ぼく、メタモン 作:輸出企業カイオーガ
古びた民家の縁側で、柔らかな日差しを受けて、ボクは丸まっていた。
生まれてまだ、そんなに時間は経っていない。だけど、身体の中には燃えるような何かがある。
――誰にも負けたくない。
それがボクの最初の感情だった。
ガラガラッ。
引き戸が開いて、誰かが足音を立てて入ってきた。
少年だった。背は高くて、ちょっと猫背で、だけど目だけは尖ってる。
「……こいつが?」
その声には期待も愛情もなかった。
「は?イーブイ?いや、マジで?」
おばあちゃんが言った。「この子は特別な子よ。エーフィの卵から生まれて――」
「エーフィって、エスパーの? 俺、バンギラス欲しかったんだけど」
――なんだコイツ。
目が合った。睨まれた。なんでそんな顔すんのさ。
まだ何もしてないのに。
「しかも、まだガキじゃん。進化もしてねぇし。使えるの、コレ?」
……カチン。
ムクッと立ち上がって、ボクは小さな前足で地面を蹴った。
「おい、なに――」
構わず、一直線に突っ込む。
このムカつく顔面めがけて、まっすぐに。
たいあたり!
「うわっ!? なにすんだよコイツ!!」
少年は仰け反りながら尻もちをついた。
ボクはその場に立って、シッポをピンと立てたまま彼をにらんだ。
――ナメんなよ。
ボクは、オマエの“おもちゃ”じゃない。
しばしの沈黙。
おばあちゃんは笑いもせず、ただ目を細めて言った。
「仲良くなれるには、まだ時間がかかりそうね」
ガサガサッ。
茂みの向こうから、一本のツタがうねるように飛んできた。
ユウトが叫ぶ。
「よけろ! イーブイ!」
けれど、ボクの足は地面に沈んだまま動かなかった。
キャタピー。
ありふれた、弱いはずの虫ポケモン。
だけど、森の中では関係ない。こっちはまだ生まれたばかりで、ろくに技も知らない。
頼れるのは本能と、あと、プライドだけ。
「おい、動けよ!なんで勝手に突っ込まないんだよ!」
うるさい。黙れ。
さっきからずっと指示がバラバラ。言ってることは毎回違うし、タイミングも最悪だ。
おまけに「勝てるだろ」って顔してたくせに、もう焦ってる。
ツタが当たって、ボクは転がった。
地面の匂い。乾いた土。遠くで鳥ポケモンの声。
だけど、それより――この負けそうな状況が、何よりも悔しかった。
「イーブイ、かみつけ!! ……って、あ、覚えてないのかよ!?」
わかってないな。
覚えてない技は、出せないんだよ。
それくらい、理解してくれ。
それでも、ボクは立ち上がる。
プライドだけは、負けない。
キャタピーが向かってくる。
今度は、こっちから――
たいあたり!
ぶつかった瞬間、キャタピーも吹き飛んだ。だけどボクもヨロヨロだ。
「や、やった……いや、ギリか?」
ユウトがほっとしたように、でも困ったように息を吐く。
勝てた。だけど、なんて疲れるバトルなんだ。
⸻
ユウトはモンスターボールを取り出しながら、呟いた。
「……バンギラスだったら、楽勝だったのに」
その言葉に、ボクの背中がピクリと動いた。
またそれか。
……まだ言うか。まだそんなこと、言うのか。
いつか言わせてやる。
「イーブイでよかった」って。
それまで、ボクは進化なんかしない。
絶対、してやらない。
焚き火のパチパチという音だけが、森の中で響いていた。
ユウトは寝袋にくるまり、空を見上げながら、また言った。
「バンギラスだったらなぁ……」
……またそれか。
「バンギラスだったら、今ごろバッジ2つは取れてたよな。イワークとか一撃だし、威圧感もあるし。なんかもう、存在が強いじゃん。強キャラの風格っていうかさ……」
イーブイのボクは、その話を木のそばで聞いている。
というか、聞かされている。
寝る前までバンギラス。
こいつの頭の中には進化と岩と悪タイプのことしかないのか。
「やっぱ、バンギラスってすごいよなぁ……おやすみ、バンギラス……」
いや、ボクに言えよ。
⸻
翌朝。朝露の残る草むらで、ボクは前足で顔を洗っていた。
ユウトがのびをしながら、寝袋から出る。
「ふぁ〜……やっぱさあ、バンギラスって、朝からテンション上がるよな」
おい。
「もしバンギラスがいたら、朝イチで“かみくだく”とかで目覚ましにできるじゃん? 超便利だよなー」
おい。
「岩タイプの防御力で、野生ポケモンも余裕だし、砂嵐で虫除けもできるし……マジで万能」
……ッッッ!!!
ボクはユウトの靴ひもに、全力でたいあたりした。
「うわっ!? おまっ……なにすんだよ朝っぱらから!」
そりゃそうだろ。
朝の挨拶より先に“バンギラス”って単語言われたボクの気持ち、少しは考えろ。
にらみつけると、ユウトはポリポリと頬をかいた。
「いや、悪かったよ。でもさ、おまえがバンギラスくらい強かったらなあ……」
……。
ボクは木の根元に戻って、わざとそっぽを向いた。
――絶対、進化してやらない。
ぜったい、“バンギラスっぽく”なんか、なってやるもんか。
あいつ、また言ってた。
「やっぱバンギラスがよかったなー……」
「イーブイ、まぁ悪くはないけど、なんかこう、違うんだよな……」
ボクは夜の草むらで、目を閉じながら尻尾をピクピク揺らしていた。
もう寝たい。けど、悔しくて寝られない。
なぜなら――
いっそ、いわタイプになってやろうかと本気で考えてしまったから。
バカか、ボクは。
イーブイには、いわタイプの進化先なんて、ない。
みず、ほのお、でんき、くさ、こおり、あく、エスパー、フェアリー……どこを探しても「いわ」なんて出てこない。
それがなんだ。
ボクがなりたいのは、“ボクらしさ”の先にある進化であって、
あいつの要望を叶えるための進化じゃない。
……なんで、ちょっとでもなろうとした?
なんで、少しでも考えたんだ。
あいつに認められたくて?
違う。そんな理由で進化なんて、絶対イヤだ。
寝袋の中で寝息を立てているユウトが目に入る。
無防備な顔。安心しきっている。
あの顔で、「バンギラスがよかった」とか言うんだ。
ふざけるな。
……気づけば、前足が動いていた。
ボクはユウトの顔の前に静かに立ち、
後ろ足で――
ザッ!! ザザザザザッ!!
「ぶふぁっ!? な、なんだ!? うわっ、砂!? 顔に砂!?」
“すなかけ”モーニング。
全力で叩き起こしてやった。
「おまっ……イーブイ!? なんでいきなり……!」
にらみつけて、ボクは背を向ける。
――知るか。
“いわタイプ”にさえなれないボクが、
おまえのために進化すると思うなよ。
そのあと、何日もかけて街へ辿り着き、ジムの門戸を叩いた。
バトルは、想像以上に長引いた。
ボクはすでに足元がふらついていた。
相手はカブトプス。いわ・みずタイプ。
どちらも、ボクの技が通りにくい。
それでも、何度も何度も、たいあたりを繰り返した。
ユウトの指示は雑だったけど――
今回は違った。
初めて、目が合って、タイミングが合った。
声が、届いた。
そして、カブトプスが倒れた。
ジムリーダーが手を挙げる。「勝者、チャレンジャー・ユウト!」
拍手。歓声。
その中で、ジムリーダーがバッジを差し出す。
「これは、きみの――」
パチン。
その手が、ユウトの手によって振り払われた。
「後でいいです! 今は、あいつが……!」
彼はボクを抱き上げた。
熱い。手が震えてる。
「大丈夫、大丈夫だからな……!」
そう言いながら、彼はジムを飛び出した。
階段を駆け下りる。街を抜けて、ポケモンセンターへと走る。
「あと少し……あと少しだから……!」
ボクは目を閉じながら、彼の腕の中で揺られていた。
心臓の音が早い。彼の、じゃない。ボクのでもない。
ふたり分の鼓動が、重なっているみたいだった。
センターの扉が開く。
「お願いします!! 今すぐ、この子を!!」
ジョーイさんがボクを抱き取って、治療室へと消えていく。
その瞬間、彼の顔が見えた。
……見たこともない顔だった。
強がりでも、虚勢でも、プライドでもない。
ただ、本気で誰かを心配してる顔。
夜のポケモンセンターは静かだった。
治療室のベッドの上。
ボクはもう、だいぶ楽になっていた。
……正直、あの時はヤバかった。
あのまま技を受けてたら、倒れていたのはカブトプスじゃなくて、ボクだった。
けど。
あいつは、勝ったことより、バッジより、ボクの方を選んだ。
……あんな顔、初めて見た。
ずっと“強がりの塊”みたいだったくせに。
「バンギラスだったら」しか言わなかったくせに。
目、真っ赤だったじゃんか。
⸻
静かにベッドを抜け出す。
傷はまだ少し痛むけど、歩けるくらいにはなった。
廊下のベンチに、あいつがいた。
うずくまるようにして、座ったまま眠ってる。
手は力なく膝の上。片方の靴は脱げかけていた。
……まったく。どこまで不器用なんだか。
ボクは、そっとその足元へ近づく。
ベンチの下、冷たい床。
けど、あいつの足の近くなら――
なんか、ちょっとだけ落ち着く。
――まぁ、認めてやってもいいかな。
強さとか、バンギラスとか。
そういうの、ぜんぶ含めて。
「おまえ、悪くないかもな」
そんな言葉を、心の中だけで呟いて。
ボクは、彼の足元で静かに丸まった。
朝になるまで、そこで眠った。
「やっぱり、イーブイとユウトのコンビ、強すぎるって……」
「この前の大会でも三タテされたよ……」
「交換してくれって頼んでも絶対ダメって言われるらしいよ」
そんな噂が、いつのまにか他の地方まで広まっていた。
旅の途中で、いろんな人が声をかけてきた。
強者たち、コレクター、プロのトレーナー。
「そのイーブイ、すごいな。バトルセンスも判断力も一級品だ」
「うちのポケモンと交換してみないか? リザードン、ミミッキュ、ジュラルドン……なんでもいいぞ」
でも、ユウトは笑って断った。
「こいつは、俺のパートナーだから」
「勝ち負けより、こいつと戦うのが一番面白いんだよ」
……言葉じゃない。
でも、ボクにはその“顔”がすべてだった。
その後もボクたちは有名になり続けた。
大会後、ひとりのトレーナーが駆け寄ってきた。
スーツ姿で、気の抜けた笑顔。それでいて、持っているモンスターボールは、重みがあった。
「君が、ユウトくんだね? すごい試合だった。まさか、イーブイの進化形でここまで……いや、ブラッキーでもあそこまでの連携はなかなか見ない」
ユウトは少しだけ身構える。
男が懐から、ケースを取り出した。
中にあるのは、プレミア仕様のボール。
その中身を言う前に、なんとなくわかった。
「どうだい? バンギラスとの交換、考えてみないか?
うちの個体は珍しい色違いでね、性格補正も完璧。きっと君の手で化けるよ」
背後で、ボクの耳がピクリと動いた。
……まさか。
今さらバンギラス?
あれだけ言ってたバンギラス?
“夢のポケモン”が、手の届く距離にある――
ユウトの肩が、少しだけ揺れた。
ボクは一瞬だけ目を細める。
背中に微かな緊張が走る。
けど、その次の瞬間。
あいつは、笑った。
そして、即答した。
「いえ、いらないです。俺――イーブイがいいから!」
一拍、静寂。
男が「……そうか」と苦笑して立ち去る。
ユウトはボクをちらっと見る。
ボクは視線を逸らす。
――ちょっとだけ、焦った。
でも……聞こえた。
「イーブイがいいから」。
その言葉は、
ずっと、ずっと、欲しかったものだった。
⸻
その夜、満天の星空の下。
人気のない草原で、ふたりきり。
風がやさしく吹いて、虫ポケモンの声が遠くから響いている。
ユウトがボクを抱き上げた。
ぎゅっと、優しく、でも決して手を緩めずに。
「おまえさ……よくここまで一緒に来てくれたな」
ボクは、あいつの胸の中で、静かに目を閉じた。
何かが、満ちていた。
あたたかくて、柔らかくて、静かで。
気づけば、身体の中に――光が集まっていた。
白い、進化の光。
ユウトが小さく息を呑んだのが、わかった。
光は、ボクを包み込む。
まるで、何かを“決意する”ように。
まるで、何かを“許す”ように。
そして、その光の中で。
ボクは――ブラッキーになった。
⸻
「……あく、タイプ……?」
ユウトが呟く。
それは、かつて彼が何より憧れていた、バンギラスと同じ属性だった。
偶然だったのかもしれない。
けれど、ボクにはわかっていた。
きっと、これは“選んだ形”だった。
ユウトの願いを、ほんの少しだけ叶えてやる。
でも、ボクのままで。
ずっと一緒に、戦ってきたから。
ずっと一緒に、笑ってきたから。
この進化は、誰のためでもなく――ふたりのための進化だった。
⸻
ユウトがそっと、ブラッキーになったボクの背をなでる。
「……強くなったな、おまえ」
ボクはちょっとだけ、尻尾を揺らした。
ありがとう。
でも、これからが本番だよ、トレーナー。
草原の真ん中で、風が止まる。
ユウトはブラッキーになったボクを見て、ちょっと得意げに笑った。
「やっぱりさー」
……また始まった。
「あくタイプなら……」
……言うなよ?
「かみくだく! だよなー!!」
……言った。
ボクが鼻先でため息をつこうとした、その時。
「うわ、いけんじゃんこれ! いけるいける、使おうぜ、今すぐ!」
ユウトがテンション高く言ってきた。
ボクは静かに顔を逸らした。
もう、こいつは本当に……
でも。
その時、彼がふと呟いた。
「……ていうかさ。あれ? ブラッキーって……」
沈黙。
「充分になついてないと、進化しないんじゃ……?」
……………………
しまった。気づかれた。
ボクの耳がぴくっと動いた瞬間、ユウトの顔がニヤッと歪む。
「なぁ、おまえ、めちゃくちゃ懐いてたってことだよな!?」
やばい。これはまずい。
ボクはくるりと背を向けて、その場から静かに歩き出す。
「おいおいおい!? 待てって! ちょ、顔赤い! バレバレじゃん!!」
足音が近づいてくる。
逃げる。草を踏む音。必死で逃げる。けど、追ってくる。
「ついにおまえがデレた瞬間、俺見逃さねぇからな!!」
「…………!!」
追いつかれた。
「つかまえた!」
ぎゅっ。
腕の中で、あいつが笑ってる。
「やれやれ……ま、これからも頼むよ、相棒」
ボクは仕方なく、肩にあごを乗せた。
――まあ、悪くない。
満更でもない顔で、夜空を見上げる。
静かに揺れる尻尾。
草原にふたりきりの、静かな夜だった。