黒く塗りつぶされた意識を朦朧から明瞭にして、認識できた景色は紛れもないあの日の悪夢だった。
空には暗雲。血染めの雨に衣服を汚しながら、彼女は必死で走り続けた。
大好きな恩人の心を真っ赤に染めた鬼たちは、誰もが楽しそうにからからと笑う。
手にした相棒と共に命がけで戦って掴んだものはどれも血なまぐさくて、これが彼の憎み続けた心の色かと思えば反吐が出た。
それでも、駆け行く足に力を込めて、最弱と誉れ高く駆け抜けた彼の姿を探し続けた。
そして――ついに見つけた。
無数の鬼たちの亡骸を踏みつけるように、その手の短刀は紛れもなく鬼の首領を貫いていた。
そして同時に、彼もまた鬼の首領もろとも無数の刃に貫かれ息絶えていた。
鬼の強さは誰もがわかっていた。末端の鬼であってもこちらは必ず複数人で対処し、それでも殉職者を出していた。
だから、最弱の名を冠する彼が「鬼」の出現に際して誰よりも早く何よりも速く駆け出していった理由を、優芽は理解していなかった。
もし理解していれば、止められたのだろうか。もし彼が"彼"でなかったなら、止まってくれただろうか。どんなに考えても、導ける答えは『否』の一文字。
なら――手段さえなければ。
理由など今となってはどうでもいい。彼が"彼"である限り、たとえ己の死をわかった上でなお彼は同じ選択を繰り返すだろう。
だとすれば、彼を失わないで済む方法は『選択肢を奪う』こと。幸いにして、彼には己の目的よりも優先すべき愛する家族たちがいる。
勝ち筋の無い勝負に家族を付き合わせるような人ではないと信じて、優芽は協力者を募った。彼を『英雄』にさせないための『
『優芽が本気でやりたいことでしたら、私はどこまでも付き合いますよ。愛しい恋人のわがままくらい叶えてあげられなくては、女が廃るというものですから』
『今回の戦争でレイダーは全滅。蓬莱寺も一人として残ってはいまい。遠からずレイジングリベンジャーズは解散だ。ならば、次なる使命を部下と共に探していくのも悪くない』
そうして集まった万難討ち払う最高のパートナーが二人。優芽は恩人から預かった白露は自分が居なくなっても恩人の家族が引き取るだろうと考え、三人での時間遡行を決行した。
恩人を誰よりも慕っているからこそ、恩人の手札も思考も誰より理解していた。彼から学んだ技術は、同時に彼を封じる技術になると思った。事実、彼女は彼の完全上位互換だった。
だが――勝てる、と思ったからこそ、彼女の中の"憧れ"が僅かに揺らいだ。
ユナイトギアは装着者の心の最も強い感情が高まることで出力を上限無く上げていく性質を持つ。
希繋の「周りの誰かと繋がろうとする絆」や、逢依の「隣に立つたった一人に向けた愛」、悠生の「後ろに隠れた者たちを護ろうとする勇気」など人は自分に合った立ち位置がある。
そんな中で、優芽が抱いていたのは「前を走る誰かに追いつこうとする憧れ」の感情。
追い続けることこそが憧れという感情の原動力であるならば、追いついて追い越してしまえば一気に出力が低下するのは自明の理。
故に――勝てる、と思うことだけはしてはならなかった。なぜならそれは、彼女の中で「追い越した」と思うことに等しい。
かつて十全に使いこなしていたイーリスが、今となっては薬頼りの時限式となったのはそのためであった。
だが、優芽は希繋に
希繋に憧れたからこそ。希繋の下で学んだからこそ。希繋の手札の全てを理解していたからこそ。彼女は希繋を「超えた」と思い込み、それが彼女の「憧れ」を蝕んだ。
しかし、先ほどの戦いで希繋に出し抜かれたことは優芽にとって何よりも待ち望んだ敗北であったはず。
自分が「超えた」と思っていたものに先を行かれた。かつて追い続けた背中が、追い越したと思い込んでいた背中が、再び自分の前を走り始めた。
故に――今の彼女は強い。
「イーリスは俺が彼女に託した切望の翼。俺は彼女じゃないから、絶対とは言えないが……俺が彼女なら、そして彼女が俺の考えを理解しているなら、必ずここで決着をつけに来る」
「ここで……って、ここですか? こんな、何も無い……薄暗いだけの路地裏で?」
無遠慮とも言える望月の言い分に、希繋は小さく苦笑いをこぼしながらベルトのチェーンに繋がった待機形態のエクレールに手を伸ばす。
そんな彼の様子を見て、望月もまた内ポケットからストラップホルダーに繋がれたユナイトギアを手に取り、警戒心を露わにする。
「そう、何も無い薄暗いだけの路地裏です。他の誰もが気にも留めないような、有り触れていて……普通ならちょっと少しだけ近寄りがたい雰囲気があるくらいの、そんな場所です」
だけど! と若干の怒気を含んだ言葉と同時に、頭上から落下してきた巨大な氷の剣が望月の目の前に突き刺さる。
「そんな有り触れたこの場所で、あたしは取りこぼしそうになった
「やっぱり来たか……!」
ここは優芽が12年前――現代における数日前、レイダーに追われる絶望の
そして今、彼女は希繋の
「その虹色の瞳……『逆流』か!」
逆流――正しくは感情力逆流現象。
昂揚させ続けた感情エネルギーにギアが耐え切れなくなった時、ギアが暴発を免れるために供給された感情エネルギーを装着者へと返却することを指す。
感情生命体に対抗するため開発された
「あなたのおかげです、桐梨希繋。さっきの戦いであなたは間違いなくあたしの理解と想像を超えた。それが……あたしの中の憧れを、灰色の心を極彩色に輝かせてくれたんだ!」
「ああ、それを聞いて安心したよ……俺ももう迷わなくていいんだってな! 君は君のやりたいことをやれ! 俺は俺のすべきことをする! 君を……君を縛る未来の俺から奪ってやる!」
希繋は望月へ周囲の人払いと出入りの封鎖を任せると、視線を未来の一番弟子へと向き直る。
互いの手には互いの信念と精神を宿した
「「レッツ!」」
『『Transformation!』』
赤と虹の輝きがぶつかりあい、その光の中から姿を現すのは――二人の全力。
漆黒の忍装束に身を包んだ赤い瞳の希繋と、紅い電光を纏う
水色の外套を羽織る虹色の瞳の優芽と、七色の水を背に広げた
そしてそれらの力は今――全力をも超えた感情に導かれる。
「正直……俺もこれを使ったことはそう多くない。けれど運命をも打ち破る力なんてのは、俺にはこれしか思いつかない!」
「理由は違えど、思い至る答えは同じみたいですね……。あたしも、あんな未来を変えられる力なんてこれだけです!」
もう結論は出ている。
足りないのは、その結論へと至るための力――。
「エクレール!」
「イーリス!」
――
「「リミットブレイク!」」
『『OK. Limit Break Approved』』
希繋と優芽の叫びに応えるように、二つのギアはその形状を変化させていく。
紅蓮に煌めく閃脚はその装甲を腰まで伸ばし、踵だけでなく腰にも姿勢制御用のスラスターを展開。さらに希繋の左腕に軽装手甲を纏わせる。
そして涙を湛える虹翼は背から伸びた装甲を肩・脇腹から胸部を覆うように展開。翼膜となっていた七色の水はミスト状に変質した。
『Change...
『Change...
これが二人の限界突破。
血と後悔で閉ざされた運命を抉じ開ける力。
先んじたのはやはり、ディアドロップを構えた優芽だった。
希繋の「速さ」はもはや正攻法で攻略できるものではない。攻撃速度・回避速度・追跡速度どれにおいても希繋のそれに優芽が追い縋れるわけがない。
だからこそ、彼女はこれまでに見せた通りの答えを出した。スピードで勝てないなら、それ自体を封じる戦略を立てる。
四方は狭い路地。抜けられるのは上方のみ。周囲の水を一気に集めて希繋の着用する衣服に吸わせ、僅かでも確かに彼の
電気を通さない超純水は攻撃に、電気を通す不純物入りの水は
電気伝導率の高い通常の水の中では彼自身も止まることができないほど加速するため、勢いはそのままに水のレールに乗せられて行動を完全に誘導されてしまう。
さらにはこの路地そのものが「
実際、この過剰なほど希繋個人を狙い澄ました対策は間違いなく彼の戦略を大きく狭めた。
元よりその圧倒的なスピードを活かして中長距離から一気に懐まで飛び込む変則的なヒットアンドアウェイを得意とする彼だが、今はそういうわけにもいかない。
水の網は確かに電撃態を封じるが、そうでなくても触れれば衣服が濡れる。スピードを武器とする以上、希繋もスタミナには自信があるがパワーは人並みにすら及ばない。
そのため、衣服の重量が増せばそれだけで彼個人の全体的なスペックが低下する。さらには濡れることで体温が下がれば生物として当然ながら動作速度が低下する。
(彼女を相手に電撃態はリスクが高すぎる……!)
希繋の中で、既に優芽の『納得』を引き出すためのカギは見つかっていた。
しかし、そのためにはまず全力の彼女と向き合い、そして今の自分の全力を示さなければならなかった。
状況的に、その目論見自体は成功していると言えるだろう。だが、問題はここからだ。