俺は目の前の現実を受け入れられず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
巻き戻って――助けるチャンスまで手に入れたというのに、結局何も変えることができなかった。
両手が地面に落ち、荒い呼吸だけが耳に響く。
変われると思っていた。今度こそ変えることができると信じていた。
今度こそ、助けられると……。
なのに、結局俺には――何も……何一つ…………。
「あれは……?」
ロキシーの声がした。
何かに気づいた時の、わずかな戸惑いを含んだ声だった。
考えたくなかった。
助けられなかったという事実から逃げるように、反射的に後ろを振り返る。
――そこにあったのは、
この薄暗い空間には似つかわしくない、穏やかで柔らかな光だった。
闇を押し返すような眩しい光が、ヤマタノオロチもどきの尾から放たれている。
その光の上では、ピー助が小さく鳴きながら飛び回っていた。
……え、お前、いつの間に?
光は神秘的で、目を離せなかった。
吸い寄せられるように見つめていると、ふっと光が弱まり、ピー助がこちらへ飛んでくる。
「ぴっ!」
「ピー助?」
一声鳴くと、すぐに背を向け、元の場所へ戻っていく。
……着いてこい、ってことか?
俺は迷わずそのあとを追った。
光の発生源――倒れた守護者の方へ駆ける。距離は短く、すぐに辿りついた。
そこで俺が見たのは――
八つの頭を失った巨大な胴体。そして、その尾に突き刺さったままの、
――鈍い輝きを放つ、ひと振りの剣。
「……これは」
ため息にも似た声が漏れた。
何も分からなかった。
この剣が何なのか。なぜピー助が導くようにここへ連れてきたのか。
もしかしたら危険かもしれないし、ヒトガミの思惑が絡んでいる可能性だってある。
それなのに――俺の手は、自然と剣へ伸びていた。
吸い寄せられるように、ふらふらと。
もう少しで柄に触れる。逃げるべきだという警告よりも、手を伸ばす衝動の方が強かった。
そして、握りしめた――。
その瞬間、魔力だ。
ズルズルと、底なしの穴に吸われるように、俺の魔力が剣へ吸い込まれていくのがわかった。
周囲にドーム状の結界のようなもの広がり、きらめく星の粒が散っていくように見える。
頭がガンガンし、足元から力が抜けていく。
血が逆流するような気持ち悪さに、指先が急速に冷えていった。
ゼニスの無事も、パウロの安否も、確かめられないまま――
俺の意識は、闇へと沈んでいく。
――『この力は君の助けになる』
頭の奥に、誰かの声が響いた。
夕焼けの日が、足元に長い影を落とす。
目の前が暗くなったと思ったら、俺は公園の入り口に立っていた。
きょろきょろと周りを見渡すと懐かしい遊具ばかりで。
ブランコに滑り台、鉄棒にジャングルジム。
…………そういえば、この公園は前世の俺が小さい頃によく遊びにきていたところだ。
これは……まさか、走馬灯か?
えっ、俺、死んだ?
いや、ないない。……たぶん、これは夢だ。
地元にあった公園のことなんてずっと忘れていた。
前世の俺はずっと引きこもっていたし。
俺にとっては随分と昔のことになってしまったけど、記憶の奥底では覚えていたのかな。
二頭身しかない双子の姉も、「一度あったことは忘れない。思い出せないだけ」なんてこと言ってた。
……てか、あいつら顔デカすぎじゃね?
カ〇ナシに負けず劣らず、食事量もきっと半端ない。
豪快なバアさんだ。
…………こんな光景だったのだろうか。
辺りはもう、夕暮れ時だった。
オレンジ色や赤色に染まる空、シルエットになった街並み、カラスも鳴いていてどこかもの悲しい雰囲気を漂わせていた。
ふと気がつくと、公園の一角で足を抱えて途方に暮れている少年がいた。
アイシャやノルンくらいの、いやもう少し小さいかもしれない。
その子は足を抱えて下を向いていた。
まったく動く気配が無かったから、試しに傍によってみたが、どうやら俺には気づいていない様子だった。
……夢だしな。
この子も俺が作り出した幻に違いない。
「◾︎◾︎◾︎! こんなところにいたのか!」
なつかしい声と、聞き覚えのある名前が耳に届き、思わず振り返った。
人の記憶は声から薄れていくと聞いたことがある。
けれど、どうやら俺は思った以上に覚えていたらしい。
最初に忘れるのは声で。
次に顔。
そして最後に思い出。
けれど、死の間際にもっとも長く残るのは、聴覚だという。
人は声から忘れる。
だからこそ、最後に求めるのは“誰かの声”なのだろうか。
前世の俺が息を引き取ったとき、最後まで消えなかったのは、降りしきる雨に混ざるサイレンの音と、周囲の悲痛な声。
そして、胸の奥にびっしりと張りついて消えない孤独感だった。
けれど、ルーデウスとして迎えた最後は、その真逆で……。
前世のことを思い返すと、どうしても胸の奥に悲しさが広がる。
そして、今、通り過ぎていった人の顔を見た瞬間、心臓を鷲づかみにされたような痛みに襲われた。
「――にいちゃん」
思っていたことが口から飛び出したのかと思った。
だけど、呼んだのは俺じゃなくて座り込んでいた少年、
いや――前世の俺だった。
子どもの頃の俺と兄貴が目の前にいた。
「帰りが遅いから探しにきたんだ。ん、どうしたんだ。足、怪我したのか?」
「『今こそ重力との和解の時!』って感じでブランコから飛び降りたら、すっ転んだ」
「バカなの? バカなの、お前」
「ギネス級の綺麗な着地、兄ちゃんにも見せてやりたかったぜ」
「できてないでしょ……。よくそれだけで済んだな。大丈夫か、歩けるか?」
「……歩くと痛いの」
「はあー、仕方ないな。ほら、おぶってやるから。乗れ」
目の前にいる俺が兄の背中に負ぶわれながら、ふと思う。
……俺の前世、あんな馬鹿だったの?
というか、懐かしいな……。
前世でガキの頃、ああいうアホな遊び、めちゃくちゃ流行ってたんだよな。
ブランコを全力でこいで勢いをつけ、そのままジャンプして飛び降りる――今考えると脳みそまで飛んでいきそうな遊びだ。
当時の小学生の間では「誰が一番遠くまで飛べるか」なんて、危険極まりない大会みたいなノリになっててさ。
さらに調子に乗ったやつは、ブランコをぐるんと一回転させて、上の支柱に巻きつけようとするという、救いようのないアホ技にも挑戦していた。
「てか、兄ちゃんはなんでここにいるの?」
「お前の帰りが遅かったからな。母さんに探してこいって言われたんだ」
…………。
「よし、じゃあ帰るか」
そう言って、兄貴は歩き出した。
――思い出す。
最後に見た兄の表情は、溢れんばかりの怒りだった。
兄が笑っている顔なんて、いつから見なくなってしまったんだろう。
前世の俺は、人生のほとんど半分をひきこもって過ごした。
家族から目を逸らし続けて、最後には優しい兄を、本気で怒らせてしまった。
……なんで、こんな夢を見るんだ。
以前の時もそうだった。ふとした瞬間に、兄貴たちのことを思い出す。
今、ルーデウスとしての人生が穏やかで、幸せであればあるほど――
前世の俺が、胸の奥から静かに顔を出してくる。
そのたびに、ナナホシに託す“兄への手紙”が増えていった。
歳を重ねれば重ねるほど、伝えたいことも、謝りたいことも増えていく。
何度書いても、まるで足りなかった。
本当は、手紙なんかじゃなくて。
直接、兄貴と……いや、兄さんと話がしたかった。
許してもらわなくてもいい。
きっと、どれだけ痛い思いをしても構わない。
それでも、もう一度だけでいいから――
兄さんと話したかった。
会いたかったんだ。
「兄さん、ごめん」
気づけば、言葉がこぼれていた。
兄貴は顔だけこちらへ向ける。
そして――目が合った、気がした。
……いや、多分、それは気のせいで。
「ん? 別に大丈夫だぞ。そんなに重くないし、俺は疲れてないから」
………………。
「どうしたんだ? ◾︎◾︎◾︎」
気づけば、俺は兄貴の背中にいた。
視点が高くて、揺れて、温かい。
……ああ、そうか。
これは――夢、なんだよな。
……。
「俺ね、兄さんに……ほんとにひどいことをしたんだ。
家族の縁を切られてもおかしくないような……そんな……。
俺だったらさ、絶対に許さないような……」
言っているそばから、自分が嫌になる。
自分で自分を殴りたかった。
本当に、馬鹿みたいなことをしてきた。
「俺は◾︎◾︎◾︎のこと、嫌いになったりなんかしないよ」
………………。
「俺らは兄弟なんだからさ。喧嘩しても、また仲直りできるって」
「だから――」
……。
「――もう泣くなよ」
気づけば、泣いていた。
目から涙が止まらなかった。
「うっ……くっ……」
……前世で、俺が死んだあと。
兄貴はどんな気持ちだったんだろう。
まさか、穀潰しのクズニートを家から追い出した直後に交通事故に遭うなんて、思わないよな。
どうか罪悪感なんて抱いてないといい。
兄貴のせいじゃないから。
……あ、でも。
よく考えたら俺、殴られてボコボコになってたよな?
もし警察がそのこと知ったら、兄弟が暴行で捕まったりするのか?
……そんなの、申し訳なさすぎる。
ってことはやっぱり、兄貴は俺のこと憎んでるのかもしれない。
死んでまで足枷になってるんだから。
「……兄さんは、俺のこと……許さなくていいから……」
「◾︎◾︎◾︎?」
前世の両親……どうして死んだんだっけ。
二人同時だったんだよな。
病気じゃない。事故だったのか?
それとも――俺がいたから?
俺のせいで、心を病んでしまって……?
そんなことを考えていると、目の前が真っ白になった。
ああ、覚醒する。
夢が終わる。
『――――ルディ』
『まさか……俺のせい、なのか?』
『なんでだよ……。なんで死んだんだよ……◾︎◾︎◾︎』