死を識る者、日常に佇む   作:ツカッチ

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開拓者のみなさん、先生のみなさん、こんにちは。

そう言えば2月って28日までなんですよね。
それもあってか、1ヶ月経つの早すぎるように感じます。

今回黄泉先生はほぼ登場しません。


光の中の決意

「……私の顔に、何かついているかい?」

 

柔らかな声音。

からかうでもなく、ただ静かに問いかける。

 

"ご、ごめん。いろいろ分からないことばかりで……。"

 

慌てて視線を逸らしながら答える。

白い世界は相変わらず、境界も奥行きもない。

 

「それは当然だろうね。」

 

セイアは小さく微笑む。

 

「ここは現実ではない。そして私は、今この瞬間も“眠っている”身だ。」

 

その言葉に、ハルトの思考が一瞬止まる。

 

"……そっか。君は今、入院しているんだったね。"

 

「ああ。」

 

眠っている。つまりここは夢の世界なのだろう。

しかし、ただの夢ではない。

 

分からないことばかりの中で、ハルトは落ち着いて状況を整理した。

 

"……私たちがこうして話せているのは、君が影響しているんだよね?"

 

「ご明察。私の能力で意識同士を繋げたんだ。」

 

"その理由を聞くのは、野暮かな……?"

 

その声が落ちた時、彼女の足元に、わずかに淡い波紋が広がった。

波はゆっくりと広がり、ハルトの足元を通り過ぎていく。

 

「……そう聞いた時点で、野暮だと分かっているんじゃないかな。」

 

"だ、だよね……。"

 

ハルトは自分自身を嘲笑するかのように笑った。

その顔を見て、セイアは僅かに目を細める。

 

「だけど……そうだね。君の迷いが私を呼んだとも言える。」

 

"私が、セイアさんを呼んだ……?"

 

セイアは小さく頷く。

次に彼女が見せた表情は、強い覚悟のようで、何かに抗っているようにも見えた。

 

「私は意識を通じて他人の未来を観る事ができる。そして、その未来は間違いなく起きるんだ。」

 

「私が君の意識を通じて見た未来……。君は最後までナギサの提案に頷くことができず、最終的にその依頼を黄泉先生に任せ、シャーレに戻った。」

 

「結果、その未来でナギサは――条約の日を迎えることができなかった。」

 

"――ッ!?"

 

音が消えた。

呼吸も、鼓動も、何もかもが遠のく。

 

ハルトの頬を、冷や汗が一筋流れ落ちる。

しかし、セイアの瞳は全く揺れない。

 

「トリニティの裏切り者は、黄泉先生とナギサでは止められなかった。決定的だったのは……君の存在じゃないかと私は考えている。」

 

白い世界に、細い亀裂のような影が走った。

 

ハルトは言葉を探す。

だが、何も出てこない。

 

ナギサが――死ぬ?

あまりにも現実味がない。だが、否定できない。

なぜならそれは、まさに今、自分が選び得る未来だから。

 

"……誰がナギサさんを襲ったとかは分からないの?"

 

震える声で、尋ねた。

 

「私が見たのは補習授業部の元を去った君の未来だ。当然、裏切り者に出会うこともない。」

 

"他の生徒や黄泉先生の未来は……。"

 

「……現実の私はいろいろあって公に姿を出せない。だから、生徒に存在を知られるわけにはいかないんだ。

そして黄泉先生だが……どういうわけか、繋がる事ができなかった。」

 

「……まぁ、未来を知ることで解決するなら、私はこんな回りくどいことはしないよ。」

 

"………。"

 

長い沈黙。ハルトの指先が震える。

自分が動かなねれば、ナギサが犠牲になる。そんな未来は絶対に見たくない。

 

だけど、それでも――

 

"……私はやっぱり、ナギサさんの意見に同意できない。どう頑張っても、あの子たちをそんな目で見られない。"

 

ハルトはその場でしゃがみ込み、両手で頭を抱えた。

白しかない世界に、彼の呼吸だけが荒く響く。

 

優柔不断。そう断じてしまえばどんなに楽だろうか。

 

ナギサは助けたい。だが、生徒を疑うことだけはできない。

どちらも守りたいのに、両立しない。

 

髪を握る指先が、白い世界にかすかな影を落とす。

そんな大人を見つめながら、セイアは静かに言った。

 

「そうだね、それが君らしさだ。」

 

貶すでも失望するでもなく、それを受け入れた。

ハルトはその言葉を受けて、ゆっくりと顔を上げる。そこには、微笑むセイアの顔が。

 

「生徒を本気で大切にしているからこそ、怪しむことができないんだろう。……でも、ハルト先生。君は1つ、大切なことを忘れている。」

 

"大切なこと……?"

 

「ああ。そして、その答えは君の直ぐ側にある。」

 

"……?"

 

白い空間が、わずかに波打つ。

風もないのに、足元の白が揺らいだ。

 

ハルトは眉を寄せる。

言葉の意味が掴めない。もう少しだけ、ヒントがほしい。

だが――

 

「分かりにくくてすまない。だが、これ以上伝えることはできない。」

 

その声音は、拒絶ではない。

境界線だった。

 

「この答えは、君自身の力で見つけなければならない。でないと、意味がないんだ。」

 

"……見つけられるかな。"

 

自信のない問い。

白の中で、ひどく小さく聞こえた。

 

セイアはハルトの下へ一歩近づき、その手を取った。

少女の小さな手が、大人の大きな手を包み込む。

 

「君は聡明な人間だ。迷うのは、真剣だからだ。」

 

「そして――迷いながらも、決して生徒から目を逸らさない。」

 

その時、白い世界が静かにほどけ始めた。

 

瞬間、ハルトの視界が揺らぐ。

 

セイアの姿がぼやけていく。

 

今にも消え入りそうな意識のなかで、最後に聞こえたのは、穏やかな声。

 

「……君なら、未来を変えてくれると信じているよ。」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

目を覚ましたとき、部屋はまだ闇の中だった。

カーテンの隙間から、かすかな青白い光が差し込んでいる。 夜と朝の境界――世界がまだ色を決めかねている時間。

 

"……夢、か。"

 

天井を見つめたまま、呟く。

けれど、あれはただの夢ではない。 胸の奥に、確かに残っている感触がある。 小さな手の温もりと、静かな声。

 

――その在り方こそが、君の答えだ。

 

まぶたを閉じる。 だが眠気は戻らない。

代わりに残っているのは、重たい思考と、乾いた喉。

 

ハルトはゆっくりと身を起こした。

床に足をつけると、ひやりとした冷たさが伝わる。 現実の温度だ。

 

洗面所の電気をつけると、鏡に自分の顔が映った。

ひどい顔だ、と苦笑する。

 

"……迷うのは、真剣だから……。"

 

独り言を呟きながら、蛇口をひねる。 水音が静寂を切り裂いた。

 

と、そこで初めて自分がスーツのまま眠っていたことに気づいた。

 

"……まずはシャワーかな。"

 

そう言ってハルトは部屋に戻り、予備のスーツを取り出す。下着、バスタオルを加え、シャワールームに向かう。

廊下はしんと静まり返り、人の気配はない。

 

シャワールームに到着したハルトは服を台の上に置き、反対側にある個室に入る。

 

蛇口を捻ると温かな水が頭から流れ落ちる。

思考が、少しずつほどけていく。

 

ナギサ。 条約。 裏切り者。 疑うという行為。

 

否定し続けてきたはずの言葉が、 水と一緒に、何度も何度も胸の奥を叩く。

 

"……直ぐ側にある、か。"

 

セイアの言葉の意味は、まだ掴めない。

何を指していたのか、どこを見ればいいのか、見当もつかない。

 

目を閉じても、開いても、視界に広がるのは暗闇だった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

シャワーを終え、簡単に身支度を整えた頃には、 窓の外はすっかり朝の色を帯びていた。

シャーレ居住区の休憩室には、すでに人の気配がある。

 

「ハルト先生、おはよー!」

 

落ち着いた声でそう言ったのはパジャマ姿のムツキだった。テーブルには、同じくパジャマ姿のアルとハルカもいる。

 

「おはよう……ってなんでもうスーツなの?」

 

「ど、どこか出張ですか?」

 

席につきながら返すと、アルとハルカが尋ねてきた。

 

"ああ、実は――"

 

「スーツのまま寝てたんでしょ。」

 

背後から声が聞こえ、ハルトの話を遮る。

振り返ると、湯気の立つカップを持ったカヨコがこちらに歩いてきていた。

 

「昨日、相当疲れてたみたいだし。」

 

その声音は穏やかだが、よく見ていると思った。

 

"……そうかな。"

 

ハルトは苦笑する。

 

"ちょっと、いろいろ考えてただけだよ。"

 

できるだけ軽く言ってみせる。そして目の前に置かれた、コーヒーが注がれたカップに手を伸ばした。

 

だが、持ち手に触れる寸前で止まる。

 

温かいはずのそれが、 ひどく遠いもののように感じられた。

 

指先に力が入らない。

たったそれだけのことが、妙に重い。

 

と、その時だった。

 

「私たちにできることがあったら、な、なんでも言ってください!」

 

突然の声に、ハルトは目を瞬かせた。

声の主はハルカ。

 

両手をぎゅっと握りしめ、顔を真っ赤にしている。

 

"ハルカさん……?"

 

あまり自分から言葉を発さない彼女の真っ直ぐな申し出。

ハルトが驚いていると、アルが肩をすくめた。

 

「ハルカの言う通り、今こそ私たちの出番よね。」

 

「そうだよ。たった1日でこんなに老けるなんて……。」

 

"老けっ……!?"

 

ムツキの言葉に反論しようとしたハルトだが、鏡に映った自分を思い出し、口を閉じた。

実際、ハルトはとても窶れた顔をしている。特に目の下のクマが酷い。

 

肉体の疲れは全く感じない。しかし、心は間違いなく疲れ切っていた。

 

「……ハルト先生、私たちに話してくれる?」

 

アルの声は、今まで聞いたどの声はよりも柔らかく、暖かかった。

 

自然と視線が集まる。

心配と、信頼と、覚悟。その全部が、そこにあった。

 

――君は大切なことを忘れている。

 

――その答えは、君の直ぐ側にある。

 

脳裏によぎるは白い世界。

そして、小さな手の温もり。

 

"……直ぐ側……。"

 

思わず、呟いていた。

 

「先生?」

 

アルが首を傾げる。

 

やがてハルトは、ゆっくりと生徒たちの顔を見回した。

 

強がりながらもみんなを引っ張ってくれるアル。

ふざけているようで、誰よりも鋭いムツキ。

静かに状況を見極めるカヨコ。

そして、不器用なほど真っ直ぐなハルカ。

 

もし――セイアの言っていた答えが彼女たちだとしたら。

 

胸の奥に、ほんの少しだけ熱が灯る。

 

"食事中だけど……少し時間をもらってもいいかな。"

 

"みんなに、相談したいことがある。"

 

その言葉で、部屋の空気がわずかに揺れた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

補習授業部の正体。

ナギサの真の目的。

そして生徒を疑うことができないこと……。

 

セイアのことはしっかりと隠しつつ、ハルトは今の自分の状況を話した。

 

"私は、どうすればいいのかな……。"

 

ハルトの声が細く、小さくなっていく。

返ってくるのは同情か、それとも――。

 

「くふっ!」

 

どういうわけか、ムツキが吹き出した。

 

「ハルト先生が生徒を疑うって、無理に決まってるじゃん!」

 

「同感。」

 

ムツキの意見にカヨコが賛成する。

その遠慮の無い言いように、ミルクを飲んでいたアルが咳き込んだ。

 

「ちょ、ちょっと2人とも!そんなストレートに言わないの!」

 

「それアルちゃんも同じこと考えてるってことじゃん。」

 

「あっ。」

 

ムツキたちが変なことを言って、アルがどこか抜けたことを言う。いつものハルトなら笑えていたかもしれない。

しかし、今日のハルトはどうも笑えなかった。

 

だんだん重くなる空気。

それを破ったのは――ハルカだった。

 

「そ、その……先生だからって何でも引き受ける必要はないと思います……。」

 

「ハルカの言う通り。それが生徒からのお願いであっても、嫌なら嫌って言わないと。」

 

カヨコを始め、アルとムツキもうんうんと頷く。

だが、その未来は――

 

"……分かっている。でも、できないんだ。"

 

ハルトは小さく首を振る。

俯く彼の頭に浮かんだのは――

 

『それでも生徒は、お前を"先生"と呼ぶ。』

 

自分が憧れる存在、黄泉からの言葉。

彼女たちが自分を先生と呼ぶ以上、その手を振り払うことなどできないのだ。

 

"生徒を疑いたくはない。でも、守るためには疑わなければならない。その決断が、私には……"

 

さらに深く俯くハルト。

そんな彼に投げられた言葉は――

 

「断れないのは分かったけど……そこで悩むんだ?」

 

ムツキが眉毛をハの字にして言った。同様に、アルたちも眉毛が垂れている。

それはまるで『何言ってんだこの人……』とでも言うかのように。

 

「今言ったじゃん。先生が生徒を疑うことなんてできるわけないって。」

 

"え……?"

 

言葉の意味をイマイチ理解できていないハルト。

その困惑顔を見て、カヨコが小さくため息を吐いた。

 

「前に、『道を踏み外す前に引き止められるような先生になる』って話してたこと……自分で言っておいて忘れたの?」

 

それは、ハルトが自ら話した願い。

『生徒を誤った道から連れ戻す力』を持つ黄泉とは違う、全く別の先生像。

 

それに続くように、アルが口を開いた。

 

「ハルト先生の役は生徒を疑うことじゃない。それは黄泉先生に任せればいい。ハルト先生、あなたは――」

 

「裏切り者を、引き止める役でしょ?」

 

その言葉が、胸の奥でゆっくりと形を持つ。

 

――ああ。

 

忘れていたのは、疑うかどうかじゃない。自分がどんな先生でありたいかだ。

 

気づいた瞬間、ハルトは無意識に頬へ触れていた。

指先に伝わる体温。 ちゃんと、ここにいる。

 

逃げたいわけじゃなかった。 疑いたくなかっただけでもない。

ただ――信じたまま、守る方法を探せばよかったのだ。

 

「……先生、気分はどう?」

 

微笑みながら、アルが尋ねる。

 

ハルトは一度だけ、自分の胸元に触れた。

そこにあるはずの重みを確かめるように。

 

"すごく、晴れ晴れとしているよ。"

 

そう言って目を細め、笑ってみせた。

 

さっきまで届かなかったコーヒーカップへ、今度は迷いなく手を伸ばす。

温もりが、きちんと現実のものとして伝わった。

 

"みんなのおかげだよ。本当にありがとう。"

 

ハルトは姿勢を正し、頭を下げる。

その声にはいつもの落ち着いた抑揚が戻っていた。

 

「そう、良かった。」

「くふふ、ムツキちゃんたちに感謝してよね!」

「……ふふっ。」

「ハルト先生のお役に立てて、嬉しいです!」

 

4人の声が重なり、休憩室の空気はやわらかくほどけていく。

 

――疑わない。

けれど、目を逸らさない。

 

その覚悟だけが、静かに胸に残っていた。

 

 

 

みんなで朝食を食べた後。居住区内にあるメイクルームから、なにやら楽しそうな声が聞こえてきた。

中には椅子に座るハルトとその周りを囲むアルたちの姿が。

 

「じっとしててね。」

 

カヨコが慣れた手つきでコンシーラーを伸ばす。

その隣でアルが腕を組み、厳しい目でチェックしている。

 

「クマは隠せるとして……目元は軽く明るくした方がいいわね。ハルカ、前髪をちょっと右に寄せてみて。」

 

「はい!」

 

「くふふ、先生いま完全に素材だよ?」

 

"素材って何だい……。"

 

抵抗する間もなく、数分後。

 

「……はい、完成。」

 

鏡の前に立たされたハルトは、ゆっくりと目を開ける。

 

そこに映っていたのは――

確かに疲労の痕跡はあるが、きちんと整った“先生の顔”。

目の下の影は薄くなり、血色も戻って見える。なにより、目の光が昨日とは違っていた。

 

ハルトはまじまじと自分を見つめる。

 

"……メイクって、すごいね。"

 

本気で感心した声だった。

 

「でしょう?」

 

アルが胸を張る。

 

「外側を整えると、中身も少し引っ張られるのよ。」

 

その言葉にハルトは小さく笑い、立ち上がる。出入り口のドアノブに手をかけたところで、4人の方へ振り返った。

 

"それじゃあ、行ってくる。"

 

「「「「 いってらっしゃい! 」」」」

 

その声は、不思議と軽かった。

背中を押すようでいて、決して急かさない。

 

ドアノブを回す。

金属の冷たさが、今ははっきりと感じられた。

 

そこから、一歩外へ。

朝の空気が肺に流れ込む。

さっきまで遠く感じていた世界が、今は確かに足の下にある。

 

道を踏み外す前に引き止める。

ハルトはネクタイを整え、静かに息を吐いた。

 

向かうは、トリニティ総合学園。

依頼主であり、守るべき生徒でもある少女のもとへ――。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

学園の廊下は朝の光で満ちており、その明るさに呼応するかのように、ハルトの足取りは軽い。

行き交う生徒に挨拶を返しながら、真っ直ぐに例の場所へ向かった。

 

扉の前に到着し、一度深く息を吸う。

迷いは――もうない。

 

取っ手をグッと握り、静かに扉を開けて中に入る。

広間を挟んだ先にある白亜のベランダ。そこに、彼女はいた。

 

何かの書類を見つめながら早くも紅茶を嗜んでいるナギサ。やがて彼女は視線を上げ、ニコリと笑って会釈をした。

 

「おはようございます、ハルト先生。お待ちしておりました。」

 

"おはよう、ナギサさん。こんな朝早くに連絡してごめんね。"

 

「時間的にも1時間目が始まった頃です。謝る必要はどこにもありませんよ。」

 

そう言ってナギサは微笑み、ハルトに椅子に座るよう促す。ハルトが目の前の椅子に座ったことを確認し、紅茶を一口運んだ。

 

彼女はカップをソーサーへと静かに戻す。

瞬間、ナギサの目が細められ、真っ直ぐにハルトを射抜いた。

 

「さて――ハルト先生。連絡通り、お返事を聞かせていただけるのですね?」

 

問いは柔らかい。だが、逃げ道はない。

白亜の欄干越しに差し込む光が、彼女の横顔を縁取る。

その穏やかさの奥に、揺るがぬ決意があることを、ハルトは知っている。

 

"――はい。"

 

一瞬だけ、喉が乾く。

だが、視線は逸らさない。

 

"ナギサさんの考えは十分に理解したよ。補習授業部の危険性も、条約調印式が持つ意味も。"

 

そこで、ほんの僅かに息を吸う。

 

"でも――君の方法には賛同できない。私は生徒に疑いの目を向けることができない。"

 

風が、静かに二人の間を通り抜けた。

ナギサの微笑みは崩れない。しかし、その紅茶の表面に、わずかな波紋が広がっていた。

 

ハルトは1つ間を置き、再び口を開く。

 

"だからこそ、自分なりの方法を考えた。"

 

ナギサは何も言わない。

ただ静かに続きを促す。

 

"裏切り者を見つけ出すのではなく――裏切り者が裏切れない環境を作る。計画を実行させない状況を整え、最後の一線を越える前に引き止める。"

 

白い光が、ハルトの横顔を照らす。

 

"……お花畑のような考えかもしれない。甘いと笑われるかもしれない。"

 

それでも。

 

"私にはできる。いや、「私だから」できる。どうか、分かってほしい。"

 

ハルトが目指す先生像。だが、目指すだけでは未来は変わらない。

こうしてナギサに伝えた。故に、それは何としても実行しなくてはならない。

 

「……仮に、"裏切り者"が自らの過ちを認め、先生に全てを話したとしましょう。その場合あなたは――"裏切り者"を庇うのですか?」

 

ナギサの視線が一層鋭くなる。

彼女からすれば、裏切り者はエデン条約の邪魔をする、今すぐにでも排除したい存在。それをハルトが庇うのなら、両者の対立は免れないだろう。

 

だが、ハルトは――

 

"ああ。私は、先生として生徒を守る。"

 

即答だった。

心の揺らぎが1ミリも感じられない返答に、ナギサは笑顔のまま眉間に皺を寄せる。

 

彼女は何かを言いかけたが、コンマ数秒早く、ハルトが口を開いた。

 

"私が守るのは、何も裏切り者だけじゃない。トリニティ、ゲヘナ、補習授業部、そして――"

 

"――ナギサさん、あなたのことも。"

 

その瞬間――

 

ハルトの声色が、ほんの僅かに低くなった。

朝の光の中に立っているはずなのに、その瞳だけが、不思議と影を帯びる。

 

まるで、まだ訪れていない何かを見つめているかのように。

 

ナギサの指先が、カップの縁で止まる。

 

「……今の言い方は、少し気になりますね。」

 

微笑みは崩さない。 だが、その観察眼は鋭い。

ハルトは一拍置いて、ゆっくりと息を吐く。

 

"私は先生だ。生徒も、学園も、そして――その上に立つ君も守る。それだけのことだよ。"

 

先ほどまでの宣言とは違う。

そこには、覚悟に近い静かな決意があった。

ナギサは数秒、黙って彼を見つめる。

 

そして――

 

「……本当に、甘い考えですね。」

 

そう言いながら、僅かに目を細めた。

 

「ですが――そんな甘さを持つあなただからこそ、奇跡を起こしてくれるのかもしれません。」

 

紅茶を一口含み、静かに続ける。

 

「分かりました。方法は先生にお任せします。」

 

ナギサは、改めてティーカップを持ち上げた。

 

「では――改めて。」

 

白磁のカップから、柔らかな湯気が立ちのぼる。

ハルトの前にも、同じ紅茶が置かれている。

誓いの席。 決意の証。

 

昨日のハルトはカップを持ち上げることができなかった。

温かいはずのそれが、ひどく遠かった。

 

だが今は違う。

ハルトは迷いなく、持ち手に指をかける。

指先は、震えていない。

 

カップを静かに持ち上げる。 揺らぎはない。

白い光を映した琥珀色がわずかに波打つ。

 

"……いただきます。"

 

一息にではなく、ゆっくりと。喉を通る温もりがまっすぐ胸の奥へ落ちていく。

さっぱりした渋みの中に、ほんのりと甘みがあった。

 

カップを静かに戻し、ナギサに視線を向ける。

 

彼女は、柔らかく微笑んでいた。

そこには策士の顔ではなく、 一人の生徒のような安堵が、ほんの少しだけ滲んでいた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「結局、黄泉先生は現れませんでしたか……。」

 

ハルトの決断を見届け、補習授業部勉強合宿の流れを簡単に整理した後、ナギサが不意に言った。

 

"黄泉先生?"

 

「ハルト先生から連絡をいただいた後、黄泉先生に立会人になっていただこうと考え、連絡したのです。」

 

"そうなんだ……。"

 

そう返事をするハルトは、どこか寂しそうな顔をしていた。

思わず、ナギサは尋ねる。

 

「……なんだか残念そうですね。」

 

"目指す先生像が違っても、黄泉先生は私が憧れている人に変わりないからね。私が壁を乗り越えた所を見てほしかった気持ちもある……。"

 

ナギサはじっとハルトを見つめる。

その視線は、ほんの少しだけ羨望を帯びていた。

 

と、その時――

 

 

「ナギちゃんおはよーっ!!」

 

 

静かな景観に似合わない大声が響いた。

軽快な足音と共に現れたのは、長いベビーピンクの髪の少女。

 

「……ミカさん、もう少しだけ声の大きさを下げていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「あっ、ごめん! ナギちゃんおはよう!」

 

「おはようございます。」

 

そんなやり取りの最中、ハルトはナギサが口にしたその名前を思い出していた。

 

"たしか、前にナギサさんが話していた……。"

 

「はい。私と同じく、ティーパーティーの生徒会長である美園ミカさんです。」

 

「はじめまして!君がハルト先生だよね? これからよろしく!」

 

"うん、よろしく。"

 

ハルトも改めて自己紹介をした後、2人は握手を交わした。ミカの笑顔に、思わずハルトも微笑む。

まるで、お姫様みたいだと思った。

 

「ところでミカさん、今日は来るのが早かったですね。」

 

不意に、ナギサが尋ねる。

するとミカは右人差し指で頬をかきながら、苦笑いで答えた。

 

「いやぁね? ホントはのんびり登校してたんだけど、この辺りから黄泉先生の雰囲気を感じてさ。もう帰っちゃった?」

 

その言葉に、ナギサとハルトは少し目を見開いた。

 

「……いえ?黄泉先生はそもそも来ていませんが……。」

 

「嘘だぁ。間違いなく黄泉先生の雰囲気を感じたよ!」

 

ナギサは当然否定するが、ミカは『黄泉はここにいた』と詰め寄る。

実際、ミカが持つ『黄泉レーダー』は高性能のため、一概に否定することはできない。

 

「ミカさんが言うのなら事実なのでしょう。しかし、私たちが見ていないのもまた事実です。そうですよね、ハルト先生。」

 

"うん。黄泉先生は間違いなく見ていないよ。"

 

「そっかぁ……。あ!このクッキーもらってもいい!?」

 

「それは構いませんが、食べるなら座って食べてください。」

 

「はーい!」

 

早すぎる切り替えに耳鳴りがしそうだが、彼女らしい性格とも言える。

 

と、その時――

 

ヴーッ 

 

ハルトのスマホが振動した。

誰からの連絡だろうかと、即座にポケットからスマホを取り出す。

 

モモトークからの通知。差出人は――

 

("黄泉先生……!?")

 

思わず『ドクン』と心臓が跳ねる。つい先程まで黄泉の話をしていたからだろうか。

 

通知欄をタップし、黄泉とのチャットに飛ぶ。

そこに書かれていたのは――

 

『話は聞いた。後はお前が信じる道を進め。』

 

……どうやらミカが言った通り、黄泉は間違いなくここにいたらしい。姿を見せなかった理由は分からないが、見届けてくれたことをハルトは嬉しく思った。

 

『はい! 頑張ります!』

 

ハルトは短く返す。

だが、その文字には彼の強い思いが確かに込められていた。

 

スマホを仕舞おうとした時、再び振動。差出人はやはり黄泉だった。

再びモモトークを確認する。

刹那、ハルトは思わず言葉を失った。

それは決して事件が起きたわけではない。そこに書かれていたのは――

 

 

『誇れ。お前は一段、上に立った。』

 

 

黄泉からの褒め言葉。

スマホを見つめたまま、ハルトの口元が静かに緩む。

 

その変化に、ナギサが気づいた。

 

「……何か、良い知らせでも?」

 

ナギサが穏やかに問いかける。

ミカもクッキーを持ったまま首を傾げた。

 

ハルトは一度だけスマホを見下ろし、そっとポケットに仕舞う。

 

"……背中を押してもらっただけだよ。"

 

その言葉に、ナギサは一瞬だけ目を細める。

途中参加のミカは話の流れが読めず、再度首を傾げた。

 

「……そうですか。」

 

ナギサは紅茶を一口含み、静かに微笑んだ。

 

「ならば、何も心配はいりませんね。」

 

ハルトは頷く。

窓の外には、澄み渡る青空。

迷いはもうない。

 

 

続く




次回からは合宿回ですね。
やべぇ、全然内容覚えてねぇ。

話は変わりますが、ファルカ引けました!
兹白に続いてすり抜けなしです。最近は原神ガチャの調子がいい。

この調子でゼンゼロ、スターレイルでも頼みます。
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