死を識る者、日常に佇む   作:ツカッチ

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開拓者のみなさん、先生のみなさん、こんにちは。

アビドス編に一旦の区切りがついたので、ユウカとの約束を果たしに行きます。

ある程度構想した後にズババーッと書いたので、雑なところがあるかもしれません。許してください。

これからも区切りがついたら日常系の話を書いていきたいと考えております。


幕間 甘くて、特別な日

ある日のミレニアムのセミナー室。

会計を担当している私…早瀬ユウカは今日も書類たちと向き合っていた。

 

この報告書は予算申請に間に合うように纏めないと…。前の暴動の被害総額も計算して…。

そんな事を頭で整理しながら作業を進める。

 

机に並べたファイル、タブレット、メモパッド。どれも私にとっては慣れ親しんだ仕事道具だけど、書類の山はやっぱり見たくない。

 

黙々と手を動かしていると、隣で作業をしていた生塩ノアが私の肩をトントンと叩いた。

 

「ユウカちゃん、スマートフォンが鳴ってるよ?」

 

ぱっと顔を上げると、確かに私の端末が鳴っていた。その画面には意外な人の名前が。

 

「黄泉先生…?」

 

私は慌てて生徒会室を出て、電話に出た。

少し喉の震えを抑えながら通話ボタンを押す。

 

「もしもし、早瀬です。」

 

『ああ、ユウカ。いま大丈夫か?』

 

端末越しに聞こえるその低く落ち着いた声。

変わらないその口調に、心臓が跳ねたように感じる。

 

「はい、大丈夫です。」

 

努めて冷静に答えたつもりだったが、自分でも声が少し上ずっていたのが分かった。

 

『前に、”高級スイーツ店のスイーツを奢ってほしい”という約束をしていただろう。時間ができたから、行こう。』

 

「………へ?」

 

反射的に漏れた声は、呆けたような驚きだった。

 

「お…おぼ、覚えててくれたんですか!?」

 

言いながら顔が熱くなるのを感じる。

ずっと忙しそうだったし、正直もう忘れられていると思っていた。でも――

 

『当たり前だろう。…なんだ、お前は忘れていたのか?』

 

「お、覚えてましたよ!でも、まさか黄泉先生から電話が来るなんて、思ってなくて…。」

 

照れ隠しに言葉を重ねてしまう。

端末の向こうから微かに笑ったような空気が流れてきた気がした。

 

『…まぁ、チャットでもよかったが、早めに返事を聞きたくてな。』

 

『明後日の土曜日…空いているか?』

 

土曜日――それは本来、書類の整理を一気に進めるために予定していた日だった。期末提出に向けて、やらなきゃいけない作業が山ほどある。でも、でも……。

 

――せっかく、覚えててくれたのに。 

誘ってくれたことが、本当に嬉しくて。けれど同時に、セミナーの一員として「仕事より私事を優先するのはどうなんだろう」と悩んでしまう自分もいて、返事が詰まった。

 

そのときだった。

 

セミナー室のドアが静かに開き、ノアが1枚の紙を見せてきた。そこに書かれていたのは―

 

《楽しんで来て》

 

たったそれだけの手書きの文字。

けれど、私にとっては背中を押してくれる魔法のような言葉だった。

 

胸の奥が、ふっとあたたかくなる。

 

そして、端末に向き直り…

 

「…はい!空いています!」

 

今度ははっきりと、自分の意思で返事をした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

黄泉先生からお誘いをもらったその日の夜。私は鏡の前で腕を組んだまま動けなくなっていた。

 

「どうしてこんなに悩んでるんだろう、私…。」

 

ベッドの上には普段着、そして外出するために買ったちょっとだけ大人っぽいワンピースなど、色んな服が並んでいる。

 

手にしているのは、淡いラベンダー色のカーディガン。ノアと出かけた時に見つけた、今でもお気に入りの服。

 

「……別に、デートってわけじゃないし。ただ、約束を果たしに行くだけ。スイーツを奢ってもらうだけ…。」

 

誰に聞かせるでもない言い訳を口にしながら、またワンピースに目を向ける。

 

上品なアイボリーのワンピース。袖のフリルは控えめだけれど、なんだかいつもより自分が“女の子”に見えるような気がして……恥ずかしい。

 

でも、嫌じゃない。

 

「はあ……私、なにやってるの……。」

 

いつも通り制服を着て行けば間違いない。校則も問題ないし、仕事の帰りだって言い訳できる。

でも、それじゃあなんだか、“この日”を特別なものにしてないみたいで――。

 

ふと、鏡の前の自分と目が合う。

少しだけ頬が赤くなっていて、私は思わず視線をそらした。

 

「……あの人に、可愛いって思われたいとか、そんなの…。」

 

つぶやいて、すぐに頭をぶんぶんと振った。

 

「……っ!私、なに考えてるの!?」

 

我に返った私は、ぱたぱたと両手で頬を扇ぐ。

約束の日は明後日だと言うのに、部屋の中を行ったり来たりする夜がまだまだ続きそうだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ミレニアムの駅前は、土曜日の午前中らしく穏やかな空気に包まれていた。

 

通学の喧騒もなく、静かに行き交う人々の中で、ユウカはひときわ緊張した様子で立っていた。

 

「……やっぱりこれ、ちょっと浮いてるかな……。」

 

鏡の前で何度も悩んだ末に選んだ、アイボリーのワンピース。果たして自分に似合うのか分からなかったけど…勇気を出してこれを選んだ。

カーディガンもラベンダーの柔らかい色味でまとめて、上品に、でもちゃんと“女の子らしく”――。

 

そんな中、相も変わらず心臓がずっとどくどく鳴っている。

 

「うう、落ち着きなさい早瀬ユウカ。…いつも通り、冷静に……。」

 

と、小さく呼吸を整えていた時。

 

「ユウカ。」

 

背後からかけられた低く静かな声に、私はぴくりと反応し、振り返った。

 

そこに立っていたのは、黄泉先生。

いつもの白い外套にシャツ、ネクタイ、そして腰には――当然のように、あの刀。

 

「お、おはようございます、黄泉先生…。」

 

そう口にした瞬間、自分の声がやけに震えていることに気づき、慌てて咳払いで誤魔化す。

 

「…悪い。もっと身軽な格好で来るべきだったが、そうもいかなくてな…。」

 

黄泉先生は、ほんの少しだけ目を伏せて言った。

 

「いつ、どこで暴動が起きるかわからない故…。だからこれは職務上の判断だ。」

 

「い、いえっ!全然問題ないですっ!」

 

あまりに必死な否定に、自分でも驚く。

せっかく勇気を出して選んだ服。本当は、少しだけ「どうですか」って聞いてみたかったけれど――

そんな余裕も、タイミングもなかった。

 

でも、変わらないその姿に、なぜか安心する自分もいて。

 

「……その、来てくれて、ありがとうございます。」

 

そう告げると、黄泉先生は少しだけ目を細めて、うなずいた。

 

「誘ったのは俺だがな…。まぁ、今日は存分に楽しんでくれ。」

 

 

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電車の窓から流れていく景色を、なんとなくぼんやりと眺めていた。

 

車内は週末ということもあって、比較的静か。

シートに並んで座るのも、なんだか久しぶりのような気がした。

 

(……そもそも、黄泉先生とふたりでどこかに行くこと自体が初めてですけど。)

 

そう思うと、また胸がどきんと跳ねる。

 

「…ユウカは、トリニティに行ったことは?」

 

ふいに黄泉先生が口を開いた。

低く、落ち着いた声。それはいつも通りなのに、どこか距離が近く感じられて――私は少しだけ視線を落として答えた。

 

「はい、何度か。買い物とか……あとは、視察ですね。生徒会の仕事で。」

 

「なるほど。」

 

返事は短い。でも、それでいい。

沈黙も少しずつ心地よくなってきた。

 

窓の向こうに、遠くに見え始めた白い街並みが、少しずつ近づいてくる。

 

「トリニティって、街全体がすごく洗練されていて……高級感があるんです。ショッピングモールも美術館もあって、ちょっと格式高い雰囲気というか――」

 

「ああ。となると、スイーツも…。」

 

「はい。特に今日行くお店は、かなり有名で…。味ももちろんなんですけど、見た目が本当に綺麗で。えっと…その、”写真映え”っていうんですけど…。」

 

思わず早口になってしまい、口を押さえて一瞬言葉を切る。でも、黄泉先生はちゃんと聞いてくれていた。

 

「見た目か…。それも、今の時代らしい感性だな。」

 

「…先生って、写真とか撮ったりしますか?」

 

「しない。俺が写っても、誰も得をしないだろう。」

 

「そ、そんなことないですよ!」

 

私は半ば反射的に黄泉先生の言葉を否定した。

少ししてようやく、自分が何を言ったかに気づいた。

 

(今、私…何を…!?)

 

口元を押さえたまま、視線を逸らす。頬がじわじわと熱くなっていくのが自分でも分かる。

 

でも、隣の黄泉先生は特に気にした様子もなく、ただ窓の外へ視線を向けたまま、微かに口元をゆるめていた。

 

電車は、窓の外に広がる白く整った街――トリニティの中心へと近づいていく。

静かに揺れる車内の中、私は胸の奥でそっと深呼吸をした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

駅から歩いて数分、2人がたどり着いたのは、大理石で造られた噴水のある公園だった。中心には女神像が立ち、その足元から水が穏やかに吹き上がっている。白いタイルの地面、手入れの行き届いた花壇、そしてベンチで読書を楽しむ制服姿の生徒たち――

 

どこを切り取っても、まるで一枚の絵のような景色。

 

「…ミレニアムとは、やはり雰囲気が違うな。」

 

黄泉先生が立ち止まり、周囲を見渡す。

 

「トリニティは“優雅さ”で有名な学園ですから、街の整備もかなり徹底しているんです。」

 

「ああ、騒がしさは一切ないな。…どこか、静かすぎるくらいだ。」

 

先生の口調は変わらないのに、不思議とその言葉に優しさを感じる。

歩くたびに靴音が芝の上で吸われ、静かな時間が流れていく。

 

…いつもなら、何も思わず並んで歩いていられたのに。

 

ふと、ユウカは自分の足取りがいつもより緊張していることに気づく。

 

(こんな風に、並んで歩くのは何度目だろう…?)

 

演習後の帰り道。報告書を届けた帰り。

その度に隣にいた黄泉先生の姿は、いつも頼りがいがあって、でも少し遠かった。

 

けれど今日は――

 

(…なんだか、距離が、近い。)

 

服装のせい?それとも…“約束”を果たす日だから?

答えのない疑問が頭を巡って、ますます心が落ち着かなくなる。

 

「…改めて、先生。その……ありがとうございます。」

 

何気ない一言のつもりだったのに、口に出した瞬間、またもや恥ずかしくなってしまった。

 

だけど先生は、すっと前を向いたまま答える。

 

「…俺は、約束を守っただけだ。」

 

言葉は少なかったけれど、確かに心が温かくなるのを感じた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「この道の先、ですね。」

 

手にある端末の画面を覗きこみながら、慎重に歩を進めた。華やかな街並みに見とれつつも、目的地に向かって歩くその横で、黄泉先生は無言で周囲に目を配っている。

 

(ほんとに、仕事モード…。)

 

そんな風に思ってしまうのは、きっと緊張しているせいだ。でも――

 

「あ…ここ、です!」

 

地図のピンが示した場所。その前に立ち止まると、自然と声のトーンが上がっていた。

 

そこは、ガラス張りの壁と白い木製ドアが印象的な、小さなカフェだった。周囲の建物とは少しだけ雰囲気が違って、温かみのある照明に包まれている。扉の上には、金文字で店名が刻まれていた。

 

《Pâtisserie Ciel Doux(パティスリー・シエル・ドゥ)》

 

甘い空のような味。どこか詩的なその名に、私は一瞬言葉を失った。

 

「ふむ……カフェか?」

 

「はい。スイーツ専門のカフェで、えっと、その……内装がすごくお洒落なんです。予約はちゃんと取ってあります!」

 

先生の視線がこちらに向いたのを見て、私は思わず自分のスカートを気にしてしまった。ワンピースを選んだのは正解だったかもしれない。たぶん。

 

扉を押すと、小さなベルの音が鳴った。

中には白いクロスがかけられたテーブルと、アンティーク調のイス。ガラスケースの中には、色とりどりのケーキやマカロンが整然と並び、そのどれもがまるで宝石のようだった。

 

「…すごいな。」

 

黄泉先生はが静かにうなずいた。

その横顔が、どこか緊張を和らげてくれる。

 

「ようこそいらっしゃいました。ご予約のお名前は?」

 

「は、早瀬です。」

 

「早瀬様…。はい、お待ちしておりました。どうぞこちらへ。」

 

笑顔のロボットスタッフに案内され、窓際の席に腰を下ろす。

メニューを開くと、そこには写真でさえ甘い香りが伝わってきそうなスイーツがずらりと並んでいた。

 

(すごい……! これ全部、選べるんだ……。)

 

ちら、と先生の様子をうかがうと、彼はまだメニューを見ていないようだった。

 

「先生は……甘いものって、あまり召し上がらない方ですか?」

 

「取り過ぎは良くないが…たまにはいいと思っている。そして、今日がその“たまに”だ。」

 

その言葉が、なぜかとてもうれしかった。

メニューを抱きしめそうになってしまったのは、誰にも言えないヒミツだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

メニュー表でも分かるくらい、宝石みたいに並んだケーキたち。私はそれを見て、視線を泳がせていた。

 

「……うぅ、どれもおいしそう……。」

 

気になっていたケーキは3つ。

一つは、紅茶香るミルフィーユ。

もう一つは、チョコレートが贅沢に使われたガトーショコラ。

そして最後に、見た目も可愛いストロベリーモンブラン。

 

(2つまでにしておかないと…後で後悔するかも…。)

 

体重計の数字を脳裏に浮かべながら、私は静かにひとつを諦める。

悩みに悩んた末、選ばれなかったのは――ガトーショコラだった。

 

黄泉先生はとっくに決めていたのに、待たせてしまって申し訳なくなる。

 

呼び鈴を押すと、すぐにスタッフが注文を受けに来た。

 

「えっと、このミルフィーユとモンブランを…。」

 

後悔してないわけじゃない。だけど、私はそれをぐっと堪える。

 

次に黄泉先生が注文する番になった。

 

「珈琲とオリジナルマカロン…あと、ガトーショコラをひとつ。」

 

「えっ。」

 

思わず声が漏れる。

 

先生の表情は変わらない。

ただ、少しだけこちらに視線を流して、短く言った。

 

「…気になっていたんだろう?」

 

私の心が、ふわりと浮いた。

 

「あ、ありがとうございます…。」

 

ちゃんと言えたと思うけれど、顔はたぶん、真っ赤だ。

胸の奥で、ひとつ息が跳ねる。

 

この人は、やっぱりズルい。どうして平気な顔してこんなことができるんだろう…。

 

そんなことを思いながら、私たちは注文を終えた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ふわりと、甘く香ばしい香りがテーブルを包む。

運ばれてきたケーキの皿を見て、私は思わず目を輝かせた。

 

「わあ……!」

 

さっそく、ミルフィーユからいただく。

ナイフをそっと入れると、サクサクという軽やかな音がして、甘いクリームがとろりと顔を出した。

 

「いただきます。」

 

ひとくち、口に運んだ瞬間――

 

「ん〜〜♡」

 

両手でほっぺを押さえながら、思わず声が漏れてしまった。恥ずかしい、と思う前に、身体が反応してしまっている。

やっぱり、高級スイーツは違う…!

 

そこへ少し遅れて、黄泉先生の前にもスイーツが並べられる。

濃厚そうなガトーショコラと、彩り豊かなマカロン。

そのまま無言でフォークを取るのかと思いきや、先生は私のほうへガトーショコラの皿をすっと差し出してきた。

 

「好きなだけ食え。」

 

先生の言葉に頬が熱くなるのを感じながら、慌てて手を振る。

 

「ひっ…ひ、一口だけ……!」

 

さすがに、全部なんて図々しいし、カロリーだって気になる。いくら美味しそうでも、ここで油断したら明日の体重計が怖い…。

 

だけど、そんな自分の小さな葛藤すら、ちょっと幸せに思えてしまうのだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ごちそうさまでした!」

 

店を出た瞬間、私ははくるりと振り返って、明るい声で言った。手を前でそろえて、礼儀正しく笑顔で頭を下げる。

 

「ああ。」

 

黄泉先生はわずかに口角を上げて、小さく返してくれる。先生の笑みは、どこか儚くて、でも確かにそこにあって――

見られただけで、胸のあたりがちょっとだけ温かくなる。

 

私はすこしだけ目をそらして、指先を組みながら尋ねた。

 

「この後…どうしましょうか?」

 

人通りの少ない歩道の上、午後の日差しがふたりの影を落とす。

黄泉先生は一瞬だけ空を見上げると、変わらぬ落ち着いた声で言った。

 

「散歩でも、ショッピングでも。ユウカについていこう。」

 

それだけの言葉なのに、どこか背中を押された気がした。

鼓動が少しだけ早くなるのを感じながら、私はうつむきがちに――けれど、勇気を出して言葉を返した。

 

「じゃあ……ショッピングに行きたいです。」

 

ほんの少し頬が火照ってしまうのを感じながら。

それでも、まっすぐに伝えるように言葉を紡いだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ショッピングモールに一歩足を踏み入れると、涼しい空気と同時に、華やかなディスプレイと人のざわめきが押し寄せてきた。

私は自然と足を止め、目の前に広がる光景を見渡す。

 

ふと、視線の先に並んだ電子機器の店の看板が目に入った。

 

「あ、あそこ……。」

 

気がつけば、私は歩き出していた。

明るいモニター、陳列された最新のタブレットやアクセサリー。

自然と、セミナーでの仕事用に使っている端末のことが頭に浮かぶ。

 

「…いつも使っているタブレットも、そろそろ買い替えたほうがいいかも…。」

 

小さく呟いたその時だった。

 

「真面目だな。」

 

不意にかけられた先生の一言に足が止まる。

横を見ると、先生は少しだけ首をかしげるようにしてこちらを見ていた。

 

その一言で――ようやく、はっと気づいた。

 

(なにやってるの、私……!)

 

心の中で、叫ぶように自分を叱る。

せっかくの、ふたりでのお出かけなのに。

仕事の延長みたいなことを、無意識に考えていたなんて。

 

「…………!」

 

顔がじわじわと熱くなるのを感じて、私は慌てて背筋を伸ばす。

「い、いえっ、ちょっと見てみようかなってだけでっ」と誤魔化しながら、店先からそっと離れた。

 

ちらりと後ろを見ると、黄泉先生は特に何も言わずに、いつもの落ち着いた表情でついてきてくれている。

 

(せっかくなんだし、もっと女の子らしい場所に…!)

 

そう思って、次に向かったのは、同じモール内にあるファッションブティック。

ガラス越しに並ぶカラフルなワンピースやスカートに心が躍る。

 

店内に入ると、柔らかな照明と優しい香りが広がっていて、さっきまでの緊張が少しだけほぐれていく。

 

「このワンピースかわいい…。あ、このブラウスも…うう、でもこっちのスカートも…!」

 

次々と気になるアイテムを手に取り、鏡の前で合わせてみるが――なかなか決まらない。

 

(どうしよう…どれもいいけど、どれか一つに絞るなんて無理かも…。)

 

そんな時、私はふと思い立って、黄泉先生の方を振り返った。

 

「せ、先生。どれが似合ってると思いますか?」

 

店の壁にもたれて待っていた黄泉先生は、静かに視線を向ける。

そして、少しだけ目を細めて――

 

「どれも似合っているぞ。」

 

間髪入れずにそう言った。

その言葉に、私の肩がわずかに落ちる。

 

「ちゃんと考えて返事してくださいっ!」

 

ぷくっと頬を膨らませると、黄泉先生は少しだけ驚いた表情を見せた後、静かに言った。

 

「…では、少し真剣に考えてみよう。」

 

そう言って一歩踏み出し、並ぶ服を見渡す黄泉先生の瞳が、一瞬で“戦場の目”に変わった気がした。

 

「まずは土台となるものからだ。構成の中核を担うスカート、あるいはワンピースを基準とする。そこから上着、靴、アクセサリーとの調和を図るのがセオリーだ。」

 

「せ、セオリー……?」

 

「ああ。色味の相性、シルエットのバランス、視線誘導の構造…。目的は“日常における軽やかな魅せ方”だと仮定して――」

 

黄泉先生はまるで、装備品の選定や戦術会議でもしているかのような真剣な顔で、服を一つひとつ吟味し始める。

 

「例えば…このベージュのスカートは落ち着いた印象を与えるが、季節感にやや欠ける。こちらのネイビーのワンピースはラインがきれいだが、やや背丈とのバランスが――」

 

「………。」

 

私は…ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

まさかここまで本気で向き合ってくれるとは思っていなくて、むしろこっちが申し訳なくなってくる。

 

(どうしてそんな知識まで持ってるんですか…。)

 

女性ものの服装を説明する黄泉先生に、何とも言えない感情が湧いたけど…そんな姿を見て――少しだけ、心が温かくなった。

だってそれは、黄泉先生がちゃんと“向き合ってくれている”証拠なのだから。

 

「…わかりました。じゃあ、先生と一緒に選びます。」

 

「任せろ。」

 

まるで任務を請け負ったかのように静かに頷くその姿に、私はまた、小さく笑った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

お店をいくつも回って、気に入った服をいくつか見繕った頃には、私の手には2つの袋があった。

 

中には気に入った服が計4着。

そのどれもがしっかりとした質感で、ブランド…というほどではないけど、中々の値段をするものだった。

私は少し離れたベンチに腰掛けて、一枚のタグを何気なく確認する。

 

お店でタグを確認した時は思わず小さく息をのんだ。

書かれていたのは、アルバイトの数日分では到底届かないような金額。

 

可愛くて気に入ったけど、諦めようとした。

だけど――

 

「これ、本当に私がもらっていいんですか……?」

 

そっと問いかけるように言うと、黄泉先生はベンチの隣に座りながら、特に表情を変えずに答えた。

 

「もちろんだ。欲しかったのだろう?」

 

「でも…全部黄泉先生に払わせちゃって、私…。」

 

「…むしろ金の使い所を見つけられてよかった。」

 

あまりにもさらりと、当然のように返されたその言葉に、私はきょとんとして黄泉先生の顔を見上げた。

 

「え……?」

 

「『先生』の給料はそこまで高くないが…暴動鎮圧の報酬はそこそこ高い。だが俺は普段、食費も服も、ほとんど節約している。よほど古い家具や刀の整備以外に金を使う理由がない。」

 

そして彼は、さらりと続けた。

 

「…有り余っているんだ、金は。」

 

あまりに堂々としたトンデモ発言に、私は一瞬、現実感を失いかけた。

 

「有り余ってる…って…」

 

(なんなんですかそのパワーワード…。)

 

たしかに、刀を腰に下げて颯爽と歩く姿はどこか浮世離れしているけど。

まさか金銭感覚まで別次元だとは思わなかった。

 

でも――

 

「それでも……こんなにしてもらって、いいんでしょうか。」

 

自分のために服を選んでくれて、買ってくれて。

こんなふうに、一緒に過ごしてくれて。

 

贅沢すぎる時間に、どこか申し訳なさを感じてしまっていた。

 

だけど黄泉先生は、そんな私の胸の内を察したように言った。

 

「今日のお前は、とても楽しそうだった。それで十分だ。」

 

まるで、すべてを当然のように受け止めているかのように。言葉少なに、でも温かく。

 

「…先生って、やっぱりずるい人です。」

 

そう呟いた私は、恥ずかしさを隠すように紙袋を持ち直して、小さく笑った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

電車は静かにレールの上を滑り、遠ざかる夕陽が窓の外を染めていた。

私は買い物袋をしっかり膝の上に乗せながら、ふと隣に座る黄泉先生の横顔を見上げる。

 

(黄泉先生の話で気になったこと…今なら、聞けるかも。)

 

「…あの、先生はどうして、さり気ない気遣いができたり、女性のファッションに詳しいんですか?」

 

問いかけに、黄泉先生は少しだけ目を細め、窓の外に視線を向けたまま、しばらく黙っていた。

 

その沈黙に少し不安になる。

ようやく黄泉先生が低く静かな声で口を開いた。

 

「…アイツに、叩き込まれたからな。」

 

「アイツ…?」

 

「俺の…かつての相棒だ。アイツは『先生』が何たる存在かを俺に教えてくれた。お前たち生徒との付き合いもな。」

 

その言葉に、私は思いきってもう一歩踏み込む。

 

「その人は、今は……」

 

黄泉先生は何も言わなかった。ただ、目を伏せたまま、黙っていた。

その表情だけで、私は察してしまった。

 

「…っ、ごめんなさい…。」

 

すると黄泉先生は首を横に振り、私の頭に優しく手を置いた。

そして、静かに続ける。

 

「……気にするな。アイツは今も、俺の中にいる。」

 

そう言って、シャツの襟元からちらりと覗いた、黄色のペンダントに手を添える。

 

電車の窓から差し込む光を受けて、それがほんの一瞬、きらりと光ったように見えた。

私は何も言えず、その小さな輝きを、ただ見つめていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ミレニアム駅の構内に、ゆっくりと列車が滑り込む。

ブレーキの音と共に車内の明かりが少しだけ揺れて、日常に帰ってきたという実感が、私の胸にふっと灯った。

 

黄泉先生と並んでホームに降り立ち、改札口までの道を静かに歩く。

空気は夜の帳に包まれつつあって、駅前のライトがほんのりとオレンジ色に灯っていた。

 

「今日は、本当にありがとうございました。」

 

私は心からの声で言う。

 

「とても楽しかったです。スイーツも美味しかったし…それに、洋服も買っていただきましたし…。」

 

言いながら、彼女は頬に手を添えるようにして、少しだけうつむいた。

今日という一日が、夢のようだったからこそ、終わってしまうのが惜しくてたまらない。

 

黄泉先生はちらりとこちらを見て、小さく頷く。

 

「…それならよかった。」

 

そのひとことが嬉しくて、私は小さく笑った。

でも、まだ言いたいことがあった。

言わなきゃ、後悔する。そう思った。

 

私は足を止め、勇気を振り絞って顔を上げる。

 

「あ、あの、またいつか……」

 

少しだけ声が震える。

 

「お誘いしても……いいですか?」

 

黄泉先生は、一瞬だけ驚いたように目を瞬き、そしてほんのわずかに口元を緩めた。

 

「……時間があったらな」

 

その答えを聞いた瞬間、私の顔がぱっと明るくなる。

まるで、花が一気に咲いたような笑顔だった。

 

「はいっ……!お時間、空くのを楽しみにしてますから!」

 

言葉に弾む喜びを隠せず、軽く頭を下げて私は街の方へと走る。その背中を、黄泉先生はしばらくの間、静かに見送ってくれていた。

 

風が一度、私たちの間を通り過ぎる。

その夜の空気は、いつもよりほんの少しだけ、柔らかかった。 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

翌日、日曜日。

朝のセミナー室はまだ静かで、窓から差し込む陽射しが机の上を優しく照らしていた。

 

「ふう……だいたい終わった、かな。」

 

私は椅子にもたれながら、一枚の書類を束に重ねた。

昨日の余韻を胸に秘めながらも、いつものように書類作業を再開していた。

 

誰よりも早くセミナー室に来ていたのは、昨日任せた仕事の分を自分で片付けるためだった。

 

そこへ――

 

「おはよう、ユウカちゃん。」

 

明るい声とともに、扉が軽く開いた。

 

「ノア、おはよう。」

 

静かに返す私だったけど、内心はちょっとした緊張に包まれていた。

きっと聞かれる。昨日のことを。

 

そして、案の定――

 

「黄泉先生とのデートは楽しかった?」

 

ノアはにこにこと笑いながら、あっけらかんとそう尋ねてきた。

 

「っ、デ、デートじゃない!」

 

私は思わず椅子から立ち上がる。

でも、その顔は真っ赤に染まっていて、否定の説得力はどこかに飛んでいた。

 

「ふふっ、顔が真っ赤だよ。」

 

ノアは肩をすくめるようにして笑った。

 

「昨日は、ユウカちゃんの分までお仕事頑張ったんだもん。せめて…ちょっとくらい、デートのお話を聞かせてよ。」

 

「……や、やだ。恥ずかしい…。」

 

机の上の書類に視線を落としながら、ユウカはそうつぶやく。

けれどノアはすかさず椅子を引き、彼女の隣に腰を下ろした。

 

「え~?そこをなんとか!」

 

「ちょっとノア、しつこいわよ…!」

 

そう言いつつも、私の声は少し楽しげだった。

くすぐったいような、心が温まるような、そんな気持ちが胸に広がっていた。

 

やがて、セミナー室には2人の笑い声がふわりと広がる。

それは昨日の特別な時間を、今日という日常に、そっとつなげてくれるような音だった。

 

――変わらない日々。

だけど、ほんの少しだけ、心の中の景色が色づいたような。そんな、静かな日曜日の朝だった。

 

 




黄泉先生がユウカにファッションの話をする場面。解釈違いかもしれませんが…きっと”アイツ”にも同じ事を言われたんでしょうね。それで、一生懸命勉強したんでしょうね。あの人真面目だから。

ところで…ノアとユウカの掛け合いってこれで合ってます?
間違ってたら教えてください。

「黄泉先生とこの生徒の日常回が見たい!」とかありましたら、ぜひコメントください。
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