-ミリス教の教義
・一人の相手を愛すべし
・人を助けるに、人を頼る無かれ
・汝、礼を失することなかれ、恩を忘れる事なかれ
・騎士はいかなる時も忠義を忘れてはならない。だが時には愛する者の守護を優先すべし
・子を為すことは人々の定めなれば、忌避することなかれ、なれど溺れるなかれ
・汝悩みたまえ、悩むことから逃げることなかれ
(某考察wikiより)
ラトレイア家には、訪問の旨をあらかじめ丁寧な文面で手紙に書き、数日前に送っておいた。
そして約束の日、俺とパウロは街の貸衣装店で貴族向けの礼服を借り受け、慣れない服に身を包みながら、少し緊張した面持ちでラトレイア家へと向かった。
屋敷は白を基調とした荘厳な佇まいで、手入れの行き届いた芝と庭木に囲まれていた。
正門を抜けてすぐの場所には、大理石で造られた優雅な噴水が据えられており、その中心から高く水が噴き上がっている。
門前で身なりの整った使用人に出迎えられると、俺たちは一礼し、そのまま屋敷の中へと案内された。
磨き上げられた大理石の床と、高い天井から吊るされた豪奢なシャンデリアが目を引く。
いかにも上流貴族の邸宅といった感じだ。
部屋まで案内されている途中、不意に声をかけてくる人物がいた。
「もしや、ルーデウス君ではないか?」
「えっ……テレーズ叔母様?」
「やはりそうか。久しいな……二年ぶりになるか?」
振り返ると、そこにはゼニスの妹、テレーズの姿があった。
彼女はいつもの騎士の甲冑ではなく、青を基調とした布製のシャツとズボンを身にまとっている。
柔らかな生地に金の刺繍が施された上品な服装で、普段の実戦的な雰囲気とは違い、どこか柔らかい空気を纏っていた。
そして、俺をまじまじと見つめるテレーズの視線には、ほんのりと熱っぽいものが混じっていた。
「……可愛らしいな。抱きしめてもいいだろうか?」
「えっ?」
返事をする間もなく、テレーズは俺をぎゅっと抱きしめてきた。
……うん、やっぱりこの人、ショタコンだ。
いや、もう確信した。間違いない。
それも原因で結婚できなかったんだろうな。哀れというか、なんというか……。
「このタイミングで帰ってきてよかった。普段はなかなかこちらまでは来ないんだが、たまたま実家に用があってね。まさか、またルーデウス君に会えるとは思わなかった」
テレーズはそう言いながら、俺の頭を優しく撫でてきた。
……そういえば、この頃のテレーズとクレアは、少しぎくしゃくしてたんだよな。
どっちも悪い人じゃないんだけど、気が強い者同士ってのは、どうにもぶつかりやすい。
できれば、仲良くやってほしいんだけど……まあ、難しいか。
「ん? なんだ、パウロ殿も一緒だったか」
「いや……最初からずっと一緒にいたぞ……」
テレーズは小首をかしげて俺の隣にいたパウロに気づくと、あっけらかんとした顔でそう言った。
……おい、親父、ちょっと傷ついてるぞ。
「それにしても、どうしたんだ? 二人で一緒にこちらにやってくるなんて……」
テレーズは不思議そうに首をかしげながら尋ねてきた。
その問いに、俺は少しだけ口をつぐんだ。
……そうだ、テレーズにも話しておかないといけない。ゼニスのことを。
「実を言うと……母様の居場所がわかりました。それを伝えに来たんです」
「姉様の?」
俺は、ゼニスの現状について静かに話した。
テレーズは目を見開いて、驚きと、そして――深い悲しみの色を浮かべた。
ゼニスが実家を出てからも、彼女とは手紙のやり取りを続けていたらしい。
きっと、姉妹としての絆は今も変わらず残っていたのだろう。
彼女にとっても、つらい現実に違いない。
「……母上のところへ、伝えに行くんだな」
「はい。それに、アイシャとノルンも、ずっとここでお世話になりっぱなしというわけにもいきませんから。迎えに来たんです」
「……私も、ついて行った方がいいか?」
「いえ、大丈夫です。僕たちの問題ですから」
俺は真っ直ぐテレーズの目を見つめて、しっかりと答えた。
彼女はしばらく無言で俺を見つめ返していたが、やがてフッと小さく笑った。
「……まだこんなに小さくて可愛いのに、立派だな」
その言葉に、ほんの少しだけ肩の力が抜けた気がした。
テレーズと別れたあと、俺たちは一階奥の来客用応接間へと案内された。
使用人が静かにドアを閉め、部屋の中には穏やかな静寂が広がる。
しばしの間、俺たちはそのまま待つことになった。
「テレーズ叔母様って、あれですよね……いわゆる幼児趣味ってやつですよね……」
「あー……うん、まあ、そうだな……」
パウロは苦笑を浮かべながら、小さく頷いた。
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「ご無沙汰しております、クレア様。パウロ・グレイラット、改めてご挨拶申し上げます。
本日は格別のご高配を賜り、恐悦至極に存じます。
このような身に、かくも過分なるお引き立てを賜りましたこと、誠に光栄の至りにございます。難民救助に際しましては、格別なるご支援を賜り、衷心より御礼申し上げます。さらには、娘たちのことまでお心にかけてくださり、深く感謝申し上げます。
本日は、愚息も伴い、謹んで参上いたしました」
パウロが、俺の知るどのパウロとも違う声音でそう言った。
……え? 誰? 本当にパウロ?
あの礼儀知らずで、感情のままに動く親父が、貴族然とした挨拶なんかしてる。
まるで別人のようなその姿に、俺は思わず目を見張った。
ああ、そうか。パウロもかつては上級貴族のひとりだったんだ。
なんというか……10連ガチャを何回か回してやっと出てくるウルトラレアな“貴族風なパウロ”だ。
「……久方ぶりですね、パウロ。難民救助については、ラトレイア家として、ゼニスの捜索に協力したまでのことです。恩に着る必要はありません」
パウロの態度に、クレアは淡々と答えた。
そして、俺が内心驚いていると、クレアはふと視線を移し、俺のほうを見つめた。
「……そして、あなたが、ゼニスの息子なのですね」
俺は一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。
「はい。お初にお目にかかります、お祖母様。ルーデウス・グレイラットと申します。
本日はこのようなご挨拶の場を設けていただき、誠にありがとうございます」
クレアはしばし沈黙し、まるで品定めをするかのようにじっと俺を見つめた。
「クレア・ラトレイアです。……それで、本日はどのようなご用件でお越しになったのですか? ただの挨拶というわけではないのでしょう」
パウロが話をしようとしたその瞬間、俺は手で制した。
ここは俺に任せてほしい――そう小声で伝えると、パウロは少し戸惑いながらも静かにうなずいた。
俺はクレアに向き直り、ゼニスの居場所、心神喪失状態であるかもしれないことなどについて話し始める。
「実は――」
そして、治療についても説明した。
これは以前、エリナリーゼがいない時にパウロにも話した内容だ。
俺の知っている人で、ゼニスと同じような状態になった人物がいた。
その人は長命種で、人族が一生をかけるほどの長い時間、あることを続けた結果、自我を取り戻すことはできた。
けれど――記憶が戻ることはなかった。
「そんな、ゼニスが……」
思ったとおり、クレアは目に見えて動揺していた。
表情には、信じたくない現実への戸惑いが滲んでいる。
「その話は……本当なのですか」
声はかすかに震えていた。
それでも、必死に平静を保とうとしているのが伝わってくる。
「はい、辛いことですが、本当です」
俺は静かに、しかしはっきりと答えた。
クレアはしばらく目を伏せ、言葉を失っていた。
「ラノアには、すでに家を用意してあります。妹たちには先にそちらへ向かってもらうつもりです。
僕たちも、すべてが終わり次第、母様を連れて向かう予定です。
……今まで、妹たちの面倒を見てくれてありがとうございます。」
一呼吸置いて、俺は言葉を続ける。
「母はラトレイア家を出奔した身です。いつまでもこの家のお世話になるわけにはいきません。
何より、僕たち家族全員を、ラトレイア家に世話になるわけにはいかない。
僕たちには、僕たちなりの――家族の形があります」
俺は、まっすぐクレアを見つめながら頭を下げるようにして言った。
「落ち着いたら、必ず母様を連れて、もう一度ここへ伺います。
ですから、どうか……今は僕たちに任せてください」
クレアは、じっと俺の目を見つめていた。
しばらくの沈黙ののち、目を閉じ、何かをぐっと飲み込むようにして、ゆっくりと息を吐く。
そして――小さくうなずいて、静かに口を開いた。
「……わかりました。
……ゼニスのこと、頼みましたよ」
「はい。必ず」
俺とパウロはそろって、深く頭を下げた。
クレアは、ほんのわずかに目を細めて、俺たちを見つめていた。
やがて、少し間を置いてから、俺は荷物の中から小さな包みを一つ取り出す。
それは、今日この場で、どうしても手渡しておきたかったものだった――。
「それと……お祖母様。もし、よかったら――これを受け取ってください」
「これは……?」
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クレアとの話を終えてから、ノルンとアイシャ、リーリャと一緒に屋敷を後にすることになった。
リーリャ達は後で合流するらしく、俺たちはひと足先に馬車へ向かうことになる。
その道すがら、再びテレーズと顔を合わせた。
どうやら、正門まで見送りに来てくれるらしい。
「パウロ殿、ルーデウス君。姉様のこと、どうかよろしく頼む」
「ああ、ゼニスのことは任せてくれ」
「一段落ついたら、母様も連れて、またラトレイア家に顔を出しますね」
「……ありがとう。二人とも、気をつけてな」
歩き出そうとしたところで、ふと思い出した。
――ああ、そうだ。これだけは伝えておこう。
おばあちゃん、娘とうまくいかないとか……絶対さみしいに決まってるじゃん。
けれど、あの人の性格じゃ、自分から歩み寄ることなんてまずない。
だからこそ――せめて、まわりの人が寄り添ってあげれたらな。
「テレーズ叔母様」
「ん?」
「もう少しだけでいいので、お祖母様と話してあげてください。……あの人、不器用なだけなんです。どうしても素直になれないだけで」
「……そうか。わかったよ。そうしてみる」
ルーデウスが屋敷に現れてから翌日の晩のことだった。
カーライルは、前日のうちにメイドのメアリーからルーデウスの来訪とゼニスのことについて伝えられていた。
その夜、彼は珍しく家に帰ってくることができた。
そして、静かにクレアの部屋を訪れる。
扉を軽くノックし、中に入り、声をかける。
「メアリーから聞いたよ。昨日のことだけど……君にしては少し意外な判断だったね」
クレアは返事もせず、部屋の机の上に置かれた小さな人形をじっと見つめていた。
月明かりが窓から差し込み、石でできたその人形を淡く照らしている。
「昨日……ゼニスの息子からいただきました」
クレアは静かに口を開いた。
ひとつひとつの言葉をゆっくり噛みしめるように、丁寧に語り出す。
「魔術を使って、記憶の中のゼニスの姿をかたどったものです。
……あの子が成長したら、こんな姿だったのでしょうね」
机の上に置かれていたのは、石で作られた小さな像だった。
そこには、柔らかく微笑む少女のような表情を浮かべたゼニスの姿があった。
月明かりがその像をそっと照らし、彫られた髪や衣の陰影を静かに浮かび上がらせている。
部屋には不思議な静けさと温もりが満ちていた。
「本当に、ルーデウスさんはゼニスによく似ていました。
特に――こちらの心を見透かすような、真っ直ぐな眼差しが印象的で、驚くほどにそっくりでした」
その言葉を思い返すたび、クレアの胸の奥に、得体の知れない熱がこみあげてくる。
こちらの心を見透かすような、真っ直ぐな眼差し。
「礼儀正しく、しっかりしていて、そして……思いやりに満ちた子です」
ゼニスの息子が、そんな風に育っていた。
そのことを思うと、クレアの胸には複雑な感情が渦巻いた。
悔しさ、戸惑い、そしてほんの少しの誇らしさ。
それらが入り混じり、胸の奥を静かに締めつけていく。
「ルーデウスさんは、まだ若いのに本当に立派でした。……きっとあの子の育て方が正しかったのでしょう」
クレアの言葉に、カーライルは穏やかに首を振った。
「……君が間違っていたとは、僕は思わないよ」
しばし、目を細めて静かに呟く。
「僕も会ってみたかったな。……僕の、孫息子に」
クレアがゆっくりと顔を上げる。
「……会えますよ。ルーデウスさんはまた来ると仰っていました。今度は、ゼニスを連れて」
月明かりに包まれた静かな部屋で、二人は言葉を交わすことなく、ただ静かに佇んだ。
その沈黙は、どこか穏やかで、あたたかさに満ちていた。