放浪生活から既に十日目が経っていた。
意気込んで月と別れたまでならよかったのだが、エースは完全に行くべき場所を見失っていた。
時々出会う行商人に建業の場所を聞いても、方向が曖昧である。
行けども行けども、だだっ広い荒野からは抜けられず道無き道を歩き続けていた。
途中で集めた水と食料も底をついた。
正直、この状況は危機的だった。
どんなに屈強な戦士といえど、食べ物が無ければやがて死に絶える。
現状、エースの視界は歪み始めていた。
(やべぇ……なんとなくだけどやべぇ…)
支えの木の棒と一緒にエースの体も地面に倒れる。
「なんか食いてー……」
力無く呟き、そのまま目を閉じた…
その直後、自分の周りを囲む多数の影が現れるのも知らずに……
ーーー腹減った……
エースは意識を取り戻したのと同士に率直な意見を頭に浮かべた。
突然、何かの刺激がエースの意識を闇から引き上げた。
それは匂い
しかも、エースが今最も欲している匂いが嗅覚をくすぐる。
山の幸や焼いた肉…思いつく限りのご馳走がエースの頭の中を反芻する。
「め……」
そして、エースの意識は無意識に咆哮を上げる。
「めーーーーーーーーしーーーーーーーー!!!」
「!!」
エースが大声でそう叫びながら起きると、周りに集まっていた人が驚きに後ずさる。
「ん?」
エースは上半身を起こし、辺りを見回すと周りの風景が違うことに気付く。
驚きに目を見開く人々、どこか懐かしさを思わせる木でできた床と天井。
そして……エースの隣に置かれている飯。
「お! 飯!」
そう叫んでエースは容器のご飯を一瞬でかきこんでいく。
続いて山菜、肉とかきこんでいくが、すぐに料理は全てエースの腹の中に消えてしまう。
「なんだ…もうねえのか…」
物足りないといったエースは腹をさすって空腹の意を示す。
そんなエースの近くに一人の若く、赤い髪の男が近寄ってくる。
「すごい生命力だな。普通なら今頃餓死してもおかしくないというのに」
「? だれだ?」
いきなり現れた人物に首を傾げると、男は何かに気付いた様にハっとして申し訳なさそうに繕う。
「失礼、自己紹介がまだだったな。おれの名は華佗。放浪するしがない医者さ」
「そうか、おれの名はエースだ。以後、お見知りおきを」
「エース?……あぁ、貂蝉の知り合いの?」
「貂蝉?」
貂蝉の名を聞いたエースは少し考え、洛陽で出会った風変わりの男を思い出す。
「あぁ…貂蝉かぁ……華佗は知ってるのか?」
「あぁ、訳あっておれと貂蝉、そして卑弥呼は共に旅をしていてな、今は三人共バラバラだが、いずれ健業で落ちあうつもりだ」
「へぇ~へぇ~…そうかそうか…」
エースは華佗を珍しそうに見回している中、初老の男性が話しかけてきた。
「あの~……すみませんが…」
「あんたは?」
「この人はこの村の村長だ。倒れたエースを介抱し、少ない食料で料理を作ってくれたんだ」
華佗の説明でエースは把握した。
その村長をよく見てみれば貧しいと思わせるような風貌をしている。
そして、その周りの人々は一層みすぼらしかった。
「……見ず知らずのおれなんかに貴重な食料なんて与えていいのか?」
「えぇ……人は皆この大地に生まれた親子じゃ……たとえ倒れているのが見知らぬ人なれど悪人でない限り助けようと…」
「そっか……」
自分達の方が苦労してるのに……
エースは内心でそう思いながら、どうすればこの恩を返せるのかと思考を巡らせていた。
首を傾げるエースに村長は一言告げる。
「それよりも、早めにこの村から出ていった方がいい」
「え?」
村長の言葉にエースは更に首を傾げる。
助けた次は追い出すって…どんだけ~
そう思ったのだが、その訳を華佗が話してくれる。
「実はな、明後日にこの村は袁術に一揆を起こそうとしている」
「一揆? 反乱か?」
「あぁ、この村の豊作事態は実は悪くはないのだが、そのほとんどをここの領主の袁術に掠め取られてな……」
「なるほど……いや、それで一国に勝てるのか? この村にそれだけの戦力が…」
「それは心配いらない」
華佗の言葉に疑問が膨らむ。明らかにアリが象に戦いを挑むくらいの無謀さなのだが、それのどこが大丈夫なのか。
答えは華佗が自信満々に答える。
「こっちにも一国…それも強力な助っ人がいるからな」
「なるほど……どうやらそっちについた方が得ってわけか」
「あぁ、医者から言わせてもらえば、袁術のしていることはひどすぎる。国の宝の農民を無碍にし、命を削らせてる…医者から言わせてもらえば命に対する冒涜だよ」
目に力を入れ、怒りを表す華佗の言葉を聞いてエースは即決で決めた。
「よし! それならその反乱手伝うぜ!!」
『『『!!』』』
エースの一言に村の皆が驚愕する。
「な…なにをおっしゃる! ここは危険ですぞ!?」
「それはおれの台詞だ。どうもお前等は強そうに見えねえし、迫力もねえ…戦うのはこれが初めてだろ?」
「……」
無言の村人の反応にエースはビンゴだと確信した。
「まあ気にすんな。別にお前等を気の毒に思ったとか同情からじゃねえよ」
「では何故……」
村長が分からないといった様子で聞き返すと、エースは不敵に笑って答える。
「ちょいと、野暮用だ…」
「は…はぁ…」
村長は訳が分からないといった様子でありながら納得しておく。
そんなやり取りを傍で見ていた華佗はもう一度寝転がるエースを見て呟く。
「そんな理由だけで戦場に立てる訳ないだろう…」
貂蝉から聞いたエースの人柄を思い出しながら無意識に笑みを浮かべる。
エースの素直じゃない部分に溜息を吐いて…
「凶暴、短気、わがまま……」
「…聞く限り危険人物にしか聞こえないのだが……」
ここは徐州。反董卓連合の時に月、詠、華雄を保護した蜀陣営。ここで、皆はエースの話が気になって聞いてみたが、劉備と関羽がエースの人柄を聞いて引いていた。
他の皆もそうだったが……
しかし、華雄は慌てて訂正する。
「勘違いするなよ。それは戦いに限った時だ」
「そうなのか?」
張飛の疑問に月と詠が答える。
「普段はそんなに見下すこともなく、むしろ兵や市民からは絶大な人気を誇っていたわね」
「エースさんは子供の様に真っすぐで純粋でしたから」
「へぇ……やっぱり良い人だったんだね~」
ポワポワと呟く劉備に詠は溜息を吐いて警告する。
「でもね、エースが敵になったら朱里や雛里、ボクの生半可な策じゃ通用しないのは確かね。ていうか化物に策が通用すると思ってる?」
「あわわわわわわ……」
「はわわ……その根拠は……」
脅える諸葛亮と鳳統に華雄が答える。
「そうだな……根拠には乏しいと思うが、エースにはやってはいけないことがある」
「そ…それは一体……」
劉備が唾を飲みこんで華雄の答えを待つ。
「エースの部下、仲間、そして友達を手に掛けたり罵倒することやな」
「それが、火拳…エースにやってはならないこと?」
所変わってここは曹操の地。霞を捕縛した陣地だが、霞自身はこの場所を気に入り、曹操と夏侯惇を始めとした国の重鎮達とも真名を交換していた。
「せやな、特にエースの隊からの死者はあまり聞いたことがあらへん。『潰せるなら潰せ。危なくなったらおれの後ろに隠れろ』が兵に対する喝やった」
思い出しながら呟く霞に夏侯惇が憤慨する。
「するとなにか!? 火拳は兵を甘やかしているのか!?」
「ちゃうちゃう。エースはそんな真似は絶対にせえへん。一人でできる限界をわきまえてたから誰よりも厳しく兵を鍛え上げたんや。ウチが言いたいのは、汚い手を使わずに正々堂々と戦わなアカン。いくらエースでも兵の死くらい覚悟しとる」
「それがエースさんがエースさんたる所以なのでしょう」
懐かしみながら、何も変わっていないエースに凪は幸せそうに呟く。霞もそれに笑って同意する。
「よう分かっとるやないか凪。凪の言う通りエースは普段は子供の様に真っすぐで邪な感情を持っていない。多分、性欲も持ってないで」
「嘘よ!! 男はいつも頭の中で汚らわしい妄想を抱いているはずよ!!」
霞のエース分析に荀イクが反論する。確かに、傍から聞けば荀イクが正しいのだろう。
だが、霞ははっきりと答えた。
「桂花よ。エースを普通の人間と同格に見るのは止めとき。あいつをそういう常識を通して見てると足元掬われる」
「ど……どういうことよ…」
「エースは普通じゃない。だから、普通な策も、分析も、攻撃も通用せえへん。エースは何度も“普通”を壊してきたから…」
「何か心当たりが?」
曹操が尋ねると、霞は態度を変えて意気揚々に話す。
「本当は黙ってくれと頼まれたんやけど……特別に教えたる…」
霞の凄みのある話し方に全員が唾を飲んで緊張する。
「ちょっと面白い逸話があってな……」
「一度だけ、全軍を率いて黄巾党の大群を強襲したことがあるんです」
「確か………十万くらいはいましたね~…」
「うんうん、それでそれで?」
また所変わってここは孫策の陣地。連合軍の時に弱った袁術を強襲する準備をしていた。
しかし、退屈になった孫策が鈴仙達にエースのことを聞いてみた。周瑜は呆れながらも興味を持ち、黄蓋はワクワクしながら話を聞いている。
「しかも、その時は華雄さん、霞…張遼さんと呂布さんも別件でその場にはいなかったんですよ」
「ふむふむ……」
「ですが、敵が私達に気付いて攻撃してきたんですよ」
「それはそうだな。指揮官が抜けていたその状況を見逃すとは思えん」
皆も戦を想定して想像する中、風が引き継ぐ。
「ですから私達は撤退し、華雄さん、霞さん、恋さんと合流して反撃しようとしたのですが……」
「? ですが?」
「エースさんが一人で殿を請け負いました」
「な!?」
「なんと!!」
「へぇ…何か面白くなってきたじゃない! それでそれで?」
驚く周瑜と黄蓋とは裏腹に孫策は興味深そうに笑みを浮かべて続きを促す。
「それでですね~…ここでお兄さんの本領発揮。お兄さんは火を余すことなく使って黄巾党を壊滅寸前にまで追い詰め、一刻で十万から四百にまで減らしました~」
「「「四百!?」」」
風のトンデモ発言に三人が仰天した。
十万から四百?
たった一刻で?
四百“だけ”減らしたのではなく、四百に“まで”? いや、四百を蹴散らすだけでも相当に化物なのだが。
「……それは何かの冗談か何かか?」
「いえいえ、その時には目撃者も多数。本当ですよ」
「…随分と威勢のいい奴じゃのぅ…」
周瑜と黄蓋は言葉が出ないといった様子であるが、孫策は嬉しそうに言う。
「でも、そんな子が呉に来れば何もかもが安泰。敵となったら打ち破る。どっちに転がっても損は無いわ」
「……後者のどこが損は無いだ……」
孫策のずれた感性に親友の周瑜は溜息を吐く。
「というより、今は御遣いよりも目の前の戦いだ。準備はできているんだろうな?」
脱線した話を戻すと孫策の雰囲気が変わり、妖しく目を光らせる。
「当然。この日のために毎日を積み重ねてきたんですもの。そんなヘマはしないわ」
「結構。それなら私と祭殿はもう行く」
「そう…祭も頑張って」
「応ともさ!」
意気揚々と返事すると、周瑜と共にその場を後にした。そして、孫策も鈴仙と風に笑いかけて手を振る。
「二人も忙しいのにごめんね。明後日は頼んだわよ?」
「はい!」
「御意です~」
二人の返事に満足して孫策はその場を去る。
運命の邂逅まで後僅か……
時空を越えた大海賊……
今という時を駆け抜ける小覇王……
この出会いはそこから始まる。
故に、この物語は、そこから始まる。