死を識る者、日常に佇む   作:ツカッチ

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開拓者のみなさん、先生のみなさん、こんにちは。
今回は黄泉先生とホシノが水族館へお出かけするお話です。

あんまり恋愛的な感じにしたくなかったのですが……ホシノが押せ押せだから仕方ないですよね(責任転嫁)


生徒との記憶 vol.1
クラゲの見る海


昔から、クラゲに憧れていた。

 

どこまでも続く青い世界を、ただふわふわと浮いている。

 

何も考えず、流れに身を任せながら。

 

もし、私もあんなふうに漂えたらって。

 

宿題、テスト、借金。

 

そんなもの全部、深い海に沈めてさ。

 

そんなことを考えながら、私は黙って水槽の向こうを見つめる。

 

青白い光に照らされたクラゲが、静かに踊っていた。

 

 

 

 

 

「先生、こっちは終わったよ。」

 

振り返って言うと、黄泉先生は小さく頷いた。

 

この日の私は先生と一緒にゲヘナの暴動鎮圧の任務に当たっていた。本当なら、私がゲヘナの自治区で戦うのはアウトなんだけど……シャーレの一員になったからセーフ、ってわけ。もちろん、先生の許可なしで勝手に攻撃したら即逮捕だけどね。

 

――じゃあ、なんで私がここにいるかって?

理由はシンプル。先生が「戦った分の報酬は俺が出す」って言ってくれたから。

 

シャーレって、今も私たちと一緒に借金を背負ってくれてるんだよね。

だけど、あくまでも黄泉先生は私たちに払わせようとしていて、こうやって先生のお手伝いをした分の報酬をくれる。

セリカちゃんたちがバイトに勤しむ中、私とシロコちゃんはバイトに全然向いてないってことで危機感を覚えた。それについて、どうすればいいかを黄泉先生に相談したら――

 

「なら、シャーレに来るといい。」

 

って言われて、黄泉先生と一緒に任務をこなすようになった。キヴォトスのために働いて、尚且つお金も貰える。それに黄泉先生にも会えるし、一石三鳥だね。

 

少し辺りを見回す。路上には、さっきまで暴れていた戦車の残骸が転がっている。

煙の匂いが鼻をくすぐるけど、黄泉先生はいつもと変わらない表情でピシッとしてる。白いコートには、汚れ1つ見られない。

すると――

 

『黄泉先生、ホシノさん、お疲れ様でした。』

 

ホログラム姿のアコちゃんが表れ、頭を下げた。

 

「お前もな、アコ。」

 

低い声で黄泉先生が応える。

その声からも、疲れの気配は全く感じられない。

 

「それにしても、ゲヘナの暴動ってすごいねぇ…。小規模の銃撃戦はほぼ毎日起きてるんでしょ?」

 

『恥ずかしながら……。』

 

私が尋ねると、アコちゃんはハンカチで額を拭きながら、ちょっと申し訳なさそうに笑った。

 

暴動にもいろいろあって、不良生徒たちが風紀委員会にケンカを売ったり、生徒同士が争ったりしてる。あんまり他の学園のことは知らなかったけど、まさかここまでヒドいとはねぇ……。

 

「……ホシノ、帰るぞ。」

 

「はーい。じゃあね、アコちゃん。」

 

『はい。本当にありがとうございました。』

 

そうして私と黄泉先生は、暴動の現場を後にした。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「うへぇ……疲れたな〜。」

 

シャーレへの帰り道。

背中を丸めて両手をだらんと下ろし、黄泉先生にあからさまな疲れたアピールをした。

 

「珍しいな。お前が疲れたとボヤくのは。」

 

「む、誰のせいだと思ってるのさ。」

 

そう言って私は頬を膨らませた。

だって、黄泉先生ったら暴動を止めるために戦場のド真ん中に降り立つんだもん。いくらなんでも危険すぎるよ。

それに、黄泉先生が行っちゃったから私も向かうしかなくて、余計に疲れたってわけで……。

 

「これはご褒美を貰わなきゃ許せませんねぇ。」

 

「ご褒美……?給料なら先週あげただろう。」

 

「そうじゃなくて、もっと心が落ち着くようなご褒美だよ。」

 

私がそう言っても、先生はイマイチ分かってない様子だった。

見かねた私は、少しだけ勇気を出して言う。

 

「例えばさ、2人で水族館……とか。」

 

すると黄泉先生は顎に手を当て、「なるほど……」と呟いた。

3秒ほど経った後に、先生は私を見て言う。

 

「分かった。では、行きたい水族館があれば言ってくれ。チケットは俺が用意しよう。」

 

「えっ、いいの?」

 

「もちろんだ。」

 

「やった!」

 

思わず私は飛び跳ねる。

さっきまであった疲れが、一気に吹き飛んだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

13時を過ぎた頃――

 

ルンルン気分で街を歩く私。胸の鼓動が自然と速くなって、足取りもいつもよりずっと軽い。

今日は黄泉先生と水族館に行く日。……ただの見回りじゃなくて、プライベートで一緒に出かけるなんて、こんな機会めったにない。

 

この日のために、ノノミちゃんに付き合ってもらって選んだ服。

ゆったりした白いパーカーに、デニムのショートパンツ。そのままだとちょっとラフすぎるかなって、ノノミちゃんに勧められて買ったシアータイツを合わせた。白のスニーカーもお気に入り。

――先生は気に入ってくれるかな。

 

集合場所のシャーレ居住区が見えてきた。時間はちょっと早いくらい、

門の壁からそっと顔をのぞかせると、黒いシャツとパンツに身を包んだ黄泉先生といつも通りのアルちゃんたちがいた。 何やら楽しそうに話している。

 

「うへぇ、みんな揃ってるのは聞いてないよぉ。」

 

急に恥ずかしさが込み上げてくる。学生服じゃない自分を見られるの、なんか変な感じ……。似合ってなかったらどうしよう。笑われたりしないかな――

 

その時。

 

「ホシノ。」

 

「うへっ!?」

 

不意に名前を呼ばれて、飛び上がりそうになる。

黄泉先生と視線が合って……慌てて壁に身を隠した。……やっぱり気づかれてた。しかも、みんなの視線までこっちに。

 

心臓の音がやけに大きく響く。喉元まで届きそうなほど。こんなの、初めて。

 

――隠れてても仕方ない。覚悟を決めて、姿を見せる。

 

「ホシノちゃん!? 可愛い〜っ!」

 

ムツキちゃんが、弾ける声で叫んだ。

 

「ほ、本当にホシノさん!? いつもの雰囲気と全然違うわ!すごく可愛い!」

 

「う、うへ〜……恥ずかしいから、あんまり大きな声で言わないで……。」

 

アルちゃんにも可愛いと言われて、思わず口元を腕で隠してしまう。カヨコちゃんとハルカちゃんも、驚いたように目を丸くしていた。

 

「……先生。何か言ってあげることがあるんじゃないの?」

 

ふと、カヨコちゃんが肘で黄泉先生を小突いた。

黄泉先生は少し笑って――

 

「すごく、似合っている。」

 

「あ、ありがと……。」

 

その声が、驚くほど優しくて。たったそれだけの言葉なのに、胸の奥までじんわりと温かくなった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

各学園へ乗客を運ぶ列車が集まるキヴォトス中央駅。私たちはミレニアムへ向かうため、3番線のホームへ向かった。

やがてアナウンスが響き、列車がホームに滑り込んでくる。風がふわりと髪を揺らした。

 

乗り込んだ車内で、私と黄泉先生は並んで座席に腰を下ろした。電車が静かに動き出す。

 

「その……来てくれてありがとね、先生。」

 

発車の振動に身を預けながら、私は感謝の言葉を口にした。

冗談6割、本音4割で「2人で水族館に行きたい」なんて言ったのに……本当に叶えてくれるなんて。

 

先生は小さく「どういたしまして」と言うと、ふとこちらに視線を向ける。

 

「ホシノが水族館で見たい生き物は、なんだ?」

 

意外な質問だった。こういうときって「なぜ水族館を選んだんだ?」みたいなことを言われると思ってたから。

少し驚いたけど、答えはもう決まってる。

 

「クラゲが見たいな。昔からクラゲに憧れてたから。」

 

すると、黄泉先生はわずかに笑みを浮かべた。まるで最初から知っていましたと言うかのように。

 

「クラゲは優雅に海を漂う。自力で泳ぐこともあれば、潮の流れに身を任せることもある。――ホシノに、よく似ている。」

 

「……それ、遠回しにぐうたらって言ってない?」

 

「違うのか?」

 

「あはっ、正解♪」

 

思わず吹き出してしまう。先生との会話が楽しくて、なんだか嬉しかった。私の性格を思い出してクラゲを連想したのかと思うと、くすぐったい気持ちになる。

 

「じゃあさ、黄泉先生は見たい生き物とかいるの?」

 

先生が私を知っているように、私も先生を知りたい。そんな気持ちで問いかけた。

少しの沈黙のあと、先生は答える。

 

「強いて言うなら、シャチを見てみたい。」

 

「シャチって……あれでしょ、”海のギャング”ってやつ。」

 

私がそう言うと、先生は小さく頷いた。

 

「サメじゃダメなの?」

 

「サメも悪くないが……あれは本能で動く生き物だ。だがシャチは違う。力強く、冷静で、仲間と連携して狩りをする。強さと知性を兼ね備えた生き物だ。」

 

「へぇ……」と思わず声が漏れる。いろんな意味で、先生らしいなって思った。

その横顔を見ながら、ポツリと言う。

 

「……なんか、先生ってシャチみたいだね。」

 

「そうか?」

 

「うん。強いのはもちろんだし、一匹狼に見えて、実は仲間を大事にするタイプでしょ?」

 

その言葉に、先生は一瞬驚いたような顔をして――黙って窓の外を見た。

それ以上何も言わなかったけど、わずかに口元が緩んでいた気がする。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

私たちは目的地近くの駅で電車を降り、駅を出ると、目の前に広がる巨大なガラスドームが視界を奪った。

ドームの中には、青く輝く海を閉じ込めたかのような空間――水族館『ブルーアーク』。

 

平日だというのに、入場口には多くの人影があった。その光景を眺めながら、私は隣の黄泉先生に顔を向ける。

 

「思ったより混んでるね。」

 

水族館の入り口には、それはたくさんの人が並び、長い列を作っていた。さすがは人気のある水族館だ。

 

「どうやら刀を持ってこなかったのは、正解だったらしい。」

 

ふと、黄泉先生がそんなことを言った。今日の黄泉先生はいつもの長刀を持ってきていない。

そう言えば黄泉先生の刀って、明確な意思を持ってて、黄泉先生以外が触れるのを極端に拒むんだっけ。初めて先生に会った時、シロコちゃんも刀に触れちゃって電気を放たれていたなぁ。

 

こんなにたくさんの人がいたら、水族館内ですれ違う人に触れてしまう未来が見える見える。

そこで、私は1つ尋ねてみた。

 

「実際、そんなことになっちゃったこととかあるの?」

 

「ある。何度もな。」

 

間髪入れずに即答。

その声音からして、なかなか大変な目に遭ったみたい。

 

「何とかならないものなの?」

 

「こればかりはどうしょうもない。あの刀は……かなり特殊だからな。」

 

そう言って先生は、「はぁ」とため息をついた。どうやら先生もずっと悩んでたみたい。

 

待つこと数十分。入場ゲートをくぐると、そこはもう別世界だった。

ひんやりとした空気、薄暗い館内、そして――視界いっぱいに広がる巨大な水槽。まるで海そのものを切り取ったような光景だった。

無数の魚の群れが銀色の光を放ちながら泳ぎ、その間を大きなエイやシュモクザメがゆったりと舞う。

そして、その奥には――

 

「あれが、ジンベエザメ……。」

 

私の呟きに、黄泉先生が目を細める。

 

「……壮観だな。」

 

「……うん。」

 

巨大水槽の前で、私たちはただ魚たちを見ていた。青く揺れる光、ゆらゆら泳ぐ魚たち――目の前の光景は美しいはずなのに、なぜか胸がざわつく。

 

ふと視線を上げれば、黄泉先生が隣に立っている。いつも通り無表情だけど、どこか少し優しげに見えるような気もする。

 

黄泉先生の顔を見ている。薄暗い空間というのもあって、胸の鼓動が早くなり、体が熱くなる。

思わず目線を逸らそうとするけれど、気づけば視線の先には先生の右手あった。

 

がっしりとした、分厚い手。これまでたくさんの生徒を守ってきた手。 私はその手に軽く、ちょんと触れた。 しかし、黄泉先生は特に反応しない。それが私の胸の締め付けに拍車をかけた。

 

その時、黄泉先生が少しだけ手を開いた。思わず私は恐る恐る顔を上げる。しかし黄泉先生は変わらず水槽に目を向けている。

それを見た私は、黄泉先生が見せた行動が ”そういう意味” なんだと、なぜか確信してしまった。

 

そっと、その手を握る。

瞬間、左手と胸の奥がじんわりと温かくなるのが分かった。

 

――やっぱり、先生の手はすごく安心する。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

その後も、私たちは水族館の中をのんびり歩き回った。

足の長いカニを見たり、ヒトデにそっと触れたり。冷たさと柔らかい感触が指先に残って、ちょっと楽しかった。

 

やがて道は外へと続き、目の前には広い海が広がっていた。潮の匂いが風に乗ってふわりと漂い、鼻の奥をくすぐる。

 

「ほら先生、早くしないと始まっちゃうよ。」

 

そう言って、私は先生の手を引いた。

もうすぐ3匹のシャチによるショーが始まる。

 

正直、シャチって怖いイメージしかなかった。”海のギャング”って言われてるくらいだし。

でも動画で見てみたら、びっくりするくらい可愛いの。あれをギャップ萌えっていうんだよね? 気づいたら、先生よりも私のほうが楽しみにしてた。

 

ドームに入ると、独特な水の匂いとざわざわした期待感が一気に押し寄せた。

チケットは水族館に着いてすぐ買ったけど、来るのがちょっと遅れたせいで後ろのほうの席。でも、高い位置から見渡せるから逆にいいかも。

 

しばらくして、舞台の奥からシャチがのそのそと登場した。黒と白の大きな体が水面を揺らし、子どもたちの歓声が一気に弾ける。

その可愛さに、私は思わずスマホを取り出してシャッターを切った。

 

シャチの紹介が終わり、さっそくショーが始まる。

巨大な水しぶき、弾ける音、観客のどよめき――まるで水の中に引き込まれるみたい。

ふと横を見ると、先生は無言でシャチを見ていた。

もう少し笑ってくれてもいいのに。「ちゃんと楽しめてるのかな」って、ちょっと不安になる。

 

その時――シャチが突然動きを止めた。水面に顔を出し、観客席を見渡す。そして、私たちのいる方向へ視線を向けた。

 

「……?」

 

何に興味を持ったのかは分からないけど、シャチが何度も水面に顔を出す。

飼育員さんに呼ばれて素直に戻っていったけど……あれは、明らかにこっちを見てた。

 

その後もショーは続いた。尾びれを打って、水しぶきをこちらに飛ばしたり高くジャンプをしたりする。それに合わせて子どもたちが歓声を上げた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

『ありがとうございましたー!』

 

あっという間にショーも終わり、解散の時間になった。他のお客さんたちが一斉に動き出す。私たちは出口が空くまで少し待つことにした。

 

「どうだった?先生。」

 

「……元より飼育されているとは言え、人と魚が協力し合う姿は痺れたな。」

 

「ね! 言葉も通じないはずなのに、すごいよね!それにさ――あ。」

 

ふと視線を感じ、顔をプールの方へ向ける。そこにいたのは、やはりあのシャチだった。

 

「あの子、またこっちを見てる。」

 

他の2匹のシャチは優雅にプールを泳いでいるのに、あのシャチだけはずっとこっちに視線を向けている。

 

「先生のことが気になってるのかな?」

 

「……さぁな。」

 

そう言って黄泉先生は腰を上げる。お客さんたちで詰まっていた出口も、スムーズに進みだしていた。

 

階段を降りていくと、あのシャチもゆっくりとプールに滑り込んだ。

まるで、こちらの動きを追いかけているみたい。

そして、一番下の段に足をつけた瞬間――シャチが水面から、ひょこりと顔を出した。

 

「キュイ!」

 

可愛らしい鳴き声。

さっきまでの私なら、間違いなく「可愛い!」って言ってたと思う。だけど――

 

「……。」

 

言葉が出なかった。

 

近くで見ると、よく分かる。

つるりとした肌。丸みのあるフォルム。イルカみたいな愛嬌のある声。

でも、その目と牙はとても鋭くて、怖いと思った。改めて、サメの仲間なんだって実感する。

 

「どうした、俺に何か用か?」

 

黄泉先生が一歩前に出る。恐れなんて、微塵もない声で。シャチは「キュイッ!」と鳴いて、まるで問いに答えたみたいだった。

言葉は通じてないはずなのに……不思議と、会話してるみたいに見える。

 

その時、二匹のシャチと、その背中に乗った飼育員さんが現れた。

 

「こんにちは〜。 あの、もしかしてですけど……黄泉先生ですか?」

 

「ああ。」

 

「やっぱり!この子がずっと見てたのはあなただったんですね。」

 

私と先生が小さく首を傾げると、飼育員さんは笑って説明してくれた。

 

「この子、他の子に比べて感覚が鋭くて。強い人を見ると興味を持っちゃうんです。」

 

「第六感ってやつ?先生はキヴォトス最強だもん、そりゃ気になるよね。」

 

冗談めかして言うと、先生は小さく笑った。

そして、シャチに向かって声をかける。

 

「……すごいヤツだな、お前は。」

 

「キュイッ♪」

 

……今、間違いなく会話したよね?

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

飼育員さんとシャチたちにお別れをして、ドームを後にする。外に出るとちょうどペンギンたちによる行進が行われていた。そろって体を開き、左右に揺れながら進む姿を見て思わず微笑んでしまう。

 

ペンギンたちが通り過ぎた後、再び館内へ足を運んだ。

ひんやりとした空気が肌を撫で、外の明るさから一転して、薄暗い照明が静かな雰囲気をつくり出していた。

久しぶりに感じるこの空気に、なんだか心が落ち着く。

 

やがて、私がずっと楽しみにしていた生き物の展示室が見えてきた。

ふわふわと漂う、あの幻想的な存在。

 

クラゲたちの水槽だ。

 

 

 

薄暗い廊下を抜けると、淡い青と紫の光に満ちた空間が視界いっぱいに広がった。

幾つもの種類のクラゲが、ゆったりと水中を漂っていた。

 

大きな傘を開いたり閉じたり、その動きはまるで呼吸のようで、見ているだけで時間の感覚が薄れていく。

 

ふわり、ふわり。

光を受けて透き通る身体が、淡い輝きをまとって揺れるたび、息を呑むほどに美しい。

 

「……綺麗だね。」

 

私はそう言って、先生の右手を少し強く握る。すると先生は「そうだな」と言って、ちょっとだけ握り返してくれた。

巨大水槽の時と同じように、ひんやりとした左手を黄泉先生の体温が包み込む。じわじわと体が熱くなるのを感じた。

 

「……ホシノは、憧れのクラゲを見られて満足か?」

 

黄泉先生が静かに尋ねる。

その言葉の意味を、なぜか私はすぐに理解することができた。

 

「クラゲを見られたことには満足してるよ。」

 

一度言葉を切って、もう一度クラゲたちを見上げる。

光に照らされて、ふわふわと漂う姿は本当に綺麗で……でも――。

 

「でも、私が憧れていたのは広い海を自由気ままに漂うクラゲだったから……ちょっと違うと言うか。」

 

わざわざ連れてきてもらったのに、こんなことを言うのは失礼かもしれない。

でも、私は正直に話した。先生なら、ちゃんと受け止めてくれると思ったから。

 

「『水槽に囲まれ、どこにも行くことができないクラゲとは違う』ということか。」

 

「まぁ……うん。」

 

私がそう答えると、先生は少し考えるような仕草を見せた。

そして、まっすぐに私の目を見て、ゆっくりと言った。

 

「このクラゲたちはどこへ行くこともできない。だが、お前はどこへでも行ける。それなら、海を漂うクラゲとそう変わらないんじゃないか?」

 

「うへ…?」

 

先生の言っていることがあんまり理解できなくて、変な返事をしてしまう。

 

「ホシノの話から察するに――お前が海を漂うクラゲに憧れたのは、何にも縛られず自由に生きたいという思いからだろう?」

 

その言葉に、私は「うん」と小さく答えた。

先生は続ける。

 

「確かに、今のお前は多額の借金に縛られている身ではある。だが、それはクラゲだってそうだ。いつ捕食者に食われるか分からない、そんな弱肉強食の世界に縛られて生きている。」

 

「早い話、この世に生まれた生物は必ず何かに縛られているんだ。」

 

「……黄泉先生も、何かに縛られてるの?」

 

「当然だ。」

 

……すごいな、先生は。辛いことがたくさんあったはずなのに、逃げずにしっかりと自分自身を見つめている。

 

それに比べて、私はどうだろう。

クラゲも頑張って生きてるのに、外見だけで『自由に生きている』って身勝手な判断して……。

 

「……ホシノは、何かに縛られるのは嫌いか?」

 

「えっ…?そりゃ…まぁ…。」

 

いきなりの質問に、少しつっかえながらも答えた。

私を縛るもの――アビドス高校の借金が今すぐにでも無くなればいい。1年生の頃から変わらずずっとそう思っていた。

 

なのに、先生は――

 

「それも、1つの考えだろう。だが、俺は何かに縛られて生きる方が幸せだと考えている。」

 

「それは……どうして?」

 

「縛られているということは、何かを成し遂げようと奮闘している証拠だ。その過程で誰かと出会い、成長し、望んだ未来を掴む。」

 

「しかし、自分を縛る鎖が何もない者は、どこにも、誰とも繋がることはない。海で孤独に漂い、何かを残すこともなく海底に消えていく。」

 

「そんな”自由”に、価値があると思うか?」

 

先生の言葉が胸に突き刺さる。

だけど、完全に納得することはできなかった。だって、それは――

 

「……借金があったから、私たちは幸せでいられるってこと?」

 

そう言われているようにしか思えなかったから。

 

「結果論に過ぎないが――そういうことだ。借金を返すために奮闘し、対策委員会や俺たちシャーレなど、多くの仲間を得たとも見て取れる。」

 

納得はできない。

だけど、それを完全に否定することもできない。

私たちがここまでやってこれたのは、『借金』という同じ目標に縛られていたから。

 

「なんか……複雑だなぁ。ずっと邪魔に思っていた借金が、私たちを繋いでくれていたなんて。」

 

「……言っただろう、あくまで俺の考えに過ぎないと。」

 

「分かってるよ。でも、ちょっとだけ心が軽くなったかも。」

 

そう言うと、先生は少し微笑んだように見えた。

私の左手を握るその温もりが、薄暗いクラゲ水槽の光の下で、じんわりと心に染みる。

 

「この水槽の中のクラゲたちも同じだ。自分の居場所で精一杯生きることの積み重ねが、何かを繋ぐ――そういう意味で、自由に漂うクラゲとは大差ないと思う。」

 

「……うん。そうかもね。」

 

私は小さく頷きながら、目の前のクラゲたちの姿を改めて眺めた。青く揺れる光の中でふわりと漂う姿が、初めて見たときよりも綺麗だった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

水族館を出る頃には、空はオレンジに染まっていた。

名残惜しそうに帰路につく親子の姿が見える。その中に、私と黄泉先生もいた。

 

本当はもう少し一緒にいたかったけど、そんなわがままを言える立場じゃないし。

それでも、今日のことは一生忘れない。

 

そんなことを考えていた時、先生が小さな声で私を呼んだ。

 

「……せっかくの水族館だったのに、借金の話をして悪かったな。」

 

「ううん。むしろ、いい話が聞けたと思ってるよ。」

 

私は首を横に振り、微笑んだ。頬にかかる髪を指で直しながら、視線を前に戻す。

 

「そうか。」

 

先生も、ほんの少し笑った。

しばらく、私たちの間を静かな時間が包む。それは気まずさじゃない。今日一日を噛みしめる、あたたかな沈黙。

 

だけど、このまま終わるのは納得いかなかった。せっかく先生とさらに仲良くなれたのに。しかも、手までつないだのに。

 

そこで私は勇気を出して、胸にある気持ちを伝えた。

 

「……先生。また来ようね、水族館。」

 

それは、次なるデートのお誘い。

あんなにワクワクしてドキドキした時間をこんな短い時間で終わらせるのは、嫌だった。

 

少しだけ顔を上げ、髪の毛越しに黄泉先生の反応を見る。

先生はちょっとだけ目を細めて、私を見て言った。

 

「もちろんだ。水族館に限らずな。」

 

その言葉がどれだけ嬉しかったか。次のデートを約束してくれるなんて――しかも、どんな場所でも一緒に行ってくれるって言ってくれたんだ。

 

「ありがと、先せ――」

 

言いかけた、その時だった。

 

 

ぐぅぅ……

 

 

「ひゃうっ……!?」

 

突然、私のお腹の音が響いた。

慌ててお腹を押さえるけどもう遅い。いい雰囲気だったのに、締まらないなぁ……。

 

恥ずかしくて体をぷるぷるさせていると、先生は笑って言った。

 

「どこか、夕食でも食べに行くか。」

 

「それって……デートの延長ってこと?」

 

「……まぁ、そんなところだ。」

 

「やった!先生の方からお誘いなんて、レアだね!」

 

恥ずかしい気持ちはどこへやら。思わず両手を上げてしまう。

もう少しだけ先生と一緒にいられるのが、たまらなく嬉しかった。

 

「ミレニアムの中心に行けば、何かあるだろう。」

 

「いいね!普段食べれない物を食べたいなぁ。」

 

「ふむ……。ところでホシノ、金はあるのか?」

 

「うへ? 何のこと?」

 

私はわざと、とぼけて見せる。

先生はため息をつきながら、私の頭をわしゃわしゃ撫でた。

 

「随分と図々しい女になったもんだな。」

 

「相手が先生だからだよ。」

 

「……だろうな。ホイホイ飯を奢るのは俺くらいだ。」

 

そうして先生は呆れた顔をするけど、仕方ないよね。私が堂々と甘えられるのは、キヴォトス中探しても先生だけだもん。

 

「まぁいい、行くぞ。」

 

「はーい♪」

 

そう言って私は先生の隣に自然に並ぶ。そして、これまで同じように、先生の右手をそっと握った。

 

 




こんな感じで、他の4人も書いていくつもりです。
のんびり待っていてくださると幸いです。

では、また。
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