
その笑顔を見て、何かが決壊する音が聞こえた。抗い違い感情の濁流が押し寄せてくる。
……正直もう我慢の限界だった。
「───ごめんなさい、ヨル。少しだけ、ほんの少しだけでいいから、胸を借りてもいい……っ?」
「僕もちょうど今胸元が寂しくなってね、遠慮なくどうぞ」
恐る恐る、ぎこちなく彼の胸板に顔を埋める。
硬くて、大きくて、安心する匂いで……何よりも暖かい。
「私……いっぱい頑張った。ヨルに会いたくて……ずっと、ずっとずっと会いたくて……」
「うん」
「でも、結局ダメで……あの時ヨルが扉を開けてくれなかったら、またしばらく会えなくなっちゃうところだった……」
「うん」
「私は……大事な時はいつもダメで……いつも頑張ってるのに、全然ダメで……私は、こんな私が大嫌い……ッ」
「……そんな事言わないでほしい。僕は、いつも頑張ってるヒナが好きだよ?」
ヨルは優しく、労るように頭を撫でてくれる。それはまるで愛撫するように、親愛と慈愛を持って。
「他の人には分からなくても、僕にはちゃんと分かってる。僕のお姫様は誰よりも頑張り屋さんで、強い人だって事がね」
「ヨ、ル……」
「いつだって甘えに来たっていい。構ってほしいのなら、僕の元においで?僕はいつだって待っているんだから」
あぁ、どうしてこの人はこうも私が欲している言葉をスラスラと吐けるのだろうか。
でも、きっと同じ言葉を他の子にも呟いているのだろう───その情景を思い浮かべるだけで、腸が煮え返りそうな嫉妬と怒りを覚えるけど、今この瞬間は私だけのモノ。
他の誰でもない、私だけを想って向けられた、私だけの言葉。私だけの時間。私だけの彼。
いずれ、この時間を永遠に────
「いつか、絶対に……」
「ん?何か言った?」
「……ううん、何も」
「もう帰るの?もっといてもいいけど……」
「流石に悪いわ。それに、明日に支障が出たら良くないし」
「……そっか」
彼との抱擁から間も無くして、私は【クラブ・ムーン】を出る事にした。
彼が待ってくれていたといっても、もともとの話、今は営業時間外。これ以上彼に迷惑はかけたくなかったという気持ちが強かった。
「その、今日はありがとう……」
「ふふっ、大丈夫だよ。むしろ今日は可愛らしいお姫様の姿が見れて役得だったかな?」
「か、かわっ……!?」
この人はまたすぐそうやって……!!
「か、帰る……っ!!」
「───あっ、待って、ヒナちゃん」
赤面を見られまいと素早く後ろ姿を見せたにも関わらず、彼の呼ぶ声でそれも無意味なものとなった。
どんな状況であれ、どんな状態であれ、私がヨルからの呼びかけに応えないなんて事はあり得ない。
すぐ背後に彼がいる事を認識しながら、冷めやらぬ頬をそのままに振り向いて─────
───チュッ
「言ったでしょ?
彼はいつもと変わらない微笑を浮かべ、さらに私の頭をひと撫でした後、さっさとお店の中へと舞い戻ってしまう。
私はその後ろ姿に手を振る事もなく、別れを悲しむ事もしなかった。
ただその場で見送るだけで、放心状態で取り残されただけだ。
……額を触る。
驚くほどに柔らかい感触が今も残っている。
熱くて、瑞々しい健康的なリップ音が今も耳の中で残響する。
額が熱い。
耳が熱い。
頬が熱い。
顔が熱い。
首が熱い。
肺、心臓、脊髄。ありとあらゆるものが熱い。
だって、あの感触は、あの行為は、もしかしなくても────
「ぁ、ッ、ぁう……」
……その後の記憶はない。気づけば部屋の中で熟睡していたから。
ただ、この日は生涯忘れられない思い出として刻まれた事は確かだった。
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