ゼンゼロより、柚葉すり抜けました。
夜のアビドス市街地は、ネオンの光にぼんやりと照らされていた。人通りは少ないが、生活の気配は辛うじて残っている。
その片隅にある公園に、小さな屋台がぽつんと佇んでいた。そこにいたのは――
「大将!」
誰よりも早く駆け出したのは、黒見さんだった。それに続くようにみんなも後を追いかける。
こちらに気づいて振り返った屋台の主は、懐かしい笑顔をこちらに向けた。
「おお、セリカちゃんじゃないか。それに、みんなも来てくれたんだな。」
馴染み深い声。柴関ラーメンの大将――柴さんだった。元気そうなその様子に、自然と周囲の空気も和んでいく。
「復活してたなら教えてよ〜。みんなで盛大に祝ってたのに。」
「はっはっは、それは悪かったな。復活したのはつい最近でさ。」
小鳥遊さんの優しい抗議に、大将は豪快に笑う。その笑い声に、皆もほっとした表情を浮かべていた。
「久しいな、大将。……立派な屋台じゃないか。」
黄泉先生がふと呟く。
その口調は相変わらず淡々としていたが、どこか誇らしげにも聞こえた。
「おかげさまでな。色々ありがとよ、黄泉先生。」
「ん? どういうこと?」
黒見さんの問いに、大将はゆっくりと口を開いた。
「……実はな、ちょっと前にカイザーから退去通知を突きつけられてよ。色々あって店も吹き飛んじまったし、引退するつもりだったんだ。」
そこまで言って、大将は黄泉先生へと視線を向ける。
「そんな時に黄泉先生が来てくれて、『柴関ラーメンはみんなの居場所の1つなんだ』って言ってくれたんだ。あの一言で、踏ん切りがついたよ。」
しんと静まり返る空気。
大将は続ける。
「ちなみに、この屋台も先生が出してくれた資金で作ったんだ。……感謝してもしきれねぇよ。」
一同、言葉を失う。
かつて失いかけた居場所が、こうしてもう一度立ち上がった。その事実に、胸が熱くなる。
だが、そんな空気を斬り伏せたのは、やはり黄泉先生だった。
「……そんな話より、ラーメンを注文するのが先だろう。」
その一言に、ほんの一瞬の静寂。
――そして次の瞬間、浅黄さんがニヤッと笑った。
「今のってもしかして、照れ隠し?」
「えっ、まさか……黄泉先生、照れてるの!?」
「珍しいですね! 貴重な一面です!」
「……くだらないこと言ってないで、早く頼め。」
そう言って視線を逸らす黄泉先生の声はいつも通り落ち着いていて、けれどどこか、ほんのわずかに――優しかった。
その声音に気づいた者も、気づかない者も、笑いながら屋台へと歩み寄る。
「はーい!味噌チャーシュー大盛り!」
「私は塩で! 味玉もつけて!」
「私は醤油!」
「えっと、私は――」
「おいおい!1人ずつ言ってくれ!」
柴大将が笑いながら待ったをかけると、その場の空気は一気に、いつもの彼女たちらしい明るくにぎやかなものへと変わっていった。
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注文したラーメンのスープを一口飲むと、胸の奥にじんわりとした温かさが広がっていった。その熱にほっとしたのか、浅黄さんは「ふぅ」と息を吐く。
次に、彼女は勢いよく麺を啜った。ツルツルッと心地よい音を立てながら、口の中に吸い込まれていく。
しっかりと味を噛みしめ、満足そうにごくんと飲み込んだ後──
「美味し〜い!」
幸せそのものの声で叫んだ。
ちょっと声が大きすぎる気もするけど……周囲の住宅街には明かりが一つも灯っていない。
言葉にはできないが、まるでこの空間だけが“異世界”のようだった。
「くふふ。ハルト先生、ムツキちゃんのラーメンが欲しいの?」
あ、気づかれた。
こちらの視線に気づいた浅黄さんが、ニヤニヤしながら顔を寄せてくる。
「仕方ないなぁ。はい、あーん♪」
目の前に差し出される、湯気の立った麺。
……とはいえ、さすがに食べる勇気はない。
”え? いや、いいよ。もうすぐ自分のが来るし。”
「むぅ、つまんないの。じゃあ黄泉先生、あーん!」
「……その気持ちだけ、有難く頂いておこう。」
穏やかに断る黄泉先生。
さすがというか、いつもながら抜かりない。
彼女は「え〜」と唇を尖らせながらも、どこか嬉しそうだった。
「塩ラーメン大盛りと、醤油チャーシューお待ち!」
柴大将がカウンターからお盆を抱えてやってきた。
目の前に置かれる醤油ラーメン。さっそく「いただきます」をしようとしたその時――
「全員、聞いてくれ。」
黄泉先生の声が、静かに響いた。
先ほどとは違う、胸に響くような低い声音だった。
「……これを話すのは最悪のタイミングかもしれない。だが今日、こうして集まったのは、改めて“覚悟”を決めるためだ。」
場が、ピンと張り詰める。
「次の戦いですべてを終わらせる。負けることは、絶対に許されない。いいな。」
「「「 はい!」」」
迷いのない声が、街に響いた。
タイミングはたしかに悪い。
でも、言ってもらえてよかった。……気持ちが、どこか固まった気がする。
そのとき、カウンターの向こうで、大将が困ったように眉をひそめていた。
「黄泉先生……。アンタ、何をするつもりなんだ?」
「心配するな。長きにわたるカイザーとの戦いに終止符を打つだけだ。」
「な、なんだよそれ! だったらもっと早く言っといてくれよ!」
そう言いながら、大将はあわてた様子で自転車を引っ張り出してきた。
「みんな! 飲みたいものがあれば言ってくれ! すぐに買ってきてやる!」
「えっ、いいの!? 大将、太っ腹〜!」
生徒たちがわっと盛り上がる。
それぞれ好きなジュースを伝えると、大将は威勢よくうなずいて、ペダルを勢いよく踏み込んだ。
その背中を見送りながら、みんなは自然と笑顔を見せる。
「じゃあ、ジュースが届いたら乾杯しよう!」
「それまでにラーメン食べ終わっちゃうかも?」
そんな他愛ない会話が、夜の空気に混ざって溶けていく。
”ジュースだけで、ここまで空気が変わるとは……。”
思わず呟いた私に、隣の黄泉先生が小さく微笑んだ。
「ああ……。感謝すべきなのは、むしろ俺たちの方だな。」
その声には、どこか優しさがにじんでいた。
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楽しい食事の後の帰り道。私は、街灯に照らされた夜道を一人で歩いていた。
手元のスマホには、さっきみんなで撮った写真が表示されている。
アヤネちゃん、セリカちゃん、ノノミちゃん、アルちゃんはとっても楽しそうな笑顔。
ムツキちゃんはふざけて変な顔。ハルカちゃんは写真が苦手なのか、顔がちょっと引きつってる。
シロコちゃん、カヨコちゃん、黄泉先生はやっぱり真顔で、ハルト先生は少し困ったような笑顔をしている。
そして私は――文字通り、屈託のない笑顔だった。
こんなふうに笑えたんだと、自分でも驚いた。
もし黄泉先生が早朝に、私の前に現れてくれなかったら。きっとこんなふうに笑うことも、こんな思い出を作ることもできなかった。
そう考えると、胸の奥が少しだけ不安に揺れる。
(……ありがとう、先生。)
心の中で感謝を伝える。
その時、背中にひやりとした感覚が走った。
……見られてる。
気のせいなんかじゃない。
この視線――前にも何度も感じたことがある。
「……チッ。」
私は小さく舌打ちして、目の前に広がる闇に向かって声を放った。
「コソコソ隠れてないで、さっさと出てきたらどう? “黒服”。」
その瞬間、視界の奥でふっと白い炎が灯る。
炎は静かに揺れながら、やがて人の形をとり――あの男が姿を現した。
「クックック……お久しぶりですね、ホシノさん。」
「私としては、もう会いたくなかったんだけどね。」
私はそう返しながら、スマホをタップして画面を消す。
「小鳥遊ホシノさん。約束の日は今日の早朝だったはずですよ。なぜ来なかったのですか?」
「気が変わったんだ。私は……みんなと一緒に生きるんだって。」
「ほう…? 私が提示した見返りは、借金の半分以上を私が持つという聞き捨てならない条件だったはずですが?」
「確かに聞こえはいいかもしれない。だけど何より、あんたが信用できないからだよ。」
視線を逸らさず、私は言い放つ。
「黄泉先生から聞いたよ。あんた、なかなかに酷い奴らしいじゃん? 平気な顔して、生徒を騙して自分の良いように使う……クズ野郎だってね。」
――夜の風が、二人の間を吹き抜ける。
街は静まり返り、まるで世界に自分たちしか存在しないようだった。
「ククク……なかなかに酷いことを仰る。ですがホシノさん、それが“大人”というものです。」
「子どもを利用することの何が悪いのです? 自分の利益のために他人を使う。それが社会であり、大人の世界ですよ。」
「子どもなど、都合よく使われるだけの存在に過ぎません。あなたも大人になれば分かると思いますよ。」
あまりの気持ち悪さに吐き気がした。
怒りとか、恐怖とか、そんな単純なものじゃない。全身の血が逆流するみたいな、黒い何かが喉の奥に溜まっていく。
「……あんたみたいな大人には、絶対にならない。」
気づけば、そう発していた。
自分の保身のために他人を切り捨てて、力のある者に媚びへつらって、弱い誰かを踏みつけて生きるような、そんな、汚い大人にだけは絶対にならない。私は――
「私は、黄泉先生やハルト先生みたいな、大切なもののために動ける大人になる。」
そう強く口にする。そして、心の奥で何度も何度も繰り返していた。
「……なるほど。どうやら彼らはとても信頼されているようですね。もっとも――」
「あなたが“大人”になれるかどうかは、別の話ですが。」
その言葉に、強い寒気を感じた。
瞬間、耳をかすめるように風が走る。反射的に飛びのきながら振り返ると、何かが壁を抉っていた。
全く音がしなかった。サイレンサー付きの狙撃弾か!
即座にショットガン型の盾を展開し、構えを取る。その刹那、闇の中から2つの影が飛び出してきた。
2人の手にはナイフ。しかも、なぜかガスマスクをしている。
(ただのチンピラじゃない……!)
一人目の蹴りを紙一重で躱し、反撃のトリガーを引く。しかし、もう一人が横から蹴り上げてきた。重心を崩され、銃口が逸れる。
発砲は空を切り、乾いた音だけが夜の路地に響く。
「ちっ……!」
即座にバックステップで距離を取る。――だがそのタイミングを狙っていたように、またしても狙撃弾が飛来!
(位置は変わってない……けどっ!)
間一髪で身を捻って回避。この暗闇の中、確実に頭を狙ってきている。
しかし、その隙を突いてガスマスクの一人が接近してきた。
「ぐっ!」
左の盾でナイフを受け止め、右のショットガンで牽制しながら、もう一人に向けて蹴りを繰り出す。だが、相手の動きは滑らかで、一瞬で体勢を崩されそうになる。
無駄のない連携、正確な間合い。命を奪うためだけに訓練された動き。
ヘルメット団のような不良とは“質”が違う。油断すれば最期だと、本能が感じ取っていた。
ナイフを構え、ジリジリと詰め寄ってくるガスマスクの2人。加えて、どこかに潜むスナイパーの存在も気にしながら、私は迎撃の構えを崩さなかった。
一瞬の静寂。
そして、ガスマスクの1人が動いた――その時だった。
「――ッ!?」
背中に針で刺されたような鋭い痛み。
同時に、全身から力が抜けていく感覚が襲ってきた。
膝が崩れ、私は無様に地面へと倒れ込む。
(……まさか、麻酔弾…!?後ろに、誰か――)
「……このような強硬手段に出てしまい、申し訳ありません。本来なら、あなたともう少し言葉を交わしたかったのですが……。」
聞き覚えのある声。背後には黒服が立っていた。
「利害の一致による契約とは言え、催促というのは実に退屈で、時に品位を欠くものですね。ですが、従うのもまた大人というものです。」
悔しさが胸に広がった。
こんな連中に屈したくない。
こんな奴らに連れて行かれるなんて、絶対に嫌だ。
2度と自分勝手な行動はしないって決めたのに。
どんなに苦しくても、みんなと助け合って生きるって決めたのに。
なのに――。
(身体が……動かない……!)
震える指先。霞む視界。
恐怖が静かに喉を締め上げてくる。
誰か、助けて――
そう叫びたくなる衝動を、私は押し殺すことができなかった。
「……たす……けて……」
呟いたその瞬間、重力がすべてを引きずり込む。
瞼が閉じる。
そして私は、意識の底へと沈んでいった。
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……あれからどれくらい時間が経ったんだろう。真っ暗な闇の中に、かすかな光が差し込んでいた。
意識がだんだんと浮上していくのがわかる。けれど……目を開けたくなかった。現実に戻るのが怖くて、このままずっと、目を閉じていたかった。
……でも、聞こえた。
誰かがドアを開けて、ゆっくりとこちらに近づいてくる足音。
何人もいる。
怖い。何かされるかもしれない。
やだ、やめて……!
「ホシノ先輩?」
声を聞いた瞬間、私は勢いよく目を開いた。
なぜならその声は、私のよく知る大切な後輩……アヤネちゃんの声だったから…。
「あっ、ホシノ先輩が起きました!」
「ほ、本当!?」
「先輩、大丈夫?」
続けて聞こえてきたのは、ノノミちゃん、セリカちゃん、シロコちゃんの声。
目を開けた私の前に、いつもの仲間たちが顔を並べていた。
「みんな……どうしてここに……?」
そう尋ねた瞬間、彼女たちは一斉に脱力してその場にへたり込んだ。一瞬焦ったけど、みんな笑顔で、目には薄っすらと涙を浮かべていた。
「ホシノ。」
声のした方に顔を向けると、丸椅子に腰かけた黄泉先生の姿があった。
先生は静かに立ち上がり、ベッドの脇に歩み寄る。
「……怪我がなくて、本当に良かった。」
そう言って、そっと私の頭を撫でてくれた。
その声がすごく優しくて、その手のぬくもりがたまらなく暖かくて……自然と涙が溢れてきた。
「怖い思いをさせてしまい、本当にすまない。」
そう言って、先生はどこか悔しそうな顔をした。
私は目元を拭いながら、首を横に振る。
「……謝らないで。あの時は、すごく怖かったけど……でも今は、すごく嬉しいんだ…!」
「黄泉先生を信じて……っ、よかった……!」
押し殺していた感情が、一気にあふれ出す。
怖くて苦しくて、何も信じられなくなりそうだった。でも、今回も黄泉先生はちゃんと助けに来てくれた。
その事実だけで、胸がいっぱいになった。
そして気づけば、シロコちゃんたちが私を優しく抱きしめてくれていた。そしたらまた、涙が溢れてきた。
みんながそばにいてくれることが、この上なく嬉しかった。
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あの後、私たちは学校に泊まることになった。
私が襲撃されたということは、他のみんなも標的にされるかもしれない。その可能性を考慮して、アヤネちゃんが提案してくれた。「今夜は、この保健室で一緒に過ごそう」と。
ノノミちゃんが「じゃあ、みんなでお泊まり会ですね!」と笑って言った時は、思わずクスリとした。…それは、あんな目に遭った後だったからこそ、本当にありがたい言葉だった。
黄泉先生はそのまま帰ろうとしていたけど「私たちがこのまま襲われてもいいんだ?」とセリカちゃんに言われて、渋々残ってくれた。
電気は落とされ、今の保健室は月明かりだけがぼんやりと差し込んでいる。
私は保健室のベッドに、みんなはマットレス代わりに敷かれた予備の布団の上で、安心しきったように寝息を立てていた。
……だけど、私は眠れなかった。
不思議と目が覚めてしまって、目を瞑っても、なかなか意識は落ちなかった、
私は何となく寝返りをうつ。その視線の先には、丸椅子に腰かけ、体を傾けて目を閉じている黄泉先生の姿があった。
しばらく先生を見つめた後、そっと布団を抜け出し、音を立てないように歩み寄る。
その寝顔はどこか疲れているように見える一方、とても穏やかなようにも見えた。
(先生……眠ってる…。)
何となく頬をつつこうとした、その時――
「……どうした。」
低く、静かな声が返ってきた。
私の声よりも先に、彼の言葉が空気を震わせた。
思わず動きを止める。先生は静かに目を開け、わずかに身じろぎした。
「……悪い。驚かせてしまったか。」
まるで、眠りながらも戦場の気配を感じていたかのように。その言葉には、どこか苦笑の色が混じっていた。
「ううん、大丈夫。それよりも、起こしちゃってごめんね。」
カーテンの隙間から漏れる月明かりが、先生の横顔を静かに照らしていた。目を閉じたままのその顔に謝るように、小さな声でそう伝える。
黄泉先生はしばらく沈黙したあと、目を開けた。
その瞳がゆっくりとこちらを向く。
「……眠れないのか?」
その声は、夜の空気に溶けてしまいそうなほど静かだった。私は黙ってうなずき、ぽつりと返す。
「……うん。」
その一言に、黄泉先生は音を立てないよう慎重に椅子から立ち上がった。
私の背中に優しく手を添えながら、跳ね除けられた布団の上へと導いてくれる。そして座っていた丸椅子をベッドの隣に静かに置き、腰を下ろした。
「安心しろ、俺がそばにいる。」
その一言が、胸にじんわりと染みてくる。
夜の保健室には、静かな寝息と、外から聞こえる虫の音だけが響いていた。
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月明かりだけが照らす保健室。
照明は落ち、寝台の横にある椅子に腰掛けた俺は、ホシノの手をそっと握っていた。
彼女は目を閉じたまま、何も言わずに横になっている。けれど、「どこにも行かないで」と言うかのように、俺の手を強く握り返してくる。
(……本当に、間に合って良かった。)
ホシノから「たすけて」とだけ書かれたメッセージを受け取ったとき、俺はすぐにアビドスへ戻った。
夜の住宅街に人の気配はほとんどなく、頼れるのは街灯と月明かりだけ。しかも、広大なその街で彼女を見つけ出すには、いささか時間がかかりすぎた。
しかし……まさか黒服が強引にホシノを攫おうとするとは思わなかった。歪んだ思考の持ち主ではあったが、対話を重視するタイプでもあった。
もちろん、その対話の奥にあるものは言うまでもないが、争いを好まない姿勢だけは評価していた。
だが、奴は強硬手段により一線を越えた。その瞬間に、俺の評価は意味を失った。
ましてや、奴の目的はホシノの”神秘”を研究すること。この先も彼女を狙うと分かっている相手を、放っておく理由などない。
だから俺は――有無を言わせず奴の首を斬り落とした。
地面を転がる黒服の頭部。奴は何かを言いかけたが、白い光が消え……やがて塵となって消滅した。
同情の余地は無い。
俺が刀を抜く理由は、ただ1つ。大切な生徒を守るため。生徒を傷つけようものなら、容赦はしない。
ふと、ホシノの手が少しだけ力を込めた。
小さく息をつくように胸が上下して、まつげが微かに揺れる。
(大丈夫だ。お前を狙う奴は、どこにもいない。)
声には出さない。
ただ、そっと指を重ねて、彼女の不安を吸い取るように――その手を包み込む。
すると、彼女の呼吸が少し落ち着き、手に入る力が弱くなった。
どうやら、少しは安心できたようだ。
だがその安堵の影には、消えない疑問とわずかな警戒が残っていた。
ガスマスクをつけていた、謎の生徒。
彼女たちは一切の足音を立てずに動き、銃ではなくナイフを手にしていた。それはおそらく、周りに気づかれないための策だったのだろう。
その動きは極めて洗練され、ただ「命を奪う」という目的のためだけに訓練された者のそれだった。
黒服を殺し、彼女たちの前に立った――その瞬間。
その瞳が、怒りでも恐怖でもない、ただずっと昔から俺を憎んでいたとでも言いたげな眼差しで俺を射抜いていた。
それも……面識がないはずの少女たちに、だ。
加えて彼女たちの動きは、俺がナイフを使って戦う時の動きに酷似していた。一撃の重さより、間合いの取り方。急所を狙う角度。動作の緩急……。
それら全てが「教えられた」ものであり、「染み込んでいる」ような動きだった。
……嫌な予感がしてならない。
全て、俺の杞憂であればいいのだが。
するとその時、ホシノの手がそっと力を込めた。
まるで「大丈夫だよ」とでも伝えるように、優しく、温かく。
ああ、そうだな。
今は確定していない不安より、目の前の現実に向き合うべきだ。最後の戦いはもうすぐやって来る。
そう心に刻みながら、俺はゆっくりと瞼を下ろした。
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目が覚めたのは、午前7時を少し過ぎた頃だった。
カーテンの隙間から差し込む光が、ぼんやりと視界を照らしていた。久しぶりに、こんなに熟睡した気がする。
私は目を擦りながら、周囲を見渡した。
そこには、気持ちよさそうに眠る後輩たちの姿があった。小さく丸まったり布団を蹴飛ばしたり、寝相はそれぞれだけど……みんな可愛い寝顔で、つい微笑んでしまう。
けれどすぐに、あることに気がついた。
黄泉先生の姿が、ない。
(どこ行ったんだろ……。お手洗い?)
そう思って保健室をそっと抜け出し、廊下に出てみたけど……人の気配はどこにもなかった。
なんだか胸がモヤモヤする。「俺がそばにいる」なんて言ってくれたのに起きたらもういないなんて、ちょっとひどくない?
すると――
「ん……ふわぁ……」
アヤネちゃんがモゾモゾと体を起こした。目をパチパチさせて、手探りで眼鏡をかける。
「おはようアヤネちゃん。」
「……おはようございます、ホシノ先輩。ずいぶん早起きですね。」
そう言って、アヤネちゃんは小さく欠伸をした。
その声につられるように、他のみんなも次々と目を覚ましていく。
「おはようございま〜す☆」
「ん、おはよ。」
「おはよー……」
中でも、シロコちゃんは一際シャキッとしてた。
理由を聞くと、「今日はカイザーPMCを潰しに行く日だから」とのこと。
さすが、シロコちゃん。頼もしすぎるよ。
そう。今日はいよいよ、カイザーPMCに攻撃を仕掛ける日。なのに私の心は、どこかへ消えた黄泉先生のことでいっぱいだった。
と、その時――
「おはよう。」
背後から聞こえた声に、思わずビクッと肩を跳ねさせてしまう。
慌てて振り返ると、そこには――両手にビニール袋を下げた黄泉先生の姿があった。
「お、おはよう……?」
反射的に返した挨拶は、なんだか疑問形になってしまう。
視線を下に動かすと、先生はスーパーの袋をぶら下げていた。中には何やらずっしりと詰まっているみたい。
「な、なにそれ。」
「おにぎりとお茶だ。」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
「さっき家で作ってきたおにぎりだ。たくさんあるから遠慮せず食べろ。具材は……梅干し、鮭、おかか、塩……あとは肉そぼろだ。」
まさかの手作り。しかも種類が豊富……。
思いもよらない朝ごはんに、みんなのテンションが一気に上がる。そしてニコニコ笑顔で、顔を洗いに向かう。
だけど、私はその場に立ち尽くしていた。
喜べなかったわけじゃない。ただ……なんだか、寂しがってた自分がバカみたいに思えてきて。
すごく、モヤモヤする……。
すると黄泉先生は不思議そうに私を見て、尋ねる。
「もう顔は洗ってきたのか?」
……他人事みたいに言っちゃって。
誰のせいでこんなことになってると思ってるのさ。
「べーっ、今から行くところだもんね。」
私は舌を出して、わざとらしくそっぽを向く。
その時の先生は分かりやすいくらいに「?」を浮かべていた。
でも、私は分かってた。
こんなことをしたのは、寂しかった気持ちを悟られないようにするためだって。
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整容を済ませた私たちは、保健室で黄泉先生が持ってきてくれたおにぎりを食べようとしていた。
けれどその時、先生は無言で立ち上がり、おにぎりをふたつだけ手に取ると、静かに部屋を出ていった。
その背中は、どこか神妙で――胸に引っかかるものがあった。まるで何かに心を預けに行くような、そんな空気をまとっていて。
「追いかけよう。」
シロコちゃんのひと声で、私たちはそっと立ち上がる。みんなが先生の行方を気にしていた。
先生の気配は強いから、少し意識すれば、多少距離があってもすぐに分かる。
その“在り方”が、もう特別なんだ。
やがて辿り着いたのは、校舎の屋上だった。
誰もいないはずのその場所から、微かに風を切るような音がした。
私たちは音を立てないようにして、ゆっくりと扉を開ける。
――そして、目にした。
(あ……)
思わず、言葉を呑んだ。
そこにいたのは、抜き身の刀を手にした黄泉先生だった。
太陽の光を浴びて、鞘から抜かれた刃が鋭く反射している。
静かな屋上にただ一人。先生の周りの空気が、異質に思えるほど冷たかった。
「……今日は忙しくなるぞ。」
屋上の風に髪を揺らしながら、黄泉先生が静かにそう呟いた。
それは誰に向けた言葉でもなく、手にした刀――まるで相棒のように扱うその刃に向かってのものだった。
すると次の瞬間、刀身から小さな稲妻がパリパリと走った。まるで、「任せろ」と応じるかのように。
「すご……」
セリカちゃんが思わず声を漏らす。
その刹那、先生の目がこちらをゆっくりと向いた。
一瞬、息が詰まる。
あの目は――いつもの穏やかな先生のものではなく、全てを射抜くような、鋭い光を宿していた。
「……そこで何をしている。」
その問いかけは静かなのに、確かに胸に届いた。
でも、不思議と“怖い”とは思わなかった。
それよりも、ただ圧倒された。
こんな人が、私たちの味方でいてくれるんだって。
言葉を探せずにいたその時、ノノミちゃんが小さく一歩を踏み出し、手を上げる。
「よ、黄泉先生と一緒におにぎりを食べたいんです!」
その声に、先生はふっと小さく息を吐いた。
そして、無言のまま刀を鞘に収める。「カチン」と響く金属音が、空気を一変させた。
さっきまでの張り詰めた気配が、嘘のように和らいでいく。
「……仕方のないやつらだ。」
そう言って、先生はその場に胡座をかいて座った。
あまりに自然に、まるで最初からそうするつもりだったかのように。
ぽかんと見つめていた私たちに、先生はさらにひと言。
「……驚かせてしまったのは悪かったから、そんな目で俺を見るな。」
その一言に、私たちは思わず吹き出した。
そこ、気にするんだ。
私たちは、屋上に小さな円を描くように並んで座り、先生が作ってくれたおにぎりを一緒に頬張った。
それは、笑い声が風に乗って流れる何気ないひととき。
けれどその時間は私たちにとって――戦いの前の、最後のあたたかな時間だった。
つづく
ゼンゼロ公式より、オルペウスと鬼火が次のバージョンで登場することが明らかになりましたが……まさかどちらも強攻だとは思いませんでしたね。
シードちゃんはホタル(サム)みたいでめっちゃ好きですし、火属性アタッカーがイヴリンしかいないので、オルペウスも引きたい…。
でも、柚葉もアリスも可愛い…。
メインストーリー、イベントストーリー、どちらもめちゃくちゃ面白かったです。