どうか世界に溢れんばかりの幸福があらんことを   作:野崎エミヤ

1 / 2
プロローグ
いつか再び、さようならを言うために


◆◇◆◇◆◇

 

「ねぇ、ホントにいいの?」

 

 女神(めがみ)の声が響く。

 どこまでも広がる青い草原で。風が若草を揺らし、海のさざ波のような音が奏でられる。

 雲一つない青空と陽光が照らすその場所に、一柱の女神と一人の眷属がいた。

 眷属の名はアストレオン・ルクスヴェイル。白銀と紺を基調とした戦装束は簡素でありながら美しく、灰銀のマントが微かな風に翻る姿は、まるで神話の一節を思わせる。顔つきは男らしさと中性的な柔和さを併せ持ち、どこか幻想めいて見えた。対する女神も金色の髪を波のように垂らし、気品と奔放を併せ持つながら文字通り人知を超えた美しい美貌をもっている美の女神───アフロディーテ。

 

「別に、貴方が行く必要はないと思うのだけれど?」

「そうかもしれません。でも、これは僕が選んだ道です」

 

 アストレオンの声は静かだった。

 穏やかで、優しい。けれど、その奥底には凍てつくほどの決意と痛みがあった。

 

「まったく……どうして、こういうときって男のほうが迷わない顔をしてるのかしら」

 

 アフロディーテは苦笑し、そっと一歩、彼に近づいた。その動作ひとつひとつが、人の理性を奪いかねない『美』そのものだった。

 

「私はあなたのこと、本当に気に入っていたのよ? 元が()()()の眷属だってのはちょっと……いやかなり気に入らないけど、初めて会ったときから、あなたの中にある“壊れそうな芯”が気になって仕方なかったの」

「それは……光栄です」

「そうよ、光栄に思いなさい! この世で一番ゴージャスでラグジュアリーで尊くてエモエモのエモな男も女も跪きたくなるような最強究極無敵な女神であるアフロディーテが認めたんだから!」

 

 女神は、冗談めかしてそう言ったが、その声に混じる哀しみは隠せなかった。

 

「神アフロディーテ」

 

 彼は一歩、前に進み、その瞳を細める。

 

「貴女の眷属になれて、本当によかった。ありがとうございました」

 

 その一言に、アフロディーテは小さく息を呑む。

 それはまるで、旅立つ騎士が主君へと捧げる最後の忠誠の言葉のようで。彼女の心に、ひとつ、重く何かが落ちた。

 ――そんなの、ずるいじゃない。

 その言葉は、唇を震わせたものの声にはならなかった。

 

「……私の、私のファミリアは…嫌い?」

 

 言うつもりはなかった。聞くつもりもなかった。

 けれど、このまま彼が背を向けてしまえば、もう二度と会えない。そう思った瞬間、口が勝手に動いていた。

 アストレオンと知り合ってからの期間はたった1年と短いが、目の前の男がどう答えるかなんて、『全知零能』であるアフロディーテには解りきっていた───筈だったのだが、アストレオンは少し目を丸くし、それから堪えきれずに笑い出す。

 

「ふふ……はははっ! いや、すみません。笑うつもりはなかったんですが、あの傍若無人我儘姫(アフロディーテ)が他人に気遣うという状況が可笑しくて」

「ちょっとそれどういうことよ⁉ 喧嘩なら言い値で買うわよゴラァ‼ てか、今名前のとこで絶対馬鹿にしてたでしょ! いい加減にしないとイジめるわよ!」

 

 喧噪。罵声。どこか安心するやり取り。

 シリアスな雰囲気なんて貴女には似合わないと告げられているようで、それが日常の証であるかのように、アストレオンは一頻(ひとしき)りそのやり取りを楽しんでから、ふっと微笑む。

 

「でも、貴女と貴女のファミリアのことは好きだったのは本当ですよ。最初のファミリアは捻くれ者で天邪鬼(あまのじゃく)な主神に欠陥があるせいで性根が腐った後輩のみの男三人衆でしたし、主神のやらかすことへの尻拭いばかりでいつも気苦労が絶えませんでしたから」

「その話は聞いたわ。でも、苦労していたと言っていたのにアンタ、楽しそうに話すんですもの。あの時ばかりは()()()にちょっと嫉妬したわ」

 

 アフロディーテの反応に、アストレオンは笑い、空を見上げる。

 

「でも、ああ……本当に楽しかった。あの(ひと)は行く先々で騒ぎを起こして、砂漠の海(カイオス砂漠)では『正義ごっこをしよう』と言い出したかと思えば奴隷市場に介入して奴隷を片っ端から解放したり、かと思えば帝国で『革命ごっこをしよう』と言って革命集団(レジスタンス)を纏め上げたと思ったらよく分からない内に一部が成功して独立国家を作りました。挙句の果てには『マル秘諜報作戦(ミッション・インポッシブル)をやりたい』などと言い出して、極東の《朝廷》を纏めている主神の顔に落書きをするという心底くだらない遊び(イタズラ)もやりましたね」

「ちょっと待ってそれ聞いてないわ何してんの⁉ てか、改宗(コンバージョン)の時に妙にレベルが高いと思ったらそういうことしてたわけ⁉」

 

 今になって明かされる衝撃の事実に、アフロディーテは驚愕とともに声を荒げる。

 砂漠の海(カイオス砂漠)の件はまだいい。極東も、まあ落書き程度なら可愛いものだろう。本神(ほんにん)にしてみればたまったものではないだろうが。しかしまさか世界勢力の一つである『帝国』でもやらかしているとは思わなかった。しかもなんか規模の大きいことしちゃってるし。

 

「特に極東の件は面白かったですよ。結局脱出のとき衛兵に見つかってしまったのですが、逃走中に主神は明らかに罠だと分かる(怪しい)ヒモを引っ張って後輩を段差がなくなる(仕込み)階段にハメたり、後輩は後輩で不用意に壁を触った際に罠を作動させて天井からの落下物(タライ)に巻き込まれたり、最後には壁から射出された槍衾(やりぶすま)でなぜか主神だけが全裸になったと思えば『我が肉体に恥じるとこなどないわ!』と言って偶然その場にいた女性から制裁(ゲンコツ)を頂戴していましたね」

 

 アストレオンは眼を閉じて、当時の光景を思い出しているのか、柔らかい笑みを浮かべて楽しそうに語っている。

 その様子に、アフロディーテも堪えるような笑い声を漏らす。

 

「ふふっ、何よそれ。ちょっと見てみたかったと思ったじゃない……思ってた以上の評価でちょっとびっくりしたわ。でもそうね。欲を言えば、私のことをもっと敬って、私と一緒にいるときもそんな風に笑ってくれたらもっと良かったんだけど?」

 

 口を尖らせるアフロディーテに、アストレオンは肩をすくめる。

 

「いや、人のベッドの上で枕に顔を埋めて『フヒヒ』とか奇妙な笑い声をあげながら転げ回るような(ひと)をどう敬えと言うんですか?」

 

 ───予想外すぎる殺人球(キラーパス)を受けてアフロディーテの顔は一気に沸騰した。

 

「な、ななななななな……アンタ、見たの! 見てたの⁉ 信じられないわこの変態‼」

「実際に見たのは一度だけでしたが、何度か似たようなことをしていましたよね? 流石に酒を飲んだ後にそういうことをしていれば嫌でも匂いが付きますよ。まあ僕以外に気付いている人はいなかったようですけど」

「あ、あばっあばばばばばばばばばっ‼⁉」

 

 見られたことに対する怒りと羞恥がごちゃ混ぜとなり、混沌(カオス)のごとき混乱がアフロディーテの脳内を蹂躙する。

 もはやまともな思考ができなくなり、とある鍛冶神(かつてのトラウマ)と相対した時のような壊れ具合が露見してしまう。

 ちなみにこれから数刻の間、アフロディーテは正気を失っていた。

 

「ゴホン………はあ、もういいわ。いや全然良くはないけど! 叶うならアンタの頭を死ぬほどぶっ叩いて記憶を消したい気分なんですけど! 私は寛大な女神様だから、アンタの不敬の百や二百程度、許してあげるわ。感謝しなさい!」

 

 未だ頬に熱が残っているものの、アフロディーテは胸元に手を当てながらふんぞり返るようにそう言った。

 

「勢いでごまかそうとしてますね。まあ貴女らしいと言えば貴女らしいので別段構いませんが」

「うっさいわね! とにかく! 覚えているのは構わないけど言いふらすような真似をしたら本当に許さないからね! もし誰かに喋ったら、地の果てだろうと天界の果てだろうと地下世界(ダンジョン)の底だろうと追いかけて魂の一片も残さずにドロッドロに『魅了』してあげるんだから!」

「おっと、それは怖い。前の主神から『女神の執念ほど怖い物はない』と聞いていますから。はい、今の忠告、この胸にしっかりと刻んでおきます」

 

 不安・懺悔・驚愕・感傷・動揺・怒り。

 いつもなら、ここまで語らない。

 でも、互いにゆっくり語り合うことができるのは、恐らくこれが最後。

 ならもう少しだけ、あと少しだけ、この時間が少しでも長く続くように、アフロディーテは言葉を重ねる。

 だが、やはり物事には『終わり』がつきものである。

 

「では、神アフロディーテ。僕はそろそろ行かなければなりません」

 

 唐突に告げられたアストレオンの言葉に、アフロディーテの体が飛び上がる。

 嫌だ。

 許さない。

 行かないで。

 そういった言葉が次々と頭の中で浮かび上がり、何度も喉から突き出そうになる。

 でも、それは出来ない。そう、出来ないのだ。

 

「……私はまだ、アンタに知ってほしいことが、見てほしい物がいっぱいあるわ。それこそ、数えきれないくらいに」

 

 だから、今のアフロディーテに出来ることは、一つだけ。

 

「アンタのやるべきことが全部終わったら、また私のところに帰ってきなさい。それが出ていく条件よ」

 

 それは約束。

 魔法も紙の契約書もない、ただの口約束。

 

「言っとくけど、この女神(わたし)との約束を破るなんてあり得ないからね! 絶対に! 死んでも守りなさい!」

 

 でも、目の前の男に誓わせるなら、こっちの方が良い。

 何かしらの形に残るものを受け取ることを、アストレオンが好んでいないのは知っていたから。

 アフロディーテの言葉を受けて、アストレオンは笑みを浮かべる。

 心底嬉しそうに、優しい笑みを浮かべていた。

 そして───

 

「はい、わかりました。全てが終わった暁には、必ず貴女の元へ帰ると誓いましょう」

 

 ───高潔な騎士のように礼拝を行い、背を向けるとそのまま進みだした。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 冷たい風が、アフロディーテの頬を撫でた。

 一体、どれほどそうしていたのだろうか。

 日は随分と前に隠れてしまい、辺りは静寂に支配されている。

 風に揺られた金の髪を指先で払い、アフロディーテは誰にも見せたことがない顔で呟いた。

 

「貴方が救界(マキア)のために強くなるのは嬉しいわ。元が付くことになっちゃうけど、主神であったことはとても誇らしいもの。でも───それがあなたの命を削って得たものだなんて……冗談じゃないわよ」

 

 声は怒気を孕んでいた。しかし、それもすぐに沈む。辺りを包む夜の帳と同じように。

 アストレオンの前では強がっていた仮面が、泥のように溶けて崩れていく。

 

「ねえ、アストレオン。お願いだから英雄にならないで。自分を捨てないで。もう戦いたくないって言って───そう私が思っても、貴方は言ってくれないわよね」

 

 空を見上げ、涙の代わりに笑顔を浮かべる。

 だって、それが最もアフロディーテらしいから。

 強く、気高く、美しい女神だから。

 

 ───好きよ、アストレオン。だから貴方の行く先が、どうか明るい未来で満たされますように。

 

 だからこの思いは、女神なりの愛のカタチなのだ。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。