金剛石のロマン   作:限界集落

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地獄の入口で会いましょう

駅員が切符の切れ込みを見て、回収する。

 より都心では自動改札機が導入され始めているがこの街では以前人力らしい。

 改札ボックスをくぐり抜け、千鉱はコートからパチンと携帯を取り出した。一通の新規メッセージ。

 

「南口で待ってるみたいです」

「うわ、あの子怒ってるやろなあ。連絡してへんもん」

「⋯⋯」

 

 先回りして千鉱と合流した柴は罪悪感からか、サスペンダーを引っ張ったり縮めたり、前髪をちょいちょい気にし始めた。

 デート前か。千鉱は物申したげな顔をした。

  

 駅の出入口まで二人が進めば、ポスターの貼られた支柱に背を寄せた少女が静かに顔を上げた。女優帽が影を落とす、銀色のまつ毛が持ち上がる様子は白鳥の羽が広がるようだった。

 

 シンプルなホワイトのワンピース、肩にかけた蛇と亀を象った黒い羽織。牝鹿に似た華奢な背筋はピンと糸を通したように美しい。

 

「待っていた六平千鉱(ロクヒラチヒロ)⋯と柴」

「俺はついでかい」

「玄武」 

 

 玄武──そう呼ばれた少女は華奢な手首に添えた腕時計を確認した。肘を上げない淑女の仕草。

 

「あの⋯⋯玄武ちゃん⋯」

「時間だ、行くぞ」

 

 柴は無視。何処ぞのお嬢様然とした少女は杖をカツカツ突きながら、胸元のサングラスを付け直した。

 午後四時三十分。今日も少年少女の生きるべき地獄が始まった。

 

 ◇◇◇

 

「この街を牛耳ってるのが爻龍組や」

「そのヤクザと奴ら(・・)が繋がってると」

 

 そ! と柴が返した。街並みは一見平穏。孤児が路地裏に溢れているわけでもないし、店の角に死体が捨てられているわけでもない。

 車のクラクションと自転車のベルが雑踏とブレンドする。三人はパン屋の角を曲がった。

 

「確かなんですか?」

「⋯⋯まぁ正直確証はないな」

「どちらにせよ斬ればいい。どうせ悪党の首だ」

「⋯悪党と決まった訳じゃない」

「で、どう動く」

「少し様子を見て、そのヤクザが話ができそうなら取引を持ちかけましょう」

「⋯話ねぇ」

 

 鉄道橋が跨ぐ大通りには休日の人々で溢れていた。柴が一歩前に出る。石畳に反響する混乱と恐怖のざわめき。 玄武はサングラスを外した。

 

「あれ⋯⋯追放運動の人たちだよな」

「爻龍組に歯向かったりするからだ」

「おい、俺たち市民の為に戦ってくれたんだぞ!」

「だがこうなることも見えてただろ」

「なるほど、見せしめか」

 

 乙女の硬いソプラノが吐き捨てられた。

 殴り、潰し、刺し、折り、嬲り、橋梁に吊るされた四つの死体。死後も辱められた戦士たち。

 

「俺らに逆らったらこうなるぞってことや」

 

 柴が振り向く。

 深く刻まれる青年の眉間。千鉱はその死体の奥に、己が斬るべきものを見た。

 

「チヒロ君、爻龍組が天井貫くほどのカスの場合はどないしよか」

 

 チャキ。剣士の硬い手のひらが父の形見に添えられた。「柴さん」

 泣き崩れ、絶望の声を漏らす人々。悪に虐げられる弱者の声。

 

「⋯⋯爻龍組のアジトは⋯」

「把握してるよ」

「案内してください」

 

 ◇◇◇

 

 乙女はまず、二つの首を飛ばした。

 その勢いを乗算して残りの一人も斬り伏せる。白い頬にピッと赤い花弁が張り付いた。

 

六平千鉱(ロクヒラチヒロ)

「そっちも終わったな」

 

 門番殺戮終了。肩慣らしもならなかったな、と玄武は唇に付いた血を指の腹で滑らした。乙女のルージュとして役立てるのなら彼らも本望だろう。

 

 門が開く。千鉱が男を一刀のもとに斬り伏せた。初見殺しである。

 「お、おおおァッ!」柄に添えようとした左腕は宙を舞う。瞬く間に斬り捨てられた死体三人。ある男にとって、彼の黒いコートは死神の羽に見えた。

 

「何者だてめぇは⋯⋯!!⋯おい、門番は何してる!」

「ボス!! こいつら仕事サボってます!」

 

 外から飛び込んでくる柴の声。

 千鉱の後ろで少女は音もなく鞘に抜き身を収めた。襲撃にぞろぞろと集まる構成員、その手に握られた白刃。

 

「⋯何が目的だ」

「聞きたいことがある。そして⋯⋯」

 

 悪党の血でより鮮明になる、復讐者の眼光。

 

「お前らのようなクズが⋯⋯刀を握るのを見過ごすわけにはいかない」

 

「ああ!? 知ったことか⋯!!行け⋯!」醜悪な掛け声と共に飛び出してきた構成員。

 キン、と青年は鯉口を切った。

 

「────淵天」

 

 銀の刃文から(あぶく)が昇る。

 荒波と共に二対の金魚が千鉱を囲うように顕現した。

 それは最後の妖刀。六平国重が命を懸けて遺した刀。

 

(くろ)

 

 超高密度の玄力で織り上げられた黒の出目金。

 瞬間、滝のような斬撃が敵を斬り裂いた。

 

 斬る、崩れる。斬る、崩れる。悪が刀を握る腕を斬り飛ばす。大きく空中へ舞い上がった千鉱の黒刀はもう一度斬撃を喰らわせた。

 トッ。死体の樹海に着地する。コートの裾を翻て復讐者は構える。

 

(にしき)

 

 赤。白。黒。鮮やかな玄力の飛沫が金魚として形を成す。

 殺戮のダンスは始まったばかり。悪の始末は終わらない。 

 

 ◇◇◇

 

「惨めだな、男」

 

 名を聞く価値もない。乙女はパンプスの踵を背広に食い込ませた。安い縫製のスーツがべっとりと血の海に沈む。

 辺りに散らばる肉の塊。その女は最初、ソファに腰掛けていた。

 

「(それなのに、なんでこんないつの間に──〜ッ!!)」

「女の方から口説かせるなんて論外だ」

 

 パキン。「あ゙あアゥッ」背骨が折れる音だった。なんだ、やっぱり生きてたのかと玄武の顔が嘲笑に変わる。

 

「悪いが私は六平千鉱(ロクヒラチヒロ)のように優しくない」

 

 私が知りたいことを吐いてくれるまで、どうかお付き合い願う。

 赤いマドンナの唇が弧を描いた。

 

 千鉱は扉を開いた瞬間、不快そうに眉を顰めた。

 足先に転がった人の目玉と腸の帯。注射器は凡そこの根城から奪ったものだろう。

 

 清楚なワンピースを真っ赤に染めて、その少女は分厚い肉の上に跨っていた。

 

「玄武」

「他の部屋の人間も全部殺した。めぼしい収穫はなし、流石チンピラだ。持てる情報も雀の涙といったところか」

「ぁ、あア。殺しで、ころしてくれェ!」

「五月蝿い、耳障りだ」

「玄武、そこまでだ」

 

 振り上げた華奢な拳を千鉱が掴んだ。

 目と鼻の判別がつかなくなった顔はもはや人間には見えない。散々殴り、歯をもぎ、骨を砕いた玄武の拳は傷一つないと言うのに。

 

「⋯ふむ、それが主の縁者(ロクヒラチヒロ)の命ならば従おう」

 

 玄武は立ち上がってくるりと杖を回した。

 もはや拷問への興味は尽きたらしい。散々弄ばれた男はものの数分で地獄へ送り返されるだろう。

 

「お前は甘いな。本当に、全く、すこぶる、大いに!」

「⋯同じ悪には成り下がるなよ。俺たちは復讐者であって復讐鬼じゃない」

「はは、ヒトの道理は誠に難しい」

 

 大広間に出た玄武はやれやれと言った風に手を挙げた。足の踏み場もないほど無惨な死体のカーペット。

 ヒトに言えるほどか? と乙女は疑問に思う。

 

 「ハァ、これでは巫女様の恨みも晴れないだろう。早く見つけて差し上げなければ」

 

◇◇◇

 

 真っ白なシーツに銀の髪が散らばっていた。

 満月が窓に跳ね返り、雪花の頬をサッと染め上げる姿はため息が出るほど美しい。

 

 乙女はうぅ、とかむぅ、とか唸った後、気怠げに上体を起こした。ギシリ。ベッドのスプリングが叫ぶ。

 見れば薄い布団が掛けられていた。おそらく、千鉱が掛けたものだ。

 

六平千鉱(ロクヒラチヒロ)

 

 その男は窓枠に座って、刀を司る金魚を眺めていた。乙女に気がついた瞬間、顕にした白刃を鞘に収める。

 千鉱の美しさは研ぎ澄まされた刀の刃文にも似ていた。触れれば指先が切れてしまいそうなのに、人は手を伸ばさずにはいられない。

 

「起きたのか」

「本来私に睡眠は必要ないんだがな。ベッドとやらを見ると、こう⋯寝転がりたくなるというか」

「⋯⋯服を着ろ」

「青いなお前も」

 

 玄武はバスローブをはだけさせて、その白いからだの上からブラのホックを止め、パンツへ足を通した。千鉱は乙女のこういう所だけは嫌いだった。

 二人の間に淡くて甘いものはさっぱり無い。あるとすれば硬く強い信頼と⋯⋯同じ女への憧憬だ。

 

 玄武がワンピースのチャックを締めた時、廃ホテルのドアからノックが響いた。埃っぽい室内の隅に追いやられた段ボールの箱は沈黙している。

 柴が扉を開いた。「二人とも」

 

 東京。欲と血が行き交う国の首都。

 

「起きてたか。万全やったら出発しよか」

「⋯⋯何ですか?」

「⋯ほんま、丁度ええ時に東京来たわ。ようやく網にかかったんや」

 

 白いヒレに似た足の甲がパンプスへ収められる。皮膚の下の血管は一本足りとも見えなかった。人形のボディに似ていた。

 

「⋯──妖刀の目撃情報」

「すぐ行きます」

 

 翡翠の少女は仕込み刀を持って、そのヒールをカツンと鳴らした。

 

 ◇◇◇

 

「ごめんくださァい!!」

「うるさい黙れ」

「うるせ〜」

「⋯⋯」

 

 東京。喫茶ハルハル。妖術師と依頼人の仲介役、ヒナオを店主とした喫茶店である。カランと鳴ったドアベルを柴の馬鹿でかい声が掻き消した。

 

 まだ客のいない時間帯でよかった。ヤクザやら妖術師やらの集まるこの店もけして治安が良いとは言えない。ましてや店主は自衛の手段を持たない少女だ。

 

「うるさいおじさんマジ無理! お!」

 

 ヒナオが髪飾りを揺らしてカウンター越しに手を振った。茶葉の匂いのする少女だ。

 

「やっほ〜チヒロ君! もしかして今日もクール? 玄武ちゃんは超キュートだね」

「どうも」

「邪魔するぞ」

「思いっきしスルーされたぁ、すげぇ〜」

 

 すげぇ? 千鉱は突っ込まなかった。

 ヒナオが銀髪の少女───玄武の手を取ってブンブン上下に揺らす。

 

「よくぞ来たね!」

「久しぶりだな」

「ヒナオさん、連絡ありがとうございます」

 

 この三年間ろくに網にかからなかった妖刀の情報。逃がす訳にはいかない。千鉱は柘榴石の瞳をより硬くさせた。

 

「それで例の、妖刀の目撃者っていうのは」

「奥で休んでるよ!」

 

 腕をパッと離された玄武はゴキゴキ肩を鳴らした。

 

 ◇◇◇

 

 がああああ。

 爆睡。客間に案内された先のソファで見たのは薄汚れた少女の大口だった。野生動物か何かの鳴き声に似たイビキである。柴の反応も呆気にとられたものだった。

 

「⋯⋯え、めちゃめちゃおチビやけど」

「この子が目撃者ですか?」

「そ、来て早々ぐっすり」

 

 ヒナオ曰く、『さいきょうの刀』を持った悪党に追われてる子供だと。それでヒナオはピーン!と女の勘を鳴らした。

 

「───と来たの! それぜぇったい妖刀だ!って」

「⋯⋯」

「⋯まぁ、詳しく聞いてみなわからんけど、かなり怪しいなあ」

「⋯ですね」

「エなに!!どゆこと!!」

 

 ヒナオがカッと目を見開くが玄武は呆れた目線で返した。光の加減で青にも緑にも見える翡翠の瞳。

 

「日本は刀社会だろう。ちょっと妖術のある人間が振るえば『さいきょうの刀』なんて誤認してもおかしくない。子供なら尚更な」

「そうそう、子供のおふざけ可能性が大いにあるってこと」

「エ!!」

 

 柴はソファで寝こける女児をピッと指さした。ヒナオとの間に挟まれた千鉱がそれを見つめる。

 

「まずこんなちびっ子の言うこと鵜呑みにするべきちゃうわな」

「えーでも些細な情報でもくれって言ったじゃん」

「カバの⋯⋯」

 

 カバの? 千鉱は声に出ていたらしい。

 もにゅりと少女の唇がほぐれる。

 

「細胞⋯⋯分裂⋯」

「寝言か」

「どんな夢やねん」

「細胞分裂知ってんだ」

「⋯⋯」

 

 するとその瞬間、まろみを帯びた寝顔がパチン!と覚醒した。ブハァッ!と息を吐いて、うっすら汗の張った女児の上体が起き上がる。

 

「起きた」

「悪夢やったんかい」

 

 ハッハッと肩を上下させた子供は「あ」と三人を見て指をさした。

 

「ヨウジュツシ!? 守ってくれる!?」

「待て待ておチビ、色々整理したいんやけど」

 

 ふと、子供の丸い目がキュッと硬く見開かれた。目線の先には銀髪の少女。乙女は首を傾げた。はて、何処かで会ったことがあるだろうか。

 

「⋯⋯お姉ちゃん?」

 

 それは砂糖のようにサッと溶けてしまいそうな呟きだった。千鉱はそれを聞き逃さない。彼は子供の声を聞かなかったことにはしない。

 

「なぁ、あいつの顔に見覚えがあるのか」

 

 千鉱は一歩前に出た。意図した訳では無い。喉が裂けるほど求めた女の情報を前に、体は自然と動いていた。

 玄武の顔は巫女と瓜二つ。ボロボロの少女は少し肩を跳ねさせて、「ちがう、知らない⋯⋯」とむくれた顔をした。

 

「おい⋯」

「まぁチヒロ君、がっついても教えてくれへんやろ。まず⋯君が悪党に追われてる理由を教えてみなさい」

 

 柴はぐいっと目を細めて問いかけた。

 少女の息が詰まる。大きな瞳が伏せられて、歯を食いしばったようにも見えた。誤魔化す為の下手くそな笑い方。

 

「あら⋯出まかせも出んか、ボロ出るん早いな」

 

 おふざけ確定かな。と柴は膝を屈めて眉をひそめた。

 

「あのなぁここはお遊びで来るようなとこちゃうねん、お家お帰り!」

「⋯⋯!!」

 

 少女は頭をブンブン横に振る。子供特有のツヤは辛うじて残されている、といった髪質の具合だった。

 

「帰り道わからんのか?」

「⋯⋯お家ない!」

「⋯お父さんやお母さんは?」

 

 柴の声が静かなものになる。

 名も知らぬ少女は一度黙りこくって、また首を横に振った。

 

 それは玄武の違和感だった。孤児にしては傷跡が少なすぎる。食べ物を探す・奪う過程であったり、雨風を凌ぐなら多少の傷跡くらいあってもおかしくない。

 まぁ孤児になりたてならそんなものか、とそこで思考を打ち切る。

 

「⋯⋯施設連れてってあげるか?」

「⋯」

「私は六平千鉱(ロクヒラチヒロ)に従う」

 

 客間がシンと静寂に包まれる。

 黒いコートの裾が床に着いた。

 

「⋯ご飯は?」

 

 食べれてるか? 千鉱は少女と目線を合わせるように屈んだ。「食べ⋯」ギュルルルル! 少女の声を遮るように腹の虫が鳴く。

 

「⋯⋯この通りですわ」

 

 どういうスタンスだ。少女はやれやれと両手を広げた。端々の行動がなんともワガママな巫女を想起させる。

 

「何も食べてないんだな」

 

  「⋯何か食べるか?」「 天ぷらそば」家族二人で鍛えられた千鉱の世話焼き。少女の薄汚れた顔がパッと明るくなる。

 

「えっいいの?」

「⋯もう食べたいやつ言ったよな」

 

 ◇◇◇

 

 酒と女は男を狂わせる。おっさんには煙草で十分だ。

 柴は黒塗りの軽自動車の前でニコチンを吸っていた。紫煙を燻らせてはフーッ⋯と乾いた空へ泳がせる。

 

「なぜ自ら毒ガスを摂取するのか、理解に苦しむな」

「大人の嗜みって言いなさい」

「私は歳だけ言えばお前の数十倍だ」

「エッおば」

 

 ギロリと昆虫のような緑の目に睨まれて柴は両手を掲げた。女は怒らせないのが吉。

 

「私はふたりの方を見てくる」

「ハイ…」

 

 玄武は白いワンピースに黒橡の羽織を翻してスタスタ去っていった。八センチヒールの足音はとっくに雑踏に紛れて聞こえなくなる。

 その背格好も顔立ちも、玄武は巫女と瓜二つ(・・・)だった。

 

「あの子は一体何処にいっちまったんやろね」

 

 柴は大きく紫煙を吸い込んだ。気管に入ったせいで暴れ馬みたいにゲホゲホ吐いた。

 

 ◇◇◇

 

「───⋯千鉱(チヒロ)

 

 起きて、ちひろ。

 

 ふと、金木犀の匂いが鼻を掠めた。

 秋になると家の裏手によく咲いていて、巫女様はそれをポプリにしていていたっけ。修行の合間によく手伝ったな。 

 朧気な視界の端で、千鉱はかろうじて見えた銀色に手を伸ばした。

 

「み、こさま」

「いいや、残念だけどヒト違いだ」

 

 翡翠。ミルクカラーの蛍光灯に照らされて青にも緑にも変える瞳が千鉱を覗き込んでいた。

 

 バサ! 千鉱は清潔な布団を跳ね除けた。

 途端に脳の海馬が悲鳴をあげる。過ぎる赤色、燃える木々、崩壊した家───冷たい父の死体と血濡れの耳飾り。

 

 「ぅ、! ぐッ〜、!」咄嗟に左頭のガーゼを抑えた。頭の内側をノミでゴリゴリ削られているような激痛。

 

「と、とおさんッ、巫女さま、〜ッ」

「落ち着け⋯⋯と言っても無理な話か」

 

 パイプ椅子に座った少女は入院着に包まれた千鉱の背を摩ろうとした手を引っ込めた。

 荒い息をあげた千鉱が鮮やかなグリーンの目をぎらぎら睨め付ける。怒りと混乱でドーパミンの分泌量がおかしくなっていた。

 

「誰だ、お前」

「そう警戒するな、お前の味方だ」

 

 ◇◇◇

 

「ここは⋯⋯」

「隠れ家と思ってくれ。経緯を語ると長い」

 

 その少女は巫女と瓜二つの容姿をしていた。

 違いと言ったら目の色くらいだろうか。翡翠を嵌め込んだ瞳をしている。

 

「私は巫女の式神、玄武」

 

 見た目がそっくりなのはそれが理由だ。

 少女はシャリシャリ林檎を剥いた。

 

「巫女に万が一があった時、私は召喚される。妖術で造られた自律兵⋯⋯言わばここにいる私は彼女の代用品。本物の巫女は誘拐されて行方知らずだ」

 

 千鉱の覚醒し切らない脳に次々と情報が流れ込まれる。 

 六平国重に関してはお前がよくわかってるはずだろう。そう彼女が言った瞬間、千鉱の頭に昇った血がサッと落とされた。白い絶望にかえって冷静に追い詰める。

 

 ぐしゃり。指先が白むほどシーツを握る拳に力が籠った。

 

「くそ⋯⋯」

 

 千鉱は白いベッドに鎖で繋がれている錯覚に陥った。排他的な病室の白さがそれを助長する。

 重苦しい静寂を壊したのはドアの開閉音だった。

 

「起きたかチヒロ君、よかった⋯⋯」

 

 くしゃりと顔を崩した柴がへなへなベッドに近づいた。

 髪が乱れている。隈も酷い。千鉱が目覚めるまでの数十時間を寝ずに病室の番をしていたせいだ。

 

「柴さん」

「⋯その、お父さんのことは残念だったが⋯君だけでも、チヒロ君だけでも生きててくれて」

 

 本当によかった。

 千鉱の両肩を掴む手は震えていた。

 

 千鉱はその関節の目立った手をぼんやりと見つめて、次に外を見れば燃えるような夕日がこちらを見つめ返してくれた。

 窓から差し込むオレンジの光。蜂蜜をこぼしたように室内がジワジワ染め上げられる。千鉱はその光景に家のストーブを思い出した。

 

「どれくらい寝てたんですか」

「3日。あの後君気絶してたんやで」

「⋯⋯巫女様は」

「⋯神奈備が行方を追ってるが、まだ行方はわかってない」

「巫女についてなら私の方が詳しい」

 

 玄武と名乗った翡翠の少女は兎のリンゴにフォークを突き刺した。自分で食うのかよ。

 柴の反応から見る限り玄武とは知り合いのようだった。警戒のボルテージを数段下げる。千鉱は元々冷静かつクレバーな男だ。

 

「まず、巫女は生きている。式神の私がここにいるのが証明だ。術者が死ねば式神も消えるしな」

 玄武はシャクシャク林檎を貪った。

 

 その言葉に千鉱から声にならない息が漏れる。

 俯いた顔がブルブル震えて、包帯の巻かれた手のひらに水滴が一、二と落ちた。柴がその背をさする。

 

「他に聞きたいことは?」

「⋯⋯御影は⋯」 

「待て、お前今巫女の真名を呼んだな?」

 

 真名。神に仕える巫女の名前。

 本来人に明かすことのない───神から愛された巫女をヒトとして繋ぎ止める楔。

 「⋯ああ」それを千鉱は知っていた。巫女からの無限の信頼だった。花の唇が不貞腐れたように呟く。

 

「知ってたんだな。あの巫女のことだ、本人の口から言ったのだろう」

 

『千鉱、ふたりの内緒だよ。私の、本当のなまえね───』

 

「なぁ六平千鉱(ロクヒラチヒロ)、お前はこれからどうする?」

「……妖刀と御影を取り戻す。その為ならなんだってしてやる」

 

 黒く沈んだ、けれど抜き身の刀のように鋭い声だった。

 ただ一人残されて、元の暮らしに戻れることはない。ならばこの憎悪を、悪への怒りを風化させてなるものか。

 

「⋯⋯チヒロ君」

 

 柴はグッと奥歯を噛み締めた。

 止める理由をいくつ並べてもこの子は茨の道へ進んでいくことをわかっていた。ならば、己もその手を取るしか道は無い。

 

「⋯まず、妖刀だけでなく巫女も取り戻すなら国は大きく動く」

 

 翡翠の瞳が静かに、硬く見据えた。奇しくも少年の赤とは補色の関係にあった。

 

「巫女の真名は『玻璃宮御影』。皇族の血を引く巫女の一族だ」

 

 希少な治癒能力に飽き足らず、類まれな結界術──そして式神の使役。

 あまりにも異次元じみた巫女の能力の由縁。彼女は文字通り、神の血を引く。

 

「お陰様で今の神奈備はぐっちゃぐちゃや。いや辞めといてよかった。ほんまに」

「私は神奈備にも協力するが⋯お前が巫女を取り戻すというのなら私もそれに力を貸そう───いや」

 

 違うな、力を貸してくれ。

 玄武は芯の通った瞳で少年を見据えた。

 

「あぁ、勿論だ」

 

 主人からその姿を借りて独立した人形。

 金木犀の匂いはもう、しなかった。

 

◇◇◇ 

 

 お盆から渡された蕎麦を受け取る。

 個人経営の蕎麦屋は喫茶ハルハルか柴の車で数分だった。ヒナオのメモの通り大通りを真っ直ぐ行ったとこにあった為、店には迷うことなく辿り着けた。

 

 蕎麦の上に浮かぶサクサクの天ぷら。幼い顔にパッ!と喜色が浮かぶ。

 

「こっちはざるそばねぇ」

「私シャル」

「ありがとうございます」

「⋯⋯自己紹介のタイミング⋯」

 

 ふわふわほかほかの天ぷらそばをソババババッ!を啜る少女──改めシャルに「俺はチヒロだ」と青年は名乗った。

 

「うまいか?と聞かれればこう答えるよ。うんって」

「なあシャル。その『お姉ちゃん』は目と髪が銀色だったか?」

 

 へ、とシャルは呆気にとられた声を出した。行儀のいい箸の持ち方からして家庭には恵まれていたのだろう。 

 

「知らない、だれそれ」

「⋯⋯俺の家族なんだ」

 

 シャルは一瞬箸を止めた。そしてシャクッと天ぷらのしっぽにかぶりつく。尻尾から食べ始めるのかよ、と千鉱は思った。

  

「ずっと探してる。今こうしている間も苦しんでいるかもしれない」

「⋯⋯⋯」

「…悪党に狙われてると言ったな。そいつらを蹴散らせば俺の知りたいことを教えてくれるか」

「⋯そ、れは⋯」

「⋯⋯それは?」

「⋯まだ、答えられない⋯⋯」

 

 シャルの声は嘘をついているようには聞こえなかった。上手く答えられない小さな口がくにゃりと歪む。

 

 足の長い椅子にシャルの細いふくらはぎがぶらんと浮いている。日が雲の海に隠れて店の中に影が満ちた。言いようのない沈黙に、天ぷらの咀嚼音だけが響く。

 

六平千鉱(ロクヒラチヒロ)⋯とお前は」

「シャル」

「シャルか」

 

 暖簾をくぐって現れた銀色のシルエット。玄武は隣の席から椅子を拝借し、二人と隣合う形で腰を下ろす。

 

「柴のタバコの臭いには堪らん」

「⋯⋯逃げてきたのか」

 

 玄武はやれやれと鼻で笑う。 

 シャルは顔を上げたその瞬間、息が止まった。

 

 最初は虫の複眼に見えた。こちらをぐぐっと覗き込むジェード・グリーンの瞳。吸い込まれそうなほど美しく、そしておぞましいそれは[[rb:温 > ぬる]]い汗となってシャルの背筋を伝った。

 

 氷の唇がうごく。それから目が離れられない。

 玄武の存在意義は巫女(主人)である。玄武は主人のモノ。彼女の傍にいることが絶対。

 

「巫女について知っているんだな。私の前で嘘はつかない方がいい」

「おい玄武」

「なに、そう怯えずともいい。私の聞きたいことを教えてくれればそれで終わる」

「⋯⋯やめろ。子供を怖がらせるな」

 

 千鉱は柳眉を顰めた。けして大きくはない、しかし低く重い声だった。

 玄武はキョト⋯と無知な子供の顔をして、シャルの方へ向き直った。フクロウみたいな首の捻り方だったので、シャルはビクッとした。

 

「ふむ、では『さいきょうの刀』とはなんだ? シャル」

 

 玄武はニパッと笑って、メニューを手に取った。品目を眺めながらお冷を煽る。酒が飲めたら尚良かったな。

 シャルはハッ思い出したように息を再開させ、ズルズル蕎麦を啜った。

 

「⋯ぅ、くおあえうの」

「なに?」

「くお」

「⋯なに?」

「⋯⋯刀から雲が出るの」

 

 ごくん。シャルの細い喉が上下した。

 瞬間、千鉱の脳裏によぎる地下倉庫。左側中段の桐箱。その中に収めた────

 

「⋯⋯なあ」

 

 [[rb:迸 > ほとばし]]る動揺を千鉱はその冷静さで覆い隠した。繰り返し問う。

 

「本当に遊びじゃないんだな?」

「じゃないってば!」

 

 玄武は面白いものを見たという顔をした。対照的に千鉱の顔は晴れない。

 

「⋯その悪党の手の甲に炎の紋章のようなものはあったか?」

「⋯なかったと思うけど」

 

 注文はしねえだ!? どういうことだ、ええ!?

 千鉱の後ろで繰り広げられ始めた客と店員の口論。赤いスグリの目を一瞬寄越しただけで、千鉱はまたシャルに向き直った。

 

 ゴン。玄武がグラスを置く。

 彼女はつまらなさそうに銀糸の髪をクルクル遊ばせた。

 

「五月蝿いな⋯⋯どうする? お前に任せる」

「⋯暴力沙汰じゃない限り動くな」

「ふむ。だがあの円柱頭、そろそろ彼奴を殺しそうだぞ?」

 

 爆弾魔の腕が動く。店員の頸動脈目掛けた箸の軌道────を乙女のシルエットが間に合った。

 カラン。店員のトレイが床に落ち、水の入ったグラスが金切り声を上げて打ち付けられる。

 

「食事の邪魔をされるのは嫌いなんだ」

「てめえ⋯⋯」

 

 バキリ。白魚の手が割り箸を粉砕する。店内に悲鳴が広がった。千鉱は立ち上がってシャルを庇うように鯉口を切る。

 

「ようやく見つけたと思えば⋯⋯護衛付きかよ」

「おい、お前ら店員と客は避難しろ」

「厄介厄介⋯⋯」

 

 玄武は刀印を組んだ。

 男の唇が蠢く。

 

「“[[rb:不落 > ふらく]]”」

 

 突如現れた達磨。男が言葉を紡ぐと同時に濁った悲鳴を上げた。

 膨れ上がる赤。丸いボディから放たれた爆破の嵐は店内を吹き飛ばした。

 

「おいなんだ!?」

「妖術師か!?」

「逃げろ!」

 

 通行人の悲鳴とは裏腹に、大破した店内には血の一滴すら飛び散ることは無かった。

 それは青緑のガラスに似ていた。爆破より先に店内の人間全てに装填した結界。クラスター爆弾すら防ぎうる式神の防御術。

 

「千鉱、こっちは全員生きてる。好きにやれ」

 

 尻もちをつくシャルを最硬の結界で[[rb:護 > まも]]り、千鉱を覆ったシールドを解く。玄武の薄い腹にしがみついたシャルが絶叫した。

 

「ゆる⋯⋯ッすから、助けてくださァい!」

「引き受けた」

 

 ぐしっ。千鉱は男の空いた胴へ勢いよく回し蹴りを喰らわせた。爆弾魔の長い体がコンクリートの路上へ舞い、上手に着地を決める。

 千鉱は再度鯉口を切った。

 

「仕切り直しだ」

 

 白刃から(あぶく)が立ち昇る。

 斬るべきものを捉え、青年は静かに闘志を滾らせた。

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