大陸で最も賑わい、発展しているとされる都。
鈴仙は部下達に介抱されながら宿に入る。
曹操から謝礼として充分過ぎる路銀をもらっていたので、手頃の宿さえあれば二、三泊くらい余裕だった。
風が手配してくれた宿に入ると、鈴仙を寝かせる。
元・衛生兵の部下の指示で濡らした手ぬぐいを足首に巻いている。
「はい。安静にしててくださいね」
「はい。ありがとうございます」
治療を終えた鈴仙は部下に礼を言う。
しかし、その顔はどこか浮かない。
その場の全員はその陰りの原因が分かっていた。
十中八九、エースの役に立てなかったことがショックだったのだろう。
それを見越して風が言った。
「あまり自分を責めるものじゃありませんよ?」
「風ちゃん…わたしはそんな…」
「その言葉に説得力が無いですよ」
「……」
抵抗は無駄だと悟った鈴仙は何も言えなくなる。
風はそんな鈴仙の頭を撫でて慰める。
「大丈夫ですよ。お兄さんは破天荒で鈍感ですが、約束は必ず守ってくれます」
「それは…」
「それは私も鈴仙ちゃんも分かっていますから」
「……うん」
鈴仙は静かに布団にもぐりこむ。
そんな鈴仙を一瞥し、風は部下達にも指示をする。
「皆さんはお兄さんが戻るまでできたら仕事をさがしてください。路銀は無限じゃないので」
『『『はい!』』』
元気よく返事する部下を見て微笑んだ後、風も密かにエースの無事を祈るのであった。
「く…ぅ…」
エースは目覚めた。
しかし、エースは忘れていた。
自分がどんな状況か、なぜこんなところにいるのか、そもそも何で今、空に満月が浮かんでいるのか……
重い上半身を起こして辺りを見回すと、そこは涼しい芝が周りに広がっていた。
そこの近くには透き通った川が流れている。
「これは…」
そして、自分の体には毛布が掛けられていた。
「これは一体……」
エースが状況に惑わされていると、近くから声が聞こえた。
「もう大丈夫ですか?」
「誰だ!!」
考え込んでいたのかエースは突然の声に警戒して声の主を睨む様に視線を向ける。
「ひぅ…!」
少女は小さい悲鳴を上げて尻もちをつく。
しかし、エースは警戒を解かずに少女を睨む。
「…何でおれがここで寝ている…お前は何者だ…」
ドスの利いた声で少女に問い掛ける。
一見、小柄で繊細なガラス細工を思わせる少女でもエースは油断する素振りも見せない。
もし、自分を見知らぬこの場所にまで拉致した張本人なら尚更だった。
「あ…あの…私は…」
「……」
「ただ…川上から流れてきたあなたを…ここに上げて……」
「…流れて?」
ここでエースは妙な単語を耳にする。
流れてきた? おれが?
そこまで言われて、過去のことを振り返ってみる。
(たしか…森でヘラクレスを見つけて…それを追い掛けて…)
「あ」
思い出した、何かも。
ヘラクレスを追い掛けて崖から転落したことも…
(そうか…それで…)
そこから冷静になって考えれば色々と分かった。
周りからは気配も何も感じられず、いるのは少女と自分の二人だけだということ。
何か目的があって連れてこられたとしても、護衛どころか仲間さえもいない。
しかも、目の前の少女からは闘気も殺気も感じられない。
とすると、本当に一般人か…
エースは自分をみて怯える少女を見る。
(…おれの命の恩人か…)
「へぅ…」
エースが少女を見ると、少女は小さい体を更に小さく強張らせる。
そんな少女にエースは頭を下げる。
「え?」
少女は急にエースが頭を下げたことに面喰ってしまう。
「すまねえやっと思い出した。あんたはおれの命の恩人だ。そんなあんたに無礼を働いたことを許してほしい」
「え…あの…いいですよ。誤解が解けたなら私も満足ですから…」
エースの大人の対応に少女は手と首を振って応える。
そんな彼女にエースは心の中で感謝していると、エースはここで何かを忘れていることに気付いた。
(あれ? そういえばあいつ等……)
風と鈴仙とその部下達。
そいつ等はどこに……
………
「そうだ!! 洛陽!!」
「ひぅ!」
エースは全てを完全に思い出し、大声をあげたのに少女はビビる。
それでもエースは頭を抱えて苦悩する。
「くそ~…すぐ帰るつもりだったのによ~…どれだけ流されちまったんだおれは…」
「…洛陽?」
エースの呟く目的地を少女は不思議そうに反芻させ、エースに聞いてみる。
「あの…」
「ん? どうした?」
「あなたは洛陽に行きたかったんですか?」
「ああ、そこでおれの仲間が待ってんだ」
「そうですか……でも、今の時間じゃ検問も閉まっているかと…」
「は!? なんで!?」
エースは顔を少女に近づけて問い詰めると、少女も少しひるむが、その迫力に堪えてぎこちなく返す。
「えっと…その…最近では洛陽の検問は日暮れになると閉まって、通過することができないんです」
「マ…マジか…」
少女の答えはエースにとって最も都合が悪かった。
ということは、次に検問が開くまで自分は洛陽に行くことができなくなってしまう。
そんな答えが脳内で出された時、エースは四つん這いになって黒いオーラを醸し出す。
明らかに落胆しているエースに少女はアタフタしながらフォローする。
「で、でも大丈夫です! 検問は毎日昼ごろから開いてますから、明日の昼までの辛抱ですよ!!」
「ほ…本当か?」
「はい! 間違いありません! ですから頑張ってください!」
胸の前でガッツポーズして応援してくれる少女にエースは情けない姿を見られて恥ずかしくはなったが、すぐに立ち直る。
(まあ、おれだけもう一晩野宿すりゃいいか…)
思えば、それほど大変なことではないので、あまり悲観的にはならなかった。
エースは四つん這いの姿から仰向けにゴロンと態勢を変えて天を仰ぎ見る。
「それもそうだな……明日なんかあっという間だな」
エースは寝っ転がった姿で少女を見て、笑って礼を言う。
「色々とありがとな。心配してくれて」
「いえ、困った時はお互い様ですよ」
「そっか……じゃあ早く帰りな。こんな夜おせえと帰りあぶねえぞ」
それに対して少女は首を横に振る。
「大丈夫です。住んでいる所はここからすっごく近いんです。それに…」
少女の雰囲気は少し暗くなったことにエースは気付くが、少女はしばらく何も言わなくなってから、また取り繕う様にニッコリと笑って返す。
「えへへ…やっぱりなんでもありません」
「……そうか」
多少気になってしまうが、あまり詮索しすぎるのも悪いと思って深くは突っ込まなかった。
そんなことを思っていると、少女が何気無しに聞いてきた。
「それでですね…寝る場所と夕飯はどうするんですか?」
「え…あぁ…そうだな……」
不意に聞かれて少しチグハグしてしまったが、答えは大体決まっていた。
最近までやってた様に野生の熊か猪を捕まえて食べ、そのまま野宿。
「とりあえず今日一晩は…」
エースが答えようとした時、少女も同時に言う。
「私が使っている小屋にいかがですか?」
「のじゅ…は?」
エースは何気に言われた少女の言葉に絶句した。
一方の少女はというと、エースが驚くのを見て嫌がっているのだと悲観的になってしまう。
「すいません……迷惑ならいいんです…」
「あ、いや、そういうことじゃなくて…」
悲しげな表情を浮かべる少女にエースは慌てて訂正する。
「ただなぁ、初対面のおれをいきなり信用するのは早計じゃねえのか?」
エースとしては当然のことを聞いたつもりだった。
しかし、その少女はそんなエースに優しく微笑んで答える。
「大丈夫です。もし、あなたが悪い人だったら今頃私は無事じゃなかったと思います」
「……おれを助けた時もそんなこと考えてたか?」
「そ…それは…へぅ…」
どうやらそこのところは何も考えてなかったらしい。
しかし、エースの印象としては少女が良い奴だということが分かれば充分だった。
顔を赤くさせて恥ずかしがる少女が何だか面白くて笑って眺めていた。
グゥ~~~~~~
「………」
「…お腹すいてるんですね」
しかし、空気の読めていない自身の体内時計が余計なことをしてくれたおかげで今度は自分が恥をかいてしまった。
腹を抑えて何とか音を聞こえないようにするが、音は一向に鳴り止まない。
「クスクス……お腹の虫さんが鳴いてるので私の所にお越しください。ご馳走しますね」
「……いただきます」
彼女から上げ足を取られたエースは観念して彼女の元で世話になることを決めた。
それで彼女の気が済むならそれでもいい。
なにより、さっきから助けられてばっかりだから当然借りも返す。
その時の為に少女の住処を知るのことも踏まえての決定だった。
帰りくらいは守ってやろうと思いながら彼女の後を付いて行こうとすると、彼女ははまたエースに振り向いた。
「申し遅れました。私の性は董、名は卓、字は仲穎です。董卓とお呼びください」
月を背に少女…董卓は文字通り輝くような笑顔をエースに送ると、エースも口を吊り上げて自己紹介をする。
「申し遅れました。川から流れ着いて助けられたわたしの名はエースと申します」
社交辞令とも言えるお辞儀を董卓にする。
その対応に董卓とエースは笑い合った。
同時刻、洛陽の政を担う屋敷では…
「それでは賈駆殿。明日の晩は董卓殿の元へ向かうので、その時の留守は任せましたぞ?」
「……はい。おまかせください」
城の通路で複数の老人を連れた小柄な男が眼鏡をかけた少女…賈駆と話していた。
小柄な男…張譲自身もそうだが、その後に続く老人達もどう見ても善人とは言えない笑みでニヤニヤしている。
賈駆はそいつ等を見て溢れだす感情を必死に抑える。
(くそ……っ!)
賈駆は今はいない遠くで監禁されている親友の顔を思い出して体が悔しさで震える。
それを見た張譲はニヤリとほくそ笑み、賈駆にうわべだけの微笑みを浮かべる。
「大丈夫。董卓ちゃんは私達が保護している。こんな世の中だから仕方無い。これも彼女と君達のためなんだよ?」
「……はい」
張譲の言葉にお供の老人は何かを思い出して吹いてしまう。
そんな中で、賈駆は必死に堪えた。
(何が保護よ…監禁の間違いでしょ)
心の中で毒づき、失礼します、と張譲の脇をすり抜ける。
「明日のためにゆっくりとお休みになさい」
後ろから聞こえてくる張譲の嫌みに賈駆は怒る。
しかし、心中では怒りの他にも何かに対する自信も含まれていた。
(えぇ…お言葉に甘えさせて、今日はゆっくりと休ませてもらうわ……だから……)
賈駆はある一室の扉の前に立つと、周りに誰もいないかを確認。
そして、中に入ると、そこは真っ暗な部屋だった。
賈駆はあらかじめ持ってきていた蝋燭に火を灯す。
すると、ぼやけた光の中から四人の人影が浮かび上がった。
「呂布、陳宮、張遼、華雄……全員いるわね?」
賈駆の呼びかけに全員が黙って頷く。
影のシルエットもあって、顔の輪郭までは暗くて見えないものの、本人だと確信した。
「それじゃあ……明日の作戦の見直しをするわ…」
賈駆は地図を広げて最終確認にかかる。
それは大切な人を救いだすため。
そのためなら、どんな犠牲も厭わない。
だから……
―――あんた達の命……有意義に使わせてもらうわ
静まり返った夜、波乱の余興が行われていた。
「あらん。意外と早かったわね」
洛陽の裏通り。
そこに、月明かりで照らされた巨漢がクネクネと立っていた。
「左慈ちゃんも暴走しちゃってるから、早く会わないとねん♪」
それだけ言って、巨漢は路地裏の闇へとその身を溶かした。