死を識る者、日常に佇む   作:ツカッチ

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開拓者のみなさん、先生のみなさん、こんにちは。

遅くなった理由はみなさんお分かりかと思います。
はい、新生マネーウォーズが楽しすぎてずっと遊んでました。


交わらぬ言葉

柔らかな日差しが差し込むシャーレの事務室。机上の書類にペンが走る音が響く。

その内容は、毎日シャーレに来る依頼たちの報告書類。これら全て連邦生徒会に提出するものである。

 

普段は騒がしいムツキも今は集中モード。しかし、その継続時間も残り1分ほどである。

 

「先生、そろそろ15時だよ。」

 

カヨコがチラリと時計を見やり、言った。

完全に集中していたハルトはハッと顔を上げ、時計を見た。

 

時刻は14時57分。

そろそろ出発しないと、約束の時間までに間に合わなくなるだろう。

 

"本当だ。ありがとうカヨコさん。"

 

そう言ってハルトは席を立ち、スーツの上着を着る。すると、ムツキが目を輝かせて言った。

 

「先生どこいくの!?」

 

ちょうど集中力が切れたらしい。

彼女の様子はまさに、どこかへお出かけする親を追いかける子どものようだ。

 

彼女の問いに答えたのは、隣に座るアルだった。

 

「昨日言ってたじゃない。しばらくはトリニティの部活の手伝いをしなきゃならないって。」

 

「そうだっけ?」

 

「そうよ。」

 

首を傾げるムツキ。

実際、ハルトは昨日の夜、確かに伝えていたのだが、ムツキは軽く受け流すだけだった。故に、忘れているのだろう。

 

そんな会話を耳に入れながら、ハルトはシッテムの箱を手に取った。

 

"夕飯までには帰ってくるからね。行ってきます。"

 

4人は声を揃えて『行ってらっしゃい』と伝える。その声を背に受け、ハルトは事務室を去って行った。

 

バタン……と静かにドアが閉まる。その音がやけに大きく感じられたのは、ハルトがいなくなったせいだろうか。

自然とペンが滑る音は止まり、各自、呼吸の音だけが耳に入っていた。

 

しばらく誰も口を開かなかった。

やがて、遠慮がちにハルカが呟く。

 

「や、やはり私たちはお役に立てなさそうですね……。」

 

ハルカの声には、どこか力の無さを嘆くようなものが感じられた。スカートの裾を握る指先が、小さく震えている。

 

ハルト、黄泉と共に活動していた彼女たち。『これまでの迷惑行為を反省するための奉仕活動』という名目でシャーレで働かせてもらっているわけだが、本来ならあの日、ゲヘナの風紀委員会に引き渡されてもおかしくなかった。

 

だからこそハルカは、自分たちを助けてくれた先生たちの役に立てないことが悔しく思えた。

 

勿論ハルカだけでなく、アル、ムツキ、カヨコも同じ気持ちを持っている。

しかし――

 

「今回の依頼主はトリニティのティーパーティーだもの。ゲヘナの私たちが踏み入れるような場所じゃないわ。」

 

アルが諭すように話す。

彼女が言った通り、トリニティとゲヘナの間には大きな壁がある。シャーレに所属している人間とは言え、ゲヘナ学園に通っていたという事実は消えない。

 

「『エデン条約』の件もあるし、尚更ね。」

 

「それって確か、ゲヘナとトリニティで仲良くしましょうって意味の条約だったよね?」

 

そう尋ねたのはムツキ。あまり社会情勢を気にしない彼女からそのような質問がされたことに、アルたちは驚いた。

逆を言えば、毎日を楽しく生きる彼女ですら気にしてしまうほどの話題とも受け取れる。

 

だが、驚くのはここからだった。

 

「仮に条約が結ばれたとして……みんなが本当に仲良くできるの?」

 

「「「………!」」」

 

それは、あまりにも無垢な疑問だった。

けれど——だからこそ、誰も否定できない。

 

その疑問に対し、アルはゆっくりと目を伏せ、カヨコは静かに腕を組む。ハルカはただ不安そうに視線を落としたまま。

ムツキだけが、首を傾げている。

 

そこから少し間が空いて、アルが口を開いた。

 

「……ムツキは、建前って言葉を知ってる?」

 

「えっと……『表向きは』みたいな意味じゃなかったけ。」

 

「そう。そして、今回の条約も建前なの。」

 

そう話すアルの声は、母親が幼い子どもに言い聞かせるかのような柔らかさがあった。しかし、その内容は決して優しいものではなかった。

 

「これは、仲良くするための条約じゃない。"争わないため" の条約。だから、私たちが向かい合って笑えるかどうかなんて関係ないの。」

 

必要なのは、条約に賛成したという“事実”だけ。

心まで歩み寄る必要はない。

 

アルの言葉を黙って聞いていたカヨコは椅子にもたれ掛かり、深く息を吐きながら天井を見つめた。

 

「……少し難しかったかしら。」

 

「ううん、ちゃんと理解できたよ。」

 

「そう。良かった。」

 

2人は微笑みを向け合うが、事務室に残った空気は重く、両肩にのしかかってきた。

 

彼女たちは条約について賛成でも反対でもない。

だが、生徒のなかには賛成の人間もいるし、反対の人間もいる。

 

アルは一度深呼吸をし、3人に伝えた。

 

「今は先生たちの役に立てないけど……必ず私たちの力が必要になる時がくる。」

 

「役に立つのは、その時まで取っておきましょう。」

 

ムツキたちは言葉は発さず、強く頷く。

それは決意と言うより、静かな誓いだった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「ハナコ、この問題は?」

 

「どれですか? ああ、この問題はですね……」

 

放課後のトリニティ総合学園。補習授業部の教室では、早速勉強会が開かれていた。

アズサとハナコは机を並べ、ハナコが指導係として勉強を見ている。同様に、ヒフミが指導係としてコハルの勉強を見ていた。

 

ヒフミ、ハナコ、アズサの3人が2年生なのに対し、コハルは唯一の1年生。本試では飛び級のために2年生の試験を受けた彼女だったが、今回はさすがに1年生の範囲を受けることになった。

当然ながら彼女は不服そうだったが、合格できなければ話にならない。ハルトの懸命な説得により、彼女は渋々1年生の試験を受けることにした。

 

「……ね、ねぇヒフミ。これはどの方程式を使えばいいの?」

 

「はい。えっと、この場合はまず――」

 

いざ勉強を始めてみると、こんな調子だ。

 

これで2年生の範囲を再度受けさせていれば――考えるだけで胃が痛い。ノートパソコンで書類を作りながら、ハルトは小さく息を吐いた。

 

一方で、疑問も増えた。

それは――ハナコが予想以上に勉強ができる生徒であるということだ。

アズサにされた質問に対し、説明が淀みなく出てくる。それは丸暗記ではなく、内容を深く理解している証だ。

 

それでいて、なぜ落第の危機にあるのか。ナギサが纏めた名簿には『学力不足』と書かれていたが、どうもしっくり来ない。

 

ふと、考え込みながらハナコを見つめていたことに気づく。

その視線に気づいたのか、彼女は顔を上げ――ほんのりと頬を赤く染めて、にこりと微笑んだ。

 

その表情につられるように、ハルトも笑みを返す。そのちょっとしたやりとりで、妙に頭がクリアになった。

これ以上変に考える必要はない。現に、彼女は真剣に取り組んでいるのだから。

 

 

と、その時。廊下から何やら楽しそうな声が聞こえてきた。その笑い声はだんだん大きくなり、静かな教室にこれでもかと響いていた。

 

勉強中のヒフミたちの集中が途切れてしまう。これはいけないとハルトが席を立ち、静かにするよう注意しに向かった。

 

しかし、ハルトが扉に手をかけたと同時に『ばいば〜い!』という声が聞こえ、静かになる。

そして教室の扉が開き――黄泉が現れた。

 

「……遅くなった。」

 

"よ、黄泉先生!お疲れさまです。"

 

突然目の前に現れた黄泉に、ハルトはピンと背筋を伸ばして挨拶をする。対する黄泉は面倒事から解放されたかのように静かに、長く息を吐いた。

 

「ずいぶんと楽しそうな声でしたね。」

 

口元に手を当て、ふふ、と笑いながらハナコが言う。

黄泉は少しだけ目を開き、頭に手を当て、今度はため息をついた。

 

「やはり聞こえていたか……。」

 

「先ほどの声は、もしかしてミカさんですか?」

 

「ああ。つくづくティーパーティーの人間とは思えん。」

 

そんな悪態にヒフミたちはくすくすと笑った。

彼女の破天荒さは全校生徒に知られており、ある意味話題の絶えない存在と言える。

 

そんな中、黙々と手を動かしていたアズサが顔を上げて、静かな声で言った。

 

「……ティーパーティーにも変な奴はいるんだな。」

 

その言葉に、教室の空気がわずかに揺れる。

ヒフミたちは気に留めた様子もなく笑っているが、アズサの声はどこか乾いた響きだった。

 

黄泉は特に深く考えた様子もなく、肩をすくめる。

 

「まぁ……厄介なヤツだな。」

 

それだけ言って、近くの椅子に腰かける。

その返答にアズサは何も返さない。ただ、止まっていたペンを再び走らせた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「……ハナコとヒフミは問題なさそうだな。」

 

"はい。それに、アズサさんとコハルさんも熱心に取り組んでいるので、難なく合格できそうです。"

 

補習授業部員たちの勉強風景を見ながら、2人は声を抑えて会話する。落第の危機にある生徒と言われていたが、全員勉強熱心な生徒たちだった。

 

黄泉は『勉強なんかしたくない』と騒ぐ生徒がいないことに、心底安堵していた。

 

「……こんな事をシャーレに頼むとは、ナギサも偉くなったものだ。」

 

"黄泉先生にしては、ずいぶん直球ですね……。"

 

黄泉のこんな事発言に、ハルトは苦笑いを浮かべる。

これまでに色んな依頼を熟してきた黄泉だが、内容に文句を言うことは一度もなかった。そんな彼が依頼をくだらないことのように表現したことが、かなり意外で驚いたのだ。

 

しかし、黄泉がそのように表現した理由は納得のいくものだった。

 

「……シャーレの先生が揃ってトリニティを訪れていることが世間に広まると、ゲヘナが黙ってはいない。大きな影響力を持つ俺たちは常に中立の立場でなければならないんだ。」

 

その時、ハルトの脳裏にある光景が蘇った。

 

――目の前で爆発した柴関ラーメン。

――アビドスと対峙する風紀委員会。

――自分と黄泉の拘束を目的とした襲撃。

 

ブラックマーケットでヒフミと行動した時間は2時間弱。たったそれだけの接触でさえ、ゲヘナの風紀委員会が動いたのだ。

 

あの一連の騒動はアコの単独行動という結論だったが、彼女もゲヘナのためを思って行動した。

まさに、自分たちの一挙手一投足が見られている。

 

「加えて、向こうのトップは難儀な性格だ。あまり長居し過ぎるとさらに面倒なことになる。」

 

その時だった。

黄泉のコートの内ポケットが、短く震える。

静かな教室では不釣り合いな振動音に、ハルトが目を向けた。

 

スマホを取り出した黄泉は、画面を一瞥し――眉間に深い皺を刻む。

 

「……こんな風にな。」

 

そう言ってスマホの画面をハルトに見せる。

モモトークのチャット。そこに書かれていたのは――

 

『こんにちは、イロハです。

マコト先輩が黄泉先生とお話したいことがあるそうなので、至急、万魔殿に来ていただけませんか?』

 

文面こそ丁寧だが、実質的な“召喚状”だった。

 

――万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)

それは、ゲヘナ学園の生徒会に当たる存在。にも関わらず迷惑行為が頻繁に行われるということは、アルを通して知っていた。

生徒会と言えど、ゲヘナはゲヘナ。治安の悪さは通常運転である。

 

「マコトは待たせると喧しい。行ってくる。」

 

"分かりました。"

 

そう言って黄泉は席を立ち、扉のハンドルに手をかける。かと思えば、ふと何かを思い出したかのように振り返った。

 

「――お前たち、少しいいか。」

 

その声の相手はヒフミたち。4人は揃って顔を上げ、黄泉の顔へ視線を合わせる。

黄泉は全員が自分を見たことを確認し、静かに口を開いた。

 

「来週に行われる特別学力試験。その結果が不合格、かつ最低点だった者は――」

 

「俺と一対一で勉強してもらう。」

 

「「「「ッ!!!?? 」」」」

 

全員の手が、体が、思考が止まった。中でもコハルの顔色が、みるみる青ざめていく。

 

彼女の指から力が抜け、握っていたシャープペンシルが――コトン、とノートの上に落ちた。

 

「黄泉先生と、一対一……!?」

 

「それが嫌なら、頑張って合格してみせろ。」

 

そう言い残し、黄泉は廊下へ出る。

扉は音を立てることもなく、ゆっくりと閉まった。

 

"(発破のかけ方っ……!)"

 

当人の去った、静まり返った教室でハルトは1人ツッコんだ。

 

「……あれ……本気だよね?」

 

コハルが青ざめたまま呟く。

ヒフミは引きつった笑顔を浮かべ、ハナコは頬に指を当てて首を傾げる。

 

「はい……。先生が冗談を言うとは思えません。」

 

「黄泉先生と2人きりのお勉強……。それはそれで楽しそうですね♪」

 

「ちょっと!? エッチなのはダメだから!」

 

黄泉の一言で、静かな教室の空気はあっという間に吹き飛んだ。

マンツーマン学習の様子を想像して震えるヒフミとコハル、逆に楽しんでしまうハナコ……。

 

そんな中、全く動じていない生徒が1人。

 

「みんな、落ち着け。」

 

変わらずペンをすらすらと動かすアズサ。

黄泉の発言を気にも止めていない様子で机に向かっていた。

 

「なんでアンタはそんなに冷静なのよ!」

 

「決まっているだろう。私たちは次の試験で合格してしまうからだ。」

 

その言葉はあまりにも真っ直ぐで、強い意志があった。

 

「戦いと同じだ。みんなは敵を前にして、自分が負ける未来を想像するのか?」

 

その言葉が落ちた瞬間、先ほどまで彼女たちの胸を締め付けていた恐れは不思議と薄れていた。

 

「……アズサちゃんの言う通りですね。」

 

ヒフミが口を開く。まるで憑き物が落ちたかのような、いつもの明るい声だった。

 

「落ちてしまった未来を想像しても仕方ありません。今の私たちができることを全力でやりましょう!」

 

「ふんっ!黄泉先生の思い通りにはならないんだから!」

 

「ありがとうございます、アズサちゃん。」

 

「気にするな。みんなで頑張ろう。」

 

それは4人の間で交わる約束のようで、共に目的を成し遂げる誓いのようでもあった。

 

その様子を見つめていたハルトは、密かに拳を強く握る。

その理由は分からない。

ただ、胸の奥が熱くなるものを覚えた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

トリニティの校舎をイメージしろと言われると、まず思い浮かぶのは、優雅さや華やかさだろう。

大理石が光る廊下、多彩な装飾が施された壁、シャンデリアによって光が届けられる部屋……。

 

窓を開ければ爽やかな風がカーテンを揺らし、中庭に並ぶ色鮮やかな花々の香りが運ばれてくる。

 

――だが、ここにはそんな風は吹かない。

 

そこは、赤と黒が支配する部屋。

華やかさなど微塵もない。

あるのは、力を隠そうともしない圧だけだった。

 

「キキッ。久しいな、先生。」

 

目の前にあるのは、権力の象徴たる玉座。

そこに、年端もいかぬ少女が当然のように腰掛けている。

 

灰色の髪、全身を包む黒いコート、4本の鋭い角。

彼女こそ、ゲヘナ学園万魔殿の議長、羽沼(ハヌマ)マコトである。

 

「俺は3ヶ月前にここを出禁になっていたはずだが?」

 

「キキキ……。イロハを通して伝えたはずだ。出禁は解除するとな。」

 

出禁……と言っても黄泉は何もしていない。向こうが勝手に騒いだ結果、理不尽に出禁を食らっただけである。

マコトに出禁を言い渡され、そして解除される。そんなやり取りはこれで通算18回目だった。

 

「それで、俺を呼んだ理由は?」

 

ここに長居したところで良いことはない。それに、補習授業部の様子を見に行かなければならない。

そのため、黄泉は世間話も挟むことなくすぐに本題に移行した。

 

「決まっているだろう。お前たちシャーレの行動についてだ。」

 

マコトがそう言うと、左手に控えていた少女、(ナツメ)イロハが書類を手に取り、音読し始めた。

 

「黄泉先生、およびハルト先生がトリニティ総合学園に入っていく様子を確認しました。これが、その証拠です。」

 

そうして取り出したのは2枚の写真。そこには、黄泉とハルトがそれぞれトリニティの正門をくぐる様子が確かに写っていた。

 

相変わらず情報網だけは整っていると、黄泉は小さく息を吐いた。面倒事を起こしてばかりの癖に、行動はやたら早い。

……いや、行動が早すぎるが故に面倒事が起きるのかもしれない。

 

閑話休題。

マコトは勝ち誇ったかのような笑顔を見せ、黄泉に詰め寄る。

 

「さぁ、答えろ! お前たちはトリニティで何をしていた!」

 

「落第しそうな学生の勉強をみてほしいと頼まれた。」

 

「キキキ。言いたくないのならこちらは…………は?」

 

「え?」

 

マコトからは笑顔が一瞬で消え、イロハはぽかんと口を空ける。

2人の体は見事にフリーズし、8秒は動かなかった。

 

「おいおいおい……。『先生』ともあろう者が、生徒を騙すのか? 答えないと言うのなら――」

 

「疑うのなら、お前たちの十八番であるウソ発見器をつけてやる。」

 

「……ほう。そこまで言うなら遠慮なくつけさせてやろう!」

 

そうして用意されたウソ発見器。その仕組みは相手の脳波をキャッチし、その変化から真偽を確かめるものだ。

イロハが黄泉の頭に発見器を取り付け、先ほどの質問を再びぶつける。その結果は――

 

「――そんなバカな!」

 

マコトは頭を抱えた。

モニターに映る波形は、湖面のように穏やかなままだった。寧ろ、あまりにも動かなさすぎて『これ以上ないほど本当だ』と機械のほうが困っているようだった。

 

「……まさか、脳波すら操れるのですか?」

 

「できるわけないだろう……。」

 

「で、ですよね。」

 

イロハのベクトルのおかしい質問にため息をつく。何がともあれ、これで黄泉の発言が正しいことが証明された。

 

だがそれ以上に、黄泉は不快感を顕にしていた。

 

「やけに残念そうだな。」

 

「……っ!」

 

ウソ発見器を取り外してもらった黄泉は、項垂れるマコトに詰め寄る。

図星だったのか、マコトは半歩後退った。

 

そして――黄泉の瞳から、僅かに色が失われる。

 

 

「マコト……お前は本気で"エデン条約"を望んでいるのか?」

 

 

瞬間、マコトとイロハは部屋が物理的に凍りついたかのように錯覚した。

そう勘違いしてしまうほどに冷たい、心に直接問いかけるかのような声だった。

 

マコトの瞳が揺れる。普段は玉座でふんぞり返っている彼女も、今は雷鳴の直下に立たされたように、その場から動けずにいた。

 

「じょ、条約に調印することには賛成した!だが、今すぐに信用することなどできない!」

 

言い返した声は分かりやすく震えていたが、その主張は決して無茶ではない。

 

そもそも、黄泉とマコトでは見えている世界が異なる。黄泉はゲヘナとトリニティの両校を見ているのに対し、マコトはゲヘナのみを見ている。

決してマコトの視野が狭いわけではない。彼女の立場になれば、自分の学園しか見ないことは当然のことだろう。

 

まさに、思想の衝突。

条約は "信頼" か、それとも―― "牽制" か。

 

「いったい何年啀み合っていたと思っている!備えを怠るほうが無責任だ!」

 

「……お前の意見も一理ある。だが、疑いを免罪符にするな。」

 

その言葉に、マコトは口を噤んだ。

疑うこと自体は否定しない。しかし、それを理由に一線を踏み越えてはならない。

例えそれが調査隊という非戦闘員だとしても、衝突が起きていれば条約どころの話では済まなかった。

 

「一度条約を結ぶと決めたのなら、最後までその考えを貫き通せ。ナギサを裏切るような真似はするな。」

 

連邦生徒会長の失踪により、無かった事になったエデン条約。それをナギサが再度提唱し、マコトはそれに応えた。

「信じることができない」と言ったマコトだが、相手を信じなければ、提唱しようとも、応えようともしなかっただろう。

 

「……周りに迷惑ばかりかけるお前だが、今の話が理解ができないほど愚かではないはずだ。」

 

その声は先ほどとは打って変わり、包み込むような柔らかさがあった。

 

「……フン。」

 

マコトは鼻を鳴らし、再び玉座に座る。それでも、その視線はわずかに揺れていた。

まるで『お前は間違えないと信じている』と告げられたような気がした。

 

やがて小さく息を吐き、黄泉を見据える。

 

「シャーレとトリニティが裏で繋がっていないことは理解した。加えて、調査隊の行動も減らそう。」

 

「感謝する。」

 

「勘違いするな。私が信頼しているのは先生だ。決してトリニティなんかではない。」

 

「ああ、十分だ。」

 

そう言って軽く会釈し、背を向ける。そのまま重厚な扉を開け、黄泉は部屋を後にした。

 

黄泉は知っている。彼女があの玉座に座るだけの覚悟を既に持っていることを。その座に相応しくない行動を取る時もあれど、やる時はやる生徒だということを。

 

扉が閉じる音が、静かに玉座の間に響く。

マコトはしばらく動かなかった。

 

「マコト先輩……。」

 

水が注がれたコップを持ったイロハが心配そうに歩み寄る。玉座に座るマコトは、これまで見たことがないほどに疲れ切った顔をしていた。

 

黄泉がここに現れ、退出するまでの時間は約15分。あんなに元気だったマコトが、たった15分で窶れた顔をしているのだ。

黄泉に詰め寄られたという点もあるが、改めてイロハは彼女の精神力の高さを実感した。

 

マコトは差し出されたコップを取り、勢いよく流し込む。冷たい水が、胃を満たす感覚があった。

空になったコップをイロハに手渡し、指示を出す。

 

「……調査隊員に伝えろ。当面の間、トリニティへの派遣は中止にすると。」

 

「えっ……。」

 

イロハは言葉を失った。何事においても情報収集を第一とするマコトが、自ら情報を手放したのだ。

 

彼女はすぐにその理由を尋ねようとしたが――

 

「……何も聞くな。早く伝えてこい。」

 

「しょ、承知しました。」

 

尋ねる前に口止めをされ、理由を聞くことは叶わなかった。

未だ困惑が残るイロハだが、姿勢を正して敬礼をし、玉座の間を後にする。

 

1人残されたマコトは静かに立ち上がり、窓の前に立った。そこから学園を見下ろすと、ちょうどゲヘナ学園を去ろうとする黄泉の姿が。

 

だんだん遠くなる背中を見つめながら、マコトは1人呟く。

 

「今度はこちらが少しだけ歩み寄ってやる。黄泉先生に感謝するんだな、桐藤ナギサ……。」

 

黄泉の背が、やがて視界から消える。

マコトはそれでも――しばらく窓辺を離れなかった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

1週間後、トリニティ総合学園。

白亜の床が日光に照らされたベランダ。長い四角のテーブルの端で、今日もナギサが風に吹かれながら紅茶を嗜んでいる。

 

そこに現れたスーツ姿の男性。

彼は静かに彼女の下へ歩み寄り、優しく声をかけた。

 

"ナギサさん、おはよう。"

 

「おはようございます、ハルト先生。」

 

ナギサはカップを置き、体をハルトへ向けてお淑やかに挨拶。

風に煽られて、銀鼠色の髪がふわりと舞った。

 

「こちらが、試験問題と答案用紙になります。」

 

ハルトはその紙の束を両手で丁寧に受け取る。

全3ページほどの問題用紙と解答用紙が4つずつ。そう多くない量だが、不思議と重量があるように感じられた。

 

『ありがとう』と短く返し、ハルトは背を向けた。

 

大理石の床と革靴が触れ、コツ、コツと音が鳴る。少しずつ遠くなっていくその背中を見て、ナギサがハルトを呼び止めた。

ハルトはその場で足を止め、振り返る。

 

「1つ、聞かせてください。あなたは――みなさんが合格できるとお思いでしょうか?」

 

それは補習授業部の4人を心配するようでいて、ハルトを試しているようにも聞こえた。

期末試験を受けていないヒフミはともかく、成績不良で落第の危機にあるアズサたちを合格させられるのか。ハルトの『先生』としての力を見定めようとしているように感じた。

 

しかしハルトは静かに微笑み、ナギサに向き合った。

 

"心配しなくても大丈夫。みんなは必ず合格するよ。"

 

その言葉には、疑いの『う』の字すら無かった。

ナギサを見据えるその瞳は揺らがない。なぜならハルトは、彼女たちの努力を知っているからだ。

 

だが、ナギサは――

 

「………。」

 

――何も答えなかった。

俯いたり、不安そうな表情をしたわけではない。ただ、心ここにあらずと言うかのように、どこか遠くを見ていた。

 

"ナギサさん?"

 

「……あっ。」

 

ハルトが名前を呼ぶと、ナギサは我を取り戻したかのように小さく肩を跳ねさせた。

コホン、とわざとらしく咳払いをして、再度頭を下げる。

 

「……先生の言う通り、みなさんなら大丈夫です。どうか、よろしくお願いいたします。」

 

彼女の微笑みを見て、ハルトは再び背を向けた。

 

足音が遠ざかり、風が白亜の床を撫でる。

ナギサは視線を落としたまま、静かに1人呟いた。

 

「大丈夫……。」

 

紅茶の水面が、わずかに揺れた。

 

 

 

 

受験会場に入ると、4人はすでに指定された席に着いていた。

机の上にはシャープペンシルと消しゴム。余計なものは何もない。

 

静まり返った教室。

それでも、誰一人として視線を落とさない。

 

ハルトは小さく頷き、問題用紙と解答用紙を配っていく。紙の擦れる音だけが、教室に響いた。

 

教壇に戻り、腕時計を確認する。

 

"解答時間は50分。それでは――"

 

――はじめ。

 

その声と共に4人は紙を捲り、ペンを取った。

 

 

 

続く




今回もオリジナル増し増しでいきます。そのために整合性が合わない場面が出てくるかもしれませんが、できるだけ揃えられるよう頑張ります。


爻光将軍ですが、当然のようにすり抜けました。そして、アロナも全く仕事をしてくれません。
ホント、どうなってるんですかね?

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