ここがゲームではないと気づいたとき、オレは壊れる   作:お嬢様執筆中

18 / 27
18 なにかが始まる

「こ、こんなにたくさん……どうしよう……!」

 

 ユウが、顔を真っ青にして悲鳴に近い声を上げる。

 キバも「……キバが、全部、やる」と短く呟くが、その表情は硬く、獣の耳が警戒するようにぴんと立っていた。

 逃げ場はない。四方八方、完全にクラゲの群れに包囲されている。

 海中からの一斉攻撃なんて食らったら、この小さなボートごと海の底だ。

 絶望的な状況。……ああ、最高じゃないか。これなら、確実に死ねる……。

 オレが内心でほくそ笑んだ、その時だった。

 

「騒がないの! 海の上だから戦いにくい……なら、陸地にすればいいだけの話よ!」

 

 リティカが、凛とした声で叫んだ。

 彼女はすっくと立ち上がると、両手を前方にかざし、目を閉じて集中する。

 その体から、蒼白い魔力の光が溢れ出し、周囲の空気が急速に冷えていくのが肌で感じられた。

 

「我は氷雪の理、万物を凍てつかす白銀の女王……その吐息は絶対の静寂、その眼差しは永遠の冬……来たれ、万象を閉ざす氷河の壁! ――絶対零度(アブソリュート・ゼロ)氷結領域(クリスタル・フィールド)ッ!」

 

 リティカの詠唱が終わると同時、世界が一変した。

 バリバリバリッ、という轟音と共に、オレたちのボートを中心として、海面が急速に凍りついていく。

 それは、あっという間に周囲数百メートルに広がり、さっきまで波打っていた海は、鏡のように平らな、巨大な氷のフィールドへと姿を変えた。

 海面にいたジェリーフィッシュたちは、為す術もなく氷の中に閉じ込められ、身動きが取れなくなっている。

 

「お、おい……お前、こんなスゴイ魔術使えたのかよ……!」

 

 オレは、目の前の信じられない光景に、ただただ唖然とする。

 リティカは、ふんっと鼻を鳴らし、額に浮かんだ汗を拭った。

 

「ふんっ、この程度、朝飯前よ……ぜぇ……ぜぇ……。さあ、いつまで呆けてるの! 動けるうちに、さっさと片付けるわよ!」

 

 ……おい、息、めちゃくちゃ上がってるぞ。

 相当な魔力を消費したんだろう。だが、そのおかげで、状況は一変した。

 オレたちはボートから氷の上に降り立ち、それぞれの武器を構える。

 

「いくぞっ!」

 

 オレの合図で、戦闘が始まった。

 真っ先に飛び出したのはキバだ。

 獣人ならではの鋭い爪は、滑りやすい氷の上をものともせず、的確に獲物を捉える。

 

「おおおおおっ!」

 

 雄叫びと共に、キバは氷に閉じ込められたジェリーフィッシュたちを、次々と切り裂いていく。その動きは、まさに疾風怒濤だ。

 ユウも、巨大な両手剣(グレートソード)を構え、キバの死角をカバーするように立ち回る。時折、キバが負ったかすり傷を、すかさず治癒魔術で癒していく。その連携は見事なものだ。

 オレは、持ち前の速度を活かして氷上を滑るように駆け、群れの側面から奇襲をかける。短剣(ショートソード)が、ジェリーフィッシュの柔らかい体を容易く貫いた。

 ……くそっ、どうしても上手く戦えちまうんだよな……! もっと手を抜いて、反撃を食らえばいいのに……。

 そう思うのに、体は勝手に、生存するための最適解を選んでしまう。

 戦いは、順調に進んでいるように見えた。

 だが、その時だった。

 

 ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!

 

 オレたちが立っている氷のフィールドが、突如、地響きのような音を立てて激しく揺れた。

 

「な、なんだ……!?」

 

 次の瞬間、オレたちの目の前の氷が、巨大な何かに突き上げられ、メキメキと音を立てて砕け散る。

 そして、その氷の裂け目から、ゆっくりと姿を現したのは……。

 家ほどもある、巨大な……あまりにも巨大な、セイレーンジェリーフィッシュだった。

 その傘の中心には、まるで巨大な眼球のような核が不気味に輝き、無数の太い触手が、うねうねと蠢いている。

 こいつが……大型個体……!

 

「――――――――――――――♪」

 

 大型個体が、声にならない歌を、歌い始めた。

 それは、音ではない。直接、脳に響いてくるような、不快な旋律。

 キィィィンッ!!

 突如、オレたちがつけていた「静寂の耳飾り」が、甲高い音を立てて砕け散った。

 

「なっ……!? 魔道具が……!」

 

 リティカが、驚愕の声を上げる。

 まずい……!

 直接、あの歌声を聞いてしまう……!

 途端に、全身の力が抜けていくような、強烈な睡魔がオレたちを襲った。

 まぶたが、鉛のように重い……。

 

「うぅ……だめ……ねむく……なって……きちゃった……」

 

 ユウが、ふらつきながらか細い声を漏らす。

 

「……ねむい……。キバ……ダメかも」

 

 キバも、大きなあくびをしながら、その場に膝をついてしまう。

 

「くっ……! 精神抵抗の魔術を……! 今、がんばって、魔力を……!」

 

 リティカも、先程の大魔術で魔力を使い果たしたのか、膝から崩れ落ち、必死に意識を保とうと頭を振っている。

 オレも例外じゃない。全身が怠く、今すぐにでもこの氷の上で眠ってしまいたい衝動に駆られる。

 ……そうだ。

 このまま、眠ってしまえばいいじゃないか……。

 このまま意識を手放せば、この冷たい氷の上で、巨大なクラゲの触手に絡め取られて、今度こそ……今度こそ、確実に死ねる……! ログアウトできる……!

 現実の約束を、果たせる……!

 抗うな。身を委ねろ。

 そう、悪魔が囁く。

 オレは、ゆっくりと目を閉じようとした。

 その、瞬間だった。

 

「しまっ……!」

 

 リティカの悲鳴が、朦朧とする意識に突き刺さる。

 見ると、大型個体の無数の触手の一本が、まるで巨大な鞭のようにしなり、動けずにいるリティカ目掛けて、猛烈な勢いで叩きつけられようとしていた。

 あの威力だ。まともに食らえば、ただでは済まない。魔力を使い果たしたリティカでは、防御魔術も間に合わないだろう。

 ……なんで……!

 なんで、オレは動こうとしてるんだ……!

 絶好のチャンスじゃないか……!

 このまま、みんなで眠って、全滅すれば……!

 そうすれば、オレの目的は達成されるんだ……!

 なのに……!

 

 ザシュッ!!

 

 鈍い音と共に、強烈な激痛が左腕を貫いた。

 オレは、咄嗟に右手に持っていた短剣(ショートソード)で、自らの左腕を、骨に達するほど深く切りつけていた。

 噴き出す鮮血。意識が飛びかけるほどの痛み。

 だが、その痛みこそが、睡魔に沈みかけていたオレの意識を、無理やり現実に引き戻した。

 そうだ……この痛みがあれば、オレはまだ、動ける……!

 

「リティカァァァァッ!!」

 

 気づけば、オレは叫んでいた。

 理性が砕け散り、痛みによる狂気が体を突き動かす。

 最後の力を振り絞り、氷の上を駆ける。

 リティカの体を突き飛ばし、彼女がいた場所に、オレが滑り込んだ。

 ドゴォォォォンッ!!

 背中に、鉄塊で殴られたような、凄まじい衝撃。

 骨が砕ける鈍い音と、全身を駆け巡る激痛。

 オレの体は、くの字に折れ曲がり、氷の上を無様に転がった。

 

「アスマっ……!? あ、あんた……何を……!?」

 

 突き飛ばされたリティカが、信じられないものを見る目でオレを見ている。その紫色の瞳は、驚愕と、そして恐怖に染まっていた。

 

「アスマっちぃぃぃぃっ!!」

 

 ユウが、絶叫しながら駆け寄ってくる。その小さな手から、淡い治癒の光が放たれようとしていた。

 やめろ……。

 やめろ、ユウ……。

 その光は、オレをこの世界に縛り付ける呪いだ……!

 

「やめろッ!! 治すなッ!!」

 

 オレは、残った力でユウの手を振り払った。

 そして……。

 ザシュッ!

 再び、短剣を振り上げる。今度は、まだ動く右足の太ももに、躊躇なく突き立てた。

 

「ああああああっ!!」

 

 絶叫。血が、さらに噴き出す。

 意識を保つための、さらなる痛み。さらなる絶望。

 これが必要なんだ。これがないと、オレは……。

 

「な……なんで……? どうして……アスマっち……そんなこと……」

 

 ユウが、その場にへたり込み、絶望に染まった顔で嗚咽を漏らす。

 彼女の琥珀色の瞳から、大粒の涙が零れ落ち、真っ赤に染まった氷の上に、透明な染みを作っていく。

 ごめんな、ユウ。お前の優しさは、今のオレには、毒なんだ……。

 

「いくぞ、化け物……ッ!」

 

 おびただしい出血と、全身を苛む激痛。視界は赤く染まり、立っているのがやっとだ。

 だが、この痛みこそが、オレを覚醒させている。

 オレは、よろめきながらも立ち上がり、巨大なセイレーンジェリーフィッシュへと向かって、再び駆け出した。

 奴が、再び触手を振りかぶる。

 それを、紙一重でかわし、懐へ。

 弱点は、あの中心で輝く眼球のような核……!

 触手を足場に、奴の巨大な体によじ登る。

 奴が体を揺らし、オレを振り落とそうとするが、太ももに突き刺した短剣をさらに深くねじ込むことで、その激痛で意識を保ち、必死にしがみつく。

 そして、ついに核の真上へとたどり着いた。

 

「これで……終わりだァァァァッ!!」

 

 最後の力を振り絞り、左腕に突き刺さっていた短剣を引き抜くと、それを逆手に持ち、奴の核目掛けて、全体重を乗せて突き立てた!

 ブシュゥゥゥッ!!

 核が砕ける鈍い音と共に、おびただしい量の粘液が噴き出す。

 セイレーンジェリーフィッシュは、断末魔の叫びともつかない不快な音を立て、その巨体をゆっくりと氷の上に崩れさせていく。

 ……やった、のか……。

 だが、奴もただでは死ななかった。

 最後の力を振り絞った巨大な触手の一撃が、オレの腹を、深々と貫いていた。

 

 ああ……。

 全身から、完全に力が抜けていく。

 オレの体は、崩れ落ちるジェリーフィッシュと共に、冷たい氷の上へと落下していく。

 視界が、急速に暗転していく。

 遠くで、ユウたちの絶叫が聞こえるような気がした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。