金剛石のロマン   作:限界集落

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鬼には堕ちないでください

 

 わたくしは全くもって愚かな女でございました。

 愚かというのならば、愛しき我が仔にも当てはまるのでしょうか。それならばわたくしは泣いて喜ぶでしょう。地に頭をつけて、この羽衣を脱ぎ捨てるでしょう。

 

 そしてたらふく幸福を腹に収めたあと、思い出したように懺悔するのでしょう。どうしたって私は哀れなのです。貴方は、貴方だけはどうか許してください。

 

 わたくしの罪は一体どうしたら天の帝に許されますか。その為ならこの身を百編焼いても構いません。

 そして生まれた灰が、貴方と、我が子と、皆様の幸いになるならばわたくしは喜んで炎の渦へ飛び込みます。

 

 きっとわたくしはあの瞬間の為にこの世界へ生まれてきました。わたくしはいつか、自らに課された役目を無視し、世界に逆らい、そう在るべき定めをねじ曲げました。

 許されないことです。世界の恒常性を、修正力を軽んじていた訳ではございません。わたくしはその反動に希望を賭けたのですから。

 

 ただ、ただ⋯⋯ええ、笑ってください。

 そしてひとつ聞かせてください。

 

 わたくしを神と呼ぶのなら、何故恋なんてものを与えましたか。

 わたくしに恋を与えたのなら、何故人と関わらせたのですか。

 

 その答えがわからないから、今も心臓に杭を打たれたまま、苦しくて堪らない。

 わたくしとは一体なんでしょう。人間? 神? あぁ、ただの哀れな精神異常者でも構わない。

 

 わたくしを変えたのはこの恋です。あの人間です。

 わたくしは愚かにも、たったひとりの為にこの身を堕としたのですから!

 

 ◇◇◇

 

 夢を、見ていた。

 幼い頃から見る夢だ。泡沫の意識の中で聞こえる女の声は、何故か母たる胎内のように心地よい。

 

 娘は布団から起き上がった。障子を見るに、まだ空は白み始めたばかり。どうやら早起きしてしまったらしい。

 巫女の娘─────玻璃宮御影は、ふぁと猫のような欠伸をした。

 

 箪笥からTシャツとショーパンを引きずり出す。それを下着の上から身につけて、手ぐしで適当に髪を解いた。髪を乾かさず寝てるというのに、なんということだ。その艶はまるでダイヤモンドを織り上げたようである。

 

 くちゃくちゃの布団をそのままに洗面所へ向かう。顔を洗って、ピンクのタオルで水滴を拭った。鏡が目に入る。

 

 流石皇族の血を引くブルーブラッドの巫女というか、容姿はまばゆいばかりの美しさだった。アジアの美姫は、それこそかぐや姫と言われても納得しうる説得力。その銀髪こそ玻璃宮一族の正当な証だった。

 

 リビングへ迎えば、油の跳ねる音がパチパチ拍手で迎えてくれた。その指揮者、巫女より少し大きな後ろ姿はエプロンがよく様になっている。

 

「千鉱、おはよー」

「おはよう、巫女様」

 その娘は千鉱が物心着く前から傍に居た。

 血は繋がっていない。父が何処からか拾ってきたらしい。誘拐事件である。己は誘拐犯の息子だったのだ。

 

「巫女様はそりゃもう高貴なお方でな、そう、なんかめっちゃ凄い。攫ったら多分色々不味いけど、まぁなんとかなる」

 

 爽やかな朝を過ぎて、昼食時。

 カラン。千鉱の箸が落ちた。

 

「うわ、ばっちい」

 

 お前のせいだよ。父はあっけらかんと語ったので千鉱は警察に駆け込むか真剣に悩んだ。

 説得力の欠片もない父はうどんをズルズルと啜っていて、件の巫女もちみちみ啜っている。

 

 なんだ、こんなに動揺する己がおかしいのか。何年も同じ釜の飯を食った巫女が、実は他の巣から誘拐してきましたー⋯とか、悪夢にもほどがある。

 

 巫女はふうふう言いながらうどんを唇に運んだ。ほっそりした首筋には薄く汗が浮かんでいる。

 さっき千鉱がポニーテールにしてやった髪はグチャっとしていて、父が買ってきたダッサイTシャツはシワが寄っていた。サイドラインの入ったスポーティなショートパンツが揃えば、巫女様お気に入りの部屋着である。

 そんな格好に浮いているのが、絵画でしか見たことないような豪奢な耳飾り。いつも肌身離さず付けていて、たまに国重が触ろうとすると怒る。

 

 休日の姉ちゃんか。千鉱は巫女に対し淡い希望を抱くことは無かった。

 だって娘は皿を洗わないし、何も無いところで転ぶし、冬場とか絶対暖炉の前を譲らないし、千鉱が布団を引っぺがしても朝は起きなかった。顔の良さで全てをカバーしていた。

 

「醤油とって」

 

 千鉱は醤油瓶を隣に置いた。巫女様といえば、いつもこの弟分を顎で使う。

 

「醤油かけて」

 

 千鉱は巫女のうどんに醤油をかけた。天かすがジュワッと濃く染まる。

 

「あっ、アッーー!! 入れすぎ! ばか!」

 

 殺生な。千鉱はこのアホ巫女の頬を餅のようにつねりたくなった。金魚鉢を飾ったダイニングに巫女の甲高い声が散乱する。

 

「千鉱が入れすぎた! 絶対濃い! 私汁まで飲みたい派なのに!」

「巫女様が自分で入れればよかったじゃん」

「イヤー! 千鉱がいれるの!」

 

 もう食べない!とか騒ぎ出すので千鉱は面倒くさくなって自分の器と交換してやった。これなら金魚の方が扱い易い。

 

「やったあ。ありがとう千鉱!」

 それでも娘の笑う顔が一等愛らしいので、千鉱の溜飲もいつも下げてしまっていた。

 春の花に似た愛嬌。彼は生来世話焼きなので、傲慢な巫女にはまぁまぁ弱かった。

 

◇◇◇

 

カン、カン。

 

 六平の家に響く刀匠の誇り。赤い鉄を打ち、折り返し、重ねて鍛錬。

 内部の空隙を潰し、結晶を細分化していく。古来から鉄は叩くことで介在物を除去する。

 

 火を焚く以上、工房の中は暑いというより熱い。父と千鉱が手ぬぐいを頭に巻くのは、額から流れる汗で目を遮らせない為でもある。

 

 六平国重は日本で最も有名な刀匠だ。

 独自の作刀方法で特別な一振を作り出す。鬼才と呼ばれるに相応しく、日々刀への敬意を忘れない姿勢を千鉱は推重している。

 六平への評価は先の戦争でこれ以上ないほど高められたが、それと同時に悪意も運んできた。

 

 特殊な結界で張り巡られた六平の隠れ家は、数本の結界石を軸に注連縄(しめなわ)で囲われている。いずれも娘が禊を済ませた強力な神具だ。

 

 娘は結界術と治癒に優れていた。

 玄力の保有量はダムのそれなのに、身体強化の一切はミジンコ並。その報奨というように、この二点に関しては凄まじい才能を有している。手や足をポンポン生やすくらいお茶の子さいさい。

 

 でも最近は国重のささくれを治すだとか、国重のぶつけた小指の痛みを取るだとか、そういうのに使われている。刀を包丁代わりにキッチンで活躍させるようなものだ。そう巫女が言ったら国重は見たことないような顔をしていた。哀れ、国重。

 

 兎も角、巫女の能力は表社会からも裏社会からも喉から手が出るほど欲しくてたまらない能力だ。それこそ妖刀六工に次ぐ国落としと言っても過言では無い。

 だから巫女は彼らが鍛刀に勤しむ間、結界の強化に専念するのだ。

 

「───祓え給い、清めたまえ。(かむ)えながら守り給い、(さきわ)い給え」

 

 古来から伝承されてきた祝詞には、過去と未来すらも左右するエネルギーを孕むらしい。

 シャン、と鈴の音が鳴る。薄暗い板張りの一室は蝋燭の炎だけが妖しく浮かんでいた。注連縄で囲った部屋の中、巫女装束の袖がはためく。ちいさな足袋がステップを刻む。

 

 玄力は自然に宿る生命エネルギー。言わば玄力が多いほど、自然現象に近い。

 

「懸けまくも(かしこ)伊邪那岐大神 (いざなぎのおほかみ)筑紫(つくし)日向(ひむか)橘小戸(たちばなのをど)阿並岐原(あはぎはら)に────」

 

 ほぼ無尽蔵の玄力を持つ娘の有り様は、ヒトというより精霊に近かった。既存の人類の究極地点こそ、巫女である。

 

 巫女は舞う、舞って、舞い続ける。何十分も、何時間も。息と時間を忘れて。纏った千早が息をするように膨らみ、柄の鶴がバサバサ動き出す。

 巫女の玄力が蛍のように発光して、辺りへ飽和していく。とうとう何処からか笛と太鼓の音が聞こえてきた。桃色の花弁が巫女を祝福するように舞っている。

 

 キリストしかり、オルレアンの乙女しかり、ヒトはそれを奇蹟と呼んだ。聖なる巫女の舞は万物に宿る玄力を呼び覚ます。

 信仰とは恐らく、こういったものから生まれるのだ。

 

◇◇◇

 

「ちがれだ(つかれた)」

 

 巫女はダイニングテーブルにぐだっと溶けた。

 国重は風呂を上がったばかりで、刈り込んだ頭をタオルでゴシゴシしている。以前巫女に「あせくさい」と言われてから鍛錬後は念入りにピカピカ磨いてるのだ。

 巫女は自分より先に誰かが湯船に浸かるのが嫌なので、男たちはいつも後回しである。六平の男は大抵巫女に逆らえない。

 

「今日ね〜めっちゃお花舞ってたよ。踊ってるとき」

「すご」

「千鉱は? お花出ないの? こう、ぷぁーって」

「出ない」

 

 本当に、なんで出るの? とは言わずに千鉱は娘の頭をタオルドライし続けた。傍から見れば兄妹のよう。

 千鉱は結構前から悟っている。この娘は色々規格外なので考えるだけ無駄である。千鉱のような理屈屋ではなく感覚派なのだ。

 

「ねぇねぇ、アイス食べたい」

「昨日食べきっちゃったじゃん、もう無いよ」

「エェ!?」

 

 巫女はバッと振り向いて捲し立てた。巫女は食べ物にうるさいし、がめついのだ。黙ってれば人形のように美しいのに。

 

「なんで!? 私今チョコのアイスの口なんだよ!」

「そこの売店行ってくれば」

「じゃあ千鉱もいっしょね! 準備準備!」

 

 返答を聞かないまま巫女は椅子から跳ね上がってバタバタ自室へ駆け込んで行った。まったく嵐のような少女である。

 

 窓を見れば夜も更けてきた。流石に乙女ひとりを夜道に歩かせる訳にはいかない。

 ⋯仕方ない、着いていこう。千鉱はカーテンを閉めながらため息をついた。

 

 千鉱がカーディガンを羽織って玄関へ向かえば、娘はサンダルに足を引っ掛けている時だった。

 

「! ちひろ! 早くいこ」

「⋯⋯それで行くの?」

 

 物申したい、といった風に千鉱の無表情が崩れた。

 肩と二の腕をガッツリ出したタンクトップと、ショートパンツからスラリと伸びた白くて細い足。

 世の男にとって目に毒、劇薬である。容姿な無自覚な巫女のアダが出た。

 

「え、ダメ? なんで?」

「⋯⋯」

 

 千鉱は黙ってカーディガンを脱いで、娘に羽織らせた。背丈は最近千鉱が抜かしたばかりなので、サイズは合っている。

 

「着て」

「ふぅん⋯いいよ」

 

 ぎんいろのまつ毛を何度かパチパチしたあと、巫女は満足気に頷いた。黒いアクリルカーディガンに袖を通す。

 余談だが、部屋の隅から話を覗いていた国重は大きなトキメキに襲われていた。うちの息子、イケメンすぎる。

 

◇◇◇

 

「あとこれ、これも食べたい、こっちは明日の分ね」

 

 フルーツバー。ガリガリ君。しろくま。

 ポイポイアイスが投げ入れられていく度、千鉱の持つ籠がズッシリしていく。

 

 家から徒歩二分にあるボロい売店はちいさなお祖母様がひとりで切り盛りしていた。以前娘が万引き犯をしょっぴいてから、週に二回ここでバイトしているらしい。

 商品を格安で売ってくれるので、六平家が言う売店とは此処のことだった。

 

 錆び付いた縁台の隣にあるアイスケースに娘が手を突っ込んでいれば、腰の曲がった店主が「千鉱ちゃん」と言った。

 

「? なんですか」

「お父さんはどう? もうずっと見かけないねぇ」

「⋯父は仕事が忙しいみたいで」

 

 もう少し千鉱が幼ければバツの悪そうな顔でもできただろう。六平国重は国の重要人物だ。刀社会の日本において英雄とも呼べる。

 だから双方、不要な外出は家族も危険に晒すと正しく理解しているのだ。

 

「有名人だからな! いつパパラッチが撮ってるかわからん!」とか国重は言うが、千鉱はそれが冗談なのか本気なのか信じられないでいる。

 

「千鉱、ハーゲンダッツも食べたい 」

「ダメ。高い」

「いいよ、持って帰り」

「おばあちゃん! 好き!」

「お給料から引いとくね」

「おばあちゃん! 嫌い!」

 

 千鉱が支払いをしている間、娘はお座敷に上がって扇風機に当たっていた。ドラえもんの声真似をしている。

 

「また来てねぇ」

「ばいばーい! 長生きしてねー!」

 

 来店の度に言ってるな。千鉱はスピリチュアルの類を盲信してる訳では無いが、娘の言霊の力を舐めていない。

 無尽蔵の玄力で成り立つ、一部分・一時的な自然への干渉。言うなれば、娘は世界の集合意思への鍵を手にしている。

 

 つまり、娘が心から「長生きしてね」と言えば人間は本当に長生きしてしまうのだ。

 もちろん例外はあるだろう。娘が「死ね」といったら其奴の心臓が止まるわけじゃないし。

 

 妖術しかり世界がどんな異常に満ちようと、どの星も結構都合よく出来ている。朝日は毎日昇るように、爪は伸びたら切るように、その恒常性が発揮される。

 

 幾ら精霊に近い巫女だろうと、世界が定められた運命は変わらない。巫女の力は一過性。人類を丸ごと変革させるほどではない。

 彼女もまた、いつかは他の人間と同じように滅びていくのだ。

 

「足寒い!」

「だから言ったのに」

 

 寒い寒い! と娘はその場で駆け足した。手に持ったビニール袋がガシャガシャ揺れる。

 

「若いうちに生足をたくさん出していたいんだよ!」

「⋯⋯」

「なんだその目は!」

「そんなんでこれから独り立ちできるの?」

 

 白く光る満月が帰り道の二人の影を伸ばす。高地にある家までの階段を登る最中、娘はピタリと足を止めた。

 

「え? 千鉱がいるじゃん」

 

 振り返れば子兎みたいなツルッとした目でこちらを見ているから、千鉱は一瞬返答に困ってしまった。

 

「⋯俺は刀匠になるけど、巫女様は大きい神社に務めるんじゃないの」

「私今の生活がいい。ずっと三人で暮らす!」

 

 娘はそうニコニコ笑うものだから、千鉱は何だか毒毛が抜かれてしまった。

 千鉱はそれを夢物語だとわかっている。いつかはこの生活には終わりが来るものだ。きっとそれは、娘が思うよりずっと早く。

 

「千鉱が作った刀をね、お清めしたいんだ。素敵な人に使われますように、たくさん人を助けますようにって」

 

 娘はピョンと石段を飛び越えて、千鉱のルビーを見下ろした。

 きれいだ、千鉱は頭の片隅で思った。白い月光に新雪が降りたような銀髪がキラキラ照らされて、それは星が降ったように美しかった。

 

「千鉱はすごい刀匠になるよ! 約束する。私がずっとそばにいて、証明してあげる」

 

 巫女は大きく手を広げてくるりと舞った。

 ばくん! 体の中心が大きく跳ね上がって、千鉱は目尻が張り裂けそうなくらい目を見開いた。

 

「ずっ、と」

「うん! ずっと隣にいてあげる。千鉱をずっと応援するよ」

 

 きっとこの夜だ。

 千鉱が初めて巫女への執着を感じたのは。

 

 アイス溶けちゃう! とワタワタ家へ駆け上がってく華奢な背中を、千鉱はぼうっと光る目で見つめていた。

 

◇◇◇

 

 六平の刀匠は手袋をしない。

 単純に邪魔であるし、まず鍛冶屋は然程大怪我することはない。

 

 そも、一律にコンピュータ化された工場なら些細なミスが大事故に繋がりうるが、一工房ならば自身でカバーできる。

 むしろ軽い火傷くらい経験しておかないと激しい熱傷を軽く見ることになる、と国重は語った。

 

 なるほど、槌を握り続け掌が硬くなるうち刻まれる小さな火傷は勲章とも言える。

 

「うわぁ、痛そう」

 

 娘はひょいと千鉱の手を取った。うっすらと肉刺(まめ)の出来た掌にミミズ状の新鮮な火傷跡。真皮まで到達した深達性の水膨れ。

 全くもう。国重の焦る声に洗濯物をほっぽり出して来てみればこれだ。

 

「どしたの、なんかヤバくない?」

「間違えて作業中の鉄に触れた」

 

 父のあんな硬い声を初めて聞いた。と千鉱の鋼に似た睫毛が伏せられる。

 フンと仕方なさそうな顔をした娘が千鉱を縁側に座らせた。

 

「ピンク色すぎてきもい」

「黒じゃないだけマシ」

 

 娘の玄力は銀白色だ。ヘモグロビンの赤を圧倒的な密度の光で塗りつぶす。ほんのひとつの細胞がズレれば皮膚は荷崩れしてしまうだろう。

 

 破壊されたタンパク質を生み直す。

 栄養素と水分を送る。

 皮膚を貼る。

 

 医学書を片手に娘が独学で習得した診療は常に正解を叩き出す。この巫女は六平家の専属医でもあった。

 目が焼かれそうな光景だ、と千鉱は思った。掌に白い炎が焚かっているようにも見えた。

 

「ほい、できた」

「ありがとう」

 

 グッパッ。痛みも充血もない、掌を動かしても問題なし。千鉱は手ぬぐいを頭に巻き直した。

 

「大事にしないと、刀匠の手でしょ」

 

 びっくりした。千鉱は瞬きを忘れた。娘があんまりにも当たり前のように己を刀匠と呼んだから。

 

「⋯うん」

 

 がんばれ、千鉱。娘は自慢げに、誇らしげに笑った。

 六平千鉱は娘の夢の形をしている。

 六平千鉱にとって、娘とは幸せの象徴だった。

 

◇◇◇

 

ガタン、ゴトン。

 

 車輪がレールの継ぎ目を通る度、振動を車両へ伝える。お天道様の下、列車は少しの乗客を連れて都へと進んでいた。

 

「チヒロ君」

 

 興味なさげに窓の外へ向けていた視線をバリトンボイスが引き止めた。

 黒いコートと剥き出しの太刀、頬の大きな古傷に宝石の耳飾り(・・・・・・)を持つ青年はこの帯刀社会でも目を引く。

 

「柴さん」

「おはよ」

 

 ここ座んで。数珠で飾った手でししゃもを摘んだサスペンダー姿の男性、柴登吾。千鉱の過去を知る数少ない人物である。

 

「⋯駅で落ち合うはずでしょ」

「ええやん別に〜天気ええなしかし!!」

 

 焼き魚食べながら歩いてる人初めて見たな、とか千鉱はどうでもいいことを考えていた。千鉱と向かい合わせになるように腰を下ろした柴がししゃもを差し出す。

 

「なんやえらい見て、チヒロ君食べる?」

「大丈夫です」

「あそう」

 

 柴はシャモッと焼き魚の頭に齧り付いた。相変わらず読めない人である。実の所、千鉱は柴が苦手になりつつあった。尊敬も信頼もしているが、それとこれとは別。

 そのフワフワとした性格の読めなさは彼女(・・)を思い出してしまうから。

 ズキンと古傷が傷んだ気がした。

 

「⋯⋯チヒロ君、一個聞いてええ?」

「はい」

「⋯その傷、治そと思たら治せるやろ。めっちゃ目立ってるけど⋯ええんか、そのままで」

 

 柴はまたシャモッと焼き魚を貪った。

 列車の外界は目まぐるしく走り抜けていく。この車窓のように、今思えばあの日の悪夢から今日まであっという間だった。

 

「⋯⋯朝」

「顔を洗って、鏡を見るとこの傷が目に入る。すると⋯あの日を思い出すんですよ」

 

 窓に写るもう一人の己、米神から左頬にまで走る傷跡。こんな傷生ぬるい程の奪われた数々がフラッシュバックする。その度千鉱の赤い臓腑がグツグツ湯だった。

 

「お陰で毎朝⋯新鮮な憎しみをもって毎朝を始められる」

 

「あれから⋯ずっとその生活か⋯⋯⋯壊れてまうで」

「なら止めますか」

「⋯⋯巫女様なら、そうしたやろうね」

 

 汽車の振動が沈黙を掻き消す。普段煩わしいはずの騒音も、今は救いになった。

 目を閉じれば蘇る、噎せ返る赤色。鉄錆の匂い。足元から絡みついて離れない死の気配。

 

 刀匠の道は自ら塞いだ。六平千鉱は父の死体を抱いて誓ったのだ。

 悪を殺す刀を奮って────巫女を、全てを取り戻すと。

 

◇◇◇

 

 全て言い訳になるが、柴はあの結界が破られるなんて思いもよらなかったのだ。

 巫女────斉廷戦争で膨大な数の命を救いあげた『玻璃宮の巫女』の血筋が創る結界は日本でも屈指の練度である。

 

 それが、あっさりと。

 柴が息を切らして駆けつけたときには全てが終わっていた。

 

 崩壊した家と燃え盛る木々の中心で浮かぶように在った、ふたつの影。

 血に塗れた肉の塊は柴の旧友であることに気づいてしまったあのときの絶望は、一生忘れない。

 

 左顔面に大怪我を負った千鉱が抜け殻のように父の前へ座り尽くしていた。

 

「チヒロ君!! 大丈夫か! あの子は⋯」

「柴さん」

「一体何が⋯」

 

 千鉱は国重が守り抜いた一振に手を添えて、巫女から振り落とされた耳飾りをボンヤリ見つめた。

 「三人、妖術師が⋯突然⋯」娘を抱きかかえた敵影と、己を庇う血濡れの背、手の甲の炎に似た印。

 

「⋯⋯俺は気を失って⋯気づいたら⋯⋯」

 

 言葉はそこで終わった。

 柴も立ち尽くすしかなかった。

 

 鬼才・六平国重が生み出した妖刀六工。戦争終結後地下に隠されていた全ては敵の手で強奪された。そして、巫女たる少女も。

 

「⋯巫女さんは⋯⋯いや、ともかく君だけでも無事でよかった。無事とはいわんか、その傷…大丈夫なんか」

 

 肩を掴む柴を見上げて、千鉱は「ああ、そういえば怪我してたんだっけ」と思い出した。

 

「平気ですよ、こんな⋯⋯」

 

 赤い刺激で鈍麻した脳に父と巫女の記憶がリフレインする。

 

『見ろ、チヒロ。こいつらが妖刀だ』

 

『ただただ“強い妖刀を作る”ってことに憧れてくれるな』

 

『俺も日々探ってる。少しずつ、一緒に学んでいくぞ』

 

『エ! かっこいいだろコレ!!』

 

『ねえねえお昼まだー?』

 

『な! 扉空いてたんだから入ってもいいでしょ!』

 

『オムライス! デミグラがいい!』

 

『千鉱が作った刀、楽しみだなあ。絶対かっこいい!』

 

『張り切って[[rb:浄 > きよ]]めてあげるね。素敵な人に渡るように、人を守るようにーって』

 

 ぽた、ぽた、と国重の冷たい頬に熱い涙が落ちた。

 土色の父の顔は笑いかけてくれない。

 攫われた幼馴染は隣で手を握ってくれない。

 

 なぜ、何故だろう。

 あぁ、それは奪った人間がいるからだ。

 

「あいつら、何者なんですかね⋯⋯」

 

 柴は胃を握り潰された錯覚に陥った。脂汗は止まらない。自分より小さな肩に添えた手に力が籠った。

 

「父さんがどれほど真剣に刀と向き合ってきたか⋯⋯⋯巫女様がどんなに祈ってきたか、知ってるんですかね」

 

 物心着いてから毎日通い、父と高めあった鍛冶場。肌をチリチリ焼く火の粉の熱さ。全身から絶え間なく伝う汗。

 

「なんで」

 

 あの日、二人でアイスを食べた縁側。夜の鈴虫の鳴き声と、娘の満足気な顔。

 

「全部⋯⋯ッ!」

 

 当たり前に食卓を囲んだダイニング。父のふざけた声と巫女の我儘、己の呆れた声。

 

 金魚鉢はとうに割られた。

 3匹の金魚は肉を枯らして地に打ち付けられた。

 水温28℃の平穏は終わりを告げた。

 

 真っ白な絶望とドス黒い衝動がブレンドされ、灰色の涙となって千鉱を濡らす。

 

「なんで⋯⋯」

「すまん、⋯⋯俺が、もっと早く来てたら⋯」

 

 火災が周囲の空気を巻き込み上昇気流を作った。木枯らしが曇り空へ抜けていく。

 

 固く凍りついた父の手、槌を握り続けて豆の潰れた刀匠の手。

 ───全てを奪った、仇の手! 憎い、憎い憎い憎い憎くて憎くて憎くて堪らないあの炎の紋章!

 

「⋯⋯ッ奴らに」

 

 千鉱の動悸が激しくなる。

 血の色をした瞳が殺意でガタガタ震撼した。

 

「⋯父さんの⋯信念を、巫女様の──御影(みかげ)の祈りを、分からせる⋯⋯ッ俺が⋯」

 

 千鉱は刀を握る。左手で巫女の耳飾りを手に取った。指先が白むほど、強く、強く。

 

「俺が()らないと」

 

 紛れもない殺意に濡れた声は、やがて刃となって敵を斬り裂くだろう。本来一生眠っていたはずの復讐者は、この日殻を破った。

◇◇◇

 

 どうか、どうか千鉱を許してください。あの子だけは生かしてください。もうわがままなんて言わない、私はどうなってもいいから。

 

 彼は優しいひとです。私なんかよりずっと、人のことを考えてうごける子なんです。

 

 あの手にはきっと、刀より槌が似合う。槌じゃなくてもいいの、お箸でも、お花でも、なんでもいい。

 あのまま、三人で笑っていたかったの。幸せだった。でも私には過ぎた幸せだったみたい。

 

 だからその報いは全部私が受けるから、剣でも槍でも二人の為なら受けるから。

 

 彼を地獄に落とさないで。

 どうか、鬼には堕ちないでください。

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