シャーレに引っ越したアルたちの風景です。
書けるうちに書いておきます。
街が、まるで別の世界みたいだった。
かつて活動拠点があったアビドスの、あの静まり返った街とはまるで違う。
広い道路に立ち並ぶ高層ビル、行き交う車のクラクション。制服姿の生徒たちが笑いながら通り過ぎ、革のカバン抱えたロボットたちが交差点を急ぐ。
シャーレのあるこの街は、人の声と足音が交錯する“喧騒”のなかにあった。
私たち便利屋は、そのざわめきに少し押されるようにして歩いていた。
「ねえねえアルちゃん……」
ふいに、顔のすぐ横からムツキがひょいっと覗き込んできた。
「もしかして、緊張してる?」
「してないわよっ!」
即座に答えた自分の声が、思ったより大きくて、自分でも驚いた。
ムツキはにやにや笑っているし、カヨコの口元も少し緩んでいた。一方のハルカは少し肩に力が入っている。
――緊張なんてしてない。
……いや、本当はちょっとだけ、してるかも。
これから住む場所。
これから一緒に過ごす先生たち。
これから始まる、まったく新しい生活。
何もかもが、“これまで”とは違っていた。
それが楽しみでもあり、不安でもあった。
「…あっ!」
先を行くムツキが立ち止まったのを見て、私も足を止めた。その視線の先には、シャーレ居住区が見えていた。
シンプルで整ったデザイン、でもどこか温かみのある建物。あれが、私たちの新しい家だ。
正面入口に向かうと、そこには1台のトラックが停まっていた。
作業服のロボットたちが慌ただしく荷物を運んでいる。そしてその傍らには――見慣れたスーツ姿の背中。
「ハルト先生〜!」
ムツキが先生に向かって声を掛けると、彼は笑顔で手を振ってくれた。
あの人は、私たちのことをちゃんと迎えてくれてる。そう思ったら、胸の奥の不安が少しだけほぐれた。
シャーレ居住区のエントランスホールに足を踏み入れたとき、私は自然とあたりを見回していた。
廊下の奥まで真新しく整った空間が広がっていて、どこか落ち着かない。
でも…この空間に、自分たちの「新しい日々」が始まるんだって思うと胸が少しだけ高鳴る。
なんだか、転校初日みたいな気分だった。
そのとき、後ろから先生の声が聞こえた。
”部屋づくりは後にして、まずはシャーレ居住区の施設を紹介するよ。”
振り返ると、ハルト先生がにこやかに立っていた。
私はすぐに頷いて、「お願いします」と言ったけど…ちゃんと声、出てたかな。思ったより緊張してるみたい。
先生が先に立ち、私たちはその後ろに続いて歩き出す。
廊下を進みながら施設について話そうとした、その瞬間だった。
「ねぇ、先生。」
隣にいたムツキが先生のスーツの裾をつまんで引っ張った。そのいたずらっぽい笑顔を見て、思わず私は小さく笑ってしまう。
「…あれって、エンジェル24だよね?」
ムツキが指を差した先には、どこか見覚えのある売店の看板が見えた。
全国展開してる、あの24時間営業のコンビニ。文房具もスナックも、お弁当もジュースも、なんでも揃ってる。
「そうだよ。みんなも自由に使えるからね。」
そう先生が答えると、ムツキはぱあっと顔を明るくした。
「やったぁ!お菓子食べ放題だー!」
ぴょんぴょん跳ねるムツキの横で、私はふっと肩の力を抜く。
こうしてみんなが笑ってくれると、私の胸の中の緊張も、少しだけほどけていく。
「ジュ、ジュースもありますか……?」
ハルカもおずおずと尋ねている。
”もちろん。でも……お金はかかるからね?”
「えー! 先生のケチ!」
ムツキが大げさに頬を膨らませる。
私は苦笑をこぼしながら、少し肩をすくめた。
”いや、別に私が店を持ってるわけじゃないんだけどな…。”
そんなやり取りに、私たちは笑顔を咲かせる。
ほんの数分前まで表情の硬かった私たちだったけど、今はこうしてちょっとずつ笑い始めている。
そうだ。私たちは今、“新しい日常”を始めようとしているんだ。
この一歩が、私たちにとっての「再出発」になることを心から願った。
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”ここが休憩室だよ。自由に使っていいからね。”
先生がドアを開けた途端、ふわっと温かい空気が広がった。
柔らかな照明に包まれて、大きなソファがどんと構えている。観葉植物のほんのりした香りも漂ってて、なんだかホッとする空間だった。
「わ~い!一番のりーっ!」
ムツキが部屋に入るなり勢いよくソファに飛び込み、『ぼふっ』と音を立てた。
「ちょ、ちょっとムツキ!…もうっ、汚さないようにね?」
私は呆れたように声をかけるけど、ムツキもちゃんとリラックスできてるんだなって、ちょっと安心した。
…いや、あの子はいつもあんな感じよね…。
「分かってるよ~。」
ムツキは軽く手を振りながら、くつろぎの姿勢に。
”寝心地はどうかな?”
ハルト先生がそう聞くと、ムツキは手をひらひら振って応えた。
「うん、ちょっとだけ疲れとれたかも!」
…まぁ、楽しそうだし、いっか。
新しい場所でいつも通り振る舞えるなら、何も心配はいらないわね。
”よかった。じゃあ、次の場所に案内しようか。”
「次は何の施設かしら?」
ハルト先生の声に、私は少し興味を持って顔を上げる。
”次はとっても大事。シャワー室だよ。”
その言葉に、私たちはピンと身を引き締めた。
休憩室を出て、先生の後について少し歩いたところで、今度はシャワー室の前に到着した。
”ここだよ。”
そう言って先生がドアを開けると、ふわっと薄い蒸気の名残が流れてきた。
中は静かで、どこか温かみのある空気が漂っている。床はまだ少し濡れていて、洗面台の鏡もほんのり曇っていた。
「けっこう綺麗じゃん。しかも、丁寧にドライヤーも置いてある。」
カヨコが言いながら中に入ると、ハルカも少し目を丸くして小さく「やった…!」と呟いた。
本当に安心したような表情だった。
かく言う私は蛇口を捻って、お湯の勢いを確かめていた。お湯はすぐに出て、音を立てて勢いよく流れ出てくる。
「ねぇ先生。お風呂はないの?」
ふと、ムツキがそう尋ねると、先生はちょっとだけ眉を下げて、申し訳なさそうに答えた。
”ごめんね、浴槽はないんだ。やっぱり…欲しかったよね。”
でもその言葉に、私は思わず首を振っていた。
「い、いいのよ。気にしないで。ちゃんと使える設備があるだけでありがたいわ。」
その気持ちは、本当に心からだった。
「…そうだね。テント生活の頃よりは何倍もマシだよ。」
カヨコのその一言に、空気がふっと変わるのが分かった。
言葉にはしないけれど、きっと誰もがあの時のことを思い出していた。
「あ……ごめん…。」
カヨコがすぐに口を押さえて、少しうつむいた。
でも、誰も責めることなんてしなかった。むしろ――彼女の言葉があったから、今の“ここ”のありがたさが、また一段と胸に沁みてきた。
そんな重たい空気を払うように、ムツキがふと思いついたように言葉を放った。
「……ねぇ先生?」
”ん?”
「このシャワー室って、先生も使うの?」
”……? まぁ、私もここに住んでるし、普通に使うけど……?”
「へぇ〜……。」
そう言うと今度はハルト先生に近づき、上目遣いでにやりと笑った。
”え、なにその顔……。”
「別に? 先生って”そういうの”すごく気にしそうだな〜って思っただけ♪」
からかうようなその表情に、先生はあからさまに動揺していた。
……が、なぜか私まで顔がぽっと熱くなる。
(な、なんで私まで赤くなってるのよ……!)
この顔をムツキに見られてたら、間違いなく厄介なことになったでしょうね…。
”……ッ! ちゃ、ちゃんと使用時間はスケジュールを組むよ! 混乱がないようにルールも作るから、ね!?”
「くふふ♪ 先生顔真っ赤だよ?」
手を緩めようとしないムツキの追撃に、ハルト先生はごほんと咳払いして誤魔化した。
”そ、それじゃあ次! 寝室を案内するから、みんなついてきて!”
慌ててシャワー室を出ていく先生の背中を見ながら、ムツキは満足そうにクスクス笑っていた。
……ホントに世話が焼けるんだから。
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階段を上がり、廊下に並んだ私たちに、先生はポケットからカードキーを取り出して、それぞれの手のひらにそっと渡していった。
”これが、君たちの部屋のカードキーだよ。部屋番号はドアに貼ってあるから、自分の名前を探してね。”
そう言いながらも、先生の声はどこか嬉しそうだった。
まあ、部屋はもちろん全員隣同士。完全に“ひとり”ってわけじゃない。
「あははっ、ホテルみた〜い!」
ムツキが小さく跳ねながらそう言って、廊下を駆け出していく。
ハルカは「あ、ありがとうございます…」とぺこりと頭を下げて、カヨコは静かに頷いて見せた。
私はというと、受け取ったカードキーをしばらく眺めていた。
これが、今日からの”鍵”なのね…。
先生が「荷物はもう中に届いてるはずだよ」と続けてくれたけど、それを聞いたときにはもう、私はドアノブに手をかけていた。
先生に貰ったカードをカードリーダーに当てると、ピッと音が鳴り、カチャリとロックが外れる音がした。
ゆっくりドアを開けると、部屋の空気がふわりと流れ込んでくる。
まだ誰の匂いも染み付いていない、新しい部屋の香り。
ほんの少しだけ、胸の奥がざわつく。
(私の…私だけの部屋…。)
床には『アル』と名前が書かれた段ボールがいくつか積まれていた。アビドスの事務所で使っていた小物や道具、あの急な引っ越しの中でまとめた荷物たち。
それでも、こうして整えられた空間を前にすると、不思議と安心感がこみ上げてくる。
窓に近づいてカーテンをそっと開けると、シャーレの中庭が見えた。
想像していたよりも広い。
「ここでバーベキューとか、できるかも…。」
ぽつりと独り言が漏れる。
すると、廊下の方からムツキの声が響いてきた。
「うわ、庭広〜い!ここでバーベキューとかできそうじゃない!?」
……かぶった。
私が苦笑している間にも、向かいの部屋からはハルカの声が聞こえた。
「す、すごい……ちゃんと机も……」
カヨコの部屋からは、わずかな物音の合間に、「……うん、悪くない」なんて独り言も。
こうして開け放たれたドアから漏れてくる声は、どれもどこか嬉しそうで――それを聞いていると、胸の中の不安が少しずつ、静かに溶けていった。
その時だった。
パン、と手を叩く軽い音が廊下に響いて、先生の声が飛んできた。
”さぁ、そろそろシャーレを案内するよ。準備ができたら廊下に出ておいで。”
私は一度だけ部屋を見渡して、もう一度窓の外に視線を投げかけた。
――今日から、ここが私たちの新しい“拠点”になる。
そんな実感が、じわりと胸に広がっていくのを感じた。
「……よし。」
そう小さく呟いて、私は部屋を後にした。
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居住区を出て、ほんの数歩。
私たちはすぐ隣にあるシャーレの部室――これからの“仕事場”の前に立っていた。
それは、今までに見てきたどの建物とも違う外観だった。
鋼鉄とガラスが織りなすその構造は、飾り気がないのに、なぜか凛とした空気をまとっている。まるで「ここには私情を持ち込むな」とでも言うような、無言の威圧感があった。
先生が振り返りながら口を開く。
”ここが、君たちがこれから働く場所。『連邦捜査部 S.C.H.A.L.E』だよ。”
そう言って自動ドアの前に立つと、静かに開くドアの向こう――
そこには、白を基調とした広く清潔なエントランスホールが広がっていた。
吹き抜けの天井からは自然光が射し込み、天井の間接照明が柔らかく辺りを照らしている。
空調の音さえほとんど聞こえない、静謐な空間。
私はその一歩を踏み出しながら、背後にいるみんなの気配が変わったのを感じた。
「…なんか、雰囲気が違うわね。」
アルとしての私自身の言葉が、自然と口をついて出る。
静かで、綺麗で、整ってるのに、なぜか胸の奥がピンと張るような、そんな場所。
「落ち着いてるけど、妙に背筋が伸びる感じっていうかさ…。」
ムツキが少しだけ声を抑えて、キョロキョロと周囲を見回す。
その小さな仕草に、普段の彼女らしからぬ緊張がにじんでいた。
「静かすぎて……音が、反響してます…。」
ハルカがぽつりとつぶやくと、その声さえも空間に吸い込まれていった。
「………。」
カヨコは黙ったまま、エントランスの奥――その先にある何かを、まっすぐに見つめていた。
たぶん、私たちは“何か”を察していた。
ここは連邦生徒会の施設でも、ただの教室でもない。
私たちが「何かを決断する場所」であり、「何かを背負う場所」なのだと。
そんなタイミングで、先生が問いかけてきた。
”ねえ、みんなはさ――『先生』って、なんだと思う?”
その質問で私が思ったことは、ムツキが先に言ってくれた。
「え、なに急に?」
先生は肩をすくめて苦笑するだけ。
カヨコとハルカはちらりと目を見合わせて、小さく首を振っていた。
私は、ただその質問の意味を考えていた。なんとなく、ここでこの問いが出た理由も、分かる気がしたから。
(『先生』って――)
けれどまだ、答えは出なかった。
そんな私たちを見て、ハルト先生は微笑んだ。
”ごめん、ちょっと思いついたから聞いてみただけ。でも、私なりの答えはあるんだ。”
”『先生』っていうのはね……ヒントを与える人のことだと思ってる。”
そう言ったハルト先生の言葉に、私は自然と首を傾げていた。
一瞬だけ、ムツキと目が合う。彼女もまた不思議そうな顔をしていた。
だけど、先生はそのまま続けた。
”苦しんでいる生徒がいたら、迷わず手を差し伸べるよ。だけど、私たちがするのはそれだけ。根本的な解決は、生徒自身がするべき事だ。”
声のトーンは穏やかで、だけどどこか強い意志を感じた。迷っている人に、そっと明かりを灯してあげるような……そんな言葉だった。
”シャーレはね、『生徒が誰かを助けたいと思った時に、どうすればいいかを学ぶ場所』。『先生のいる教室』じゃなくて、『大人と同じ目線で考える場所』なんだ。”
(教室じゃなくて、“大人と同じ目線で”…。)
その言葉が、じわっと胸の奥に沁みた。
今までの学校生活とは違う、何かを託されているような…そんな重み。
”もっとも、今の君たちは私と黄泉先生の補佐って立場だから、そんなに気負わなくてもいい。まずはここで、自分たちにできることを知っていってほしい。”
先生は一呼吸置いて、まっすぐ私たちを見る。
”…でも、もしかしたらいつか、君たち自身が何か大きな決断をする日が来るかもしれない。”
”その時に、誰かのために立ち上がれる人であってほしい。私たちは、君たちのその“強さ”を、ここで育てていけたらと思ってるよ。”
……私たちの強さ。
それを育てたいと真正面から言ってくれる大人なんて、今までいたかな。
先生が話し終えると、ほんの一瞬だけ沈黙が落ちた。
でも、その沈黙は重たいものじゃなかった。むしろ、胸に灯った火を確かめているような、そんな時間だった。
私は、視線を外さずに先生を見た。
隣を見ると、カヨコもハルカも真剣な顔で見つめている。
ムツキに至っては、普段見せないような落ち着いた目つきで先生を見上げていた。
”それじゃあ、仕事場を見せようか。”
先生の声で、私たちは再び歩き出した。
視聴覚室の奥にあるドアの前で、先生が立ち止まる。
その扉の向こうには、整然とした事務室が広がっていた。すぐ目に入ったのは、奥にある二つの机。
片方はまるで“完成された風景”のように整っていて、資料の並びも几帳面。…あれが黄泉先生の机だってすぐに分かった。
もう片方は、ペンや書類が適当に置かれた机と、飲みかけのコーヒーカップがあった。
「ハルト先生もまだまだだね!」
ムツキの声が室内に響く。
私は思わず吹き出しそうになるのをこらえながら、ふと先生の顔を見た。
”な、なんでこっちが私の机って分かったの…!?”
真っ赤になって、慌てて机を片付ける先生の姿が、ちょっと面白くて、でもどこか可愛らしくも思えた。
「ムツキ、あんまりからかわないの。」
私は軽く咎めるように言うけど、ムツキはケラケラと笑い続けていた。
先生は赤くなった顔をこすりながら、くるっと私たちに背を向ける。
”……じゃあ、次は図書室に行ってみようか。”
その先生の声が少しだけ弾んで聞こえたのは、きっと気のせいじゃない。
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図書館や科学実験室、訓練場などを見学した後、私たちはみんシャーレ居住区1階にある売店「エンジェル24」にやって来た。
”ジュースでもアイスでも、好きなものを持っておいで。私が奢るよ。”
先生のその一言に、私たち4人は一瞬きょとんとしたあと、ムツキが誰よりも早く反応した。
「えっ、ほんと!? やったぁ!先生、太っ腹〜!」
「ほらムツキ、ちゃっかりしすぎよ。」
カヨコがやれやれと肩をすくめる。 私とハルカは少しだけ笑いながら、先生に感謝の気持ちを伝え、一礼した。
店内の自動ドアが開いて入店のメロディーが流れた瞬間、冷たい空気と一緒にピリッとした静けさが漂ってきた。
中に入ると、レジの奥には制服の上に青いエプロンを身につけた小柄な女の子が立っていた。
「いっ、い、いらっしゃいませ……っ。」
かすれて消えるように小さくなっていく声は、まるで練習中の合唱のようなデクレッシェンドみたい。
ハルト先生は苦笑しながら一歩前に出た。
”こんにちは、ソラさん。いきなりだけど…彼女たちは、今日からシャーレ居住区に住む生徒たちだよ。”
私たちはソラさんの視線を受けて軽く手を振る。彼女は一瞬固まったかと思うと、小さく会釈を返してくれた。その表情は明らかに緊張で引きつっている。
”…これから何度も顔を合わせることになると思う。みんな心の優しい子たちだから、そんなに怖がらなくてもいいよ。”
「は、はいっ……!よ、よろしく……おねがいします……!」
その緊張ぶりに、ムツキが小声で「かわいい〜」と口元をゆるめる。それだけでソラさんの顔が、ほんのり赤くなった。
挨拶を終えた私たちは冷蔵庫へ一直線。各自で好きなジュースやアイスを手に取っていく。
そういえばあの一億円、全然使ってないわね…。黄泉先生といい、ハルト先生といい、みんな奢るのが大好きなのかしら。
手にしたペットボトルを見ながら、私はそんなことを考えた。
そのままレジへ戻ると、ちょうど先生とソラさんが話しているのが聞こえた。
「……き、今日は、黄泉先生は……?」
”黄泉先生なら、お出かけ中だよ。”
ハルト先生がくすっと笑いながら答える。
するとソラさんは分かりやすくホッと息をついた。
それを見たムツキがにやにやと笑いながら、ソラさんに近づいた。
「あれあれ、ソラちゃん。もしかして黄泉先生に目をつけられるようなワルいことしちゃったの?」
「えっ、ち、ちがいますっ!」
ソラさんがぶんぶんと首を振る。
「…黄泉先生が怖いの?」
私はソラさんを落ち着かせるように、優しく微笑みながら尋ねる。
すると、彼女はは口ごもりながらも、勇気を出して答えてくれた。
「……目が、怖いんです…。」
その言葉に私たちは「わかる〜」とか「だよね〜」とか言うように、笑いながら頷いた。
「睨まれてるわけじゃなくても、あの鋭い目で見られるとちょっとドキッとするかもね。」
「…”死神”って言われるくらいだし、そうなるのも無理ないよ。」
私が言うと、カヨコも静かに口を開いた。
「よ…黄泉先生を前にすると、頭が真っ白になって、何もできなくなるんです…。」
ソラさんは胸に手を当てながら、正直な思いを吐き出した。
「こ…”来ないでほしい”とかではないんですけど、迷惑をかけて嫌な顔されたら…。」
「あはは。ソラちゃんが黄泉先生の不機嫌な顔を前にしたら、気絶しちゃいそうだね。」
「…ムツキ。」
隣でケラケラ笑うムツキに、そっと肘で突いた。
そして俯くソラさんに、私はほんの少しだけ口元をほころばせて声をかける。
「ソラさん。私たちでよければ、いつでもお話を聞かせて。黄泉先生の話でも売り場の相談でもいいから。ねっ?」
その言葉に、ソラさんは小さく目を見開いた。
そしてほんの、ほんの少しだけ――口元が緩む。
「あ…ありがとう、ございます…。」
とても小さな声だったけど、それはちゃんと私たちに届いていた。
後編につづく
誤字脱字があったら、ぜひ教えてください。