「さて、深雪さんとの喧嘩のルール、どうしましょうか?」
「それを俺に相談するんですか?」
あっけらかんとそんなとんでもない厄介ごとを持ち掛けてきた目の前の先輩に司波達也はじっとりと呆れた視線を向ける他無かった。話そのものは前日の夜に妹から聞いていた。事態が想像を超えてとんでもないことになっていたのには驚き呆れたが、黙って母の魔法演算領域を一旦預けておくという四葉への裏切りを伴う決断も、前に進むことを再度決意したこともそれが深雪の決断ならば達也は尊重するだけである。それでも割り切れない感情を処理するために喧嘩するという決断も。
「だって、目的がお互いの感情を納得させること、別に一回で済ませる必要もなし、遺恨をお互い呑み合って付き合いたいのに新しい遺恨を作ったら本末転倒でしょ。そして深雪ちゃんは丁寧なゴリ押し脳筋スタイルとして育てられてきたのは分かるから二人の間だと私が一方的にルールを決めてしまえてやる意味がなくなる。それに、ルールは達也君が噛んだほうが達也君自身も深雪さんも安心でしょう?」
正論ではある。妹の魔法師としてのスタイルは上から魔法師として最高峰の基礎スペックを押し付けて圧殺する正攻法の極みだ。四葉として搦め手とかに対する補強はやっているが、ルールがあるからこそ、下手な設定では目の前の先輩は絶対に裏を掻いてくる。妹の死角を埋めるのは自分の使命であり、本懐の一つ、否やはない、無いのだが。
確かに、ルールのない喧嘩、或いは戦争ならば、妹と冴種真由美の一騎打ちは、自分が不在である以上は妹がかなり不利だと言わざるを得ない。どんなに妹の魔法力が優れていようとも、認識の外側から殴られたらどうにもならないという魔法師に普遍的な弱点からは妹も逃れられない、相手は認識の裏を掻いてくる技巧の怪物だ。だが、それはそれとして。
(幾ら勝敗が主目的じゃない、とはいえだ。俺にルールを弄らせて屁とも思わないとは、幾ら何でも、深雪を嘗め過ぎじゃないか?)
小手先で相性不利を貰った所で。取り込んだという司波深夜の魔法演算領域を仮にサブエンジンとして使えるようにしていたところで。最初から誓約の封印を解いて、加減はあっても久方ぶりに全力をぶつける気満々の深雪が自分の万全のサポートを受ける、ルール次第ではハンデにすらならないだろう。
そう思いながらもルールの協議を始めた達也だったが。これが思いの外難しかった。まず、早々にお互いの肉体を決闘として成立するような威力で攻撃し合うようなルールは真っ先に没になった。
飛行魔法とパラレル・キャストの達人であるために、三次元機動戦闘では既に世界最高峰の一角に座しているだろう彼女は、まだ披露していないとはいえ、回避だけでなく防御の技術にも優れていると想定せざるを得ない。防御性能と言う意味では司波深雪も何ら負けていないというか、多分勝っているのだが、いずれにせよ、此処まで高い防御の腕前を持つ者に遺恨がお互い残らない程度の攻撃を通すと言うのは、かなり難しい。
お互いがお互いの感情を納得させるための遺恨の残らない喧嘩、即ちある程度は拮抗した勝負をするという前提なのだ。攻撃と防御と高速移動ひいては視認捕捉切りを完全に同時にできるだろう怪物にあくまでマルチキャストの範疇で攻撃と防御と移動を切り替えて戦うしかない妹をそのまま突っ込ませることになれば、それはただの自分の怠慢だ。
では、喧嘩として成立する、即ち技巧派の怪物を何とか真っ向勝負をせざるを得ない盤面に、技巧で悪足掻きが利く程度に引きずり出すにはどうすればいいだろうか。残念ながら、ガーディアンとして司波深雪の外敵を滅殺するマシーン、或いはトーラス・シルバーの片割れ、CADソフトエンジニアリングのプロとしてこれまで生きてきた自分の人生経験に必要な材料は欠片も無かった。
「煮詰まって来たわね。また明日、考えましょうか」
こう言わせてしまったことが、素直に屈辱だった。妹に関する限り、情動に一切制限がなくなる自分が、妹の為にあれこれ考える機会を与えられて、それを満足に出来ないというもどかしさに、初めて見る類の課題であるなどという免罪符は当たり前のようにただの紙切れでしかない。
寝て起きて、自分の中に材料がない以上は周りからかき集めて勝負するしかない、そういう結論に至った司波達也は、まずは口が堅そうな相手、自らの体術の師匠である九重八雲にあたってみることにした。
「ほーう、深雪君が、あの冴種真由美と喧嘩、ねえ」
弟子にいきなり爆弾を投げ込まれては、九重八雲の飄々としている糸目も思わず開かざるを得なかった。四葉家次期当主候補筆頭司波深雪と、『始まりの虎杖』、言い換えれば、十師族の常連*1である七草家にたった一人で勝利し、一見すると日本の魔法師としては無法極まりないその在り方を、まともに公表なんて絶対にできない程馬鹿げた実績で認めさせた例外、冴種真由美。どちらもそこら辺に転がっている十師族程度では屁にもならない大怪獣同士だ。司波深雪の方は本人がまだ未熟なところを残していたり、その潜在的な暴威の大半が兄と言う形になっているという違いがあるとはいえ。
その二人の喧嘩という字面だけ見て、ただの学生同士の喧嘩、などと一発で笑い飛ばすほど、九重八雲の肝は据わっていない。目の前にいる二人が平静であることから、十中八九は完全な潰し合いの類にはならないと察することは出来たが。
「お互い、遺恨を残すつもりはありません。それでも清算しきれないものがお互いありまして」
「喧嘩の範疇で折り合いをつけよう、と。いやまあ、若人らしくていいとは思うんだけどねえ」
司波深雪自身も遺恨を残すつもりはないと言い切っているので、この喧嘩が起きること自体は大丈夫だと言えよう。そう判断して開かれた糸目が狭まる。
「問題なのは、喧嘩を喧嘩として成立する為にルールをどうしようかと、冴種先輩当人から俺が相談を受けていることでして」
「達也君にルールを決めさせる、ねえ?かなり向こうが譲歩している話だねえ」
それが冴種真由美の強者の余裕、或いは慢心であるとは九重八雲は思わない。彼女の眼ならば、相手がどういうものなのかは十分に理解している筈だ。
「取り敢えず、お互いの肉体を攻撃し合う類の決闘系列は最初の話し合いで没にしましたが」
「まあ、順当だね。で、その先が詰まっていると」
考えれば、確かに難題ではある。技巧で幾らでも誤魔化しが利く決闘の類で相手を捉えて倒し、尚且つ結果を遺恨を残さない程度、所謂可能な限り傷付けず生け捕りにしろと言う話になってしまうと、お互いの防御・回避性能が高すぎて酷い曲芸合戦に陥ってしまうため、技量で劣る司波深雪が圧倒的に不利だ。だから、決闘の類が没になると言うのは分かる。
「そして、出来れば目撃者は可能な限り少なく絞りたいです。あくまで喧嘩の範疇ですが、深雪は本当に
「場所に関しては、まあ手伝おうかな。ただ、何をやるか、だよねえ」
「……はい」
あの司波達也が珍しく、単純な戦闘能力ではどうにもならないことで苦悩しているのは、九重八雲にとっては趣深い光景であった。だから、解答は自分からは出さないことにした。
「そうだね、人生の先達として若人にアドバイスをするとしたら、自分だけで全てをやろうとしたら、どんな天才が幾ら手数を持っていた所でまるで足りやしない。そしてまあ、第一高校において、冴種真由美が一杯食わされる姿を見たいと言う人はそこそこいるんじゃないかな?全部実力で黙らせているとはいえ、傍から見た彼女は無法者そのものだし、当然、軽い不満は誰でも溜まるものだろうさ」
言いながら、その辺り、かつての冴種真由美は若者らしくなかったなと九重八雲は思いを馳せる。自らを勲功で縛り付けることを良しとしなかった事が理由の大半ではあろうが、結果として全てを自分、或いは身内の中でやろうとしなかった、それこそ自分に次いで適性があった身内を裏切ってまでそうしたからこそ、『虎杖』はこの国の外敵にとって、或いは十師族にとってもより厄介なものになったのだ。
「ねえ、雫、ほのか。ちょっとアイデアが欲しい話があるのだけれど、良いかしら」
司波深雪。国立第一魔法科高校に入学し、一科生としてこれまでの研鑽を認められて華々しいスタートを切った自分達に新しく出来た友人。自分達よりも更に上に立つお姫様。そんな彼女に真剣そうな眼差しで相談事があると言われて、北山雫と光井ほのかに否はない。そして、話を聞いてみれば。
「冴種先輩を九校戦に引っ張り出す為の賭け試合?」
「えっ、司波さんが冴種先輩と対決!?」
あの何でも出来たお兄様が此処まで悩む事態になっているとは。司波深雪は宿題に意外なほどに苦戦している兄の姿を見て何もしないほど薄情な妹ではない。それらしい建前をでっち上げて、自分でも親しいクラスメイトに相談するぐらいの事は普通にする。反応は案の定、新入生最強と第一高校最強の激突というセンセーショナル過ぎる話題に相談を受けた二人は周囲諸共ざわめくしかなかった。
「ちょっと、お兄様に隠し玉にしておけって言われた魔法も多分使うから、みんなには見せられないし、向こうにも本当の隠し玉を引き出せるものなら引き出してみろって言われちゃったから、ね?」
「はいぃ……」
あわあわとする光井ほのかに、術式の秘匿を理由に内緒の試合であることを強調して、ビッグタイトルマッチにざわめく周囲を笑顔とほのかな冷気で黙らせる。
「問題なのは試合のルールで、ハンデとしてこっち主導で決められるんだけれども……どうしたものかしらと思って」
「……深雪には悪いけど多分妥当。例えばスピード・シューティングなら先輩の異次元の射撃能力に真っ向から挑むことになる。深雪が射撃の腕に自信があるなら止めはしないけど」
「流石に無理よ。技量で先輩に今勝ちにいくことは現実的じゃない。だから、ある程度は力押しが通用するルールじゃないといけないのは分かっているわ。お兄様にも手伝って貰って、取り敢えず決闘形式のものは没にしたけれど……」
一方で眼にキリリとした光を宿すのは北山雫だ。九校戦の熱烈なフリークである彼女は、冴種真由美が九校戦に出て来ないのを大変残念に思っていた。
冴種真由美。七草家と言う十師族の中でも名門中の名門が輩出してしまった史上最悪の醜聞の化身。大所帯でもある七草でこれだけやらかしておいて平気な顔で魔法師業界を練り歩く姿から、逆説的に手が付けられないほどブチ抜けた史上最強と噂される埒外の化け物。Aランク魔法師、業界の星としてブイブイ言わせていた母すら真顔になってえんがちょする生ける災害。
それが今回、九校戦に引きずり出せるかも知れないとあれば、一人の九校戦大ファンとして、憧れは止められない。例え引きずり出した結果が大怪獣行進、その後は全部焼け野原であることが、この目で数日前に目撃した片鱗からも半ば目に見えているとしてもだ。
「なら、魔法競技かそれを捻ったルールにするのが一番楽だと思う。九校戦なら……ピラーズ・ブレイク*2」
「……私もお兄様も、そんなに魔法競技には詳しくないから、説明してくれる?」
「射撃と飛行魔法の名手でもある先輩相手に技量勝負を避けるなら、スピード・シューティング、ミラージ・バット、バトル・ボードは全部論外。この時点で九校戦の種目だとクラウド・ボールとピラーズ・ブレイクの二択に持ち込める。クラウド・ボールは多分我慢比べ、力付くがすぐに決定打になりにくいクラウド・ボールだと搦め手が生きる隙間ができて深雪には結構キツイと思う。だからピラーズ・ブレイク。12本の氷柱を用意して、先に全部氷柱を倒すか壊す……高さを半分以下にまで削ったほうが勝ち」
今までの大人しい様子は一体何だったのかと言う様子で熱弁し始める雫に幼馴染の光井ほのかは苦笑し、深雪は少し圧倒されながらも成る程と納得する。
「……ただ、逆に言えばそもそも深雪が先輩に力負けしたらその時点でピラーズ・ブレイクでも勝負に持ち込むのはキツイと思う」
「流石にそこで負けちゃったらどっちみちどんなルールでもどうにもならなさそうだから、そこは割り切って突っ込むつもりよ」
情熱のフルオート熱弁を終えて少し冷めた雫が、そもそも干渉力をはじめとしたパワーで深雪が真由美に優位を取れない限り状況は厳しいとボヤけば、そういう質問自体は織り込んでいた深雪自身は割り切って突っ込むという根性論じみた誤魔化しの一言。終わって結果が出た後は、入学時の十文字克人のアドバイス通り、先輩と談合して適当にカバーストーリーを挟んで傍目からは明確な決着がつかなかったように見せかける気満々である。無論、実際には正面からの力比べであれば勝てるという自信、ともすれば無自覚な驕りとも取れる四葉で育った魔法師としての自負が当然あるが。
ともあれ、試合の内容そのものは秘匿されるが、対決そのものは公表してよいこととして兄妹の間でコンセンサスは取っているし、便宜上貰ったアドレスへのチャットで真由美自身もOKを返している。よって、第一高校最強と新入生最強の間での九校戦出場を賭けた、秘匿術式の類まで皆勤してのガチ賭け試合の噂は一瞬で一高中を駆け巡る事となった。新入生勧誘週間がいよいよ始まるかと言ったときに投下された爆弾に一高中が沸き立った。
「司波さん……失礼ながら、噂が聞こえてきまして……」
市原鈴音は、起きた事態に静観を選べなかった者の一人である。
「市原先輩……その、すみません。私は先輩と本気で敵対するつもりはないですし、最初から九校戦に参加させるために試合を挑んだわけでもありません。ただ、その……」
「いえ、失礼しました。あの人は、決定的な敵対は滅多にしませんが、その……悪戯が過ぎる人ではありますので」
同じ生徒会のメンバーなので揉めたくはない。そう思うと司波深雪の返答はどうしても歯切れが悪くなるものだった。が、市原鈴音は事情がそう単純でないことを察してすぐに身を引く。
「あのバカにちょっと一発かましたい私情が出来た、と言った所か。まあ、理解も共感も容易い話だ。が、外野の俺達が噛むべきことではあるまい。九校戦に引きずり出してくれるのは嬉しくはあるが、無理はするものではない、というのが大多数の感想だろうな」
会長の十文字克人が口を開き、暗に静観を宣言し、それに話を聞いたものの多くが賛同するだろうとも付け加える。
「厳しいことを言うぞ、司波深雪。あれは腐っても実質的な七草の史上最強個体。まともに勝ちたかったらもう四葉でも連れて来いと言われてしまうレベルの傑物だ。誰からもまともな勝利など期待されていない。一先輩としては、どう決着をつけるにしても、お前自身が納得し、後腐れのない決着になることを望むばかりだ」
「はい。元々、この喧嘩はお互いにお互いへある僅かばかりの不満とかに落とし所をつけるためのものです。禍根は残しません」
その上で、冴種真由美がどういう化け物なのかを確認させた上で、決着の形には気を付けろと忠告する。冴種真由美に勝てる奴を探すならもう四葉に頼れ。そんな思考停止がしばしば伴う化け物が相手である以上、恐らくか細い勝ち筋を手繰り寄せて勝ったとしても、その後に自分が四葉だと思われるリスクは意識しろ、と。
克人自身は実の所、後輩が四葉か否かは特に気にしていない。冴種真由美と言う既存の秩序にはどうやっても収まれない怪物。彼女との腐れ縁でこの国の魔法業界のパワーバランスについては嫌でも再考する機会があった。
その中で、四葉については他国がこいつら相手にゲリラ戦なんかやりたくないとビビる、強そうな伏せ札であってくれれば一先ず良しとするしか無いという結論に至った。だから、十文字克人は実際にやりたいように出来る要素は殆ど無いだろうからと見え隠れする四葉の影については分かっていて見て見ぬ振りを決め込んでいる。
そもそも業界では鉄壁として通っているファランクスは、自分の死角である精神干渉魔法を前にすれば障子紙未満なのだから、*3介入しようにも割と無力であると自覚している。第一高校の中では何とか黙殺してみるから、どうか外国の連中はうちが割と伏魔殿になっていることに気付かないでくれと言うのが、最近の彼のちょっとあきらめ気味の切なる願いであった。
6/17夜:脚注追加、微修正、評価欄にコメント枠付けるの忘れていたので解禁