ここがゲームではないと気づいたとき、オレは壊れる   作:お嬢様執筆中

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20 覚醒と終わり

 深い、深い闇の底から、ゆっくりと意識が引き上げられるような感覚。

 全身を苛んでいた、骨が砕け、肉が裂けるような激痛は、嘘のように消え去っていた。

 ああ……また、か。

 また、オレは……『生かされて』しまったのか。

 うっすらと目を開けると、視界に飛び込んできたのは、昨日から見慣れてしまった豪華な天蓋付きベッドの天井だった。

 アクアリーフの、あの別荘の一室だ。

 ゆっくりと上半身を起こし、自分の体を見下ろす。

 腹を貫通していたはずの風穴も、自らの手で滅多刺しにした左腕と右足の傷も……すべて、綺麗さっぱり塞がっていた。

 残っているのは、薄っすらとした傷跡と、着せ替えられた清潔な寝間着だけ。

 そして……どうしようもない、絶望感だけだ。

 

「アスマっちぃっ!!!!」

 

 オレが目を覚ましたことに気づいたのだろう。鼓膜を劈くような絶叫と共に、ユウがベッドに飛びついてきた。

 その琥珀色の瞳は涙でぐしゃぐしゃに濡れ、ボロボロと大粒の雫をこぼしながら、オレの体にぎゅっとしがみついてくる。

 

「よ、よかった……! 本当に、よかったよぉ……! うぅ……アスマっち、また、あたしたちを置いていっちゃうのかと思った……! こわかった……ほんとに、こわかったんだからぁ……っ!」

 

 しゃくりあげながら、ユウはオレの胸に顔をうずめて泣きじゃくる。

 その温もりと、震える体……。

 オレは、ただ無表情に、そんなユウの姿を見下ろしていた。

 スイ……ごめん。オレは……また、お前との約束を、守れなかった……。

 ユウの治癒を、拒絶することが……できなかった……。

 いや、違う。意識を失っていたオレに、拒絶する術なんてなかったので、不可抗力ともいえなくない。

 ……違う。そんな言い訳は、もう通用しない。

 オレは、心のどこかで、この温もりに、ユウの優しさに、甘えていたんだ。

 だから、死にきれなかった。

 

 夢の中で見た、スイの涙。

 『お兄ちゃんは、嘘つきだったんだ……』

 その言葉が、頭の中で何度も何度も反響する。

 そうだ。オレは、嘘つきだ。

 この世界での居心地の良さに、現実から目を逸らそうとしていた、ただの卑怯者だ。

 ガチャリ、とドアが開き、リティカとキバが心配そうな顔で部屋に入ってきた。

 

「アスマ……! 目が覚めたのね……!」

 

 リティカが駆け寄ってくる。だが、その表情はいつもの自信に満ち溢れたものではなく、暗く、深く沈んでいた。

 彼女は、オレのベッドのそばで立ち止まると、深々と頭を下げた。

 

「……ごめんなさい、アスマ。私の……私のせいで……。私が、もっとしっかりしていれば……あなたに、あんな無茶をさせることはなかった……。全部、私の責任よ……」

 

 その声は震え、普段の彼女からは想像もつかないほど、弱々しかった。

 隣では、キバも俯いたまま、小さな声で呟く。

 

「……キバも、何もできなかった。アスマが、あんなにがんばっているのに……ただ、見てることしかできなかった。ごめん……アスマ……。キバが、もっと強ければ……」

 

 二人とも、ひどく落ち込んでいる。

 自分たちの力不足が、オレをあんな無謀な戦いに向かわせてしまったと、そう思い込んでいるようだ。

 

「……気にするな。オレが勝手にやったことだ」

 

 正直、どうでもいい。

 彼女たちがこれからどうしようが、オレの未来は変わらない。

 

 その時、静かにメイドのセレスさんが部屋に入ってきた。

 彼女は、オレたちの間の重苦しい空気を察したのか、少しだけ表情を曇らせたが、すぐにいつもの涼やかな顔に戻り、報告を始めた。

 

「旦那様、お目覚めになられて何よりでございます。皆様の奮闘により、大型のセイレーンジェリーフィッシュの討伐は確認いたしました。……ですが、旦那様。大変申し上げにくいのですが……事態は、最悪の方向へと向かっています」

 

 セレスさんはそう言うと、窓の外を指し示した。

 昨日まで、あれほど美しかったコバルトブルーの海は、どこにもなかった。

 代わりに広がっていたのは、インクをぶちまけたように、どす黒く濁った不気味な海。

 空は鉛色の雲に覆われ、太陽の光は完全に遮断されている。

 そして……ゴゴゴ……という、不気味な地鳴りのような音が、絶え間なく響いてきていた。

 

「な……なによ、あれ……。海が……! でも、どうして……。あの魔物は、ただの害獣だったはずじゃ……」

 

 リティカが、信じられないものを見る目で呟く。

 その当然の疑問に、セレスさんは、静かに、そして重々しく口を開いた。

 

「ええ。本来は、ただ静かに封印を守るだけの存在でした。ですが……おそらく、侯爵様が封印を解くための調査か何かで、手出しをしてしまったのでしょう。そのせいで、セイレーンジェリーフィッシュは活発化し、自らの縄張り……すなわち封印に近づく者を、敵と見なして無差別に襲うようになってしまったのです」

 

「じゃあ、あたしたちが倒してしまったから……」

 

「はい。その封印が、今、完全に解かれてしまったのです。……侯爵様は、全てご存知の上で、皆様にこの依頼を託したのでしょう。邪魔な封印を、英雄譚にすり替えて破壊させるために」

 

 リティカが血の気の引いた顔で「ふそ、そんな……!」と呻く。

 セレスさんは顔を伏せ、静かに首を横に振った。

 

「それって、私たちを騙したってこと……?」

 

 リティカの問いにセレスさんは静かに肯定した。

 

「えぇ、そう捉えていただいて問題ないかと。……ちなみに、侯爵様は、とうにこの地を離れております。あなたがたを……この、絶望的な状況に、捨て駒として残した上で」

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ…………!!!!

 

 セレスさんの言葉を裏付けるかのように、別荘全体が、地鳴りのような轟音と共に激しく揺れた。

 窓の外、どす黒い海面が大きく盛り上がる。

 そして、その中心から……ゆっくりと、巨大な『何か』が、その姿を現し始めた。

 それは、もはや魔物という言葉では言い表せない、冒涜的なまでの異形の存在だった。

 無数の触手と、おびただしい数の眼球が、不定形な肉塊から蠢き出ている。

 その姿を見ただけで、正気を失いそうなほどの、圧倒的な絶望の化身。

 

「『深淵の落とし子(アビッサル・スポーン)』。そう呼ばれる化け物がたった今、お目覚めになりました」

 

 セレスさんが明瞭な声色でオレたちにそう伝えた。

 深淵の落とし子(アビッサル・スポーン)は、オレたちがいる別荘には目もくれず、ゆっくりとその巨体を引きずり、街の方角へと進み始めた。

 

「街が……街が危ないわ! 早く追いかけるわよ!」

 

 リティカが叫ぶ。

 そうだ。街へ行こう。

 この、絶望のど真ん中へ。

 それこそが、オレが求めていた、最高の死に場所だ。

 別荘から街までは、丘を下ればすぐだ。

 オレたちは、急いで戦闘の準備を整えると、絶望の化身の後を追って駆け出した。

 ユウも、キバも、リティカも、街の人々を救うため、そして、自分たちが招いてしまったこの事態に、責任を取るために戦うのだろう。

 だが、オレは違う。

 オレは、ただ、死ぬために戦う。

 街の入り口にたどり着いた時、そこに広がっていたのは、昨日までの美しいリゾート地の面影など、どこにもない、地獄のような光景だった。

 建物は無残に倒壊し、あちこちで黒煙が上がっている。石畳は巨大な何かに抉られたようにひび割れ、地面にはおびただしい血痕が広がっていた。

 そして、街の中心部で、天を突くほど巨大な『何か』が、暴れ狂っていた。

 逃げ惑う人々が、天にまで届かんとする巨大な触手に次々と捕まり、まるで玩具のように握り潰されていく。

 悲鳴が、絶叫が、この世の終わりのような不協和音となって、オレたちの耳に届く。

 

「あ……あぁ……」

 

 ユウが、その場にへたり込み、腰を抜かしてしまう。

 キバも、リティカも、ただ呆然と、目の前の絶望的な光景を立ち尽くして見つめることしかできない。

 だが……。

 オレの心は、奇妙なほどに、静まり返っていた。

 そうだ。これだ。

 これこそが、オレが求めていたものだ。

 この、誰もが絶望するしかない、圧倒的な死。

 これなら、今度こそ……。

 今度こそ、確実に死ねる。

 そして、もう誰にも、邪魔はさせない。

 ユウの治癒魔術も、リティカの知恵も、キバの力も、この絶望の前では、何の意味もなさない。

 たった一人で……。

 そうだ。スイとの約束を、今度こそ、果たせる。

 

「……アスマっち……? どこ、行くの……?」

 

 か細いユウの声が、背後から聞こえる。

 オレは、腰に差していた自分の短剣(ショートソード)を、静かに抜き放っていた。

 そして、振り返りもせず、絶望の化身が待つ、死地へと向かって、ゆっくりと歩き出す。

 

「今度こそ、終わりにしてやる」

 

 誰に言うでもなく、そう呟いた。

 この、忌々しいゲームも。

 そして、嘘つきで、卑怯者だった、オレ自身のことも。

 スイ……待ってろよ。

 今度こそ……必ず、お前の元へ、帰るからな。

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