第一高校を飛び立った冴種真由美は、第一高校のある八王子からは15km弱離れた立川市の一角にあるビルの屋上に降り立つ。貸しバーベキュー場と言った風のそこには目もくれずに階下への扉を開けてその下の階のロックを虹彩認証で解除して開ける。
「お出でなすったか、嬢ちゃん」
出迎えたのは事務所の主、黒須徹、第一世代の魔法師ながらA級ライセンスを取ってのけた元在野の天才であった。
「黒須さん、また赤紙が来たと伺いましたが」
赤紙、即ちA級ライセンス保持者の従事が求められる或いは望ましい、危険な案件の符丁。そんなものは普段はそんなに回ってこない案件である。便利屋、即ち建前だけでも何処かの勢力に付くことを良しとせず、独立的立場を表面的には貫く、この国の魔法師の業界界隈では変わり者の部類にある黒須にA級魔法師を投入したくなるほど重要な案件が恒常的に回ってくるなどあり得ないのだ。まして、その黒須自身が中年になって寄る年波が辛くなってくるお年頃、落ち目で真由美に半ば名義貸ししているともなれば。
しかしながら、それでもやはり便利屋というしがらみなく突発的な案件の対処に乗り出せる存在は貴重でもあった。特に現在、一年前に冴種真由美が反魔法国際政治団体、ブランシュの日本支部へカチコミをかけて傘下のエガリテ共々人も金もぺんぺん草一つ残らない有様にしてしまった現在、裏に生じた空白目掛けて魑魅魍魎が好き勝手やろうとしているのだ。当然、物騒な案件も増えようというものだ。
「今回の依頼は猫探しだ。前金一本、成功報酬五本」
「前金付き、ねえ。良いわ、やりましょう、所長」
「ありがとよ、これで桜花賞への軍資金が出来るぜ、へっへっへっ……」
前金付き、実にきな臭い話だが、真由美の直感は特に警鐘を鳴らさなかった。依頼受諾の連絡を黒須が返し、二人は指定された貸事務所に赴く。
「あら、見ない顔ね、ナッツちゃん」
其処には、いつも依頼を説明する少女ナッツの他に二人の少女がいた。
「私のボスだ」
「初めまして、ナッツの上司のヤミと言います」
「ヤミの相棒のヨルよ。今回の猫は十匹よ」
猫探し。如何にも便利屋がやりそうな仕事のステレオタイプ。それ即ち、対象を生きたまま捕縛して引き渡せ、という意味であった。
「
対象の情報を記した紙資料に目を通して徹はボヤく。
「所長?猫を捕まえた後の事は三味線になろうが知らんぷり知らんぷり、でしょ?」
「そーだけど」
気安く掛け合いをする姿に、ヤミとヨルの二人は内心少し呆れていた。今回の案件はブランシュ本部が日本に再度橋頭堡を設立する為に、それぞれの支部からそれなり以上のリソースを費やさせて行う工作の阻止だ。既に公安が一当てして返り討ちに遭った案件。手配書に並ぶ顔は各国それぞれのそれなり以上に厄介な相手であり、軍の研究所からの脱走兵5人と合わせて、A級ライセンスを持っているだけの魔法師一人で突っ込ませたら、魔法力では有利が取れるかもしれないが、相手の手数と実戦能力を前にみすみす死なせるだけ、そんな危険な相手であった。自分達単独で処理し切るには少々高リスク、だから使えそうな便利屋に露払いしてもらおう、そのつもりで子分の得意先を呼んだのだ。
「いやあ、おじさんじゃこんなの腰をやっちゃうよぉ。という訳で嬢ちゃん。麻酔ガス、用意出来る?」
「大丈夫よ。後は猫探しグッズ一式で良いかしら」
「良いんじゃない?」
軽妙なやり取り。ふと、黒須徹が真剣な顔になってヤミとヨルに向き直る。
「おっちゃんは見ての通り寄る年波が辛くてA級ライセンスなんてハリボテ、B級が精々のロートルだが……うちのバイトの嬢ちゃんはホンモノだ。若い頃の俺の代わりなんてちょい役じゃ、全然足りねえよ。まあ、見ていてくんな。失敗したら笑って埋めてくれや」
その言葉通り、便利屋のバイト
「は……?」
「魔法がいきなり沢山……」
そして、魔法は放たれた。いきなり敵が潜伏する建物に薄い気配ながらも沢山の魔法式があちこちに出現し、その暴威を解き放つ。気体への干渉であることは見て取れる。麻酔ガスなどと揶揄されたそれが、敵を殺さずとも鎮圧できる濃度に調整された毒ガスを発生させる魔法であることは容易く理解できる。が、それを建物一つの敵を丸ごと全滅させるように使うとなればそう簡単に出来ることではない。そして、ついぞ誰も建物から脱出することは出来なかった。
「終わったから麻酔ガス抜くわよ」
終わってみれば、意識を失った敵を回収するだけ、本来、便利屋が倒された後の後詰めを覚悟していた依頼人にとっては、まな板の上の鯉を捌くだけの実に簡単な仕事だった。
「な?俺は兎も角嬢ちゃんはホンモノだっただろ?」
何が起きたのか、その手の事に関しては事情通ならば誰でも玄人と言い切るだろう若き俊英二人でも正確には理解しきれないあっという間の瞬殺劇であった。その後、捕縛した敵から判明した事は、真由美が詳細不明、最低でもオゾン発生が含まれる気体干渉を使っていた事だけだ。オゾンを生成する魔法が大量に行使されると言う事態を察知し、対処出来たと思ったら気絶させられていた。
仕事は終わったと便利屋二人はそそくさと闇に消える。黒須徹、A級崩れのロートルだと自嘲する彼は、あくまで雑に強い魔法を使える馬力が加齢で衰えただけに過ぎない。命の軽い便利屋として生き残る為の魔法、現代魔法師の大半が苦手分野とする隠密に関して、黒須徹にはA級崩れのロートルになるまで生き延びられた強みがあった。その手の専門家揃いの黒羽ですら、追うには割と本腰を入れないとならない。そう言わしめる程である。依頼人相手であっても、依頼が終わればそれまでとさっさとトンズラするスタイルは、裏に生きる者達としてはある種の好感が持てるものだ。
さて、依頼が終わり、報酬の振込手続きが終わった連絡を受ければ仕事はそこで終わり、と出来るほど世の中甘くない。手を下したのが一匹狼の事業主一人だけならば、どうとでもなる話だが、それが監督するバイトが主に手を下したとなれば、ブラックオプスとはいえ、必要な報告はある。
「デブリーフィングやっぞ」
そう声をかけた徹に、HAR*1に作らせていたおでんを肴に甘酒()を飲んでいた真由美は一息吐く。まともに正面から当たれば面倒な相手であったというのは、先に自分達を一当てさせようとした依頼人達と同見解だ。
「今回の依頼内容は実質の猫集会潰しだったな、何人だったか」
「三十五人よ」
「やっぱ多いよな?」
敵主力が一応は精鋭の魔法師であったことを鑑みると、三十五人と言うのは支援要員、一般兵込みでもかなり多めだ。何か裏があったんじゃないかと勘繰る徹。依頼主のことは勘繰らないのを処世術としているが、それはそれとして裏と表の境目で生きる以上は嗅覚を鋭くしておかないと命が幾つあっても足りやしない。
「多分善意の協力者(笑)、じゃないかしら?六人くらいはそういう感じだったわ」
「ゾッとしねえ話だ。んで、脱出できた奴が一人もいなかったってことは、やっぱり烏合の衆だったんだな?」
善意の協力者(笑)。ブランシュ日本支部に冴種真由美がカツアゲした時にも割と見かけた手合いだ。そして、麻酔ガスの符丁で作戦を提案した自分の見立てが一見すると出来過ぎていた戦果によって間違っていなかったことが証明されたと徹は納得の表情を見せる。
「ええ。喧嘩しなかっただけ、まだ上出来じゃないかしら?」
今回集まった
「スカンポ刈りにどこも熱心ねえ」
「ま、どちらにせよ、烏合の衆が相手なら、同時に戦線に叩き落としてハメる作戦は相変わらず効くってわけだ」
魔法師戦力が集団戦闘を行うにあたって、最も重要なことの一つは、指揮系統を明確化しておくことだ。同一対象に別の魔法師が同時に干渉してしまった場合、干渉の相克が発生して魔法が不発するなどの事故が起きてしまう。この事故を起こさないためならば、複数勢力の一時的な協同作戦等のちゃんとした連携を組むのが難しい場合において、戦力の逐次投入はよくある妥協策だ。
「『オゾン・デコイ』第一波で
「まあ、そこそこ通ったな」
さて、此処に手数の物量において余人をぶっちぎる化け物がいる。その化け物は狙撃の間合いから屋内の壁を見透かして複数目標を同時に狙う事など造作も無い。収束・放出・吸収・移動の四工程の魔法、『オゾン・デコイ』。酸素を集めてオゾンに変えてオゾンを勢い良く発生させて敵に浴びせかける魔法の連発。これが三十五人を全滅させる為の初手であった。この初手はブランシュが脱走させて引き込んでいた軍の実験体魔法師と一般兵、支援要員合わせて八人と推定善意の協力者(笑)六人をオゾン中毒により戦闘不能に追い込み、残りは敵の魔法師によって防がれた。
「で、第二波で全滅。所長が電波妨害と破城槌で援護してくれたとは言え、正直、出来過ぎていたわね」
「おかげで楽ができた、良いことじゃないか。それに、次善の策はあったんだろう?」
「『アジフライ』で〆るつもりだったわ」
何故初手の三工程でオゾンを相手に浴びせかける魔法の名が『オゾンブロウ』などではなく、『オゾン・デコイ』なのか。その理由は、この魔法が最初から相手に迎撃を成功させることを目的とした釣り餌だからである。黒須徹にとって、このバイトの少女に名義貸し以外にしてやれた数少ない成果として誇れることの一つに、下手糞な魔法の演技指導がある。
『オゾン・デコイ』という魔法は意図的に基本的な事である酸素の収束はちゃんとやっているが、その後に集めた酸素を放出魔法と吸収魔法でオゾンへ変換して移動魔法でぶつけるという工程を敢えて妨害しやすいように下手糞っぽくやっているからこそ、デコイ、囮として機能させる余地ができる魔法だ。
さて、ここに自分でも迎撃できそうな割としょぼい魔法が下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとばかりに雑に沢山放たれている状況で、その下手糞な魔法から逃げると言う選択をどれだけの魔法師が取れるだろうか?更には第一波で消耗したのを明らかに無理するような風に、移動魔法の精度が更に下がった第二波を放たれていたら?
魔法師という人種の大半が戦闘用の実験動物由来、或いはそれを競争相手とする武門一族としての性質を持つ以上、自分の魔法力に己の存在価値を見出していて、更に互いの性能比較に余念のない本能を持つ生き物である。まして荒事に関わる者は、格下を踏み躙れる機会には敏感になりやすい。結果として、各国のそれなりの精鋭が揃った烏合の衆は、一旦全員で合流して一人にこの雑な攻撃の迎撃を全部任せると言う一番効率的な対処法が取れず、第二波への応手も、各々がそんな下手糞な魔法を迎撃する、というようにその手を縛られた。
「で、俺が嬢ちゃんの指示通りに打った電波妨害と破城槌はどう機能していた?」
「電波妨害は第一波を凌いだ支援要員の救援要請をキャンセルし、破城槌は一番迎撃に余裕があった
そして、真由美の指示で徹はダメ押しの援護をしていた。破城槌は屋内の相手に使えば殺傷ランクA、建物の倒壊に巻き込んで一網打尽を狙える危険な魔法だ。彼の衰えた馬力でも、一番余裕を持っていた英国の魔法師の行動を情報強化による抵抗で意識ごと縛ることが出来た。
結果として、三十五人中、攻撃の第一波で気絶しなかった二十一人誰もが気付かなかった。攻撃の本命は、あちこちで発動した魔法の中に紛れた、そよ風を吹かせるだけの魔法だという事を。
「で、残り全員に本命が直撃して全滅、と。相変わらずイカレた狙撃の腕だぜ」
ただ風を吹かせるだけの小さな魔法。魔法の発動兆候含めた気配が微かで気付きにくい本命の必殺。その魔法単体で攻撃的な効果は一切無い。これに気付く、迎撃する、顔を逸らして回避するといった行動を取れるものは皆無だった。しかし、これを使ったのは遠距離精密射撃の怪物である。風の起点には『オゾン・デコイ』で酸素が集まることによって発生した、酸素を取られた空気塊があった。そして顔面に酸素濃度が10%を切った小さな空気塊が到達し、それを吸い込んでしまった残り二十一人は全滅した。
「取り敢えず、何度も口を酸っぱくして言っているが、狙撃の間合いから手数で競り勝って、あえて押し負ける無駄な一手を打つなんて芸当は嬢ちゃん以外に期待するもんじゃねえ。通用しなくても応手を縛るために一手を打てる魔法師なんてものがまずいねえからな」
基本的に、常識的な手数の魔法師がお互いにお互いの魔法が届く距離で戦闘を行う場合、一度に打てる手が限られている状態では、その一手が通じるか否かはしばしば勝敗を分かつ要因になりやすい。今回のような相手の認識を縛る捨ての手というものは打てる時点でとんでもないのだと徹は強弁した。まして今回、冴種真由美は狙撃手としての位置取りから一連の攻撃を全てやっている。普通ならば、そんな離れた場所への魔法行使、更には視界を遮る建物の壁がある状態で建物の壁の向こう側を狙い撃つなど、普通は無理と言うものだ。人を分けて各々の作業を分担して当たらせたところで、そもそも噛ませ犬を大真面目に務められる人物が魔法師だと極めて希少だと言わざるを得ない。どうせ効かないという諦めは魔法師にとって致命傷だからである。
かくして、デブリーフィングは終わり、おでんを食べ終わった真由美は自宅へと帰って寝るのであった。
「報告は以上です」
『そう、お疲れ様、○○さん』
ヤミと名乗っていた人物は化粧を落として服を着替え、通信先の婦人に正対して一連の事象を報告し、婦人は扇子で口元を隠しながら労いの言葉を述べる。
『私としては、あの便利屋に案件の一部を外注することに特に言う事はありません。そもそもバイトのあの子自身が多くの火種をばら撒いた張本人ですし。今後も、用法容量を守っておやりなさい』
「『虎杖』は、どうなさいますか?」
控えていた中年の男性が婦人に問いかける。
『株分けは要らないでしょう。私達が『七篠桜花』の一人を出す意義は薄いわ』
問いかけの答えは静観であった。
黒須徹:日曜日の桜花賞でダイハチルビーの単勝を三十万買った、ダイハチルビーは強かったが、まさかの斜行判定で全部掏った。
冴種真由美:甘酒()の味が気に入ったので、土曜日に自分でも買って飲んだ。日曜日に千葉道場でエリカに臭いと文句を言われたが、あの甘酒()確かに美味しいよなと千葉寿和と意気投合した。
6/3 風を吹かせる魔法の説明を修正