ここがゲームではないと気づいたとき、オレは壊れる 作:お嬢様執筆中
「こ、こんなにたくさん……どうしよう……!」
ユウが、顔を真っ青にして悲鳴に近い声を上げる。
キバも「……キバが、全部、やる」と短く呟くが、その表情は硬く、獣の耳が警戒するようにぴんと立っていた。
逃げ場はない。四方八方、完全にクラゲの群れに包囲されている。
海中からの一斉攻撃なんて食らったら、この小さなボートごと海の底だ。
絶望的な状況。……ああ、最高じゃないか。これなら、確実に死ねる……。
オレが内心でほくそ笑んだ、その時だった。
「騒がないの! 海の上だから戦いにくい……なら、陸地にすればいいだけの話よ!」
リティカが、凛とした声で叫んだ。
彼女はすっくと立ち上がると、両手を前方にかざし、目を閉じて集中する。
その体から、蒼白い魔力の光が溢れ出し、周囲の空気が急速に冷えていくのが肌で感じられた。
「我は氷雪の理、万物を凍てつかす白銀の女王……その吐息は絶対の静寂、その眼差しは永遠の冬……来たれ、万象を閉ざす氷河の壁! ――
リティカの詠唱が終わると同時、世界が一変した。
バリバリバリッ、という轟音と共に、オレたちのボートを中心として、海面が急速に凍りついていく。
それは、あっという間に周囲数百メートルに広がり、さっきまで波打っていた海は、鏡のように平らな、巨大な氷のフィールドへと姿を変えた。
海面にいたジェリーフィッシュたちは、為す術もなく氷の中に閉じ込められ、身動きが取れなくなっている。
「お、おい……お前、こんなスゴイ魔術使えたのかよ……!」
オレは、目の前の信じられない光景に、ただただ唖然とする。
リティカは、ふんっと鼻を鳴らし、額に浮かんだ汗を拭った。
「ふんっ、この程度、朝飯前よ……ぜぇ……ぜぇ……。さあ、いつまで呆けてるの! 動けるうちに、さっさと片付けるわよ!」
……おい、息、めちゃくちゃ上がってるぞ。
相当な魔力を消費したんだろう。だが、そのおかげで、状況は一変した。
オレたちはボートから氷の上に降り立ち、それぞれの武器を構える。
「いくぞっ!」
オレの合図で、戦闘が始まった。
真っ先に飛び出したのはキバだ。
獣人ならではの鋭い爪は、滑りやすい氷の上をものともせず、的確に獲物を捉える。
「おおおおおっ!」
雄叫びと共に、キバは氷に閉じ込められたジェリーフィッシュたちを、次々と切り裂いていく。その動きは、まさに疾風怒濤だ。
ユウも、巨大な
オレは、持ち前の速度を活かして氷上を滑るように駆け、群れの側面から奇襲をかける。
……くそっ、どうしても上手く戦えちまうんだよな……! もっと手を抜いて、反撃を食らえばいいのに……。
そう思うのに、体は勝手に、生存するための最適解を選んでしまう。
戦いは、順調に進んでいるように見えた。
だが、その時だった。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
オレたちが立っている氷のフィールドが、突如、地響きのような音を立てて激しく揺れた。
「な、なんだ……!?」
次の瞬間、オレたちの目の前の氷が、巨大な何かに突き上げられ、メキメキと音を立てて砕け散る。
そして、その氷の裂け目から、ゆっくりと姿を現したのは……。
家ほどもある、巨大な……あまりにも巨大な、セイレーンジェリーフィッシュだった。
その傘の中心には、まるで巨大な眼球のような核が不気味に輝き、無数の太い触手が、うねうねと蠢いている。
こいつが……大型個体……!
「――――――――――――――♪」
大型個体が、声にならない歌を、歌い始めた。
それは、音ではない。直接、脳に響いてくるような、不快な旋律。
キィィィンッ!!
突如、オレたちがつけていた「静寂の耳飾り」が、甲高い音を立てて砕け散った。
「なっ……!? 魔道具が……!」
リティカが、驚愕の声を上げる。
まずい……!
直接、あの歌声を聞いてしまう……!
途端に、全身の力が抜けていくような、強烈な睡魔がオレたちを襲った。
まぶたが、鉛のように重い……。
「うぅ……だめ……ねむく……なって……きちゃった……」
ユウが、ふらつきながらか細い声を漏らす。
「……ねむい……。キバ……ダメかも」
キバも、大きなあくびをしながら、その場に膝をついてしまう。
「くっ……! 精神抵抗の魔術を……! 今、がんばって、魔力を……!」
リティカも、先程の大魔術で魔力を使い果たしたのか、膝から崩れ落ち、必死に意識を保とうと頭を振っている。
オレも例外じゃない。全身が怠く、今すぐにでもこの氷の上で眠ってしまいたい衝動に駆られる。
……そうだ。
このまま、眠ってしまえばいいじゃないか……。
このまま意識を手放せば、この冷たい氷の上で、巨大なクラゲの触手に絡め取られて、今度こそ……今度こそ、確実に死ねる……! ログアウトできる……!
現実の約束を、果たせる……!
抗うな。身を委ねろ。
そう、悪魔が囁く。
オレは、ゆっくりと目を閉じようとした。
その、瞬間だった。
「しまっ……!」
リティカの悲鳴が、朦朧とする意識に突き刺さる。
見ると、大型個体の無数の触手の一本が、まるで巨大な鞭のようにしなり、動けずにいるリティカ目掛けて、猛烈な勢いで叩きつけられようとしていた。
あの威力だ。まともに食らえば、ただでは済まない。魔力を使い果たしたリティカでは、防御魔術も間に合わないだろう。
……なんで……!
なんで、オレは動こうとしてるんだ……!
絶好のチャンスじゃないか……!
このまま、みんなで眠って、全滅すれば……!
そうすれば、オレの目的は達成されるんだ……!
なのに……!
ザシュッ!!
鈍い音と共に、強烈な激痛が左腕を貫いた。
オレは、咄嗟に右手に持っていた
噴き出す鮮血。意識が飛びかけるほどの痛み。
だが、その痛みこそが、睡魔に沈みかけていたオレの意識を、無理やり現実に引き戻した。
そうだ……この痛みがあれば、オレはまだ、動ける……!
「リティカァァァァッ!!」
気づけば、オレは叫んでいた。
理性が砕け散り、痛みによる狂気が体を突き動かす。
最後の力を振り絞り、氷の上を駆ける。
リティカの体を突き飛ばし、彼女がいた場所に、オレが滑り込んだ。
ドゴォォォォンッ!!
背中に、鉄塊で殴られたような、凄まじい衝撃。
骨が砕ける鈍い音と、全身を駆け巡る激痛。
オレの体は、くの字に折れ曲がり、氷の上を無様に転がった。
「アスマっ……!? あ、あんた……何を……!?」
突き飛ばされたリティカが、信じられないものを見る目でオレを見ている。その紫色の瞳は、驚愕と、そして恐怖に染まっていた。
「アスマっちぃぃぃぃっ!!」
ユウが、絶叫しながら駆け寄ってくる。その小さな手から、淡い治癒の光が放たれようとしていた。
やめろ……。
やめろ、ユウ……。
その光は、オレをこの世界に縛り付ける呪いだ……!
「やめろッ!! 治すなッ!!」
オレは、残った力でユウの手を振り払った。
そして……。
ザシュッ!
再び、短剣を振り上げる。今度は、まだ動く右足の太ももに、躊躇なく突き立てた。
「ああああああっ!!」
絶叫。血が、さらに噴き出す。
意識を保つための、さらなる痛み。さらなる絶望。
これが必要なんだ。これがないと、オレは……。
「な……なんで……? どうして……アスマっち……そんなこと……」
ユウが、その場にへたり込み、絶望に染まった顔で嗚咽を漏らす。
彼女の琥珀色の瞳から、大粒の涙が零れ落ち、真っ赤に染まった氷の上に、透明な染みを作っていく。
ごめんな、ユウ。お前の優しさは、今のオレには、毒なんだ……。
「いくぞ、化け物……ッ!」
おびただしい出血と、全身を苛む激痛。視界は赤く染まり、立っているのがやっとだ。
だが、この痛みこそが、オレを覚醒させている。
オレは、よろめきながらも立ち上がり、巨大なセイレーンジェリーフィッシュへと向かって、再び駆け出した。
奴が、再び触手を振りかぶる。
それを、紙一重でかわし、懐へ。
弱点は、あの中心で輝く眼球のような核……!
触手を足場に、奴の巨大な体によじ登る。
奴が体を揺らし、オレを振り落とそうとするが、太ももに突き刺した短剣をさらに深くねじ込むことで、その激痛で意識を保ち、必死にしがみつく。
そして、ついに核の真上へとたどり着いた。
「これで……終わりだァァァァッ!!」
最後の力を振り絞り、左腕に突き刺さっていた短剣を引き抜くと、それを逆手に持ち、奴の核目掛けて、全体重を乗せて突き立てた!
ブシュゥゥゥッ!!
核が砕ける鈍い音と共に、おびただしい量の粘液が噴き出す。
セイレーンジェリーフィッシュは、断末魔の叫びともつかない不快な音を立て、その巨体をゆっくりと氷の上に崩れさせていく。
……やった、のか……。
だが、奴もただでは死ななかった。
最後の力を振り絞った巨大な触手の一撃が、オレの腹を、深々と貫いていた。
ああ……。
全身から、完全に力が抜けていく。
オレの体は、崩れ落ちるジェリーフィッシュと共に、冷たい氷の上へと落下していく。
視界が、急速に暗転していく。
遠くで、ユウたちの絶叫が聞こえるような気がした。