本来有るべき援護、ベゾブラゾフの『トゥマーン・ボンバ』が来ない事に困惑する暇もなく。新ソ連の北海道への上陸侵攻を目的とした艦隊は日本の防衛艦隊に紛れて現れたものの、たった一隻の『鱈漁船』を前に壊滅した。
『鱈漁船』――海軍が、「一隻で艦隊を止める」ためだけに一条と共に創り上げた小型特務艦。海軍と縁深い桜シリーズの一角より、櫻庭姉妹。そして北陸系の古式魔法師集団、一ッ岩組。上陸人員でもないのに一隻の船には過剰とすら言える魔法師の乗員達が小型船にあるまじき安定性と耐久性を隠蔽性と共に強引に確保している。
トゥマーン・ボンバによる超広域爆破を始めとした致命的な攻撃の直撃にすら強引に耐えて逃げる事を想定していた狂気の船。小型船から放たれた魔法で海域を霧が鎖した時点で新ソ連の艦隊は撤退すれば助かったというのは結果論でしかない。霧による射程減衰の壁は時間稼ぎ。その後放たれるのは、戦略級魔法『海爆』。海域そのものを呑み込む水蒸気爆発である。
「この魔法は……まさか、日本は、否、そんな筈は!」
対港湾攻撃能力の高い戦略級魔法を日本が手に入れた。その術理にも明らかに『トゥマーン・ボンバ』や正体不明のポリ窒素生成魔法と同じ、魔法を複写する魔法が組み込まれていた。そんな新ソ連の軍事関係者の背筋を等しく凍り付かせる光景が、華南と思わしき大河の異常な氾濫を目で追っている誰かの横目としてベゾブラゾフへと流れ込んできた。
端的に言えば、この明らかに対港湾攻撃性能も生えている新たな戦略級魔法でウラジオストクやナホトカを爆破された瞬間、新ソ連極東域はその時点で確実に冬を越せなくなる。この脅威に対抗可能な魔法師は現在冥土の土産を見せられているベゾブラゾフ以外ロクにいない。
そして、ベゾブラゾフは魔法を複写する魔法を核とする汎用的な戦略級魔法運用インフラが日本に生えてきたという仮説を逃避的に脳裏から追い出そうとする。何故ならそれは、ベゾブラゾフ自身が考えて断念したものであるからだ。
魔法の運用負荷が極めて高く、それに見合った術者が中々いない。更に言えば、それらを突破した所で、我が国のような機械補助による射程超延伸の技術が日本で都合よく完成しているものか。
怪物が己をイグローク経由で乗っ取れたと言うことは、その時点で怪物側に全て解析されてしまっていたということと同義であり、それがいつからなのかは最早希望的観測に縋る他ない。
ベゾブラゾフが見せられていた光景では、大亜連合本土が混乱の極みにあった。戦略級魔法『トゥマーン・ボンバ』と推察される大破壊が上海を焼き払った。そればかりか、更に靖南ダム*1が正体不明のテロリストに襲撃され、守備部隊が全滅後、爆破された。濁流が下流域を襲っている。
「大量の硝酸と亜硝酸……広域空気燃焼魔法か?……占領が不要ならば水源レベルの焦土作戦をやり放題と言う訳か、悪魔め……!」
ベゾブラゾフの脳裏には光学的には一目では分からない汚染状況まで克明に視えている。土地が即死滅する規模ではない。だが、到底使い物にならない汚水を見せられて、二酸化窒素を大量発生させる魔法の限定使用でダムの防衛戦力を一掃した可能性に気付けないほどベゾブラゾフは蒙昧ではない。
流入する異形の視界は唐突に途切れた。己を組み込んだ列車牽引型大型CAD『アルガン』は新ソ連の最高軍事機密の一つであり、己の閥の最精鋭が運用に携わっている。
だが何も抗うような気配を感じていない以上、全てが手遅れである。そう理解できてしまう己の頭脳をほぼ初めて憎みながら、ベゾブラゾフは眠りに落とされた。
その頃、真由美の手でけしかけられた大亜連合の工作員達とイリーガルMAP、ジェネレーター達の混成部隊はノヴォシビルスクを地獄へと変えていた。
彼らに与えられたものは、なぜ自分がここにいるのか、移動過程の断絶という異常に対する認識阻害と、上海を焼き払われたという凄惨な被害認識。同志の集めた情報を駆使し、これ以上の侵攻を食い止めるべくノヴォシビルスクを攻略せよというどうとでも現場で解釈可能な目的。
ほぼ精鋭魔法師のみで構成されたその部隊は少数ゆえに素早く強烈で、少数ゆえに占領は不可能。そもそも大亜連合側の工作員にとって、イリーガルMAPは新ソ連を叩きたいという目的のみが一致した仮の同志、USNAからの凶暴な義勇兵である。まともな統制など両者の間に成立し得ない。
真由美はただ失敗の行き止まりのみを塞ぎ、攻撃はテロリスト二派即席同盟の思うがままにさせた。
軍民共用のエネルギーインフラがズタズタにされ、火に呑まれた。鉄道が寸断され、通信インフラが破壊され、軍の基地、空港が壊滅した。魔法師育成拠点も学徒動員を為す為の指揮系統のトップを真由美が仕留めていた為に、壊滅的に役に立たなかった。
元々寒気を遮断する為に気密性が高い新ソ連の屋内において、オゾンサークル、酸素を腐食ガスに変える魔法がこれ以上なく強かったことも、迎撃がままならず被害が急拡大した原因である。
新ソ連は旧ソ連、第一次世界大戦からずっと、縦深防御、即ち国境から主要都市までの間の膨大な土地という分厚い皮と脂肪こそが国体防衛戦術の基本であった。だが、今回の攻撃は分厚い皮も脂肪もすり抜けて肺腑を直接引っ掻き回す攻撃である。
市民と言う細胞は統治・国防の失敗をエネルギーインフラ破壊による暖房停止という死活問題という形でストレスを与えられ、現体制への不満という癌化が止まったシベリア鉄道から連鎖していく。
鉄道の寸断と通信インフラの破壊は神経と血管の切除に等しく、モスクワは何処までももたついていた。政府が如何にお為ごかしを宣おうとも、事実として衛星から観測できる都市熱量の低下という体温低下の実態が悲惨さを如実に語っていた。
犯人たる真由美を除けば、誰一人として、これが地獄の始まりだとは思っていなかった。ウランバートル条約。新ソ連と大亜連合の秘密の呉越同舟を舟ごと爆薬で吹き飛ばし、その破局を互いの裏切りによるクロスカウンターへと見せかける――その陰謀は、今まさに最初の一手を打ち終えたばかりだった。
ウランバートル条約とは空き巣狙いの欺瞞だったのか。条約推進に携わった者たちは新ソ連のスパイだったのか。大亜連合において情報の錯綜は一日どころか華南が水没しても終わらなかった。そんな中に、北部の軍閥にある噂が何処からともなく流れていた。
新ソ連の卑劣な罠に気付いた同志が陸軍による大規模攻勢を防ぐべく、ノヴォシビルスクに攻撃を仕掛けた。敵の主力魔法師部隊の撃破に成功したものの、既にハバロフスクに新ソ連の陸軍戦力が大規模に集結している。ハバロフスクからの進軍を防ぐべく、鎮海軍港にいた震天将軍の秘密裏の北上が命じられたらしい、と。
噂はいつの間にか北部軍閥の首脳の耳にまで入っていた。そのような折に、急報が入る。大規模な電波障害がハバロフスクにて発生、と。いつの間にか、彼らの心から慎重の二文字は消えていた。
電波障害から立ち直るより前に、ハバロフスクに集結した陸軍戦力を叩き潰せ。同志の活躍を無駄にするな。
急報が形成される中で、霹靂塔特有の大規模な多数の落雷が存在せず、ただ魔法によって異常な雲が発生しゴロゴロ鳴っていた、などという要素は都市全域が停電し、排熱が著しく少なかったと言う重要な事実に押し潰されて消えていた。
本来、北海道への上陸を目論んでいた新ソ連のシベリア方面の陸軍、上陸部隊第二陣は艦隊の壊滅によって足踏みを強いられていた所であったが、突然のEMP攻撃による都市単位の電磁的麻痺、それに伴う暖房能力の著しい減衰と言う異常事態を前に狼の前の羊と成り下がった。
大亜連合北方軍管区の総力を挙げた『反撃』は、国境守備隊をあっさり蹴散らし、麻痺したハバロフスクに待機していた新ソ連陸軍を蹂躙した。EMP攻撃さえなければ、間違っても楽勝と呼べる相手ではない。
北の羆を兎か何かのように蹴散らしたその戦果は、『霹靂塔』、都市が都市として機能するために必要な通信インフラを麻痺させる魔法の軍事的価値について、艦隊や都市を直接壊滅させる戦略級魔法にも決して劣らないことを雄弁に物語っていた。
「北方軍管区より報告、我が軍は戦略級魔法『霹靂塔』の行使により、ハバロフスクに布陣していた新ソ連陸軍の侵攻部隊への強襲に成功せり、敵侵攻部隊の全滅を確認」
「下がれ。………鎮海軍港から震天将軍の北上の連絡は来ていたか」
「ありません。震天将軍は依然として対日先遣隊の後詰めとして、霹靂塔による抵抗鎮圧任務を継続中です」
「…………私だ。残念だよ。貴様ら麒麟閣*2には魔法師の管理について重大な落ち度の疑いがある」
『閣下、一体何を仰って……!?』
「先程、北方軍管区より『霹靂塔』の行使による大戦果が報告された」
『それは、大変めでたいことなのでは?』
「しかし、震天将軍は既に別任務に就いていた、離脱の痕跡は存在しない」
『……新たな『霹靂塔』の術者、ですと?』
「では聞こう。ハバロフスクへ『霹靂塔』を行使したのは一体どこの誰かね?北方軍管区と何を取引した?」
『閣下!我々が謀反を企てたと仰るのですか!?』
その中でも、何かがおかしい。北方軍管区を逸らせたナニカ、震天将軍以外の大規模通信障害を引き起こした何者か。そう勘付き、尤もらしいストーリーを組みながらも怪しい所を手探りにする動きはあった。だが、その動きが実を結ぶよりも前。
「で?嬢ちゃんが射程延伸してやった『ファントム・アルペジオ』、調べたら震天将軍が動いていなくて『霹靂塔』のパチモンだってすぐバレるんじゃないか?」
「ま、幾ら私でも震天将軍誘拐なんて面倒臭いことはやらないわよ。そんな細かい話、英雄譚が流れれば気にならなくなるものよ。思ったより餃子が増えそうだけど、水分が爆薬になるなんて庶民には余計な知識だったのかしら?」
「だからベゾブラゾフをイグロークごと寝かせておいたって訳か。……『海爆』に『ファントム・アルペジオ』、規模縮小版とはいえ『ラスト・スカイ』、プロジェクト虎杖は過半が既に実運用済みとは世紀末らしいって言えばらしいのかねえ?んで原案の『トゥマーン・ボンバ』は最後っ屁して退場と」
崩壊した靖南ダムからの汚染された濁流によって浸水した広東省に『トゥマーン・ボンバ』が三発立て続けに炸裂した。
ダムの破壊に伴う水害で都市機能そのものは既に向こう数年以上の麻痺が確定している。それが分かっており、北京攻撃への警戒でガードを下げさせられていたところへのダメ押し。
上海からの避難民と合わせ、浸水により立ち往生していていた人的資源の大半は爆炎に呑まれ焼失。四葉に滅ぼされた旧大漢の大亜連合による三十年の復興投資はほぼ全てが三十年前よりも悲惨な丸焦げである。
中央指導部は、南部の壊滅による求心力低下の影、そして何者かが北京に降らせた不審な霧雨を前にパニックになった。既に北部軍閥の勇み足とハバロフスク蹂躙の戦果は中央にも轟いている。
このままなし崩し的に新ソ連と戦端を開き、向こうの得意とする遅滞戦闘の泥沼に肩まで浸かるなんて冗談ではない。ノヴォシビルスクを誰かが攻撃したという情報は中央に届いているが、誰がやったのか、作戦の経過が一切不明な以上、新ソ連の継戦能力が何処まで削れたかなど分かるわけがない。
だからこそ、そこに転がり込んできた分かりやすい目先の勝利に大亜連合首脳部は縋った。陳祥山上校率いる対日工作員部隊、日本にて行方を晦ましていた彼らが現地で意気投合した義勇兵達と共にウラジオストク近郊に潜んでいたベゾブラゾフを撃破。新ソ連の遺伝資源の上澄みたるその骸を冷凍保存し持ち帰ることに成功したのだ。
そしてノヴォシビルスクとハバロフスクの失陥に加えて、ウランバートル条約推進の中枢を担っていたベゾブラゾフ自身の失踪という壊滅的な事態に直面した新ソ連は、大亜連合の卑劣な裏切りに同志ベゾブラゾフが上海と広州を焼き払って報復してのけた、と彼らの知るその射程からはまずありえない戦果を掲げるしか無かった。
国威を守る為には推定最悪の戦犯であろうとも、その大看板を守るしかない。戦死は否定され、そこに滲み出る歪さは外から見れば一目瞭然であった。
何もかもがおかしい。予兆なく起きた新ソ連と大亜連合の互いに内臓を抉り合うような凄絶なクロスカウンター。両国からの侵攻を新たな戦略級魔法と世界的にも質の高い魔法師達の活躍によって跳ね返した日本。USNAや欧州はその不穏を見逃せなかった。
両国からの侵攻を黙認しつつ自らも工作員を日本に派遣したものの、その全てを見失ったかと思えば、いつの間にか大亜連合から新ソ連への攻撃に加担。大亜連合の英雄達へとチームごと無断転職を果たされてしまっていたUSNAの軍中枢は紛糾していた。
そこへ追い打ちを掛けるように、監視衛星が捉えた新たな戦略級魔法の分析結果が届けられた。分析の結果、それは大規模な水蒸気爆発を引き起こす代物である可能性が極めて高いと判断された。これまでの戦略級魔法『深淵』と異なり、この魔法は対港湾攻撃性能が跳ね上がっている。
北米西海岸はシリコンバレーの時代からUSNA経済の肺である。同盟国であったはずの日本が静かにこちらの腹を掻っ捌くドスを新たに手にした構図がマフィアまがいの連中とはいえ精兵の裏切りと相まって海軍やスターズを追い詰める。
仮想敵国の筆頭であった新ソ連が大亜連合共々全治数十年レベルの大怪我で黄昏の微睡みに沈む今、日本の影はいつの間にか作戦本部を覆い尽くしていた。
そして、欧州は欧州で極東から完全に離れているからこそ、戦場に密かに登場した新たな死毒の存在を見逃していなかった。『トゥマーン・ボンバ』の威力増強の為に破壊されたと思わしき靖南ダム。攻撃直前の制圧に使われたと思わしき魔法の残り香。史上最大威力の『トゥマーン・ボンバ』で壊滅した広州の上流域において、ダムの破壊による水害と同時に水質の急激な悪化、硝酸・亜硝酸汚染が起きている。
ウィリアム・マクロードが座長を務める英国主導の研究会はこれを二酸化窒素を大量発生させる未知の魔法によるものと結論付けた。スイス、フランス、ドイツ、オランダ、北海。国際河川であるライン川流域は欧州の背骨である。その背骨を溶かし、自分達を一撃即死させうる魔法の影への恐怖は一入であった。
まだ、それが戦略級規模、土地を自浄作用ごと一撃で滅ぼす代物だと言う確証はない。だが、ベゾブラゾフの死という確度の高い情報が大亜連合によって喧伝される中、河川を破壊する魔法が新ソ連に生えてきたかもしれないとなれば、欧州も迂闊に動くことは憚られるのであった。
次は真由美からの依頼内容の報告書回にします。
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