Kivotos with the Lostbelt 作:2匹目の蝉
先生がそれを見かけたのは、たまたまであった。イリアとナノとも後で合流するとしつつ、単独交渉をしようとカイの部屋まで来ていた時のこと。
恐ろしいまでに顔を歪めたオドリが、カイの元に向っている。カイとの話し合いをしようとしていたタイミングだが、それを妨害しようとしていたわけではないのは明らかだった。先生のことはもはや眼中にない。意識する相手の選び方まで狂っているように思われる。
何をするものかと思い、少し立ち止まって様子を見ることにしたのだが、これが誤算だった。
突如鳴り響く銃声。オドリの放ったものだけでなく、即座にカイが返したものも。止めなければ、と走り出す先生。それから数秒が経って、銃声も、それに伴う物音も止んだ。
“カイ、オドリ、一帯何が……!”
先生が見た光景は、たったの数秒で済んだとは思えない、完全に勝負がついた後の構図。カイの持つ拳銃の銃口、その延長上には仰向けに倒れ込んだオドリの喉が。もはや、生殺与奪の権を握られているも同然、完全敗北を喫している派手女の姿だった。
「そんなに戦い慣れはしていないだろうとは、前から思っていたよ。とはいえ、そんな様子で来られたら、何のつもりかと思ってしまった」
「ううっ……ぐすっ……」
「だから少しだけ、全力を出そうとは思ったんだが。いや、うん。想像していたより何倍も弱いなお前」
「なんで私は……こんなに、無力で……うわああん!」
できることはもう、泣きわめくことだけだった。ある意味、これでスッキリするのかもしれない。完璧でない自分というものを、今まで許さなさすぎた。
「ああ、先生か。見ての通り、彼女は私と敵対することを選んでしまったよ。本末転倒もいいところだ。このような形で考えを示されてしまっては、私もともに歩むことは考えられなくなるな……」
“まあ、そうなるね。オドリ、こういうことだそうだけど、どうする?”
「分かっています。この言葉を言わせたくて、こんなことをしたのでしょう? そして、貴方の想定を下回るほどに、私は弱かったのです。もう……躊躇いはありません。申谷カイさん。私と貴女の縁は、もはやこれまで」
オドリは、カイを自らの元に置くことを、ここに正式に諦めることを宣言した。そして、ほかに競合相手がいない。というより、あまり他に興味を示す様子がない。
つまり、実質的に試練は突破した。あとは、細かい条件の調整のみになる。
“彼女がまだ降りない前提で、できる限りの条件を出して交渉でもしようかと思ったけど……ここまで事が進んでくれるとは思わなかったよ”
「よく言う。意外と汚い手段を使うじゃないか。精神的に追い込んで自滅を誘う、先生らしくもない」
“あまり、他にいい手が浮かばなくてね。その辺りはワカモに助けられたかな”
先生の頭には、元々こういった発想はなかった。嫌っている種類の考えだったかもしれない。だがいざ提案されると、それしかないように思えてしまった。
ある種の遠慮の無さは、そちら側の存在だということを思い出させてくれる。
「まあいいさ。それだけのことができるとなると、尚更ついて行きたくもなってくる。敗者に立ち会わせるというのは、少しばかり酷なことだが……話をしようか」
“うん。早速だけど、お金の話をしようか。参考までに、オドリはどれくらい出すって話だった?”
「えっと、確かはっ──」
「うわーっ! それを貴女の口から言われるのは恥の上塗りです! 私自ら言いますとも、ええ、800億はポンと出しますとね!」
ヤケクソながら、とてつもない額を出してきた。ナノの予算10億程度というのも子供が持つ額でもない上に総資産ですらないのだが、その80倍を軽い気持ちで出せるらしい。
“うひゃあ”
「あの大船の上に暮らす市民は、圧倒的に豊かな生活を保障されている。
“みたいだね。私達とそう変わらないまま、それでも行き詰まった”
変革はもたらせるのかもしれない。しかし、それによる犠牲が、キヴォトスを滅ぼすまでになる。もはや、空想のサンクトゥムタワーなど関係もなく。
ゆえに、必然的に、異聞帯という概念を持ち出すまでもなく、世界を滅ぼすような戦いをしているのではないか──そう、思わずにはいられない。イリア達は、その気があるのだろうか。
「おおよそ、察しはついている。元に戻すための戦いを、今しているんだろう? それに協力するモチベーションが無いではない。王以外に、あまり興味の持てる対象もこの世界にはない」
“それは心強い限りだよ。でも、どうして王以外は……”
「求めてこないんだ、私を。なんともつまらない。まあ、その分王は面白い。先生の考えもね」
案外、王も普通に人間なのではないか、という考え。その根拠が、無いわけではなかった。本来人の領域、あるいはその被造物としてちっぽけでしかなかったモノが、何かの運命の悪戯で、神に等しいものとなる。そんな例を、見てきた。
ひとりの人物としての「綿津見トリン」に思いを馳せると、案外そういったものなのではないか、という仮説くらいは、立てられるものだった。
「私は科学的に、物理的にあると言えるものしか信じたくはない。魂だとか、命だとか、高次元領域だとか、そんなものは無いと思っている。所詮この世は物質界だと。けれど、君の経験則は、それ以外の何かを持ち出す必要がある」
“それじゃあ、考えるに値しないかな?”
「まさか。物質的証拠は、むしろ説明するには圧倒的に力が足りなかった。遂に私にもコペルニクス的転回の時が来たのかもしれない。いやあ、楽しみだよ」
つくづく、学者だ。狂気的なだけで元より優秀な医学徒である。自分が間違っているわけがないという考えは、真っ先に疑うべきなのだ。
結局、金額についてはナノの予算を半分出したら受け取ることを快諾してくれた。それが彼女にとって、どれだけの価値であろうか。
いずれにせよ、カイは先生について行くと決めたようだ。