駐車場の一角で叫ぶその姿は、空気感は、先ほどとはまるで違っていた。
あぁ……と、僕は内心納得する。
これ、天城さんだ。彼女がまとう雰囲気と一緒だ。
学校と今とで、どうしてこうも違うのかわからない。
でも、一つ安心した。
『ママはあたしのこと嫌いみたいだし……だから、話したくない! 一生やだっ!』
いつかの天城さんの言葉。
今のを聞く限り、彼女がお母さんから嫌われている、という事実はおそらくない。
「ママ……?」
天城さんの声に、お母さんはバッと振り返った。
学校で見た氷のような無表情とは程遠い、焦りと困惑の顔。
大きく目を剥いて僕たちを交互に見て、猛獣から逃げ出すように音を殺しながら後退る。
「も、もう何も言わないから、アタシのこと嫌いって言わないで!! ごめんねっ、ダメなママでごめんねー!!」
「ちょ、ちょっと、ママ!?」
涙目で何かを叫んだかと思ったら、勢いよく車に乗り込み、エンジンをかけて発進。
このままだと、何が何だかわけがわからないまま、どちらも何も得をしないまま終わってしまう。
僕にできること……。
何かできること……。
考えて、考えて、考えて。
――走り出した車の前へ、身体を放り出す。
「うわぁああああ!! さ、佐伯ぃいいいい!?」
ゴンッ、と全身に強い衝撃。
不思議と痛みを感じない。
でも意識が抜けたみたいに、脳みそと手足を繋ぐ線が切れたみたいに、上手く身体が動かない。
「何してるの佐伯!? 何しちゃってるの!?」
「ど、どうしよっ! そうだ、警察っ!! アタシ、自首しなきゃ!!」
「救急車!! ママ、先に救急車呼んで!!」
「そそそそっ、そっかそっか! 救急車……って、何番だっけ!?」
天城さんのお母さんが車から降りて来て、僕の頭の上で騒ぎ始めた。
……凄まじくうるさい。
この二人、声まで似ているせいか、天城さんが二人に増えたみたいに感じる。
「だ……大丈夫、ですっ。別に何ともない、ですから……!」
どうにか立ち上がり、小さく息をついた。
鼻血を手の甲で拭い、バッと天城さん方へ向く。
「僕の心配より、やるべきことがあるでしょ!」
「えっ……?」
「そのために、追いかけて来たんじゃないんですか!」
お母さんは止めた。今のところ、僕にできるのはここまで。
ここから先に進めるのは、天城さんしかいない。彼女が行かなければ意味がない。
手を取って、軽く引く。お母さんの方へ近づけて、大丈夫だよと笑いかけ頷く。
「……っ」
彼女も頷き返して、その視線はお母さんへと向いた。
僕はその手を離して、一歩後ろへひく。
「あの、その……ママ……!」
僕への心配でいっぱいだったお母さんだが、娘が目の前に来て顔色を変えた。
「ごめんなさい!!」
勢いよく頭を下げた天城さん。
お母さんは目を見開いて、小さく口を開いて固まる。
「嫌いって言ったの、嘘だから! 本当は好きだから!」
お母さんの手を握り、勢いよく迫る。
いつか僕にやったみたいに、いつも僕にやっているみたいに、全力で言いたいことを言って、全力でやりたいことをやる。
「ずっとずっとずーっと好きで、憧れだから……あたしの芸名、天城
お母さんの両の瞳に涙が浮かぶ。
このひとにはこのひとなりに事情があって、本意ではないのにどうしようもなくて、天城さんに辛く当たっていたのだろう。
家族なのだから、色々あって当然だ。
何より、あの天城さんが娘なわけだし。……苦労しただろうな、本当に。
「うっ、うぅ……!! あ、有咲ぁああああ!! ごべぇええええん!! ママも大好きぃいいいい!!」
天城さんを抱き締めて泣く。子どもみたいに、バケツをひっくり返したみたいに。
つられて天城さんも泣き出し、何だ何だと通行人が集まってきた。
よくわからないけど……仲直りできた、ってことでいいのかな。
僕のやったことに、どれほどの意味があったのかはわからない。
放っておいても仲直りしたような気はするし……というか、天城さんなら上手くやる。
そうとわかっていても、達成感があった。
正しいかどうかわからないけど彼女の手を引いて、正解かどうかわからないけど走り出してよかったと、淀みなくそう思う。
ぐるぐると、お腹が鳴った。昼食が足りないぞと、胃袋が主張する。
その音が大きかったのだろう。二人はピタリと泣くのをやめて、ジッと僕を見た。
「あっ、えっと……文化祭に戻って、何か食べますか……?」
その提案に、二人は揃って首を縦に振った。
◆
一旦文化祭に戻って、三人で軽食をとって。
そのあとすぐ、ママは帰った。これから仕事があるらしい。
「何か……ご、ごめんね。せっかくの文化祭なのに、わけわかんないことに巻き込んじゃって……」
「気にしないでください。僕が勝手に首を突っ込んだだけなので」
グラウンドの隅の木陰。
行き交う人々を楽しそうに眺める、佐伯の横顔。
不意に目が合って、なぜだかやけに恥ずかしくて、ふっと逸らす。
「どうかしました?」
「えっ? いや、べ、別に!?」
「本当ですか? お母さんのことで、まだ気になることとか?」
「あるけど、それはこっちで聞くから大丈夫! 別に今、それは関係ないから!」
ずいっと、彼の顔が迫る。
嬉しい。嬉しいのに、恥ずかしい。自分の制御が効かないほど心臓が高鳴って、体温が一気に上がる。
「顔、赤いですよ。体調が悪いなら保健室に――」
「いいから! ちょー元気だし! ってか、佐伯こそちゃんと診てもらいなよ!」
「あー……まあ、考えておきます」
面倒臭がって何もしない顔だな、とすぐにわかった。
ジトッと見つめて、さっきから様子のおかしい肩のあたりをつついた。「痛っ!」と声を漏らし、気まずそうに頭を掻く。
「病院、ちゃんと行くんだよ?」
「……わ、わかりました」
頷いたのを見届けて、小さく息をついた。
吐いた息を、木枯らしが絡め取ってゆく。風は冷たいのに、胸の中が熱くて全然寒くない。彼が隣にいるだけで、軽く汗ばむ。
「あの……さ……」
「はい?」
「ありがとね。あたしのこと……無理やり、連れ出してくれて」
もういいとあたしがいじけた時、彼が手を引いてくれなければ、たぶんあたしは完全にママと決別していた。
納得していないのに、納得したフリをして、逃げたと思う。
彼がそれを許さなかったから、今こうして晴れやかな気持ちでいられる。
何の後ろめたさもなく、笑うことができる。
あたしのことを強引に引くあの背中が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
たぶんこれは、一生残る。そんな気がする。
「あたし、佐伯のこと……もっとす……すっ……!」
――もっと好きになった。
その一言が、出ない。
なぜ、どうして。
わからない。好きなのに、すごく好きなのに、舌の付け根のあたりでうずくまっている。
汗はとめどなく湧くけど、口の中はやけに乾く。
「気にしないでください」
と言って、佐伯は笑った。
冬の月みたいに、静かに。暗い夜道を照らすような、確かな頼り甲斐をにじませて。
「僕はただ、前向きな天城さんが好きで、それを守りたかっただけですから。笑ってない天城さんとか、見ていられませんよ」
好きと言われた。
変な意味はないとわかっているけど、悶絶しそうなくらいに嬉しい。
声が出ない。
彼を、直視できない。
せめて、その手を握ろう。あたしの気持ちが少しでも伝わればいいと、そう思って。
彼の手まで、わずか十数センチ。
造作もない距離。
でも今は、これがあまりに遠い。錆びたみたいに、身体が上手く動かない。
「こう、ですか?」
「――――っ!!」
あたしの意思を汲んで、向こうからこっちの手を取った。
大きい。適度に骨ばっていて、硬くて、熱い。
手放したくない。
あたしのものにしたい。
それと同じくらい、このままもう一度強引に連れ出して、そのまま攫って欲しくなる。
「さ、佐伯……っ」
声を絞り出す。
顔が火照る。
彼の視線が痛いくらいに嬉しくて、堪らない。
「あたしも好き……大好き、だよ!!」
返答はない。
ただ困ったように眉を寄せて、頬を染めて、小さく笑う。あたしの手を、強く握る。自分も同じ気持ちだと言われているような気がして、正常な表情をたもてない。
どうしてこうも照れてしまうのか理解した。
ダメだ。これ、ダメなやつだ。
あたし……佐伯のこと、もっと好きになっちゃってる。
もっともっともっと、好きになっちゃてるんだ。
取り返しがつかないくらい。
このひと以外を見ることすら、億劫なくらいに。
――全力で、恋してる。
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