天正十年六月二日未明――。
京・本能寺に逗留中であった織田信長は、政道の最終段階ともいえる朝廷工作に着手していた。
中国方面への軍派遣を明智光秀に命じたことで、織田政権はほぼ万全の布陣を敷いたように見えた。
だが、この「満ちたりし構え」こそが、信長最大の隙であったとも言える。
本能寺を襲撃したのは、まさにその光秀であった。
「敵は本能寺にあり」
旧記によれば、光秀はそう吼えたとされる。
六月二日未明、丹波口から京へ雪崩れ込んだ明智軍は、わずか百数十の手勢で滞在していた本能寺を包囲した。
だがその時、すでに信長は異変に気づいていた。
「……光秀、貴様か」
彼が寝間を抜け出し槍を取って立ち上がったその背後には、密かに放たれた一書の報があった。
それは尾張から戻ってきた羽柴秀吉の使者がもたらしたものだったという──。
信長は即座に脱出を図り、壊滅寸前の本能寺を離れ、二条城に立て籠もる嫡子・信忠と合流。
奇襲を受けたとはいえ、その反撃は迅速であった。信長はわずか三日で兵を整え、逆に光秀を山崎で討つ。
この事件の後、政局は一変した。
明智の背後に誰がいたのか。密かに流された情報網、異様なほど光秀の挙兵が早かったこと。
そして事件の直後に最も利益を得た者──それは羽柴秀吉であった。
信長は沈黙した。しかしその眼光の奥に、冷え冷えとした猜疑の刃が輝き始める。
一度は天を掴みかけた男にとって、もはや頼れるのは己自身の剣のみである。
そして野望を胸に秘めたもう一人の男、秀吉もまた主君の異変に気づいていた。
六月四日、天王山の裾野には濃霧が漂っていた。山崎合戦は、戦国における転機と呼ばれるにふさわしい激戦であったが、後世に残された書状や軍記物からはいささか不可解な点が浮かび上がる。
明智光秀の軍勢、およそ一万三千。対する羽柴秀吉は、播磨からの強行軍で京に駆け上がり、山崎に布陣。手勢は一万五千とも一万八千ともいわれる。
だが肝心の戦端を開いたのは、秀吉軍ではなく織田信長の本隊であった。
「敵、北山より南下す」
山崎の合戦において特筆すべきは、信長本隊が近江方面より突如として姿を現したことである。
斥候が伝えた報は、羽柴秀吉の胸中に戦慄を走らせた。
通常、主将を失った軍勢の再編には十日以上を要する。それをわずか三日で整えたとされる信長の再起劇は、後世の軍記においても「信長不死説」の温床となった。
討ち漏らした光秀を討つため、老獪な勝家を先鋒とし、信長本隊は宇治川を越え、山崎の背後に回ろうとしていた。
これを聞いた秀吉は顔色を変えた。
本来、光秀討伐の功は自らが得るべきものと考えていたのだ。彼の目には信長の早すぎる復帰が、むしろ光秀との戦に便乗し己を押し潰そうとする意志の現れに見えた。
「前右府様……いや信長様は、あまりにも速すぎる……」
黒田官兵衛が小声で漏らした言葉には、もはや畏敬よりも、怯えに近い色が混ざっていた。
この日、戦は信長軍の突撃によりわずか数刻で決した。光秀は敗走し近江坂本にて最期を迎えたとされる。
だが光秀の遺骸を信長が見たという記録はない。
そして奇妙なことに山崎の合戦後、秀吉が信長と直に顔を合わせることもなかった。
主君の凱旋はひっそりと行われ、居城である安土城への帰還も報告一つなかったという。
この沈黙こそが後の混迷の幕開けであると誰が予想できただろうか。
六月十二日、安土城の大広間にて織田信長はひとり書状を睨んでいた。
それは羽柴秀吉からの戦後報告であった。丁寧な筆致で明智追討の武功を自らのものとせず、「これ偏に上様の威徳によるもの」と結んであった。
だが信長の眼は、そこに込められた不自然な謙譲を見逃さなかった。
「……黒田官兵衛、そして蜂須賀……こやつらは、合戦の当日、我が軍の動きを予測していたな」
信長は薄く笑んだ。それは決して愉快のそれではない。
光秀の挙兵は確かに唐突であった。だが唐突にしては羽柴軍の動きが迅速すぎた。
毛利との講和を成立させ姫路から京へ三日で進軍し、山崎に陣を敷いたのはまるで光秀の謀反を事前に予期していたかのようであった。
この疑念を信長は誰にも打ち明けなかった。勝家にも、丹羽にも、家中で最も信を寄せる森長可にも──。
その夜、安土城の城下町で謎の火災が発生する。
火元は城下の「南町」と呼ばれる地域で、羽柴家臣団の屋敷がいくつか並ぶ地でもあった。
翌朝、焼け跡から発見された遺体の中に、秀吉配下の間者と目される者の身元が含まれていたと後に記録される。
表向き、信長は不逞浪人の放火として処理させたが、実際には彼の私兵が裏で動いたとする異説も残る。
「天下人に身内の裏切りなど笑い草よ。ならば──その芽、早めに摘むまでだ」
信長の独白を誰も聞いてはいなかった。だがこのとき織田政権は、静かに内破へと向かっていた。
信忠が秀吉を「吉」と呼んだのは、まだ尾張を出る以前のことであった。
安土城の御前においても、信忠はこの小柄な武将を常に「吉よ」と呼び、微笑みを交えて言葉をかけた。
「吉よ、また母上に甘味を届けたそうだな」
「は、左様にございます。清州の菓子でございます。母上様が何よりもお喜びになりましたぞ」
「それは良かった」
信忠は、父に比して柔和であった。武辺者ではあるが人の心に寄り添う情理の人であり、家中の者たちからは「御曹司さま」と親しまれた。
信長もまたそれを否定しなかった。自らが猛火ならば、信忠は温き灯火であれ、と。
そのためかつて敵対していた武田の姫・松姫との婚儀も黙認し、さらには愛を育む時間すら与えていた。
そして今、信忠は、父と秀吉の間に吹きすさぶ嵐を前に自らの身体をその橋桁とすべく立ち上がる。
「吉……いや、羽柴殿。我が父は家を案じてのこと。今少し頭を垂れてはいただけぬか」
六月末、秀吉の本陣である堺に信忠が単騎で訪れた。
随行はわずか数名の近習のみ。これは己が命を賭しての訪問であると示す、信忠なりの誠意だった。
秀吉はこれを迎え入れた。いや迎えずにはいられなかった。
天下人たらんとする野心はなお残る。だが織田に対する感情的な恩義が、彼の心に決して拭えぬ影を落としていた。
「御曹司様……羽柴秀吉、今なお織田家の草履取りにございます」
秀吉の声音には、忠誠と自己防衛が複雑に織り交ざっていた。
信忠は、それでもなお微笑を崩さず、信長直筆の書状を差し出す。
和解の書状とされたその一札は、事実上の臣籍復帰の儀であった。
その言葉には、胸奥に潜む野心と罪業の火を抑え込むだけの理性と誠意が確かにあった。
「父は決してお前を見限ったのではない。ただ家を守る覚悟を、お前にも求めておる」
秀吉はそれを両手で受け取り、深く頭を垂れた。
その姿に信忠は少しだけ安堵した――。
だがその夜、秀吉の家臣・黒田官兵衛は、密かに尾張方面へ使者を放っていた。
信忠の誠は確かに届いた。だが、それが果たして野火を鎮める露となり得るのか。
あるいは燃え残りに薪をくべる行為だったのか。
それを知る者は、まだこの時点では存在しなかった。
信忠は優しすぎた。その温情は時として毒となる。
人の心の奥底に潜む欲に対して、無防備すぎたのだ。
信長と秀吉を対決させ織田家を疲弊させたい。
そう願う者は秀吉の陣中にも、信長の家中にも確かに存在した。
表向きは羽柴に従い、裏では動向を毛利・徳川へ通報する者。
信長の厳令を嫌い、羽柴の私的な譲歩に期待する者。
彼らにとって信忠は和の象徴であり、政争を未然に止める障壁だった。
その存在は邪魔である。
黒田官兵衛はそうした空気を敏感に察知していた。
己が仕えるべきは織田家ではない。羽柴家である。
その家が日輪の如く上昇するには、影をつくる必要があった。
「御曹司様があのまま政を担ぐならば、我らは所詮、脇役にすぎませぬ」
そう呟いたのは官兵衛の下で動く間者のひとりとされる。
秀吉はすべてを察していた。
官兵衛の才を疑ってはいない。だがその心根が毒にも薬にもなることを、彼は誰よりも知っていた。
「……信忠様に手を出したならば、たとえおぬしとて許さぬ」
その言葉は堺の奥屋敷にて、二人きりの密議の場で放たれた。
官兵衛は沈黙した。表情を変えず頭を垂れた。
「承知しておりまする」
だがその言葉の真偽を、秀吉自身も測りかねていた。
翌朝、秀吉は自らの近習である加藤清正、福島正則を信忠の護衛に命じた。
馬前に立ち常に側にあれ。何者にも傷一つつけさせるな。
とくに城下の往来においては、背中を見せるなとまで命じた。
清正は血気盛んに頷き、正則は三つ年上の信忠に対し、甲冑の下から俺たちが絶対に守りますると言って笑った。
秀吉は胸の内で呟いた。
(……信忠様が笑ってくださるなら、それでええ。わしの野心はそれが壊れてからでも遅うはない)
だがこのときすでに尾張、美濃の国境ではある風説が流れ始めていた。
曰く――信忠公、堺にて暗殺さると。
安土の天守にて、織田信長は静かに風を聞いていた。
信忠、堺にて討たれたり――。
そんな噂が美濃と尾張の街道筋で流布したのは、堺訪問からわずか三日後のことである。
民衆の口にのぼり商人の荷に紛れ、辻講釈の語り草に混じってあたかも既定の事実のように広がっていた。
だが信長はそれに対して怒号一つ発しなかった。
「羽柴め、ついに信忠を……」と憶測を述べた家臣のひとりは、何の咎めも受けぬまま謹慎となった。
翌日には目付筋の者たちが大量に堺方面へ放たれた。
信長は信じていた。
信忠と秀吉の絆、そして信忠が送ったあの筆致の滲み出る誠の気配を。
「吉は、必ず父上に頭を下げてくれるはず」
そう語った息子の目を、信長は家督を託す者の眼として受け止めていた。
それゆえ撃発はしない。ただ徹底的に探る。冷たく正確に。
「なぜ、堺の出来事が尾張の辻にて、真実のように語られる?」
信長の言葉に丹羽長秀が眉をひそめた。
「商人筋ではございませぬ。……仏門筋、ならびに医師の往来に混じって伝播したようにございます」
「仏か。では、寺社の中に飼われておる蛇がいるな」
信長は立ち上がると、静かに命じた。
「堺の坊主どもを洗え。公家筋、堺奉行衆、幕臣の下人、誰であろうと例外は要らぬ」
「はっ」
その命に従い、堺の数寺が監視下に置かれ、堺商人の往来帳が織田家の書役所で精査された。
その中に紛れ込んだ一通の文が、尾張・津島の商人から、美濃・稲葉山の廻船問屋に宛てたものであった。
そこには――こう書かれていた。
「此度、羽柴殿と信忠様の和睦ならずとの沙汰、安土の御気色、大いに変わりたり」
この書状を記したのは堺妙國寺の僧籍を持つ者。
出自は雑賀。秀吉の配下ではない。むしろ信長を警戒する寺社の一派であった。
信長は口を開かず、ただ一筆したためた。
――即日誅殺せよ。
それが「沈黙の裁き」であった。
信忠は生きていた。秀吉は手を下していない。
だが二人を分かたんとした者が、確かに存在する。
その風を信長は許さなかった。
信忠の説得を受けた秀吉は、ようやく決断を下した。
堺の屋敷にて軍議を開き、諸将を集めると、端的に告げた。
「わしは安土に向かう。上様に拝謁いたす」
一瞬、場が静まった。黒田官兵衛がわずかに表情を動かしたが言葉は発しなかった。
秀吉は続けた。
「麾下の軍勢は小一郎――秀長に預ける。皆はそのまま播磨に戻り、中国の備えに入れ。わしがこのまま京・畿内に兵を残せば、上様に無用な不信を抱かせるだけじゃ」
これは明確な意思表示だった。
信長の不安材料を取り除くこと。それが秀吉なりの誠であった。
小一郎秀長は深く頭を下げた。
「兄上のご武運、陰ながらお祈りしております。……羽柴家のことは拙者にお任せを」
秀吉は笑みを浮かべ秀長の肩を叩いた。
「そなたがいれば、わしも安心じゃ」
翌日、秀吉は二十騎ばかりの小勢を率いて、信忠とともに安土に向けて発った。
その道中、清正と正則はあくまで信忠の側に付き、警護を解かぬままであった。
そして安土城。報が届いたとき、信長は天守の上階から琵琶湖を望んでいたという。
「秀吉が兵を播磨に戻したと?」
伝令に頷かれ、信長はしばし無言のまま湖面に映る雲の流れを眺めていた。
「……うむ。ならば今はよしとする」
その声には抑えた安堵の響きがあった。
秀吉が未だ理を保っている。
軍を連れぬまま戻るという選択は、信長にとって己の眼が未だ曇っていないことの証左でもあった。
吉は戻る。息子とともに。
あとは対面にて心を見るのみ。
だが信長の背後に控えていた柴田勝家は、なおも眉根を寄せていた。
「殿、くれぐれもご油断召されませぬように」
「……それは我が嫡男にも向けての忠言か?」
その一言に勝家は返答を詰まらせ、やがて無言で深く頭を下げた。
安土へ向かう途上、信忠は鷹狩の名所として知られる宇治川の河原に馬を止め、しばし川音に耳を澄ませた。
彼の脳裏には、まだ少年のころの記憶が残っていた。
織田の家がまだ統一の途上にあった時分、柴田勝家の膝の上でじゃれた幼き日のことを、今も鮮やかに覚えている。
「かつて勝家殿の髭を引っ張って怒られたことがあったな……。あれは儂が五つのときだったか」
信忠は微笑んだ。
勝家は本気では怒らなかった。いつも厳めしい武辺者の顔をしていたが、信忠が膝に乗れば口元を緩めて抱きとめた。
その髭はくすぐったくて、けれど安心できた。
彼にとって柴田勝家は、ただの武将ではない。父に似ていながら、父とは異なる大きな父性を感じさせる存在だった。
そして秀吉。
吉と呼ぶその人は、少年期から何かと自分に甘く、戦の話よりも茶の話、道具の話、菓子の話をしてくれる男だった。
何よりも母の笑顔を引き出してくれる数少ない家臣だった。
信忠にとって勝家と秀吉は、ともに家族であり、血の繋がりはなくとも心の絆は確かにあった。
(父上も、それを知らぬはずはない……)
信忠は天を仰いだ。
父が非情であることは承知していた。だが、それでもなお、織田の家を貫く矜持の中には、武よりも和を重んずる場面があると信じていた。
「わしは家族で争うところなど、もう見とうないのだ……」
その呟きは風にかき消され、そばを歩く清正も正則もそれに気づかぬふりをした。
やがて一行は近江路に入り、湖畔を抜けて、安土の城が見える高台へと至った。
山腹に広がる白壁の城郭が日差しを浴びて銀に輝いていた。
信忠は馬上から視線を上げた。あの城の上にいる父が、もし一目でも吉と語らえばと願うならば、すべてが救われるのだと。
だがそれはまだ誰にも分からぬ、願いの域でしかなかった。
天正十年七月初旬、安土。
午後の光が天守を黄金に染める頃、城門の前に織田の軍旗がなびいた。
信忠と秀吉の一行が、登城のために石段を上り始める。甲冑の音、蹄の響き、鳥の囀りすら押し黙るような緊張が張り詰めていた。
だが門前には意外な光景が広がっていた。
織田信長自らが門外に立っていた。
その傍らには柴田勝家。どちらも甲冑ではなく、略装ながらも正装の風をまとっている。
「父上……!」
信忠が一歩、馬を進めた。その顔には少年のような笑顔があった。
家中の誰よりもこの邂逅を信じていた者の表情だった。
だが、その瞬間である。乾いた銃声。
誰よりも先に声をあげたのは、福島正則だった。
「殿ッ――――!!」
次の刹那、信忠の胸が赤く染まり、馬上から崩れ落ちた。
後背から放たれた火縄の一弾は、胴丸の隙間を見事に突き心臓を貫いていた。
「信忠っ!!」
信長が咆哮した。だがその声が届くより早く、清正が身を投げ出して信忠の身体を抱き留めた。
血が溢れ口元から紅が零れ落ちる。だが信忠は微笑を浮かべていた。
「父上……吉よ……仲直り……して……くれ……」
言葉はそこで絶えた。
騒然とする門前。
兵が駆け周囲を囲み、物陰から飛び出そうとする者を捉えようとするが――射手の姿は、どこにもなかった。
信長は動かず、ただ拳を握りしめた。
柴田勝家は、嗚咽をこらえながら地に膝をつき、手を血に染めていた。
「若……わしの、我が子のような若……」
その傍らで秀吉は膝をついたまま、一滴も涙を流さず、両の眼を血のように赤くしていた。
無言のまま、握りしめた拳が地を抉る。
「――誰じゃ……誰が、やった……!!」
それは、織田家の誰にも向けられた怒りではなかった。
この時代そのものに向けた、絶叫であった。
信長は沈黙のまま、膝を折った息子の亡骸に手を伸ばした。
その指先は震えていたが、どこまでも優しかった。
「……阿呆め。和を望むには早すぎたのだ」
そして信長と秀吉の視線が、初めてまっすぐに交差した。
その眼に映るのは、もはや主従ではない。
戦友でもない。
――同じ喪失を抱いた、父の目であった。
信忠が斃れたのち、安土城は葬儀の静寂と報復の怒号に包まれた。
喪の空気は重く、鐘の音が響くたびに家臣たちの顔は険しく瞳には血が滲んでいた。
織田信長は何も語らなかった。
秀吉もまた表情を一切変えぬまま、喪服も着けず、ただ信忠の遺体に膝をつき、三日三晩、離れなかったという。
その間、一滴の涙も見せず、食も取らず、酒も断った。
そして三日後、遺体が荼毘に付される朝、ようやく口を開いた。
「わしの命を持ってしても、あの若は報われぬ。……だが犯人は殺す。草の根の下でも、地の底でも、引きずり出して斬る」
その言葉が織田家中の総意と重なった。
誰もが思っていた。
あの時、秀吉が銃を放つはずがない。
軍勢を下げ、単身で戻ってきた男にそれをなす理由がない。
むしろ信忠に忠誠を尽くしていたが故に、秀吉はこの上なく危険な目に遭った。
そして彼は、織田家の者たちにとって、もはや無二の遺族となった。
柴田勝家は、声を震わせながら諸将に命じた。
「若の敵を討て。戦場で死なせてやれなんだぶん……わしらが殺す」
丹羽長秀、滝川一益、前田利家、蜂屋頼隆――彼らは躊躇なくうなずいた。
普段は派閥や縁者で分かれる織田家中が、この一件で完全にひとつになったのだった。
火急の報は、美濃・越前・尾張・伊勢・播磨・山城の目付筋に届けられた。
配下の諜者、伊賀者、雑賀の浪人に至るまでが動員され、こう命じられた。
「信忠様を撃った下手人を、草の根を掻き分けてでも見つけ出せ。必ず殺せ」
そのときから近畿は沈黙の追討戦に突入した。
誰もが耳目をとがらせ、闇に生きる者たちまでもが震え上がる事態となった。
そしてこの報復の渦中、唯一沈黙を守り続ける者がいた。
――織田信長である。
彼の怒りがどこに向かうのか。
それを知る者は、もはや一人も存在しなかった。
信忠を撃った弾は、火薬と鉛のかたまりにすぎぬ。
だがそれを引かせた指と、命じた口、得をした者――それこそが真の黒幕である。
秀吉は喪が明けぬうちに密かに筆と書簡を取り、幾つかの命を下した。
誰にも知られぬよう、手はすべて縁遠い旧友や無籍の隠密に託した。織田家の諜報網ではなく羽柴個人の根を使った。
(信忠様が死んで得をするのは誰か――)
その問いのもと、秀吉は冷静に書きつけていく。
一、織田家嫡男が斃れたことで後継は宙に浮いた。
二、他の御曹司──信雄、信孝は性格に難あり。器に非ず。
三、ならばその背後で実権を握ろうとする者が現れる。
(……だが、あの二人にそんな覚悟も器量もない。神輿に乗せられるだけの男たちよ)
ならば狙いは何か。織田の混乱そのものか。
自然、疑念は家中の下へと向いた。
(わしでもない、勝家でもない。だがその配下ならば?)
秀吉の筆が、そこで止まる。
黒田官兵衛。
策士にして、胆力ある野心家。
表向きは忠義を尽くしているが、その胸中を読む者は少ない。
光秀の乱後、謎めいた行動も散見された。
(……ありうる。わしを天下に導き、自らもその手綱を握る)
信長に報告すれば、官兵衛の命は即座に絶たれるだろう。
あの男は容赦しない。問答無用の拷問と斬首が待っている。
だがそれでは、真の動機も共犯者も炙り出せぬ。
(この件は、わしがやる。確実な証拠か、証言が得られるまでは……誰にも知らせぬ)
秀吉は命じた。
播磨から戻ったばかりの堀尾吉晴に、堺と京の僧坊を巡らせた。
さらに蜂須賀小六には、摂津の渡しに張り込ませ、官兵衛の私的な動きを逐一記録させた。
そして信長には何一つ伝えなかった。
「上様には、今は喪の中におられる。追撃の手をかけて無実なら、それも罪。……怒りはどこかで止めておかねばならぬ」
織田信長という男の恐ろしさを、秀吉は誰よりも知っていた。
息子の仇に対して、理屈や情ではなく絶対の罰を下す主君であると。
だからこそ、秀吉は密やかな狩りを始めた。
いずれ証拠は見つかる。必ず。
――そのときこそ、仇は必ず地に伏せる。
信長は黙して語らなかった。
喪に伏したわけではない。怒りに飲まれたわけでもない。
ただ静かに、政庁の奥で書状と地図と人名録を前に、一人の鷹として獲物を見下ろしていた。
信忠は殺された。秀吉ではない。勝家でもない。
その二人を排して利を得る者――その推論は、秀吉と寸分違わぬ形で信長の中にも到達していた。
(黒田官兵衛、あやつ……なれば、あやつは独りで動いてはおるまい)
信長の思考は、決して一点を見て終わることはない。
光秀の裏切り、浅井・朝倉の謀計、松永久秀の翻心──あらゆる局面で、人は単独で裏切らないと学んできた。
(背後に大きな構えがある。あやつらの動きは将を討つ戦ではない。家を壊す戦だ)
信忠が死んだ今、織田家はその柱を失った。
残る息子たちは神輿にはなれても舵は取れぬ。
(信孝、信雄……あやつらに天下は任せられぬ)
ならば、次に織田の旗を掲げ、担ぐ者は誰か。
一、柴田勝家──古き忠臣、武威に優れ、信長と信頼の絆は深い。
一、羽柴秀吉──民心に通じ、人を操る術に長ける。恩義は深い。
一、そして……徳川家康。
信長はその名を口にせずとも、筆に記した。
(あやつは動かぬ。が、機を見て嗅ぎつける狐よ)
信忠を討った手が黒田官兵衛に繋がるならば、誰がそれを庇い得るか。
誰が織田の家が傾く時、密かに担ごうと目を光らせているか。
家康である。
元康と呼んだ少年のころから、手を汚さぬ謀略の巧者であることを信長は見抜いていた。
(秀吉は怒りに沈み、勝家は義に生きる。ゆえにまだ扱える。だが家康――あやつだけは、野に潜む獣よ)
信長はその夜、誰にも告げず、信貴山城の旧跡に向けて一通の密書をしたためた。
信長は撃たない。だがそれは情ではない。
彼は、いま静かにすべてを見通そうとしていた。
駿府・東照庵。
梅雨が明けぬ空の下、徳川家康は独り静かに文机に向かっていた。
帳面は未だ白紙。筆は握られていたが、一文字も記されぬまま、ただ親指の爪を、無意識に噛んでいた。
(……ばれた、か)
自認があった。
信忠を消すことで、織田家の継承に亀裂が生じる。
織田の家を崩壊させ、天下の正当性を失わせることこそが、徳川にとって最大の機会である。
信忠が生きている限り、その道はない。
そのために、家康はかつての本能寺の変の際、尾張との国境に兵を集めていた。
自身は伊賀越えという追われる側のアリバイを演じ、軍の動員には触れず、まるで被害者として振る舞った。
それは成功した。
――だが、今回は早すぎた。
信忠を撃ったのは、父・信長の目前であり、秀吉・勝家という双璧の武断が揃った場であった。
これでは焚きつける暇もない。
分断も謀略も、すべての余地を奪われた。
(愚か者め。どこで引き金を……いや、それともあえてか?)
家康は、配下の報告を思い返していた。
尾張方面の間者より黒田官兵衛の動きが不自然との報告があったのは一月前。
堺から妙心寺経由で誰かが伊賀に文を送ったのも掴んでいる。
裏で繋がる者が、己の策を前倒しにした可能性がある。
――信忠を一人の場で討て。それが密約であった。
誰の仕業とも知れず、疑念だけが残る形で。
それがあの場での露骨な銃撃に変わった。
もはや謀略ではない、愚行である。
(……あれでは信長の眼も、秀吉の嗅覚も、疑わぬはずがない)
家康は小さく舌打ちした。
自らが関与していた証拠はない。
ないように動いてきた。
だが信長という男は、証拠では動かぬ。確信があれば討つ。
そういう男であると、誰よりも知っている。
あの日、三河の野で初めて相対して以来、ずっとその背を見てきた。
家康は文机から立ち上がり、庭を見下ろした。
松の枝に鳥がとまりすぐに飛び立つ。
(――隠し通せるか。あるいは……)
彼は初めて本気で考えた。
信長と正面からやるしかないかもしれぬと。
そのためには準備がいる。
三河・遠江の兵、今川旧臣、甲斐・信濃の手配、上杉への使者。
いや、まだだ。焦るな。いまは動くべきではない。
家康は深く息を吐いた。
そして再び机に向かい、今度こそ筆を取り上げた。
一文字、したためる。静観と。
安土の一隅。城の外郭に設けられた武者詰にて柴田勝家は一人、床几に座して地図を眺めていた。
その姿は、かつて越前・加賀を制した鬼柴田のそれではない。
ただ静かに、獣のような嗅覚で時勢を嗅ぎ取ろうとする老将の顔であった。
(敵は、どこだ)
勝家は軍人である。武勇で鳴らし、冷静な判断で敵味方の策を読み切る。
信長の軍事行動に常に最前線で従い、また秀吉の戦も一歩引いて観てきた。
いや、観るというより、観察し、解析し、記録する眼を持っていた。
目の前の地図には、各国の国境と城の位置、軍勢の常備兵数、兵站線が朱筆で細かく書き入れられていた。
そのすべては、戦が起きた際の想定行動計画のためにある。
(上杉、違う。毛利も遠い。北条……あやつらは身動きがとれん)
そして、ふとある名が浮かぶ。
徳川。
勝家は眉をひそめた。
同盟国である。信長が手を結び、娘を嫁がせた相手。
だが最も疑うべきは、得をする者である。
信忠が死んだ今、織田の家は宙に浮いている。
次の家長が決まらねば、各国の家臣団も対応を決められぬ。
混乱すれば、主導権は誰かが奪う。
(わしと秀吉、そして……家康)
その三名しかいない。
他の御曹司たちは、せいぜい神輿に過ぎぬ。動かす者が必要となる。
(秀吉では政道が乱れる。わしでは民心を得られぬ。ならば間を狙うのが……あやつ)
家康。
若き日、桶狭間の後に信長と面通ししたとき、あの男の眼に宿っていたのは、支配の炎ではなく秤の光だった。
すべてを秤にかけ、勝てると見れば動き、損と見れば沈黙する。
そういう男が、今この混乱の中で沈黙している。それこそが不穏であった。
「親父殿……」
背後から声がした。前田利家だった。
「……上様の御前より戻りました」
「どうだった」
「秀吉と明日、三人会すようにとの仰せです」
勝家は頷いた。
「良い。……上様も気づいておられるな。やはり、狐よ」
「狐……徳川、ですか」
勝家は言葉を返さず、ただ地図の三河のあたりに指を滑らせた。
そして静かに言った。
「――儂は武を持って、織田の楯を務めよう。殿の楯をな」