論文コンペを前にして行方をほぼ晦ましていた冴種真由美が何をしていたか。それは、資料作成である。捕縛に成功したジェネレーター現物を休眠させ、便利屋所長の黒須徹の後ろ暗い伝手で呼んだ面子と共にリバースエンジニアリングを行う事が第一目標であった。
嘗て大漢の崑崙方院で開発されてきた古式の外法が瞬く間に解析され、日本の暗部の肥やしにされる様を見れば、持ち出した当人は憤死しかねないだろう。
「……恐ろしい解析速度と深度だな」
「嬢ちゃんの術者開発力が世界的に見てもかなりやべえってのは分かっている人達の共通見解だからなあ。本人が単価の低い魔法労働を嫌がるあまりそれを代わりにやらせる他人の開発には殆ど自重しないってのも大きいんだろうが。ま、嬢ちゃんが動く案件でサンクコスト*1なんて気にしていたらハゲるぞ」
徹が招いた一人、魔人兵士開発研究会*2の代表者としてこの場にいる多中*3は詳らかにされるジェネレーターの強化措置を整理したメモに目を通しながらも、徹のぼやきに更に唸りを深める。
そもそも生物科学の大原則として、人体実験とは非効率的なものである。要因は主に三つ。第一に、大量の面倒なノイズ源となる社会・文明という複雑すぎる生育環境。第二に、実験精度の確保に必要な個体数は、時間と倫理の問題で揃えにくい。第三に、スポンサーの力でそれらの扱いにくさを中和しようにもその分成果への責任が積み上がる。
まして、題材が魔法兵器開発、より検体のコストと技術的未熟が重くのしかかるものとなれば、投じるコストは大きく、その癖安定していい歩留まりを得られるかというと微妙と言わざるを得ない。
それでも、十師族という貴族化、軍閥化した労働組合もどきに優秀な魔法師の遺伝資源が吸われていく現状、軍はそれに依存しない手札を求めている。だからこそ、倫理を捨てた開発の需要は底堅いのだ。
「……ふう、こんな所かしら。レビュー宜しくね」
僅か一週間。冴種真由美がほぼ一人で暴いた成果は、魔人兵士研究会において最低でも5年分のタイムアタックを強いられる質量である。実際には平気で十年は溶けるだろうというのが研究会が畏怖と共に出した結論だ。
「……一週間でこれか。彼女がいれば、我々は何十年先を行ける?」
「嬢ちゃんをこき使おうとかアホな寝言は考えるだけにしとけよ?組織の類がまともにやって勝てる相手じゃねえからな。古式界隈だと荒ぶる人の神と書いて荒人神、なんて通り名もあるが、全然伊達でもなんでもねえからな」
故に黒須はSAN値チェック中の彼らの気付けに釘を差す。脅威度としては人類の範疇を超えた怪物が態々大人しくしてくれているのに、それを台無しにされては困るのだから。
解析結果に異論が出ないことを確認すると、真由美は次の工程へ移った。手腕を確立させたならば、次は実戦である。オーストラリアの工作員であるジャクソン父娘を名乗るエージェント二人への改造を行う。
「本家のパチモンに収まる程度の出来にしなくちゃいけないから面倒だけど、自我消し過ぎるのも逆にパフォーマンス下がるのよね」
「ほー?具体的には?」
「30点から70点後半までばらつく個体を、55点前後で安定させる感じ。しかも素体との相性も大きいわ。このちっさい素体でそれやっちゃうと、オゾンサークルの性能が大体四割劣化しそうなのよね」
脳外科手術と薬物と幾つかの魔法を以て魔法行使に純化された精神体の器として調整するジェネレーター製造技術は、精神構造干渉魔法を持ち、ともすれば四葉よりも理解が進んでいる面も少なくない怪物の手で設計思想をそのままに更に最適化されることとなる。
施されるのは頭蓋骨裏側への思考誘導を行う呪刻。更に彼女独自の理論で行う強化措置と、追跡用マーカー。そして、ジャスミン側に日本再上陸または頭部破損をトリガーとして自動起動する安全装置。
「一番強く仕上がるのは戦闘態勢と同時にゾーン突入する改造なのよね。継戦能力と寿命がゴリゴリ削れるんだけど、クロックアップ改造*4しているから今更だし、そういう仕様と説明しておけば誰も疑わないでしょ。戦闘能力はあんまり劣化させたくないけど、解析や繁殖に回される頃には寿命が来るくらいがちょうどいいと思うわ」
魔法師を効率良く道具として使い潰す外法のニーズは本質的に絶えないと分かっている真由美は手を抜かない。常人が試行錯誤を繰り返す工程を初手にて踏破し、そのデータを標に試行錯誤の無駄を省き、強化施術の安全性や安定性を大きく底上げする。ある見学者のレポートに曰く、我々凡人の五十年は神一人に雑に薙ぎ払われた。そんな諦観の悲鳴が目撃者達の内心を占めていた。
こうして、仕上がった団体旅行客は、真由美の手でシベリアにいたことにされた。そうだったことにされたのだから、そこに移動の過程は存在しない。ある極秘文書に於いて、他の汎ゆる定義を無視して例外的に戦略級魔法に分類された暴威、
――――新ソ連は大亜連合とのウランバートル条約の内容を顧みず、大亜連合が日本への上陸作戦を行う背後から攻撃を仕掛けようとしている。戦略級魔法『トゥマーン・ボンバ』の発動命令がベゾブラゾフに下され、同魔法の照準は上海に向いている。
現状困難な術者無力化の次善策としてシベリア方面の軍事力の無力化の為にノヴォシビルスクを攻略すべし。攻略にあたっての作戦資料は同士から提供されている。――――
彼らに与えられた情報に偽りはほぼ無い。万が一、大亜連合側が正気をどうにか保って事後検証を試みようとも、情報を与えた側が何者なのか全く分からない事を除けば、結果論として正しくなる予定である。
そもそも背景がよく分からなかろうと命令は命令として実行するのが当たり前である大亜連合の軍人は国是に従うような所与のものを疑うという思考回路に疎い。イリーガルMAPの面子からしても、因縁ある新ソ連を殴れるなら本国に形式的に背くことなど今更容易いことである。新ソ連を殴っておけば実質No problemでそんな事よりチャンスを逃すなという思考に短絡する。
よって猛虎は真っ先に獲物の喉笛に噛みついた。そして『トゥマーン・ボンバ』が上海を焼き払うと同時、大亜連合との国境付近の新ソ連の軍事基地に、超電導化した雲からEMPのビームが斉射され、軍事基地の電磁インフラそのものが破壊される。
党の秘匿通信を以てその攻撃を把握していた大亜連合北部の新ソ連方面軍は、上海を焼き払われた報復をするべく、麻痺した獲物に齧りついた。
此方を襲ってきた獲物の脳髄に、一匹の寄生虫が巣食っていたなんて悪夢は誰も知る由が無かったのだ。
「馬鹿な……まさか、精神構造干渉魔法……四葉の仕業なのか!?『忘却の河の女主人』は死んでいる、少なくとも作戦行動に耐えられる状態では無かった筈だ!」
ベゾブラゾフが己の致命傷に気付いた時には、全ては手遅れであった。イグローク、彼のクローンとなる魔法師をブースターとして運用することに隠れたリスク、それはイグロークの精神に瑕疵があった場合、『トゥマーン・ボンバ』発動の為に精神を同調するベゾブラゾフ本人にも被害が及ぶことだ。
元からベゾブラゾフの子機として運用を想定され調整されていたイグロークには、非自己からの精神的な干渉を受容する余地が多く取られている。イグロークの一人に第三者からの干渉を受け容れるバックドアが仕込まれてしまった場合、埋伏の毒はその時が来るまで気付きようがない。イグローク本人のパフォーマンスには何の影響も無いのだから。
『トゥマーン・ボンバ』の発動準備、魔法演算領域のリソースのほぼ全てを吸われる最も無防備なタイミングで、内側に入れてしまった補助機構を踏み台に、専門外である精神干渉の方面から攻撃を受けては、新ソ連最高峰の魔法師と言えど、凡人と大差ない。
魔法演算領域へのバックドア設置の実例自体が司波兄妹という病弱な人間国宝の極秘の特注品一例しか存在しない以上、そこに使われた技術を戦略級魔法師の乗っ取りのギミックに転用するというデタラメはまともな検討の俎上に上がるものではない。
魔法演算領域のコントロールは瞬く間にイグローク全員分ごと第三者に奪われた。自分の意識領域からの妨害も含めた汎ゆる制御を全く受け付けず、本来日本の艦隊へ定められていた照準は、別の都市へとすり替わる。
「……おい、まさか……我々に『トゥマーン・ボンバ』を誤射させるつもりなのか!?……うぐっ……この情報質量、機械じゃない、しかも上海だと!?私は悪魔に支配されているとでも言うのか!?」
流入する情報の質量は、明らかに機械のそれではない。同じ人類などとは思いたくないナニカの有機的な認識。そう理解出来るだけの知識がベゾブラゾフには備わっていた。
「ふざけるな、こんなもの、最早戦闘すら成立せん、私の魔法を見られた時点で私は終わっていたとでも言うのか!?」
だからこそ、ベゾブラゾフは真の絶望を目の当たりにした。魔法師と非魔法師の間のそれよりも遥かに絶望的な隔たり。一方的に識られ、見返す事も不可能な神魔の如き視座からの暴威。
人智に基づく戦闘行為そのものが最初から原理的に成立し得ない。故に無敵。こんな化け物が二匹も三匹もいて溜まるものか。ベゾブラゾフはウランバートル条約を以て排除しようとした真の標的、己の切り札を解析した何者かと、今首に鎌をかけている己の死神が同一であると断じた。
新ソ連の誇る戦略級魔法『トゥマーン・ボンバ』は過たず、本来の限界射程を全く無視して雨に濡れた上海に対して発動した。前兆なき魔法攻撃。その隠密性は、ベゾブラゾフ本人をすら上回り、現地戦力による初動対応は壊滅的に遅れた。
上海は三千度の炎に炙られてその経済力のほぼ全てを喪った。四葉に大漢諸共壊滅させられて以降の大亜連合による復興は一発の強大な魔法によって、その人的資源の大半を失う形で無へと帰した。
USNAの偵察衛星からの観測結果は、その魔法がベゾブラゾフ本人によるものであるとハッキリ物語った。同国は戦略級魔法『トゥマーン・ボンバ』の射程がこれまでの想定よりも遥かに伸びたという緊急事態を前に厳戒態勢に突入した。
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