「それでね、前言われたんだよ。落とす雷はだいたい三ヶ月に二、三回位がちょうどいいってさ。私むかーし一日三回くらい落としてたんだよね」
「天誅かな?」
「いやいやぁ、みんな雨乞いしてたからさ、雷もセットでほしいかなって」
「多分作物のために雨乞いしてるのに作物全部燃やされてたんだろうなぁ……」
昔の農家たち──百姓と呼ばれるくらい、昔だろうか。彼らの心中をお察ししながら、僕は神原さんの頭を撫でた。僕がソファに座りながらスマホをいじっていたのだが、膝下に彼女の頭が滑り込んできた。すらっと伸びたその足はソファからはみ出て落ちて、パタパタとさせている。その小さな背中を僕に向けながら、彼女はテレビを見ていた。バラエティをやっている。
「そういえば神原さん」
「んー?」
「学校で失踪した生徒が数名でたって噂なんだけど、神原さんだよね?」
「…………」
「まぁ僕のためにやってくれたんだろうから怒らないけどさ、流石に抹消はやりすぎだから今度戻すんだよ」
「……はーい」
不服そうに、彼女は呟いた。彼女の愛情は嬉しいが、たまに行き過ぎると少々恐ろしい。
「ところでさ、神原さん」
「ん、なぁに?」
「どうして僕の家にいるの?」
「きちゃった」
男子なら誰もが羨むようなこの状況、実は先程唐突に発生したものだった。僕がソファでくつろいでいると彼女がするりと潜り込んできたのだ。ちなみに玄関からは入ってきていない。なんなら住所も教えていない。おそらく神出鬼没の力を使われた。家の中に突如発生したのだ、彼女は。この付き合って半年くらいの雰囲気ではあるが、まだ一週間と少しだ。
ふと視線を落とせば絶世の美少女の頭。小さくて、白くて、美しい。無性にそのきれいな髪を撫でたくって、さっきからずっと撫でている。甘い香りが鼻にかかってくる。
「いや、まぁ、僕達付き合ってるし、僕の家は両親が留守にしてるから良かったけどね。でもどうするのもしも僕が大変なことしてたら」
「大変なことって?」
によによと彼女が聞いてきた。
「例えばキチゲ解放のために全裸で家中の食器持ってサンバ踊ったりとか」
「ん?」
「犬の気持ちになりたくて首輪を自分に着けて犬真似してるときに、熱くなりすぎて自室の隅にマーキングしかけたりとか」
「ちょっと斜め上の回答かもしれない」
苦笑しながら、彼女はチャンネルを変えた。次も別のバラエティだ。
「ま、安心してよ。そういうときにはテレポートしないから」
「わかるの?」
「全知ですから」
神様らしいや。
「それより灰塚くん、お願いごとないの?」
「その質問、結構してくるよね。僕、毎回答えてるんだけど」
「だって毎回些細な願いじゃない。なんか、もっと頼られたいの」
まぁ確かに、聞かれる度にお願いしてるのは『笑って』だとか『今度遊ぼう』だとかだ。たまに喉が乾いてるときとかお腹が空いてるときはものを頼むこともある。たまにだが。
「んー……じゃあ、今夜は神原さんの手料理が食べたいな。まだ晩御飯の準備すらしてないし」
今日は休日なわけで、僕は朝も昼も面倒で抜いていたためにすでに腹ペコだった。時間は夕方五時頃。いくばくか早いが、夕食にしてもいい。
僕のお願いを聞き届けると、彼女はおもむろに起き上がった。先程まで横になっていたというのに、全く髪に癖がついていない。どこまでも完璧な神様だ。
「じゃあ、何食べたい?」
「神原さんの作るものなら何でも……と言いたいところだけどね。それじゃ困るでしょ?」
「それ言ったら作れるもの全部作るけど」
家が料理で埋まってしまいそうだ。
「んー……じゃあ、結構がっつり系かな。僕、今朝から何も食べてなくて腹ペコなんだ。精のつくものが食べたいかも」
「精のつくものって」
神原さんが顔を赤らめた。その姿も愛らしいのだが、訂正する。
「いやごめん、変な意味はないよ。ただただちょっとお腹が空いてるからたくさん食べたいってだけ」
「別に私はどうなってもいいよ」
「あの頃のお姉さんとは思えないなぁ、ほんと」
スマホの画面を見る。画面を落として黒くなった画面には、僕の顔が映り込んでいた。あの頃から、だいぶ顔立ちも変わっている。
小学二年生。その頃、お姉さん──神原さんと出会った。その前から神社にはちょくちょく行っていたが、神様に会ったのはそれが初めて。やっぱり、見た目はあの頃と変わらない。中学生になる頃には会えなくなってしまったが、それ以降も神社には通っていた。
「そういえば、僕が中学生くらいのときにお姉さ──神原さんいなくなったけど、あれはどうして?」
「あぁ……あのときねー……いや、単純な話ではあるんだけどさ」
何故か目を逸らされた。
「あの……その時人を好きになるってのが初めてで……恥ずかしくて恥ずかしくて」
「僕から隠れてたってことか」
「うぅぅうぅ……ごめんね? 謝りたかったんだ。あの時、何も言わずにいなくなっちゃったから」
「それはあんまり気にしてないんだけど……そんな理由で三年以上も僕から隠れてたの?」
神様の時間間隔は恐ろしいものだ。おそらく、その三年も神様からしたら数日程度なのかもしれない。
「恥ずかしかったのもあるんだけどね。まぁ、色々あったからさ」
「色々?」
「知り合いと喧嘩したりとかね」
苦笑しながら、彼女はテキパキと料理を続けた。あまり詮索はしてほしくなさそうだ。こういう時、彼女は聞いてほしい話だったら遠慮せず僕に言ってくれる。僕は人の悩み事を聞くのが好きな方だ。彼女はそれを承知して、その上で言わない。僕に聞かせるほどと思っていないのか、あるいは聞かせたくない話なのか。少し興味の出るところではあるが、深掘りはよそう。
「はいできた、神様特製スペシャルアルティメットカツ丼」
一体どんな調理速度でこのボリューミーな料理が出てくるのか。僕の目の前に置かれたのは僕の顔二つ分くらいの椀に山盛りに盛られた米とカツ──それに、他の揚げ物なども乗っている。全て僕の好物が盛られているあたり、さすがは全知の彼女さんである。
どれもきれいなきつね色をしていて、カツの断面からは肉汁が溢れて米にたれている。なのにベシャベシャとはしておらず、米としっかり絡みつき味わいに奥行きを生む。黄金色で染められた丼は、白米を覆い隠して上に乗った卵がらんらんと輝き、今にも覗き込む僕の顔を反射しそうだった。
「これ、どうやって作ったの……?」
「神様の力を使えば調理時間の短縮位は楽勝だよ」
「いやまぁ、時間もそうなんだけどさ。何よりこの食材たちだよ。こんな美味しそうなのうちにはないんだけど」
「神様の力だよ」
本当に万能だな神の力は。だが、確か口にした願いしか叶えられないという制約があったはず……手料理を作るという願いの中に、食材の調達も含まれるということだろうか。ひとまず無言でその丼に箸を突っ込んでみる。持ち上げるだけで米が崩れそうなくらいにほろほろの米たちをまとめてかきこむ。涙が出そうだった。
「美味しい……!」
予想通りの旨さだ。なんというか、脳の信号に旨味成分が直接働きかけてくるような感動を覚える。サクサクの衣の音を楽しみながら、艶のある米を嚥下した。
「いや美味しすぎるでしょ。もう他のカツ丼食べられなくなっちゃうよ」
「お気に召したならなによりで」
「神原さんは食べないの?」
「私は神様だから、食べなくてもいいの」
そうは言っても、人に見られながら一人でご飯を食べるのは少々気まずい。とはいえ、食べなくてもいいということは食べられないということではないだろう。少々この丼は量が多すぎるくらいだし、半分くらい別のお皿に盛って神原さんと食べよう。そう思い立って提案すると、これまたすんなりと受け入れてくれた。僕のお願いだと思ったのかもしれない。何にせよ、異性と食事を共にするという経験は初めてで新鮮だった。
神原さんは、僕の向かい側の席についた。カツ丼を食べているというのに、上品な人だ。まるでフレンチでも食べているよう。
「さっき、知り合いと喧嘩したって言ってたけど、もしかしてその人も神様?」
「うん。私よりも格が上のだけどね。かなり仲はいいよ」
「ふーん、神様って結構人間臭いんだね」
もちろんこれは褒め言葉だ。
「私は特にね。人に恋をするくらいだから」
神原さんは、僕をじっと見つめてきた。箸すらおいて、何も言わずに僕を見つめている。
「私ね、本当に嬉しかった。きみがずっと通ってくれて、私を信じていてくれたから」
前に聞いたことがある。神様がその形を保つためには信仰が必要だと。その信仰心を糧にして神力を生み、それが神様の力になると。テレビで流れているバラエティは、司会が締めようとしていたところだった。そろそろ、番組が終わる。騒がしいくらいにキャストの声が聞こえてきた。それでも、神原さんの声だけはよく聞こえる。
「だから、次は私を信じてほしいの。私に、お願いごとをしてほしいの」
「またそれか。何度も言ってるけど、僕はあんまり神原さんをものみたいに扱いたくない。僕は、あくまで身の丈にあった願いしかしないよ」
「お願い」
その声は、切に願っていた。少女の目には涙が溜まっていて、人を魅了する朱色の瞳は輝きを放つ。だが僕は、不思議と彼女の姿を冷静に受け止めていた。なんとなく、その後に続く言葉がわかったからだ。というよりも、彼女と再開したあの日からわかりきっていたことかもしれない。なぜ彼女が今僕の目の前に現れたのか、なぜここまで僕の願いを聞いてくるのか。なんとなくわかる。
彼女は、決定的な言葉を口にした。
「──願ってよ、僕の命を助けてって」
だから、こういうのは苦手だ。僕は、心配されるのが苦手だ。
□□□
余命宣告をされたとき、僕はすんなりと受け入れてしまった。最近頭痛や耳鳴りが多くなってきたから病院に行ったら、医者からたらたらと話をされた。病名は忘れた。だが、余命はよく覚えている。大体三ヶ月。健康体でいられるのは二ヶ月とあるかないか。
死にたくないとか、抗いたいとかいう感情はあんまりなかった。親はもういないし、友達も岩手だけ。大した未練もないし、なんだか悲しいと思えなかった。実感がなかったのかもしれない。
──一ヶ月が経った。
ようやく実感が湧いてきた。僅かだが、記憶がおぼろげになったりした。だがその症状も定かなのかわからない。忘れている事自体を忘れることすらある。僕が認識できている範囲で記憶が失われているとわかっただけだ。身体は健康なのに、僕は死んでいくんだということを頭で理解してきた。
それでも、やはり恐怖はなかった。だが、漠然とした不安のようなものがあった。ピンポイントにこれだ、というほど明確なものはない。家をでたらなにか忘れ物をしてきたような、そんな不安だ。
唯一の友人、岩手にもこのことは話せていない。話す理由がないと思ったからだ。いつかは話すつもりであったが、まぁ、このまま墓場まで持っていくのも悪くはない。反応が楽しみだ。
きっとこのまま死んでいくのだろう。そう思っていた時、僕はあの神社を訪れた。小さい頃から通っていた、あの神社。いつものように五円玉を入れて、いつものように適当な願いごとをする。彼女がほしい。そう願った。なぜそう願ったのだろうか、今となっては思い出せない。
それから翌日には神原さんという彼女ができて、一週間と少しを過ごした。多分、もう僕が健康体でいられる時間は長くない。楽しかった思い出を抱えたまま、幻想の中で溺れ死ぬ。
そんな死に方ができるのなら、僕はきっと幸せものだ。もし、その思い出を忘れないのならであるが。
□□□
「悪いけど、そのお願いだけはできない」
世界で一番愛する人から、そう言われた。絶対に助けたいその人から、極楽の蜘蛛の糸を払われた。
──予想はできていた。
私は全知だ。それを抜きにしても、私は彼を愛している。そう言うだろうとは思っていた。だが、理由がわからない。なぜ断るのか、理由がわからない。死が確定している人間は、大人しく死ぬべきだと思っているのだろうか。いや、それはない。灰塚くんは高尚な思考を好まない。それこそ、不老不死はダメだとか、死んだ人を生き返らせるのは倫理に反するだとか、そういうのは言わないタイプだ。あくまで一人間として自分を捉えて、哲学者みたいなことは言わない。
多分、こうやって断っているのもシンプルな理由なのだ。至ってシンプル。それを読み解いて、排除してさえしまえば、彼は『自分を助けてくれ』という願いを言ってくれるはずだ。口にしてくれたのなら、私はそれに答えられる。私は、率直に聞いてみることにした。
「なんで、断るの……?」
「さぁ、覚えてない。だけど、断るわけにはいかない。そういう固い意志だけは覚えてるから」
「都合の良い記憶っ」
無理に笑顔を作ってみせた。その日は、食事だけ終えて彼の家を後にした。私の帰るところは神社だけ。とぼとぼと、夜の道を歩いていく。彼の家を出るときに、送ってあげると彼が魅力的な提案をしてくれたが、一人にしてほしかったので断ってしまった。それに、悪漢に襲われようとも私は跳ね除けることができる。それだけの力がある。
「なんで、彼なのかなぁ」
一ヶ月ほど前、私の知人──ならぬ知神である格上の神様がいた。彼女は、この街の
だが、格上といえど人間の死の決定力は弱い。神が直接裁きをくださない限り、その死の運命は覆ることすらある。大勢の死を管理するために、特定の死以外を天使たちに任せて調整させているからだ。それなら、私の力が及ぶ。信仰不足の私でも、願いを口にしてくれれば叶えられる。
「なんで、なんだろうなぁ……」
頭の中を覗いてみても、断る理由がわからなかった。忘れているのか、私じゃ及ばないような理由があったのか。だが一つ言えることは──
「あと少しで、手遅れになる」
今だけは、あの美しい天使を恨んだ。あんなもの、死神と大差ない、死の象徴だ。神聖であるかどうかの違いしかない。真っ白な翼が、鋭利な刃物にすら見えた。ほんのり紅いその頬は、返り血にすら見えた。誰からも崇められる、その殺人鬼を止めなければ。
最近ヤングドーナツが美味しいということに気づきました。あの安さであの美味しさ、彼らくらいの学生たちにぜひ食べてほしい。
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