回帰した灰色鼠   作:実った青リンゴ

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迷宮内はダイジェストでながします。




-胸騒ぎ

 心配ごとや悪い予感などのために心が穏やかでないこと。(デジタル辞書より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 準備も整い、いよいよ《転移の迷宮》へと挑むこととなった。

 念には念を入れ、まずは一階層から六階層までを、数ヶ月かけて慎重に攻略していく。

 

 基本的には、アレクが先陣を切って敵をちぎっては投げ、またちぎっては投げ、まるで暴風のごとく道を切り開いていった。

 危険な場所でもためらうことなく真っ先に突っ込んでいってくれるので、本当に頼りになる存在だ。

 

 最初の頃は、エリナリーゼたちもアレクに対して少しぎこちなかったが、アレクの様子を見てアホらしくなったのか、次第に空気も和らいでいった。

 ……いや、アレクが頼りになるのは間違いないんだけど、ちょっとこう、アレなんだよな。

 ……いっそリードでもつけておくべきか?

 ギースも「頭が足りねぇのはギレーヌにちょっと似てるか?」なんて、ぼそっと呟いていた。

 

 

 各階層を攻略するたびにいったん地上へ戻り、装備や体力を整えてから再挑戦する――そんなサイクルを繰り返しながら、着実に迷宮を踏破していく。

 

 途中、ロキシーがうっかり罠を踏みかけるなんてこともあったが、すんでのところで俺が手を伸ばし、彼女を引き寄せて事なきを得た。やったね、俺。

 その様子を、パウロはニヤニヤしながら見ていた。

 そして次の瞬間、エリナリーゼに思いっきり背中を叩かれていた。

 

 ……何してるんだよ、パウロ。

 

 

 それから、ピー助もこの数ヶ月で少しずつ成長してきたのか、最近では軽くなら飛べるようになってきた。

 ……そういえば、あの時、俺を助けに来たあの姿――あれは一体何だったんだろう。

 無理してたのか? それとも、あれが本来の力なのか……。

 いまだに謎だ。

 

 そんなこんなはありつつも、大きなトラブルに見舞われることもなく、俺たちは順調に六階層までたどり着いた。

 

 

 


 


 

 

 

 

 ――薄いような、夢を見た。

 

 空は清々しいほどの晴天で、心地よい日差しが降り注いでいた。

 周りは一面、黄金色の麦畑に囲まれていて、涼しい風が吹き抜ける。

 傍らからは、川のせせらぎの音も聞こえてきた。

 

 

 ――そこは、もう存在しないはずのブエナ村だった。

 あの転移事件で、すべてが消えてしまったはずの記憶の中の村で。

 今は草一本生えない更地となり、荒れ果てた土地になってしまった。

 だけど、未来では復興が進み、人々は再び当たり前のように日常を営んでいた。

 ……もっとも、そこはもう、俺の知っている“故郷”ではなかった。

 故郷がなくても、家族がいる場所こそが、俺にとっての帰るべき場所だと思っている。

 それでも――この景色は、やはり懐かしく感じてしまう。

 

 周囲の風景は、霞がかかったようにぼんやりとしていて、はっきりとはしなかった。

 それでも俺は、その懐かしい風景を感じながら、人のいない道を歩いていた。

 

 不思議な感覚だった。

 俺の姿は13歳の頃ではなく、未来でラノアにいた時の姿のままで、灰色のローブを着て、手には何も持っていなかった。

 体はだるく、重く、今すぐ横になりたいような、そんな気分だった。

 

 真っ直ぐに伸びた道を歩いていくと、

 やがて、その先にぼんやりとした家が見えてきた。

 ラノアにあった家ではない。

 ブエナ村の俺が生まれ育ったあの家だ。

 

 そこにたどり着くまでに、ずいぶんと時間がかかったような、そんな気がした。

 帰ることのできない家に――俺は帰ってきたのだ。

 

 ふと気づけば、太陽はすでに沈みかけていて、辺りは薄暗くなっていた。

 庭に目を向けると、ゼニスが大切に育てていた草木が、そこにまだ息づいていた。

 ……そういえば、ロキシーが魔術の実験台にして、あの木を折ってしまったことがあったな。

 その時は、ゼニスも本気で怒っていたっけ。プンプンと頬を膨らませて。

 

 思い出に口元がほころびそうになるのを感じながら、俺は庭を視線の端に置いたまま、玄関の前へと歩を進めた。

 ――ドアの向こうに、誰かがいる気がした。

 そして、俺はそっと、そのドアに手をかけ、ゆっくりと開いた。

 途端に、ふわりと懐かしい香りが鼻をくすぐる。

 

「あら、おかえり、ルディ。今日は随分と早いのね」

 

 ゼニスが皿を並べて食事の準備をしていた。

 虚ろな目でもなく、心を失ったような表情でもない。

 昔と変わらない、優しい笑顔のままだった。

 

「おっ、ルディ。帰ってきたのか」

 

 椅子に座っていたパウロも、ゼニスの声に反応して振り返った。

 その声も、穏やかで、どこか懐かしかった。

 

 俺は息を呑み、立ち尽くした。

 パウロもゼニスも、柔らかな声で、当たり前のように俺の名前を呼んでくれた。

 そうして、二人で名前を呼ばれるのは、あまりにも懐かしく、嬉しくて、悲しかった。

 

 二人がそろっていて、昔のように俺を迎えてくれる――そんな光景、どれだけの間、見ていなかったのだろう。

 転移事件で家族はバラバラになり、ゼニスを助けるためにパウロは犠牲になった。

 そしてゼニスは――。

 

「……父さん……母さん……」

 

 自然と声が漏れていた。

 

 

 

 パウロは迷宮で命を落とした。

 でも、助けられるかもしれない。

 今の俺ならどうにかできるかもしれない。

 だけどゼニスは……たとえ魔石の結晶から助け出しても、彼女はもう、昔のような元気な姿には戻らない。

 

 ……ゼニスは、もう遅いんだ。

 昔みたいな、二人そろって笑い合う姿なんて、もう――見られない。

 

 もし、俺が転移事件よりもっと前に戻っていられたら、助けられたのかもしれない。

 ゼニスも、パウロも、その他の人たちだってあんな目には遭わずに済んだかもしれない。

 でも、俺が戻ったタイミングはそこじゃなかった。

 なんで、あの時だったんだろう。

 

 

 ……いつもそうだ。俺はいつも、遅いんだ。

 肝心なときに、決まって、間に合わない。

 

 気づくのが遅い。

 やり直した気になって、上手くやれている気になって、大切なものから目を背けていた。

 俺が二人を“親”だと思えるようになった頃には、

 もう――取り返しがつかなかった。

 パウロは父親で、ゼニスは母親だった。

 でも……俺は“息子”じゃなかった。

 俺は二人を親だと思っていなかったんだ。

 だけど、ようやく心からそう思えるようになったときには、もう二人とは……もう……。

 

 全てが終わったあとに、そのことに気づいた。

 何もかもが、遅かった。

 

 パウロは、俺を庇って死んだ。

 最後に見せたのは、どこかホッとしたような、安堵の笑みだった。

 俺なんかのために――親とも思っていなかった、この俺のために。

 

 無事を信じて、帰りを待つ家族もいた。

 あれほど助けたかったゼニスの姿を目にすることもできずに……。

 パウロは、骨になった。

 

 ゼニスは、俺の知る未来では、たしか寿命を迎えて亡くなった。

 静かに、眠るように亡くなったはずだけど、ゼニスはちゃんと幸せだったのだろうか。

 今となっては、それすら分からない。

 

 

 もっと……二人に親孝行がしたかった。

 恩を返したかった。

 二人にも――前世の両親にも。

 

 俺は前世の両親の死に、心から悲しむこともできなかった。

 いや、悲しもうとすらしなかった。

 両親のことをきちんと愛せていなかった。

 死んで生まれ変わってすら、俺は両親を愛さなかった。

 あの頃の俺は、ずっと自分のことしか考えていなかった。

 前世の両親も、一番上の兄貴も、俺のことをずっと心配してくれていたのに。

 それなのに、俺はずっと家族のことを邪険にしていたんだ。

 ……もし、できるならもう一度会って、前世の両親に、兄貴に謝りたい。

 

 

 ゼニスにも、パウロにも、本当に申し訳ない。

 初めてできた子供の中身が、実は――

 親が死んでも葬式にも出ず、幼い姪に発情するようなクズなおっさんだったなんて。

 

 ……こんな息子、絶対に嫌だろ。

 

 俺は、本当に嫌な子供だったと思う。

 だけど、ゼニスもパウロも、そんな俺を愛してくれていた。

 不気味だったかもしれない子供を、自分の息子として、大切に思ってくれていた。

 まっすぐに、俺を見つめてくれていたんだ。

 

「……ごめん、父さん、母さん」

 

 気づけば、目からぽろぽろと涙がこぼれていた。

 胸の奥が締めつけられるように苦しくて、俺は少しだけ前かがみになる。

 あふれる涙を止めようと、両手で目元を押さえた。

 

「えっ、ちょっと、ルディ。急にどうしたの?」

「おい、ルディ?」

 

 ゼニスとパウロが心配そうに声をかけながら、そばへ駆け寄ってくる。

 

「……ごめんなさい」

 

 本当は、ずっと謝りたかったんだ。

 

 俺は、親をダメなやつだと見下したり、心配してくれていた家族に怒鳴り散らかしたりしたことだってあった。今は本当に愚かだったと思ってる。

 そんなことをしていた俺のほうこそ、よっぽどダメなやつだったのに。

 

「ルディ、どうしたの? なにか辛いことでもあったの?」

 

 ゼニスが心配そうに声をかけてきた。そして、そっと、俺の肩に手を置いた。

 パウロも無言のまま傍に寄ってきて、優しく俺の背中をさすってくれた。

 

 その温もりが、たまらなかった。

 その手があまりにも優しくて、切なかった。

 俺はうつむいたまま、顔を上げることができなかった。

 目の奥が熱くて、何も見えない。

 本当は、この二人の顔をもっとちゃんと見ておきたかったのに。

 でも、視界は涙で滲んでどんどんぼやけていく。

 

 これは……夢だ。

 今、目の前にいる二人は幻で、俺が見ているのはただの夢にすぎない。

 

 ……でも、だからこそ、話すことができる。

 本当のことを、どうしても二人に伝えておきたかった。

 秘密のままにしておくなんて、耐えられなかったんだ。

 

「父さん、母さん……

 実は俺……元々いた別の世界から、この世界に転生して生まれ変わってきたんです」

 

 現実の二人にこの話をする勇気は、俺にはなかった。

 前世で読んだことのある話の中で、主人公が転生のことを打ち明けたら両親に拒絶される話があった。

 生まれてくるはずの赤ん坊を乗っ取った、

 家族と過ごした思い出も、全部見せかけだった、

 本当の息子じゃなかった、息子の姿を演じていただけだったのか――。

 

 ……そんなふうに言われるかもしれない。

 それを想像するだけで、怖かった。

 二人にそんなふうに思われるのは、何よりも辛かった。

 

「もう、バカね。ルディったら、そんなことで悩んでいたの?」

 

 ふっとゼニスの声が聞こえた。

 呆れたような、でも、どこか包み込むような優しさを帯びた声だった。

 

 驚いて顔を上げると、ゼニスは優しく微笑みながら、そっと俺の頭に手を置いて撫でてくれた。

 

「わかっていたわ。ルディがずっと、何かを隠してるってこと」

「……知ってたんですか」

「母親だもの。わかるわよ」

 

 そう言って、ゼニスは俺をそっと抱きしめてくれた。

 俺も反射的に、ゼニスの背中に手を添える。

 

「ルディが何歳でも、人と違うところがあっても……あなたは、私の息子よ」

「うっ……」

「私たちの元に、生まれてきてくれてありがとう」

「ぐすっ……」

 

 ……現実のゼニスも同じことを思ってくれるのだろうか。同じことを言ってくれるのだろうか。

 今、目の前でゼニスが言ってくれていることは、全部俺の願望で、現実のゼニスが本当のことを知ったら俺のことを罵倒するかもしれない。

 自分よりも年上の息子を受け入れてくれないかもしれない。

 でも、幻でも、幻想でも、投げかけてくれる言葉が、思いが本当に嬉しかった。

 

「なんだよ、そんなこと気にしていたのか」

 

 目を向けると、パウロは呆れたようにため息をつきながらも、どこか安心したように微笑み、腕を組んでいた。

 

「ルディはルディだろ? だったら関係ないさ。お前がいくつであろうと、親ってのはずっとは親なんだ」

 

 そう言って、パウロも手を伸ばし、俺の頭を撫でようとしてくれた。

 

 ……もしかしたら、現実でも――二人は俺のことを受け入れてくれるかもしれない。

 たとえ過去のことを打ち明けたとしても、それでも俺を家族だと言ってくれるかもしれない。

 

 パウロは父親として、決して完璧じゃなかった。

 けれど、家族に注ぐ思いは、本物だった。

 自分よりも年上の息子を受け入れてくれる。

 

 ――そうであってほしい。

 

 そんなことを、ただ静かに思っていた。

 

 

 

 そして、パウロの手が俺の頭に触れそうになった、その瞬間――

 

 まるでスイッチが切り替わったかのように、周囲の温もりが一瞬で消え失せた。

 心地よかった空気が凍りつくような冷気へと変わり、肌を刺すような寒さが全身を包む。

 視界も暗転し、光さえ届かないような深い闇に包まれた。

 

 目の前にあったパウロの手が、まるで幻だったかのように俺の頭をすり抜け――そのまま、力なく落ちていく。

 次の瞬間、パウロの姿が急に変わった。小さくなった……いや、違う。下半身が、消えている。

 

 ドサリ、と、生々しい音が響いた。

 パウロの上半身が、まるで命を失った人形のように、地面に崩れ落ちる。

 その顔は、さっきまでの優しい微笑みとはまるで別人だった。虚ろな目、表情のない顔で。

 力の抜けたその目で、パウロはただ、じっと俺を見上げていた。

 

 ――気がつけば、ゼニスの姿も、どこにもなかった。

 

 動けない体のまま、パウロは俺を見上げていた。

 

「ル……ディ…………」

 

 くぐもった、湿った声。

 生気のない、その目。

 そして――目尻からも、口元からも、赤黒い液体がどろりと垂れていた。

 

 あの時、パウロは咄嗟に俺を蹴り飛ばした。

 けれど、俺はもう成長していて、体格も大きくなっていた。

 だから、俺を押し飛ばすためには、場所を入れ替えるように自分の身を差し出すしかなくて……。

 

 

 ――気持ち悪い。

 胸の奥から、何かがせり上がってくる。

 パウロの、その姿に、吐き気がした。

 あれは…………かつて見た……パウロの……死に顔で。

 あのとき、

 俺を……、見つめていた、あの目が、また――。

 

 

 


 


 

 

 

「はっ……! ……はぁ……はぁ……」

 

 息を荒げながら、俺は目を覚ました。

 目からは涙が止めどなくぽろぽろと溢れていた。

 息が苦しくて、もがくように胸元の服を握りしめる。

 

「くっ……」

 

 嫌な、すごく嫌な夢を見た。

 パウロが、死ぬ夢だ。

 ヒュドラと戦う前に、そんな悪夢を見るなんて……不吉すぎる。

 本当に大丈夫なのか。今回は、ちゃんと全員で生きて帰れるのか。

 ……できるなら、今度こそ、誰も死なせたくない。

 

「ルディ?」

 

 パウロの声が聞こえてきた。

 今は迷宮の最奥へと挑む前、最後の休憩時間だ。

 本来なら、アレク以外はみんな眠っているはずだったが――どうやら、パウロも目を覚ましていたらしい。

 

 パウロはゆっくりと俺のそばに腰を下ろす。そして、俺の顔を覗き込んだ。

 

「父様……」

「どうしたよ、ルディ。……悪夢でも見たのか?」

 

 そう言って、パウロは俺の頭に手を伸ばしてきた。

 その仕草に、俺は一瞬だけ、条件反射のように身を引いてしまう。

 けれど――その手は、夢の中のようにすり抜けたりはしなかった。

 しっかりと俺の頭に触れ、温かさを伝えてくる。

 それだけのことなのに、胸の奥がじわりと熱くなる。

 ああ、まだ大丈夫だ。まだ、パウロは生きている。

 

 だけど、不安は消えない。

 

「……死なないでくださいね、父さん」

 

 俺の言葉に、パウロは少しだけ驚いた顔をした後、ふっと笑った。

 

「……ほんと、急にどうしたんだ?

 母さんを助けるまでは、そう簡単に死なねぇよ。心配するな」

 

 そう言ってるけど、パウロは前回では俺を庇って死んだ。

 ゼニスが無事かどうかも確認できないまま、先に逝ってしまった。

 そのことを思い出し、黙りこむ俺を見て、パウロはまた微笑んで言った。

 

「ルディはガキの頃から随分と大人びていたと思っていたが、まだまだ子どもだな」

 

 ……中身は百歳超えてますけどね。

 でもまあ、心はいつまでも思春期だから。

 

「母様。絶対に助け出しましょうね。誰一人も欠けることがないように」

「ああ…………そうだな」

 

 そう言うと、パウロは一瞬だけ表情を曇らせたが、またすぐにいつもの調子に戻った。

 

「まあ、まずは守護者をどうにかしないとな」

「……不安です」

「弱気だな、おい」

 

 パウロは苦笑しながら、俺の額を軽く小突いた。

 

「まだ時間はあるんだ。ルディは、もう少しだけ休んどけ」

「……はい。父様も……あまり無理はしないでください」

 

 パウロは「わかった」と一言返すと、立ち上がって背中を向けた。

 

 きっと、大丈夫なはずだ。

 だから今は、少しだけ安心して眠ろう。

 

 

 今度は、夢など見なかった。

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