死を識る者、日常に佇む   作:ツカッチ

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開拓者のみなさん、先生のみなさん、こんにちは。

もうすぐ新学期と考えると頭が痛いです。

いつもより少し長め。


膝下の青春

合宿といえば、何を思い浮かべるだろうか?

 

夜更けまで続く他愛ないおしゃべり。

友人と同じ部屋で眠る高揚感。

普段は聞けない本音や、少しだけ背伸びした恋の話……。

笑い声が絶えず、思い出だけが増えていく――そんな時間をきっと想像するはずだ。

 

だが。彼女たちの合宿は事情が全く異なる。

 

合宿という名の勉強会。彼女たちは落第の危機を乗り越えるためにここにいる。

楽しい思い出などない。ここにあるのは教科書とノート、筆記用具のみ。

 

進級という切符を掴み取るため、補習授業部の新たな挑戦が始まる!

 

……はずだった。

 

 

 

「なんで水着なの!?」

 

合宿所に到着した補習授業部一行は、勉強を始める前に寝室や教室の掃除をすることにした。一見すると綺麗に見えるが、確かに埃が散らばっている。

 

勉強するためにはまず環境を整えなければならない。というわけで各自『汚れても良い服』に着替え、吹き抜けスペースに集合したのだが……。

 

ヒフミ、アズサ、コハルは安定の体操着。しかし、ハナコがどういうわけかスクール水着姿で登場したのだ。

 

「掃除するって言い出したのはアンタでしょ!? やっぱりバカなのよね!? バーカ!!」

 

コハルが一生懸命に罵倒するが、ハナコはわざとらしく首を傾げる。

 

「水着は動きやすいですし、何かで汚されても問題ないですし、洗い流すのも簡単で――」

 

「水着はプールで着るものでしょ!? 早く着替えてきて!」

 

そんなコハルの勢いに、ハナコは困り顔を見せる。なぜここまで騒いでいるのか本気で理解していないらしい。隣では「一理ある」と言うかのように頷くアズサと、ただ苦笑いを浮かべるヒフミの姿が。

 

するとハナコは、ずっと静観している2人の先生へと視線を向けた。

 

「黄泉先生とハルト先生はどう思われますか?」

 

「知らん。」

 

あまりにも塩すぎる対応に不満気なハナコ。しかしすぐにハルトへと顔を向け、答えを求めた。

 

"えっと……危ないから体操服のほうがいいと思うよ……。"

 

「危ない……というのは、例えば机の角に水着が引っかかってそのまま裂けて私の全てが顕に」

 

「早く着替えに行けぇーッ!!」

 

コハルが全力で叫んでようやくハナコは自分の部屋へと歩いていった。

その背中が階段の影に隠れたのを見て、黄泉が口を開く。

 

「……あいつのお()りは大変だな。」

 

「お守りじゃないし! あとなんで他人事なの!?」

 

黄泉の労うかのような言い方に、コハルは納得がいかないようだ。ズカズカと黄泉に詰め寄ると、ビシッと指を差した。

 

「ああいう奇行は先生たちが止めなきゃいけないと思うんだけど!?」

 

「コハルの言う通りだ。」

 

「じゃあなんで……!」

 

「口だけでやめさせられるのなら、今も奇行に走ることはないだろう。」

 

実際、黄泉は過去に何度も『露出を控えろ』と注意していたのだが、ハナコの癖は治ることはなく、どちらかと言えば悪化していった。

なぜ彼女がそのような行動をとるようになったのかは黄泉も知らない。尋ねても「気持ちがいいから」としか返されない。

 

言語化だけでは飽き足らず、いつしか行動にも現れるようになったハナコの一面。

結果、それが彼女の領域なのだと判断した黄泉は、それ以上踏み込むべきではないと線を引いたのだった。

 

「……もっとも、ハナコの相手をするコハルは満更でもなさそうに見えていたが。」

 

「んなッ――!?」

 

その一言が火に大量の油を注いだのか、コハルは顔を真っ赤にしながら黄泉に拳を繰り出した。その一撃は黄泉の腹に叩き込まれる。

 

「どこをどう見たらそうなるの!?」

 

「落ち着け、コハル。」

 

「うるさい! 先生は私を怒らせた!」

 

ブンブンと腕を振るうコハルだが、黄泉は避けようとすらせず拳を受け入れる。彼の腹を叩くその拳の力は大して強くないのか、顔を顰めることもない。

 

「止めるべき……ですかね?」

 

"わ、分からない……。"

 

2人の騒ぎを傍観しているヒフミとハルト。本来なら止めるべきなのだろうが、黄泉は全く苦しがっていない。ましてや殴られて怒っているわけでもないので、助けるべきなのか放っておいてもいいのか判断できなかった。

 

と、その時――

 

「あっ……!」

 

ほんの一瞬の出来事。気づいた時には黄泉が片手でコハルの両手首を掴んていた。

コハルはなんとか拘束を解こうともがくが、びくともしない。

 

「とりあえず落ち着け。先ほどの発言は撤回する。」

 

黄泉から見れば、ハナコとコハルの会話は確かに噛み合っていた。 ハナコの言動の8割は理解不能だとしても、残りの2割からおおよその意図は推測できる。

 

だが――それに即座に反応し、全力で振り回されるのはコハルだけだ。

だからこそ「満更でもない」と言ったのだが――どうやら言葉選びは失敗だったらしい。

 

「くっ……!殺せ!」

 

「何を言っているんだお前は。」

 

本当に何を言っているのだろうか。

両手首を掴まれたまま、コハルは顔を真っ赤にして睨みつける。 だがその瞳に宿っているのは殺意ではなく、羞恥と意地だ。

 

「……て、撤回とかそういう問題じゃないの! そういう風に見られてたことが問題なの!」

 

「すまなかった。」

 

「今更謝っても遅いから!!」

 

再び暴れようとするが、やはり拘束はびくともしない。 黄泉は力を込めているわけでもなく、ただ “暴れさせない” という意思だけで抑えている。

その様子を見ていたヒフミが小さく呟く。

 

「なんだかんだ、仲良しですよね。」

 

「仲良くない!!」

 

即座に返る否定。 だがその声は、先ほどよりも少しだけ力が抜けていた。

 

すると黄泉は手の力を抜き、拘束を解く。コハルは再度攻撃を繰り出そうとしたが、その視線の先に、階段を下りているハナコが映った。

ここで暴れてハナコに何か言われたらさらに面倒なことになる。コハルは小さく息を吐き、悔しそうに黄泉を睨み――

 

「……次は覚えてなさいよ。」

 

「何の次だ。」

 

「うるさい!」

 

プイとそっぽを向くコハル。

その様子からまだ若干怒りが感じられるが、とりあえず騒ぎは静まった。

 

「お待たせしました〜。」

 

何も知らないハナコが再登場。今度はちゃんと体操服に身を包んでいる。

 

「戻ってきたか。では、さっさと掃除を始めよう。」

 

そうしてようやく担当場所を決める会議を始めようとした、その時――。

 

不意に感じた真っ直ぐな視線。

顔を向けるとそこにはアズサがいた。

 

視線を黄泉に向けているのはヒフミたちも同じ。だが、目の前にいる5人の中で、揺らぎが一切感じられない、真っ直ぐな視線だった。

 

「先生?」

 

首を傾げるアズサからの呼びかけに、黄泉は思考を切り替えた。

 

「……気の所為だ。」

 

そう言い切って、視線を外す。

補習授業部が集まったあの日がアズサとの初対面だ。

 

それ以外の記憶は存在しない。

 

少なくとも――そうであるはずだ。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

掃除を終えた頃には、合宿所の空気は目に見えて澄んでいた。

 

窓を開け放った吹き抜けスペースに、昼前の風が流れ込む。埃っぽさは消え、代わりに洗剤と乾いた木の匂いが漂っていた。

 

「みなさん、お疲れ様でした。」

 

ヒフミがその場にぺたりと座り込む。

コハルも壁にもたれながら、ぐったりと肩を落とした。

 

「思ったより広かったわね……。」

 

「でも、ちゃんと綺麗になった。」

 

アズサが短くそう言って、モップを壁に立てかける。その横でハナコが吹き抜けを見上げていた。

 

「なんだか、息がしやすくなりましたね〜。」

 

確かにその通りだった。

ほんの数時間前まで“使われていない建物”だった場所が、今は “自分たちの居場所” に変わっている。

 

ハルトは小さく息を吐き、腕時計を見た。

時刻は14時。……何とも中途半端な時間である。

 

"みんな、お疲れさま。道具は片付けておくから、部屋に戻ってていいよ。"

 

その指示にヒフミたちは、ぐい〜っと身体を伸ばす。部屋に戻って休もうと歩き出した、その時――

 

「あの。」

 

ハナコが、珍しく真面目な声で口を開いた。

全員の足が止まり、視線がゆっくりと彼女に集まった。

 

「もう1つだけ、掃除したい場所があるんです。」

 

 

 

ハナコに案内されたのは合宿所の裏。開けた視界の先に、それはあった。

 

金網越しに見える、屋外プール。

フェンスにはところどころ蔦が絡みつき、錆びた南京錠がぶら下がっている。

 

誰にも触れられないまま、長い時間だけが過ぎていったことを物語っていた。

 

「……うわ。」

 

コハルが素直な声を漏らす。

水はほとんど抜けているが、底には雨水が溜まり、濁っている。枯れ葉と砂埃が積もり、白いはずのタイルはくすんだ灰色に変わっていた。

 

「完全に放置されているな。」

 

アズサが静かに言う。

その声はいつも通り淡々としている。

だが視線は、水面ではなく――空っぽの飛び込み台に向けられていた。

 

ヒフミはフェンスに手をかけ、そっと中を覗き込む。

 

「なんだか……寂しいですね。」

 

使われないままの場所。笑い声を聞くこともなく、季節だけを重ねた空間。

ハナコは少しだけ目を細めた。

 

「ここにも、かつてはたくさんの笑顔がはじけ、楽しそうな声が響いていたはずなんです。」

 

誰に聞いたのかも分からない、曖昧な口調。

 

「でも今は、誰も来ない。……それって、少しもったいないなと思って。」

 

風が吹き抜ける。

乾いた葉が、プールの底へ転がった。

 

「どんなに賑やかだった場所でも、いつかはこんな風に変わってしまう。」

 

「全ては虚しい。まさに、この世の真理だ。」

 

アズサの言葉に、ヒフミたちは口を閉じてしまう。

たくさんの生徒たちで溢れていたプールを想像し、寂しく感じたのだ。

 

「――それでも、だ。」

 

不意に、真っ直ぐな声が通り抜けた。

全員が声のした方へ振り返る。視線の先にいたのは、黄泉だった。

 

「その言葉は、最善を尽くさない理由にはならない。やるべきだと思ったのなら、迷うな。」

 

その言葉に、4人は目を開く。

 

「……よろしいのですか?」

 

「ああ。その代わり、明日からはしっかり勉強してもらう。」

 

「ありがとうございます!そうと決まれば水着に、早く水着に着替えに行きましょう!」

 

「なんか、キャラ違くない……?」

 

「本当に好きなんですね、水着……。」

 

元気すぎるハナコとそのキャラ差に呆然としてしまうヒフミたち。やけに『水着』という単語を強調しているあたり、ヒフミの考察は間違っていないようにも思える……。

 

「アズサちゃんも、早く着替えに行きましょう!」

 

「あ、ああ。」

 

ハナコに手を引かれ、アズサも駆け出す。

黄泉の前を通過しようとしたその時――アズサは視線を黄泉へと向けた。黄泉もまたアズサに視線を向ける。

その視線は、互いに何かを確かめるように、静かに交差した。

 

合宿所へ走る4人の背中を見て、黄泉は小さく息を吐いた。

 

「……悪いな、ハルト。せっかくのスケジュールが早くも変更してしまった。」

 

"大丈夫ですよ。元よりズレても大丈夫なように組んでたので。"

 

「すまない。」

 

軽く謝罪をし、黄泉は歩き出す。

 

"黄泉先生、どこへ?"

 

「プールの掃除となると、ブラシが必要だろう。探しに行くぞ。」

 

"はい!"

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

屋外プール近くにある倉庫。

その奥で、がちゃがちゃと物音が響く。

 

"どこだ……?"

 

黄泉とハルトは棚の奥を覗き込み、埃を払いながら目当てのものを探していた。使われなくなって久しいプールの備品が、雑然と積み上げられている。

 

箱を1つひとつ引きずり出し、奥を確認する。

 

"あ、あった……!"

 

6本のデッキブラシを取り出し、軽く水で洗う。

長年放置されていたのだろう。全体的に埃がこびりついていた。

 

水をかけ、手早く擦る。

と、その時。ぱたぱたと足音が近づいてきた。

 

「お待たせしましたー!」

 

明るい声が響く。

2人が振り向くとそこには、スクール水着姿のヒフミ、アズサ、そしてコハルがいた。

 

"……っ。"

 

ハルトは一瞬だけ言葉を失い、すぐに視線を逸らす。

 

"……着替え、早かったね。"

 

「何も隠せてないんだけど!?」

 

その間をコハルが見逃すはずがなく。顔を赤くしながらツッコんだ。

 

さすがのハルトもしばらくブラシを見つめ続ける。その耳がわずかに赤い。

 

対する黄泉はこれと言った視線すら向けない。

まるで今そこにいるのが水着の少女ではなく、ただの生徒であることしか認識していないかのように。

 

「……それはそれで嫌なんだけど。」

 

「理不尽だと思わないか?」

 

コハルの言葉に鋭くツッコむ。

そのような目で見られる事を嫌がりながら、見られないことを嫌がる。ではどうしろと。

 

"ところで、ハナコさんは?"

 

咳払いを挟み、ハルトが尋ねる。

 

「ハナコちゃんは少し時間がかかるみたいで――」

 

「すみません、遅くなりました!」

 

背後からの声。黄泉たちが揃って振り向く。

刹那、5人は目を疑った。

 

なぜなら、そこに立っていたのは――

 

 

「なんでッ!制服ッ!なのッ!!」

 

 

コハルがまた顔を赤くして指摘する。

誰がどう見ても、ハナコは普段着用している白い制服を着ていた。

 

対するハナコもやはりキョトンとしている。『おかしな点はないですよ?』と言わんばかりに。

 

「水着に着替えるって言ったのはアンタでしょ!? ついに記憶力も失ったわけ!?」

 

「――いいですかコハルちゃん。」

 

急に真剣な顔になったハナコ。

コハルは思わず口を噤み、言葉を待った。

 

「水着とは濡れてもよい服のことを指します。つまり、そういうことなんです。」

 

「QED、じゃないから! なんにも伝わってないんだけど!?」

 

「ふふ、実は下に水着を着ているんです。前にお小遣いで買ったビキニなんですが。」

 

「………えっ……?」

 

「確認してみますか?」

 

そう言ってハナコはそっとスカートの裾を摘んだ。

まるでこちらを焦らすかのように、ゆっくりと持ち上げる。 

 

生地の先端が見え……かけたところでコハルが慌てて『待った』をかけた。

 

「や、やらなくていいから!確認するとは言ってないから!」

 

「あら、そうですか? 残念です。」

 

「ホ、ホントに水着なのよね!?」

 

「あの阿呆2人は放っておいて、始めるぞ。」

 

"そうですね……。"

 

「あはは……。」

 

「先生も大変だな。」

 

相変わらず火種を投げ込むハナコと、それに全力で燃え上がるコハル。

ヒフミは困ったように笑い、アズサは黙ってその様子を見つめていた。

そして黄泉は、やはり感情の起伏を見せない。

 

一方、ハルトは手にしたデッキブラシを見つめたまま静かに息を吐く。

まだ何もしていないはずなのに、なぜかひどく疲れていた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「よーし、やりましょう!」

 

ヒフミが気合を入れ、ブラシを握る。

 

"無理はしないでね。滑りやすいから。"

 

ハルトはそう言いながら、自分もプールサイドの床を擦り始める。乾ききった泥が、水を含んでゆっくりと色を変えていった。

 

しかし、長年積もった汚れは簡単には落ちない。

 

"結構……手強いな。"

 

「でも、やりがいはありますよ!」

 

ヒフミは笑って、力を込める。

その一方――

 

「……行くぞ。」

 

アズサはすでにプールの底へと降りていた。

空になったプールを軽やかに駆け、壁際に溜まった枯れ葉を一箇所に集めていく。その動きは無駄がなく、どこか訓練めいている。

 

「ちょ、ちょっと!走らないでよ危ないでしょ!」

 

コハルの声が響く。

 

「大丈夫だ、問題ない。」

 

そう言いながら、アズサは速度を落とさない。

そして――

 

「あっ……。」

 

見事に足を滑らせた。

 

体勢を立て直す間もなく、身体が後ろへ傾く。

アズサは受け身を取ろうとしたが、両手でブラシを持っていたせいで行動が遅れた。

 

間に合わない。間違いなく頭を打つ。

 

世界がゆっくりと動く中、後頭部に来るであろう衝撃に目を閉じた――

 

が、しかし。硬い床に打ちつけられた衝撃が来ることはなかった。

代わりに感じたのは、自分を支える確かな力。

 

「……危ないぞ。」

 

低い声が、すぐ近くで落ちる。

気づけば、黄泉の腕がアズサの背を支えていた。

 

視線がぶつかる。

顔がハッキリと見える。

 

胸の奥が、わずかに波打つ。

 

数秒後、アズサが目を逸らした。

わずかに赤くなった頬を隠すように、すぐに立ち上がる。

 

「あ、ありがとう……。」

 

「……楽しい気持ちは分かるが、怪我をしたら元も子もないぞ。」

 

黄泉の注意にアズサは黙って頷いた。

どうも、心ここにあらずと言った状況だ。

 

「アズサさん、大丈夫ですか?」

 

ハナコがホースを持ちながら、黄泉たちの方へ顔を向ける。

次の瞬間、勢いよく水が放たれた。

 

「え。」

 

バシャアッ!!

 

偶然ホースの口の先に立っていたコハルが、見事に頭から水をかぶった。ポタポタと水を滴らせながら、我に返る。

 

「ちょっと!どこ見てるのよ!?」

 

「ふふ……ごめんなさい♪」

 

小さなアクシデントがありながらも、ホースから放たれる水がゆっくりとプールの底を満たしていく。

 

さらに水が弧を描き、今度はアズサと黄泉の足元へ。

泥が洗い落とされ、プールの底に少しずつ本来の色が戻っていく。

 

騒がしくて、無秩序で。

それでも確実に、景色は変わっていった。

 

かつて笑い声が響いていた場所に、再び声が満ちていく――。

 

 

 

 

給水口から流れ続ける水が、ゆっくりとプールを満たしていく。

ひどく汚れていた底は見違えるほど清潔に磨き上げられ、空だった底はいつの間にか光を映す水面へと変わっていた。

 

だが――その深さは、まだ膝下ほど。

 

ハルトがチラリと腕時計を見る。

 

"……もう16時ですね。"

 

西日に染まり始めた空。

水を張りきるには、どう考えても時間が足りない。 

 

「間に合いそうにないですね……。」

 

ヒフミが肩を落とす。

せっかくここまで綺麗にしたのに、と名残惜しそうに水面を見る。

 

その時。

 

「十分遊べますよ?」

 

軽やかな声。

気づけばハナコは1人プールの中へ降りていた。

膝を曲げ、そっと水をすくい上げる。

 

そして、次の瞬間――

 

ぱしゃっ!

 

ハナコはその水をヒフミたちに向けて勢いよく飛ばした。

 

「ひゃあ!?」

 

「冷たっ!」

 

「ひっ……!」

 

水飛沫は見事3人の顔に振り注いだ。

顔についた水を手で拭い、揃ってハナコへ視線を向ける。

 

そこには、笑顔のハナコがいた。

 

「さぁ、遊びましょう!」

 

その言葉の意味を理解するまで、ほんの一秒。

そして――

 

「やったわね!?」

 

「お返しします!」

 

「……負けない。」

 

3人は揃ってプールへ降りた。

 

未完成のプール。

深さは足りない。

完璧とは程遠い。

 

しかし、水しぶきと笑い声は、確かにそこにあった。

 

"まさに、青春ですね。"

 

ハルトの呟きに、黄泉は視線だけを水面へ向ける。

 

「……この一面だけを切り取ればな。」

 

西日に照らされた水面が揺れる。

 

彼女たちは落第寸前。

進級のための特別学力試験は、裏切り者が見つからない限り何らかの妨害が入る。

 

笑い声の下に、火種は確かに燻っている。

 

黄泉は小さく息を吐いた。

 

「……時間は有限だ。」

 

ハルトは一瞬だけ真顔になり、静かに頷いた。

 

少女たちの無邪気な笑顔。

それを守るためには――自分たちが選択をしなければならない。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

その日の夜。

合宿所のハルトの部屋で、2人の先生が明日以降のスケジュールについて再確認をしていた。

 

"二次試験は10日後。試験範囲は同じですが、出題方式が変わるかもしれません。そこで――"

 

"5日後、模擬試験として私が作った試験を4人に解いてもらいます。それを踏まえて、残りの5日で苦手範囲の克服を目指します。"

 

「異議無し。」

 

ハルトのスケジュールに素直に従う黄泉。

実際、疑問点も無く、完璧と言っても差し支えない内容だった。

 

黄泉は資料を閉じ、小さく息を吐く。

 

「スケジュール作成やら情報整理やらはお前に任せっきりだな……。本当にすまない。」

 

"気にしないでください。"

 

ハルトはわずかに笑う。

 

"黄泉先生はいつ呼び出されるか分かりませんから。備えておくのは当然です。"

 

エデン条約調印式を控えているキヴォトス。

まだ少し日があるとは言え、トリニティとゲヘナは常時厳戒態勢。反対派の暴動を抑えるために、ピリついた空気が流れている。

 

また、他の自治区でも暴動や事件は起こる。何かが起これば黄泉が呼ばれるのは間違いないだろう。

 

キヴォトスのために動く黄泉。彼の負担を減らすためにも、ハルトは自分のできることを積極的に処理しているのだ。

 

2年生3人、1年生1人と言えど、進展状況はバラバラ。一人ひとりのスケジュールを作るのは、かなりの時間を有する。

それを全てハルトに任せているのだから、下手に口を挟むわけにもいくまい。

 

「助かる。」

 

それだけを返し、黄泉は椅子から立ち上がる。

 

「明日も早い。今日はゆっくり休むとしよう。」

 

"はい。"

 

そうしてミーティングはお開き。自室に戻って睡眠……となるはずだったのだが。

 

 

コンコン

 

 

控えめなノックの音。

ハルトが「どうぞ」と答えると、静かにドアが開いた。

 

扉がそっと開き、顔を出したのは――ヒフミだった。

 

「こんな時間にすみません、少しだけ、お時間いいですか?」

 

その声にいつもの明るさは無く、何かに心を縛られているようだった。

 

"もちろん。入っておいで。"

 

ハルトが手で招くジェスチャーをすると、ヒフミはペコリと頭を下げて部屋に入った。

 

「では、俺は部屋に戻ろう。」

 

「あっ……黄泉先生!」

 

黄泉が席を立つと、ヒフミが掌を見せて待ったをかけた。

 

「黄泉先生にも……聞いてもらいたいんです。」

 

その声音から、ただ事ではないと察する。

黄泉はそのまま椅子をヒフミに譲り、無言でベッドに腰を下ろした。

 

"どうしたの?"

 

ハルトからの質問に、ヒフミは一瞬だけ迷うように視線を落とす。それからゆっくり息を吐き、ハルトに向き合った

 

「ナギサ様には『誰にも言わないように』と言われましたが……もう、限界で……。」

 

プールで遊んでいた時の元気はどこにもない。ここにいるのは、窶れた様子のヒフミだけだ。

 

"話してみて。"

 

ハルトは優しく包み込むように尋ねる。

それでもヒフミはなかなか話を切り出せずにいたがついに覚悟を決め、話し始めた。

 

 

「……その、お二人は、補習授業部の中に裏切り者がいることをご存知ですか?」

 

 

その言葉に、2人は揃って目を開いた。

 

驚かざるにはいられなかった。

自分たちだけに知らされていると思っていた事を知る者が、他にいたのだから。

 

「……ご存知も何も、その裏切り者を見つけるために、俺たちはここにいる。」

 

「……っ。やっぱり、そうですよね……。」

 

ヒフミは俯き、拳をギュッと握る。

彼女からは悲しみのような雰囲気が感じられた。

 

「実は……私もなんです。」

 

 

 

ある日、ナギサに呼び出されたヒフミはいきなり『補習授業部にいる裏切り者を見つけてほしい』と頼まれた。そんなこと無理だと断ろうとしたが、その勢いに圧され、その頼みを受けてしまった。

 

そしてその別れ際、ナギサはこう言った。

 

『仮に三次試験までに裏切り者が見つからなければ、ヒフミさんも退学ということになりますが……。』

 

 

 

「ナギサ……。」

 

黄泉が小さく呟く。その声音はナギサの行動の意味を探っているようで、静かに怒っているようにも感じられた。

 

一方のハルトは何も言わない。顎に手を当て、集中している。

 

("ヒフミさんを退学させたい理由はなんだ?")

 

その理由は何なのかと脳を回転させるが、それっぽい理由が思いつかない。彼女は優しく、真面目な生徒だ。

推しグッズのために試験をサボったそうだが、一次試験の結果を見るに、いつも真面目に授業を受けているのはよく伝わってくる。

 

その小さくなったヒフミの背中を見て、黄泉は彼女の隣で膝をつきそっと背中を撫でた。

 

「心配はいらない。ヒフミがそれを深く考える必要は――」

 

その時、ヒフミの拳に水が跳ねた。

 

「私……みんなを見るたびに、考えちゃうんです。」

 

声が、震えている。

背中も、拳も、小刻みに揺れている。

 

「アズサちゃんかな、とか。コハルちゃんかな、とか。……もしかしたらハナコちゃんかも、って……。」

 

拳がさらに強く握られる。

 

「それって……最低ですよね。」

 

ポタポタと、さらに涙が零れ落ちた。

 

「みんなで笑ってるのに、私だけが心の中で疑ってるんです。」

 

静かな部屋に、ヒフミの呼吸だけが響く。

 

やがて、ハルトがゆっくり口を開いた。

 

"――それは、最低なんかじゃないよ。"

 

ヒフミはゆっくりと顔を上げる。

目の前には、柔らかく微笑むハルトがいた。

 

"いきなりそんなことを聞かされて、退学になると脅されて……不安になるのは当然だ。"

 

"勇気を出して話してくれてありがとう。後は私と黄泉先生に任せてくれ。"

 

そう言ってハルトは黄泉を見た。

まるで『先生も一言どうぞ』と言わんばかりに。

 

「――お前たち4人は俺とハルトが守る。ヒフミが不安になる必要はどこにもない。」

 

その言葉を受けてヒフミは服の袖で涙を拭い、何度か深呼吸をした。

それから、ゆっくりと顔を上げる。

 

そこにあったのは――強い目だった。

 

「……ありがとうございます。」

 

もう声は震えていない。

 

「先生たちがいるなら、大丈夫な気がします。」

 

ぎこちなく、けれど確かに――いつもの笑顔が戻る。

 

「お話を聞いてくださり、ありがとうございました。明日からの勉強頑張ります。」

 

「ああ。」

 

"おやすみ、ヒフミさん。"

 

小さく頭を下げ、ヒフミは部屋を後にした。

パタン……と扉が閉まる。

 

ヒフミの足音が聞こえなくなったタイミングで、ハルトが口を開いた。

 

"――黄泉先生。"

 

「ああ。」

 

言葉は少ない。 だが、既に意思は共有されている。

 

「裏切り者は必ず見つける。」

 

"そして、守る。"

 

黄泉はそっと目を閉じる。

脳裏に浮かんだのは――プールで笑っていた4人の姿。

 

そして再び目を開き、拳を握る。

 

「――誰一人、切り捨てさせん。」

 

その声は、決意そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キヴォトスが静まり返る時間。

 

合宿所の廊下に、月明かりが細く差し込んでいた。

 

白い光が床を切り取り、影を長く引き延ばす。

 

その中に、動く影がひとつ。

 

音もなく廊下を進む。

 

そこに足音はない。

 

影は静かに階段を下り、 玄関へ。

 

ドアの取っ手を握り、そっと開ける。

 

わずかに冷たい夜風が流れ込み、 次の瞬間――影は外へ溶けた。

 

パタン、と扉が閉じる。

 

再び訪れる静寂。

 

何事もなかったかのように、 合宿所は眠り続ける。

 

 

 

続く




こうして物語を書くためにストーリーを読み返しているわけですが、マジで何も理解してなかったんだなって思います。
本当に、申し訳ない。

話は変わりますが、火花ガチャとアリアガチャ(1日ズレ)が始まりましたね!
僕はアリアを優先したいと思います。
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