その日、天気がとても良く、雲ひとつない青空が広がっていた。
陽射しはやわらかく、風も心地よい。
まさに穏やかな一日だった。
ヒトガミからの干渉もぴたりと止まり、大きな事件もなく、不穏な出来事もない、静かな日々が続いている。
これほどまでに落ち着いた時間を過ごすのは、俺にとって初めてのことだった。
呪いの影響で、これまで俺は一箇所に長く留まることができなかったからだ。
そんな中、俺はルーデウスが「事務所」と呼んでいる建物の一室、書斎にいた。
木製の机に書類を広げ、いつものように歴史の相違点を確認しながら、静かに記録をつけていた。
窓から差し込む午後の光が、机の上の紙をやわらかく照らしている。
空気は静かで、落ち着いていた。
ほんの少し、目を閉じるだけのつもりだった。
だが、どうやら俺は、知らぬ間にうたた寝してしまっていたようだ。
遠くでルーデウスの声がした気がして、はっとして目を覚ます。
「――さま、オルステッド様」
「……む、ルーデウスか」
ルーデウスが書類の束を手に、机の前に立っていた。
俺は肘をついたまま、しばしの間眠ってしまっていたらしい。
肩にうっすらと重みが残っている。
「ドアの向こうで何度かお呼びしましたが、お返事がなかったので……。お疲れのようでしたら、仮眠室の方へ行かれますか?」
「いや……そういうわけではないのだが……」
俺はゆっくりと姿勢を正し、軽く首を回す。
傍に人がいるというのに、無意識に眠ってしまっていたことに、自分でも少し驚いていた。
睡眠とは、最も無防備になる時間だ。
これまでのループの中で、寝ている間に命を奪われたことは、一度や二度ではない。
目が覚めたときには、薄暗い森の中、冷たい土の上に転がっていた――そんなことが何度もあった。
……そう考えると、俺は随分と、この場所に――いや、ルーデウスに――心を許してしまっているらしい。
ふと視線を向けると、ルーデウスはこちらを見つめていた。
最初は少し驚いたような顔をしていたが、すぐに口元をにやりと緩め、どこか楽しげな表情を浮かべていた。
そして、一呼吸置き、口を開いた。
「それでは、今日の件についてご報告いたしますね」
俺は黙ってうなずき、ルーデウスの言葉に耳を傾ける。
ルーデウスはいつもの調子で、簡潔かつ的確に報告を進めていく。
……こうして向かい合い、報告を受けるのも、今やすっかり日常の一部になっていた。
「――これで以上です。何か質問はありますか?」
「いや……ご苦労だった」
短く返すと、ルーデウスは満足げに軽く一礼した。
そして、思い出したようにまた口を開く。
「――あ、そうだ。明日、子供たちもここに連れてきてもいいですか? ララが、また遊びに来たいって言ってるんです」
家族は、ルーデウスにとって命より大事なものだ。
家族のためなら、ルーデウスは迷わず命だって投げ出す。
その姿勢は、素直に尊敬に値する。だから、ルーデウスの家族を邪険にはできない。
その上、ルーデウスの子供たちには俺の呪いが効かない。
だから接していても苦労はない。
「――ああ、かまわん」
ルーデウスの娘、ララはイタズラをよくする。
一度はそのせいで街中を走り回ったものだ。
驚いたときの周囲の反応を見るのが好きらしい。
突拍子もない行動で周りの人を驚かせるあたり、本当に父親にそっくりだ。
ルーデウスが部屋を出てから、しばらくして――
俺はふと、ひとつの用事を思い出した。
呪い防止の兜を手に取り、頭に被る。
そして部屋を出ると、受付前ではファリアスティアが事務作業に集中していた。
「あっ、社長。お出かけですか?」
「ああ、すぐに戻る」
「承知しました」
彼女に軽く声をかけ、俺はそのまま外へ出た。
外に出ると、アレクとジークがいた。どうやら稽古の最中らしい。
木剣を使って素振りをする音が、乾いた風に混じって耳に届く。
そして、アレクがこちらを振り返った。
「あれ、オルステッド様。もしかしてどこかへ出撃ですか? よろしければ僕がお供しますよ」
「いや、必要ない」
「わかりました。では、お気をつけて」
「ああ」
軽いやりとりを交わし、
一歩踏み出したところで――
「オルステッド様、いってらっしゃい!」
ジークが無邪気に声を上げた。
俺はその言葉に振り返ることなく、軽く手を挙げて応える。
今度こそ、足を止めることなく、目的の方向へ向かって歩き出した。
呪い防止の兜を被れば、俺でも街へ行くことができる。
それは、これまでの俺には到底ありえなかったことだ。
――これもすべて、ルーデウスがもたらしてくれたものだ。
かつては、俺の傍に立つ者は誰もいなかった。
呪いを気合いで克服する者はいたが、心の底から信頼してくれていたかどうかはわからない。
だが今は、こうして多くの人に囲まれ、声をかけられ、見送られている。
こんな感覚――生きていると実感できるこの温かさは、俺にとって初めてのことだった。
……ルーデウスには、本当にたくさんのものをもらった。
穏やかな笑顔を向けられることも、子供に泣かれず接してもらえることも――
以前の俺には、一生縁のないことだと、そう思っていた。
こんな穏やかな日々が、
いつまでも続いてくれたら――
と俺は、心の底からそう願っていた。
あったかもしれない日の出来事