2095年11月末、国際魔法協会にて、東西EUの魔法協会から一つの議案が提出された。熱核兵器の使用抑止を憲章とする同協会の存在意義の拡大解釈。地球環境の回復不可能な汚染の抑止という、熱核兵器を抑止する理由そのものに則り、『広範囲かつ長期間にわたり、自然環境の回復能力を著しく超える損害を意図的に発生させる魔法』に拡大しようと言う発議である。
「……殆ど政治的なポーズ、だろうな」
「と、言いますと?」
第一高校の食堂にて、その発議が話題になった際、司波達也はそう切って捨てた。光井ほのかはじめ、いつもの面子は全員が頭に疑問符を浮かべていた。
「あくまで仮説や思考実験だが――もし俺がそういう広域環境破壊魔法に対する対策をやれ、と言われたら、真っ先に仮想敵として思い浮かぶのは、二酸化窒素の大量発生だ」
その言葉に、あんまりピンとこない周囲。二酸化窒素の発生そのものは現象だけを見るならば、窒素分子の難燃性を突破すれば良いだけの、魔法技術的に簡単な部類の魔法だ。だが、それを攻撃手段として用いる魔法師はまずいない。
理由は単純に、速攻性の確保や二次被害の制御が難しいからだ。そして、それに比してほかの攻撃手段より優れた所が特にあるわけでもない。詰まる所、全くもって実戦的な魔法ではなく、ただただ無駄に周囲に被害を与えるだけの魔法、というのが一同に限らず、ある程度魔法師として常識を学んだ者達の有する印象だった。
「……既に欧州では『オゾン・サークル』という酸素を毒ガスに変換して都市・艦隊を壊滅させる戦略級魔法が実用化されている。事象改変の難易度的には、オゾンを作るよりも二酸化窒素を作る方が簡単だというのはいいな?」
『オゾン・サークル』は国家が国威発揚の為にその存在を明かしている戦略級魔法の中でも比較的有名な代物である。元はオゾンホール問題の解決の為に組まれていたという開発経緯と、それを戦略級魔法として欧州勢力圏に共有するというスキームによって東西欧州が緩く連帯する為の重要な鎹の一つとして。
「……そして、大規模な事象改変技術そのものは往々にして重要な軍事技術だというのは想像に難くない。つまり、だ。どうやって他の軍事技術と区別して取り締まればいいんだ?という話になる」
「成る程ね、殺傷性ランクの評価でも結果から事後的に評価するしかないって代物は割とあるわ。細かい理屈は全然違うだろうけど、事前にそこに繋がるものをルールで一括で止めるってわけには行かないと言う点では一緒か」
どうやって取り締まれば良いのか。その問いかけに最も嗅覚が鋭かったのは、実家の道場が魔法師の警察を数多く輩出しているエリカであった。厳密には専門外であっても、警察のそういう事情は自然と耳に入る。
そして、エリカの総括に達也が我が意を得たりと頷いた。核兵器ならば、それに繋がる専門の技術等で止める場所が何段階にも渡って存在する。
「言ってしまえば、大規模な二酸化窒素発生による対環境飽和攻撃は、十分な魔法技術水準を持つ大国を基準にして考えれば、アドリブの範疇で何とかならないこともない。或いは、いずれそうなる。その上で、欧州は地政学的に大規模水質汚染が致命傷になる」
「そりゃあ、ライン川やられたら終わりだよな。と言っても、ライン川をやられた欧州なんて、そんな美味いか?」
レオンハルトの素朴な疑問に達也は首を横に振る。
「究極的には焦土作戦に対する規制の話だからな。恐喝のネタに使われるだけでも十分痛い。だからこそ、政治的なポーズ、と言ったんだ。事前にそういう行為を核兵器に匹敵する大悪と定義しておく。今回の話の目的はそこだろう」
(……大亜連合を襲った窒素汚染、新ソ連の仕業と疑われているだろうが、まず間違いなく先輩、いや先輩が手配した誰かの仕業、だろうな。次に繋げる為の捨て札として使い勝手が悪そうだとは言え多分戦略級魔法だろう代物を切る辺りの感覚は相変わらず魔法師らしくないが)
そう話す裏では、大亜連合と新ソ連両国の侵攻前から物理的距離をあっさりと踏み潰して暗躍する化け物の手練手管を断片とはいえ見てきた達也が脳裏に陰謀の全貌についての推理を展開する。
四葉の秘術、想子接触回線による照準情報の授受と同一でなくとも、所謂遠見の術、術者以外に遠くを見せる魔法の類いは古式にあると知られている。真由美ほどの達人ならば己の無限に等しい射程の片鱗を他人に貸し出すことなど造作も無いとは、容易に推察できる話だ。
射程の問題を解決してしまえるのならば、軍事的には戦力配備の概念など半分以上踏み倒せる。日本は自衛以外何もしていないように見せかけて、実際は見えない手から繰糸を垂らして新ソ連と大亜連合を操り、盛大な同士討ちを演じさせた。
一応は便利屋、零細自営業の人間がこんな面倒臭い仕掛けを自分から組んだとは思わない。動員された戦力は片鱗だけでも最精鋭ばかり。十師族すら複数ともなれば、到底零細自営業で賄える規模感ではない。
恐らく、日本側の誰かが大枚はたいて彼女に何とかしろと頼んで、何とかしてしまったのが今回なのだろう。達也としては、齎された結果よりも、そうなる過程の方が余程重要だった。
どうやって、という議論は真由美がやった、で八割以上意味が消える話だ。彼女こそ、万能解の権化であるが故に。問題なのは誰がこれだけのバカでかいディールを持ち込み執行させたのか、だ。政府系、と見るにはあまりにも静かすぎる。達也の情報網にある心当たりとしては、九重八雲が珍しく、今回の件について何も言わなかったぐらいだろうか。
己の眼の限界というものを心底思い知らせてくれた先輩だからこそ、そんな大怪獣が見えない何かに傾国の魔女としてけしかけられたのであれば、心穏やかな気分にはなれない。
喫緊ではないがゆえに妹には聞かれなければ言わない程度の話であるが、司波達也は密かに靄を裡へ抱え込むのであった。
世界では「環境破壊型戦略魔法」という新しい脅威への警戒が始まった。しかし、日本国内の世間では、もっと単純な現象が起きていた。
何故か何とか凌げてしまった大亜連合と新ソ連のほぼ同時のダブルパンチ。自国の無事に安堵しつつもますます尚武の声が上がり調子になっている。今回のダブルパンチとは思えない被害の少なさに貢献したのは、日本が育てた魔法師達の活躍である。
「日本の魔法師達が精強だったから、侵略は押し返された」
一般学生の社会のテストなら、これで満点を貰える回答だろう。だが、魔法業界では赤点だ。
「今回、事にあたった魔法師達が異常なほど高水準だったから、どうにかなった」
「軍にそういう精鋭がいたらしいことや、十師族の義勇軍が強かったのはまだ分かる」
「当時、横浜の論文コンペの為に現場にいた魔法科高校生達の中で、一高の面々だけが意味不明なまでに精強で、脱出のついでに敵陣に大きな風穴を空けてあとちょっとで半壊まで追い込んでいた」
こんな話が業界で流れている以上、魔法科高校では国際魔法協会の動向もさることながら、横浜から誰一人欠けることなく五体満足で生還することに成功した英雄達の話題も盛んだ。
司波深雪を筆頭に大体は下馬評通りの強さで普通に活躍した、の範疇であり、殊更話題として大きく取り上げられはしなかった。
通常の年頃の魔法師であれば、テストと実戦は全然違うもの、いざ学生の身で鉄火場に放り込まれたのならば、第三高校ですら下馬評と実戦体感の差はあって然るべきものなのだが……。端的に言うならば、第一高校は訓練されすぎていたとは彼らの避難に付き添った独立魔装大隊の兵士達の弁である。
もっと詳しく言えば、冴種真由美と司波達也が自重していなかった。十文字克人は父親にこっそりそう証言していた。
達也としても、自分の秘匿すべき魔法を晒さずとも、何となく目利きが出来ることは暗黙の指摘禁忌事項としてバレている以上、九校戦での実績を錦の御旗にして、警備担当になった生徒達を相手に魔法師としてのトータルコンサルティングを諸雑事の一つとして片手間に熟すことは吝かでは無かったのだ。
深雪の平穏な学生生活の為には、戦禍での死人など出されても困る。だから、程々に技術を小出しにして味方を強化し、有象無象を退けられるようにする。その塩梅は、司波達也が冴種真由美から盗めた知恵の一つである。
司波達也が各々の出来ることのカタログスペックと実戦的な下限との隙間を埋めたならば、上側の隙間を埋めたのは真由美の金満お大尽、人件費廃課金プレイである。
実戦があればその使用感をフィードバックすることを条件として何故か開催された国内メーカーによる最新CADのセール或いは格安リース、何ていうのは序ノ口。
訓練の仮想敵について、七草系列の人員、達也が何故か眉間を抓っていた覆面姿の自称サバゲーチームなる連中や忍びのメンポを被った滅茶苦茶格闘戦が強い人達。克人が人件費を考えて真顔になるような面子を揃えたのは、当日の完全欠席を予告していた真由美だ。
そんな陣容で負傷者護送などの実戦を視野に入れた鬼畜難易度の演習で扱けば、一年生であっても慢心など吹き飛ぶ。
魔法科高校生には経験不足故の無茶振りな設問についても、実用には粗削りなれど、下馬評には不足ない肌感覚が、一年生にすら付け焼き刃として身に付いてしまっているのが現在の一高生である。
だが、周囲はそう冷静ではいられない。避難してくる魔法科高校生の撤退支援を第一の活動としていた義勇兵達など、その雄姿を目撃した者達の間で話題になってしまう。
例えば、十三束鋼は九校戦では使っていなかった新たな手札として、自分の姿を誤魔化す忍術系の古式魔法『朧隠れの術』の系譜となる魔法を披露した。
本来の原形であれば、視界の悪い周辺環境等も生かして、自分の輪郭を相手に悟らせない、隠密行動の為の魔法。だが、鋼自身に隠密行動の素養など殆どない。ならば何故、冴種真由美はこの魔法の派生版を鋼に伝授したか。そして、九校戦までの準備期間では形に出来なかったものを鋼が次の鍛錬目標として実戦投入レベルまで鍛え上げたのは何故か。
答えは単純だ。接敵から近接格闘戦への移行。己が最もリスクを負うその瞬間。千葉エリカを筆頭とした剣客にも共通するが、得物が剣か拳か、即ち間合いの取り方でその重みは僅かであっても決定的に違う。その為に、接近する己を捉え損ねさせ、確実に接近するための手札として鋼はこの魔法を鍛えた。
ただ自己加速の合間に使って駆け寄るのではない。第一高校の達人クラスならば既に当然の域にあるパラレル・キャスト。そこに組み込み、敵から己への照準を逸らしたその一瞬で懐まで潜り込む。そうして振るわれるはマジック・マーシャルアーツにおいて禁じ手扱いされている殺し技の数々、そして機甲殺しの金剛腐壊。
結果、戦場における鋼のキルスコアは最初から臨戦態勢で家伝の秘刀、大蛇丸も持ち出して立ちはだかる全てを膾斬りにしていった千葉エリカに並んだ。千葉ならば出来が良かったと簡単に周りも納得できる。だが、十三束の異端児がそこまで仕上がっているとは、想定外なのだ。
九校戦の新人戦では確かに活躍していたが、競技のルールは接触禁止のモノリス・コードやバトル・ボード。端的に言えば走れることは分かっていても、此処まで殴れるとは誰も思っていなかった。
では、予想外に大きな金の卵に業界がどう反応するか、と言うと。
「助けてください、千葉大明神、縁談が、スカウトが……」
思いっきり群がる。彼の母親、十三束翡翠は日本魔法協会の幹部*1ではあるが、魔法業界、特に息子が現在進行形で困らされている方向における発言力はと言うと、それほどでもないという評価が要約となる。
シンプルに、家の実力の重心が戦闘能力、それも、近接格闘界隈からは程遠い。国内有数の経済力であまりに無体な話はカットできるものの、そもそも一族における異端児である鋼の縁談は十三束家としても仕様が違い過ぎて持て余している状況であり、その隙間に色々な声が寿司詰めとなっているのが現状だ。
尊敬している冴種先輩は魔法業界においては完全な独立独歩主義者であり、技術交流以上の付き合いはあり得ないし、持ち込む気も弟子としてはない。故に、相談相手として最も身近なのは、千葉エリカであったと言う訳だ。
結局、その界隈に詳しいエリカは臨時バイト代で懐を少し潤わせ、十三束鋼は予想外の嵐を何とかやり過ごした。
十三束鋼は極端な例であったが、他の一高生も値踏みが更に深まり、青田買いなどの下心の手は四方八方から伸びて来る。それが本人に届くかどうかは別問題であるが。
優秀な生徒であれば、実家が太いことは多々あることだ。実家が太く、かつ今回の戦闘で活躍した一高生を挙げるならば、敵の直立戦車などの大型兵器を片っ端からスクラップに変えていった千代田花音や、索敵、古式攻略で常に第一高校の情報アドを確保していた吉田幹比古、護衛としてのいぶし銀の上手さで他の索敵担当達に助言し、狙撃も含めた奇襲を防ぎきりつつ、直接戦闘能力が低めな支援担当を生命線として守り切るのに貢献した森崎駿といった面々がいる。
そうした面々は、その太い実家が一門の者の大戦果として鼻高々に名声を回収しつつ、余計な雑音が虎の子に届かないように立ち回っているので、被害は殆ど無かった。
そうでも無い者達の中には、自律神経干渉魔法という対人特化の魔法で一色何するものぞと言わんばかりに敵の魔法師の兵士など、要所要所を処理していった市原鈴音もいたが、彼女自身は元が業界のタブーである
十三束鋼に最も近い状況、否、ある意味もっと酷いのは百家支流末端出身の二年、服部だ。正統派のエリートとして入学時に名を馳せ、真由美の指導も相まって更に飛躍した、二年生の大エース。一年生の間は、まだ実戦経験が表向きは殆どないこと、今は学業に専念させてくれ、で逃げることが出来た。だが、表向きの実戦経験が、確かな戦果と共に積み上げられた。
服部の魔法師としての資質は真由美が一言でジェネリック七草と言う位には癖が無く、全方位にコンスタントに百家本流レベルの魔法力を発揮できる。だからこそ、彼が弟子入りしてきた時点で真由美は世の中で言われるような普通通りに育てるつもりは欠片も無かった。
「服部君は放っておいたら単なる格下殺しにしかなれないわ。格上に為す術なく踏み潰されるか、或いは突き抜けた一芸持ちや不意打ちの一発に豊富な手札を全部すり抜けられて殺られるか、殉職するとしたら多分その二択よ。後は私のバイト先の所長みたいに、加齢でなんちゃってA級ライセンス持ちに成り下がって、ひいこらいいながらリスキリング頑張る羽目になる未来も見えそうね。ま、それでも上手く立ち回ればA級ライセンス持ちとしてそこそこ稼げるとは思うけど」
初手から世知辛さ全開の寸評を食らって黙っていられるほど、服部は大人しい性格の持ち主ではない。自分は真由美から学ぶべきものがあると思って来ている。何を得られるのかと問いかけた。
「どうにかしたいって言うなら知恵は貸してあげる。但し、私個人の強さは私の異能に完全に依存したものよ。だから、上手く盗みなさい」
自分の土俵において苦手を突き付けられたら頑張って克服する、服部という男にとってはごく自然な当たり前である。しかし今までは、与えられた課題をこなせば良かったが、今回は違う。
自分で殻を破り、その先を探さないとならない。その事実を弟子入り当初は腹落ちさせていなかった彼は、学年一位、否、九校での事実上の学年一位を守り通してきたこともあり、何度も妥協の誘惑に駆られた。それでも、歩みを止めることはなかった。
今の自分の一位は二十八家がいない谷間の空き巣でしかないと理解していたが故に。真由美に紹介してもらった危ないバイトでまあまあエリートである自分は、格下から手段を問わず引きずり下ろしを食らう立場であると肌身に染みて理解していたが故に。
そんな彼の足掻きは二年の夏の終わり、一つの結実を見た。ESP魔法、『センス・エキスパンション』。己の魔法師としての知覚能力の感度を、アンテナを外付けしたかのように引き上げる魔法。この魔法の恩恵を一言で言うならば、『精霊の眼』保有者がいる世界、イデアを識る世界への入門だ。服部はこれを己の戦闘能力に組み込むに漸く至ったのだ。
パラレルキャスト四刀流の枠一つをこれに割くことで、服部の魔法はちょっとした距離減衰からは完全に解き放たれた。その時の第一高校で最長の射程が、パラレル・キャスト多刀流故の手数と、百家最上位の干渉力、凡そ火力において不足なしと言われる実力を伴って投射される。敵が一方的に撃たれては堪らぬと服部のいる本陣目掛け、強引に距離を詰めたり、直立戦車などの高火力でのゴリ押しを試みれば、そこは司波深雪が女主人を務める殺し間である。
あっという間に戦力が溶けていく惨状に敵は最早回答はカウンタースナイプ以外になしとなるが、迎え撃つは服部、幹比古、森崎、千葉の対狙撃・対隠密布陣。知覚拡張による感知、精霊魔法による索敵、ボディガードの心得。魔法及び戦術の二側面から穴を塞ぎ、炙り出した敵の狙撃手は見つけ次第、3次元機動も可能な遊撃手であるエリカが速攻を仕掛けて仕留める。
想子残量等を筆頭に経戦能力等も考え、業界の現場では過剰過ぎるとされるほどに冗長性を確保した第一高校の撤退用の布陣は無理に再現しようとすれば人件費とかで首が回らなくなるのが魔法業界の悲しい常だ。
だから、第一高校の異常な戦果に脳を焼かれたスカウト系の関係者も別に第一高校の布陣を自陣で再現しようなどとは思っていない。だが。一番手軽で費用対効果の高い強化パーツは?と考えた際に、服部はあまりにも美味しい案件過ぎた。
結果、最近の服部は少々疲れを隠せなくなっていた。桐原が茶化すも、死んだ目で売れっ子の悲哀を語り返されては、引きながら見守る以外の選択肢が生じるわけがなかった。支流末端とはいえ百家の端くれ、望外の飛翔を遂げる麒麟児の背中には家の期待が滾々と積み上がり、さりとて業界で何か発言権が特に強くあるわけでも無いために、他所からの茶々を弾くほどの力があるわけでもなく。とうとう季節外れのインフルエンザで服部は寝込んでしまった。
そして、仮にも教えを授けた愛弟子がこうなれば、謎に忙しそうにしている真由美も堪忍袋の緒が切れる。
「あーもしもし兄貴?私よ」
『真由美か?……あの日以来だな』
「そうね」
『で、僕に連絡してきたってことはつまり』
「そういうことよ」
『……親父への言い訳は?』
「八重唱を服部君に教えることにしたわ」
『成程ね……』
電話越しに思念を読まれていることに七草智一は特に気にもしない。もう慣れたからだ。化け物染みた妹を持ちながら、その本人からは次期当主の座を丸投げされてきた。七草としては凡庸な己なりに妹に頭を下げて色々教わって来た身だ。
七草弘一が悪党としては三流に毛が生えた程度であることも、元々第三研から第七研に移籍した経緯から有象無象の嫉妬にひねくれて、その挙句婚約者を奪われ壊されて止まれなくなったことも分かっている。自分自身が悪党としては三流にすらなれない性分であることも分かっている。
そして、七草弘一を見限った真由美が自分に電話してくるという事は、仮にも家長である七草弘一を踏み越えて、次期当主として自分が動けという話なのだ。だからこそ、自分が独断専行をやれる理由を問えば、返って来た答えは気軽なもの。七草の秘匿術式を他人に与えるという暴虐だった。魔法師の名家としての常識から分かっていても頭を抱えてしまう。
真由美の離反を許した時点で、七草の秘匿術式の類は潜在的に全部流出したも同然だ。何なら、七草の有する魔法の研究資源は真由美が少なくとも八歳頃にはとっくに食い尽くしていたと智一は彼女の最初の教え子として知っている。
では、離反後も真由美が七草と薄く付き合っていた理由は何か。答えは、彼女がまだ七草の中で微睡んでいた時から何も変わっていないのだと七草家の中で次期当主の智一だけは分かっていた。否、恐らく当主の弘一は頭の片隅では分かっていて、分かろうとしていないのだろう。
七草家の役割とは、真由美が個人で蒐集・保有し、その怪物染みた知見の下に好き勝手に運用する智慧の恩恵が、不必要に散逸しない為の最低限の受け皿である。例え現当主の七草弘一がその現実を認めようとしなかったとしても、状況はとっくに固まっているのだ。
ある日七草家内部の魔法研究所を突然辞めて何処かの研究職に無断で転職し、盆と正月以外七草家に帰って来なくなった弟の孝次郎も、もうその役目に就いているのだと智一は察している。
だから、ここで己は真由美というコントロール不可能な存在から秘匿術式を教わった対象である服部について、保護と言う名目で本人が一人立ちするまで後ろ盾をやればいいのだ。弘一ならもう少し強引な取り込みも図るだろうが、自分がやるべきことは軽くバイト案件を見せる程度の放し飼いだ。
何せ、真由美が他人に還元できた技術と言うものは、他人が何故今まで真似できなかったのかを解析し尽くて解決した上でそうしているものなのだ。早い話、陳腐化は九割終わっている。
実態が大怪獣の下請けに成り下がろうとも、業界から盗品だらけのブラックマーケットの汚名を被せられようとも、それで嫁やいずれ生まれる我が子がちゃんと飯を食えてそこそこいい暮らしを出来るならば、智一に否やはない。
結局、七草智一の鶴の一声で服部は平穏を取り戻した。智一が周囲に喧伝して曰く、自分も真由美に魔法を教わった弟子だから、同門の後輩たちの傘になれるならばそれがせめてもの恩返しである、と。
尚、対外的には特に太い実家を持っていない筈の司波深雪はその美貌に加え、敵の主力を片っ端から氷像に変えていった暴れぶりから明らかに色々殺到するはずなのだが、何故かほぼ無風であった。一高生はその異様な無風を見て、誰一人、何も言わずにスルーした。
「達也さんなのかホントの実家の人なのか分からないしどうでもいいけど、ちょっと、頑張り過ぎだと思う」
友人の雫からジト目で放たれた一言に、深雪は肩を落とした。
毎度感想ありがとうございます、ここすきと合わせて励みになっております。
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