湖をテーマにした短編小説です

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水底からの声

「水底(みなぞこ)からの声」

 

---

 

夜明け前、霧が湖面を這っていた。

その湖は、村人たちに「水鏡(みかがみ)」と呼ばれていた。まるで空を写す鏡のように静かで、澄んでいて、底が見えないほど深い――と、言われていた。

 

大学生の圭介は、ゼミのフィールドワークでこの湖を訪れた。指導教授の薦めもあったが、もう一つ、個人的な理由があった。

それは、亡き祖母の遺品に残されていた一枚の写真――湖のほとりで立ち尽くす少女の後ろ姿。写真の裏にはこう書かれていた。

 

「かえして。水底に、わたしの声が、まだいるの。」

 

 

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  **水底からの声**

 第二章「湖の記憶」

 

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圭介は写真を手に、湖畔へと向かった。

周囲には人の気配はなく、鳥のさえずりさえもない。不自然な静けさが、耳を圧迫するようだった。

 

湖の水面は鏡のように静まり返っていた。

写真と同じアングルを探しながら、彼は湖を囲む森の中に踏み込んだ。足元の落ち葉が湿っており、何かを踏んだような柔らかさを感じる。――それは気のせいだと、圭介は自分に言い聞かせた。

 

古びた祠(ほこら)が木々の間に姿を現した。

屋根は苔むし、御神体らしきものはすでに失われていたが、代わりに小さな石像が祠の隅に立っていた。

――その像には、奇妙なことに「耳」がなかった。

 

圭介がカメラを向けた瞬間、バッという音と共に風が起こった。

霧が湖の方向から立ち上り、瞬く間に森を包んでいく。彼の視界はぼやけ、森の音もすべて霧の奥へと吸い込まれていった。

 

「……おかえり。」

 

耳元で、かすれた女の声がした。

 

思わず振り返るが、そこには誰もいない。

ただ、足元の落ち葉の中に、小さな足跡があった。裸足のようだった。

 

 

 

---

 

  **水底からの声**

 第三章「沈んだ村」

 

---

 

圭介は、急ぎ足で湖畔へ戻った。

だが、霧はますます濃く、もはや数メートル先すら見えない。何より、歩くたびに足元がぬかるみ、まるで湖へと引き込まれているような錯覚を覚えた。

 

湖のほとりにたどり着いたとき、彼は違和感に気付いた。

――湖が、干上がっていた。

 

信じられなかった。数時間前まで満々と水をたたえていた湖が、まるで巨大な生き物に水を飲み干されたかのように、底を見せていたのだ。

 

湖底には、かつての村の跡が広がっていた。

傾いた鳥居、崩れかけた石垣、そして瓦礫の間から覗く家屋の一部。まるで時間が止まったかのような光景だった。

 

そのとき――

湖底の村の中央にある広場のような場所に、ひとりの少女が立っているのを見た。

 

白いワンピースを着て、長い黒髪を風に遊ばせながら、こちらをじっと見つめている。

 

圭介は、無意識に一歩を踏み出した。

泥に足を取られながら、少女に向かって進んでいく。心臓が異様な速さで脈打つ。

少女は動かない。ただ、微笑んでいるようだった。

 

そして、彼が広場にたどり着いたその瞬間――

少女の口が、ありえないほど大きく裂けた。

 

「かえして……わたしの、こえを。」

 

耳をつんざくような叫び声が、圭介の全身を貫いた。

 

気づけば、足元の泥から無数の白い手が伸び、彼の足を掴んでいた。

 

「助けて……!」

必死に叫ぶが、声は霧に吸い込まれ、誰にも届かない。

 

圭介の意識は、湖底へ、暗く冷たい闇へと引きずり込まれていった。

 

 

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  **水底からの声**

 第四章「水底(みなぞこ)の真実」

 

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目を覚ましたとき、圭介は自分が湖のほとりに横たわっていることに気づいた。

辺りにはもはや霧はなく、湖は元のように満々と水をたたえていた。

だが、彼の全身は泥まみれで、まるで本当に湖底を這いずり回ったかのようだった。

 

震える手でポケットを探ると、あの写真が湿ったまま出てきた。

裏返すと、裏に書かれていた文字が滲んで、別の言葉になっていた。

 

「かえして。おまえのこえも。」

 

ゾクリと背筋が凍った。

圭介は、声を出そうとした。助けを呼びたかった。

 

――しかし、声が出なかった。

 

喉は動くのに、空気しか漏れない。

叫ぼうとすればするほど、ただ空虚な音が湖に吸い込まれていく。

 

そのとき、彼の耳元に、またあの少女の声がささやいた。

 

「もう、おまえも、水底(みなぞこ)だよ。」

 

圭介は慌てて立ち上がり、村へ戻ろうとした。

しかし、湖畔の景色が微妙に違っていることに気付く。

舗装された道がない。見覚えのある橋も、民家も、すべてが、古びたままの姿になっていた。

 

まるで――

何十年も、いや、何百年も前の世界に迷い込んでしまったかのようだった。

 

そして、湖面に映る自分の姿を見ると、さらに血の気が引いた。

 

水に映っていたのは、白いワンピースを着た少女の姿だった。

その顔は、間違いなく、圭介自身だった。

 

 

 

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  **水底からの声**

 第五章「沈黙の村」

 

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圭介は、あまりの恐怖に震えながらも、足を動かし始めた。

元いた村へ、ゼミの仲間たちのもとへ戻らなければ――そう思っていた。

 

しかし、湖畔を離れるにつれて、違和感はますます濃くなった。

 

家並みは朽ち果て、畦道にはぼろぼろの案山子が立っていた。

すれ違う人々も、どこかおかしい。顔が見えない。

目も鼻も口も、ただののっぺらぼう。

 

「……助けてください!」

 

圭介は、声なき声で叫んだ。

だが、誰一人として振り向く者はいなかった。

 

そのとき、村の中央にある神社の鳥居が目に入った。

あの祠――耳のない石像があった場所――そこなら、何か手がかりがあるかもしれない。

一縷の望みにすがり、彼は神社へ駆け込んだ。

 

境内に入ると、空気が一変した。

生ぬるく湿った風、どこからともなく漂う腐臭、そして、地面を這う無数の白い指。

 

拝殿の前には、あの少女が待っていた。

 

もう逃げられない。

圭介は悟った。

 

少女は静かに手招きした。

その手は、圭介の祖母と同じ、あの写真の中の少女と、同じだった。

 

「おばあちゃん……?」

 

かすかに、圭介は心の中でつぶやいた。

 

少女はにっこりと笑い、囁いた。

 

「声を、つないで。ずっと……ここで。」

 

白い手が四方八方から圭介に伸び、彼を神社の床下へ引きずり込んだ。

彼の意識は暗闇の中で溶け、消えた。

 

そして、湖の水面には――

新たな"声なき者"の影が、ひとつ増えた。

 

 

 

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  水底からの声

 第六章「永遠の湖へ」

 

村に朝が来ることはなかった。

霧は晴れず、太陽は昇らず、ただ永遠に続く薄暗い空が、圭介たちを覆っていた。

 

時折、湖面に浮かぶ小さな波紋だけが、時間の流れをわずかに感じさせた。

それ以外、すべてが静止していた。

 

圭介の意識は、ぼんやりとしたままだった。

自分が誰だったのか、何をしていたのか、思い出すことすらできない。

ただ、心の奥底で、確かにひとつの願いだけがくすぶっていた。

 

「ここから、帰りたい。」

 

しかし、その想いは声にならなかった。

 

湖畔には、今日もまた新しい訪問者がやってくる。

観光客、心霊マニア、学生たち――。

 

彼らは知らない。

この湖が、訪れる者すべての「声」を、静かに飲み込んでいくことを。

 

そして今日もまた、霧の中にひとつ、足音が消えた。

 

湖面には、数えきれないほどの影が揺れていた。

顔も名前も失った者たちが、永遠に「誰か」を待っている。

 

やがて、あなたがこの湖を訪れる日も来るかもしれない。

そのときは、どうか耳をすませてほしい。

 

湖の底から、かすかなささやきが聞こえるだろう。

 

――「かえして。おまえのこえを。」

 

 

水底からの声Ⅱ ―封印の村―

 

あれから数年。

湖の存在は世間から完全に忘れ去られていた。だが、ひとりの若い記者・美月(みつき)が、失踪した兄・圭介の行方を追って、"消えた湖"の噂に辿り着く。

 

古びた村の資料を掘り起こし、かつて村ごと沈められた「封印の儀式」の存在を知った美月。

しかし、彼女が再び湖畔へ足を踏み入れたとき、過去に封じられた"声"たちが、ふたたび蠢きはじめる。

 

湖は、まだ終わっていなかった――

いや、より強く、より飢えて、彼女を待っていたのだ。

 

 

 

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  **水底からの声Ⅱ ―封印の村―**

 プロローグ「兄の最後のメッセージ」

 

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そのメールは、二年前の秋の日に届いた。

差出人は兄――圭介。

 

内容は短かった。

 

> 「水鏡(みかがみ)村に行く。

> もし俺から連絡が途絶えたら、絶対に来るな。

> ――そして、俺を探すな。」

 

美月は何度も何度も、画面を見返した。

あのとき、なぜもっと必死に止めなかったのか。なぜ、警察に相談しなかったのか。

 

後悔だけが、胸に突き刺さる。

 

それ以来、兄からの連絡は途絶えた。

携帯は圏外、SNSも更新されず、友人たちも誰一人、行方を知らなかった。

 

ただひとつだけ手掛かりがある。

兄が最後に口にしていた地名――「水鏡村」。

地図にも載っていない。インターネットで検索しても、情報はごくわずか。

 

「存在しない村」。

それが、ネット上での通り名だった。

 

だが、美月は諦めなかった。

兄を探すため、真実を知るため、そして――

 

**自分自身の「声」を守るために。**

 

彼女は、重い扉を開く覚悟を決めた。

 

次の週末、リュックに荷物を詰め、誰にも行き先を告げずに、列車に乗った。

 

行き先は、"地図から消えた村"。

水鏡湖が、彼女を待っているとは知らずに――。

 

 

 

---

 

  **水底からの声Ⅱ ―封印の村―**

 第一章「封印の村」

 

---

 

最寄り駅で降りたとき、空は一面の曇天だった。

美月は手にした地図アプリを見ながら、歩き出した。

 

山奥の古道を辿り、廃屋をいくつも通り過ぎた。

舗装もされていない、誰も使わなくなった林道を抜けると、奇妙な木製の看板があった。

 

> 【此より水鏡村】

 

その瞬間、風がざわりと吹いた。

周囲の木々がささやくように揺れ、美月は思わず身震いした。

 

村に入ったとき、彼女は違和感を覚えた。

空気が重い。音がない。まるで音そのものが、吸い取られているかのようだ。

 

家々は全て古びており、住人の姿はない。

だが、確かに「誰かが暮らしていた」痕跡はある。

洗濯物が干されていたり、炊事場に生ぬるい茶碗が並んでいたり。

 

それでも、人の姿だけが見えない。

 

「……兄さん、ここに来たのね。」

 

そう呟いたとき、風が止んだ。

そして、風鈴の音が――どこかから聞こえた。

 

カラン……カラン……

 

音のする方へ向かうと、一軒の家の前に出た。

その家には、表札もなく、扉はわずかに開いていた。

 

美月は意を決して中に入る。

畳の匂い、古い墨の香り。どこか懐かしい空気だった。

 

ふと、仏間の一角に、封筒が置かれているのに気付いた。

黄ばんだ紙には、こう書かれていた。

 

> 「水鏡の封印を、破ってはならぬ。

> 声は、継がれてゆくもの。」

 

中には、一冊の古びた日記と、一枚の白黒写真。

 

そこに写っていたのは――

白いワンピースを着た、顔のぼやけた少女だった。

 

そしてその隣に、立っていた男の顔は、紛れもなく兄・圭介だった。

 

 

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  **水底からの声Ⅱ ―封印の村―**

 第二章「祠の中の記録」

 

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日記は、昭和初期の筆跡で綴られていた。

墨が薄れ、ところどころ読みづらかったが、美月は慎重にページをめくった。

 

> 昭和十二年六月七日

> 湖の封印を強めるため、今年も祠の儀が行われた。

> 巫女は八歳。名は澄乃。声を捧げる役を仰せつかった。

 

> 昭和十二年六月十日

> 澄乃の声が消えた。

> それ以来、湖の水位が安定している。やはり、声は封印に必要なのだ。

 

美月の手が止まる。

「声を捧げる」とはどういう意味なのか。

まさか、人間の声を、何らかの形で湖に――?

 

さらに読み進めると、信じがたい記述が現れた。

 

> 昭和十三年八月五日

> 声が足りぬ。湖が呻いている。

> 新たな声を差し出さねばならぬ。今度は、外の者を――

 

そのとき、美月の背後で、**ギィ……**と床がきしんだ。

 

ハッと振り返るが、誰もいない。

ただ、風鈴の音だけが、また遠くで鳴っていた。

 

カラン……カラン……

 

恐怖に駆られつつも、美月は写真の裏を見た。

そこには赤いインクで、こう書かれていた。

 

> 「次は、おまえの番。」

 

心臓が跳ねた。

部屋の隅に置かれた古びたテレビが、**ジ……ジジ……**と雑音を立て、突然、映像を映し出した。

 

画面には、湖畔に立つ少女――

そして、彼女のすぐ隣で、こちらを見つめる圭介が映っていた。

 

その圭介が、画面越しに口を動かした。

 

**「ミツキ、逃げろ……封印が……破られる……」

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  **水底からの声Ⅱ ―封印の村―**

 第三章「湖底からの手紙」

 

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映像が途切れた瞬間、部屋の照明が一斉に消えた。

同時に、低いうなり声のような音が家全体に響く。

 

「……兄さん……」

 

美月は思わず、圭介の名前を口にしていた。

 

暗闇の中、再び日記のページを照らそうとスマホを取り出すが、バッテリーは異常に早く消耗し、すでに真っ黒だった。

だがそのとき、不意に足元に何かが滑り込んだ。

 

封筒だった。

中には、濡れた便箋が一枚入っている。筆跡は、兄・圭介のものだった。

 

> 「声を奪われると、人は記憶を失う。

> 村の者は、みなかつて“誰か”だった。

> 水鏡湖の底には、“声だけ”が沈んでいる。

> 奪われぬうちに逃げろ。……俺はもう、戻れない。」

 

涙がにじんだ。

圭介は、生きていた――だが、もう“声”を失ってしまったのだ。

 

彼を救う方法は、あるのか?

何が“封印”を維持し、誰が“声”を奪っているのか?

 

そのとき、外でまた風鈴が鳴った。

 

カラン……カラン……

 

がらんどうの村に、不意に現れる音。

 

美月は、すべての謎の中心が湖にあると確信した。

兄を、そしてかつての村人たちを呪縛から解き放つには、湖の底に潜るしかない――

 

しかし、彼女はまだ知らなかった。

 

湖の底には、声を奪われた“巫女”が、ずっと彼女を待っていることを。

 

 

 

---

 

  **水底からの声Ⅱ ―封印の村―**

 第四章「声を継ぐ者」

 

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夜が訪れた村には、月も星も現れなかった。

ただ、湖の水面が、どこからともなく青白く光っていた。

 

美月は覚悟を決めて、湖のほとりに立った。

兄の言葉、日記の記録、封印の警告――すべてがこの湖へと繋がっていた。

 

湖畔には古びた鳥居があった。

その奥には小さな祠。かつて“声”を捧げた巫女を封じたと伝えられる場所。

 

その祠の前に、一体の石像が立っていた。

 

それは、耳のない少女の像。

だが、その顔は美月の目の前で、少しずつ変化を始めた。

 

ぎし、ぎし、と石が擦れる音とともに、像の口がゆっくりと開き、かすかに「ミツキ……」と呼ぶ声が、どこからか響いた。

 

「やめて……!」

 

叫んだ瞬間、湖面が波打ち、霧が立ちこめる。

水の中から、無数の白い手が伸び、湖岸を這い始めた。

 

そして、湖の中央に浮かぶように、一人の少女が現れた。

 

白いワンピース。長い黒髪。表情のない顔。

かつて“声”を捧げられた巫女、澄乃だった。

 

「……あなたが、継ぐのね……」

 

彼女の口が動いた瞬間、美月の喉に激痛が走る。

声が、引き抜かれそうになる――!

 

そのとき、背後から誰かが彼女を抱きかかえた。

 

「逃げろ……美月!」

 

兄だった。

圭介は、もう声を失っているはずなのに、美月の耳には、はっきりと届いた。

 

圭介の胸から、青白い光があふれ出す。

それは彼の“声”の残滓。記憶の断片だった。

 

「封印を解くには、“声を返す”しかないんだ……俺を……使え……」

 

 

 

---

 

  **水底からの声Ⅱ ―封印の村―**

 第五章「水鏡の向こうへ」

 

---

 

圭介の胸元から放たれた光は、美月の身体を包み込んだ。

痛みが、嘘のように消えていく。

 

兄の“声”が、彼女の中に入ってくる。

記憶のかけら、幼い頃の笑顔、湖畔で手を繋いだ夏の日――

 

「兄さん……」

 

涙があふれた。

その声はもう震えていなかった。

 

美月は立ち上がる。

澄乃の霊は、水面の上に静かに浮かんでいる。

彼女は、ずっと待っていたのだ。誰かが“自分の声”を取り戻してくれることを。

 

美月は胸に手を当て、圭介の声をそのままに口を開いた。

 

「……これが、あなたの声……返すよ」

 

その瞬間、湖が激しく波打ち、光の柱が空へと立ち上った。

 

霧が一気に晴れ、白い手たちは音もなく湖へと戻っていく。

澄乃の姿もまた、少しずつ透明になっていった。

 

「ありがとう……次は、あなたが……声を……つないで……」

 

そう言って、彼女は静かに湖の底へと沈んでいった。

 

気づけば、美月は湖畔に一人立っていた。

朝日が昇り、初めて空に光が差し込んでいた。

 

湖面は穏やかで、そこにはただ美しく空が映っていた。

――まるで、すべてが夢だったかのように。

 

---

 

**エピローグ**

 

数週間後、美月はある新聞社の新人記者として配属された。

 

彼女の机の上には、誰にも公開されていない一冊の原稿がある。

 

タイトルは――

**『水底からの声 失われた村と記憶の記録』**

 

彼女はペンを取り、最初の一文を書き始めた。

 

「この湖には、声が沈んでいる。

 けれど、忘れられた声は、誰かがつながなければならない――」

 

そして、窓の外の空に、兄の笑顔が一瞬、映った気がした。

 

 

---

 

  **水底からの声Ⅲ ―鏡の村と終わらぬ声―**

 プロローグ「記録が語るもの」

 

---

 

録音機が、カチリと音を立てて止まった。

 

水野美月は、取材を終えたばかりのテーブルの上でノートを閉じ、ゆっくりと目を伏せた。

あれから二年――水鏡湖の事件は、ほとんど誰にも知られぬまま、時の中へと沈んだ。

 

だが、彼女は忘れていない。

 

あの湖で失われた声、封印された巫女、そして自分の兄――圭介の存在。

 

美月は自身の記憶と記録をまとめたノンフィクション原稿を、出版社への持ち込みではなく、自ら匿名でブログに掲載するという形で世に出した。

“封印された村”“声を奪う湖”というキーワードは、瞬く間にネットで拡散され、オカルトフォーラムの片隅で語り継がれるようになった。

 

――だが、ある日。

 

フォーラムの一角に、不気味な投稿が現れた。

 

> 【水鏡村、まだあるよ】

> 投稿者:名無しの記録者

> 内容:この前、都内某所で「水鏡の儀式」を試した。

> 鏡を深夜2時に覗き込んだら、誰かの“声”がした。

> 次の日、その鏡を見た友人が消えた。マジで笑えん。

 

ただの悪ふざけだと思っていた。

だが、それから数日、都内郊外の古い集落で、実際に「鏡の怪異」が報告されはじめた。

 

美月はすぐに動いた。

声は終わっていなかった。

湖の底から、誰かが“つながって”きている――そう感じた。

 

そして、彼女の元に届いた一通の手紙。

 

> 「あなたが声を継いだのなら、次は“鏡の村”へ来てください。

> 封印は、まだ一部しか閉じていません。」

 

差出人の名前はなかった。

だが、美月はその筆跡に、見覚えがあった。

 

――兄・圭介の筆跡だった。

 

---

 

  **水底からの声Ⅲ ―鏡の村と終わらぬ声―**

 第一章「鏡の村の噂」

 

---

 

「久賀理央(くが りお)さん、で間違いないですか?」

 

美月は、都内の古びたカフェで、慎重に言葉を選んだ。

向かいに座る大学生の青年は、黒縁のメガネを押し上げながら小さくうなずいた。

 

「はい。あなたが“水鏡村”の記事の作者ですね? ずっと話したかったんです。」

 

久賀は、大学の民俗学サークルに所属する学生だった。

彼が関心を持ったのは、美月のブログに記された“声と封印”の物語。だが、それは興味本位ではなかった。

 

「僕の地元に、“鏡の村”って呼ばれる地区があるんです。実際の地名は"真堀(まぼり)"って言います。そこに、鏡を祀る神社があって、昔から“覗いてはならぬ鏡”の話が伝わっていて……。」

 

久賀はスマホを差し出した。

そこには、夜の神社の境内にぽつんと置かれた手鏡の写真が写っていた。

 

「これを見た友人が、次の日から行方不明になったんです。……残ったのは、この録音だけ。」

 

美月はスマホを受け取る。

再生すると、ひどくノイズの多い音声の中に、かすかに聞き覚えのある女の声が入っていた。

 

「……ミツキ……つないで……鏡の……むこうへ……」

 

声は、澄乃だった。

 

――湖の巫女。かつて“声”を捧げられ、成仏したはずの少女。

なぜ彼女が、また現れたのか?

 

「もう一度、行くしかない。」

美月は立ち上がり、目を閉じて深く息を吸った。

 

次の目的地は、“真堀(まぼり)”――鏡の村。

 

今度こそ、すべてを終わらせるために。

 

 

 

---

 

  **水底からの声Ⅲ ―鏡の村と終わらぬ声―**

 第二章「消える者たち」

 

---

 

真堀(まぼり)村は、都心から電車とバスを乗り継いで数時間の、山間に隠れた集落だった。

舗装の剥げた道、低い屋根の古民家、そして村の中心に静かに佇む小さな神社――。

 

鳥居をくぐると、不気味な静けさがあたりを包み、美月は本能的に息を呑んだ。

 

久賀の案内で境内の奥へ進むと、そこには古びた石碑が立っていた。

 

> 「鏡のむこうは、戻れぬ地」

> 「声を移して、封ぜよ」

 

「これ……明らかに“声の封印”と関係あるわよね」

 

美月がそう呟くと、久賀がうなずいた。

 

「この村では昔、“巫鏡(ふきょう)”と呼ばれる神事があって、鏡を通じて霊を鎮めていたそうです。けど、記録はほとんど残っていないんです。ただ――」

 

久賀は背負っていたリュックから、一枚の写真を取り出した。

 

そこに写っていたのは、かすかに笑みを浮かべる少女。白い服、長い黒髪――

その隣には、ぼんやりとした人影が写っていた。顔は見えないが、影の周囲だけが異様に歪んでいた。

 

「これ……消えた友人の最後の写真です。神社の鏡を覗いた翌日に姿を消しました」

 

そしてその夜。

 

民宿に戻った美月の元に、差出人不明のメールが届いた。

 

> 「あなたが来るのを、澄乃さまはお待ちです」

> 添付ファイル:鏡越しに写る“自分自身の背中”の写真

 

一気に血の気が引く。

その写真、美月は撮った覚えがない。

だが写っていた部屋は――まぎれもなく、今自分が泊まっている部屋だった。

 

誰かがこの部屋に入った。

いや、“鏡のむこう”から、誰かがこちらを覗いていた――?

 

 

 

---

 

  **水底からの声Ⅲ ―鏡の村と終わらぬ声―**

 第三章「声の起源」

 

---

 

翌朝、美月は神社の裏手にある古文書庫へ向かった。

久賀の紹介で、村の歴史をまとめていたという元神職の老人に会えることになっていた。

 

土壁の小屋の中、埃だらけの棚から老人が取り出したのは、革で綴じられた分厚い帳面だった。

 

「……これが、真堀に伝わる“巫鏡の記”じゃ。ここに、すべての始まりが書いてある」

 

美月がページをめくると、そこにはこうあった。

 

> 「我らの村の巫女は、水鏡の巫女・澄乃の末なり」

> 「彼女の声は、封じられてもなお、鏡を通じて伝わり続ける」

> 「鏡とは、声の通路なり。目を通して心を引き、耳を奪い、口を封ずるものなり」

 

ページの隅に、古代文字のような記号が連なっていた。

久賀がささやく。

 

「……“澄乃”は死んでなかった。彼女の“声”だけが、封印され、今もこの鏡を通じて――」

 

そのとき、美月の耳元で、突然“それ”は囁いた。

 

**「ミツキ……こちらへ、おいで……」**

 

反射的に振り向くと、そこには割れた手鏡が置かれていた。

表面には、光も差していないはずなのに、何かが“奥”から覗いている。

 

その“何か”の目は、確かに美月のものと、同じ形をしていた。

 

鏡の中の自分が、笑っていた。

 

 

---

 

  **水底からの声Ⅲ ―鏡の村と終わらぬ声―**

 クライマックス「鏡と封印」

 

---

 

神社の鏡殿(きょうでん)に着いたとき、空は鉛のように曇っていた。

 

中央の台座には、手のひらほどの鏡が安置されていた。

それはただの装飾ではない。“巫鏡”――声を閉じ込める器。

 

美月が近づくと、鏡面がゆらりと揺れ、中から少女の顔が現れた。

 

澄乃――

湖の巫女、そして今や“声の媒介者”。

 

「……あなたは、声を継いだ。だからこそ、私をここまで連れてきてくれたの」

 

「どういうこと……? もう封印は終わったはず……!」

 

「いいえ――封印されたのは“私の声”だけ。

私の“意志”は、ずっと鏡に残っていた」

 

澄乃の声が、鏡の中から響いてくる。

その声は、悲しみと怒り、そして希望が混ざったような響きだった。

 

「私が望んだのは、永遠の沈黙じゃない……

誰かに、私の想いを“聞いて”ほしかった……」

 

その瞬間、美月の脳裏に、澄乃の記憶が流れ込む。

 

儀式に捧げられた幼い日、声を奪われ、湖に沈められた瞬間。

彼女の“声”は祈りであり、叫びだった。

 

「……私の声を、“ただの道具”としてではなく、“人”として聞いてくれるなら――」

 

鏡の中の澄乃が、静かに微笑んだ。

 

「この封印、あなたに託します」

 

鏡が音を立てて割れ、光がはじけた。

風が吹き抜け、神社全体が震えたように揺れる。

 

美月は崩れゆく鏡殿の中、残された“欠片”を胸に抱きしめた。

 

それは、澄乃の“本当の声”だった。

 

---

 

 エピローグ「終わりなきささやき」

 

数日後、美月は再び東京へ戻った。

封印は消え、鏡の村には静けさが戻っていた。

 

だが時折、夜の静寂の中、彼女の耳に声が囁く。

 

「ありがとう……わたしの声を、覚えていてくれて」

 

美月は、ほほ笑んで頷いた。

 

声は、封印するものではない。

繋ぎ、伝え、覚えていくもの――。

 

だからこそ、彼女は今も“書き続けて”いる。

 

“声なき者”の物語を――。


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