その話をされたとき、俺はどういう顔をするべきなのか迷った。
「灰塚が死ぬ、かぁ」
目の前には神原さん。放課後、人気の少ないカフェで灰塚の余命の話を聞いていた。残り数週間としないうちに、灰塚の身体の自由が効かなくなるかもしれない。そこから一ヶ月もすれば、死ぬだろう──そういう話。確かに、あいつは大事なやつだ。死んだのなら、俺とて悲しい。だけど、灰塚は生きることを強く望んではない。あいつは良くも悪くもクズで倫理観が少し足りていない。私利私欲のために生きる自己中というわけではないが、他人に期待をすることも、それこそ自分に期待をすることもない。だから、他人が失敗したとかあれをやったこれをやったとかどうでもいいと思っているし、自分がどうなっても大して興味はないだろう。生きることを強く望んでいたら──自分に期待をしているのなら、他人の目をはばからずに神原さんにお願いをしているだろう。していないなら、少なくとも生きる執着はそこまで強く持っていないというわけだ。
「なるほど合点がいった。つまりこの前に言っていた神原さんの引き出したい願いごとってのは、ずばりそれだな。灰塚を助けたい一心で、ずっと願いごとを聞いていた。あの行き過ぎた愛情もそれに準ずるもの。先が短い灰塚に、少しでも幸せな生活を送ってほしかったから」
「うん。だけど、彼は願わない。お願いを直接言うように促してみたけどダメだった」
「そんなことまでしたのか」
「もう、時間がないと思ったから」
「まだ一ヶ月近くあるんじゃないの?」
「健康体じゃなくなった時点で、助かる可能性は半々だと思う。そこまで進行しちゃうと、私の力が及ぶかどうかわからないから」
どうやら神様の世界も単純じゃないらしい。聞く限り神原さんは、神様の中でもかなり力の弱いほうだという。もっと格の高い神が外界に降りてくると、それだけで世界のバランスを保てなくなるとか。そんな神を相手にしていると考えると、末恐ろしいものだ。
「ふむ、差し出がましいようだけど、灰塚の親友から灰塚の彼女へアドバイスだ」
「……なに?」
「あいつは多分、もう死を受け入れている」
その願いを引き出すための方法を俺に聞きに来たのだろうが、残念ながら力にはなれない。
その言葉は、きっと神原さんを刺激する。迂遠な言い回しにはなるが、つまり灰塚を見捨てろということだ。あいつは死を受け入れているから、放っておけばいい。そう読み取ったのか、隠しきれていない怒りを抑えつつ、彼女は俺を睨んできた。
「どうして、そう思うの」
「……そもそも、神原さんと灰塚が付き合ったきっかけって、灰塚が彼女がほしいって神社で願ったからだろ?」
「うん。だから私が現れた」
「あいつはそんなことを望むようなやつじゃない」
これまでそんな素振りもなかった。彼女がほしいかという話になると、あいつが決まって言っていたのは『自由は常に孤独だよ』だ。あいつは恋愛に偏見を持っている。疎んでいた。そんなやつが彼女がほしいなんて願った事自体が不思議だった。だがなんとなくわかってきた。あいつが彼女を望んだ理由。自分の死期を悟っていたのなら、もう一つしかないだろう。そして、それを宣告すれば
とても俺に扱えるものじゃない。伝えられない。あの願いを、後悔だと思ってほしくない。灰塚が望んだ、本心からの願いを──
「……この先は、悪いけど本人に聞いてもらおうか。俺の口からは到底言えない」
「小説家は、もったいぶってばかりだね」
「俺は読書家だよ。これまでも、これからも。だから俺は、読むことしかできない」
人より人の気持ちを読み取るのが得意だった。だが、今だけはそれを恨みたい。灰塚の意図も、それを知って神原さんがどう思うかも手に取るようにわかる。だからきっと、この物語はバッドエンドで終わってしまう。
だって、あいつなら絶対に神原さんに全て伝える。神原さんなら絶対に灰塚から聞き出す。もうこれは、決まったストーリーをなぞるだけの物語なんだから。
「物語を書くやつは、いつだって現実に満足できないやつだけだ」
だから俺は、高校で物語を書かないでいられたのに。
──もう、あいつが死ぬことは決まってしまった。たまには、物語でも書いてみようか。慈愛に満ちた、神様と人間の恋の物語でも。それでこの先、あいつの棺桶に入れてやろう。あの世でも暇しないように。
□□□
頼みの綱でもある岩手くんが灰塚くんの命を諦めた。
……いや、その言い方は正しくないだろう。彼は、切に灰塚くんがいなくなることを悲しんでいた。それでも灰塚くんの意思を尊重した。肝要なのは、灰塚くんが『彼女がほしい』と望んだ理由。岩手くんは、その理由を語ろうとしてやめた。それから先は本人に聞くべきだと。
頭の中を覗いても良かった。それできっと、全て解決した。だけど、できなかった。怖かった。岩手くんは達観している。一歩引いて、物事を観察する。そんな彼が私に内容を告げることをやめた。嫌な予感がしたのだ。神の予感だ。外れるとは思えない。
……直接本人に聞くしかない。だけど肝心の灰塚くんは病の影響か記憶がおぼろげだ。思い出してくれるかわからない。
「あ、神原さん。えーと、これはおかえり、なのかな」
帰った先──私の神社で灰塚くんに出会った。律儀にまたお参りに来てくれたらしい。少し、無理をして笑顔を作った。口角の上がり方が、左右でズレていたかもしれない。
「聞いてよ、駅前にドーナツ屋がオープンしたらしくてさ、何でも若者人気が高いらしいの。甘いものにハエみたいに集る民衆を眺めながらコーヒーでも飲みたくない?」
相変わらずクセの強い提案だ。そういうところも好きなのだが。
「あのさ、灰塚くん」
「ん、なに?」
「死ぬのは、怖くないの?」
「あー…………その話か」
ちょっとめんどくさそうに、彼は頭を掻いた。自分の命のことなのに、まるで虫の命みたいに興味がない。
「どうだろう。まぁ、怖いんじゃない?」
「だったらやっぱり、願ってほしいよ。僕を助けてって、一声言ってくれれば──」
「それは嫌だ」
きっぱりと、断られてしまった。やはり理由はわからない。
「それよりも僕はさ、神原さんと楽しいことしたいよ。どうせ死ぬんだ。最期くらい、遊ぼうぜ」
とてもじゃないが、今遊ぶ気にはなれなかった。初恋で、大切で、生きていて欲しい人が頑なに断ってくるのだ。あぁ、なんだか目が潤んできてしまった。ぼやけた輪郭。それでも、灰塚くんのことははっきりとわかった。一筋の涙が、頬を伝う。
慌てて、灰塚くんが駆け寄ってくる。上ずった声で、私は彼に聞いてみた。今なら、願ってくれるだろうか。なんだかずるい気がするが、それでも、私は彼を助けたい。罵られても、嫌われても、否定されたとしても、私は彼に生きていてほしい。それ以外に何もいらない。
「だったら、なんでっ……願ってくれないの? 私はあなたに生きていてほしいよ。これからも、私と一緒に笑っていてほしいよ」
そんな私を、彼はじっと見ていた。言葉を選んでいるようだった。謝罪の言葉を一瞬口にしかけて、すぐに飲み込む。きっと謝られていたのなら、私はもっと泣いていただろう。謝るんだったら、言ってくれと。
「はは、こんなに愛してくれる人がいるなんてね。僕は幸せものだな」
穏やかに、彼は笑っていた。
「確かに、僕は少し未熟だった。きみのことを考えてなかった。よくよく考えたら、もう僕の命は僕だけのものじゃないもんなぁ」
しみじみと、彼は言葉を噛み締めていた。ダメだ、目が潤んでしまう。目の前の彼が、よく見えない。このまま消えてしまうのではないかと心配になって、また少し涙が溢れてくる。いい加減に止めなければ。まだ、彼が死ぬと確定したわけじゃない。
「だけどごめん。やっぱり、その願いは口にできないよ。冗談でも言えないや」
「どうっして」
声がひっくり返りながら、彼を見る。
「思い出したんだ。なんでこうやって願いを断っているかを」
──それは、私にとって大きな力をもった言葉だった。希望を感じられる一言。その原因さえわかってしまえば、その原因さえ取っ払ってしまえば彼は生きたいと願ってくれるはずなのだ。人間は、生まれながらに死を拒絶する生き物だから。
きっと思い浮かべているであろうその理由を覗き見ようとした。だが、それよりも早く彼は言う。頭の中を読まれないためか、それとも、もとより自分からそれを言いたいためか。
「──僕は、もう最後の願いを叶えちゃってるからね」
……あぁ、だから、岩手くんは言うのをためらったのか。
その言葉は、あまりにも残酷で、美しくて、儚くて──堅いものだった。だって、彼が最後に願った願いらしい願いといえば、『彼女がほしい』だったんだもの。なら、私が付き合ったことが──死のトリガーだったんじゃないの?
□□□
彼女の涙を見て思い出した。僕は、最後の願いを叶えていた。『彼女がほしい』という、生涯最後の願いだ。だから、他のことを願う気にもならなかった。だって
同時に、自分がどれだけ悲惨なことを言っているのかも理解しているつもりだ。僕のこの言葉が、彼女にどんな思いをさせるのか。だって、その願いを彼女が叶えてさえいなければ──僕はまだ、生きようとあがいていたかもしれないのだから。神原さんが僕の彼女にならなかったのなら、まだ最後の願いは有効だったかもしれない。でも叶えてしまった。残念ながら、僕もこれは譲れない。最後の願いを叶えてしまったのだから、大人しく散らせてもらう。
今にもその場から逃げ出してしまうそうな──いや、消えてしまいそうですらある彼女を抱きしめる。逃さない。この話には続きがある。それを聞いてくれるまでは、消えちゃダメだ。僕の最後の願いをなかったことになんてさせない。
「ねぇ、神原さん。なんで僕が彼女がほしいなんて願ったんだと思う?」
「……彼女が、できたことなかったから?」
不正解だ。僕は、生まれてこの方彼女なんてほしいと思ったことはない。生まれてこの方──今もだ。あの神社で願ったときでさえ、思っていない。だから、僕の本当の願いはその裏にある。涙で顔がくしゃくしゃになっている。それでも美しい彼女をより強く抱きしめながら、その裏を話す。
「僕はね、泣いてくれる人がほしかったんだ」
だから、彼女の涙をみて思い出した。
「僕にはあまり友人が多くない。親からも、多分そこまで愛されてない。岩手は仲が良いけど、多分泣かない。悲しんではくれるのかな」
あいつが泣くとこなど想像ができない。悲しむには悲しんでくれるだろうが、それも一日程度で終わりそうだ。あぁ、あいつが死んだか、悲しいな。そう思った翌日には焼き肉にでも行けてしまいそうなやつだ。だから──
「僕は、悲しんでくれる人が欲しかった。キモいかもしれないけどね。僕が死んで、泣いてくれて、三日三晩悲しんでくれて……僕が生きていたことを、確かに記憶してくれるような人が欲しかった。だから、彼女を願ったんだ。きっと、僕を好きでいてくれるなら泣いてくれるだろうなって」
子どものようなワガママだ。自覚はある。けれど、それが、僕が最後に望むものだった。僕を覚えていてくれるのなら、僕の死をちゃんと悲しんでくれる人がいるのなら、僕は死ぬのが怖くなれる。今までは怖くなかった。実感は多少あれど、恐怖はない。だけどそれだと、あまりにも人間味がないじゃないか。
でも、泣いてくれる人がいるのなら、僕は正しく死を怖がれる。僕は死を拒絶するために生きて、勇敢に死んだのだと言える。愛する人を取り残してしまう恐怖を覚えながら。
──ごめん、という言葉を飲み込んだ。それは、彼女に失礼だ。ここまで僕のワガママに付き合わせたのだ、僕は、最後までそれを押し通す。半端はダメだ。
震える彼女を少し引き剥がして、視線を合わせた。潤んだ朱色の瞳は、濡れたビー玉のようにつややかだ。
「……最後まで、僕のわがままに付き合ってくれるかな。僕が死んで、きみは、泣いてくれるかな」
僕も、少し涙が出てきてしまった。なんでだろうか。なんだか、泣いている彼女を見ているととても胸が苦しい。耐え難い苦痛を噛み締めながら、僕は彼女の言葉を待つ。ほんの、すこし。多分、彼女は考えていないだろう。答えは最初から決まっていて、それを口にするだけの覚悟をしていた。本当に、それくらい少しの時間。
「──うんっ。わかったよ。きみが死んだら私は、あなたのために泣いてあげる。あなたが、それを願うならっ!」
その笑顔は、痛々しくも美しい。あぁ、神様。こんな僕に、最高の死に方を約束してくれてありがとうございます。感極まる中で、とうとう僕は涙をこぼしてしまった。神社の周りの木々は風に揺られて僕らを覆う。斜陽は木々の隙間を縫って、神社を照らす。神々しくて、余計に感傷的にさせてくる。
「愛してるよ。神様」
愚かしい。ここでようやく、僕は初めて自分の恋心に気づいた。僕は、初めて本気で人を好きになったんだ。彼女の涙をみて胸が苦しむのも、笑う彼女が痛いほどに愛おしいのも。全部全部、僕が彼女を好きだから。愛しているから。そっと、彼女の頬に手を伸ばした。朱色の瞳、絹のような黒髪、白い肌。ひとしきり泣いて紅潮する彼女の頬は、斜陽と同じ色をしていた。伸びる影が、そっと重なる。
女神の口づけは、ほんのり甘かった。
□□□
「季節外れの大雨で──」
あれから二ヶ月。テレビでは、ここ数日の天気を報道している。大豪雨だ。梅雨でもないのに、三日三晩の大雨。困ったものである。家に籠もりながら、文庫本を読んでいた。外を見ると、昼なのか夜なのかわからないくらいの暗雲が立ち込めている。悲しみの厚みは、計り知れない。
そろそろ登校の時間だ。大雨で電車が大幅に遅延した影響で、生徒に配慮して学校が遅れて開始することが知らされた。億劫なものである。ここから学校は徒歩で行ける距離だが、大雨のなか歩いていくのは気が滅入る。
……それに、あの教室は寂しくなったものだ。一組、空席ができてしまったのだから。
まるでその空いた場所が、二人だけの場所に見えるのは思い込みがすぎるだろうか。
誰も踏み込めないような、死が二人を分かつとしても添い遂げてしまうような──そんな、甘い破滅にも近い愛を感じた。まるでそこに、二人だけで談笑しているみたいな。
読書家は、読みたくないものまで見えてきて困る。
滲んだ文字を擦ってみたが、消えてはくれなかった。
これにて完結。ちょっとリアルが忙しすぎるのでしばらく何も投稿しなくなるかもです。ネタもなくなったし、暇になったらたまにはお絵描きでもします。Twitterにイラストは載ってますよ。気になる方はぜひ。
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