神様とお付き合いを始めてから一週間が経った。
付き合い始めた当初、それはそれはクラスがお祭りのように──いや、地獄絵図、阿鼻叫喚と言ったほうがいいだろうか。やれ「なんで灰塚なんだ」だの「どこで知り合ったんだ」だの「あの灰塚が女に興味を示した」だの……最後の文言に至っては僕の盟友、岩手のものであるが。
流石に一週間もすれば、クラスも落ち着きを取り戻していた。僕は男子から背中を刺されるんじゃないかと常にヒヤヒヤしていたが、神様の神原さんが僕の味方だということもあってか、あからさまに僕をいじめるような輩は現れなかった。喜ばしい限りである。
「ただまぁ、陰湿なものは残っているわけで」
神原さんに見えないようなところで、主に男子から嫌がらせを受けることが多かった。大っぴらにできるものではないので、大したものは一つもなかったが、それでも嫌がらせは嫌がらせだ。気分は良くない。神原さんにチクってやろうか? だが見せるのも悲しいくらいにはしょうもないいじめだ。そう、例えば下駄箱の中にゴミや画鋲が入れられているとか。
「おーおー、今日もモテ男は大変だな」
「うるさいぞ顔面最強男。その顔面叩き潰してやる」
「容姿で人を判断するやつは最低だぜ。その性根叩き直してやろうか」
岩手が僕の下駄箱を眺めながら遠い目をしていた。こいつは良くも悪くも僕のことをよくわかっている。僕は誰かに心配されることをあんまり好かない。自分のせいで誰かが気を張っているという状況が、むず痒いからだ。確かにこれは面倒ではあるが、辛くはない。僕はこういうことをする人間が割と好きだ。なんというか、人間の浅ましさを感じるのである。人間とは、汚いところも含めて人間なのだ。まぁ、何が言いたいかと言うと、僕も岩手もこの手のタイプの人間をとことんまで見下している。愛玩動物を見るような気持ちである。
「手伝ってやるよ。その下駄箱、一人でやってちゃ神原さんに見つかるだろう」
「助かるけど末恐ろしいな。岩手がそんな提案をするなんて、明日は隕石でも落ちるのか?」
「いいや、お前なんてどうでもいい」
「お前は最低だな」
さらっと酷いやつである。
「問題は神原さんの方だよ。あの人、怖いからな」
「怖い? 神原さんが? まるっきり反対だろ。それこそ女神みたいな人じゃないの?」
「そこだよ。女神だ。神だ。だが誰の神だ? お前の神だ。何が言いたいかわかるか?」
「さぁね、読書家の話は回りくどくてだめだ」
「だから、お前になにかあるとあの人が神の鉄槌を下すだろう?」
あぁ──なるほど。確かに、岩手の言う通り神原さんの僕への愛情はかなり大きい。この一週間でそれが肌で感じられるくらいには。ちょっとだけ異常とも取れるときがある。神様の力を惜しみなく僕に使おうとするし、何より定期的に「お願いごととかないの?」と可愛らしく聞いてくる。あの容姿であざとく上目遣いをされると弱い。そんな彼女がこの惨状を見たらどうなるのか。
「ふむ、天変地異か」
「天地開闢くらいの衝撃すらあるかもな。明日には学校がなくなっているかも」
「それならぜひこの下駄箱を見せよう! 明日公開のアニメ映画があったんだ。運が良いなぁ」
「アホいえ。学校がなくなったら俺は将来の夢を絶たれる」
「何なの? その将来の夢」
「一流の詐欺師」
「学校に行く必要ないだろそれは」
そんなくだらない話をしていると、玄関から足音が聞こえてくる。ぞろぞろと学生が登校してきたのだ。この時間は電車通学の生徒がわんさかとやってくる。もう下駄箱の掃除も終わったので、安心して──
「なにやってるのー?」
可愛らしい、あるいは美しいともとれるまさに天上の声が聞こえてきた。だが、どこかおどろおどろしいものを感じざるを得ない。背後に立っているであろうその神様に、顔を向けずに返事をする。
「おはよう、神原さん」
「神様でいいよ?」
そっちの方が仰々しい感じがするのは僕だけだろうか。愛称のように扱っているが、どう考えても神原という名字より格式が高すぎる。
「いい朝だね。さえずりたい気分だよ」
「灰塚くんは小鳥なのかな? それよりもその抱えているものはなぁに?」
「あ、いや、これは」
「こいつがカバンの中身をぶちまけたんだよ」
すかさず、岩手がフォローに入る。さすがは将来の夢一流詐欺師と言うべきだろうか、平気な顔をしてペラペラと嘘を吐きまくる。そしてもとより掴みどろこの少ない彼の人間性からも、妙な説得力がある。むしろ、説得力がはなからないからこそ全ての話を飲み込まざるを得ないというような力を感じる。
「その割には、ゴミが多いみたいだけど」
「いっつもこいつバッグの中身整理しないんだ。だからこういうの溜まってんの」
「岩手くん」
「ん?」
「──神様には、何でもお見通しだよ?」
まずい──この時、僕と岩手の思考は完全に一致していた。よく考えたら岩手の嘘技術など役に立たない。カスだ。相手は神。全てを見通す全知だ。そして、先程話していた通り、この後の結末は予測ができる。彼女の全能をもって、こんな行為をした人間を特定し制裁を下すつもりだ。目が、物語っている。彼女の美しい瞳は細まっていた。獲物を見つめる獣。口元は、不気味なくらいに口角が上がっている。怒っているのは誰でもわかる。その怒りを抑え込んでいる笑顔が、たまらなく不気味で、美しい。
「じゃあ私、ちょっと用があるから!」
「や、ちょっと待って」
すぐにでも飛び出して、見つけ出して、相手の臓物すら引きずり出してしまいそうな気迫の彼女を制止する。
「僕はこういうの気にしてないから。だから、神原さんが怒らなくてもいいんだよ。気持ちは嬉しいけど」
「……ふむ、じゃあ、
「ならお願いだ──”怒りを落ち着けて”」
「はーい。灰塚くんのお願いならしょうがないね。でもやっぱり私は怒り心頭なので今日の帰りデートしてください」
「はいはい……そのくらいならいくらでも付き合うよ」
「なぁ、俺苦しいこの空間」
血涙を流す岩手を横目に、左手で神原さんの頭を優しく撫でていた。つややかな髪。手のひらに収まってしまいそうなくらい小さな顔。僕の手とはっきりとコントラストが生まれる白い肌。そんな彼女が、なぜ僕に対してここまでぞっこんなのか。岩手に言われていたことが頭の中を反芻する。そして、そのなにか一線を超えてしまいそうなほどの愛は、僕に何をもたらすのか。
──その日の放課後、生徒数名が姿を消した。
□□□
私は、彼らの持っているものを見たときに怒りが込み上げてきた。とても抑えられそうになかった。昔からずっと好きだった、灰塚くんにそんなことをする相手に対して無尽蔵の怒りが湧いてきた。灰塚くんになら、無尽蔵の愛情を持てるのに。
──彼は、私にとっての英雄だ。私の神社は、お世辞にも大きい神社とはいえない。山の奥にあるせいで参拝客も少なく、そのうちに誰からも忘れ去られてしまった。神様である私は、信仰がないとその姿形を保てなくなる。神力は残っていたが、それでも日々衰えていくのを感じた。
あぁ、このまま消えてしまうのだろうと思っていた矢先、一人の少年が足繁く私の神社に通い始めた。あどけない少年だ。まだ言葉を話すのにもたどたどしく、拙い。そんな少年が、私のところに来ては遊んでとせがみ、学校のことなどを必死に話してくれた。
私は神様だから、そのくらいは彼の頭の中を見ればわかるのだが、頑張って自分の見たものを説明しようとする彼の姿は愛おしかった。
神様なのに、そんな彼に恋をしてしまったのは神力が弱まってくれていたおかげだろう。神としての種族の要素が弱まって、人としての性質が僅かに強まっていた。気がつけば、彼の隣に立ちたいということばかりを考えていた。私の存在をこの世に繋ぎ止めてくれて、ずっとずっと私に会いに来てくれた唯一人の人間。
「まぁ、あの時”仕返しをするな”とは言われてないからね」
彼の下駄箱にゴミを詰め込んだ犯人三人を捕まえた。教室で固まっているところに声をかけたら、すぐに応じてくれた。たやすいものだった、彼らは私に気を持っている少年たちなわけで。その上おびき出されても自分たちの行いをむしろ正義とさえ思っているような少年たちだった。
「何をしたのか、わかってる?」
自覚があるのか、言い訳もせず話し始めた。武勇伝だとでも思っているのかもしれない。
「だから、あれは、灰塚が調子に乗ってるからだよ。神原さんみたいな素敵な人とあいつは釣り合わない。なのに、身の程も知らないあいつは勘違いして告白をオーケーした。神原さんだって迷惑してたでしょ?」
「私が、そんなこと言った?」
彼らは、聞く耳を持たなかった。やれ「言っていなくてもわかる」だの「それを汲み取れるから俺達の方がふさわしい」だの、あまりにも愚かしい発言に思わず呆れてため息をつく。
「なんで、神原さんはあんなやつを選んだわけ?」
全く持って愚問も愚問ではあるが、それだけにはすぐに答えてやった。
「灰塚くんは、私を繋ぎ止めてくれたから。居場所がなくて、力不足で神社の外にも出られなくて、あぁきっとこのまま消えるんだろうってとき──彼は、いつまでも私を覚えていてくれた」
それが、全てだ。私の全て。彼は、私の存在を文字通り支えてくれた大切な人。
「それだけ?」
その言葉に、とうとう私の我慢は限界を迎えた。力をふんだんに使う。神の力。それで、目の前に固まっている人間の一人を消した。パチン、と小気味よい音で指を鳴らしただけだ。その粋な演出とともに、一人、姿を消した。
「──え?」
「ごめん、ちょっと、許せそうになくて」
「いや、そんな、まさか、殺したのか?」
「いいや、ただ少しだけ地獄送りにしただけだよ」
戻そうと思えば、すぐにでももとに戻せる。ただ少し、閻魔とこじれる可能性はあるが。
「そんなこと、許されるとっ?」
「私が神様だよ」
思い出したかのように、その男子生徒は祈るように手を合わせた。恭しく、膝も着いて私の前にかしずく。
「
「残念だけど」
整然とした声で、残る彼らに言い放った。
「私が無条件でお願いを聞くのは、灰塚くんだけだよ」
ぱん、と手を叩いた。ちまちま彼らに天誅を下す必要はない。この程度の人数なら、これ一つで全員まとめて地獄送りだ。今頃、文字通り地獄の苦しみを味わっているだろう。
これで、神隠しは成功だ。
□□□
その光景を見たときの俺は、至って冷静だったと思う。目の前で人が消された。他ならぬ神である神原さんの手によってだ。そう、文字通り、その手で。ぱんと手を鳴らしたらマジックみたいに消えた。
「あ、岩手くん」
振り返った彼女がこちらに気づいた。俺は、あいつらとは違って後ろめたいことはない。彼女自身に危害を加えたことはないし、もちろんよき友である灰塚も同様だ。だから、堂々としていれば良い。まるでさっき起きたことがさも当たり前のことかのように、その程度で受け止めていればいい。
「怖がらせちゃった?」
「いいや、別に。確かに恐ろしい力かもしれないけど、あれはあいつらの自業自得だ。神原さんは間違ってないぜ」
「あはは、優しいね。モテるでしょ」
「ごあいにく様」
苦笑してみるが、神原さんの目はどこか恐ろしかった。どうやら俺に敵対しているようではなさそうだが、まじまじと見つめてくる。それが、一人の人間としてではなく、ただの分析対象としてしか見られていないみたいだから、余計に不気味だ。
「うん、うん、岩手くんは灰塚くんとこれからも仲良くしてね」
「言われなくとも」
それだけを言いたかったのか、神原さんは俺の脇を横切っていく。足音が少しずつ離れていくのがわかる。だが、俺はそれを引き止めた。どうしても、聞きたいことがあった。声をかけると、彼女は美しい黒髪をまといながら身体を翻した。
「なに?」と、可愛らしく首を傾ける。
「……聞きたいことがあってさ」
「答えられる範囲なら答えるよ」
「あんた、灰塚のなんの願いを叶えようとしているんだ」
俺の質問に面食らったのか、神原は大きな目をさらに見開いて、まんまるにしていた。それだけで顔の半分を埋めてしまうのではというくらい、大きく愛らしい瞳。ゆっくりと口を開けて、彼女はようやく喋り始めた。
「……びっくりした。そんなことまでわかるんだ」
「そりゃ、わかるさ。あんた、片っ端から人の願いを叶えているように見えてそうじゃないしな」
俺の、俺なりの推測を並べてみる。
「ほぼ無条件でお願いを叶えるのは灰塚があんたのことを見ているとき。それ以外は案外断ることが多い」
「気分だよ」
「いいや、それ、全部灰塚から願いごとを引き出すためだろう。そうやって他人の願いを叶えられることを見せつけて──あるいは、願いごとをあんたにするハードルを極端に下げるために」
その言葉に、神原さんは肯定も否定もしなかった。
「だが、あいつは面白い男でね。確かにあんたのその思惑通りにはなった。まんまと、願いごとを口にしているはずだ。だけど、それらは
それは、おそらく彼女の性質だ。人が口にしたものの願いしか叶えられない──そんな制約を乗り越えるための手法。
「その証拠に、しつこいほどに灰塚だけに願いごとを聞いてる。願いごとを灰塚は何度も口にしているのに。今なら神様がわざわざ一人間の彼女になった理由もわかるよ。それは、彼女という立場を利用したなら内側から攻められるから、だろ? そうやって灰塚からその
僅かな沈黙の後、彼女は小さく笑い出した。コロコロと笑う彼女は、とても楽しそうにしている。
「いいね、きみ、小説家になれるよ」
「あいにく俺は読書家でね」
「読む専門ってことね」
彼女は、俺に背を向けた。
「まぁ、いい線いってるよ。確かに、ほぼほぼあってる。私は彼から一つ、願いごとを引き出したい」
「それは、神原さんにとって利益になること?」
「そうだね。私にとっても、彼にとっても……」
なぜだか、悲しそうな声だった。
「ま、岩手くんよ、彼と仲良くしてね。それが、私からのお願い」
「それは、どうも、断れそうにないね」
だが、”ほぼほぼあってる”とはなんだろうか。つまり俺は何かを間違えているわけだが、検討もつかない。神の思うことに、人の解釈が及ぶわけも無かろうが──
「きみが間違えたのは私が灰塚くんの彼女になった理由」
ちらっと見せたその横顔は、何者よりも美しかった。
「──ただ、私は彼が好きなだけっ!」
恥ずかしがるように、彼女はぱっと姿を消してしまった。神隠しのように。やはり、神の思考は人間には読めないな。
次回明日の12:30頃です。
最近疲れ気味なので予約投稿しといてよかった……
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