金剛石のロマン   作:限界集落

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奈落の足音はすぐそこです

 コンクリートの上を砂埃が駆け抜けた。粉塵が煙幕となり千鉱のコートを大きく膨らませる。ありふれた道路は映画のワンシーンへ変貌した。

 

 崩壊した店、その奥で結界に囲われる二人を庇う形で千鉱は構えを取った。路上に舞い降りた爆弾魔は玄武に守られるシャルを指差す。

 

「そいつを渡すなら今だぜ。大火傷したくないならな」

「断る」

 

 淵天──涅。抜き身を引き抜くと同時に現れた出目金の玄力が膨れ上がった。横の大振り。男目掛け、空間そのものを断絶する。

 

「!!!」

 

 羽織の切れ端が宙を舞う。間一髪、男は身を屈め胴との泣き別れを防いだ。

 青緑の結界の中でシャルが顔を上げれば、柴がコンコンと透明な壁を叩いていた。

 

「柴か」

「はいよ、気分悪なるけど許してな」

 

 結界が解かれる。大きな手がポンッと二人の丸い頭に手を当てたと同時に、三人の体は車内へと座標を移していた。

 

「⋯⋯、⋯⋯ッ!! ⋯⋯⋯ッ。⋯何が起こった?」

「三周くらい回って冷静なったな。⋯てか気分悪ない?」

「? うん」

「⋯そうか」

「フン、煙草臭い車だ」

「許して」

 

 玄武が刀印を汲む。高密度の結界は車体に寄り添う形で貼られた。ざっと軍用車両の数倍の耐久力である。

 

「ねえさっきの全部妖術?」

「せや」

「え〜私もしたい妖術」

「君もできるで、死ぬほど努力したらな」

「えっ」

 

 玄武は後部座席のど真ん中でゆっくり足を組みながら千鉱の剣戟を眺めていた。ぱち、ぱち、と白鳥の羽に似た睫毛が持ち上がる。

 

「妖術を構築する『玄力』は言うたら生命エネルギーや。全人間の中に眠ってるからな。まぁ玄武ちゃんみたいな例外もおるが⋯」

「私は人間ではないからな」

「!? どゆこと」

「あの金魚を見ろ」

 

 玄武は猫みたいにグイッと背骨を伸ばした。人外と自称するには人間味に溢れすぎている。

 シャルはフロントガラス越しに波打つ金魚を見た。

 

「あの子が持ってるのは⋯君の言葉で言うと最強の刀や」

 

 妖刀は込めた玄力を増幅させ、人体では生成・保持できない程超高密度に練り上げる。

 それは六平国重が生み出した神業。天にも届く偉業。

 

「金魚は言わば妖術師(ヒト)を越えた力の塊」

「だからあれと私は同質だ。違いは意思の有無くらいだろう」

 

 ただ同じ創作物と言えど、あの達磨や金魚とは一線を画す。

 玄武は式神。末席といえど神の人一柱。

 彼女は妖術すら超越した人理によって生み出された存在である。が、その話はまた後ほど。

 

 場面は変わる。

 爆弾魔はゴクリと生唾を飲み込んだ。脳裏に過ぎる金色(・・)の女。

 

「おいお前、あの銀色の女はなんだ! あれも式神なのか!?」

「! 彼奴の顔を知っているのか」

 

 チッ。特徴的な下唇が余計なことを言ったと舌打ちをする。

 もういい、延した後で聞き出そう。

 飛びかかる達磨の群れをスパパパ!と斬り落とし涅の斬撃を大きく振るう。

 

「! まだ近くにいるのか」

 

 ピクリと爆弾魔の米神が動いた。

 

「おい聞いてるかクソガキ共ぉ! 手を煩わせやがって!! よく見とけ!! 逃げて助けを求めたらどうなるか!」

「同じさ! お前を守ろうとして無様に死ぬ人間が増えていくだけだ!!」

 

 シャルの肩が跳ねる。

 リフレインする母親の影、蛍光灯に光るメス、檻の中の残飯────あの眩しくて堪らなかった金色。

 

「なぁチビ!! お前の、母親みたいになぁ!!」

 

 少女の薄い唇から色素が抜けていく様子を、柴は静かに見つめていた。

「⋯ッ」ポン。また頭に手を乗せる。今度は労わる為に。

 

「何があったか知らんけど、大丈夫や。よう見とき」

「さあ見とけよ!! この小僧の死をもって思い出させてやる!!」

 

 車体さえも震わせる爆発音。壁を走る黒い影を追撃して爆破、窓ガラスが悲鳴をあげていく。

 

「お前を庇った母親の、哀れな死に様を! あれほど無意味で無様な死はないってことを!!」

 

『シャル⋯』

 

 少女のまだ真新しい傷跡が掘り返されていく。

 シャルの涙腺が熱を持った。

 そして千鉱もまた、父の死に顔を思い出す。

 

【ん゙ あ゙ え゙】

 

 唸る達磨───星が降ったような三連の爆破。四階建てのビルごと千鉱を吹き飛ばす。

 

「チヒロ⋯」

 

 シャルがとうとうドアノブを捻った。

 その姿を目に収めた男が口端を上げる。

 

「お前は独りだってコトをなァ」

「────(あか)

 

 それは黒いシルエット。

 流転。猩々緋の刀が炎の海を正しく吸い尽くした。

 

「もういい⋯⋯話はじっくり聞かせてもらう」

 

 玄武はフンと自慢げに笑った。そしてシャルの瞳にまた光が射し込む。それとは反対に、爆弾魔の一瞬の動揺を千鉱は見逃さなかった。

 

「涅」

 

 タッ。彼が舞い降りると同時に黒い斬撃が男のすぐ横を斬り裂いた。「っぶねぇ!」千鉱の本領が加速していく。

 涅の再装填(リロード)を阻止するように千鉱の足元を達磨が転がる。それらは千鉱の跳躍と共に大きく爆破した。

 

「かわした!」

 

 シャルが声をあげる。

 しかし千鉱が跳んだ先に待ち構えていたのは爆弾魔の拘束具。ヒュッと風を切って黒いベルトは千鉱の胴体に巻きついた。

「あっ」シャルの声が失意に変わる。

 

「ざんねェん!!!」

 

 ギンッと硬く両腕を縛られた以上刀は振れない。畳み掛けるように男の掌から達磨の爆弾が召喚される。

 爆弾魔が勝利を確信したその時だった。

 

「猩・“不落”」

 

 千鉱の持つ刀身が赤く染まっていた。

「!?」そして爆破は彼の身を焼くことなく、術者へ跳ね返る。男の体はダイナマイトに巻き込まれた。

 

「猩の能力はただの防御じゃない。“吸収”してモノにする」

「言うたやろ、よう見ときって」

 

 最後の達磨が爆破する。

 千鉱が地に降り立ったと同時に爆弾魔の体も宙へ放り投げられた。

 キン。刀身を鞘に収め、路上の一戦は終わりを告げた。

 

 ◇◇◇

 

「チヒロくん、まっこと素晴らしかったよ」

 

 まっこと。車窓からシャルがパチパチと拍手を送る。黒いミニバンの結界装甲は既に解かれていた。

 

「君なら私を守るに値するよ」

「無一文だろお前」

「ぐぇ」

 

 わざとらしく頭を抱えるシャルをよそに、玄武は後部座席で丸まって寝ていた。千鉱の赤い瞳が軽く伏せられて、またシャルを見る。

 

「だが⋯俺には何より優先すべき目的があって、お前を追うヤツらと戦うことでその目的に近づくことができる」

 

 利害は一致してるから守ってやる。ホントか!?

 シャルは思わず車窓から身を乗り出した。「リガイは一致するに限るなぁ!」話は終えたとばかり、千鉱は倒れ伏す爆弾魔へ爪先を向けた。

 

「⋯さて、聞きたいことは四つある」

 

 千鉱は男の襟元を掴んで引っ張り上げた。コンクリートの壁を背に男の頬を冷や汗が伝う。

 

「雇い主は誰か。あの子を狙う理由⋯⋯そして」

 

 茹だる海馬を刺激したのは、地下の桐箱とあの少女の笑顔。

 柘榴石の瞳は刃物の斬れ味をしている。

 

「妖刀“刳雲”と───“玻璃宮の巫女”はどこにある」

 

 ◇◇◇

 

 カランと乙女のグラスが鳴った。 

 無垢材のカウンターに着く肘は生白い。玄武はグラスの中で踊る赤ワインを楽しむように煽った。淡く火照った頬は少女らしからぬ色香を纏っている。

 

「カァーッ!! 安い酒もたまには良い!」

「式神もお酒とか飲むんだね」

「ハッ。ヤマタノオロチを知らないのかヒナオ。酒精は老若男女、神すら惑わすんだぞ」

「若はダメだよ〜」

 

 玄武はワインを継ぎ足した。

 ぽた、ぽた、とひっくり返した酒瓶が涙を流す。あぁ、もう空になってしまった。

 酒豪──というか一時だけアルコールへの耐性を敢えて低下させている──の玄武は物足りないといった顔をした。

 

 秒針は19時を指している。すると突然ドアベルが鳴ったので、ヒナオと玄武は玄関口を見た。

 

「ギクゥッ!」

「シャルちゃん、どったの」

 

 がぽっとフードを被ったちいさなシルエット。

 

「わ、私もお出かけする。チヒロと行く」

 

 うむむ。ヒナオは頭に手を当てて考えた。

 この店には妖術師が来る。私に戦闘能力はない。シャルちゃんもそこで終わり───チーン!とQEDが完結する。

 

「いいよ! 代わりに玄武ちゃんも一緒ね!」

「おいヒナオ?」

「一人で車ん中待たせられないじゃん。玄武ちゃんだってお酒買いに行ってきたら?」

「⋯⋯いいだろう」

 

 玄武は立ち上がってお札を数枚置いた。

 カツンとヒールがレンガ調の床を叩き、ちいさなシャルを脇に抱える。

 

「おっ、おぉ」

六平千鉱(ロクヒラチヒロ)には内緒にしといてくれ。ごちゃごちゃ言われるのは好みじゃない」

「あっお釣り⋯」

「構わん」

 

 ───という事の顛末である。

 千鉱は片手でハンドルを握りながら携帯をパチンと閉じた。千鉱の真後ろに座るシャルと、その横で足を組む玄武。

 

「おおどした、浮かない顔して」

「お前らだよ、原因」

「許せ少年、戯れだ」

「⋯ヒナオさんの言い分も分かるが、わざわざ出歩くのが懸命だとは思えない。『外に出たい』からって⋯」

 

 夜に浮かぶ街灯りはキャンドルの炎のよう。ありふれた晩景だが、そのどれもがシャルにとっては壮大なスペクタクル。

 窓の外で目まぐるしく移り変わるネオン色の闇を見つめながら、シャルはツンと唇を尖らせた。

 

「⋯だって⋯ずぅっと中にいたんだもん。それに大丈夫でしょ? 千鉱強いし!」

「⋯⋯中って⋯」

「ずっと捕まってたの」

「⋯なぜお前を捕まえるんだ?」

 

 シャルはそこで言葉に詰まった。

 隣の翡翠色が横目でちいさな旋毛を見下ろす。

 

「私としても気になるところだな。お前はどうやら主人と繋がりがあるそうだし」

「!」

「私と同じ顔をした⋯お前の言う『お姉ちゃん』とやらは恐らく私の主、守るべき人間だ」

 

 ばくん! シャルの心臓が跳ね上がる。

 つぶらな瞳が乙女を見上げた。

 

「彼女を悪用する人間とは訳が違う。私たちは彼女を取り戻す為に戦っている。⋯それにお前が力を貸してくれるなら、本当に私たちは⋯主は助かるんだ」

 

 シャルは硬く両目を瞑った。汗がとめどなく溢れる。

 話してもいいのか、話したらどうなってしまうのか。正気がどんどん磨り減って、理性がどんどん張り詰める。

 

 車内に降りる沈黙。 

 たっぷり数分経って。

 そして少女は口を開いた。

 

「⋯⋯⋯お姉ちゃん⋯じゃない、本当はお兄ちゃん。⋯おんなじ檻に入ってた」

 

 ◇◇◇

 

 平穏とは薄い硝子の上に乗ったものでしかなく、それが明日も続くと信じていられるのは、胡蝶の夢のようなもの。

 シャルが誘拐される前から、その少年──シャルは暫くずっと女の子だと思っていた──は檻の中にいた。

 

 (──⋯きれい)

 

 シャルや母のとは違い、彼の入院着はボロボロで擦り切れていたが、それすら目に入らぬほど眩しい美貌であった。

 

 金色の折り紙みたい、とシャルは思った。

 肩までの金髪は人形のようで、その目はレモンの輪切りに似ていた。

 こんな粗悪な檻で丸まっているより、お城のソファでお菓子を摘んでいる方が余程しっくりくる。

 

 ぱち、と少年のけぶる睫毛が動いた。

 母がシャルを庇うように抱きしめる。

 

「ごめんなさい、怖がらせましたか」

 

 ───つい先程までメスを入れられ絶叫していた少年は、そう言って二人に笑いかけた。

 

「え⋯」

「大丈夫⋯じゃなさそうですね」

 

 少年はトパーズの目を伏せた。彼が這うように一歩進めば、シャルの肩はビク、と跳ねた。

 

「ね、まだそこの腕痛んでるでしょう」

 

 彼がシャルの腕を指さした。

 ついさっき研究員に掴まれたところだった。腫れこそ治っているものの、ニューロンが追いつかなくて痛覚はまだじんわり残っている。

 

「ぁ、うん⋯」

「貸してください」

 

 母親の静止の前に少年がパッとシャルの手を取った。

 そしてシャルは二度驚く。月光に似た輝きがシャルの腕を包んだその時───鈍痛が、消えた。

 

「いたく、ない⋯?」

 

 それは巫女の治癒とは比べられないほどお粗末なものだった。しかしシャルには十分な衝撃だったらしい。

 今少年が施したのはほんの少しの痛み止め⋯シナプスの鈍化だった。

 少年───[[rb:浮金 > うきがね]]と呼ばれている───の顔がふわりと綻ぶ。

 

「痛くない? ならよかったです。俺の限界はここまでなので」

「貴方は⋯⋯」

 

 母の瞳が衝撃で見開かれる。だって、少年の顔は彼女と───。

 それは幼少期の記憶。着物を来た少女の絵画。とうに誰かの胃に収められた己の肉親から教わった───この血が背負った罪。

 

 鏡凪の肉を食えば不老不死になる、というのは全くのガセである。

 真実は逆だった。

 

 ある一族の肉を食べたから、鏡凪はこの再生力を手にしたのだ。

 

 ◇◇◇

 

「巫女と瓜二つの女⋯加えて同じ結界術? お前の同類じゃないか」

 

 男は徳利を摘み、それを丸ごと煽った。

 彼──双城厳一は日本の刀の流通を統べる武器商人である。大浴場──広い面積を贅沢に遊ばせた木曽檜の風呂──に軽く浸かって、双城は「浮金(うきがね)」と自身の()の名前を呼んだ。

 

 カン、と数多の命を奪った手が盆に瓶を戻す。

 その傍に控えた黒袴の少女───否、少女じみた少年が「はい、主」と答えた。

 双城が濡れた髪を掻き揚げる。

 

「俺も出る。お前はその女を捕まえろ」

 

 小麦の金髪とトパーズの瞳。

 その少年の顔は───巫女と鏡合わせのようにそっくりだった。

  

 ◇◇◇

 

『───⋯⋯⋯お姉ちゃん⋯じゃない、本当はお兄ちゃん。⋯おんなじ檻に入ってた』

  

 そう呟いて、シャルは黙り込んでしまった。千鉱はそれを横目で見て、またハンドルへ目線を落とす。

 玄武はその間ずっと考え込む素振りを見せていた。

 

「⋯まあいい。何が食べたい」

「パン」

 

 そして到着したサンドウィッチチェーン店・バビロニア。

 千鉱は車を停め、二人分のパンをドライブスルーした。玄武は本来食事も睡眠も必要ない体なのだ。途中で寄った酒屋で買った酒瓶を抱きしめている。

 

「いやほんと、私からも礼を言うよ」

「お前だけだよ」

 

 「こぼすなよ」「ん」固めのバゲットにカリカリのベーコン、フレッシュなトマトとレタスを挟んだ王道のBTL───にシャルはガブリとかぶりついた。

 口の中いっぱいに広がる旨味のオンパレードにシャルの目は血走っていた。

 

「くっ⋯マジで素晴らしい⋯⋯!!」

「じゃ戻るか」

 

 ◇◇◇

 

 そして到着したアイスクリーム専門店・ワンダ。

 

「食後はやっぱり終止符を打たないと」

  

 コーンの上に乗った二段のアイスクリームは今にもこぼれ落ちてしまいそう。ちいさな手の中のそれはシャルにとって宝石にも等しかった。

 

「うまそうな終止符だ」

「デザートのこと終止符って呼んでんのか」

 

「こぼすなよ」「ム」まずはあむっと大きく一口。鼻を抜けるバニラビーンズの香りと滑らかな舌触り。

 

「うめ〜耳たぶが揺れる〜〜」

 

 ⋯ほっぺが落ちろよ。千鉱はペダルを踏み込んだ。クン、と車体に負荷がかかる。

 

「じゃ戻るか」

 

 ◇◇◇

 

 そして到着した喫茶店チェーン・ブルーム。

 

「いや、いつ帰れるんだ?」

「最後! これで最後だから!」

 

 とうとうハルハルに帰るまで耐えきれなくなった玄武が日本酒のキャップを開けた。

 同時にジュゴ、とシャルがフラッペを吸い上げる。

 

「お前ら⋯⋯こぼすなよ」

 

 車内に満ちるアルコールと生クリームの香り。千鉱は静かにパワーウィンドウのスイッチを押した。

 

「最後はこうやって流し込んで、食べ物たちが胃にたどり着くのを手伝ってあげなきゃ、ったく世話の焼ける⋯」

 

 何に呆れてんだ。と、千鉱は毒にも薬にもならないことを思った。 

 

 ◇◇◇

 

「ふ〜全てを食べた」

「満足か?」

 

 シャルは膨れた腹をさすってはウプ、と物凄い顔をした。「満足だな」シャルの隣では玄武がグースカ寝ていた。

 

「ずっと暗いとこにいた。ご飯も⋯べちゃべちゃな物ばかり」

「お母さんがね、うるさかったの。楽しく生きろって」

 

「今日、楽しい」

 

 そしてシャルは、今日一番の笑顔を見せた。

 玄武はそれを横目で見て、遠い記憶の中で笑う主人へと思いを馳せた。

 

「⋯⋯そうか」

 

 ふとシャルの唇がむに⋯とつぐんだ。

 まぁるい瞳がもう一度千鉱の背を見る。

 

「あのね⋯⋯私」

 

 プルルルルル! 無音の夜を甲高い着信音が掻き斬った。「はい」千鉱が携帯を耳に当てる。

 

『柴です』

「柴さん」

『今どこおるん』

「ちょっと色々あって外に、何か聞き出せましたか?」

 

 千鉱はブレーキを緩めた。フロントガラスの奥で信号機のシグナルレッドが爛々と点滅している。

 

 バチン。玄武は勢いよく目を開いた。

 あんまり大きな瞳だったので、シャルはそういう音が聞こえた気がした。

 

『───この円柱頭の雇い主で、シャルちゃんを狙う張本人⋯そして妖刀“刳雲”の現所有者であり、式神のうき───』

 

六平千鉱(ロクヒラチヒロ)、敵襲だ」

 

 乙女の唇が動いた。

 その瞬間、千鉱はアクセルを踏んでいた足を離すと同時に刀へ手を伸ばした。シャルが身を縮ませてフードを被る。

 

 コンクリートの白線が渦潮のように[[rb:塒 > とぐろ]]を巻く。やがてそれはヒトの集合体としてぐるりと形を成した。そういった妖術なのだろう。

 

「いた、ガキ」

「わかりました、すぐ戻ります」

 

 千鉱はパチンと携帯を閉じた。

 波乱の夜が始まった。

 

 ◇◇◇

 

 玄武は刀印を組んだ。

 それは飛鳥時代より現代に甦った防御の最高峰。 

 

「“絶界(ぜっかい)”」

 

 三人の黒いミニバンを囲む車体が玄武の結界で閉じ込められた。数勝負なら残念、耐久力には自信がある。男の複製体の半分以上が封じられた。

 

「ッんだと」

 

 本体らしき男が残りの土塊を車体へ真っ直ぐ激突させる。

 その前にフロントドアを開けた千鉱がシャルを抱えて店の瓦の上へ飛び乗った。

 トッ。膝を着いて着地すると同時にその横を玄武が舞い降りる。

 

「出たか妖刀」

 

 千鉱はシャルを抱える腕に力を込めた。月のない夜は視界が悪い。

 

「さっきとある情報を双城って男がばらまいた。妖刀を持った傷の男があるガキを守ってる。妖刀とそのガキを奪ってくりゃいくらでも払うと」

「───捕まってろ」

「任せろ」

 

 跳躍。開けたフィールドでは分が悪い。シャルを抱えた千鉱と玄武は敵の群れに追いかけられて───否、誘導した。

 朽ちた商店街は一本道。千鉱は敵軍へ容赦なく涅を叩き込む。

 

 が、手応えがない。千鉱が斬った男たちは黒い泥土となって地に崩れた。玄武が生き返らないように玄力阻害の結界を貼る。

 顔に文様を描いたスーツの男が玄武を指差す。

 

「そこの女、玻璃宮の式神か?」

「⋯戦争経験者か」

「かつての戦場で私はその本領を目の当たりにした。妖刀に並ぶ圧倒的な力だ。あの地獄絵図を終わらせた」

 

 アドレナリンの刺激臭と血飛沫の舞う妖術大戦。当代の巫女──御影の母──も式神と共に戦場を駆けた。

 

「だから安心した。式神のどれもがあんな力を持ってるわけじゃないんだな」

「⋯⋯それとも契約者の方がかなり未熟なだけか。なんにせよ無理はするな」

 

 蓄積した疲労で千鉱の柄を握る手が震える。その隙を見逃さないとばかり複製体の群れが強襲した。

 玄武は千鉱から渡されたシャルを抱えて空中へ舞い上がった。足場にした結界で乱戦から離れる。

 

「チヒロ⋯」

 

 護衛対象を任せ、身軽になった千鉱が黒い敵の群れを斬り裂いく。若き鬼才は止まらない。

 土塊があらかた崩れた際、ふと千鉱の身体がぐらりと傾いた。カラン、左手から淵天を離す。

 

六平千鉱(ロクヒラチヒロ)!」

 

 玄武はシャルを残し白い装束姿の男へ空から斬りかかった。

 突如男が手のひらを差し出す。そのまま腕ごと切り裂こうとしたとき────玄武の世界が真っ白に染まった。

 

 それは、淡い胡蝶の夢。

 

『ねぇ玄武。この子を、この子をどうか⋯おねがいね⋯⋯⋯』

 

 ばきん。と何かの錠が外れる音がした。

 硬く鎖で巻き付けられた扉が力ずくで開けられた音だった。

 

 ◇◇◇

 

 玄武!!! 止まれ!! 戻ってこい!!

 

「あ゙ああああ゙あるじ!!! どこにいらっしゃるのですか!! 守らなければ!! また泣いてるかもしれない!! また失うのか!! あるじが、奥様の願いが、あの方の命が!!!」

「止まれ!! シャルまで傷つける気か!!」

 

 極光。それは超高密度の玄力そのものだった。

 光る青緑の嵐の中は妖術師ですら意識を保てない。妖刀を持つ千鉱だけがやっと玄武の肩を掴むことができた。

 

 とうに土塊の男はどこかへ飛ばされ、古い商店街は軒並み風圧で潰れている。それは姿のない龍が暴れ狂ったようだった。死人が出ていないのが奇跡だった。

 

 正気を失って玄力を爆発させる玄武を、千鉱はしがみついて必死に声を掛け続けていた。前髪は巻き上がり、黒いコートの裾がバサバサと荒く呼吸をする。

 その後ろではシャルがぐったりと倒れていた。

 

「いやだいやだいやだ主!! ねぇどこにいるの!! おいていかないで!! そばにいてよ!!!」

「玄武!! 起きろ!! 目の前を見ろ!」

「待って待って待ってよいかないで!! なんで!? ねえあるじ!!」

「────玄武!! 今のお前を見たら御影はなんて思う!?」

 

 みかげ。玄武の脳裏に次々と過ぎる、幸せな記憶。

 あの銀色、ぬるくてやわらかい手、舞の美しさ、お菓子を食べる顔、詰んで渡してくれたタンポポ。ちいさなちいさな赤子の時に別れたあの子。

 

 繋ぎ止めておけなかった私の[[rb:主人 > もの]]。

 

 開かれた瞳孔に禍々しい光が再度灯された。

 馬鹿げた膂力で千鉱が投げ飛ばされた瞬間───その背中をバシッと支えた影があった。

 

「とんでもないことになってるね」

 

 くるりと男は千鉱に背を向ける。

 ガツン!! 星が散り、玄武の頭に拳骨が飛んだ。翡翠の目玉がぐるんと虹色の闇を見る。

 

「どうか許してくれよ、玄武殿」

 

 シュウウウゥゥゥ⋯────。

 一帯を雷のように轟かせていた玄力が段々と鎮火していく。

 玄力の塊が青緑の結晶となって、パラ、パラ、と玄武の頬から剥がれた。ぐったりと男の胸に倒れ込む。

 

「全く、急いで来てみればこれだ」

「⋯薊さん。すみません、助かりました」

 

 黒曜石の目と髪。シンプルなピアスとラフな私服───に飾られた徽章。神奈備の薊だ。

 千鉱がぐったり倒れたシャルを抱き起こす。意識はあるようで、千鉱の首に手を回してきた。

 

「チヒロ、げんぶは⋯?」

「大丈夫だ。⋯ごめんな、痛い目に遭わせて」

「⋯ううん」

「足、怪我してるぞ」

 

 千鉱がシャルを抱き上げた瞬間、その細足が傷口をボコボコと塞ぎ始めた。

 「!?」千鉱の紅い目が傷一つ無くなったまっさらな皮膚に縫い止められる。

 

「シャル、お前⋯⋯」

「驚いた。君、もしや鏡凪の生き残りか」

 

 玄武を抱きかかえた薊が二人の元へ近付く。出っ張った中手骨の先からタラリと血を流していた。玄武はよほど石頭だったらしい。

 

「鏡凪?」

「並外れた再生能力⋯特異体質の一族だよ」

 

 “鏡凪一族の肉を食えば不老不死になれる”

 そんなガセが広まったせいで一族は根絶やしにされた───ということは、流石の薊も口にしなかった。

 

「⋯お前の体質か、奴らが狙うのは。⋯ずっと話さなかったのは、俺も知れば利用すると思ったからか?」

「⋯⋯うん」

「でも⋯さっき話そうとしたよな。俺を⋯信用しようとしたのか?」

「⋯うん」

 

 ぐううう、とシャルの腹の虫が鳴る。

 玄武の暴走──超高密度の玄力──に当てられて吐いてしまったらしい。

 千鉱がゴソゴソコートの中をまさぐった。

 

「俺の分やるよ⋯⋯後で食べようと思って持ってたんだ。食えるか?」

「⋯⋯うん」

 

 差し出されたパンを、シャルは束の間の幸せを押し殺すように受け取った。

 

 ◇◇◇

 

『あ! 起きた!』

 

 最初は、シャルの声で目を覚ました。

 ────それなのに、何故こうなっているんだろう。

 

 喫茶ハルハル。冷や汗を垂らした乙女は冷たいレンガ調の床の上にこじんまりと正座していた。生まれてこの方、主以外に見下ろされた経験などない。

 ソファに座り、玄武の目の前でムッと腕を組んだシャルは銀色の旋毛をポチポチ押した。

 

「お、おい。なんだこれは⋯⋯」

「被告人を懲役100年に処す!」

「被告人って知っとるんや」

「懲役って知ってるんだ」

 

 上から玄武、シャル、柴、ヒナオである。

 名高き玻璃宮の式神は少女のなすがまま、ほっぺをもちもちされたりツンツンされたり⋯と彼女の玩具になっていた。

 が、この場合玄武が悪い。自ら暴走した挙句、護衛対象へ傷をおわせたのだから⋯

 

「その⋯⋯申し訳なかった、シャル。足の傷はどうだ、痛かっただろ、すまない⋯」

「玄武、顔がしなしなしてる」

「誰のせいだと⋯」

 

 乙女のやわい眉は心なしか下がっていた。自信に満ち溢れた姿の見る影もない。

 シャルはもち⋯と玄武の両頬を掴んで、「いいよ! 許す!」と白い歯を見せて笑った。

 

「⋯⋯⋯ああ、ありがとう」

 

 玄武はぎゅ⋯とちいさな胴に腕を回した。よしよしとシャルがその頭を撫でる。

 

「よきにはからえ」

「⋯玄武、報告だ」

 

 精霊の美貌がそっと顔を上げた。

 共鳴する赤と緑。良いニュースではないのだろう。千鉱の硬い唇が開く。

 

「寝起きで悪い。双城についてだ」

「構わない」

「1ヶ月後⋯⋯闇オークション『楽座市』で妖刀“真打”───そして玻璃宮の六神将“間ヶ琶(まかべ)”が出品される」

「は⋯⋯⋯」

 

 玄武は思わず思わず絶句した。

 

 六神将。玻璃宮で産まれた女が、代々己の娘へと受け継いできた──御影オリジナルの式神・玄武を除く──六体の式神。

 それらは巫女への絶対忠誠を誓っている。ましてや、商品にされるなど有り得ない───!!

 

「⋯⋯⋯⋯どういうことだ」

 

 ぶわりと腹の底から溢れ出た憤怒を顔に出さないように取り繕う。二度同じ醜態は晒さない。

 

「出品者は双城。真打や間ヶ琶が関わる以上、毘灼も動くはずだ」

 

 玄武は立ち上がった。一本の竹のようにしゃんとした背筋。一皮剥けた女は誰もがこの鋭い瞳を持つ。

 

「気を引き締めるぞ、玄武」

「ああ、了解した」

 

 ふう、とカウンターの柴が安心の溜息をついた。その前でヒナオはトポポと珈琲を入れてやっていた。

 夜はすっかり更けて、星の見えない闇がハルハルを覗き込んでいた。

 

 ◇◇◇

 

 後日。玄武はパタパタ戸棚の整理をしていた。

 三角巾を付け、色とりどり・色んな地方の置物やら骨董品やらを丁寧に布巾で吹いていく。

 

 大方ハルハル贔屓の妖術師がヒナオにプレゼントしたのだろう。裏表のない愛嬌のある彼女は、一癖も二癖もある妖術師でも可愛がりたくなる。

 

 千鉱がソファから立ち上がって、カウンターのある部屋へのドアノブを回した。

 

「玄武、シャルを見ててくれ」

「任せろ」

 

 お手伝い中の玄武は脚立代わりに貼っていたシールドを解き、ヒナオから借りた三角巾を解いた瞬間────ギン!! 隣部屋から金属のぶつかる轟音が聞こえた。

 

『なるほど速いな』

 

 アドレナリンの分解臭。知らない男のテノール。千鉱が刀を抜いた音。

 玄武の頭に警鐘がけたたましく鳴り響いた。

  

「ッシャル!! 逃げるぞ!!」

「ヘェ!?」

 

 未だ寝ぼけているシャルを横腹に抱え、玄武は裏口から駆け出した。その後ろで鳴り響く轟音。妖刀の戦いは周囲への影響を顧みない。

 玄武が走るその姿を、屋上から覗くシルエットがあった。

 

 ────強襲だった。

 シャルを後方へ間一髪で投げ飛ばす。

 シールド状の結界を貼る。

 それで刀を受ける。 

 

 研ぎ澄まされた、目まぐるしい一瞬の攻防。

 それは阿吽の呼吸のようにピッタリ重なり合っていた。互いが互いの動きをよくわかっている⋯むしろ慣れ親しんだように。

 玄武は後ろから追いかけてきたヒナオに吠える。

 

「ヒナオ!! シャルを連れて逃げろ!!」 

「余所見ですか? 妬きますよ」

 

 キィ────ン!!

 凄まじく速い抜刀だった。それだけで辺りの風を巻き込んでいく。極限まで磨かれた二刀流。二人を庇うように広範囲で貼った結界では強度が追いつかない。

 衝撃を流す、流す───流し、切れない!

 バキリ。ジェード・グリーンのシールドにヒビが入る。

 

 風圧が少年の前髪を攫った。

 そして露になる瞳は───巫女と対になるような金色。

 

「こんにちは────七番様(おねえさま)

浮金(うきがね)!!!」

 

 玄武が叫ぶ。

 ああ、そちらの方が余程人間らしいな。

 少年は畳み掛けるように笑った。

 

「さあ! 式神同士、兵器(きょうだい)喧嘩と参りましょう!!」

 

 玄武の結界が音を立てて崩壊した。

 今、青緑と金色の衝撃が交差する

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