-聖獣とは
人々の崇拝の対象となる、想像上の獣を意味する語。「魔獣」と異なり、一般的に人々に加護をもたらす存在であり、神の使いとされる場合もある。現実の動物が非現実的な形態を具えたような姿をしていることが多い。例として、ユニコーンやフェニックス、スフィンクス、四聖獣(青龍・朱雀・白虎・玄武)などを挙げることができる
(某デジタル辞書より)
重力操作によって地面に縫い付けられていた身体が、ふっと軽くなる。
急に全身が自由を取り戻した。まるで何かが解き放たれたような感覚だった。
――もしかして、アレクが重力操作を解いてくれたのか?
そんな疑問が頭をよぎるが、それよりも先に、痛みに意識が引き戻される。
左腕が――ない。切り落とされた部分から、血が止まらず溢れ続けていた。
このままでは意識を失う。まずは、止血と応急処置をしなければ。
俺は苦痛に耐えながら右腕だけでなんとか身体を起こし、傍らに転がる自分の左腕に目をやる。
斬り口は驚くほど滑らかで、綺麗に断たれていた。
これなら、すぐに処置をすれば、あるいは――。
「……まだ、間に合うかもしれない」
俺は左腕を手に取り、傷口にそっと合わせる。
断面をぴたりと密着させ、集中して上級の治癒魔術を詠唱する。
詠唱の最中、ふと視線を上げ、アレクの姿を探す。
すると、少し離れた場所で、大きな青い炎が空へ向かって燃え上がっているのが見えた。
……えっ、どういうことだ。
炎の周囲を見回すが、アレクの姿はどこにもない。
まさか、あれが……アレクなのか?
混乱しかけたその瞬間、頭上から甲高い鳴き声が響いた。
「キョー」
思わず上を見上げると、空高く、青色の大きな鳥が羽ばたいていた。
陽光を浴びて、その羽が煌めいている。
俺が唖然として見つめていると、鳥はしばらく空を舞ったあと、ふわりと降下し、ゆっくりと俺のそばへと舞い降りてきた。
この鳥……見覚えがある。
尾羽は長く、羽毛は艶やかで美しい。
近くでよく見ると、青一色かと思っていた羽には、ところどころ灰色が混じっていた。
そして、金色の目が静かにこちらを見つめている。
「お前、まさか……ピー助か?」
俺がそう問いかけると、鳥は嬉しそうに小さく羽を広げて鳴いた。
「キョー!」
俺は試しに右腕を差し出してみる。
すると、その腕にそっと止まり、軽く首をすり寄せてきた。温かくて、柔らかい感触が伝わってくる。
……いや、それにしても、なんで姿が変わっているんだ。
成長したにしても、早すぎるだろ。
ついさっきまで雛鳥のような姿だったはずだ。
「……あれ、もしかして、お前がやったのか?」
そう言って、俺はアレクのいた方向へ視線を向けながら、ピー助に問いかける。
青い炎は、まだごうごうと燃え続けていた。だが、中の様子はまったく見えない。
アレク……まさか、死んでないよな?
さっきから音もしない。動く気配もない。
炎の密度が高すぎて、姿もまったく確認できない。
……でも、あいつは不死魔族の血を引いている。
潰されても生きてたし、こんなことで――
「キョッ!」
ピー助が短く鳴き、こくんと頷くような仕草を見せた。
どうやら、あの炎はピー助が出したものらしい。
……青い炎って、高温じゃなかったか?
大丈夫なのか、あれ。
とにかく、俺はピー助に炎を止めるよう頼んでみた。
ピー助はひと声鳴くと、その目を炎へ向ける。
すると――轟々と燃え盛っていた青い炎が、まるで潮が引くように一気に収まり、みるみるうちに小さくなっていった。
そして炎が消えたとき、そこには横たわるアレクの姿があった。
幸い、息はあるようだ。おそらく気を失っているだけだろう。
だが、アレクは無傷ではなかった。
右腕――王竜剣を握っていたその腕全体が、黒く焼け焦げている。
剣もまた、刃の一部が溶け、無残に歪んでいた。
呆然としながら、俺は口をぽかんと開けた。
あの剣って、確かかなり高価な代物だったはずだ。
俺が知っている限りでは、魔剣の中でも最上級の一本だ。
それが、まさかこんな姿になっているなんて……。
……シャンドルさんに怒られたりしないかな。
一瞬、現実逃避のような考えが頭をよぎったが――
……とにかく、今はそれどころじゃない!
まずはこの場所から離れよう。
俺が魔術を放ち、アレクが暴れたせいで、辺りの地形は無残なまでにでこぼこだ。
疲労も限界に近い。できることなら、どこか安全な場所で少しでも休みたい。
アレクも連れていければいいのだが……それは難しいかもしれない。
俺は、さっき繋げたばかりの左腕に目を落とす。
見た目はしっかりくっついてくれたようだが、肘から先がまったく動かない。
これではアレクの身体を支えることも、抱えることもできない。
どうする……。
そう考え込んでいた矢先、右腕からピー助の声が聞こえた。
「キョーッ」
その声に目を向けると、俺の左腕が――青い炎に包まれていた。
静かに、だが確かに、燃えている。
「熱っ……!」
そう思ったのは一瞬だった。
けれど、それは錯覚だったようで、実際には熱くも痛くもない。
左腕を包んだ青い炎は、ふっと揺れただけで、すぐに小さくなって消えた。
驚いたことに、次の瞬間――手が、自然に動いた。
指が反応している。感覚もある。まるで、何事もなかったかのように。
俺は試しに左手を開いたり、握ったりしてみる。
何の違和感もない。痛みも痺れもない。
本当に、完全に元通りになっていた。
……本当に何者なんだ、お前。ピー助。
いや、今は「キョーキョー」鳴いてるし、「キョー助」か?
……いや、もういいや、どうでもいいや。
考える気力すら湧かない、疲れた。
血もかなり失ったし、身体も限界に近い。
今の俺は、とにかく――どこかで休みたい。
それだけだ。
俺はフラつく身体を必死に支えながら、アレクを俵抱きにして持ち上げた。
少し重いが、今の俺でも何とか運べる。
左腕が使えるというだけで、ずいぶん楽だ。
そして、俺のすぐ上をピー助が羽ばたきながらついてくる。
ゆったりと空を舞い、俺の後方を静かに飛んでいた。
王竜剣は、ピー助がしっかりと足で掴み、運んでくれていた。
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暗くなってきたところで、さっきの場所から少し離れたところに、小さなオアシスを見つけた。
水があり、風も心地よい。
休むにはちょうどいい場所だ。
その傍らで、俺は簡易的な鎌倉型のシェルターを作り、念のため煙突も設けておく。
さらに形を整えて、小さな暖炉もこしらえてみた。
定期的に風魔術を使って内部の空気を循環させることで、換気もばっちりだ。
これなら一酸化炭素中毒になる心配もないだろう。
さて、問題はアレクだ。
また急に暴れ出されてはたまらない。そこで俺は、土魔術でガチガチに固定してやった。
使ったのはルーデウス特製の“黒い石”だ。
これは事務所の壁や剣の素材にも使われるほどの高強度を誇る魔術で作り出した石。
いくらアレクでも、そう簡単には抜け出せないはずだ。
固定する前に、一応治癒魔術もかけてやった。
ピー助に焼かれた右腕は、いまだに回復していなかった。
あのアレクの再生力をもってしても癒えないとは……。
黒い石で固められたアレクは、まるでだるまのようになった。
ついでに地面にも少し埋めて、顔だけが地表に出るようにする。
これで完全に無力化完了だ。
アレクが起きたらどうにか説得してみよう。
無理だったらこのまま放置してやる。
そして、次はピー助だ。
俺が簡易シェルターを作り始めてしばらく経った頃、ピー助はいつの間にか元の小さな姿に戻っていた。
「ぴぃー」と短く鳴いたかと思うと、器用に俺の頭の上に乗り、そのままスヤスヤと眠り始めた。
……おかげで、俺は頭をあまり動かせない。ちょっとでも傾けたら落ちそうで怖い。
それにしても、さっきのあの青い炎――どうやらあれは、俺の自己治癒力を一時的に高める効果があったらしい。
炎を使うのも、姿を変えるのも相当エネルギーを消費するのだろう。
ピー助は、いまは静かに眠り続けている。
青い鳥の姿で飛び回り、青い炎で回復させるって……、
お前は白〇げさん家の、戦場でよいよい飛び回ってる不死鳥か何かってんだ。
……いや、違うってわかってるけどさ。
こういう状況だと、ついツッコミたくもなる。
そんなことを考えていると、どうやらアレクが目を覚ました。
「……ここは……?」
「目を覚ましましたか」
俺は困惑した表情を浮かべるアレクに声をかけた。
「また殺されそうになると困るので、ちょっとだけ拘束させてもらいました。怒らないでくださいね」
アレクはしばらく黙ったまま、そして、申し訳なさそうに口を開いた。
「……いえ、いいんです。君が僕を警戒するのは当然です。本当に、申し訳ないことをしました。すみませんでした」
ん? なんか急にしおらしいぞ。いったいどうしたんだ、こいつ。
「少しだけでいいので、僕の話を聞いてくれますか?」
俺が頷くと、アレクはゆっくり語り始めた。
「君の言っていたこと、炎に焼かれている間に……改めて考えてみました」
……いや、遅くない? どんだけ遅効性だよ。
ていうか、あの状況でちゃんと話聞いてたのか。
普通は燃やされて冷静になるとかないだろ。
冷や水でもかぶったのかよ。
北神二世も空の上で呆れてるぞ、絶対。
「父さんも、昔似たようなことを言っていました。
英雄とは、剣を振るう者だけじゃない。
守るべき者のために立ち上がる者もまた、英雄なのだと。
北神カールマン一世は決して最強ではなかった。
でも、一世はそういう存在であり続けた。
本当に尊いのは、そのように振る舞った一世だと――」
俺は腕を組みながら、その言葉を静かに聞いていた。
アレクは、まだ話を続ける。
「当時の僕には、その意味がわかりませんでした。
それどころか、力こそがすべてだと思い込んでいたんです。
でも――君を見て、ようやく気づけたんです。
僕がやっていたのは、ただの力の誇示だった。
誰かのためじゃなくて、結局、自分のために戦っていただけだったんだって」
……うん。まあ、正直それは思ってた。
自意識過剰な、ちょっとヤバい奴だったよな。
すっごく面倒くさかったし。
「力があるだけでは、英雄じゃない。
優しいだけでも、きっと英雄にはなれない。
大切なのは――『誰かのために立ち上がる覚悟』と、『それをやり抜く意思』」
「君には、それがありました。
絶体絶命の状況でも諦めず、最後まで家族を助けようとしていた。
その姿が、僕の心に響いたんです」
……まさか、あの最後の泣き落としがこんなふうに効いていたとはな。
やってみるもんだな。
「そして――僕は、君に負けました」
……ん? 負けた?
いやいや、最後に立ってたのはそっちじゃなかったか?
「敗北ってほどじゃないでしょう。最後に立っていたのはあなたですよ?」
「いえ、負けたんです。
魔術師の君に、僕は二度も先手を取られた。
そのうえ、最後には剣の力に頼ってしまった。
今の僕には、あれは敗北だったとしか思えません」
……いやまあ、俺もちょっと卑怯な手使ったし、胸張れる勝ち方じゃなかったけどな。
「それでも、そんな僕を君は助けてくれた」
「きっと、君のような人こそが、英雄になるんでしょうね。……父の言っていた事が少しだけ理解できるような気がします」
――アレク。
色々とカッコいいこと言ってくれてるけど……お前、今その身体、地面に埋まったままなんだよな。
顔だけひょこっと出してさ。
……ちょっと申し訳なくなってきた。
この様子なら、埋めなくてもよかったかもしれない。
アレクは、前回よりもずっと早くに改心したようだった。
俺は彼を土の中から掘り出してやり、拘束を解いた。
するとアレクは、立ち上がると同時に、改めて深く頭を下げてくれた。
……俺にも、謝らなきゃいけないことがある。
王竜剣カジャクトのことだ。
あれほどの剣は、俺の知る限り他にない。
そんな貴重なものを、俺は……壊してしまった。
正確にはピー助だけど。
俺はアレクに剣の残骸を差し出し、頭を下げた。
だがアレクは、柔らかく笑って、そっと首を横に振った。
「……いや、いいんです。きっと父さんも、この剣はない方がいいって言うと思います。
強すぎる力は、ときに人を勘違いさせる。
頼れば強くなった気がしてしまう。
だから、使えないくらいでちょうどいいんです」
そしてアレクは、まっすぐに俺の目を見つめて言った。
「僕は――この剣に頼らず、自分の力で強くなってみせます」
その瞳は、まるで別人のように澄んでいた。
決意と、自分を見つめ直した者だけが持つ静かな強さが、そこにあった。
「僕はこれから、自分にとっての“英雄”とは何かを、模索していきたいんです。父さんの真似じゃなくて、自分なりの英雄像を――。
……もし許してくれるなら、君の旅に同行させてもらえませんか?
君の家族を助ける手伝いをさせてください」
アレクがまっすぐ俺を見つめ、そう言い切った。
……願ってもない話だ。
ヒュドラを倒すには、戦力は多いに越したことはない。
なによりアレクは、あの北神の使い手――頼りになることは間違いない。
「本当にいいんですか? おそらくヒトガミとも敵対することになりますよ」
俺が念のため確認すると、アレクは迷わず答えた。
「構いません。僕は君と友達になってみたくなったんです。
……やっぱり、ダメですか?」
その声はどこか不安げで、それでも少し照れくさそうで。
確かに、彼は俺を殺そうとした。
でも今は、ちゃんと向き合って、変わろうとしている。
その気持ちは、きっと本物だ。
だから俺は、笑って答えた。
「いえ、こちらこそ。これからよろしくお願いします。改めて――ルーデウス・グレイラットです」
そう名乗って、俺は手を差し出す。
アレクは目を輝かせて、その手を力強く握り返してきた。
「アレクサンダー・カールマン・ライバックです!
アレクって呼んでください!
ありがとうございます、ルーデウス君!」
――砂漠の真ん中で、俺は改めて、そして心強い友を得た。
僕は、英雄になりたかった。
幼い頃から、それが夢だった。
父にはいつも言われてきた。
「北神カールマン一世のようになりなさい」と。
力はなくとも、誰かのために剣を抜き、弱き者を助ける者こそが“真の英雄”なのだと。
――でも、正直に言えば、僕には二世の方が眩しく見えていた。
圧倒的な力で敵を薙ぎ倒し、数多の人々から称賛を受ける北神カールマン二世に。
賞賛される強さこそが、英雄だと信じていた。
ルーデウスは……父と同じことを言っていた。
そして、彼は口だけじゃなかった。
家族のために戦い、どれほど不利な状況でも、どんなに傷ついても、最後まで諦めなかった。
……きっと、本当の英雄っていうのは、
生まれつき強くなくてもいい。
有名じゃなくてもいい。
自分のことを後回しにしてでも、誰かのために一歩を踏み出せる人、痛みに倒れても、何度でも立ち上がる人だ。
“正しさ”を盾にして人を導こうとするんじゃなくて、
共に歩む姿を背中で見せるような、
困難に立ち向かう強さと、弱き者を抱きとめる優しさ。
その両方を持つ者こそが――本当の英雄なんだ。
戦うのは、勝つためじゃない。
守るべき何かのために、自分の身を投げ出せる――そんな存在こそが……。
きっと彼は、父のような……いや、北神カールマン一世のような人だったんだ。
そして、そんな彼を力で押し潰そうとしていた僕は――ただの“悪”だった。
……もし、ルーデウスについて行けたなら。
本当の“英雄”ってものが、見えてくるかもしれない。
そう思った。
――いや、違う。
僕は、ルーデウスと友達になってみたくなった。
その強さの理由をもっと知りたくて、近くで見ていたかった。
でも……もう、遅いかもしれない。
僕は、彼を殺そうとした。
そんな僕が、今さら「友人になってくれ」なんて――都合が良すぎる。
……でも、それでも。
もし、一度でも機会があるなら……頼んでみよう。
全身は青い炎に包まれていた。
苦しい。
ただ“熱い”というのとは違う。
皮膚が焼けるような痛みではない。
もっと内側、骨の髄まで、心の奥まで焼き尽くされるような――そんな苦しさだった。
呼吸が浅くなる。
思考も曖昧になっていく。
目に映る景色が歪み、音が遠のいていく。
このまま僕は、死ぬのだろうか。
いずれ、完全にこの炎に呑まれてしまうのかもしれない。
そう思うと、言いようのない恐怖が胸を締めつけた。
助けを呼びたくても、声が出ない。
逃げ出したくても、身体が動かない。
ただ、青い炎に焼かれ続けながら、
僕の意識は、静かに、闇の中へと沈んでいった。
いつか、背中合わせで戦うアレクとルーデウスが見たいです。