Kivotos with the Lostbelt 作:2匹目の蝉
この地において、神とは何を意味する言葉であろうか。この地にいる生徒なる存在は、確かに人であるが、神と称するべきもの、あるいはそれに準ずるものの素質を有しており、したがって「すぐそこにあるもの」である、のだろうか。
だが決定的に彼女らは、人の目線で生きている。何かしらの自覚、使命を持った特殊なケースでなければ、確かに人として、等身大の子供として成長しようとしている。
だがその者は、違っていた。神の視点を生まれながらに持っていた。その特異な才能が故に、ありとあらゆることに必要とされた。
とはいえ人の肉体を持っているのだ。精神は肉体と互いに引き合う関係。物質界に生きているのであれば、より強く肉体に引っ張られていく。ゆえに人の心を身に着けていくものであろうと思われた。いや、本来ならそうなるのだ。
だがその精神はもはや高度に形而上世界で存在を確立していた。肉体が超人間的な精神に引っ張られていき、成長も老化も気付けば止まっていた。
そして神に限りなく近い何かとして、判断を下した。
「不要である」「継続せよ」「数を減らせ」「個々を増大させよ」「届かせよ」「墜とさせよ」「対抗する」「埋もれさせるな」
精神の内にある命令系統には、そのようなものが生じていた。絶対者の粋に達した精神の命令は、全てを従える力を持つ。ここで問題なのが、
本人の感覚では、それは何の問題にもならないのだろう。だが客観視してみると、それのいかに恐ろしいことであるかという事実を、実感させられるものだ。何せ、自らの考えに一切の
その行いになんの疑いを持つこともなく、過った考えと行動を一切顧みることができず、それを遂行し続ける。それに人を従わせ続ける。こうなった世界はどうなるのであろうか?
ふと、そのような考えがその者の内に生じたことがあった。それが、初めて自分の行いに疑いを抱いた。瞬間、それは塗り潰される。
「多のままに統合は起こらない」「統一は起こらない」「多は一にはならない」「一とは一であり」「最後までそれは疑ってはならない」
これが、全て。自らに命じたことは、誰にも止められない。それこそが過ちだった。
神は嘘をつかない、ということを語る者がいる。それは、神自身のただの性質と思うかもしれないが、実態は少々違うのだ。
神の言ったことは、全て事実になる。神の言ったモノは、全て存在する。神が志向したことは、全て実行される。神であるために存在する縛り。人と同化し、人に存在が引き寄せられた今となっては、すっかり他人事になってしまった。
ある種の先祖返り。それはすなわち後退である。退化も進化の一種であるというのは生物学の常識であるかもしれないが、このケースはそこで終わってしまったと言える。
停滞し、生きた化石のごとくこの世にあり続ける。もしくは、進化の終着点としての絶滅に行き着く。そういう選択をしてしまった。
改めて、確認が必要だ。異聞帯とは、存在しない可能性を呼び出したもの。だが、存在しないものをいかにして呼び出すことができるだろうか。
その者は確信する。確かにこの選択の可能性は、
「考えるな」「無意味である」「主張せよ」「あらしめよ」「後から事実はついて来る」
考えるのをやめた。目の前のことに集中することにした。自らを否定する者が、自らの在る形を否定する者が現れたのだ。それに対処せねばならない。
それ以外の思考は、現在は無用。ゆっくりと、確実にそれを阻むための策を作り上げるのだ。
その刹那、視界の内に入った存在に、微かな既視感があることに気が付いた。それは、自らへの命令を阻む感覚であるのは確かだった。
しかし、命令系統はそれを見逃した。