死を識る者、日常に佇む   作:ツカッチ

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開拓者のみなさん、先生のみなさん、こんにちは。

今回は、ミドリと黄泉先生がお互いの絵を描くお話です。



線にならない気持ち

青空広がるある日の午後。私はミレニアムにあるベンチに座って絵を描いていました。

のんびりと絵を描くに相応しいとてもいい天気ではありますが……私が描いているのは綺麗な景色ではありません。"ある人" をモデルにしていました。

……ですが、先ほどから手が全く動きません。

 

その原因は分かっています。少し顔を上げたその先に――黙々と鉛筆を動かす彼の姿があるからです。

不意に、彼がこちらを見ます。私は慌てて視線を下げました。

 

どうしてこんな状況になってしまったのか。それは――先週のことでした。

 

 

 

部活が終わり、ミレニアムの学生寮。入口すぐ横にあるポストルームに入り、自分の郵便ポストを覗きます。そこには、荷物が届いていることを伝える小さな紙が入っていました。

 

ロックを解除して紙を取り出し、寮母さんに届けます。寮母さんがそれを受け取ると、倉庫の奥から私の荷物を持ってきてくれました。

 

「今日も学校お疲れさま。」

 

「ありがとうございます!」

 

渡されたのは、丁寧に包装された少し大きな荷物。一緒に帰ってきたお姉ちゃんとアリスも興味深そうに荷物を見ていました。

 

「なぁにその荷物。」

 

「えへへ、実はデッサン用のスケッチブックと鉛筆を買ったんだ。」

 

グラフィックやビジュアルを担当している私にとって、デッサンはこれまでも避けてきたものではありません。

球体や箱、リンゴのような静物なら、ある程度は描いてきました。

でも、それだけではどこか足りない気がして。そろそろ人そのものを描く段階に進むべきだと思ったんです。

 

1作目から3作目は誰を描こうかは決めていました。それはもちろん、ゲーム開発部の仲間たちです。しかし……

 

「なんか恥ずかしいからヤダ。」

 

「ジッとしているのは、アリスには難しいです……。」

 

2人は私のお願いを頑なに拒みました。何度お願いをしても首を横に振ります。アリスはまだ仕方ないとは言え、お姉ちゃんは妹のお願いも聞いてくれないのでしょうか。

 

「ミドリ、こんな時こそ黄泉先生に頼むべきだよ。」

 

「な、なんで?」

 

「黄泉先生は優しいからどんなお願いでも聞いてくれるよ!」

 

「お姉ちゃん……。」

 

自分が嫌だからって黄泉先生に押し付けるなんて。ですが、そうする他なさそうです。私には、こういうお願いをできる相手は多くありませんし……。

どこか不満を覚えましたが、私たちはそれぞれの部屋へと戻ることにしました。

 

 

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『ごめん……モデルになるのはちょっと……。』

 

『そっか、分かったよ。ありがとう。』

 

ユズからの返信を見て、私はついため息をついてしまいました。

 

結局ゲーム開発部の3人には揃って断られ、いよいよ確実に断られないであろう黄泉先生に頼むしかない状況に追い詰められていました。

……でも、その名前を思い浮かべた瞬間、指が止まります。

 

先生は忙しい。いつも誰かのために動いていて、休む時間だってそう多くないはずです。そんな人の貴重な時間を、私のデッサンのために使わせていいのでしょうか。

 

お姉ちゃんが言った通り、黄泉先生は生徒のお願いを断ることは基本ありません。それは分かっていました。

でも、その考えが正しいとは限らない。

私の練習に付き合わせるために先生を利用することは、よくない考えなのではないでしょうか。

 

それでも、人を描きたいという気持ちは消えてくれません。誰かがそこにいたことを、同じ時間を過ごしたことを、形に残したかった。

 

……だからこそ、余計に迷ってしまうのです。

その時間を、先生からもらっていいのかどうか。

 

ハルト先生や便利屋のみんな、ヴェリタスのみんななど、他の人に頼むこともできました。でも、どうしても考えられなかった。

ゲーム開発部のみんなの次に誰を描くかと考えた時、黄泉先生以外の顔は思い浮かばなかったのです。

 

何度思考をリセットしても現れる黄泉先生の顔。私はもう、自分に嘘はつけませんでした。

スマホを取り素早くキーボードをタップし、文字を打ち込んでいきます。その時の頭はやけに冴え渡っていました。

 

『黄泉先生、こんばんは。1つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか』

 

無意識に、いつも以上に敬語を使ってしまいます。そこから5分ほどしたところで返信が来ました。

 

『どうした』

 

『今月中、どこか空いている日はありませんか? 先生に、デッサンのモデルになってもらいたいんです』

 

送信した私の胸は強く鳴っていました。意識しなくても、「断られたくない」という自分の声が聞こえてきました。

そして、黄泉先生から返信が来ます。その内容は――

 

『来週の土曜日なら空いている』

 

そのメッセージを見た瞬間、心臓が背中から突き上げられるような感覚がありました。まさか、そんなすぐにOKを返してくれるなんて……!

逸る気持ちを何とか抑え、感謝の言葉と予定を伝えます。

 

『ありがとうございます!では、土曜日の13時、ミレニアムサイエンススクールの正門辺りで待っています!』

 

スマホを伏せても、画面の文字が頭から離れませんでした。

来週の土曜日。たったそれだけの予定なのに、胸の奥が落ち着かない。

 

……早く、来てほしい。早く、会いたい。

 

………。

 

「……はっ!」

 

そんなことを考えてしまう自分に、少しだけ驚いてしまいました。

 

落ち着こう。これは、デッサンのため。

そう自分に言い聞かせて、私は早速準備を始めました。

 

 

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そうして迎えた土曜日。私は約束通りミレニアムサイエンススクールの正門前で黄泉先生を待っていました。私はスケッチブックと鉛筆を抱えて、道を通り過ぎる人だかりに目を向けます。

「まだかな」と人混みの中を覗こうと背伸びしたり、「あと何秒で先生が来る」なんてカウントダウンしてみたり……。

 

「…………あれっ?」

 

私……今、何をしているんだろう。

 

黄泉先生を呼んだのは、デッサンの練習に付き合ってもらうためのはずです。

それなのに……この様子はまるで、黄泉先生に会えるのを楽しみにしているみたいで。

 

いえ、実際に会えるのは楽しみなんですが……こうして落ち着かずに待っていると、まるでデッサンを口実に先生に会おうとしているみたいじゃないですか。

 

私はスケッチブックを少し強く抱きしめます。そんなつもりで呼んだわけじゃないのに……。これじゃあまるで、黄泉先生を騙したみたいで……。

 

「浮かない顔をしているな。」

 

「ひゃあっ!?」

 

突然声が聞こえたと思って慌てて顔を上げると、黄泉先生が立っていました。ホントに何の気配も無く、いきなりそこに現れたかのように。

 

「先生……!? け、気配を消して現れないでください!」

 

「いや、消していないが。」

 

「ホントですか……!?」

 

「ああ。というか、何度もミドリを呼んでいた。」

 

「す、すみません……。」

 

黄泉先生は私の顔を一度じっと見てから、少しだけ視線を逸らしました。

まるで、今の私の状態を測るように。

 

「何やら考え事をしていたようだな。」

 

「い、いえ……その……。」

 

言葉に詰まる私に、それ以上踏み込むことはせず、先生は話題を切り替えるように口を開きます。

 

「俺を呼んだのは、デッサンのモデルになってほしいという話だったな。」

 

「はっ、はい。そろそろ人をモデルに書くべきかと思って。」

 

「モデルになるのは構わんが……モモイたちはどうした?」

 

「みんなモデルになるのは恥ずかしいみたいで……。」

 

私がそう答えた時――黄泉先生は少しだけ肩を落としたのが見えてしまいました。その反応にドキンと胸が鳴ります。

 

どうしよう。厄介事を押し付けられたって思われてたら、私――

 

「厄介だなんて思っちゃいない。」

 

その言葉を聞いて……私は息が止まりました。

先生は他人の心を読めるの……? それとも、無意識のうちに口に出てた……?

 

どうして当てられたのか分からず、立ち止まっていると――黄泉先生は私の目線に合わせて言いました。

 

「お前の顔を見て察した。分かりやすいくらいに "遠慮" の二文字が浮かんでいる。」

 

「案ずるな、今日は好きなだけ俺を描くといい。」

 

そう言われた時、私のなかにあったモヤモヤが一気に晴れていくのを感じました。

それは許可というより、引き受けるという言葉に聞こえて……。

 

「……!はいっ!」

 

気がつけば私は笑っていて、これまでの迷いはどこにもありませんでした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

正門から少し歩いた先に、木で作られたテーブルとベンチの小さな休憩場があります。天井を覆う葉っぱが日光をやわらかく遮ってくれる場所で、多くの生徒からも人気のスポットでもあります。

普段は必ずと言っていいほどミレニアムの生徒がいる場所ですが、今日は休日ということで、誰もいませんでした。

 

テーブルを挟んで向き合うように座り、黄泉先生を正面から捉えます。……うん。分かってたけど、やっぱり顔がいい。

そんなことは置いといて、早速スケッチブックを開きます。すると、黄泉先生がそっと手を挙げました。

 

「言い忘れていたんだが……俺もミドリを描いてもいいだろうか。」

 

そう言って黄泉先生はコートの内側からクリップボードと1枚の紙、鉛筆と消しゴムを取り出しました。

『コートって四次元ポケットにもなるの?』……なんて質問が浮かびましたが、それよりも驚くべきことを黄泉先生は言いました。

 

「私を……ですか?」

 

まさか、先生の口からそんな言葉が聞けるなんて。でも、どうして急にそんなことを……?

 

「立場上、常に何かに取りかかっているためか、ジッとしていることに違和感を覚えるんだ。そこで、ミドリのように絵を描いてみようと考えた。」

 

「もちろん、ジッとしていてほしいと言うのなら従おう。」

 

誰かさんと似たような理由でしたが、ジッとしていられないからこそ私と同じように絵を描く。なんて嬉しい理由なんでしょうか。

やがて、胸の奥がじんわりと熱を帯びていくのを感じました。

 

「……とっても嬉しいです。ぜひお願いします。」

 

「ありがとう。だが、あまり期待はするなよ。」

 

「イヤです、期待してます♪」

 

「おい。」

 

先生と2人きりの空間で一緒に絵を描けるなんて。それがあまりにも嬉しすぎて、少しだけいじわるしちゃいます。

ほんの些細なことですが、そんなことができるくらいに、私の不安は溶かされていました。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「では、始めようか。」

 

正面に座る黄泉先生が鉛筆を手に取ります。その言葉でハッとなった私は、慌てて先生を止めました。

 

「そ、その、1つ思ったんですが――」

 

「今のように正面に座ってしまうと、お互い俯いた顔しか見えないと思うんです。そこで、対角線上に座るのはどうでしょうか。」

 

相手の顔を正面から描くためには、相手が正面を向いている必要があります。ですが紙は顔よりも下に置いてあるので、描く際は俯くことになってしまい、相手からは俯いた顔しか見えなくなります。

 

しかし、対角線上に座ることで角度が生まれ、同じ俯き顔でも印象が変わって見えるんです。

 

「確かに、ミドリの言う通りだな。」

 

黄泉先生は納得してくれたようで、私の対角線上に場所を移動してくれました。ついでに「さすがだな」なんて褒め言葉も添えてくれて。

 

ですが……私の話したことは建前でした。

本当は、黄泉先生の顔を正面から見続ける自信が、今日の私にはなかったのです。

 

これまでに何度も目にしてきた黄泉先生の顔。見るだけでなく、何度も顔を合わせてきました。一緒にゲームもしましたし、いろんな困難も乗り越えてきました。

 

なのに、今日の黄泉先生は、いつも以上に凛々しく見えて……。

そこで、対角線を考えました。

 

正面からでなければ常に視界に入ることもありません。先生の顔を見たいと思った時に、ほんの少し顔を上げればいい。

 

それに先ほど、黄泉先生は私の意見を聞いて褒めてくれました。だからきっと、私の心境には気づいていないはずです。

 

表情の変化は読み取られても、顔に出さなければ大丈夫。そう、自分に言い聞かせました。

 

 

 

カリカリ シャッシャッ

 

鉛筆が紙の上を軽やかに滑る音が響きます。

輪郭や顔のパーツの境界を『線』ではなく『影』で分ける意識で描き進めていきます。

 

あれから十数分が経過。私たちは黙々とペンを動かしていました。リンゴやバナナで練習したかいあって、なかなかスムーズに進められています。

 

チラリ……と黄泉先生の顔を伺うと、とても真剣そうに紙と向き合っていました。

果たして先生はどんな私を描いてくれているのでしょうか? 少し気になりますが、今は自分の作品に集中します。

 

そう、思っていたのですが――。

 

(良すぎる……。)

 

あろうことか、斜め前から見る黄泉先生の顔が良すぎることに気づいてしまいました。

元々整った顔立ちではありましたが、角度がついた分いつもより――

 

その時、黄泉先生が顔を上げました。私は慌てて顔をスケッチブックへと向けます。

……バレて、いないでしょうか? いないですよね?

 

恐る恐る顔を上げると黄泉先生は既に紙へと顔を向けていました。どうやら気づかれなかったようです。

 

さぁ、いつまでも先生の顔に見惚れている場合ではありません。黄泉先生の顔も確認しつつ、腕も止めないようにしないと。

別に、変な意味ではありません。今日の目的は先生の顔を描くことなんですから。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

そこからさらに10分ほど経ちました。私の方は、全体の形は取れているのにどうしても目元が定まらない状況です。やはり人の絵は難易度が全く違う……。

 

そんな時、黄泉先生が深く息を吐いて鉛筆を置きました。もしかしてもう描き終わったのでしょうか……?

先生はこちらに顔を向けて言いました。

 

「絵を描くというのは、体力を使うな。」

 

そう言って先生は首を鳴らします。

確かに、顔を描くときはパーツの位置や影の範囲、表情など注目すべき点が多いので、風景画を描くときよりもエネルギーを使います。

 

すると黄泉先生はスッと立ち上がりました。

 

「少し、散歩してくる。ミドリも来るか?」

 

黄泉先生から散歩のお誘い……!?

い、いやいや、これはただの気分転換です。深い意味はどこにもありません。

 

「はい!」

 

私はスケッチブックを閉じて立ち上がります。

そうです、これはただの気分転換。集中しすぎた頭を冷ますための散歩です。それに、続きを描くには先生が必要ですし。

 

そして私たちは荷物をまとめ、散歩を始めます。

喧騒のない静かなミレニアムサイエンススクール。いつもとは全く違う景観に、少しドキドキしていました。

 

アスファルトの上を歩く中、私はずっと疑問だったことを先生に尋ねました。

 

「黄泉先生は普段、絵とか描くんですか?」

 

「絵を描くことはほとんど無い。強いて言えば……山海経の梅花園にいる園児とクレヨンで描く程度だ。」

 

「園児って……子供たちを表す園児ですか?」

 

「ああ。」

 

「ちょっと、意外ですね。黄泉先生ってあんまり子供と関わらないタイプだと思ってました。」

 

「何を言う、俺が関わるのは子供ばかりだ。」

 

子供ばかり……? 黄泉先生が幼い子供たちに人気なのは知っていますが、そんな何度も梅花園に通っているのでしょうか?

 

「なぜそこで悩む必要がある。お前たち生徒は子供だろう。」

 

「む、私はもう15歳ですよ。」

 

「阿呆、15はまだまだ子供だ。」

 

そう話す先生の声はとても柔らかくて、つい笑ってしまいました。

 

ですが、どうしてでしょう。

ただ並んで歩いて、お喋りしているだけなのに、いつもより何倍、何十倍も楽しい。もっとお喋りしたい、もっと一緒にいたい。そんな気持ちが胸の奥深くに湧いています。

 

この気持ちは……いったい何なのでしょう?

 

そんなことを考えていた時、黄泉先生が私を呼びました。

 

「何か、飲みたいものはあるか。」

 

黄泉先生が見ていたのは自動販売機。もしかして、奢ってくれるのでしょうか? では、お言葉に甘えて。

そうして私は自動販売機を見上げます。ですが、選ぶよりも先に――私の口は動いていました。

 

 

「黄泉先生と同じものが飲みたいです。」

 

 

本当に、無意識でした。その声が自分の声だと気づいた時には、それを言い切った後でした。

私は思わず口に手を当てます。それはまるで、誰かにコントローラーで操作されたかのような感覚でした。

 

「その場合はコーヒーになるが、それでもいいか?」

 

黄泉先生はいつも通りの声色で言います。驚きとか、異変を感じたような雰囲気はなくて、本当にいつも通りで。

 

「……やっぱり、オレンジジュースをお願いします。」

 

コーヒーはまだ飲めないので、すぐにジュースに変えてもらいました。先生はオレンジジュースのボタンを押し、クレジットカードで決済。ガタンと音が鳴り、黄泉先生が取出口からジュースを取り出してくれました。

「ありがとうございます」と伝えてジュースを受け取った私ですが、頭の中はあの言葉で埋め尽くされていました。

 

どうして、あんなことを言ってしまったのでしょうか。別に酷いことを言ったわけじゃないけど、無意識ということもあって理解できなくて。

 

すると、再び自動販売機からガタンと音がなります。恐らく黄泉先生がコーヒーを買ったのでしょう。

そう、思っていたのに。

 

「えっ……?」

 

私は目を疑いました。なぜなら、黄泉先生が持っていたのはコーヒーではなく――オレンジジュースだったから。

 

「コーヒーが飲みたかったんじゃ……。」

 

私が尋ねると、黄泉先生はオレンジジュースを見て一言。

 

「気が変わった。」

 

ただ、それだけ。

なのに胸の奥がじーんとして、でも、きゅっとなって……。この気持ちをどう表せばいいのか分かりませんでした。

 

本当に、この人は――

 

「――ずるい人ですね。」

 

その言葉は、はっきりと私の口から出たものでした。対して黄泉先生は――

 

「失礼な、俺はいつでも誠実だ。」

 

なんて、ひらりと躱してしまう。

これが大人の余裕なのでしょうか。

 

そう思いながら隣を歩く私は、胸の奥に残った感情を持て余していました。

嬉しいのに落ち着かなくて、安心するのにどこかそわそわしてしまう。

 

もし、この気持ちに名前をつけてしまったら――きっと今の関係は少し変わってしまう気がしたのです。

 

だから私はそれ以上考えるのをやめました。

分からないままでいい、と。

 

ただ黄泉先生と同じ歩幅で歩いて、同じオレンジジュースを飲んでいるこの時間を大切に、胸の奥へしまい込むことにしました。

 

それ以上でもそれ以下でもなく。今の私には、それで十分でした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

散歩から戻った私たちは休憩場のベンチに腰を下ろし、絵の続きを描き始めました。頭もすっかり冷えて、さっきよりも鉛筆の動きが軽くなっています。

 

それから、しばらくして。

 

「……できた。」

 

ほぼ同時に、私たちは手を止めました。

まずは私の方から、そっとスケッチブックを差し出します。

 

影で輪郭を作り、線は必要最低限に。境界を曖昧にしながら表情だけは逃さないように描いた黄泉先生。

完璧とは言えませんが、今の私にできる精一杯でした。

 

黄泉先生は少しだけ目を細めて、私の絵を見つめます。

 

「よく見ているな。俺の癖も、表情も。」

 

その言葉に、胸の奥がふっと温かくなりました。

 

「次は……俺の番だな。」

 

そう言って、先生は少しだけ視線を逸らしてから紙をこちらに向けます。

どこか申し訳なさそうな、その仕草。

 

そこに描かれていたのは――線で形を捉えた、私の顔でした。

輪郭も、目も、髪の流れも。1つひとつ丁寧に引かれた線は正確で、でもどこか控えめで。

 

「……お前の絵に比べると、かなり劣るだろう。影もロクにつけられていないし、バランスも完璧じゃない。」

 

そう言って様子をうかがう黄泉先生に、私は思わず息を呑みました。

 

「……すごい。」

 

それだけで、全部でした。

 

「ちゃんと、私です。」

 

自分でも驚くほど声が弾んでいました。

胸がいっぱいで、うまく言葉が続きません。

 

「線だけなのに……先生が見ている“私”が分かります。」

 

その言葉を聞いた瞬間、黄泉先生の表情が、ほんの少しだけ緩みました。

安堵したような、優しい笑み。

 

「そうか。それなら、よかった。」

 

その一言に、私は強く頷きます。

上手いとか完璧とか、そういうことじゃありません。

 

この絵は――先生が私を見てくれた時間そのものだったのですから。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ミレニアムサイエンススクールの正門。空を見上げると、日が傾き始めていました。

街を照らす光が、さっきよりも少しだけ赤い。

 

「今日は、楽しかった。」

 

黄泉先生がそう言いました。

 

その一言が胸の奥にすっと沁みて。

嬉しいはずなのに、どうしてか少しだけ、寂しくなります。

 

――もともとは、モデルになってもらうだけのはずでした。

それなのに、いつの間にか。この時間そのものが、黄泉先生に会う理由になっていたのです。

 

気づけば、口が先に動いていました。

 

「……また、一緒に絵を描いてくれますか?」

 

一瞬だけ、沈黙。

でも私はもう目を逸らしません。

 

「先生と……もっと、思い出を作りたいんです。」

 

言ってしまったあとで、心臓が早鐘を打ちます。

それでも、不思議と後悔はありませんでした。

 

黄泉先生は少し考えるように視線を落とし――

そして、穏やかな声で答えます。

 

「次は、もっと上手くミドリを描けるように尽力しよう。」

 

「え……。」

 

その言葉を聞いた瞬間、熱が一気に顔に集まりました。

 

「な、なんでそんな……」

 

「……? お前の真っすぐな思いに応えようと思っただけだ。」

 

淡々と、いつも通りの声なのに。

どうしてこんなにも胸がいっぱいになるのでしょう。

 

「……っ。」

 

私は慌てて顔を伏せます。

きっと今、顔が真っ赤です。

 

そんな私を見て、黄泉先生は小さく息を吐きました。

 

「しばらくは予定が詰まっているが……いつかまた、お前から連絡が来る日を楽しみにしている。」

 

その一言で、胸の奥がきゅっと締めつけられて――

でも同時に、優しくほどけていくのを感じました。

 

ただの先生と生徒。

それだけでは片付けられない、確かな約束。

 

「……はいっ。」

 

その返事に、私は精一杯の気持ちを込めたのでした。

 

 




自分で言うのもなんですが、黄泉先生×生徒史上1番濃い話かなと。
やっぱりミドリは卑しいですね。

そしてYouTubeで見たんですが、ブルアカにケイが登場して、アリスがガン〇ムになったらしいですね。
私が! 私たち(アリス&ケイ)が……!ガ〇ダムです!

次回はユズのお話です。お楽しみに。
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