死を識る者、日常に佇む   作:ツカッチ

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開拓者のみなさん、先生のみなさん、こんにちは。

エデン条約編第3章開幕です。
書きたいことが先行して他が置き去りにならないように頑張ります。



沈黙の園の前奏曲
それぞれの明日へ


この世界(キヴォトス)には、古くから伝わる問いがある。

 

“七つの古則”、その五番目に記されたもの。

 

それは――

 

楽園(エデン)』に関する問い。

 

 

 

『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか。』

 

 

 

楽園に辿り着いた者は、至上の満足と喜びを抱き、外へは出ない。故に、その存在が観測されることはない。

 

一方で。

 

外へと出てきた者がいるのなら。

 

その場所は、真の快楽を得られるような “本当の楽園” ではなかったということになる。

 

 

 

 

存在しない者の真実を証明することはできるのか。

 

否、不可能である。

 

従ってこの五番目の問いは、証明できないことに対する「不可解な問い」だと言える。

 

 

 

 

エデン。

 

すべてが許され、すべてが救われる場所。

 

その名を冠した条約が、明日、結ばれる。

 

だが。

 

互いに憎しみ合う者たちが、その手で楽園を作ることなど――

 

本当に、可能なのだろうか。

 

 

 

「……黄泉先生は、どう思いますか?」

 

少女の問いに、黄泉は目を細める。

 

トリニティ総合学園の敷地内にある静かな古聖堂。ステンドグラスを通して差し込む朝の光が、色を帯びて床に落ちる。

 

それらはまるで、祈りの名残のように――静かに揺れていた。

 

「さぁな。」

 

「せっかくこちらが真剣に尋ねていますのに。」

 

黄泉の短い返答に、少女――歌住(ウタズミ)サクラコはわずかに眉を寄せる。だがその声色には、責める色はなかった。

 

「ナギサは『やる』と言った。マコトはそれに応じた。答えはそれで十分だろう。」

 

「……本当に、それで“十分”なのでしょうか。」

 

静かに、だが確かに問い返す。

 

「突然、裏切られる可能性だってあります。」

 

一瞬、空気がわずかに張り詰めた。

 

「……それはトリニティも同じだ。」

 

黄泉は即座に返す。

 

言葉に迷いは一切なく、サクラコは言葉を失った。

 

「忘れたか、サクラコ。」

 

彼女はわずかに視線を上げる。

 

ステンドグラスの光が、黄泉の瞳に反射していた。

 

「この条約は――“憎しみ合い”を止めるためのものだ。“仲良くするため”のものじゃない。」

 

その言葉は静かで、だからこそ重かった。

 

サクラコは、目を伏せる。

 

「……それでも。」

 

小さく、呟く。

 

「あなたが『先生』なら、“生徒同士仲良くしてほしい”と願っているのではありませんか?」

 

一拍の沈黙。

風が、わずかに吹き抜けた。

 

黄泉は小さく息を吐き、話す。

 

「……恨み憎しみは、願いでどうにかなるようなものではない。」

 

「この先、くだらない争いで傷つく者が減るというのなら――」

 

「俺は、それでいい。」

 

その言葉を最後に黄泉は踵を返し、ゆっくりと歩き出した。  

 

足音が、古聖堂の中に小さく響く。

やがてそれも、静寂の中へと溶けていった。

 

残されたサクラコは、しばらくその背中を見つめていた。

 

そして――

 

「………。」

 

小さく息を吐き、静かに視線を外す。

 

そして、両手を胸の前でそっと重ねた。

 

願いは届くのか。

救いは本当にあるのか。

 

祈りの言葉を、胸の内で紡ぐ。

 

 

……ふと、ひとつの背中が脳裏をよぎる。

 

 

………。

 

 

あの人にも

 

 

ほんの少しでも

 

 

救いは、あるのだろうか。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

爽やかな風が吹き抜ける白亜のベランダ。

いつもの場所で、ナギサはやはり紅茶を嗜んでいた。

 

「ふぅ……」

 

静かにカップを置き、長く息を吐く。

その表情には、わずかに疲れが滲んでいた。

 

ミカの件から一週間。

 

あの出来事は、ナギサにとって決して小さなものではなかった。

信じていた相手が、敵と繋がっていたという事実。

 

――裏切り。

 

その言葉で片付けることもできる。

 

だが。

 

「……。」

 

ナギサは目を伏せる。

 

それでも――最後に彼女が流した涙は、確かに“本物”だった。

 

あの涙まで否定してしまえば、何も残らない。

だからこそ。

 

自分も、そしてミカ自身も――あの出来事を乗り越えられたのだと、そう信じている。

 

彼女は必ず帰ってくる。

 

ナギサは、その一点においてだけは、迷わなかった。

 

……だが、これで終わるはずがない。

 

アリウスが動いた以上、次は別の形で来る。その確信が、胸の奥に重く残っていた。

 

来るとすれば――調印式当日。

だが同時に、それは最も襲撃を避けるべきタイミングでもある。

 

当日、トリニティの古聖堂には両校の全部隊が集結する。上手くいけば正義実現委員会と風紀委員会を叩くことができる。

失敗すれば、彼女たちからの攻撃を一身に受けることになる。

 

先日の襲撃で戦力を削ったアリウスが、正面から踏み込むとは考えにくい……。

 

……いや、あくまでも“考えにくい”だけだ。

敵は常識で測れる相手ではない。それは、ここに直接攻めに来たアリウスを見て理解している。

 

沈黙。

 

風の音だけが、静かに通り抜けていく。

 

来るのか。

来ないのか。

 

思考が、わずかに揺れる。

 

だが。

 

ナギサはゆっくりと首を振った。

 

「……いえ。」

 

どちらであれ、結論は変わらない。

 

調印式を中止にすることはできない。

 

相手は――ゲヘナの生徒会長。

 

一度は白紙になりかけた提案に、再び応じてくれた。

それがどれほどの意味を持つか、ナギサは理解している。

 

次がある保証など、どこにもない。

 

だからこそ。

 

と、その時。

 

コツ、コツ、コツ。

 

規則正しい足音が、静寂の中に重なる。

顔を向けると、そこには――

 

「久しいな、ナギサ。」

 

“こんにちは。”

 

「黄泉先生、ハルト先生。お久しぶりです。」

 

ナギサは穏やかに微笑み、立ち上がる。

そのまま、慣れた手つきでポットに手を伸ばした。

 

「今、紅茶を――」

 

「いや、淹れなくていい。」

 

短く、遮られる。

 

「今日は顔を見にきただけだ。座っていて構わない。」

 

「そうなのですか? ……わかりました。」

 

ナギサは静かにポットを元の位置へ戻し、すっと椅子に座り直した。

 

ほんの一瞬。

ほんのわずかにだけ、表情が曇った。

 

だが、それもすぐに消える。

 

「……忙しそうだな。」

 

ナギサの手元に一瞬だけ視線が落ちる。

カップの縁に添えられた指先が、わずかに強くなっていた。

 

「そうですね……。明日は条約の調印式ですし、最後の確認で忙しいのです。」

 

“緊張してない?”

 

「ふふ、大丈夫です。ずっとこの日を待ち侘びていたのですから。」

 

ナギサは、わずかに視線を空へ向ける。

その声は穏やかで、揺らぎはなかった。

 

「……しっかり休め。」

 

黄泉が静かに言う。

 

「公の場でいきなりぶっ倒れられるのは困る。」

 

「ふふ……それは、避けたいところですね。」

 

ナギサは軽く笑ってみせる。

 

だがその笑みは、どこか無理をしているようにも見えた。

 

「お気遣いありがとうございます。今日は、早めに休むつもりです。」

 

一瞬の沈黙。

風が三人の間をすり抜ける。

 

その静けさの中で、今度はナギサから質問した。

 

「そう言えば……明日の式にはお二人も並ばれるのですか?」

 

“私はシャーレ代表として並ぶよ。”

 

ハルトは軽く肩をすくめる。

 

“シャーレとして公の話立つのは初めてだから、少し緊張してるけど。”

 

「ふふ……ハルト先生らしいですね。」

 

ナギサはどこか柔らかく笑った。

 

ほんの少しだけ、空気が和らぐ。

 

「ですが、シャーレが立ち会うというのは大きな意味を持ちます。」

 

「中立の立場として条約締結を見届ける。それはきっと、多くの生徒たちに安心を与えるはずです。」

 

“だといいけど。”

 

ハルトは苦笑する。

その言葉には、どこか責任の重さを感じているようだった。

 

「黄泉先生は、どうなされるのですか?」

 

「無論、外で護衛だ。」

 

短く、当然のように言い切る。

 

「式の内側はお前たちの仕事だ。俺は、その外で“何かあった時”に備える。」

 

「……何も起こらないことを、祈るばかりですね。」

 

ナギサはそう言うが、その瞳には、どこか現実を理解している色があった。

 

「祈るのは勝手だが、備えは怠るな。こういう時ほど――何かが起きる。」

 

静かに告げられた言葉。

 

それは脅しでも、不安を煽るものでもない。

ただの“経験則”に過ぎない。

 

“縁起でもないですね……。”

 

不意に浮かんだそんな言葉は、自分の胸にしまい込む。セイアが見せた未来が、ハルトの中で静かに再生されていた。

 

しかしナギサはわずかに目を伏せ――

 

「ご安心ください。」

 

静かに、しかしはっきりと告げる。

 

「既に警備も、覚悟も整っております。」

 

その声に、揺らぎは一切なかった。

黄泉は彼女の目を見ながら、小さく息を吐いて――

 

「……そうか。」

 

それだけを返した。

だがその声には、確かな信頼があった。

 

「何がともあれ、元気そうならそれでいい。ここで失礼する。」

 

“またね、ナギサさん。”

 

「はい。」

 

二人は踵を返し、ベランダを後にする。

規則正しい足音が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 

やがて、その音も風の音に掻き消されてしまった。

 

残されたナギサはしばらくテーブル上のお菓子たちを見つめ――小さな息を吐く。

 

「……はぁ。」

 

やがて、思い立ったようにカップの持ち手に触れた。

 

カップに注がれた紅茶は、少しだけ冷めていた。

あったはずの温もりは、どこかもの足りない。

 

「……本当に。」

 

小さく、呟く。

 

「これで、終わるのでしょうか。」

 

誰に向けたものでもない問いは、風に溶けていく。

 

だが、ナギサは首を横に振った。

 

「……いいえ。」

 

「これで、終わらせなければならないのです。」

 

その瞳に宿るのは、不安ではない。

自分を犠牲にしてでも目的を果たすことへの覚悟だった。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

正義実現委員会の生徒に先導され、黄泉とハルトは地下牢へと足を進める。

石造りの廊下はひんやりとした空気を孕み、足音がわずかに反響する。

 

薄暗い照明の中でも、その造りはどこか厳かで――トリニティらしい気品は、こんな場所ですら失われてはいなかった。

 

“……牢屋まで上品なんですね。”

 

ハルト先生が小さくぼやく。

 

「環境は人の在り方を映す鏡だ。例え捕まっていても、『トリニティ生徒としての信念を忘れるな』ということだろう。

 

短く返しながら、黄泉は歩みを止めない。

やがて、一つの扉の前で足が止まる。

 

「こちらです。」

 

鍵の外れる音。

重い扉が軋みながら開かれた。

 

――その中にいた少女は、静かに顔を上げた。

 

「……来たんだ。」

 

ミカは、以前とはまるで別人のように落ち着いていた。あの時の荒々しさは影を潜め、どこか拍子抜けするほどに穏やかな表情。

 

それでも、その瞳の奥には――まだ消えきらない揺らぎがある。

 

「調子はどうだ。」

 

黄泉が問いかける。  

 

「うん……平気。」

 

間があった。

ほんのわずかだが、“言葉を選んだ間”。

 

当然、黄泉はそれを見逃さない。

 

「無理はしていないか。」

 

「してないって。ほんとだよ」

 

少しだけ強く言う。

だが、その強さはどこか空回りしている。

 

ハルトは壁にもたれながら、その様子を見守っていた。

 

(“……明日、だもんね。”)

 

「……明日、だからな。」

 

2人の思考が一致し、ハルトはビクリと肩を振るわせた。刹那、ミカの指先がわずかに止まる。

 

「……別に。」

 

そっけない返事。

だが、“触れてほしくない話題”であることは明らかだった。

 

黄泉は、あえて踏み込む。

 

「エデン条約が気に入らないか。」

 

ミカは視線を逸らす。

 

「……気に入るわけないでしょ。」

 

小さく、吐き捨てるように。

 

「なんでゲヘナなんかと仲良くしなきゃいけないの。」

 

感情の色は薄い。

けれど、その分だけ根が深い。

 

「ミカ。お前はまだ――ゲヘナが嫌いか?」

 

「……嫌いだよ。」

 

即答。

その答えに、迷いはなかった。

 

だが――

 

「でも……それで私はナギちゃんたちに負けちゃったわけだし。」

 

ぽつり、と零すように。

その言葉には、悔しさと――ほんの少しの納得が混じっていた。

 

「今の私は、好き勝手なことは言えないよ。」

 

強がりではない。

自分の立場を、ちゃんと理解している声だった。

 

黄泉は何も挟まない。

ただ、話の続きを待つ。

 

「……条約については、目を瞑る。」

 

少し間を置いて、ミカは続ける。

 

「それが必要なんでしょ?トリニティのために。」

 

組織のため、という言葉を使ったのは――感情だけで動いていた頃との明確な違いだった。

 

「でも」

 

顔を上げる。

 

その瞳には、まだ消えない色がある。

 

「ゲヘナと仲良くするつもりはないから。」

 

はっきりとした拒絶。

だが、その裏にあるのは以前のような激情ではなく――整理された感情だった。

 

黄泉は、わずかに目を細める。

 

「……半歩前進、だな。」

 

「え?」

 

ミカが顔を上げる。

 

「嫌いなままでいい。無理に変える必要はない。」

 

静かな声。

 

否定はしない。

だが、そこで終わらせない。

 

「だが――決して止まるな。」

 

言葉が、わずかに重くなる。

 

「感情は願いで塗り替えられるものじゃない。」

 

ミカの瞳が、わずかに揺れる。

 

それは、サクラコとの会話で語られたものと同じ――“恨みや憎しみは、願いではどうにもならない”という現実。

 

「だからこそ、その上でどうするかを考えろ。」

 

「……難しいこと言うね。」

 

小さく、そう零す。

 

「簡単な話だ。」

 

黄泉は、間を置かずに返した。

 

「お前はもう、“嫌いだから壊す”ような真似はしない。」

 

断言だった。

 

迷いも、疑いもない。

 

ミカの目が、はっきりと見開かれる。

 

「……なんで、そう言い切れるの。」

 

かすかに震える声。

 

それは反発ではない。

確かめるような問い。

 

黄泉は間を置かず、答えた。

 

「今のお前を見ているからだ。」

 

ただ、それだけ。

 

理屈じゃない。

評価でもなく――“観測した事実”。

 

「……難しいよ、それ。」

 

「だから、“半歩”と言った。」

 

少しだけ、口元が緩む。

 

「全てを変える必要はない。だが、一歩も動かないのは違う。」

 

静かに、しかし確かに区切る言葉。

 

沈黙が落ちる。

 

その空気を――

 

“ふふ……。”

 

わずかな笑い声が、横から零れた。

 

ハルトだった。

 

しまった、という顔で慌てて口元を押さえる。

だが時既に遅く、黄泉の視線がゆっくりと向けられていた。

 

「……変な言葉だったか?」

 

責めるでもなく、ただ事実確認のように問う。

 

ハルトは軽く肩をすくめて、小さく首を振る。

 

“いえ……ただ、私の予測通りだなって。”

 

少しだけ楽しそうな声音。

 

そして、ミカへと視線を向ける。

 

“私が言った通りだね、ミカさん。黄泉先生は――死んでも君に向き合う気だよ。”

 

冗談めかした言い方。

だが、その実、核心を突いている。

 

ミカは一瞬だけ目を瞬かせて――

 

「……ほんとにね」

 

小さく、肩の力を抜いた。

 

「ますます嫌いになっちゃいそう。」

 

“え。”

 

間の抜けた声が響く。

 

どうやらハルトは、本気で言葉の意味を受け取ってしまったようだ。

わずかに目を見開き、思考が追いついていない。

 

“それは……本気で言ってるの?”

 

思わず、といった調子で問い返す。

 

ミカは一拍置いてから、くすりと小さく笑った。

 

「半分くらい?」

 

わざと曖昧にぼかす。

その声音には、先ほどまでになかった軽さが混じっている。

 

ミカは少しだけ唇を尖らせて続けた。

 

「だって黄泉先生、逃げ道くれないのに突き放さないんだもん。」

 

そして、視線を向ける。

 

まっすぐに、黄泉へ。

 

「……ねぇ、黄泉先生。」

 

ほんの少しだけ、声の調子が変わる。

先ほどまでよりも、静かで――慎重な響き。

 

「私がここを出る頃には、外は全く違う世界になっているかもしれない。」

 

言葉を選びながら、ゆっくりと紡ぐ。

 

エデン条約。

それがもたらす“変化”を、ミカなりに想像している。

 

「だから、その時は――」

 

一度、言葉が途切れる。

 

迷いではなく、覚悟を決めるための間。

 

そして。

 

「私の隣にいてくれない?」

 

願いだった。

 

依存ではないと言い切れるほど、強くもない。

けれど、ただの甘えとも違う。

 

“変わること”を選んだ自分が、それでも折れてしまわないように――

 

支えを求める、真っ直ぐな言葉。

 

間を置かず、黄泉は答えた。

 

「分かった。」

 

あまりにも即座の返答。

 

迷いも、逡巡もない。

 

それがかえって、言葉の重みを際立たせる。

 

ミカは一瞬ぽかんとして――

 

「わーお……即答だね。」

 

少しだけ笑う。

 

その表情は、どこか拍子抜けしたようで。

同時に、ほんの少しだけ――安心している。

 

ハルトが肩をすくめる。

 

“だから言ったでしょ?”

 

軽く茶化すように。

 

けれどその目は、二人のやり取りをどこか満足そうに見ていた。

 

地下牢の薄暗さは変わらない。

 

けれどその中で――

 

確かに、一つだけ。

 

空気がやわらいでいた。

 

 

 

 

 

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ゲヘナ学園――万魔殿。

 

扉が開いた瞬間、空気が変わった。

 

赤。

そして黒。

 

視界に入る全てが、その二色で統一されている。

 

重厚な柱。

高く伸びる天井。

床に刻まれた紋様すら、どこか威圧的で――

 

そこは、秩序ではなく“力”で支配される場所だった。

 

足音が、やけに響く。

 

トリニティの静謐さとは違う。

ここには常に、何かが燻っているような気配があった。

 

“……風紀委員会の部屋もそうでしたけど、ゲヘナって感じですね。”

 

ハルトが小さく呟く。

 

「分かりやすいだろう。」

 

黄泉は短く返した。

 

そのまま、視線を正面へと向ける。

 

――最奥。高く設けられた玉座。

 

そこに、彼女はいた。

 

足を組み、肘掛けに頬杖をつきながら、まるで当然のように二人を見下ろしている。

 

「……ふん。」

 

小さく鼻を鳴らす。

 

その仕草一つで、この場の主が誰かは明白だった。

 

玉座に座る少女――マコト。

その瞳には、露骨な興味と、わずかな退屈が浮かんでいる。

 

「風紀委員会なんぞの部屋と同じ扱いをされるとは……屈辱的だな。」

 

玉座の上から、マコトが露骨に不満を漏らす。

足を組み替えながら、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「そう邪険にするな。ハルトは初めてここに来たんだ。」

 

黄泉は視線を上げたまま、淡々と返す。

 

“……?”

 

唐突に話を振られたハルトが、わずかに首を傾げる。

 

マコトの視線が、すっとそちらへ移った。

 

「お前のことはよく知っているぞ、桐山ハルト。」

 

口元が歪む。

 

「風紀委員会を、その素晴らしい指揮能力でボコボコにしたそうじゃないか。」

 

愉快そうな声音。

だが、その奥にはわずかな棘がある。

 

“ボコボコにした記憶はないけど……。”

 

ハルトは困ったように苦笑する。

 

「ヒナの悔しがる顔が目に浮かぶ……。」

 

マコトはくつくつと喉を鳴らした。

 

「キキッ、いい気味だ。」

 

“……?”

 

ハルトは首を傾げる。

目の前にいるのはゲヘナ学園のトップのはずなのに、風紀委員会……ヒナを目の敵にしているように写ったからだ。

 

その様子を一瞥して――

 

「放っておけ。こいつはヒナの力に嫉妬しているんだ。」

 

黄泉が、何気なく言い切った。

 

刹那――

 

「嫉妬などしていない!」

 

即座に食ってかかるマコト。

 

玉座から身を乗り出し、声を荒げる。

 

「聞こえていたか。」

 

黄泉はわずかに目を細めるだけだった。

 

その温度差に、マコトの苛立ちがさらに増す。

 

だが――

 

数秒の沈黙の後、ふっと表情を戻す。

 

「……まあいい。」

 

軽く手を振る。

 

「時に、黄泉先生。」

 

声音が変わる。

 

先ほどまでの軽口とは違う、意図を含んだ響き。

 

「明日のエデン条約について――伝えておくことがある。」

 

空気が、わずかに張り詰める。

 

黄泉は何も言わない。

 

ただ、続きを促すように視線を向ける。

 

「イロハ。」

 

「はい。」

 

控えていたイロハが一歩前に出る。

その所作は無駄がなく、よく訓練されている。

 

「先週、“アリウススクワッド”を名乗る組織から連絡がありました。」

 

その一言で、場の温度が明確に変わった。

 

ハルトの表情がわずかに引き締まり、

黄泉の視線も、ほんの僅かに鋭くなる。

 

イロハは淡々と続ける。

 

「“共にトリニティを潰そう。協力してくれた暁には、アリウスはゲヘナに軍事的な支援をすると約束する。”――とのことでした。」

 

静かな報告。

 

だが、その内容はあまりにも露骨だった。

 

わずかな間。

 

そして――

 

「無論、断ってやったがな!」

 

マコトが、愉快そうに言い放つ。

 

足を組み直し、顎を上げる。

 

「そんなつまらん誘いに乗るほど、私は安くない。」

 

誇示するような声音。

 

だがその奥には、“選ぶ側でありたい”という強い執着が滲んでいる。

 

「それに――」

 

にやり、と笑う。

 

「トリニティを潰すなら、わけのわからん奴らより『シャーレ』と手を組む方がいいだろう。」

 

挑発。

露骨な一言。

 

赤と黒の空間に、ぴり、とした緊張が走る。

 

“……褒め言葉として受け取っておくよ。”

 

ハルトは肩をすくめて、軽く返した。

 

「おいおい、褒め言葉以外に何がある?」

 

マコトは愉快そうに笑う。

 

「少なくとも、“裏でコソコソ手を組む連中”よりは信用できる。」

 

足を組み替えながら、鼻で笑った。

 

「正面から殴り合う方が、よほど健全だろう?」

 

ゲヘナらしい理屈。

 

だが――

 

その選択の“結果”は、決して軽くない。

 

「……そうか。」

 

そこで、黄泉が初めて口を開いた。

 

短い一言。

 

だが、その声音は先ほどまでとは僅かに違う。

 

マコトの視線が、ゆっくりと降りてくる。

 

「なんだ、その反応は。気に入らないか?」

 

試すような目。

 

黄泉は首を横に振る。

 

「いや。寧ろ評価している。」

 

静かに言い切った。

 

わずかに、空気が止まる。

 

マコトの眉がぴくりと動いた。

 

「……ほう?」

 

興味が混じる。

 

「トリニティを嫌いながらも、アリウスの提案を断った。」

 

黄泉の視線は逸れない。

 

「感情ではなく、己の選択で動いたということだ。」

 

淡々とした言葉。

 

だがそれは、はっきりとした“肯定”だった。

 

マコトは数秒、何も言わずに見下ろして――

 

ふん、と鼻を鳴らす。

 

「勘違いするな。」

 

わずかに顎を上げる。

 

「私は“気に食わん連中に利用される”のが嫌いなだけだ。」

 

「主導権は常にこちらにあるべきだろう?」

 

強気な言い方。

 

だが、それは裏を返せば――

 

“自分で選んだ”という意思の表明でもある。

 

「それでいい。」

 

黄泉は即答した。

 

「条約も同じだ。」

 

一歩、踏み込む。

 

「誰かに従うためのものではない。選んだ結果として成立するものだ。」

 

言葉が、静かに落ちる。

 

マコトの目が、わずかに細くなる。

 

「……面白いことを言うな。」

 

マコトの口元が、ゆっくりと歪む。

 

「つまり、この条約は“対等”だと?」

 

「少なくとも、そうでなければ意味はない。」

 

間髪入れずに返す。

その言葉に――マコトはほんの一瞬だけ沈黙した。

 

視線がわずかに鋭くなる。

 

まるで、値踏みするかのように。

 

そして。

 

「……キキッ。」

 

小さく喉を鳴らす。

 

「なら、勘違いするなよ。」

 

視線が、真っ直ぐに落ちる。

 

「手を組むだけだ。じゃれ合うつもりはない」

 

断言。

その一言で、この場の温度が決まる。

 

協力関係ではある。だが、馴れ合いではない。

あくまで――“必要だから組む”だけ。

 

黄泉はわずかに頷いた。

 

「十分だ。」

 

短い肯定。

 

それ以上でも、それ以下でもない。

 

そのやり取りに――

 

ハルトが小さく息を吐いた。

 

“……健全だね、ある意味。”

 

苦笑混じりの一言。

マコトは鼻で笑う。

 

「ぬるい関係の方が、よほど信用ならない。」

 

バッサリと言い切る。

その在り方は、最初から最後まで徹底していた。

 

 

 

 

 

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帰り道。シャーレ社用車の中。

 

エンジン音だけが、静かに車内に響いていた。

 

窓の外を流れていく景色は、どこか現実感が薄い。

まるで、自分だけが取り残されているような――そんな感覚。

 

ハルトは、無意識に拳を握っていた。

 

指先に力が入り、関節が白くなる。

気づかぬうちに、肩にも力がこもっていた。

 

「怖いのか。」

 

運転席から、淡々とした声が落ちる。

 

バックミラー越しに、黄泉の視線がわずかにこちらを捉えていた。

 

“……はい。”

 

少しだけ間を置いて、ハルトは答える。

 

“これまでの戦闘とは、レベルが違いすぎて……。”

 

脳裏に浮かぶのは――あの夢。

 

銃声。爆発。

そして、あの“得体の知れない何か”。

 

“今までは誰かを助けるための戦いでした。……でも、これからは違う。”

 

言葉を選びながら、ゆっくりと紡ぐ。

 

“終わりが見えない、どこまで行けばいいのかも分からない。まさに……「戦争」ですよ。”

 

その一言で、空気がわずかに重くなる。

 

車内に沈黙が落ちた。

 

否定も、肯定もない。

 

ただ、事実だけがそこにある。

 

しばらくして――

 

「そうだな。」

 

黄泉が、短く肯いた。

 

「規模も、意味も、これまでとは違う。」

 

あっさりと認める。

 

誤魔化さない。

 

軽くもしない。

 

“……だったら”

 

ハルトが、かすかに顔を上げる。

 

“どうすればいいんですか?”

 

弱さを隠さない問い。

 

それに対して――

 

黄泉は、少しだけ間を置いた。

 

そして。

 

「簡単なことだ。ただ、信じればいい。」

 

静かに、黄泉が言った。

 

ハルトの肩が、わずかに揺れる。

 

“何を……?”

 

掠れた声。

 

「決まっている、あいつらだ。」

 

一言で通じる。

 

ナギサ、マコト。

そして、ここにいない誰かも含めて。

 

「それぞれが、それぞれの覚悟で立っている。」

 

ハンドルを握る手は、微動だにしない。

 

「全員が、未来を背負っている。」

 

ハルトは、言葉を失う。

 

思い出しているのは同じ光景だ。

 

確かに、誰も“投げて”はいなかった。

 

「トリニティも、ゲヘナも、シャーレも。」

 

一つひとつ、確かめるように。

 

「全員が、未来の手綱を握っている。」

 

「……アリウスも同じだ。」

 

静かに、付け加える。

 

未来は決まっていない。

 

誰か一人の意思でもない。

 

「この戦いは、一人でどうにかできるものじゃない。」

 

少しだけ、息を吐く。

 

「……だから、背負おうとするな。」

 

短く、言い切った。

 

瞬間、ハルトの指先から少しだけ力が抜ける。

 

完全ではない。

それでも――確かに、変化があった。

 

“そう、ですか……。”

 

小さく、息を吐く。

 

窓の外を見る。

 

流れていく景色は変わらない。

けれど、その見え方は少しだけ違っていた。

 

そして、ハルトは顔を上げ――

 

“古聖堂にいる生徒たちは、私が守ります。”

 

強い覚悟を持って、伝えた。

 

はっきりとした声。

 

迷いは、もうない。

 

黄泉は、わずかに目を細めた。

 

「いい覚悟だ。」

 

短く、それだけを返す。

 

だが――その一言には、確かな肯定があった。

 

車は、夜の道を走り続ける。

 

静かなまま。

 

それでも。

 

それぞれが、それぞれの場所で。

それぞれの覚悟を胸に抱えながら。

 

やがて訪れる“明日”へと、向かっていく。

 

 

続く




アリウスに裏切られる間抜けなマコトはいません。
己の感情を制御し、順当に駒を進めるマコトならいます。


以下、最近のホヨバゲーについて。
リンネア、リンネア武器をすり抜けずに確保できました。デバフ、バフ、サブアタ兼任ってかなりおかしいですね。

スターレイルでは999銀狼と緋英の情報も出ましたね。性能は何も知りませんが、引く覚悟はできています。
ところで、どうして不死途が1verピックアップで2人が前半後半なのでしょうか……。


大学の授業が本格的に始まり、投稿頻度は間違いなく落ちます。どうか気長にお待ちいただけると幸いです。
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