死を識る者、日常に佇む   作:ツカッチ

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開拓者のみなさん、先生のみなさん、こんにちは。

独自の展開を書くというのは、難しいですがとても楽しいですね。

新たな道をどんどん開拓するので、今後更新が遅くなるかもしれません。ご了承ください。


裏切りなんて言わないで

早朝。

まだ太陽も眠っているかのような、薄曇りの空。

そんな静寂に包まれたアビドス高校の校舎の前で――私は、彼と出会った。

 

「……えっ?」

 

思わず立ち止まり、声が漏れる。

いつからそこにいたのか。

どうしてここにいるのか。

わからない。でも、確かに目の前に立っていた。

 

「び、びっくりした〜。急に現れないでよ〜。」

 

なるべくいつも通りの口調で笑ってみせた。

けれど、黄泉先生は何も表情を変えない。

その瞳はただ、真っ直ぐに私を見つめている。

 

「えっと…おはよう、黄泉先生。まだ朝の5時なのに、どうしてここに?」

 

「……おはよう。そして、質問を質問で返すな。」

 

「…あー…あはは、ごめんごめん。実は今からパトロールにでも行こうかなって……。」

 

「パトロール、か。」

 

ひとことだけ返ってきたその声は、どこか硬かった。

私はそれ以上踏み込まれるのが怖くて、早くこの場を離れようと歩き出す。

 

「そーゆーこと。それじゃあ、また後でね。」

 

だけど。

 

「……黄泉先生。通れないよ。」

 

私の進行を、彼が止めた。

腰に差してあった刀の鞘が、私の目の前に伸びてくる。

まるで、「ここから先へは一歩たりとも進ませない」と言わんばかりに。

 

「だったら、刀を避けて行けばいいだろう?」

 

その言葉は淡々としていた。

けれど、私の足は動かなかった。

刀が怖いわけじゃない。……先生が怖いわけでもない。なのに、なぜか――

 

「……。」

 

私は俯いた。

視線の先で、黄泉先生の刀が静かに地面と平行に伸びている。

ほんの少し体を横にずらせば、通り抜けられるはずだった。

 

それなのに、できなかった。

 

(……どうして、だろう。)

 

理由はわかっていた。

私は、今もなお悩んでいた。

 

誰にも気づかれないように背中を押してきた“覚悟”が、先生の前では急に意味をなくしていく。

それはまるで、私の嘘がすべて見透かされているようだった。

 

「……先生には、最初からお見通しだったってこと?」

 

沈黙のままではいられなくて、やっと声を絞り出した。

自嘲気味の問いかけに、彼はあっさりと首を横に振る。

 

「俺ではない。ハルトだ。」

 

「そっか……。」

 

息が詰まるのを感じた。まさか、気づかれていたなんて。

あれだけ自然に振る舞っていたつもりだったのに。

胸の奥に、じわりと染み込むような焦りが広がっていく。

 

「…昨日のハルトの話を聞いていなかったのか?」

 

「いや…しっかり聞いてたよ。」

 

全て、ちゃんと聞いた。

あの人の声も、想いも、優しさも全部。

だけど――

 

私は視線を落とした。

足元に落ちた自分の影が、まるで何もかも諦めた誰かのように揺れていた。

 

「ハルト先生は『大人に任せて』って、言ってくれたけど……」

 

私は口を噤んだ。言葉が、うまく続かない。

 

「……信じられないよ。」

 

それはハルト先生を疑っているわけじゃない。

ただ、あの人の優しさにすがるには、この現実はあまりにも重すぎる。

 

「本当はお願いしたいよ。でも……どうにかできる未来が、見えないんだ。」

 

言い終えた瞬間、胸の奥にずっと溜め込んでいたものが、少しだけ溢れた気がした。

こぼれた想いは、ほんのひとしずく。それでも私は、もう引き返せない場所に立っていた。

 

「だから…私が行くしかないんだよ。」

 

私の声は、震えていた。けれど、それでも引き返すわけにはいかなかった。

 

「なぜだ。」

 

黄泉先生の声は静かだった。けれど、その瞳の奥に宿る光は、私の心を見透かすように鋭くて。

 

私は視線をそらして、口を開いた。

 

「……私は、生徒会の最後の一人。最後まで責任を取らないといけない。」

 

「その責任の行き着く先が、自己犠牲か?」

 

――突き刺さった。

 

その言葉に、返す言葉がすぐには出てこなかった。けれど私は、負けたくなかった。誰に、何に対してかなんて、もう分からなくなっていたけれど。

 

「……違う。」

 

そう言うのが精一杯だった。

 

黄泉先生は小さく息を吐き、ゆっくりと首を振る。

 

「まったく……聞いて呆れるな。生徒会という名の鎧に自分を閉じ込めて、そのくせ“アビドスのため”だと口にする。そんなのはただの――」

 

「違うってば!!」

 

思わず、一歩踏み出して叫んでいた。

 

「そうじゃない…!私は本当に……本当に、みんなを守りたくて……!」

 

その声はまるで懇願のようで、泣き出しそうな自分を必死で抑えていた。

 

けれど黄泉先生は、容赦なく言葉を重ねた。

 

「守るために、“いなくなる”という選択を取るのか?」

 

「……じゃあどうすればいいの…? アビドスが生き残るには、もうこれしか……!」

 

その瞬間――胸に、ズキンと痛みが走った。

 

『自分を犠牲にしようなんて、考えないでくれ。』

 

思い出したのは、昨日のこと。

優しくも、真剣に告げられたハルト先生の言葉だった。

あの時の声も、表情も、すべてが思い出されて、胸の奥が苦しくなった。

 

小さく、唇を噛む。

気づかないふりをしていた。忘れようとしていた。

私は――きっとその言葉に縋りたかったんだ。

 

そんな私を見て、黄泉先生は低く、しかし確かな声で言った。

 

「昨日ハルトが言っていたはずだ。後は大人に任せろ、とな。」

 

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に何かがぶちっと音を立てて切れた気がした。

 

「…ふざけないでよ!」

 

気づけば、声を荒げていた。

怒鳴るように、叫ぶように、黄泉先生へと詰め寄っていた。

 

「先生、分かってるの!? ずっと私たちが守ってきたんだよ!?誰も助けてくれなかった、誰も来てくれなかったアビドスを……ずっと……!」

 

声が震える。けど止まらなかった。

 

「私たちは大人に何度も騙された!それでも信じてたのに……黄泉先生とハルト先生だけは、絶対に助けてくれるって信じてた!」

 

拳を握りしめる。頬を伝うのは、汗か、それとも涙か。

 

「どうして、その口から出てくる言葉が……私たちを裏切った大人たちと同じなの!?」

 

私は、何を信じればよかったの?

私は、誰を信じてよかったの?

2人なら、その答えになってくれると信じていた。

 

「“大人に任せろ”!? それで何も変わらなかったのが、今のアビドスなんだよ!!」

 

掠れた声で叫んだ。感情のままに、ぶつけるように。

けれどその声が消えた瞬間、あたりに残ったのは、やけに静かな沈黙だった。

誰も何も言わない。ただ、耳鳴りのような空白だけが残る。

 

私は、ふと目を伏せた。

いったいいつからだろう。こんな風に、大人たちの言葉に裏切られるのが怖くなくなったのは。

きっと、何度も裏切られる度に、怖さよりも先に諦めが来るようになったからだ。

 

「……もう、黄泉先生も、ハルト先生も信用できない。」

 

ぽつりと零れたその言葉は、静かで冷たかった。

怒りも悲しみも全部吐き出して、私に残ったのは、たった1つの決意だった。

 

黄泉先生は何も言わない。表情も感情も読めなかった。

 

「アビドスは……私が守る。」

 

その言葉を口にしたとき、胸の奥で何かが音を立てて――壊れた。でも、それでよかったのかもしれない。

 

静かに、背中のショットガンに手を伸ばす。

 

「それでも邪魔するっていうなら……覚悟してよね?」

 

引き金にかけた指先が小さく震える。

けれどその震えは、迷いの震えではなかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

私は再び、目の前の刀に視線を落とす。

その瞬間――刀の鞘が微かに「バリッ…」と音を立てた。

 

小さい雷が刀身から漏れたかと思えば、うっすらと紫色の電気を帯び始める。

まるで、私の心を――この胸に秘めた覚悟を、見透かして反応しているかのように。

 

ただの警告じゃない。

これは、黄泉先生の“相棒”が本気で私を試しているのだ。

 

けれど、私はもう足を止めるつもりはなかった。

 

「刀を退けて、黄泉先生。」

 

声は静かだが、揺るぎないものだった。それでも先生は一歩も動かず、さっきと同じ言葉を返す。

 

「……断る。」

 

先生の答えが変わった。

さっきと同じように『刀を避けて行け』と言うと思っていた私は少し驚いた。

どうやら先生は、私と正面からぶつかることを覚悟しているみたい。

 

かく言う私も、この道を選んだ。

もう誰にも止められない。

 

「もう一回言うね? 刀を退けて。」

 

そう言いながら、私はショットガンをまっすぐ黄泉先生の顔に向ける。トリガーにかけた指に、少しだけ力を込めた。

 

その時、電気を帯びた刀がわずかに震えた。

私が本気だということを、黄泉先生に伝えるかのように。

 

先生は少しだけ刀に目を向け、ゆっくり瞼を閉じる。5秒ほど経った後、目を開けて真っ直ぐに私を見て、言った。

 

「断る。」

 

その言葉が落ちた刹那――私は迷わず、引き金を引いた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

轟音とともにショットガンの弾丸が放たれる。

 

その一瞬前、黄泉先生はわずかに目を細め──ふっと後方へ跳ぶ。

 

体は大きく反り、宙を描くように翻る。弾丸がかすめるその下で、左の掌が地面に突き立てられ、軽やかに体を支えた。

砂を払うように流れる動きで、弧を描いた足が後を追う。片膝をついた姿勢で着地すると、すぐに体勢を立て直し、静かに顔を上げた。

 

「躊躇いがないな、ホシノ。」

 

灰色の空の下で、外套の裾が静かに揺れる。

その声は冷静だったが、抜かれた刀の鞘先が、確かに緊張を帯びていた。

 

「……どうしても、私の邪魔をしたいみたいだね。」

 

吐き捨てるように言葉をぶつけると、先生は少しだけ目を細めた。

その視線には怒りも焦りもない。ただ冷静で、静かに、こちらの奥を見据えているようだった。

 

そんな私の目の前で、先生は刀の鞘を少しだけ傾けながら呟く。

 

「邪魔をするつもりはない。ただ俺は――”先生”としてその歪んだ覚悟を否定し、お前を救いたいだけだ。」

 

一瞬、何かが胸の奥で軋んだ。

それが怒りなのか……私にはわからない。

 

「だったら……やってみなよ!」

 

私は地面を強く踏み込み、黄泉先生の懐に向かう。そして繰り出した蹴りは空を切った。

黄泉先生…いや、”黄泉”はほんの僅かに体を傾けただけで、私の攻撃をかわしてみせた。

まるで、最初から読んでいたかのように。

 

すぐさまショットガンを構え、反射的にトリガーを何度も引く。弾幕のように弾をばらまく。

けれど――掠りすらしない。

 

「…お前らしくない動きだな。」

 

その声が聞こえた瞬間、頭に血が上った。

 

余裕そうな口調。見下したような目。

何も…何も知らないくせに。「守る」と言ったのに、私たちを否定するようなことを言ったくせに…!

それなのに――まるで、何も変わらないかのように振る舞ってさ…!

 

「あぁッ!」

 

私はとにかく蹴る、撃つ、盾で殴る。でもその度にかわされる。

刀はまだ抜かれていないどころか、黄泉の左腰で静かにしている。まるで…私の怒りも、悲しみも、叫びも――届いていないみたいで。

 

だからこそ、ますます腹が立った。

どうしてこの人は…こんなときまで冷静でいられるの?

今の私はこんなにも壊れそうなのに。

 

 

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――ポツン、と。

最初は一滴だけだった。次の瞬間には、空が堰を切ったように、冷たい雨が勢いよく戦場に降り注ぐ。

 

地面に泥が広がる。雨が火薬の匂いを洗い流し、代わりに、血よりも生々しい緊張を空気に溶かしていった。

 

私は立っていた。黄泉も立っていた。

あれから何も変わっていない。雨が降っても、撃ち抜きたくなる気持ちは何一つ変わっていなかった。

 

でも――

 

「……諦めろ、ホシノ。」

 

その声に、ほんの少しだけ足が止まる。

 

「まだ間に合う。ここで止まれ。」

 

その声音は、いつもの皮肉っぽい調子じゃなかった。

まるで――哀れむように、悲しむように。

 

…なにそれ。なんでそんな顔するの。なんでそんな声出すの。まるで私が間違ってるみたいな、そんな言い方してさ。

 

「だったら……!」

 

私はショットガンを構え、もう一歩踏み込む。

 

「だったら、さっさとやられてよ!!」

 

叫んでた。泣いてたかもしれない。だけど、もう止まらなかった。

私の中にあった“何か”が、音を立てて壊れていくのが分かった。

 

冷たい雨が頬を叩く。だけど、そんなもの、どうでもよかった。

私は黄泉に向かって――突っ込んだ。

 

蹴りは速く、無駄のない軌道を描いた。

ショットガンの引き金を引く指も、もはや何の迷いもない。

 

黄泉は――かわした。いつものように、最小限の動きで。

だから私は、すかさず盾を振るった。

その端を掴み、体重を乗せ、全力で叩きつけた!

 

 

ガキィィン!

 

 

雨音の中に響いた硬質な音。

私が振るった盾は、何かに受け止められていた。

 

それは、鞘に収められたままの刀。黄泉がついに武器を手に取った。

 

「ホシノ…。」

 

ふと、黄泉が私に声をかける。その静かな声に、ピクリと体がはねた。

 

「今から進もうとしている道の先に何があるのか――お前なら、もう分かってるはずだ。」

 

一瞬、雨音が遠のいた気がした。

その声には、黄泉の切実な願いが滲んでいた。

 

 

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黄泉の声が、胸の奥に残っていた最後の迷いを優しくえぐってからすぐ。

私は迷いを振り払うように首を横に振った。

 

「それでも……もう、止まれないんだよ…!」

 

振り切るように前へ出た。

自分の中で軋む“何か”に蓋をするように、ショットガンを握り直す。

 

その瞬間。

 

盾を押しのけるようにして、黄泉が後方へ跳んだ。

地面を蹴る音すら、雨音に紛れて聞こえない。

距離を取った彼は、静かに息を吐いた。

 

「……これで、終わりにしよう。」

 

言葉と同時に、黄泉が体勢を低くした。

そして、力強く地面を蹴る。ついに黄泉が攻撃に転じた。

 

(――来たっ!)

 

盾を構えようとした――その時だった。

 

背筋を冷たいものが駆け抜ける。

瞬きをした次の瞬間には、黄泉が目の前にいた。そして迫りくるのは、鞘に収められた刀 。なのに、脳が叫んだ。

 

 

――死ぬ、と。

 

 

刹那、私の腹部の20センチほど手前を刀が通り過ぎる。傷どころか、触れることすらなかった。

 

それに気づいた時、手から力が抜けた。

ガシャン、とショットガンと盾が濡れた地面に落ちる。

 

あまりにも圧倒的すぎて――気づけば、笑っていた。

 

「……あは、ははは…。」

 

誰に向けた笑いでもない。

自分の無力さに呆れたのか、あるいは恐怖が限界を超えたのか。

 

もう、戦う気も起きなかった。

さっきまであったはずの覚悟は、どこかへ消えていた。

 

その時、私の体を包むかのように、ふわりと何かがかけられる。

驚いて顔を上げるとそこには――”黄泉先生”がいた。

 

「……あとは、あいつらと話し合え。」

 

「え…?」

 

それだけ言うと、先生は校舎の方へと向かった。

 

頭からかけられたのは、彼がいつも羽織っている白い外套。優しくて、それでいてずっしりとした重み。

それが雨で濡れた布の重さなのか、彼の覚悟の重さなのか――わからなかった。

 

「ホシノ先輩!!」

 

ふと、雨音の中に、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

顔を向けると、校門の先に立つ見慣れた姿があった。

 

傘を持ち、水溜りに気にも留めず駆け寄ってくるのは、セリカちゃんだった。その後ろから、シロコちゃん、ノノミちゃん、アヤネちゃんが駆け寄ってくる。

 

どうして。どうして、みんながここに。

そう疑問に思う中で、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

 

 

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雨の音が、心なしか静かになった気がした。

私の周囲に、対策委員会の仲間たちが集まる。

だけど、私に向けられたみんなの顔は――どこか悲しげだった。

 

「……ハルト先生から、全部聞きました。」

 

一歩前に出たのは、アヤネちゃんだった。

その声は静かで落ち着いていたけれど、内に秘めた感情は鋭かった。

 

「アビドスの借金を減らすために、ひとりで犠牲になろうとしてたんですよね。」

 

「……うん。」

 

私は小さく頷く。

 

「……どうしてですか?」

 

アヤネちゃんの声が、静かに雨音を割った。

 

「どうして勝手に犠牲になろうとしたんですか?」

 

私は何も言い返せなかった。口を開こうとしても、声にならない。

 

「それで本当に借金が減ったとして、私たちが素直に喜べるとでも思ったんですか?」

 

アヤネちゃんの声がわずかに震えていた。

 

「その決断に至るまでに、少しでも――少しでも、私たちの気持ちを考えてくれたんですか?」

 

その目には、怒りだけじゃない。困惑や悲しみが滲んでいた。

私が視線を落としたまま答えを探していると、アヤネちゃんはほんの少しだけ言葉を続けた。

 

「スカウトの件もそうですよ…。どうして教えてくれなかったんですか?」

 

「……私たちのこと…信じてくれていなかったんですか…?」

 

その言葉を聞いた瞬間、私は思い出した。

 

『もう、黄泉先生も、ハルト先生も……信用できない。』

 

そう口にした時のことを。

あの時の私は怒っていた。裏切られたと思っていた。

“信じたのに、裏切られた”と。

 

でも――今の私は、どうだろう。

私がしたことは、あの時の黄泉先生と何が違う?

何も言わず、独りで背負い、勝手に決めて、仲間たちの想いを置き去りにして…。

 

私が一番、なってはいけないと思っていた姿に、自分がなってしまっていた。

 

「……私の方が…よっぽど信用されないことをしてるじゃん……。」

 

そんな皮肉のような言葉が、喉の奥で溶けていく。

 

その時だった。

 

「……ホシノ先輩。」

 

ふいに聞き慣れた声がして顔を上げると、シロコが一歩前に出ていた。

その瞳は、まっすぐ私を見据えていた。

 

「昨日、私たちが仲直りした時に言ってくれたこと……」

 

少し間を置いて、言葉が続く。

 

「……あれも、嘘だったの?」

 

シロコちゃんの言葉に、胸がぎゅっと締め付けられた。

嘘じゃない。そんなはずがない。

でも――

 

「……嘘じゃないよ……。あれは、本当に……そう思ってた。」

 

声がかすれた。自分の中から、絞り出すようにして出てきた言葉だった。

 

「でも……だったら、どうすればよかったの……?」

 

問いかけるように、皆の顔を見る。

どうしたらよかったのか、本当に分からなかった。

信じれば裏切られる。信じなければ孤独になる。

その狭間で、ただ立ち尽くしていた。

 

「先生たちを信じればよかったと思うよ。」

 

その言葉は、シロコちゃんの口から出たものだった。

 

「……え?」

 

「私たちを守ろうとしてくれたのは、黄泉先生だし。

私たちの立場を理解しようとしてくれたのは、ハルト先生だった。」

 

「……でも……っ!」

 

私は声を荒げてしまう。

 

「忘れたの? 私たちが、大人に騙されてきたことを……!大人が私たちを切り捨ててきたことを!」

 

怒りじゃない。ただ、怖かった。

また裏切られるのが怖かったんだ。

 

「……分かるよ、ホシノ先輩の気持ちも。」

 

ふいに、セリカちゃんが前に出てきた。かつて「大人なんて信用できない」と言っていた彼女が、笑

顔を浮かべていた。

 

「でも――黄泉先生は、何度も私たちを守ってくれた。たとえ無茶でも、ちゃんと私たちのことを考えてくれた人だよ。」

 

「……ハルト先生も、そうです。」

 

ノノミちゃんが続けた。

 

「先生は、アビドスが不利になるような場面で、私たちを庇ってくれました。そして、私たちと同じ側に立ってくれています。」

 

「だから……信じてもいいと思います。」

 

そう話す2人の瞳は、まっすぐだった。

あの頃と同じ、でもあの頃よりもずっと――強くて、優しかった。

 

「ホシノ先輩、もうひとりで背負わないで。……私たちもいるから、大丈夫。」

 

シロコちゃんがそっと手を差し伸べてくる。

 

その手を見つめているうちに、ふと気づいた。

いつの間にか雨は止んでいた。

重く覆っていた雲が晴れ、空の隙間から太陽が顔を覗かせている。

 

頬に感じるのは冷たい雨粒ではなく、ほのかに温かい光の気配だった。

 

 

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――あの後、私はみんなに謝った。

迷惑をかけてごめん。信じてもらえなかったのは、私のせい。言葉が全部、胸の奥から滲み出すように出てきて、止まらなかった。

 

でも、みんなはちゃんと聞いてくれた。

それだけで、少しだけ救われた気がした。

 

「まずは身体を温めて。ホシノ先輩も、黄泉先生も。」

 

セリカちゃんに促されて、私は黄泉先生と一緒にシャワー室へ向かうことになった。

当然、先生は「俺はあとでいい」と言ったけれど――

 

「その間に風邪を引かれたら、大変ですからね☆」

 

と、やけに笑顔なノノミちゃんのその一言に、先生はわずかに表情を曇らせ、黙ったまま頷いた。

 

シャワー室に着くと、私は棚からタオルを取って、自分の荷物の前に立つ。

制服はすでに雨でびしょ濡れ。シャツがぴったりと肌に貼りついて、動くたびに冷たさがじわりと広がる。

 

「……うへぇ…。」

 

小さく呟きながら、シャツのボタンを少し乱暴に外す。スカートも下着も肌に吸い付いていて、まるで着衣水泳をしたようだった。

力任せに全部を脱ぎ、タオルでざっと水気を拭き取る。裸になった身体が、少し震えていた。それは寒いからなのか、それとも――

 

タオルを抱え、私はシャワーのある個室へと向かう。

そこで、ふと思いついたようにシャワー室のドアへ振り返る。

 

「先生、10秒後に入ってね。」

 

そう声をかけてから、私は奥の個室に入った。

タイル張りの床はまだひんやりとしていて、天井や足元には通気口のような隙間がある。

そのため、隣の物音や気配がぼんやりと伝わって来る。

 

私はシャワーのノブをひねり、頭からお湯を被る。湯気が少しずつ世界を覆っていく。

 

すると、シャワー室のドアが開き、荷物置き場の方から衣擦れの音が聞こえて来た。

目の前の壁の向こうで、黄泉先生が服を脱いでいる。

 

音を聞くに、濡れた制服を脱ぐのはさすがの黄泉先生大変みたい。そう考えると、ふっと頬がゆるんだ。

 

(だけど…なんだろう。)

 

このシャワー室は、個室型とはいえ、天井も床も繋がってはいない。

お互いの姿が見えるわけじゃないけれど……音だけははっきりと届く。

 

(壁に囲われてはいるけど、男の人と同時にシャワー室を使うのって、普通じゃないよね…?)

 

そんなことを考えた瞬間、自分の頬がじわりと熱くなるのを感じた。

 

(って、なに意識してるの…。)

 

自分にそう言い聞かせても、心の奥がくすぐったいようにざわついているのは、ごまかせなかった。

 

少しして、別の個室の扉が閉まる音がした。個室の扉を開けて見てみたら、一番奥の個室が閉まっていた。

何も言わずにそこを選んだ先生の気遣いが、なんとなく伝わってくる。

少しだけ、胸の奥が温かくなった。

 

私は自分の個室で、濡れた髪と体を丁寧に洗い流した。

泥も、汗も、涙も、雨も、すべて流れていく。

でも、流れきらないものもあった。

 

シャワーを止め、少し迷いながらドアを開けて脱衣所に向かった時——ふと、足が止まる。

顔を上げると、黄泉先生が入っている個室があった。

 

私は、バスタオルをギュッと握りしめる。

そして、歩み寄って——そっと、ノックした。

 

「ねぇ、先生。」

 

水音の向こうから、低くくぐもった声が返ってくる。

 

「……なんだ?」

 

「ちょっと話したいことがあってさ……隣のシャワー、使ってもいい?」

 

小さな間を置いてから、優しく返ってきた。

 

「……ああ。」

 

それだけで、十分だった。

私はもう一度タオルを握りなおして、先生の隣の個室へ入る。

ドアを閉め、シャワーをひねると、少しぬるめのお湯が頭から流れ落ちてきた。

肩をすべるお湯が、緊張を少しだけ溶かしてくれる。

 

私は、壁の向こうにいる先生に向かって、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「その……ありがとね、先生。私を止めてくれて。」

 

目を閉じれば、先生がすぐ隣にいることが感じ取れた。

距離はあるのに、なんだか心は近くにあるような、そんな不思議な感覚だった。

 

「みんなに言われて気づいたんだ。」

 

壁に寄りかかりながら、私は言葉をつなげる。

 

「私は、借金のことばっかり考えて、みんなのことは何も考えてなかったって。」

 

湯の音が、ぽたぽたと肩を撫でるように降る。

 

「みんなの先輩なのに、そんな簡単なことに気づけないって…。我ながら情けないなぁ…。」

 

そんな私の声に重なるように、壁の向こうからゴシゴシと体を洗う音が聞こえた。

そのリズムに乗せるように、優しい声がふっと届く。

 

「人は追い詰められた時、周りが見えなくなるものだ。そうして止まることができず、自ら破滅の道を進んでしまう者も多くいる。」

 

静かで、けれど力強く、まるで真っ直ぐ私の胸を突くような言葉だった。

 

「今回のホシノの場合、周りに頼れる仲間がいるのにも関わらず、相談しなかったことが主な原因だ。」

 

「……うん。みんなにも怒られちゃった。」

 

自嘲するように笑いながら言うと、再び黄泉先生の低く落ち着いた声が壁越しに響いた。

 

「…何かを背負うことと、自己犠牲は違う。よく覚えておけ。」

 

私はそっと目を閉じ、胸の中でその言葉を噛みしめた。

 

「分かった。心にしっかり刻んでおくよ。」

 

そして再び、シャワーの音だけが空間を満たした。

もう話すことは言い尽くしたはずなのに――それでも、まだ胸の奥に引っかかっているものがあった。

 

少しだけ躊躇してから、私は声をかけた。

 

「あのさ……変なこと、聞いてもいい?」

 

「なんだ。」

 

先生の返事は変わらず落ち着いていたけど、私はどこか、おそるおそる言葉を継いだ。

 

「黄泉先生と”黒服”って……どんな関係なの?」

 

沈黙が一瞬だけ訪れたあと、彼は答えた。

どこか諦めたように、それでいて、真っすぐに。

 

「黒服は……俺に“大人とは何か”を教えた。こう言うのは不服だが、言ってしまえば教師に似た存在と言える。」

 

「えっ……」

 

思わず、私は固まった。

教師……? つまり、それって……。

 

「先生、黒服の仲間だったの……?」

 

動揺が混じる声で問いかけると、彼はためらわずに続きを話した。

 

「生徒を道具のように利用する考え方に疑問を持ち、奴らを裏切った。その後、“当時のシャーレの先生”に出会い、彼女の元で多くを学び、俺も先生になった。」

 

「当時の…先生…?」

 

私は小さく問い返した。けれどその言葉の響きには、彼が今も大切にしている記憶が含まれているように感じた。

 

「……知りたいか?」

 

その声には、懐かしさと、哀しさと、そして少しの怖れが滲んでいた。

私は、何て返そうか迷って、少しだけ口を開きかけた――その時。

 

「黄泉せんせーい、いるー!?」

 

突然の大声がシャワー室に響いた。

 

「こ、こらムツキ、大声出さないの! 黄泉先生、着替えを持ってきたわよ!」

 

元気な声と、少し呆れたような声。ムツキちゃんとアルちゃんだ。どうやら先生の着替えを持ってきてくれたみたい。

 

「………ありがとう。刀の近くにでも置いといてくれ。」

 

「わかったわ。」

 

「ねぇねぇ黄泉先生! 私も一緒に入ってもいーい?」

 

「さっさと出ていけ、阿呆。」

 

「くふふ、ごめんなさーい!」

 

騒がしさに紛れて、話の流れが途切れてしまう。

 

「はぁ……すまない、やはりこの先は話す気になれない。」

 

黄泉先生がぼそりとつぶやいた。

 

「うん…。こっちこそ、ごめんね。無理に聞いちゃって。」

 

私は小さく笑って言ったあと、肩をすぼめるようにして、シャワーの止水レバーに手をかけた。

 

「私、先に上がるね。出る時にまた呼ぶから、ちょっと待ってて。」

 

そうして脱衣所で体を拭き、制服に袖を通していく。

その間、頭の中ではずっと、先生の言葉が巡っていた。

 

――まさか、先生が黒服と一緒だったなんて。

 

驚きはあった。でも、不思議と怖くはなかった。

だって私は、黄泉先生を信じるって決めたのだから。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

とあるビルの一室。

明かりひとつ灯らぬ闇に包まれた部屋に、彼はいた。

 

「………。」

 

机に両方の肘をついて、絡めた指をじっと見つめる。

彼に宿る、冷たく静かに燃えるような白い光が、闇の中で”彼女”の来訪待っていた。

だが、”彼女”は一向に現れない。

 

沈黙を破るように、机上の通信端末が音を立てる。

相手はカイザーの理事だった。

 

『……“黒服”、まだ来ないのか。』

 

「ええ。どうやら、黄泉先生に言いくるめられたようですね。」

 

『……“死神”め、また余計なことを。』

 

苛立ちとわずかな怒気を含んだ声。

だが黒服は、まるでそれを楽しむように口角を上げる。

 

「クク……まだ、終わったわけではありませんよ。」

 

「今度はこちらから、小鳥遊ホシノに接触します。“心”さえこちらに傾けられれば――アビドスなど、紙の城と同じですから。」

 

通信の向こうで、理事が何かを言いかけて黙った。

やがて、無言のまま通信は切れる。

 

静寂が戻る。

 

その闇の中で、黒服はただ一言、低く呟いた。

 

「ククク……”ノックス”を甘く見た報い、というわけですか。」

 

 

つづく




ゼンゼロ2.1が始まりましたね。
早くストーリーを進めて、みんなの水着姿を拝みたいです。
それはそれとして、ミアズマを許すな。

誤字脱字があったら、ぜひ教えてください。
  
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