死を識る者、日常に佇む   作:ツカッチ

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開拓者のみなさん、先生のみなさん、こんにちは。

日常回ってやつです。

話の途中の◯は視点となるキャラが変わったことを示しています。


その背中を、生徒は見ていた

キヴォトスの夜明けは、奇妙なほどに静かだ。

 

早朝。

まだ街は目覚めておらず、近くで聞こえる鳥のさえずりも、どこか遠くの世界の出来事のように思えた。

シャーレの扉を開けると、冷えた空気が肺に入る。戦場の残り香はもうない。ただ、眠るように穏やかな空間がそこにあった。

 

「(……昨日のうちに片づけてもよかったが)」

 

あえて、今日に回した。

戦闘は終わっても、それを記録することは“戦いの一部”だと、かつての仲間が言っていた。

 

机に向かい、ペンを手に取る。

 

昨日の任務。敵勢力は限定的、規模も小さかった。

だが、情報の伝達速度、移動手段、装備の傾向――些細な情報も見逃さないよう注意深く記す。

 

一通り書き終えたところで、背後の扉が音を立てた。

振り返らずとも分かる――ハルトだ。

 

”お、おはようございます…。うぅ、書類の山が私を…。”

 

予想通りの挨拶に、俺は静かに一度だけ頷く。

 

「昨日の分だ。連邦生徒会に提出しておけ。」

 

”はい…?…え!?これ全部仕上げたんですか!?”

 

慌ただしい男だと思う。だが、不快ではない。

彼が何を見て、何に迷い、どこへ向かおうとしているのか――その姿勢だけは、嘘がないと感じていた。

 

書類を手渡すと、彼が申し訳なさそうに視線を泳がせる。

 

「お前の書類も確認しておいた。…誤字が7箇所、不明瞭な記載が3箇所だ。」

 

”は、はい……直します……。”

 

叱る必要はない。教えれば彼は必ず直す。そういう真面目な人間であることは理解している。

1日でも早く仕事に慣れてほしいものだ。

 

再び視線を戻し、彼の報告書の隣に自分のものを並べる。いつの間にか、外は朝の光を帯び始めていた。

 

誰かのために刀を抜く。誰かのために言葉を残す。

そして、誰かのためにこうして記録を残す――それも、今の自分に課せられた“戦い”のひとつ。

 

静かな朝の中、俺はふと胸元のペンダントに触れた。

小さなそれは、今日も変わらずそこにある。

 

 

 

       プロローグ第三話

     その背中を、生徒は見ていた 

 

 

 

ミレニアムサイエンススクール、エンジニア部の工房には、いつも通り電子機器の匂いと微かに金属の焦げる匂いが漂っていた。

 

その中心に置かれた一振りの刀。黄泉先生が戦闘に使っている刀だ。

形こそ日本刀に似ているけれど、纏っている“気配”はまるで違う。

 

私…エンジニア部部長の白石ウタハと黄泉先生はこの刀について議論を交わしていた。

 

「ふーん、やっぱり黄泉先生以外の人が触れようとすると光るんだね。」

 

そっと柄に手を近づけると、刀身が淡く輝いた。

薄紫の光が、波紋のように広がっていく。触れようとした指先には微かな拒絶のような、警告のような何かが走った。

 

「……そんなに黄泉先生以外に触られるのが嫌なのかな。」

 

「…さぁな。」

 

私の冗談めいた言葉に、黄泉先生は「興味がない」と言うかのような返事をした。

けれど、その冗談のような言葉は、案外核心を突いていたのかもしれない。

 

目の前の刀はただの武器じゃない。

何らかのエネルギーが生き物のように黄泉先生と共鳴している。まるで、意志を持っているかのように――いや、もしかしたら本当に持っているのかも。

 

「刀が人を選ぶって話もあるくらいだし…。」

 

ふと、先生の視線が刀に向けられる。

何かを言葉にしようとしたけど、結局口を閉じたまま、目だけで刀を見つめていた。

 

「やっぱり、先生にしか懐かないんだね、この子。」

 

“この子”と呼んだのは無意識だったけど、黄泉先生は特に否定もせず、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「……戦うだけが俺の役目じゃない。この刀も、それを理解している。」

 

「…?」

 

どういう意味かは分からなかったけど、その言葉に込められた重みだけは、妙に胸に残った。

 

「調整、よろしく頼む。」

 

「任せてくれ。手短に、確実に調整してみせるよ。」

 

先生が工房を後にする直前、彼の視線が再び刀に注がれる。

その目には、道具を見るような冷たさはなく、仲間を送り出すような静かな信頼と、少しの哀しさが混じっていた。

 

「ほんと、不思議な人だな…。」

 

私は独りごちた。

そして、その背中を見送りながら、もう一度光の余韻が残る刀をそっと見つめた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

調整を終えた刀を慎重に黄泉先生へと手渡すと、彼は黙って受け取り、柄をそっと握り直した。

 

「……重さ、感触は変わってないな。」

 

ぽつりと、低く呟いたその声に、どこか安堵の色が混じっているのを私は聞き逃さなかった。

 

「試してみるかい?」

 

軽い調子でそう言いながら、工房の片隅に設置されている黄泉先生専用の模擬標的を指差す。硬質な合成素材でできた“人型”のそれは、よほどの腕がなければ一閃では斬れない。

 

先生は一度その的を見やり、再び視線を刀に戻す。

そして、何も言わぬまま歩み出た。

 

工房内に、ぴんと張り詰めるような緊張感が走る。

それは空気の揺らぎ。静寂の予兆。

私は思わず息を飲んだ。

 

瞬間、先生の姿が消えた。

 

私が先生の姿を再び確認した時には、試し切りは終わっていた。

何が起きたかを理解する前に、標的は上半身を残して崩れ落ちていたんだ。

 

「……ああ、やっぱり。調整なんて意味があるんだかないんだか。」

 

苦笑しながらも、私は内心驚いていた。

刀身は文句なしに調和している。だが、それ以上に――。

 

「まるで…刀と会話でもしているみたいだ。」

 

先生は倒れた標的に背を向けたまま、柄を軽く握り直す。

 

その背中に、不思議と威圧感はなかった。けれど、確かな緊張と静けさがある。

まるで、戦場に立つのが呼吸であるかのような自然さ。

 

「やっぱり、不思議な人だな…。」

 

先ほどと似たような言葉がぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟いた言葉が、工房の空気にすっと溶けていった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

試し切りを終えた先生は、しばらく無言で刀を見つめていた。

 

その手には迷いも歪みもない。ただ、確かにそこに“相棒”を感じているような、静かな温度があった。

 

やがて、彼は鞘へと刃を戻す。軽やかだが、まるで儀式のような仕草。

カチンと音を鳴らして刃は鞘に収まった。

 

そして、私のほうへ振り返る。

 

「調整、ありがとう。また頼む。」

 

それだけを言って、黄泉はゆっくりと工房の出口へ向かって歩き出す。

 

私は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに肩をすくめて笑った。

 

「感謝の言葉とか、普通に言う人なんだよね。」

 

背を向けたままの先生は何も返さない。ただ、静かに歩みを進める。その歩調すらもどこか正確で、まるで風景の一部になっているかのようだった。

 

工房の扉が開き、外の光が差し込む。

 

その瞬間、ふと、先生の腰に下げられた刀の鍔が、きらりと淡く光ったように見えた。

 

「信頼されてるって…ちょっと嬉しいもんだね。」

 

背中を預けられるというのは、どんな戦術にも勝る強さだ。その意味を、私は少しだけ理解できた気がした。

 

 

 

 

 

 

午前10時。いつもと変わらぬ静けさの中、風紀委員の執務室にはブラインド越しに陽光が差し込んでいた。

デスクの上には報告書と処理中の書類が山積み。けれど、今日はそこにひとつ違う空気がある。

 

私…空崎ヒナの向かいのソファに座っているのは、ゲヘナの生徒でも、風紀委員でもない――それでも、私たちを救ってくれた存在。

 

白の外套を羽織った男……黄泉先生。

 

「…あの時先生が来てくれなかったら、被害はもっと広がっていた。」

 

自然と出た言葉だった。あまりにも静かで、けれど確かな実感を伴っていた。

 

彼はアコの救援要請に応えて、すぐに戦場に駆けつけてくれた。混乱の中、冷静に、迷いなく。

 

「風紀委員会を…ゲヘナを助けてくれてありがとう。」

 

私は静かに頭を下げる。

この人のことだから「感謝なんていらない」って言いそうだけど、私が…いや、私たち風紀委員会が彼に対してそう思っているのは事実。

 

先生は、それに対して少しも表情を変えずに答える。

 

「……気にするな。お前たちが無事なら、それでいい。」

 

なんて無骨な返し。でも、それが彼らしい。

昨日だってそうだ。彼の行動がすべてを物語っていた。

 

「……ふふ、やっぱり変な人ね、あなたは。」

 

冗談めかして笑うと、先生の視線が、机の隅に積まれた未処理の書類へと流れた。

 

「……それは、全部ヒナが?」

 

「ええ。」

 

当然のことだと思っていたし、誰かに愚痴をこぼすようなことでもなかった。

 

でも、彼は静かに言った。

 

「…前にも言ったが、お前は自分の感情よりも“責任”を優先しすぎている。」

 

「!」

 

その言葉に、肩がビクリと揺れる。

先生が言ったように、前に彼が風紀委員会を訪れた際にも同じことを言われた。

 

「なぜ、誰かに頼りたいという思いを頑なに禁じる?」

 

「それは―」

 

その答えは、変わらず1つしかない。

 

私は風紀委員長だから。誰よりも冷静で、強くなければいけないから。

弱い姿なんて誰にも見せられなかった。

 

だけど…誰かに甘えたいっていうのも事実。

普通の女の子らしい生活をしてみたいと何度も考えた。

 

 

そんなこと、できるわけないのに。

 

 

そんな私の感情を見透かしているかのように、彼は言った。

 

「…“そう思っていい”と誰かが認めてやるだけで、心は少し楽になる。」

 

彼の放った言葉に、思わず目を見開いてしまう。

 

「……あなた、それ…先生が言うセリフ?」

 

「俺が先生だから言えることだ。」

 

その言い方があまりに自然で、思わず笑ってしまった。

どうしてこの人は、こんなにも私の心を揺らすのだろう。

 

「…あのね、黄泉先生。もし…次また何かあったら」

 

私は言った。ほんの少しだけ、勇気を出して。

 

「その時は、ちょっとだけ、甘えてもいい?」

 

先生は何も答えず、ただ小さく頷いたように見えた。

それだけで十分だった。

 

 

 

 

時刻は11時50分。

まだ昼休みには少し早い時間帯にも関わらず、食堂では給食部の仲間たちが慌ただしく動き回っています。

 

その中心にいるのは私…給食部部長、愛清 フウカ。

 

ゲヘナ学園の生徒数は1000人を軽く超えるため、私も、部員たちも休む暇がありません。

私は次々に届くオーダーに負けじと料理に向き合い続けるのでした。

 

大鍋の蓋を開けると、立ちのぼる香りに思わず笑みがこぼれてしまいます。

 

「(うん、今日のカツ煮もばっちり。)」

 

隣の調理台では後輩たちが盛り付けを進めていてくれるので、私はその合間に注文伝票に目を通し、次の料理の準備をします。

 

その時、奥の方からひとりの後輩の声が響きました。

 

「フウカ先輩、カツ煮定食ひとつ入りましたー!」

 

「はーい!」

 

その時でした。

 

ふと…食堂の空気が変わっていくのを感じました。

換気ではありません。明らかに緊張感が漂っていました。それは他の部員たちも気づいていたようです。

 

その理由は後輩の牛牧ジュリが教えてくれました。

 

「今日、黄泉先生が来てるみたいですよ。」

 

その名前を聞いた瞬間、お皿を持ったまま、私の体が一瞬止まりました。

私だけではありません。周りの部員たちも同じだったと思います。

 

「(黄泉先生…。)」

 

いつもと変わらない昼食の時間。

けれど、“あの人”の名を聞くだけで、なぜか厨房の空気が少しピリッとしてしまう。

 

あの先生は決して悪い人ではないのに、どうしてでしょうか。

 

確かに口数も少なく感情を表に出すこともほとんどありませんが、生徒を第一に思ってくれている優しい先生です。

前に『美食研究会』の人たちが食堂で暴れていた時もいの一番に怒ってくださいましたし…(あの時は先生のオーラが怖すぎて私を含めた周りの生徒たちも震えていましたけど)。

 

ですが、怒っている時でさえも美食研究会の生徒たちを傷つけるような発言はありませんでした。きっと、『正しい道に進んでほしい』という思いがあるのだと思います。

 

盛りつけを終えると、私は盆に乗せて、カウンターへと運びます。

そこには、すでに先生がいました。

 

静かに、まるで周囲の時間だけが一歩遅れて流れているような佇まい。制服姿は乱れひとつなく、けれど、その中にひたひたとした緊張感が宿っているように感じました。

 

「来てくださってありがとうございます。黄泉先生。」

 

「…久しいな、フウカ。息災か?」

 

「…はいっ! 」

 

黄泉先生の何気ないその一言で、思わず嬉しくなってしまう私。

彼のその強さゆえに警戒してしまう人も多いですが、しばらく顔を合わせていない生徒にも細かな気遣いができる、そんな優しい先生なんです。

 

「……そうか。」

 

それだけ言うと、先生はトレイを持って食堂の隅、窓際の席へと歩いていきました。

 

先生は背筋をまっすぐに伸ばし、静かに腰を下ろし、丁寧に箸を持ちます。すべてが無駄なく、静かで、洗練されている動作。

 

でも…私の目には、少しだけ寂しそうにも映りました。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

昼休みの食堂は、いつも通りの喧騒に包まれていました。だけど――その中心で突然、事件が起きたのです。

 

「きゃぁぁぁぁ!!!」

 

厨房に響き渡る悲鳴。それは食堂にも届き、ざわめきが聞こえてきました。

 

「どうしたの… ッ!?」

 

慌てて私は厨房の奥に向かいましたが…トレイを持ったまま固まってしまいました。

なぜなら、皿の上にあったはずの焼きそばが…どろりとした粘性を持ち、テーブルの上を這い、そばに置いてあったスプーンを食べていたから…。それはまるで…生きているかのように。

 

「きゃあっ!?」

 

その生きた焼きそばが突然動き出し、厨房を飛び出しました。

 

「「「うわぁぁぁぁッ!!」」」

 

突然現れた動く焼きそばに、楽しそうにご飯を食べていた食堂の空気が一変しました。

生徒たちが慌ててその場を離れると、焼きそばが近くにあったご飯を吸収し、みるみる大きくなっていきます。

 

焦げた油と、刺激臭が入り混じった匂いが立ち込め、私は思わず後輩たちをかばうようにしゃがみこみました。

 

「まさか……またジュリの料理が……?」

 

そう考えた直後、食堂に落ち着いた低い声が響きました。そこに立っていたのは、他でもない黄泉先生。

 

「全員下がれ。」

 

一言だけでしたが、その声が場の空気を引き締めました。

誰よりも静かに、そして確実に現場の主導権を握っていました。

 

「…フウカ、包丁を一本貸してくれ。」

 

一瞬、耳を疑いました。

けれど、その目に冗談の色どころか、一点の迷いすらありません。

 

「いつもの刀は…。」

 

「………。」

 

私はそう尋ねましたが、黄泉先生は何も仰らずに私を見つめてきます。

いつも使われている刀よりもすごく短く、切れ味も全く異なる普通の包丁。

私は不安になりながらも後輩に頼み、業務用の包丁を1本渡してもらいました。

 

「先生、本当にそれで戦うおつもりですか?」

 

私の言葉に先生は何も言わず、ただ、化け物に向き合っていました。

黄泉先生の視線に気づいた化け物も威嚇をするように唸り声を上げます。

 

しかし包丁を手にした先生は臆することなく、一歩、また一歩と近づいていき、そして――

 

「器の形を忘れたなら、思い出させよう。」

 

——その言葉とともに、包丁を一閃しました。

 

まるで空気さえも切り裂いたかのような一撃。

焼きそばの化け物は抵抗する間もなく両断され、吸収したものを含めて元の料理へと戻っていきました。

 

食堂は嘘のように静まり返っており、誰もが状況を飲み込めず、混乱している状況でした。

 

そんな中、黄泉先生は「ありがとう」と言って包丁を私に返すと、食堂にいるみんなに向かってこう仰います。

 

「…片付けるぞ。」

 

床に散乱してしまったご飯たち。机と椅子はガタガタで食堂と言える状況ではありませんでした。

 

その後、食堂を一時閉鎖し、みんなで掃除を行いました。たくさんの生徒がいてくれたおかげですぐに終わらせ、食堂を開くことができたのは本当に良かったと思います。

 

「先生、ありがとうございました!」

 

先生が帰り支度をされているのを見た私とジュリは先生の元へ赴き、感謝を伝えました。

黄泉先生はいつもと変わらない表情で話します。

 

「…ここの料理は、やはり美味い。それと…」

 

「お前たちに怪我がなくて、本当によかった。」

 

…先生は相変わらずです。私たちに非があるのに、お叱りもせず、無事を喜んでくれる。

やっぱり、先生はとても優しい人です。

 

そして先生は傍らに置かれていたご自分の刀へと手を伸ばしました。

その瞬間――。

 

「ッ!」

 

まばゆい紫の閃光とともに、先生の手が弾かれました。

それはまるで、彼に触られるのを拒絶したように。

 

「……すまない。お前を油まみれにしたくなかった。」

 

先生がそう言葉を落としたとたん、刀の光は穏やかに収まりました。

その様子を見て、私は小さく笑みをこぼしてしまいます。

 

「まるで……やきもちを妬いているみたいですね。先生のことが大好きで。」

 

静かな食堂に、ほんの少しだけ柔らかい空気が戻ってきました。

 

 

 

 

 

 

局内の空気はいつものように張りつめていた。誰もが自分の任務を淡々とこなす、ただそれだけのこと。

だが私…尾刃カンナは知っている。この静けさは、風が吹く前の海に似ている。いつ嵐が来てもおかしくない――そんな現場ばかりを私は渡ってきた。

 

そんな中、扉が静かに叩かれる音がした。

 

「どうぞ。」

 

その声に応じて扉が開き、白と紫の制服に身を包んだ男性が姿を見せた。

 

黄泉先生――キヴォトスに現れた異邦の人物。戦闘能力、情報分析、状況判断。どれをとっても一流。それでいて、生徒を“生徒”として見ている珍しい存在でもある。

 

「わざわざすみません。こんな場所にまで足を運ばせて。」

 

私がそう言うと、先生は首を横に振った。

 

「久しく顔をみてなかったのと…『先生』として、直接聞くべきだと感じた。」

 

「そ…そうですか。」

 

私は驚いた。黄泉先生もそんなことを言う人だったのかと。

彼は戦闘のスペシャリストであるが、それ以前にキヴォトスの”先生”だ。先生が生徒を気にかけるのは何らおかしいことではない。だが……

 

「何か…俺の顔についているか。」

 

「ああ、いえ、なんでもありません。」

 

私は話題をそらし、資料を数枚机の上に広げた。

写っているのはひとりの生徒――ワカモ。矯正局から脱走した、現在逃亡中の最重要指名対象者だ。

 

「この件ですが……我々としては、捕獲ではなく“保護”という建前を守る必要があります。テロの常習犯とは言え、彼女もキヴォトスの生徒。しかし、現場で躊躇していては命を落とすこともあります。」

 

黄泉先生は書類に視線を落とし、静かに問い返した。

 

「つまり、俺に協力を?」

 

「はい。…正直に言えば、あなたが動けば一番早い。ですが、私の立場から“命令”はできません。だから頼み込む形になります。…こんな時、先生としてあなたはどう動きますか?」

 

それは、“先生”と“警察”の境界線を問う質問だった。

 

数秒の沈黙ののち、黄泉はゆっくりと頷いた。

 

「俺は先生だ。たとえ過ちを犯しても、生徒である限り手荒なことはできない。」

 

…やっぱり黄泉先生は黄泉先生だ。

目標とする生徒がどれだけ真っ黒な悪であっても、”生徒”として見る根幹は揺るがない。

 

彼は続ける。

 

「だが、彼女の罪から目を背けるつもりもない。」

 

その言葉に私は少しだけ口角を上げた。

先生なら、そう言ってくれると信じていたから。

 

「やはり、先生に話して良かった。」

 

私は立ち上がり、机の上に置いてあった未使用の捜査用バッジを彼に差し出した。

 

「一時的ではありますが、これより正式に捜査に参加していただきます。ただし…無茶はしないでくださいね、“先生”。」

 

「…任せろ、“局長”。」

 

そう答え、部屋を後にした彼の背中には、多くの命を守ってきた者だけが持つ静かな誇りがあった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

午後4時を回った頃、太陽はビルの影に沈みかけていた。

空は茜色に染まり、ヴァルキューレ警察学校のコンクリートがそれを鈍く照り返す。

公安局の用事を終えた黄泉先生が、正門へと歩いてくるのが見えた。

 

私はその姿を見つけると、胸の奥で何かが緩むのを感じた。

 

「……見送りとは、らしくないな。」

 

「らしくないって…。『久しく顔を見てない』とか言っていたあなたが言いますか。」

 

軽口のひとつも叩かずにいられなかった。

恥ずかしいわけじゃない。……たぶん。

 

「…否定はしない。元気そうな姿が見れてよかった。」

 

その声音には嘘がなかった。

妙なところで真っ直ぐな人だってことを、昔から知っている。

 

「もしも元気ではなかったら?」

 

つい、そんな質問をしてしまう。それこそ『らしくない』だろうと思った。どうも彼を前にすると調子が狂う。

そんな私の言葉に、先生は真剣な表情で答えた。

 

「…その時は、夕飯でも強引に誘っていた。」

 

思わず吹き出してしまいそうになった。けれど口元を引き締めて、鼻で笑ってごまかす。

 

「…まったく。そういうところ、変わりませんね。」

 

風が吹く。制服の裾が揺れる。

先生の白いコートも、ゆるやかに揺れていた。

 

ふと、視線を外した。

言葉にするのを迷ったけど――口にしなきゃ伝わらないこともある。

 

「…先生。あなたは、これからも私たちに力を貸してくれますか?」

 

私の言葉に、黄泉先生は少し目を細めた。

何か言いたげなようにも見えたが、黙って私の話に耳を傾けている。

 

「今後脅威になるのはワカモだけではありません。いつ、どこで強大な敵が現れるか分からない。」

 

表情は崩さず、声色も変えない。

なのに、どこか喉が熱い。やけに口内が乾いていた。

 

「現に、ワカモと対峙した公安局の生徒が何人もやられました。次に誰かがワカモと戦った時、また私は間に合わないかもしれない。そう考えると私は―」

 

「カンナ。」

 

言いかけたその時、黄泉先生が静かに口を開いた。

私の名を呼ぶその声はどこまでも穏やかで、決して咎めることも、憐れむこともなかった。

ただ、私という“個人”を見てくれた、そんな声音だった。

 

「そんな時は…俺に言え。俺がお前の変わりに間に合わせる。」

 

私の思いを全身で受け止めるかのように、先生は言ってくれた。

彼の言葉はとても心強くて…そして、温かかった。

 

一歩、また一歩。先生が門の方へ歩き出す。

夕焼けに包まれながら、背中が遠ざかっていく。

 

「忙しい時期だと思うが…無理はするな。自分のことを労わるのも大切だ。」

 

「…はい!先生こそ、肩書きに甘えて背負いすぎないでくださいね。」

 

先生は何も言わなかった。けど、言葉の代わりに心のどこかで安堵が広がる。

――やっぱり、この人は今でも変わらない。

 

その背中が角を曲がって見えなくなるまで、私は動かなかった。

そして誰にも聞かれないくらいの声で、静かに呟いた。

 

「また会いましょう、“先生”。」

 

それは願いでも、決意でもない。

ただの自然な言葉だった。

 

けれどきっと、届いている気がした。

 

 

 

 

どこかでスープが小さく煮立つ音がしていた。微かに香る鶏ガラの匂い。

…あれ、私……寝てた?

 

重いまぶたを持ち上げると、室内は仄かにオレンジがかった暖かい光で包まれていた。デスクにはメモが置いてあり、ブランケットではなく、どこか見覚えのある白いコートが私の肩に掛けられていた。

 

”黄泉先生……?”

 

声に出すと、部屋の奥、キッチンの方で何かをかき混ぜる音が止まった。

振り返った黄泉先生の表情は変わらない。けれど、それがなぜか安心できる。

 

「起こすつもりはなかった。…だが、目覚めたなら、ちょうどいい。」

 

彼は深夜用の軽食を用意してくれていたらしい。

湯気の立つ器が静かに差し出される。

 

それは、香味野菜のスープだった。

 

「…寝起きに悪くはないはずだ。」

 

私は黙ってそれを受け取る。

スプーンをひと口すくって口に運ぶと、思わず笑みがこぼれた。

塩分も脂も控えめで、でも芯から温まるような味。

 

”やっぱり…黄泉先生って優しいですよね。”

 

「そう言われる筋合いはないが……勝手にそう思うなら止めはしない。」

 

どこまでも素直じゃない人だ。

彼がどんなに否定しようと、このコートの重みと目の前のスープが、彼の優しさを雄弁に語っている。

 

私は背中に掛けられたコートを軽く握って、ふっと息を吐いた。

こういう時間も、悪くない。

 

”……おかえりなさい、黄泉先生。”

 

小さく、けれどはっきりと呟いたその言葉に、黄泉先生は一瞬だけ視線をこちらに落とした。

そして、ほんのわずか、頷いたように見えた。

 

ちなみに、デスクの上にあったメモにはこう書かれていた。

 

『休むのもまた仕事のうちだ。』――と。

 

 

 

プロローグ 完




…ヒナちゃんの話が短くてごめんなさい。

ともあれ、これでプロローグが全て終わりました。
次回からは砂漠へ行きます。

前回の話で黄泉先生が普通に刀を抜いた件ですが、スターレイルの黄泉の戦闘スキルでは普通に刀を抜いていたので良いかな〜と思いました。
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